遅くなりました。
「こまら、ぶぁーれ……」
「そう。髪を綺麗にする、ただそれだけの魔法。
けれどね、身だしなみを整えるには十分だ」
「身だしなみ」
「うん」
単語を返す少女にグレゴールは頷く。
開かれた魔導書には大量の字が描かれているのだが、残念ながら学のない彼女が理解することは出来ない。無論、それはグレゴールも分かっている。
「どうやって使うの?」
「本来ならこの魔道書を読むだけでいい。
けれど、魔法は感覚だけでも覚えられる。
原理の理解は必要だけれど、それは後でもいい」
「………どうやって使うの?」
「すまない。話が長くなるのは私の悪い癖だね」
不満そうな顔をする少女にグレゴールは苦笑い。
どうやら、彼女は魔法が使いたくて堪らないらしい。
そんな彼女に、彼は魔道書に目を通し─────そして、足元にある小枝と緑の葉を複数個、浮き上がらせた。
「……さて、これを枝と葉に分けられるかい?」
「? うん」
少女は首を傾げたまま、その浮かんだ枝と葉を小さな手で分別し始める。ゆっくりと、だが確実に。そして数秒後、そこには分けられた枝葉が浮いていた。
「できた」
「そうだね。枝はこちら、葉はこちら。
君はそうやって、これらを分けた……だね?」
「うん」
「要は
この魔法の核は〝分別〟……分けることにある」
「分ける?」
「そう」
グレゴールは笑みと共に分けた枝葉をぐしゃぐしゃに混ぜ合わせてしまう。少女は、「折角分けたのに」と不満そうだが、すると。
竜巻のように、枝葉が緑の渦を巻く。
その渦は、少しずつ葉だけを弾き出していき─────
「あっ」
少女が思わずといったように声を出す。
そこに浮かんでいたのは、枝の束だ。
「不要なものを排除する。
髪とそれ以外を〝分ける〟魔法なのさ」
「おー……」
「分かったかい?」
「わかった」
「良いね。それでは実践してみよう。
私が手本を見せる。まずは、
その結果が〝どうなるのか〟を理解しよう」
「ん!」
少女が頷く。
グレゴールの言う通り、結果の理解は魔法の想像力に繋がるうえでとても重要だ。例を挙げるなら、計算の問題がある、それに答えが分かっている状態で問題に臨めることになる。この魔法で例えるなら、髪とそれ以外がどう分かれるのか、という理解。
グレゴールは、自らの髪に触れる。髪には降ってくる木々の葉がついている、が。
「
そう唱えた瞬間、グレゴールの黒髪が淡い薄緑の光に包まれる。そしてふわり、と髪が持ち上がると、その髪に付いていた葉がするすると髪を滑り落ち、地面に落ちていく。そして、その淡い光も消えていった。
グレゴールは一つ息をつく。
欠点としては、髪を結ぶ紐やリボンも落ちてしまう、という点だが、グレゴールも少女もそれらをつけてはいない。魔力消費も少なく使いやすい民間魔法だ。
「この通りだ。私は髪はあまり気にしないんだが、
君の髪はきっと綺麗になるだろうからね」
「おぉ……」
「イメージするのは、髪を水で流す感覚。
汚れや異物を洗い流すことだ」
「ん」
「さあ、やってみてごらん。何事も実践からだ」
その言葉に頷き、少女はその手で髪の束を握る。
そして目をきゅっ、と閉じ、念じ始める。
「……
そして、ふわ、とその長髪が浮かび…………
何も起きず、髪は垂れ落ちた。
「………あれ?」
「………ほう」
少女は呆気に取られ顔を上げ、グレゴールは顎に手を当てて眉を上げる。
─────不発。
その事実に、少女は瞳に涙を浮かべて泣きそうな顔でグレゴールを見上げる。だが、グレゴールはというと微かな、だが、確かな表情の変化があった。それは、驚き、感心といった表情で──────
「……なんでぇ……?」
「いや、どうか悲しまないでくれ。
寧ろ驚いた、不発前提で話をしていたが……
術式の発動寸前まで魔力を練れていたとは」
「……なに…?」
「………自分の髪が浮いたのは分かったかい?」
「うん……」
少女は俯いたまま頷く。
だがまた対照的に、グレゴールはどこか愉しそうに、その笑みを深くして言う。
「それは魔力の高まりがハッキリとしている、
その何よりもの証左だ。
あと少しで魔法が使えていたんだよ」
「ほんと!?」
「本当だとも。初めてなのに
そう上手くいくものではないんだけれど、
今のは……正直、私も驚いた」
彼は見ていた。
魔法の発動の瞬間には、魔力の高まりがある。それは必ず起こるもので、その魔力を制限していない限りは明確なものとなる。また少女は魔力の制限を知らず、だが溢れる魔力の量は、その歳ではかなりのものだ。
『悪魔』。
彼女がそう呼ばれていたのを、彼は思い出していた。
あの村を包んでいた炎。
………無意識下での魔法。
有り得ない話ではない。無意識、つまり純粋化された思考では、イメージによる魔法は強力なものになる。
彼女の場合ならば、恐らく
「……」
恐らく、それが呼び水となって魔法の才が覚醒した。それを制御出来たのなら、この少女は間違いなく良い魔法使いになれるだろう。その力の使い道も、また。
「さぁ、もう一度。
自分は出来ると信じて、やってごらん」
「うん」
少女は再び髪に触れ、そして魔力を高めていく。
揺らぐ魔力は、やはり、高まるばかり。
グレゴールは静かにそれを見届ける。
「
瞬間、その髪がぶわり、と浮き上がる。
魔力の輝きが、その黒灰色の髪を包み込み、そして。
ぶわり。
長髪が一気に舞い上がり、光が黒灰を押し流す。
その髪の根元から現れたのは、美しい亜麻色。
まるで丁寧に仕立てられた織物のように、その長髪は艶やかに光を反射して、そして静かに垂れ落ちた。
「わ、あ……!」
少女はそれに目をキラキラと輝かせ、ぶんぶんと手を振って、思い思いの喜びを表現する。そうして視線はグレゴールへと向けられ、彼もまたそれに微笑みと、静かな頷きを返す。
「………おめでとう。
君はこれで『魔法が使えるようになった』」
「ん!」
「自分は魔法が使える、という意識は
魔法使いで最も重要なことだ。それさえあれば、
どんな魔法であろうと、君は使いこなせるだろう」
グレゴールはそう言って少女の頭を撫でる。
魔法を使ううえで重要なのはイメージ。それ故に強い魔法使いは十分な自信を持ち、そして、それを叶える強力な魔法を使いこなす。時には、常識すら歪ませる想像力を以て。
純粋無垢。
それはまさに、魔法を使いこなすに相応しい性質だ。何物も適応、また受容し、それによって魔法の性能を最大限にまで引き出すことが出来る。とはいえ術式の構造を知らなければ意味もないが、そこは英才教育。
グレゴールもまた、今それを知り得たところだ。
「……やはり、人間は素晴らしい。
手を取り合いながらも自らの足で歩み、
進化していく姿は……魔族も見習うべきだね」
魔王という統率こそあって初めて、魔族は七崩賢や、将軍を名乗る者たちが現れるようになった。今でこそ勇者ヒンメルたちの活躍で魔王は倒されたが、やはり魔族は社会性というものを学んでいくべきだろう……
グレゴールは、静かに視線を改める。
少女は目を輝かせ、自らの長髪を手に取っている。
今この状況こそ、共存という道の一つやも知れない。
グレゴールは、息を吐く。
それはまるで溜め息のよう、だが悲観を感じさせる、深い吐息。
「馬鹿げた理想だよ」
「?」
それに首を傾げた少女に、その魔族は微笑んだ。