ベルグリッド・コーレンは、特異な眼を持って生まれた。
瞼を開けば、そこには無数の「光」があった。暖かく、眩しい命の光──空間神聖力である。
ベルグリッドの眼は、他者と同じように世界を見る事が出来ない。本や剣といった無機物なら問題無いが、人間や動物といった生き物は全て、光の集合体にしか見えなかった。
当然、人相も判断がつかない。家族の顔を初めて見たのはベルグリッドが10歳になった頃で、そのきっかけをくれたとある少女の顔が、ベルグリッドが初めて目にした人間の顔だった。
少女と出会ったのはベルグリッドが8歳の時。世界の眩しさに目を瞑りながら歩いて転んだ所を助けてもらったのが始まりだった。
コーレン家の屋敷に勤める使用人だった年上の少女は、それ以降、ベルグリッドの事を何かと気にかけてくれるようになった。移動の際は手を取って先導してくれたり、目の前にいるのが誰なのか教えてくれたり、ベルグリッドが勧めた本の感想を言い合ったり──そんな日々を過ごす内、ベルグリッドは少女の優しさに惹かれていた。
だからなのだろう。「少女の顔が見たい」と強く、強く願い続けた彼は、幼少の身でありながら心意の力を発現させたのだ。その心意は囁かながらも大きな変化を──ベルグリッドの眼にフィルターをかけ、意識を集中させている間だけ、本来の世界を見る事が出来た。
視覚の問題が解決したことで、兄に続いてベルグリッドも剣の指南を受けられるようになったものの、基礎体力の問題などから既に兄弟の間で大きな差が生まれてしまっていた。
彼自身、剣術を学ぶことに対してあまり意欲的でなかった事もあり、程なくして神聖術の方に力を入れていこうと考えていた時だった──
彼女が、兄に見初められた。
彼女はコーレン家の私領地から使用人として央都の屋敷に住み込みで働いている。即ち身分上は平民であり、貴族の子女は往々にして同じ貴族同士で結婚するのが通例とされているのだが、ベルグリッドを始めコーレン家の人間は平民だからと特別見下すような事はしない。例え無姓の娘だろうと、当人が気に入っているのであれば家族へ迎える事に抵抗は無かった。
ただ1つだけ──彼女が兄と婚約し、然る後に結婚して夫婦となった暁には、あの楽しかった2人の時間は過ごせなくなるという事実が、ベルグリッドの胸に引っかかっていた。
異を唱えること自体は簡単だ。しかしそうしたとて何が変わるでもない。弟が何やら駄々をこね始めたと呆れられるのが精々だろう。
結婚出来るのは原則家督を継ぐ長男のみであり、次男以下が結婚しようとすると婿養子として他所の家に出される事が多い貴族社会に於いて、この抵抗は無意味に等しい。最悪勘当を言い渡され、二度と彼女に会えなくなってしまう。
当の彼女も、立場上兄の申し出をおおっぴらに断れない以上、ベルグリッドに取れる方法は、もうたった1つしか残されていなかった。
──兄さん。僕と立ち会ってくれないか?
結果から言えば、ベルグリッドは勝利した。そして兄は怪我を負い、二度と剣を握れなくなってしまった──「剣を振れない次期当主」というのは流石に外聞が悪過ぎるという事で、目論見通り家督はベルグリッドが継ぐ事になったのだが……誤算だったのは、件の彼女が怪我をした兄に甲斐甲斐しく世話を焼いていた事だった。単に使用人だからというだけではない、心意を通して見えた彼女の目からは、明らかな感情が見て取れた。
彼女の気持ちは、最初からベルグリッドに向いていなかった──或いは、いつからか兄に向いていたのだろう。それを責める事は出来ない。別に将来を誓い合った訳でも、この気持ちを伝えていた訳でもない……どう考えても、彼女の気持ちを確認すらせず1人で勝手に事を進めたベルグリッドに非があるからだ。
結局、ベルグリッドは家督は自分が引き受けながらも、結婚する権利は進んで兄に譲った。せめてそうする事が自分に出来る贖罪だと──尤も、彼女に嫌われたくないからと、自分が兄に挑んだ理由を明かさなかった辺り、未練がましいと自嘲しているのだが。
斯くして、ベルグリッド・コーレンはコーレン家の次期当主として修剣学院に入学した。そんな彼が上級修剣士第四席にまで上り詰めた最大の理由、それは彼の生まれ持った眼に起因するものだった。
人の肉体は空間神聖力によって形作られている。そして人体を神聖力の集合体として見る事が出来るベルグリッドは、神聖力の
例え腕力で劣る相手であっても、その弱点を突くことで短期決戦を仕掛ける──ベルグリッドはそうやって兄の肩を砕き、学院に入学してから戦ってきた様々な相手の苦手とする攻め方を繰り返して今の座に就いた。
醜く卑怯な戦い方だ、と自分でも思っている。一見ひらりひらりと蝶のように攻撃を躱し、蜂のように一刺しを加える華麗な剣術のように見えるが、見る者が見ればそれは正々堂々とかけ離れた戦い方だった。
それを指摘された事も少なくない。しかしその時は決まって、異を唱える同輩達がいた。それこそが、後に上級修剣士上位3席を総ナメするリーナ達である。
彼女達は問うた──何故、もっと真面目に取り組まない?お前の実力なら、もっと上を目指せるだろう──と。
ベルグリッドは答えた──肉体労働は苦手なんだ。と──嘘だった。
兄の輝かしい未来を奪ってしまった事、そして自分の身勝手で危うく彼女の幸せすら奪いかねなかった事を受け、入学以降剣術というものに対する熱意を失ってしまっていた──それが真実。
彼らは問うた──何故、本気で立ち会わない?入学当時のお前はそんなものではなかっただろう──と。
ベルグリッドは答えた──これが実力の差というものだ。自分と君達には、隔絶した差があるんだよ──と。これは、純然たる事実だった。
まず気持ちの面で、ベルグリッドは剣に心意の力を込める事が出来ない。それに加え、彼らには「脆い部分」が無いのだ。通常なら、鍛えの足りていない部分などが神聖力の薄い箇所として認識できるのだが、あの3人は揃いも揃って一部の隙もない程肉体が鍛えられている。最も華奢なリーナでさえ、自分如き羽虫の一刺しなど通用しないという事が一目で分かった。ゴルゴロッソに至っては四帝国を仕切る《不朽の壁》も斯やという堅牢さだ。
そうして、のらりくらりと追求を躱していく内、いつからかベルグリッドは心無い生徒達から《道化》と呼ばれるようになっていった。本人もそう呼ばれることを良しとしていたし、進んでそうあろうとしていた節すらある。
学院を主席ないし次席で卒業し、統一剣舞大会を勝ち抜いて整合騎士になる──というのは流石に望み過ぎなので、帝国騎士団に入団出来れば御の字。欲を言えば公理教会勤めの修道士になるのが理想だった。剣よりも神聖術の方が性に合っているし、治癒術式ならこの眼もずっと有効に活かせるかもしれない。
そんな将来設計をぼんやりと考えながら、ベルグリッドは上級修剣士第四席として春を──そして後輩を迎えた。
傍付きに選んだのは、ミツキという少年。平民出というのはゴルゴロッソと同じだが、彼はどこかの村の村長の息子、というわけではない。姓を持たない正真正銘の平民だった。
何故彼を選んだのか──正直、ハッキリとした理由があるわけではない。
敢えて言うなら、自分と同じ匂いがした気がしたから。だろうか……別に鼻が利くわけではないのだが。
剣術に関して自分が教えてやれる事なんて何1つ無い。精々剣を握る時の気構えとか、まぁそんな所だろう。神聖術ならまぁ多少はマシだろうが、別に神聖術の成績が抜きん出ているわけでもない。授業をしっかり聞いていれば問題ないだろう。
結局、自分の中から与えられるものは無いという結論に達したベルグリッドは、頼もしき学友達──リーナ達を利用もとい頼ることに決めた。
文句なしに強い彼女達の剣を学ぶ事が出来れば、きっと彼も強くなる──例え適した得物が別にあるのだとしても。
……それでも、自分が何かを教えられるのだとすれば──それはきっと、この身から出た錆だ。
平民である彼が同じ状況に陥るとは考え難いが、それでも、何か決断をする時、思考の迷路に迷った時、出口に向かう為の灯りにでもなればいい。
そうなれたならば、ベルグリッド・コーレンの過ちにも、多少の意味が生まれることだろう。
短いですが、ベル先輩に関する回でした。
技術だけで第四席に座り続けてる辺り、間違いなくすごい人ではあります。
言うなれば、技だけで到れる限界点。紛れもない強者である上級修剣士を更に上澄みとそれ以下で分けるボーダーライン的立ち位置だったわけです。
1~3>超えられない壁>4>>>>>>5~くらいのイメージ。
僕は四天王の中で最も小物、最弱よ…(尚普通に強い)
この人もミツキに負けず劣らず器用なので、剣への情熱がある状態で本気になれば、ベル先輩が主席ないし次席になってる世界線もあったかもしれませんね。
ミツキの内面を透かしたような物言いをしてたのは、シンパシーを感じていた事に加えて、幼少時に目が殆ど使えなかった都合、声音や仕草から相手の感情や心境を推し量るクセがついていたから。ミツキの得意武器が剣じゃないことを見抜いていたのも、「眼」で見たミツキの体が《剣士》のそれじゃなかったから。やたら含蓄ある言葉が多かったのは、体験談+読書によるもの。
そして部屋が汚いのは片付けがシンプルに下手だから。