人界歴780年3月──今年度もまた、修剣学院から剣士達が巣立っていく。
上級修剣士達の最終序列は大きな変動こそ見られなかったが、1つだけ──直前に行われた最後の検定試合にて、リーナ先輩は見事ウォロの剣を打ち破り、主席と次席が逆転するという囁かながらも大きな変化があった。
卒業式を終えたリーナ先輩には、キリトから無事満開となったゼフィリアの花を。ゴルゴロッソ先輩にはユージオからワインをそれぞれ送る中、終ぞ第四席の座を守り通したベル先輩には──
「ミツキ君……何だい、コレは?」
「……ご存知ないですか?眼鏡」
「いや、それは知ってるとも。ただ……僕の『眼』は視力とは関係ないものでね……」
「分かってますよ。だからほら、レンz──晶素板が嵌ってないでしょう?」
「ああ、だからこそ分からない。コレをどうやって使えと言うんだい?」
進級試験を終えたすぐ後、ベル先輩から自分の「眼」について教えてもらった俺がサードレ氏に頼んで作ってもらったこの眼鏡は、レンズが嵌っていないフレームのみのハリボテだ。
そもそも、アンダーワールド人は視力の劣化が起きない為、こういった道具も視力矯正というよりは虫眼鏡のように小さい文字を拡大したり、遠くを見る望遠鏡的な役割で用いられる事が多い。一見、無用な物に思えるが……
「先輩、戦い以外でならある程度心意を使えるんでしょう?人の顔を見る度に気合い入れるのも疲れるだろうと思いまして──コレかけとけば、少しは楽になるでしょう」
心意に於いて重要なのはイメージの強度──イメージし易いシンプルなものであればある程、強度は上がっていく。先輩は眼の表面に膜を張るような形でやって来たようだが、コレがあれば眼鏡にレンズを張る形をイメージする事で要求される集中力も軽減出来る……はずだ。
「ふむ、なる程……いやはや、君は本当に機転が利くね。そういう事なら、ありがたく使わせてもらうよ──それじゃあ僕からも1つ、君に最後の助言をさせてもらうとしようか」
「助言、ですか?」
「ああ。ズバリ、素直じゃない同級生の女の子の気持ちを射止める方法──というのは勿論冗談だとも。そう睨まないでくれたまえよ」
小さく咳払いした先輩は、改めてその助言とやらを口にする。
「ミツキ君、君はとても聡明な人間だ。周囲の物事や人をよく見て、胸中を推し量り、慮って寄り添うことが出来る。その優しさは、表立って助けを求める事の出来ない誰かの救いになるだろう──君がこの1年、オルティナノス嬢にしてきたようにね」
そんな大層なものだろうかと自分では思ったが、黙して耳を傾ける。
「だけど、1つだけ注意が必要だ。他人の心という見えないものを見ようとするあまり、1番大事なものを見落としちゃあいけない──君のその目が映し、その耳が聞いたものを、ありのまま受け入れる事も重要だ。でないと、悪い意味で疑り深い人間に──何も信じられない人間になってしまうよ」
「……そうは言いますけど、どうすればいいんです?見えてるものと見えないもの、信じられるのは2つに1つじゃないですか」
「さぁね。人の心の真偽というのは、僕にもさっぱりだ。きっと、唯一解というものは無いんだろう。内と外、どちらかは偽りかもしれないし、或いはどちらも真実かもしれない。時には、それらがまるっと逆転することもあるだろう。だけどね、僕は思うんだ──真偽を移ろう人の心に唯一の正解は無いのだとしても、絶対に偽りにならないものが存在しているはずだ、と」
「偽りに、ならないもの……」
「うん。言ったように、人の心は揺らぎ移ろいゆくものだ。真実だったものが偽りに、偽りだったものが真実に変わることもある。けどその中には、何があろうと偽りにならない確かなものが存在している──君なら、きっとそれを見つけられる。そしてそこから心を紐解き、寄り添い支える事が出来る筈だよ──なんて、《道化》のお墨付きじゃあ心許ないかな?」
「……かもしれませんね」
「おおっと……そこは『そんな事ない』って言う所じゃないかい?」
「でも、信じます。正直、先輩は最後までだらしない人ではありましたけど……貴方の言葉で道が開けた事もあった。ですから──」
1歩下がり、背筋を正した俺は、深く頭を下げる。
「──1年間、ご指導ご鞭撻、ありがとうございました」
「……指導も鞭撻も、それらしい事は何も出来ていないと思っていたんだけどね。それでも、君がそう言ってくれるのなら──うん。こんな僕も、少しは胸を張って卒業出来るというものだ」
いつもどこか人を食ったような笑みを浮かべていたベル先輩だが……この時だけは、混じり気の無い心からの笑顔だったような、そんな気がした。
先輩達が学院を発って早数日。俺達は、今日で最後になる初等練士寮の掃除を終わらせてとある話をしていた。
次期上級修剣士として、空いた12の席へ就くことになったとはいえ、何かが劇的に変わる訳ではない──生活スペースが上級修剣士専用の寮になったり、一部学院則から解放されたり、そういう意味では大いに変化があると言えるが──肝心の俺達自身は剣術の特待生になるからといって、ライオス達のように尊大な態度になるでもなく、寧ろ上級修剣士という上の立場になる事実に多少の困惑すら覚えていた。
そんな俺達を目下悩ませているのが、傍付き練士制度の存在である。
「……どうしようか?」
「うーん……去年やってた身ではあるけど、いざ逆の立場になるとなぁ」
「何をそんな不安がっている──と言いたい所だが、私もいくらか理解出来る」
「メディナでも?貴族なんだし、こういう立場は慣れてそうだけど」
「領地が領地だからな。民ばかり働かせて悠々自適というわけにもいかん。社会的身分はともかく、私個人の心境としては、一方的に世話をされるというのはどうにも落ち着かない──尤も、傍付きと言えど私に付き従うのを大人しく受け入れる者がいるとは思えん。当人が望むなら、傍付きを解任する事も考えている」
「うわ、ちょっとズルいなそれ……」
「……なぁメディナ、学院に入ってくる生徒って、何割くらいが平民出なんだ?」
「私が知るわけないだろう。アズリカ先生にでも聞いてこい」
そりゃそうだ、と俺が早速アズリカ先生に話を聞いてきた所──
「例年じゃ入学者の平均9割は貴族出身で、衛兵隊上がりの生徒は1割前後らしい。因みに俺達の代だと、平民は俺らを入れて10人もいないそうだ」
「そんな所だろうな。首尾よく推薦状を手に入れるまでは出来ても、入学試験を突破するのは簡単ではない。ゴルゴロッソ先輩やお前達のような例が珍しいということだ」
「……とすると、傍付き候補に俺達みたいな強い平民出の生徒が入ってくる可能性も低いってことかぁ……」
「……おいキリト。念の為確認しておくが、まさか生まれが貴族というだけでライオス達のような人間だと決めつけているわけではないだろうな?」
ジトっとした目で睨んでくるメディナに、キリトは大慌てで釈明する。
「ち、違う違う!現にメディナとか、リーナ先輩にベルグリッド先輩、リーバンテイン主、次──先輩だって、話してみれば普通に良い人そうだったし。まともな貴族もいるってのは、ちゃんと分かってる。分かってるけど……」
「裏を返せば、先輩達が良い人だっただけって事も全然有り得るからね……同級生の中ですら、僕らを平民だって指差してくる連中、少なくなかったし」
ユージオの言うことも尤もで、俺はベル先輩から「教科書に書かれてるような高潔な貴族は今や少数派」とハッキリ聞かされている。ライオス達のように何かにつけてネチネチと嫌味を垂れ流してくる程じゃないとしても、いくら上級修剣士だからといって姓を持たない平民の世話をする事に内心で抵抗感を覚える程度、あってもおかしくない。
そして世話をしてもらう立場としては、出来る限り面倒を掛けないようにしたい、というのが一般家庭に生まれた平民イズムというもの。なればこそ、腕の立つ平民出の生徒が入試上位に入ってくれればありがたいのだが……ぶっちゃけかなり望み薄だ。
「……まぁ、先の事を考えても仕方ない。理想通りになる事を期待しつつ、で行こうぜ」
「先って言っても、入学試験は明日だけどね──僕ももう少し色々考えてみるよ」
キリトとユージオがそう話を締めた所で、丁度部屋の外が賑わい始める。元初等練士の同級生達が続々と引越しを始めたようだ。
俺とメディナも1年を過ごした部屋へ戻り、そう多くない私物をまとめていく。
「……こうしてお前と過ごすのも、もう終わりか」
「そうだな。本当に、色々あった──メディナが急に部屋に来た時なんか驚いたよ」
「こちらのセリフだ。まさかお前と同室になるとは。だが……今だから言うが──私はあの時、心のどこかで安堵していた。ドアを開き、お前の顔が見えた瞬間……良かった、と、そう思ったんだ」
「……そうか。少しでも気が休まってたなら良かった」
「……お、お前はどうだった?その、私が転がり込んできて迷惑だとか……」
「迷惑なんて思った事は一度も無い。殆ど偶然だったとはいえ、メディナと同室になったお陰で、君の事をよく知れて、少しでも力になれた訳だしな──寧ろ嬉しかったよ」
「……そう、か。嬉しかった、か……」
「あー、でもまぁ……最初の頃は緊張したな」
「そ、そうなのか……?」
「ああ。女の子と同じ部屋とかあまり経験無いし。何か粗相があったらマズイよな、ってさ」
「……お前でも、そういった配慮が出来たのだな」
「どういう意味だ。俺を何だと思ってる」
「ふ、冗談だ。だが、そうか……お前にとっても悪くない時間であれたなら、良かった──事と次第では、またお前と隣室になる可能性もあるからな」
「良い事じゃないんだけどな、それ」
確かに、と2人揃って小さく笑う。
「──世話になった。また1年、よろしく頼む……と、ともだち──として」
「……悪い、今なんて?」
「なッ、何でもない!ほら、早く行くぞ!」
荷物を抱えたメディナは、そう言って足早に部屋を出て行く。残された俺も自分の荷物を抱え、1年過ごした部屋を最後にぐるりと見渡す。
「……世話になったな、ありがとう」
一言、感謝の言葉を残し、俺は部屋の扉を閉じるのだった。
翌日──初等練士寮とは比べ物にならないフカフカのベッドで目を覚ました俺は、上級修剣士寮に来た際に渡された新しい制服に袖を通す。簡単に身なりを整えてからドアを開けると、居間が無人だった事にホッと息をついた。
上級修剣士寮は2部屋毎に1つの居間を共有する造りになっており、部屋割りは進級試験の成績順で自動的に決められる。つまり、1位のライオスと2位のウンベールでペア、そして3位の俺と実質的に同室になったのは、次ぐ4位の生徒──あのラッディーノなのだ。
彼とは部屋に来た時1度鉢合わせたきりロクに言葉も交わしていない──その1度というのも、軽く挨拶をしたら刺々しい視線を向けられるというおおよそ友好的とは言えないものだった──俺としても無理に友好的に接する気はないので、顔を合わせずに済むに越したことは無かった。
一応、居間を挟んだ個室にいる可能性もゼロではないので、足早に部屋を出て1階の食堂へ向かう。元々12人しか使わない事もあって賑わいは無い食堂に見知った姿を見つけた俺は、朝食のプレートを受け取るとそちらへ足を向けた。
「おはよう。ユージオ、メディナ」
「あ、おはようミツキ」
空いていた席に腰を下ろすと、隣で黙々と口を動かすメディナ──去年と違い、常時前髪を上げるようになった──がチラとこちらを見てくる。
「ちゃんと起きられたようだな。上級修剣士寮のベッドがあまりに気持ちよくて『あと5分』を何度も繰り返さなくて良かった──コイツのように」
「う……仕方ないだろ……」
メディナが視線を動かした先には、すこぶる眠そうな顔で朝食を口に運ぶキリトがいた。
聞けば、先述の理由からユージオが苦労してここまで引っ張ってきたのだとか──俺と彼らの部屋は寮の最上階なので、朝っぱらから相当な重労働をこなす羽目になったユージオに謝意を込めておかずを1品分けてやった。
「あ、そうだ。僕、夕べ考えたんだけど──」
「──おやおやぁ?何やら妙な事が起きてますぞライオス殿」
食後のお茶で一服中。ユージオが何かを言い出そうとした所で聞こえてきた慇懃無礼な声。その主は確認するまでもない。
「──ここは栄えある修剣学院の中でも、選ばれた上級修剣士のみが過ごす寮。そこに高等練士が紛れ込んでいるのは一体どう言うことでしょうなァ?」
「待てウンベール、よく見るがいい。お前が高等練士と見間違えているのは我らが学友たるミツキ修剣士殿ではないか?」
ライオスの言葉を受け、ウンベールはわざとらしく額に手を当てる。
「あぁ、なんと!上級修剣士とはその身に纏う装いを望むままに染め上げるものと聞いていましたが……よもや未だにみずぼらしい
上級修剣士となると得られる特権の中には、制服を好きな色にカスタムできるというものがある。現にユージオはセルリアンブルー、メディナは緋色、キリトはやはりというか黒。そしてライオスは趣味の悪い赤、ウンベールも同じく趣味悪い黄色に色を弄っているのだが、俺は初等練士時代と同じ──多少色味は違うのだが──灰色の制服を着ていた。修剣士の証として肩に縫い付けられたワッペンが無ければ、確かに高等練士とほとんど変わらない。
「もしやと思うが、ミツキ修剣士は部屋に備え付けられた暖炉の煤でも被ったのかね?」
「そんな事実は無い──そう言うライオス殿こそ、昨晩の夕食の調味料に漬け込んだかような色だ。是非、1度しっかり洗濯するといい」
昨日の夕飯には、リアルで言うところのケチャップに相当する赤いペースト状の調味料が使われていたのを思い出しつつ、言外に「お前らの制服ケチャップとマスタードみたいだな」と言ってやる。
俺の返しを受けて忌々しげに鼻を鳴らしたライオスは、取り巻き2人を連れて食堂を出て行く。その後ろ……ウンベールと並んで歩く赤みの強い紫の制服が特徴的なラッディーノが、すれ違いざまに俺をジロリと睨んでいった。
ライオス達のプライドの高さは最早語るに及ばず、理由はともあれ進級試験の成績で俺に遅れを取ったラッディーノを「貴族の恥」だとか言って爪弾きにするのではと密かに心配ではあったものの、幸か不幸かそうはならなかったらしい。あの3人なりに友情が育まれているという事──いや、貴族は基本的に損得勘定や利害で交友を結ぶというメディナの話を加味すれば、あくまでもビジネスライクに「切り捨てるのは勿体無い」と判断された可能性もあるか。
どちらにせよ、俺の危惧は杞憂に終わりそうだ。
「──で、話を戻すが……ユージオ?」
「あ、うん……僕らは今日、入学試験を見学して上位12人の中から傍付きを選ぶ事になるわけだけど、その時に──」
同日午後──無事入学試験を見届けた俺達上級修剣士は、大修練場の一角に集められていた。
眼前のテーブルにはこの場に集まった人数と同じ12個の木札が並べられており、そこには試験成績上位12人の名前が順位順に記載されている。
「ミツキ……一応聞いとくけど、どういう生徒がいたか、覚えてる?」
「受験者何人いたと思ってんだ……全部覚えるのは無理。一応何人か覚えちゃいるが、この中にいるかどうか」
「だよねぇ……」
「誰がいるかは俺達にゃ特に関係ないだろ。ユージオ君の名案に乗ったわけだからな」
「まぁ、それもそうだな。誰が傍付きになろうと、私の気持ちは変わらん──だからといって、試験中に居眠りをするのはどうかと思ったが」
「こ、このくらいの時間帯は眠くなるんだよ……!」
寝ていた奴(当然キリト)は論外として、他の修剣士達は割かし真剣に試験の様子を見ていたように思う。とはいえ、彼らは貴族の情報網を使って「どこそこ家のお子さんが今年入学する」というような情報を事前に仕入れていたらしく、家格の面から重点的に選考するつもりのようだ。
意識半分に他所の会話に耳を傾けていると──
「──思いの外多く残ったな」
「全くですな、我々は運がいい。これもステイシア神の導き」
「ライオス殿、少しお話が──」
いつもより声を潜めているからか、途切れ途切れながらも聞こえてきたライオス一味の会話──その中で、ラッディーノの声が耳に入ってきた。
「私は──を指名します。あれは私に逆らえません。ですので、その暁には──も可能かと」
怪訝に思い、もう少しよく聞こえないかと半歩距離を詰めた所で、選考会が開始。上級修剣士一同が席次順に並べられ、トップのライオスから順に傍付きを指名していく。
事前にアタリをつけていただけあって、ライオスとウンベールは然して悩む事もなく木札を手にしていった。次は俺の番だ。
前に進み出て、残っている10枚の木札をざっと眺める。
──傍付きを指名する時、僕らは最後にしてもらおうよ。それで、残ってる中から選ぶのはどう?
上級修剣士は自分より家格が同じか、1つ下の者を傍付きに指名する。という慣習が根付いている以上、新入生の中で真っ先に数を減らすのは貴族出身者だ。であれば、最後まで指名されず残っているのは平民出の可能性が高いのではないか。という推測に基づいたユージオの案。
誰よりも家格が高い故に指名されない貴族がいる、という落とし穴こそあるが、その場合はメディナが指名して即座に解任すれば良しとし、まずは俺が指名を保留する手筈だ。
「(………ん?)」
一応悩むポーズだけして「後にします」と言おうとした矢先──最も右端に置かれていた木札に目が留まった。
「(この名前……)」
直前に耳にしたラッディーノの言葉が蘇る。この名前を見る限り、「自分に逆らえない」というのは……恐らくそういう事か。俺がここで指名を先送りすれば、次はラッディーノだ。即ち、この新入生は……
「……どうしました?ミツキ修剣士」
「……いえ。何でも」
そう言うなり俺は、1番右──12人中12位の生徒の札を取り上げた。
「な……!?」
俺が指名を行った事で、表情に変化があった者は4人──言わずもがなキリト達3人と、そしてラッディーノだ。
ラッディーノは選考会が終わるまで、俺を終始キツい目で睨み続けていた。
「──改めまして、お初にお目にかかります。レイラ・カーヴァス初等練士です。栄えある上級修剣士殿に仕えるお役目を拝命頂けた事、心より嬉しく思います。……1年間、傍付きとして誠心誠意尽くさせて頂きますので……ご用命の際は何なりとお申し付けください」
傍付き練士との顔合わせ初日。寮の前で待ち合わせ、一先ず俺の部屋まで来てもらった彼女──レイラは、静々、という表現がこの上なく合う覇気に乏しい声音で自己紹介すると共にぺこりとお辞儀をした。
北帝国では珍しい部類だという長い黒髪は、キリトよりもずっと艶のある濡羽色。肌は白く、スカートから覗く脚は細すぎるという程ではないものの、所謂剣士らしく鍛えられてはいない。何より、所作の1つ1つがとても美しいと感じた。この世界には存在しない言葉だが、大和撫子とはこんな女性のことを言うのではなかろうか。
「……修剣士殿……?」
名前を呼ばれ、我に返る。彼女にずっと頭を下げさせていた事に気づいた俺は、慌てて頭を上げるよう言う。整った顔立ちが真っ直ぐ俺に向けられ、殆ど反射的に緊張感を覚える。
「あー、っと……じゃあこっちも改めて──これから1年、君の指導生を務めさせてもらう、ミツキだ。上級修剣士って言っても見ての通りしがない平民だから、そんなに畏まらなくていい。呼び方も、気軽に『先輩』とかでいいよ」
「……先輩殿……先輩、様……の方がよろしいでしょうか?」
「様も殿もいらない。普通に『ミツキ先輩』でいい。勿論、抵抗があるなら無理にとは言わないが」
「……かしこまりました。その、慣れない内はご不快な思いをさせてしまうかもしれませんが、努力致します」
そう言ってまたも深々とお辞儀。こりゃ地道に頑張るしかないか、と苦笑する。
「では、ミツキ修剣──ミツキ、先輩。本日は何を致しましょう?」
「え?あー、そうだな……部屋の掃除──つっても対して散らかっても汚れてもないし……初日から稽古ってのもな……」
俺が去年、ベル先輩の傍付きになった時は、初日からとっ散らかった部屋の掃除をさせられたものだが、その苦労を知っているからこそ、彼女にそんな思いはさせたくない。かと言って、リーナ先輩がキリトにしたというようにいきなり剣を握らせるのも少し違う気がする。
俺と彼女は今後1年間付き合っていくのだから、まず必要なのは──
「……よし。それじゃあ──好きな所に掛けてくれ」
レイラはキョロキョロと部屋を見回した末、「では」と床に座ろうとするものだから慌てて止める。俺が座っていた椅子を譲ろうとした所、今度はレイラが「お手を煩わせるわけには!」と大慌てで止めてきた。折衷案としてレイラは足をぴったり揃えてベッドに腰掛ける。
「あの、ミツキ先輩。私は何をすれば……?」
「何て事はない。ただ……話をしようってだけだ」
「お話……寝物語、ということでしょうか?」
「違う違う。気楽に適当に、お互いの事を話そうって事だ。簡単な所で……好きな食べ物とか、趣味の事とか。何が得意で何が苦手か、とかさ。話してる中で気になった事とかあれば、都度質問──あ、答えたくない事は答えなくていいからな」
「わ、分かりました……頑張ります」
宣言通り、まずは簡単な話題から会話を広げていった。リアルじゃ決してコミュニケーション能力が高いわけじゃない俺だが、ここであたふたしてしまっては彼女が安心できない、と頑張る。
短い話題を幾つか繰り返した所、彼女の為人がなんとなく掴めてきた。
俺が今までアンダーワールドで目にしてきた女性というのは、メディナ然り、リーナ先輩然り、アズリカ先生然り、皆強い女性だった──本人達に聞かれればビンタの1発も貰うだろうが──旦那を尻に敷くタイプ、とでも言えばいいだろうか。
だがレイラは、そんな「強き女性」とは真逆といっていい。江戸だとか昭和だとか、それくらいの年代の「常に男の数歩後ろを歩く」を地で行くようなタイプらしい。
そんな彼女が何故修剣学院に、と聞くと、曰く「貴族の子女はそういうものだ」と殆ど流され同然に門を叩いたのだという。それで上位12位に入るのだから、才能はあるのだろうが……本人としては、剣術が苦手らしい。こうして入学できたのも、試験の内容がただ動きをなぞればいい型の演舞だったからで、実戦があったなら今頃自分はここにいないとすら言い切ってみせた。
「ですので、その……ミツキ先輩に師事出来るこの1年で、落第にならない程度には剣の腕を磨ければ……と」
「……分かった、そこは追々考えていこう。……えっと、それでだな……急に不躾な質問になって悪いんだが……」
「はい……?」
「……レイラ。君は──上級修剣士第四席、ラッディーノ・カーヴァスの妹──で合ってるか?」
小さく、息を呑む音が聞こえた。
「……はい。あの人は、私の義理の兄です……──で、ですが!先輩の邪魔をしようなどというつもりは一切ございませんッ!」
「分かってる。こっちとしても、君にラッディーノの邪魔をさせるつもりは全く無い。そもそも、傍付きはそういう役目じゃないからな」
正直、彼との関係性をもう少し詳しく掘り下げておきたい気持ちもあったが、初日でそこまで踏み込むのは宜しくないか。今後も彼女とは幾度となく顔を合わせるのだから、少しずつ理解していけばいい。
今日はここまでとして、俺はレイラを寮の入口まで送るのだった。
2年目スタートです。
年下黒髪ロング清楚美人を傍付きにしたミツキの明日や如何に。