ソードアート・オンライン-剣槍-   作:不可視の人狼

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2度ある事は3度ある。何度も何度も、繰り返す…


そしてまたも繰り返す

「──ミツキ先輩。本日のお掃除、完了致しました」

 

「ああ。ありがとう──レイラ、ちょっといいか?」

 

「はい……?」

 

 放課後、いつものように寝室の掃除を終えたレイラを呼び止めた俺は、適当な場所に座らせる。

 

「昨日のウンベールの件なんだが──色々あって、あいつに非を認めさせるには至らなかった。一応、もうフレニーカに逸脱行為をしないよう釘は刺したけど……正直、それで収まるかは望み薄だ。もしまた彼女が困っているようなら、すぐ知らせて欲しい」

 

「は、はい。分かりました」

 

「それと、大元の原因を作った事でフレニーカに謝りたい、ってユージオが言ってるんだ。俺もあんな大口叩いといて何とか出来なかった事は謝りたいし、面倒かけて悪いが場を設けてくれるか?──…レイラ?」

 

「っ……あ、はい!その、承りました。フレニーカに、聞いてみます……」

 

 数秒の沈黙を挟んでから慌てて答えたレイラは、静かに顔を俯ける。背後の窓から差し込む夕日が陰を作り、その表情は伺えない。

 

「……時間取らせたな。それじゃあ、キリト達の所に──」

 

「ぁ──あのっ……ミツキ先輩!」

 

 部屋を出ようとした俺の服の袖を、レイラの小さな手が摘んで引き止めた。咄嗟の事だったらしく、俺が足を止めて振り返ると慌てて手を離す。

 

「レイラ……何かあったのか?まさか、ラッディーノの奴が──」

 

「いえ!義兄(あに)とは何も──」

 

 そうは見えない。ラッディーノから何かされた訳じゃないのは本当としても、明らかに何か言いたい事がある様子だ。

 

 別に急いでいるわけでもないので、彼女の方から言葉を切り出すのを待っていると……

 

「……先輩は以前、私を傍付きとして指名したのはただの偶然だと、そう仰いましたよね……最初はそれを信じてました。けど先輩と一緒にいる内に、思ったんです。自惚れかもしれませんが──先輩は、私をラッディーノ(あの人)から守る為に、指名してくださったのではないか──と」

 

「それは……」

 

 言葉を濁す俺に肯定の意を見たのか、小さく笑みを浮かべたレイラは、ここで始めてラッディーノに対する思いを明かした。

 

「先輩の聡明さであれば以前のお話しから察しがついている事と思いますが……カーヴァス家にとってクォート家は貴族社会で成り上がる為の道具に過ぎません。父が経営してきた養蜂場も、そこから得られる恵みも──そして、私のこの身さえも」

 

 カーヴァス家が他の上級貴族やその息がかかった高級料亭へ優先的に蜂蜜を流すようになったのは、当然見返りを求めての事だ。貴族にとって至高の贅沢品とされる酒──主に葡萄を始めとする果実酒が多い中、芳醇な甘味のある蜂蜜酒及びそれが齎す利益を交渉材料にパイプを繋ぎ、更なる上級貴族への足がかりとする。

 

 そして目ぼしい相手が見つかった暁には、その一族の深くまで潜り込む必要がある。その為の手段として最も有効なのが嫁入り──政略結婚である。

 ラッディーノはアレで中々野心家だ。表向きにはライオスのような上級貴族を持ち上げる一方、腹の底では見下している。俺達が上級修剣士に昇格した時点で、ライオスの家に取り入る為の貢物としてレイラを「使う」つもりだったというわけだ──彼女自身、入学以前からラッディーノに値踏みするような不躾な視線を向けられている事に気づいていたらしい。

 

「見ての通り陰気な小娘ではありますが……この身体なら、後は従順でさえあれば十分使えるだろう──あの人がそんな話をしているのを聞いて以降、私はこの身に待ち受ける未来を悟りました」

 

 それからというものの、レイラは未来を変えるべく努力を続けた。

 本格的な稽古が出来ない分、ラッディーノの稽古を物陰からこっそり「見て」型の動きを必死に覚え、毎日決まった回数神聖術の練習をする──最後の最後は運任せになるとしても、それ以外は出来る限りの努力をしてきた。その甲斐あって、12位というギリギリではあったものの傍付き練士の資格を掴んだまでは良かったのだ。

 しかしラッディーノが自分を指名できる上級修剣士の席に座っていた事で、全ては終わった──そのはずだった。

 

「私を指名したのが平民の方だと知った時は……正直、安堵と落胆が半々でした。公私共にあの人の意のままに動かなくて済む一方、平民の方が満足に剣を教えてくれるのだろうか、と──今にして思えば、そんな考えを抱いていたあの時の自分を叱責したいくらいです」

 

 レイラは制服の胸の辺りをキュッと握る。胸の内に漂う恐怖に抗おうとしているような──そんな雰囲気だ。

 

「本当に……嬉しかったんです。決して良い印象なんて無いはずの上級貴族、それも義理とは言えあの人の妹である私に、こうも親身になって下さる事が──私の事を考えて、私の為に稽古をつけて下さる事が──本当に、本当に嬉しかった……この方になら私の全てを捧げても構わないと、そう思える程に」

 

()()()()()()()──その言葉が意味する所はつまり……

 

 

「ミツキ先輩──私は、1人の男性として、あなたをお慕いしております……っ!」

 

 

 意を決して告げられた思慕の念。控えめな性格の彼女がこうも大胆な事をするのは相当に勇気の要る行為だった筈だ。その勇気に応えてあげたいという高慢な気持ちが全く無いと言えば嘘になる。

 

 だが──

 

「ごめん──」

 

 ビクリと、レイラの肩が小さく震えた。

 

「ごめん……俺は……君の、望む言葉を返すことは出来ない」

 

 少し低い位置から俺を見上げるレイラの視線が下へ落ちる。

 

「……やっぱり、ダメ……ですよね。私なんかじゃ──」

 

「違う、君に問題があるんじゃない──これは、俺側の問題だ」

 

「私、どんな先輩でも受け入れます……!あなたになら何をされても──ッ」

 

「──レイラ」

 

 努めて諭すような俺の声に遮られ、レイラは言葉を詰まらせる。

 

「……俺なんかにそこまで言ってくれる君の気持ちは嬉しい。けど──ごめん」

 

 俺にはアリスがいる。例え彼女が俺のことを綺麗さっぱり忘れていて、俺ではない他の誰かとの未来を歩むのだとしても……「もしそうなった時は」なんて不誠実な返答はしたくない。

 

「……分かり、ました──この期に及び不躾なのは重々承知の上で、お願いがあります。せめてものお情けに、1つだけ我侭を聞いていただけますか……?」

 

「……出来る範囲でなら──ッと……!?」

 

 俺が言い終わるや否や、レイラは俺の胸に飛び込んで来た。そのまま顔を埋めてくる。

 

「少し……ほんの少しの間だけでいいです──このまま、抱きしめて下さい」

 

 消え入りそうな懇願の声を受け、俺は少しの逡巡の末彼女の背に手を回し、優しく抱擁を返す。艶のある黒髪からほんのりと甘い椿の香りがした。

 

 ほんの5秒程という僅かな時間を経て、レイラは体を離した。

 

「……ありがとうございました。これで、この困った気持ちに区切りが付けられます」

 

「……その、レイラ──」

 

「──ごめんなさい先輩。本日は、これで失礼致します……また明日」

 

 深々とお辞儀をしたレイラは、足早に部屋を出ていく。いつもなら出入り口まで送る所だが、今回ばかりは、足が動かなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 上級修剣士寮を後にしたレイラは、初等練士寮の中庭で1人黄昏ていた。

 

「(そうよね……先輩はあんなに素敵な方だもの、とっくに相手がいたって不思議じゃない)」

 

 一瞬、相手はどんな人なのだろうと考えそうになって、止める。なまじ想像はいくらでも出来てしまう以上、下手をすれば「良くない感情」が湧き上がってしまいそうだった。

 

 自分の我侭にも応じてくれたのだ。この上困らせるわけにはいかない。

 

「(でも……ごめんなさい先輩。私、ちょっとだけ嘘をつきました──1番じゃなくていい、振り向いてくれなくたっていい、あなたの気持ちが他の誰に向いてたっていい──せめてこの心は、あなたに捧げさせてください……どうか、あなたをお慕いし続ける事をお許しください)」

 

 絶対に迷惑はかけないようにするから──無言で佇む花達へそっと願いを込める。そんな彼女の背後で、誰かが石畳を踏み締める音が聞こえた。

 

「あ……えっと、こんばんは。レイラ」

 

「なんだ、あなただったの……こんばんは、エミナ」

 

 反射的に振り向いた先に立っていたのは、自分と同じく傍付き練士を務めるエミナという女子生徒だった。

 

「め、珍しいわね。あなた1人でこんな所に……最近はロニエやティーゼとよく一緒だったじゃない。2人に聞いてもどこに行ったか分からない、って言われたから、探しちゃった」

 

 本人曰く癖だという、肩の辺りまで伸びた内側に緩くカールした茶色の髪を指で弄りながらそう語るエミナ。どうやら、レイラの事を探していたようだが……

 

「私に、何か用事……?」

 

「用、って言うか……相談に乗って欲しいって言うか」

 

「相談?」

 

「あ、でもすぐじゃなきゃダメってわけでもないの!レイラ、それどころじゃないみたいだし──えっと……明日の放課後とか、どう?傍付きの仕事が終わった後」

 

「ええ、大丈夫だけど……エミナ、あなたの方は平気なの?なんだか顔色が悪いような……」

 

「だッ、大丈夫大丈夫!ぁ……ほら、あなたを探してあちこち歩き回ったから、疲れてるだけよ……!それじゃあ、明日よろしくね──!」

 

 そう言い残し、エミナは足早に寮へ戻っていく。背中を見送るレイラは──何か悩みを抱えているのなら当然と言えるのだろうが──明らかに様子がおかしかった事と……

 

 ……彼女が傍付きを務めている修剣士が、ラッディーノであるという事実に、何か不穏なものを感じざるを得なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日──放課後になると、レイラは定刻通りに俺の部屋を訪れた。

 こっちが内心どう接したものかとやきもきする一方、レイラの方は少なくとも表面上すっかりいつも通りで、その証拠とばかりにテキパキと掃除を終わらせる。まるで昨日の一幕が嘘かのようだった。

 

「──先輩。本日のお部屋のお掃除、完了致しました」

 

「あ、あぁ……ご苦労様。それじゃあ、キリト達のとこに──」

 

「すみません先輩、急な話で申し訳ないのですが……昨日、同じ傍付きの同級生から相談に乗って欲しいと頼まれまして──どうぞ、先輩はお先にキリト先輩達の所へ向かわれてください」

 

「あー、そうか……何だったらもう戻ってくれても大丈夫だぞ?今日は稽古の予定じゃなかったし」

 

「いえ、傍付きたるもの、私用で鍛錬を怠るようでは……!」

 

「そうか……けど、もし必要なら友達の方を優先してやれ。時間は気にしなくていいから」

 

「はい。お心遣い、ありがとうございます」

 

 寝室に備えられたスタンドから灰色の剣を掴み、手入れに必要な諸々と一緒に抱えた俺は、レイラを部屋に残してキリト達の所へ向かうのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 残されたレイラは、寝室を出て居間のソファに腰掛ける。自分の指導生であるミツキが手ずから掃除をしていたという居間はピカピカで、汚れらしい汚れは見つからない。

 

 少し待っていると、反対側の寝室から1人の初等練士が姿を現した。あちらも掃除を終えたらしいエミナだ。

 

「あ……レイラ、待っててくれたんだ」

 

「当然じゃない。それで……相談っていうのは?」

 

「うん……その、カーヴァス上級修剣士の事、なんだけど……」

 

 義兄の名前が出てきた瞬間、レイラの脳裏に以前ミツキが言っていた事が思い起こされる。

 

 ラッディーノもまた、ウンベール同様に傍付き練士へ腹いせを行っているのではないか──あの時は単なる疑念に過ぎなかった予想が、ここに来てレイラの中で明瞭な形を得つつあった。

 

「待ってエミナ……その話、大丈夫なの?だって……」

 

 レイラが視線を向ける先は、ミツキとは逆側の扉──ラッディーノの寝室だ。もしこの会話が本人に聞かれれば、何をされるか分からない。

 

「だ、大丈夫!その、カーヴァス修剣士は今、丁度外してて……戻るまで、待ってるつもりだったし」

 

「そう……なら、早い所話だけでも聞かせて。対処できないか、私からミツキ先輩に相談してみるわ」

 

 どうせ隣の居室にいるのだから、一旦ミツキに戻って来てもらって2人で話を聞くことも考えた。しかし、ラッディーノがいつ戻るか分からない事と、内容によっては自分1人の方が彼女も話しやすいかと考え直す。

 

「えっと……まず、見て欲しいものが、あるの……こっち──」

 

 エミナの顔色がどんどん悪くなっていく。余程深刻なのだろうかと思いながらついて行くと──向かった先は、ラッディーノの寝室だった。

 

「ねぇ、上級修剣士の私室に勝手に入るのは流石にダメなんじゃ……?」

 

「だ、大丈夫……大丈夫、だから──入って」

 

 ドアを開いたエミナがレイラを招き入れる。促されるまま足を踏み入れると、入学以前にも嗅いだことのあるキツめの香料の臭いが鼻についた。寝室の中は、ミツキの部屋とはほとんど別物と言っていい程に手が加えられていた。

 床には絨毯が敷かれ、備え付けのベッドは天蓋付きの豪奢なものへ取り替えられている──その中で、レイラは妙なものを目にした。

 

「(アレは……何で……?)」

 

 身長を超える程に大きな姿見の脇には細身のハンガーが設置されているのだが……そこには、見覚えのある()()()()()()()が掛けられていたのだ。

 学院内では安息日を除き、原則制服を着用して生活する事が義務付けられている。それは練士も修剣士も同じだ。唯一その縛りから解放されるのが寮の室内なのだが……先程、この部屋の主は外出中とエミナは言っていた。しかしこうしてあの男の修剣士服はここにある。

 

 この状況が意味する所は2つ──

 

「ねぇ、エミナ──」

 

 学友の名を呼びながら振り返るレイラ。その背後で、バタン!と勢いよく扉が閉められた。

 

「っ……ねぇ、エミナ?どういう事?開けて!」

 

 扉を力一杯押してみるが──恐らく向こう側でエミナが扉を押さえているのだろう──元より腕力に乏しいレイラの力では彼女ごと押し開けるには至らない。

 

「エミナ!どうしてあの人の制服がここに──いいえ、それは今はいいわ!どうしてこんな閉じ込めるような真似をするの!?私に相談があるんじゃ──!?」

 

 

「──なら、教えてやろう」

 

 

 ゾクリとした嫌な悪寒が背筋を駆け抜ける。緊張や畏怖ではない……不快感と恐怖からくるものだ。

 

 この瞬間、レイラは全てを理解した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方──俺はキリト達の部屋で、3人揃って各自の剣の手入れをしていた。会話らしい会話こそ無いが、外から激しく窓を叩く雨音のせいで寂しさは感じない。

 

「そういえば……ねぇ2人共。いい加減自分の剣の銘、決めたのかい?」

 

 ふとしたユージオの質問に、俺もキリトも剣を磨く手が止まる。

 

「……いや」

 

「……まだ」

 

「もう、ちゃんと考えてあげなよ。いつまでも《黒いの》とか《碧の》とかじゃ可哀想じゃないか」

 

「分かってるよ、分かってるけど……はっきり言って苦手なんだよこういうの」

 

「右に同じ。そもそもだ、俺達のいた所じゃ、こういう武器防具には最初から名前がついていた……ような気がする。だから名付けるのも簡単じゃないんだよ」

 

 名付けといえば、俺がALOにて完成させたOSS《コラプサー・テンペスト》が記憶に新しいが、アレだって《コラプサー=ブラックホール等崩壊する惑星》+《テンペスト=嵐》というそこまで捻りがあるネーミングじゃないのだ。

 あの浮遊城で目にした《エリュシデータ》だとか《ハウヴェード》みたいなネーミングは俺には絶対無理だと断言出来る。

 

 尚もユージオが苦言を呈そうとした所で、キリトが顔を上げる。

 

「……なぁ、今のって4時半の鐘じゃないか?」

 

「え……?あぁ、もうそんな時間か。4時の鐘、いつの間にか聞き逃して──」

 

 ユージオもまた《青薔薇の剣》を磨く手を止め、怪訝な顔をする。

 

「……ティーゼ達、妙に遅くないかな?いや、勿論この天気だし、止むのを待ってるのかもしれないけど……彼女達の真面目ぶり、君達も知ってるだろ?」

 

 ロニエもティーゼも、傍付きの仕事には極めて真面目に取り組んでいる。時間は厳守するし、掃除だってユージオ達が手伝おうとすると猛反対してくる。真面目すぎて疲れないかと思うくらいだ。

 

 そんな彼女達が、今日は姿を見せない……こんな事は初めてだった。

 

「ミツキはどう?レイラが友達の相談に乗ってるって言ってたけど、彼女から何か聞いたりは……?」

 

「……いや、2人のことは何も聞いてない」

 

 暫し黙考する俺達。そんな中、キリトは「嫌な感じがするから初等練士寮まで様子を見てくる」として、ユージオと俺に部屋で待っているよう言い残し、窓から出て行った。

 相変わらずの行儀の悪さに呆れたユージオが窓を閉め、先程までとは似て非なる緊張感に満ちた沈黙が流れる。

 

 俺もその辺を見てこようか──そんな提案をしようとした矢先、ドアがノックされた。

 

 顔を見合わせた俺達。家主であるユージオが足早に居間を横切り、扉を開けると……

 

「えっと、君は……?」

 

「あ、あの……ユージオ上級修剣士殿、でしょうか……?」

 

 ユージオの体越しに聞こえてきた──全力疾走でもしたのだろうか──息を弾ませながらもどこか弱々しい声に、俺は手入れの終わった剣を鞘へ収めつつ立ち上がる。

 

「その声……フレニーカか?」

 

「えっ……?そうか、君が──」

 

 突然の来客の正体は、以前俺も話したウンベールの傍付き練士であるフレニーカだった。俺の姿を認めた彼女は、焦った様子で口を開く。

 

「ミ、ミツキ上級修剣士殿……!あ、あの、私……!」

 

「話はいいから、とにかく入れ。そんなずぶ濡れじゃ風邪引くぞ」

 

 何はともあれ彼女を落ち着かせようと伸ばした手を、逆に掴まれた。

 

「いえッ!私よりも、2人を……ッ!」

 

 雨に打たれて冷たくなった手が、小刻みに震えているのが分かった──原因が、単なる体温の低下ではないことも。

 

 フレニーカが語った事のあらましはこうだ──

 

 ウンベールは昨日、ユージオに釘を刺されたにも関わらず、フレニーカに対する行いを改めることはしなかった。それどころか、彼女に対して更なる奉仕を命じたのだという。わざわざ時間を夜間に指定している辺り、意味は最早考えるべくもない。

 

 偶然遭遇したティーゼとロニエにその事を相談した結果、2人はウンベールに直訴すると言って彼らの元へ向かった──と。そんなやり取りをしたのが午後3時頃。

 

 つまり、彼女達がこの時間になっても来なかった理由は……

 

「──ユージオ、お前は向こうに行け」

 

「ミツキは──!?」

 

「レイラの無事を確認してから行く──フレニーカ、君はこの部屋にいろ。同室のキリトが戻ってきたら、すぐあいつらの部屋に行くよう伝えてくれ!」

 

 それだけ言うなり、俺は自分の部屋へ駆け出した。

 フレニーカの話では、ウンベールの元へ向かったのはティーゼとロニエの2人だけとのことだが、どうにも嫌な予感がする。この予感が外れてくれるよう願いながら、俺は自室の扉を勢いよく開けた。

 

「──レイラッ!」

 

 居間に入ってまず最初に目に入るソファは無人。お茶を飲んでいた形跡も無い。流石に修剣士の寝室へ勝手に入ることはしないはずなので、もしや別の場所に移動していたか──

 

 そう考えて踵を返そうとした俺の耳が、妙な声を捉えた。

 

 

──ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい──ッ

 

 

 足を止め、声のする方へ目を向けると……部屋の隅で1人の女子生徒が蹲っていた。ひたすらブツブツと謝罪の言葉を繰り返す彼女に近づき、話しかける。

 

「君は……確かラッディーノの傍付きだったな。レイラを──俺の傍付きを知らないか?」

 

 レイラ──その名前を口にした瞬間、彼女は一際大きく肩を震わせた。

 

「ち、ちが──だって、あんな事になるなんて私──わた、私のせいじゃ──ッ!」

 

「落ち着け、何があった?話してくれ」

 

「違う!違うのッ!私のせい、じゃ……ッ!」

 

 完全にパニック状態となった彼女は、俺を押し退けて脱兎の如く部屋を出て行ってしまう。明らかに尋常ではないあの様子を見た事で、脳裏に湧き上がる嫌な予感が一層克明な形を得た。

 

 立ち上がった俺は、まず、自分の寝室を確認する。

 頼むからここに居てくれ──そんな願いと共に開けた扉の向こうには、今やすっかり見慣れたいつもの風景が広がるだけで、レイラの姿は見えない。

 

「…………」

 

 ならば次は……と踵を返し向かったのは、居間を横切った先にある反対側のドア──ラッディーノの寝室だ。小さく深呼吸してから、ドアをノックする。

 

「──お入りなさい」

 

 誰なのかも確認せず入室を許したその声は、ラッディーノのものだ。意を決し、寝室のドアを開けると──むせ返るような香の匂いが鼻を突く。反射的に鼻と口元を覆った俺の視線の先では、着流しに身を包み、高級そうな椅子に腰掛けたラッディーノが1人、ワイングラスを傾けていた。

 

「おや、誰かと思えばミツキ殿ではないですか──先程、外で私の傍付きが何やら騒いでいたようですが?」

 

「……ラッディーノ……修剣士。私の傍付きであるレイラ・カーヴァス初等練士はどこです」

 

「よろしければあなたもどうです?ウチで造った蜂蜜酒です──あなたのような平民には一生手が届かないような逸品ですよ。何せ、卸していませんからねぇ」

 

「質問に答えろラッディーノ。レイラはどこだ……ッ!?」

 

 つまらなさそうに鼻を鳴らしたラッディーノは、顎でベッドの方を指し示す。俺は1歩、また1歩と近づき、豪奢な天蓋から垂れ下がるカーテンに手を掛けると──ひと思いに捲り上げた。

 

 

「………ッ」

 

 

 声が、出なかった。

 

 ベッドの上には、1人の少女が横たわっていた。

 

 艶のある綺麗な濡れ羽色の黒髪はグシャグシャに乱れ、いつもきっちり身に着けていた制服は乱雑に剥がれ──あられもない姿になったレイラが、荒い呼吸を繰り返しながら焦点の合っていない目でジッと虚空を見つめていた。

 

「お……ま──何、を……」

 

 震える口でどうにか言葉を絞り出す。背後でラッディーノがくつくつと笑った。

 

「最初に言っておきますが、禁忌目録違反ではありませんよ。ご存知の通り、レイラは私の義妹(いもうと)です。やがては他の貴族の家に嫁ぐことになります。しかし……以前は蝶よ花よと大事に育てられたのでしょうね。男に対する接し方がまるでなっていなかった──将来の夫となる方に迷惑が掛かってはいけないと、私はカーヴァス家の長子そして兄として、レイラが粗相をする事のないよう()()してやっただけです……《してはいけない身内への教育》など、禁忌目録に定められていませんから」

 

「教、育……だと……ッ」

 

「ええ。三等以上の上級貴族ともなれば、純潔の娘などとうに飽いているでしょうし、何より……ただでさえ陰気な女なのだから、最低限夜伽の腕を磨かねば話にもならない。身体の方は中々に育っていたのが不幸中の幸いですか──よろしければ、あなたもどうです?平民が貴族の娘を抱くなど本来ならばありえない事ですが、同室の好です。1度限り許しましょう」

 

 一瞬だけ拳を握り締めた俺は、修剣士服のボタンを外して上衣を脱ぐと──何を想像したのか、後ろでラッディーノが小さく笑ったが──殆ど顕になっているレイラの上半身に、そっとかけてやった。それで気付いたのか、どこか虚ろだったレイラの目が俺を見る。

 

「ぁ……せん、ぱい──」

 

 ここまでにも散々涙を流したのだろう、赤く腫れたレイラの目元に再び涙が滲む様を見た俺は、助け起こしたレイラの体を優しく抱きしめた。

 

「っ……だめ、です……せんぱ……わたし──よごれ、ちゃ……」

 

「……そんな事ない。君は綺麗だ。今までも、これからも……っ……ごめん、守ってやれなくて……ごめん、ごめん……ッ」

 

 ダメだ……せめて彼女が安心出来るようにすべきなのに、懺悔の言葉しか出てこない。

 

 

 ──傍付きを守るのも上級修剣士の役目だ。

 

 

 守る?これでか?全く、何も守れていないじゃないか。

 

 

 ──君の優しさは、誰かの救いになるだろう。

 

 

 違う。救えてなんかいない。現にこうして、大事な後輩の1人すらっ……

 

 

 レイラに対する懺悔の気持ちと同時に、沸々と怒りが沸き上がってくる。彼女を守ろうというのなら、もっとやれた事があった筈だ。もっと徹底的にやるべきだった筈だ。

 だというのに……俺は、「もし次があれば」などと引き下がってしまった。こうして傷つけられた者にとって、次など無いというのに。無用に事を荒立てまいと、愚かにも保身を取った自分に心底腹が立つ。

 

 それと同じくらい──義理とはいえ妹を道具のように使い潰そうとするあの男にも。

 

「……何もしないのですか、つまらない男だ。平民には貴族の娘など過ぎたものでしたかねぇ──では、私はこれで失礼しますよ。もう1人……いや、もう2人の無礼者達がどんな様子か見に行かなくては」

 

 仕返しを果たしてとりあえず満足したのか、ラッディーノは愉快そうに笑いながら寝室を出る。

 

「──くれぐれも、これで終わりだなどとは思わないことです。あなたに受けた屈辱に対する報いは、この程度では到底足りませんからね」

 

 部屋の主が去り、俺とレイラだけが残される。

 

「ごめん、なさい……わたし……せんぱいに、めいわく……」

 

「謝るな……君が謝る必要なんか無い。全部……全部、俺のせいだ」

 

 そうだ。これは俺の罪だ。俺の業だ。

 許しは請わない。許されるようなものじゃない。

 罪業には罰が必要だ、俺にも──あの男にも。

 

 法が奴を裁かないというのなら俺が裁く。どこまでも不遜に、どこまでも傲慢に、あの男に裁きを下し、更なる罪をこの身に背負う。それこそが奴が受けるべき罰であり、俺が背負うべき罰だ。

 

「……これからは、メディナを頼れ。彼女が君の先輩だ」

 

「ぇ……?」

 

 抱擁を解いた俺は、ベッドから降りると同時に傍らの剣を掴みあげる。ラッディーノを追おうとした俺の背中を、か細い声が呼び止めた。

 

「せんぱいッ……!」

 

「……俺はもう、君の先輩じゃない」

 

 それだけ言い残し、俺は寝室を出るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 悲嘆に暮れるミツキを見て一旦の満足感を得たラッディーノは、隣室にいるライオス達の元へ向かった。あちらもまた傍付きを上手く使い、あの平民共に仕える愚かな下級貴族の娘達を手中に収めたと聞く。

 禁忌目録に定められた貴族裁決権を用いた懲罰は、何人たりとも妨害する事は許されない。今頃愉しむ2人を前に、あの下民共は割れんばかりに歯を食いしばっている事だろう。学院内でこそ同じ上級修剣士という枠組みに収まっているが、その実、自分達はあんな土臭い連中とは存在からして違うのだ。

 

 事前に許可は取っている為、ノックはせずにライオス達が使っている301-302号室の扉を開く。続いてライオスの寝室へ通じる扉を開けると──

 

 

「──ウンベェェェェル!!私の血を止めろォ!!貴様の紐を解いて、私の傷口を縛れェッ!!」

 

「い、嫌だッ!!この紐を解けば、俺の天命が減る!その命令は禁忌目録違反だッ!!」

 

 開口一番、情けない声が耳に飛び込んできた。見れば、上半身をむき出しにしたライオスが床に転がっており──その両腕は、丁度二の腕あたりからスッパリと断ち切られていた。

 対するウンベールもまた左腕を中程から喪失しており、天命の減少を防ぐ為、赤い紐で腕を止血しているようだった。

 

「なんと……!?」

 

 思わず漏れ出た声に、この場の全員がラッディーノの来訪に気付く。ライオス達の腕を切り飛ばした張本人なのだろうキリトと、何があったのか右目から血を流すユージオは明らかな警戒心を滲ませているが、今のラッディーノにとって大罪を犯した平民2人など眼中に無かった。

 

「ラ……ラッディーノ!!命令だ、貴様の天命を私に分けろッ!!何をしている急げェッ!!」

 

「っふ──フフフフッハハハハ……!」

 

 文字通り必死の形相で傷を癒すよう命令するライオスを前に、ラッディーノは堪えきれなくなった笑みをこぼした。

 

「ハハハハハッ!あの、三等爵士アンティノス家の長子殿が!両腕を失い無様に転がりながら『天命を寄越せ』と!?こいつは傑作だ、笑わずにいられるか──ッハハハハハ!!!」

 

「ラッディーノォ!!!」

 

「黙れッ!!偉そうに命令できる立場か?弁えろ、()()()()

 

「貴ッ様ァ……!!!誰に向かってそんな口を──」

 

「あれだけ周到に準備をしておきながらまんまと失敗し、平民に腕を切り落とされるという無様を晒すだけでは飽き足らず、あろう事か助けを請うべきこの私に『命令だ』などと不遜な物言いをする哀れなライオス・アンティノス殿ですが──?」

 

「ラッディーノォォォォ!!!」

 

「アハハハハッ!!!こんな姿を晒すような男が皇帝の血を引くとは信じられませんねぇ!ひょっとして、家系図を改竄でもしたのではないですかァ?──どうしても助けて欲しいというなら、この私に服従を誓え。アンティノス家の長子として、一族総出で我がカーヴァス家に未来永劫無償の奉仕をすると!さぁ誓え!さぁ!!」

 

 こうしている間にも天命が減少を続けるライオスが助かるには、ウンベールもしくはティーゼ達を縛る紐で止血するか、この場の誰かが天命を分け与えるしかない。しかしキリトとユージオは勿論、ティーゼ、ロニエ、ウンベールも生命の源たる天命を差し出すほどライオスに対する情を持ち合わせてはおらず、可能性のあるラッディーノに縋ろうにも、屈辱極まりない要求を呑まねばならない。これを呑んだが最後、ライオスは貴族として積み上げてきた全てを失う事になる。

 

「グ……ギギギギィ……!」

 

 割れんばかり食いしばった歯が軋む。そんな状況を見かねたキリトは、溜息と共にティーゼを縛る紐を2本断ち切る。

 

「……ほら、これで止血しろよ」

 

「おい貴様、勝手な真似を──ォ……ッ!?」

 

 せっかくの愉悦に水を刺すキリトを制止しようとしたラッディーノだったが──その言葉が、最後まで紡がれる事はなかった。

 

 ラッディーノの胸から、何か鋭いものが突き出ている。それが自分の血に濡れた剣の刀身だと気づくのに、数秒の時間を要した。

 剣が引き抜かれ、押し出されたラッディーノは湿った音と共に崩れ落ちる──未だ床に伏せたままのライオスは、背後に立つ闖入者の姿を呆然と見上げた。

 

「ミツ、キ……」

 

 その名を呼んだのはキリトか、ユージオか。フイと視線を動かしたミツキは、眼前に転がるライオスと、ベッドの奥で震えるウンベールを見やる。

 

「…そうか──」

 

 そうポツリと零してから、ミツキは血濡れた灰碧の剣を持ち上げ──その先端を、まずはライオスへ突き刺した。

 

「が……ッ──!?」

 

 丁度心臓の辺りを狙った正確な一突き。天命が全損するまでは少しタイムラグがあるが、こうなってはもう天命を分け与えられようと助かりはしないだろう。

 

 剣を捻り、念入りにダメージを与えてから得物を引き抜いたミツキは、ゆったりとした足取りで次なる標的──全ての元凶であるウンベールに躙り寄る。

 

「ひっ……!く、来るな!人殺し!化物ッ!──くっ、来るなぁあああああああ!!!」

 

 拒絶の言葉は意味を成さない。着実に近づいてくる死の恐怖に耐えかねたのか、どうにか立ち上がったウンベールは狂乱の声を上げながらイチかバチかの突破を試みる。

 しかし無情にもミツキの刃が一閃され、ウンベールは体を深々と袈裟斬りにされた。「ギャッ!」というような短い断末魔を残し、最後の標的が倒れる。

 

 揃って真っ赤な血を流し倒れ伏す3人の上級貴族達を、ミツキは冷たい目で眺めていた。

 

「……ティーゼ達は、無事か?」

 

 すぐには返事が返ってこない。少し間を置いて、キリトが答える。

 

「……ああ。ギリギリ、間に合ったみたいだ」

 

「……そうか。なら──」

 

 そう言いかけて、止める。

 怪訝な顔で天井付近の虚空を見つめるミツキの視線を追った先に、奇妙なものがあった。《ステイシアの窓》と似た、半透明の板のような──アンダーワールド生まれのユージオはその正体を掴めずにいたが、外側からやってきたミツキとキリトだけは、殆ど直感でアレが何なのかを理解した。

 

 丸く大きな窓にのっぺりとした人間の顔が浮かび上がり、見えているのかさえ分からない眼がこちらを見下ろす。やがて人面は口を開き、何かを唱えようと──

 

「──2人に聞かせるなッ!」

 

 キリトとユージオはすぐさまティーゼ達の元へ駆け寄り、頭ごと抱えるようにして耳を塞ぐ。

 

 

 ──シンギュラー・ユニット・ディテクティド。アイディー・トレーシング……

 ──…コーディネート・フィクスト。リポート・コンプリート。

 

 

 機械的なエコーの掛かった不気味な声が止むと同時に、虚空の窓も消え失せる。再び訪れた静寂を破ったのは、呻くようなユージオの声だった。

 

「……僕は、あれと同じものを前にも見たことがある──アリスが、境界を越えた時だ」

 

「て事は……ありゃ禁忌を犯した人間を通報する為の術式……なのかもな。複数人で共謀して罪を隠蔽できないように」

 

「……じゃあ、僕達3人とも同罪。ってわけだね」

 

「ああ。まぁ丁度いいさ──お前1人に罪を押し付けるなんて、絶対に御免だからな」

 

 キリトがミツキをスッと睨む。その視線から逃げるように、ミツキは目を伏せた。

 

「本当に……つくづく上手くいかないな、俺は」

 

 ──そこへ、フレニーカから話を聞いたメディナが駆けつけたのがおよそ3分後。事態を知った彼女は何故すぐに自分を呼ばなかったと怒り、涙を流した。

 

 それから程なくして、騒ぎを聞きつけた他の修剣士によって俺達は拘束され、学院管理棟の地下にある懲罰房へ連行されるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 日付が替わって翌朝──房の中という環境下でも思いの外ぐっすり眠れた(ユージオ以外)俺達の元へ、来客があった。

 

「──あまり長い時間は取れません。いいですね?」

 

 引率のアズリカ先生に釘を刺された4人──メディナと後輩達3人は、無言で頷きを返す。

 

 開口一番、ティーゼ達後輩が口を揃えて謝ってきた。自分達の身勝手な行動のせいで、俺達が禁忌を犯すことになったのだ、と。

 

「──あの、お迎えが来たら全部話して、先輩達の罪を取り消してもらうつもりです」

 

「代わりに、私達が連行されれば……!」

 

「やめとけやめとけ。どうせ何言っても取り合ってもらえないだろうし、ロニエ達の立場が危うくなるだけだ。それに……」

 

「……僕らが禁忌目録を破ったのは、事実だからね。ちゃんと、罰は受けないと」

 

 キリトとユージオの言葉を聞いて尚、彼女達は諦めない。そんな中──

 

「どうして──」

 

「レイラ……?」

 

「どうして……先輩達が罪人なんですか……?だって、先輩達は私達を助けてくださいました!どう考えてもあの人達の方がもっとずっと悪人なのに、正しい事をした人が何で──痛ゥ……ッ!?」

 

 突如、レイラは右目を抑えて蹲る。彼女を心配したティーゼとロニエも、同じように右目を抑えて苦しみだした。

 

「おい、大丈夫か!?」

 

「これ、もしかして──3人共、今考えてる事を全部頭の中から追い出すんだ!じゃないと右目が……!」

 

 ユージオは昨日、ウンベールを斬るにあたって右目が跡形もなく消失している。何か反撃を受けたのではない。禁忌目録を破ろうとした瞬間、右目に激痛が走り、それでも尚抗う姿勢を崩さなかった結果、眼球が内側から弾け飛んだのだという。

 

 その経験から、ユージオは今彼女達も同じ状況なのではないかと考えたようだ。

 

「で、も……ッ!」

 

「──レイラ、君は2つ勘違いしてる。まず1つ……君は俺達が君達を助けてくれたと言ったが、キリト達はともかく、俺は違う。それは君が1番よく分かってる筈だ」

 

「それ、は……ッ」

 

 頑として譲るつもりのないレイラ達を諭すべく、俺は口を開いた。

 

「2つめ……これはティーゼとロニエも、よく聞いて欲しいんだが……俺達は──俺は、何も正しい事なんかしちゃいない。君達を助けようとしたのが間違い、って意味じゃなくて、あいつらを殺してしまったという一点に於いて、俺は間違いを犯した」

 

「でも、それは……ッ!」

 

「……人間ってのはな。正しいことが大好きなんだよ。正義とか、正当性とか、大義名分とか……『正しい』っていう認識1つさえあれば、どんなに残酷な事も深く考えずに実行出来てしまう──時には、間違っていることすらアレコレ理屈こねて正しいことにしてしまう」

 

 ライオス達はまさにその典型例だった。

 間違った事である、と法に記されていないのだから正しい──そんな屁理屈じみた曲解で、多くの禁忌を破ってきたのだろう。

 

「けどな、それは俺達側にも言えることなんだよ──人を殺すのは良くない事だ。相手が聖者だろうが極悪人だろうが、この事実は変わらない。『正しい殺し』なんてものは存在しないし、しちゃいけないんだ。何でか分かるか?」

 

 押し黙る後輩達に代わり、ここまで沈黙を貫いていたメディナが答えた。

 

「……命を奪う行為を、一度でも『正しい』と感じてしまえば……命を奪う為の正しさを求めるようになるから──だな?」

 

「……ああ。ムカつく奴を陥れたり、粗を探したり、どうにか正面切って傷つけ殺す為の理由を探すようになっちまう。それじゃライオス達と同じだ。だから、どんな理由があろうと人殺しは間違った行為なんだ。それにな──」

 

 俺は独房の天井を仰ぐ。

 

「あんなどうしようもない連中にも、家族がいる。友達だっていたかもしれない。そんな相手が死んだら悲しむよな普通。けど、そいつの死が正しいもので、死んで当然なんだって事になったら……その死を悼んで、悲しんで、怒る人達の気持ちまで間違いって事になるだろ。なんか嫌じゃないか、そういうの」

 

 だから、俺のした事はどこまで行っても「間違い」なのだ。それを分かった上で、俺は間違いを犯した。この世界の歪な「正しさ」に逆らった。自ら進んで誤った道を選んだのだから、それに伴う諸々はちゃんと受け入れ、背負うのが筋というものだろう。

 

「前にも言ったかもしれないが──考えることを止めるな。真の意味での正しさなんてもんは存在しない。この世界にも、俺達の中にも。だから、この先何か守りたいものとか、助けたい誰かができたなら……まずは間違えなくて済むように全力で頑張れ。そんで、どうしても間違えなきゃダメだってなったら──その時は、自分の中の大事な誰かに、より胸を張れる間違いを選べ」

 

 短い間先輩だった者として、俺から言えるのはここまでだ──と、そう締め括る頃には、後輩達の目の痛みも収まっていた。

 

「──じき迎えが到着します、行きましょう」

 

 アズリカ先生に促され、後輩達が去っていく。唯一、メディナだけが逡巡する様子を見せた。

 

「……最後まで手伝えなくて、悪いな」

 

「ッ……全くだ。この馬鹿者め」

 

「……彼女達の事、頼むな。レイラは伸び代がある、俺の部屋の机に覚書があるから、参考に鍛えてやってくれ」

 

「この期に及んで後始末を頼むのか……ほんっとうに、ムカつく奴だ。大体、1人で3人も後輩の面倒を見ろというのか?」

 

「メディナなら出来るさ、きっとな。前例は作るもんだろ」

 

「……ムカつく」

 

 背を向けたメディナは、それだけ言い残して懲罰房を去っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 思いがけない最後の面会を終えた俺達の元へ戻ってきたアズリカ先生は、房から出てきたユージオの右目を高位神聖術で復元してくれた。

 

 改めて教員の実力に舌を巻いていると、アズリカ先生は少し躊躇うような素振りを見せてから静かに言葉を紡ぐ。

 

「──あなた達はこれより、他者の天命を故意に損じた咎で公理教会へ連行され、然る後に裁かれるでしょう。しかし、どうか忘れないで……公理教会、延いては禁忌目録さえも、神ではなく人が作ったものであるということを」

 

 ユージオはこの言葉の意味を真に理解出来ている訳ではないようだったが、アズリカ先生はそのまま続ける。

 

「ユージオ修剣士。あなたは私に破れなかった封印を破った。きっとあなたなら、私の行けなかった領域まで行けるはずです──今まで磨いてきた剣と、友を信じなさい」

 

 次に、キリト──

 

「キリト修剣士。私には、終ぞあなたが何者なのかわかりませんでした。しかし、あなたがあの白亜の塔の最上階へ達した時、きっと何かが起こる……その先に光があらんことを、私はここで祈っています」

 

 最後に、俺──

 

「ミツキ修剣士──この1年と数ヶ月、あなたの事を見てきました。友の為、後輩達の為に走り、剣を振るうその姿に……私は、紛う事なき騎士の器を見ました。努々、その志を失わないでいてください」

 

 俺が騎士というのは明らかに買い被り過ぎだろうと思ったが、ここは素直に受け取っておく。無駄話に突き合わせた結果、彼女まで何らかの規則違反と言われては困る。

 

 しかし最低限、礼儀というものは大事だ。

 

 

「アズリカ先生。短い間でしたが、お世話になりました」

 

 

 俺達は3人揃って深々と頭を下げる。示し合わせてもいないのに、騎士礼のおまけ付きだ。

 

 不良2人と優等生1人の最後の挨拶に小さく微笑んだアズリカ先生の先導で、俺達は迎えが待つという大修練場へ向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──俺達の迎えって、やっぱ整合騎士なのかな?」

 

「どうだろう……さっき飛龍が飛んでくるのが見えたから、多分そうだと思うけど」

 

「鎖で縛られるんだっけか。教会までそんなに離れてないのが不幸中の幸いだな」

 

 引率のアズリカ先生と別れたからか、とても連行直前の罪人とは思えない呑気な会話をする俺達。

 

 やがて、だだっ広い大修練場の壁画──アンダーワールドの神話に出てくる女神を描いたものらしい──の前に、ポツンと人影が佇んでいるのが見えた。

 

 代表してユージオが挨拶をする。

 

「──北セントリア修剣学院所属、ユージオ上級修剣士です」

 

「同じく、キリト修剣士です」

 

「同じく、ミツキ修剣士です」

 

 こら、サボるなよ!とユージオから目で訴えられる──その視線は俺の意識には届かなかった。

 

 ほんの10メートル程離れた壁際に佇む、整合騎士らしい人物──群青色のマントの上に垂れる、1つに編まれた長い金髪という後ろ姿が、俺の脳裏に電流を走らせたからだ。

 

 アレは、まさか───

 

「来ましたか──」

 

 凛とした声を響かせながら、騎士が振り返る。

 

 

 

「セントリア市域統括、公理教会整合騎士──()()()・シンセシス・サーティです」

 

 

 




2度ある事は、3度ある。今回もまた、ダメだった

もしかしたらお気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、元々ラッディーノはSAOのweb版小説に登場していたキャラです。あまり特徴の無いキャラだったこともあり、僭越ながら本作に採用させていただいたという経緯があります。
そして、アニメや原作ではギリギリ未遂に済んだティーゼとロニエが、源流のweb版ではどんな目に遭ったのかも、ご存知の方がいらっしゃると思います。
私も割と最近までどうするか迷っていたのですが…レイラはweb版の道を歩むことになってしまいました…本当にごめんよ(因みに作者は可哀想系が正直苦手です…

そしてここで明かされた、ミツキなりの罪に対する価値観。

人間は正しい事が大好き。「正しい」と感じた事は一片の迷いもなく実行できちゃう。
だから正しさに盲目にならず、自分こそが間違いであるかもしれないと疑い、考えることが大事。

これはSAOの時から一貫してるんですが、ミツキって「正しいからこうする」じゃなく「こうしたいと思ったからこうする」を基本的な行動理念にしています。
言うなれば「《仕方がない》とか《正当性》に逃げない」男なんです。だから仇討ちだろうが正当防衛だろうがどんな高尚な大義名分があろうが、原則誰かを殺すことを良しとしないし、殺さなきゃいけない時は殺すけど人一倍ダメージを食らう。

そのくせキリトとかシノンみたいに自分以外の誰かが同じような事で苦しんでたら寄り添って励ます。けどその励ましは自分には適用しない。


…間に合いそうならこの話の前に後輩達が恋バナするキャッキャウフフな幕間書こうと思ったんですけどね、ダメでした
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