「んっ……?」
目覚めると、そこは見知らぬ部屋だった。
否、部屋というには広過ぎるか。ここは恐らく、カセドラルのどこかのフロア──俺はあの元老長に神聖術で意識を奪われ、ここに運び込まれたのだろう。
イーディスの話が本当なら、俺はこれから審問とやらにかけられて処刑されるのだろうが……その割には、それらしい様相は全く見られない。裁判官ならぬ審問官が座りそうな場所もなければ、手錠で拘束されていた筈の両手も自由になっていた。
起き上がって周囲を見回すと……まず目に入ったのは円形のテーブルと、向かい合わせで置かれた1組の椅子。その後ろには巨大な……ベッドだろうか?高い天蓋から垂れる紫色の薄布で囲われているが、その向こうに薄らと人影が見える。
これまでイーディスと共に巡ってきたカセドラルの階層とは明らかに違う。風呂だったり庭園だったり様々なフロアがあったが、そのどれもがあくまでも共用スペースといった様子だった。しかしこのフロアは例のベッドとテーブル一式以外何も無いのだ。強いて言うなら、壁の柱に飾られた剣や斧といった武具の装飾くらいか。
確たることは不明だが、もしこのフロアが「誰かの為に用意された専用の部屋」であるとするなら……そんな特別待遇が許されるとすれば、恐らく──
「(さしずめ玉座の間……ってとこか。上に続く階段も無さそうだし、ここが最上階みたいだな)」
それは即ち、あのベッドの上にいるのが最高司祭その人であるという事。一先ず話でもしてみようと口を開きかけたその時──
「──おはよう。あなたが目覚めるのをずっと待っていたわ、ミツキ」
蕩けるように甘く、透き通るように清らかな声が聞こえた。ベッドを囲む幕が独りでに持ち上がり、その向こうにいる人影の姿があらわになる。
仄かに紫がかった銀色の長い髪、それと同じ色調の薄衣。開いた肩口やスカートの裾から覗く肌は陶器のように白い。そして何より──寒気を覚える程に均整のとれた美貌……彼女は本当に同じ人間なのか、いっそ人形と言われた方が納得出来さえする。映したものを鏡のように跳ね返す、底の見えない銀色の瞳が、その印象を一層強くさせた。
つい身構えそうになった俺を見た最高司祭らしき女性はくすくすと小さく笑うと、どこか艶めかしい所作でベッドから降り、傍らのテーブルを指し示した。
「いつまでもそんな
そう言って椅子に腰掛けた彼女がパチン、と指を鳴らすと、テーブルの上にどこからともなく2人分のティーセットとクッキーの入った皿が出現する。
「……協会の最高司祭ってのは随分気前がいいんだな。聞いた話じゃ、俺はここで審問の後に処刑されるそうだが?」
訝しみながら立ち上がった俺の問いに、彼女は妖艶な微笑みを浮かべる。
「安心なさい、処刑なんてしないわ。だって……こうしてあなたと会えるのをずっと待っていたんだもの。さぁミツキ──私と、お話をしましょう」
「……分かった。そっちにそのつもりがあるならこっちとしても好都合だ。あんたには言いたい事と聞きたい事が山程ある」
処刑はしないと語った彼女の言葉を、全面的に信じるつもりはない。しかし彼女との対話を通じて説得することができれば、或いはこの世界の歪んだ現状を変えられるかもしれない。あんな悲劇が二度と起きないように、とは行かなくても──せめて、相応の厳罰が与えられるようになれば。
「……あんたのことは何て呼べばいい?最高司祭様でいいのか?」
「あら、そういえばまだ名乗っていなかったわね──私は公理協会最高司祭アドミニストレータ。このアンダーワールドを支配する者よ」
この世界に於ける神聖術の詠唱の組み立て方はプログラミングに少し似ている、とはキリトの談だが、果たして彼女は意味を理解した上でこの名を名乗っているのだろうか?そうであるなら、彼女は「向こう側」──ラースの関係者である可能性が高くなるのだが。
「けれどあなたには……あなたにだけは、こっちの名前で呼んで欲しいわね──クィネラ、と」
「クィネラ……か。俺は──」
「──あなたの名前はミツキ」
こちらより先に名前を口にされたことに一瞬驚いたが、そもそも俺をここに呼び出したのは彼女なのだし、立場上名前くらいは把握していてもおかしくない、とすぐに思い直す。
だが──
「今更自己紹介なんか必要無いわ。私はあなたの事をよく知っているもの。例えば──あなたが今、心の底で苦しんでいる事、とか」
胸の内をズバリ言い当てられた俺は、表情を動かさないよう努める。
去年ベル先輩も同じことをしてきたが、クィネラのそれはあの人とは違う感じがした。言うなればそう──本当に、心の中を直接覗き込まれているような──どこか得体の知れないものに対する恐怖心にも似た何かだ。
一方、彼女の瞳は相変わらず鏡のようで、何を考えているのか全く読み取れない。
「ふふっ……名残惜しいけれど、雑談はこの辺で。私に言いたいことがあるんでしょう?」
クィネラに「どうぞ」と手で促され、本題に入る。
「クィネラ、あんたが公理協会の最高司祭ってことは、つまり禁忌目録を定めたのはあんただって事でいいんだよな?」
「ええ、その通りよ」
「どうしてあんな穴だらけの法をそのままにしてるんだ。『明文化されていないから』なんて屁理屈で簡単に破れるような法で一体何を守るつもりだ」
「法とは秩序を維持する為のものよ。人を守る為の法は、真に人を守るもの足り得ない──その役目は同じ『人』が担うべきものだわ。あなたもそう思っているんじゃない?」
「同感だが、その秩序とやらも守れてるか怪しいもんだぞ」
「そうかしら?」
「顕著な例が禁忌目録に定められた上級貴族の特権だ。真に秩序を守るなら、最低限、裁決権の対象を下だけじゃなく上と横にも広げて相互監視が出来るようにすべきだ。それが出来ないどころか、全てを個人の裁量に委ねているせいで、権利を悪用した行為がまかり通ってるんだぞ」
「それは法の不備じゃなくて、個々人の品格の問題じゃないかしら?与えられた権利の使い方まで明文化して法で縛ってしまったら、それ以外の状況に陥った際、正常に権利を行使出来なくなる。かと言って下手に曖昧な表現をすれば曲解や拡大解釈をする者が出てくる……どちらにせよ落とし穴はあると思わない?」
「それを取り締まるのが公理協会の役目なんじゃないのか。与えた権利が正常に行使されているのかを確認し、間違っているなら罰を与える」
「それを判断するのは?さっきも言ったけれど、成否の線引きを行うのが人である以上、裁定を受けた者からの不平不満は必ず生まれるわ。いくら協会の決定は絶対だと説いても、納得できない者達が集まって大規模な暴動に発展する可能性もあるわよね。ましてや公理協会は四帝国全てを統括する組織……そんな暴動が各国で同時多発的に起きたら?それこそ何ら罪の無い人々が巻き込まれてしまうんじゃないかしら」
俺達が生きてきた現実世界──リアルワールドに住む人間は、往々にして間違いを繰り返しながら成長していく生き物だ。何度も何度も間違え、学び、次はそうならないようにと進歩していく。
しかしアンダーワールドの人々は少し違う。規則には従順過ぎる程従順だし、原則としてその正しさを疑うことがない。反面、その規則を破る事に対する忌避感はリアルワールドの比じゃない。法を犯せばその瞬間、大罪人として命すら軽んじるようになる。正しさを盲信するあまり、間違いに対する風当たりが過剰なのだ。
それでもこの社会が300年以上存続出来ているのは、禁忌目録という絶対の法が──正しさの指標があるからだ。例え表面的なものであっても、それによって守られる秩序は確かに存在している。もし禁忌目録が「各々の正しさを信じ、人道を踏み外さず生きるべし。これは全ての法よりも優先される」というような抽象的な表現をしていたなら、それこそライオス達のような悪徳貴族は自分らの行いが正しいものであると信じ、法の縛りを堂々と乗り越えてより傍若無人に振舞っていたかもしれない。それを公理協会が取り締まったとて、クィネラの言う通り、協会の裁定に反感を抱いた貴族ないし平民達が暴動を起こすことだってありえる。
四帝国のどこで起きるかも分からないその全てを公理協会だけで押さえ込めるかどうかは断言出来ないが、そのサポートを行うのが各国の皇帝だとしよう。皇帝は貴族達の最上位に位置する存在だ、ライオス達を見るに、優れた人格者であるとは期待できない。事と次第では、罪を犯した貴族と共謀して隠蔽を図る事もあり得る。
それが暴かれたとなれば、先に待っているのは2つ──皇帝及びそこに連なる貴族達による協会への反逆か、或いは長きに渡って国を治めてきた皇帝一族の処刑だ。そんな大事に発展すれば、協会だけじゃ手が足りない。暴動に対処している間、他の国への監視が行き届かなくなる。
結果、各々が恣意によって正しさを主張し傷つけ合う無秩序状態が出来上がる。
かと言ってガチガチに縛り過ぎては、秩序と安全が保証される代わりに自由を失ったディストピアとなってしまう。極端過ぎると言われればその通りだが、法を厳守するとした上で曲解や拡大解釈を防ぐにはこうするのが最も確実なのも事実だ。
「……そもそも、何故上級貴族にあんな特権を?」
「貴族というのは醜い欲望をその身に秘めた存在というのは、あなたも身を以て知っているはずよね?野放しにしておけば、いずれ協会へ叛意を抱く可能性もゼロではないわ」
「……つまり、あの特権は連中を満足させておく為の飴ってわけか」
「身も蓋もない言い方をすればね。けれど、それがなければ各国の皇帝達が挙って兵を差し向け、全てを破壊してしまったでしょうね。協会はとっくに滅ぼされて、今も四帝国間で戦争の真っ只中だったかもしれないわ──あなたがこれまで出会ってきた人々の平和な暮らしだってあり得なかったかも」
ここまでの話を聞いて、俺はクィネラという女に対する印象が固まりつつあった。
彼女は基本、他人を信じていない、期待もしていない。だから最悪を予想し、その方向へ向かわないよう手を打つ。人界の秩序と安寧を守る為には仕方のないことだと、小さな犠牲はやむ無しと考えているのだろう──結果、今のこの状態が最適だと判断した。
合理的といえばその通りだし、基本的な自由意思を認めている以上、合理に寄り過ぎている訳でもない。確かに、一面では正しいのかもしれない。だが──
「──そんな顔をする必要はないわ。心配せずとも、そう遠くない内に世界は大きく変わる。そうなれば、あなたの望む形に禁忌目録を編纂することも考えてあげる。勿論、全てが望み通りとはいかないけれど……出来る限り、あなたの意見を反映させてあげるわ」
「……は?」
「意外そうな顔ね。禁忌目録を改正して欲しい──そういう事が言いたかったんじゃないの?」
「それは、その通りだが……どうして俺の要求を呑む」
「あなたに喜んで欲しいから。それじゃダメかしら?」
そう微笑むクィネラに、俺は一層疑念を募らせる。あまりに話がトントン拍子過ぎる。
法の編纂にかなり慎重かと思いきや、俺の一存でそれをあっさり変えようとする。しかもその理由が「俺に喜んで欲しいから」……?これ程の美女にそんな事を言われれば大抵の男は勘違いするだろうが、生憎俺は疑心の方がずっと強い。
彼女は一体何を考えている?俺を取り込もうとしているのか?何の為に?
俺が無言で頭をフル回転させる一方、クィネラは俺の手元に目を向ける。
「……紅茶はあまり好きじゃなかったかしら?確か、西帝国の名産だとか聞いたような気がするけれど──あぁ、もしかして毒でも入ってるんじゃないかって警戒しているの?そんな事しないのに──そうやって何事も疑う所から始める性分は変わっていないみたいね」
何も仕込んでいないことを証明するように、クィネラは自分のカップを傾けて一口飲んでみせる。
「……あんた何者だ。まるで本当に俺のことを知ってるような口ぶりだな」
「そう言ったじゃない、そして私が誰なのかも。──それより、まだ私に言いたいことがあるんじゃないの?」
決して警戒を緩めないよう気を引き締めながら、俺は促されるまま次の話に入った。
「オルティナノスという一族を知っているな。かつては一等爵家だった貴族の家系だ」
「オルティナノス……あぁ、あの一族ね」
本音か演技か、言われてようやく思い出したかのような仕草に一瞬イラッとくるが、ここは堪える。
「……あの一族は、かつてあんたに《欠陥品》の烙印を押された事で、謂れのない誹謗と中傷の的になった。それでも彼女達はあんたを信じて懸命に世界の非情さと戦っていた──まずは、過去のあんたが一体何を以て彼ら彼女らを《欠陥品》と判断したのか、聞かせてもらおうか」
「そうねぇ……なら、その前に1つの前提を話さないといけないわね──あなたも気になっていたんじゃない?私が『向こう側』の人間なのかどうか」
「……!」
「ふふっ──結論から言えば、答えは
そして彼女はこう続ける──しかし、フラクトライトの扱いに関しては自分の方が上だ──と。
それを念頭に置くよう前置きしてから、クィネラは在りし日のオルティナノス家について語り始めた。
「大き過ぎる力は争いの元だという話はさっきしたわね?あれは何も感情や権力に限った話じゃないわ。武力なんてその最たるものでしょう。じゃあ、武力といえば何が思い浮かぶかしら?」
リアルで考えるなら銃だのミサイルだのといった兵器群だが、このアンダーワールドで考えるなら……
「……剣、もしくは神聖術だな」
「そう。そして数いた貴族の中でもオルティナノス家は剣の腕が特に秀でていた……秘奥義《天山烈波》を発見して以降、更なる技の開拓を進めようとしていたの。発展した剣技が多くの貴族に広まってしまえば、無用な争いや協会への反逆に繋がる危険性がある──だからそれを止めるように
──クィネラは以降数度に渡り、当時のオルティナノス家当主へ《調整》を行った。しかし何度やってもあの一族は呪いのように剣の道を進み始める。一時は一族郎党皆殺しにすることも考えたが、当時はまだ整合騎士団も人員が少なく、いざという時は戦力になるかもしれないと考えた。
結果、妥協案としてオルティナノス家を壊れた《欠陥品》と称し、貴族社会で冷遇させる事で剣術の開拓どころではない環境に縛り付ける事にしたのだ──と、彼女はそう語った。
「……オルティナノス家が不安要素だったなら、いっそ整合騎士に取り立てて直接目を光らせておけばよかっただろ」
「勿論考えたわよ。けどね、私が思うにオルティナノスが必ず武の道を歩むのは、一族の血──《魂の核》とでも言うべき部分に焼き付いた本能のようなものなのよ。それは整合騎士になっても変わることはない。騎士団の戦力増強にはなったでしょうけど──『編み出した剣術をもっと広く広めれば、来るダークテリトリーとの戦いに役立つ』──なんて言い出すのは明らかだったわ。一々《再調整》するのだって楽じゃないしね」
「……とりあえず、あんたにはあんたなりの理由があったのは分かった。納得出来るかは別としてな。──それで?今も《欠陥品》の評価を撤回する気は無いのか」
「別に構わないわよ。あなたが望むなら今すぐにでも、あの一族を《欠陥品》と評したのを撤回して、元の生活に戻してあげるわ」
彼女はまたも、随分あっさりと俺の要求を受け入れた。
「──さて、言いたい事はこれで終わりかしらね。次は……聞きたいことをどうぞ。今の話で、いくつか気になることだってあるでしょう?」
彼女の手の平で踊らされている感覚。思考から何まで誘導されているかのようだ。
事実、俺が自覚出来ていないだけで本当に操られてしまっているのかもしれないが……それならそれで、こうして自我を保てている内に出来る限り情報を引き出すことにする。
まず、彼女の言った通り、今しがたの会話で俺の中に浮かんだいくつかの推測の確認から。
「……あんたは、フラクトライトの扱いにかけてはラースの連中より上、と言っていたな。さっき出てきた《調整》って言葉といい、そりゃつまり──あんたは他人のフラクトライトに干渉し、記憶を書き換える事が出来る──その認識で合っているか」
「正解よ。あなたならちゃんとその考えにたどり着くと思ってたわ。期待通りね」
「お世辞はいい、次だ、正直に答えろ──その《調整》とやら、アリスにも……アリス・ツーベルクにもやったのか……!?」
怒気を滲ませた俺の質問に、クィネラは答えた。
「──えぇ、その通りよ」
それを聞いた瞬間、俺は勢いよく立ち上がる。ティーカップをテーブルで叩き割り、破片を彼女に突き付けようと──
「ッ……!?」
腕が……持ち上がらない。凶器となるはずだったカップへ手を伸ばした状態で、俺の体は石のように動けなくなった。どれだけ力を込めたとて微動だに……震えすらしない。
「──怒った顔も悪くないけれど、そうカッカしないでちょうだい。アリスちゃんに記憶処理を施したのは確かだけど、そうしなければ別の騎士があなた達を迎えに来ていたかもしれない……もう二度とあの子に会えなくなっていたのよ」
「どういうッ……意味だ……ッ!?」
「それを今から話してあげる。だから……ね?」
歯噛みしながら、もう一度腰を下ろす。俺が一旦溜飲を下げたのを確認したクィネラは、ゆっくりと語り始めた──
運命のような偶然、その始発点を。
アリス・ツーベルクだった少女が整合騎士見習いとなって4年が経った頃の事だ。
アリスはアドミニストレータ直々の召集を受け、カセドラル最上階を訪れた。
「──最高司祭様、騎士見習いアリス、ただいま馳せ参じました」
「いらっしゃい、アリスちゃん。楽にしていいわよ」
「はっ。……して、此度はどのような御用命で……?」
「アリスちゃん。あなた、この数年で神聖術行使権限が随分上がったようね。頑張っているみたいじゃない」
「まだ見習いに過ぎぬこの身には勿体無きお言葉です。これを励みに、一層精進致します」
「今日わざわざ来てもらったのはね、あなたに手伝って欲しいことがあるからなのよ」
「手伝い……私が、最高司祭様の、ですか?」
「そうよ。あなたの神聖術の腕前は、見習いながらチュデルキンにも匹敵するわ。整合騎士団の中では、もうベルクーリやファナティオを超えてるんじゃないかしら」
「め、滅相もございません!私ごとき若輩、叔父さ──騎士長閣下や副長殿とは比べるべくも……!」
「ふふっ、謙遜しなくていいのに──そんなあなたの腕を見込んで、私の補助をして欲しいの。嫌かしら?」
気持ちを落ち着けたアリスは、恭しく騎士礼をして答える。
「……そういうことでしたら、承りました。至らぬ身ではありますが、全力を尽くし御身の共を勤めさせていただきます」
「ありがとう。もっと肩の力を抜きなさい。その方が失敗しにくいから」
ベッドから起き上がったアドミニストレータは、システムコマンドを唱えてウィンドウを開く。《ステイシアの窓》とも違う、初めて目にする奇怪な窓に、アリスは怪訝そうに目を細めた。
その間もウィンドウを操作していたアドミニストレータは、やがて1つのデータファイルに辿り着いた。
「最高司祭様、これは一体……?」
「そうね……《世界の全てを記した書庫》とでも言った所かしら」
「書庫、ですか……」
「そう。けれどこの記録は破損が酷くて中身が殆ど分からないの。アリスちゃんには、これの復元と解析を手伝ってもらいたいのよ」
「私に、できるでしょうか……?」
「大丈夫よ。アリスちゃんはあくまでも補助、主だった作業は私がやるから。それじゃあ、私に続いて詠唱を初めて──システムコール──」
剣術と並行して神聖術の勉強にも励んできたアリスが聞いたこともない術式を唱え始めるアドミニストレータ。そんな彼女に倣い、アリスも詠唱を始める。長い長い詠唱が完了すると、周囲にいくつものウィンドウが一気に展開された。
窓には文字や絵のようなものが映っているようだが、乱れに乱れていてアリスには内容の判別がつかない。
「さて、始めましょうか──」
アドミニストレータはホロウィンドウに指を走らせ、少しずつデータの復元を開始。
黙して術式の維持に集中していたアリスだったが、偶然視線の先に表示されていた窓が鮮明さを取り戻していくのを目にする。
どこかの街だろうか……?石造りの広場で、多くの人々が叫び、崩れ、争っている。
「最高司祭様……これは……この光景は……!?」
「ふぅん……空に浮かぶ鉄の城──本来は娯楽に興じる為の場所だったようだけど、その創造主の思惑によって1万人の人々が閉じ込められ、生還の為に命を賭けた戦いを強いられた──その時の様子みたいね」
「城が空に……?そんなものが人界に存在しているというのですか!?閉じ込められたという民達は、今も……!?」
「どうでしょうね。無事に解放されたのかもしれないし……今も戦っているのかもしれないわ。解析を進めれば分かるでしょうけど──」
解析を続けるアドミニストレータ。その横で、アリスは唯々目の前の光景を食い入るように見つめていた。
戦う力を持たない無辜の民達が、絶望に暮れて泣き叫んでいる。助けを求めて泣き崩れている。
声は聞こえない。しかし聞こえる──助けて、ここから出して、自分達を救ってくれ──そんな悲嘆と懇願の声が。
「(助け、なきゃ──)」
まだ見習いの身とはいえ、アリスは剣士だ。人界を守護する整合騎士だ。彼ら彼女らのような人々を守り、救う事こそが、自分に与えられた使命なのではないか。
「アリスちゃん?術式に集中して──」
助けなければ……助けなければ…助けなければ、助けなければ、助けなければ──助けなきゃ、助けなきゃ助けなきゃ助けなきゃ助けなきゃ助けなきゃ助けなきゃ助けなきゃ助けなきゃ助けなきゃ助けなきゃ助けなきゃ助けなきゃ助けなきゃ助けなきゃ助けなきゃ助けなきゃ助けなきゃ助けなきゃ助けなきゃ助けなきゃ助けなきゃ助けなきゃ助けなきゃ助けなきゃ助けなきゃ助けなきゃ助けなきゃ助けなきゃ助けなきゃ助けなきゃ助けなきゃ助けなきゃ助けなきゃ───!!!
使命感に駆られるまま、アリスは震える手を窓に翳す──届け、彼らを救う為に、手よ届け──ただそれだけを胸にしながら。
「(私は……私はアリス──民を守る盾であり剣……騎士だッ!!!)」
不意に、表示されている窓が一斉に歪んだ。
そして次の瞬間──歪んだ窓からアリスの額に向かって1条の光が走り、殴りつけたような衝撃を彼女に齎した。
「アリスちゃんッ──!?」
術式を中断したアドミニストレータは、仰向けに倒れたアリスの元へ駆け寄る。助け起こしたアリスの目は焦点が合っておらず、小さく震えている。
「ァ──ぁ…あァあああぁあああアアァアぁaaaaAAAA──ッ!?!?!?」
両手で頭を押さえ絶叫するアリス。そこからのアドミニストレータの判断と行動は迅速だった。
「ッ──システムコール!ディープ・フリーズ、インテグレータ・ユニット、ID:030──!」
素早く術式を詠唱すると、不意にアリスの体が硬直し、表面が石のように灰色に染まっていく……フロアに木霊していた絶叫が止む頃には、アリスの体は身に着けている衣服までもが石のように固まっていた。
「──私はアリスちゃんを眠らせた後、彼女の記憶領域を確認した。その結果、あの子の中に
「2年分の、記憶……」
「悪いけど、その記憶は摘出させてもらったわ。2年分の記憶の急なフィードバックなんて、普通は耐えられないもの。放置していたら、アリスちゃんのフラクトライトは崩壊──運が良くても廃人状態になってたでしょうね」
「じゃあ……あのアリスは──」
「えぇ。このアンダーワールドで生まれた人工フラクトライトであると同時に……正真正銘、あの世界であなたと一緒に戦った──あなたの事をずぅっと想っていた《姫騎士》ちゃんその人よ」
望んでいた事実が、最悪に近い真相となって、俺の胸に突き刺さった。
…はい。これが真相です。タイムパラドックス的なサムシング。
アインクラッド編の頃から、コレが果たして受け入れられるかどうか不安で仕方なかったですし、今も全然不安です。
…まぁ受け入れられなかったからといって変更も何も出来やしないんですがね。