ソードアート・オンライン-剣槍-   作:不可視の人狼

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一時休戦

 

セントラル・カセドラル80階《雲上庭園》

 

 つい先程まで戦いが繰り広げられていたとは思えない静けさを取り戻したこのフロアで、2人の剣士が言葉を失っていた。

 

「アリス……そんな、嘘……」

 

「……もう一度、壁を壊す方法は……?」

 

 そんな言葉と共に呆然と立ち尽くすイーディスに、壁際で膝をつき崩れ落ちるユージオが問いかける。しかし返ってきた答えは、ユージオの望んでいたものではなかった。

 

「……無理よ。カセドラルは外壁から窓まで《不朽の壁》に匹敵する天命を持ってる。生半可な攻撃じゃ傷1つ付かないわ」

 

「あなたなら出来るんじゃないのか。騎士団最強の《闇素》使いなんだろ……ッ」

 

「無理……仮に可能だとしても、さっきみたいにすぐ修復される」

 

「ッ……だったら2人を助ける方法は──!」

 

「無理なのよッ!──80階よ!?生身で落ちて助かる高さじゃない!30階より上は飛竜も飛べないし、今から下りたって間に合うはずない!いくらあの子でも……ッ!」

 

「整合騎士だろ!そんな簡単に諦めて──ッ……」

 

 激情に駆られて振り返ったユージオだったが、その言葉は途中で尻窄みになって消えていった──イーディスが、泣いていたのだ。

 彼女の涙を見た瞬間、ユージオは自分の頭がサァッと冷えていくのを感じた。彼女だってアリスを助けたい気持ちは山々なれど、整合騎士としてユージオよりも長くこのカセドラルで時を過ごし、ここがどのような場所であるかをよく知っているが故に、無理だという事が分かってしまうのだろう。

 

 冷静さを取り戻したユージオは大きく深呼吸をし、少し考えてからイーディスの元へ歩みを寄せる。

 

「……ここより上の階に、外から入ってこれるような場所はありますか?」

 

「上……?」

 

 どこか間の抜けたイーディスに、ユージオは頷く。

 

「キリトは、こういう想定外の事態に対処する力が抜きん出ている。外へ放り出されても、ただ大人しく落ちるに身を任せるはずがない。アリスと一緒にどうにか内部へ戻ろうとするはずです」

 

 壁は愚か窓ガラス1枚すら壊せない以上、上へ登っていく方が距離的には短く済む。内部へ入れるかはともかく、建物の天辺まで登りつけば少なくとも外壁よりは安心して腰を落ち着けることが出来るはずだ。

 

「一緒に、って……彼がアリスを助けると思ってるの?」

 

「ええ、きっと」

 

「どうして?整合騎士はあなた達にとって敵以外の何者でもないはずでしょ」

 

「……あなたの言う通り、僕もほんの数時間前まではそう思っていた。けどキリトは違う──50階で騎士ファナティオと戦った後、あいつは瀕死の重傷を負った彼女を救う道を選んだんです。既に決着のついた騎士デュソルバートを斬ろうとし、ファナティオさんの命が失われるのを『仕方ない』と諦めた僕と違って」

 

 自分達は公理教会を壊滅させるのが目的ではないという事と合わせ、ファナティオは今頃協力者(カーディナル)の元で治療を受けている筈だと伝えたユージオに、イーディスは「95階なら周囲が吹き抜けになっているから外からでも入ってこれる筈」と答える。

 

「なら僕は、このまま95階へ向かいます。イーディスさん、あなたは──」

 

「その前に、ここであなたを斬り捨てて行く──本当なら、そうすべきなんでしょうけど……それは後にしておいてあげる。2人が中に戻って来た時、あなたの姿が無いせいでアリスを見捨てられたりしたら堪らないもの」

 

 キリトはそんな事しないだろうけど……と思いながら、ユージオはイーディスの言葉に耳を傾ける。

 

「それに──あなた達、あのミツキって子の仲間なんでしょ?さっきみたいな戦い方は正直褒められたものじゃないけど……アレって、アリスの事を出来る限り傷つけずに無力化しようとしたんじゃないの?──あの子が、彼にとって大事な人だから」

 

「えっ……?」

 

 イーディスの言葉に、ユージオは眉をひそめる。アリスが、ミツキにとって大事な存在……?それはつまり、ユージオがずっと探していた幼馴染だから、という意味か?それとも……

 

「あなた達の話はまだ全面的に信じられないけど、少なくとも彼の言葉は嘘とは思えなかった。だから彼に免じて、この場は見逃してあげる──無駄話はこの辺にしておきましょ。もしかしたら上から手伝える事があるかもしれないし、私達も早く95階に行かなきゃ」

 

「は、はい……」

 

 歩き出したイーディスに続き、ユージオも庭園を横切る。上層階へ続く階段を登る道すがら、再びイーディスが口を開いた。

 

「そうそう、大事な事だから今の内に言っておくわ──あなたを見逃すって言ったのはあくまでもこの場限りよ、95階に着いて、アリス達が無事戻ってきたら……その時は、改めてあなたを斬る。それと、もしこの先他の整合騎士や元老長があなたの前に立ち塞がっても、私は何もしないし出来ないから、そのつもりで」

 

「……分かりました。正直、今ここで戦わずにいてくれるだけでありがたいです」

 

 一時的な停戦協定を結んだ2人は足早に上を目指し、やがて90階に到達する。イーディスが扉を押し開けると、開いた隙間からモクモクと煙が立ち込めてきた。

 何か神聖術による攻撃かと身構えるユージオを他所に、イーディスはそのまま進んでいく。どうやら90階はフロア丸ごと大浴場になっているらしく、先の煙は湯気だったようだ。

 

 流石にここで敵が待ち構えていることは無いか、と気を緩めたのも束の間──不意に、前を行くイーディスが足を止めた。彼女の視線を追ってみると、すぐ近くの浴槽に人影が見えてくる……

 

「……まさか、あなたがここにいるなんてね。出くわすにしてももう少し上だと思ってたわ──()()()?」

 

「ん……おぉ、イーディスか──いや何、こちとらついさっき央都に戻ってきたばっかでよ。ずっと飛竜に跨ってたもんで、身体中凝り固まっちまったんでな。仕事前にちっとばかし休憩をと思ったんだが──随分珍しい連れがいるじゃねぇか。元老長から聞いた話じゃ、カセドラルにダークテリトリーからの侵略者が攻めてきたらしいな?」

 

 低く、芯のある声が浴場に響く。

 

「誤解しないで。別にこの子の味方になったわけじゃないわ。話すと長いんだけど、色々あって95階まで同行してるだけ。諸々済んだら元の敵同士よ」

 

「そうかい……ンなら、わざわざ俺が出張るまでもねぇかな?」

 

「またまた~、そんなに剣気出しながら言うセリフじゃないでしょ──心配しなくても、ここは騎士長殿の判断に任せるわ。元々、他の騎士達と出くわしても助けたりしないって約束だったしね」

 

「ハハッ、そーかいそーかい。そいつを聞いて安心したぜ。俺としても、まだお前さんに負けてやる気はねぇが……それはそれとして骨は折れるからな」

 

 整合騎士2人の間で交わされる会話に、ユージオは唯々黙して佇むことしかできない。

 イーディスの話を聞くに、今目の前で浴槽に浸かっている人物こそが整合騎士の頂点に君臨する騎士長というやつなのだろう。

 

「──それじゃ、私は先に行くわね。もし生きてたらまた会いましょ」

 

 イーディスが1人奥へ進んでいく後ろで、騎士長は風呂から上がって東国産と思しき着物に身を包む。

 

「さて、待たせたな少年──始めようや」

 

 整合騎士第1位──ベルクーリ・シンセシス・ワンは、残されたユージオを前に不敵な笑みを浮かべるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カセドラル外壁──予想外のアクシデントで外へ投げ出されたキリトとアリスは、こちらも一時の休戦協定を結び、協力して95階《暁星の望楼》目指して壁を登っていた。

 

「──システム・コール!ジェネレート・メタリック・エレメント!」

 

 キリトの指先に生成された水銀のような光の玉──《鋼素》を、「ウェッジ・シェイプ」の式句で細長いハーケン状に変形させる。それを外壁の継ぎ目に打ち込んで足場にしながら、少しずつ壁を登っていく。

 

「──今、どれくらい登りましたか?」

 

「えっと……多分、85階は越したと思う」

 

「95階まで、まだまだ先は長いですね……」

 

 そう言いながら、アリスは辺りに広がる空を見やる。日中に始まった壁登りだが、今や夕日が地平の向こうへ姿を消そうとしていた。素因を用いた器物の生成は空間神聖力を大きく消費する為、それを供給する太陽(ソルス)が完全に沈んでしまえば、壁登りのペースも大きく落ち込むことになる。夜間でも月の光があれば神聖力は少しずつ回復していくが、月が昇り、十分な神聖力が満ちるまでは1時間に1本作れればいい方だろう、というのがアリスの見立てだった。

 

「問題は、月が出るまでの時間をどう耐え凌ぐか、だよなぁ……この足場じゃ長くても1時間そこらしか持たないし、腰の鎖を引っ掛けとける出っ張りでもあれば──」

 

 命綱としてキリトとアリスを結ぶ金色の鎖は、アリスが着けていた篭手を形状変化させたものだ。整合騎士の鎧が素になっているだけあり、強度の面では足場になっているハーケンより格段に信頼が置ける。人間2人をぶら下げても耐えてくれるだろうが、今しがたキリトが言ったように、鎖を引っ掛ける手掛かりになるものが無かった。

 強いて言えば腰の剣だが、1番最初に壁に刺してそれなりの時間落下を食い止めてくれていた都合、天命の残りが怪しい。もう一方のミツキの剣は天命も全快状態で残っているだろうが、鞘から抜いた途端重さで剣諸共真っ逆さまになってしまっては目も当てられない。

 

 何かないかと上を見たキリトは、あるものを見つけた。

 

「──なぁ、あそこなら休めるんじゃないか?」

 

 キリトが指差したのは、ここまでひたすら平坦だった壁から鼠返しのように突き出る四角いテラス……だろうか。その上から、何かがちょこんと顔を覗かせていた。

 

「石像……でしょうか?何故こんな所に……」

 

「何でもいい。とにかくあそこまで登れれば、夜明けまで腰を落ち着けられるはずだ。ただ距離が……ざっと6メルってとこか、ハーケn──楔があと2本は必要になると思う」

 

「2本ですか……分かりました──システム・コール、フォーム・オブジェクト、ウェッジ・シェイプ!」

 

 アリスが左手を掲げ術式を詠唱すると、手を覆っていた金色の篭手が2本のハーケンへ姿を変えた。

 

「これを使いなさい」

 

「ありがたいけど……いいのか?」

 

「このままではどちらか一方の生還さえ難しい以上、致し方ないでしょう──早くなさい」

 

 こうしている間にもハーケンの天命は刻一刻と減少している。アリスの言う通り、遠慮などしている場合ではないと新たなハーケンを受け取ったキリトは、1本を腰のベルトに差し、もう1本を打ち込んで壁を登る。下に続くアリスを引っ張り上げた所で、上に鎮座する石像を見上げた彼女は怪訝な表情を浮かべた。

 

「どうした──?」

 

「あの石像、どこかで……」

 

 視線を追って改めて石像を見てみる。距離が近づいたことでより鮮明に見えるようになった石像は、おおよそ人や天使、女神といった類ではなく、悪魔なんかの怪物に相当する不気味なデザインをしていた。

 

「うへぇ……最高司祭はああいうのが趣味──って……!?」

 

 キリトの言葉が終わるより先に、石像に変化が現れた。外壁と同じ灰白色だった表面が黒く染まり、左右に4つずつ並んだ小さな赤い目が光を灯す。やがて獰猛な雄叫びをあげた石像もとい怪物──ファンタジー作品ではお馴染みの敵であるガーゴイル──は、背中の翼を羽ばたかせて飛翔した。

 

「間違いない……アレは、()()()()()()()()の──ッ!」

 

「くそっ……ここで戦うしかないか。とにかく、くれぐれも落ちないよう注意を──おいアリス、聞いてるかッ!?」

 

 1段下のハーケンに佇む女騎士は愕然とした顔をするばかりで、キリトの声が聞こえていない様子だ。そうこうしている間に上から更に2体の石像が姿を変え、計3体のガーゴイルが上空からこちらの様子を伺う。見た目からして、キリト達に友好的な存在でないことは明らかだった。

 

「アリス、剣を抜け!来るぞッ!」

 

「っ──きゃッ!?」

 

 我に帰ったアリスは振り向いて抜刀しようとするが、まだ動揺が抜けきっていないのだろう、危うく足を滑らせそうになる。そこを狙って飛来するガーゴイル目掛け、キリトは腰に差していた2本目のハーケンを投擲、深々と突き刺さったハーケンに怯んだ様子を見せたガーゴイルは一度距離を取り、どうにか難を逃れる。

 

「(マズいな……1体だけならともかく、複数同時に来られたらカバー出来ない……ッ!)」

 

 この細い足場の上では、キリトもアリスも満足に戦えない。早く登ってしまいたい所だが、その為に必要だった2本目のハーケンは先程アリスを助ける為に使ってしまった。おちおち他の鎧を変換する余裕など与えてはくれないだろう。手元にあるもので使えそうなのは命綱の鎖くらい……

 

「やるしかないか……ッ!アリス、鎖にしっかり掴まれ!」

 

 一旦剣を納めたキリトは、鎖を軽く引いてアリスに指示を送る。

 

「な、何をする気ですか……ッ!?」

 

「後でめっちゃ謝るから、着地しっかりしろよ──ッ!」

 

 疑問を呈しながらも、アリスが言われた通り鎖をしっかり掴んだのを確認したキリトは、そのまま渾身の力で鎖を引っ張り上げた──!

 

 

「きゃああああああ──ッ!?」

 

 

 絶叫の尾を引きながら、アリスの体が上へと放り投げられる。「むぎゅっ」という声を残して上のテラスへ無事着地出来たアリスだが、一方のキリトはアリスを上に送った弾みでバランスを崩してしまう。咄嗟にハーケンを掴んだキリトは、腰に繋いだ鎖がクイと引かれる感覚を覚える。

 

「こ…のおおおおおおぉぉぉ───ッ!!」

 

「うぉわ──ッ!?」

 

 先程と立場が逆転し、凄まじい膂力で見事な一本釣りを見せるアリス。釣られた魚ことキリトは、背中からテラス上の外壁に叩きつけられた。

 

「おッ、お前急に何をするのですかこの大馬鹿者ッ!」

 

「ッてて……悪かったよ──けど、話は後だ……!」

 

 衝撃に呻きながら体を起こしたキリトは、腰の鎖を外しざまに剣を抜く。同様に抜刀するアリスは、空を飛ぶガーゴイル達をジッと凝視していた。

 

「やはり間違いない……何故、こんな所に……」

 

「あの怪物のこと、なんか知ってるのか……!?」

 

 アリス曰く、あの怪物はダークテリトリーの暗黒術師が土くれから生み出す魂無き使い魔──あちらに倣い《ミニオン》と呼ばれる怪物なのだという。

 

「そんなのが、どうしてカセドラルに──」

 

「それは私が知りたいッ!──ミニオンが整合騎士の監視を掻い潜り、カセドラルまで到達している等、本来ならありえない……あってはならない事です……ッ!」

 

 最高司祭の術式により、カセドラル上層には飛竜は愚か鳥さえも近づけない、とアリスは言っていた。ミニオンは簡単な指示を解するのみで、人語を話したり知性らしきものは無いとの事だが、知性の有無で術式をすり抜ける事が出来るのだとしても、テラス全体にズラリと並ぶ程の数を見逃すとはキリト目線で見ても考えにくい。となると、他に考えられるのは……

 

「最高司祭、もしくはそこに次ぐ高い権力者が、意図的にここへ配置した可能性、か…──とにかく、今はこいつらを片付けよう!見た感じ、石像に近づくと動き出すっぽいから、あまり動き回るなよ!」

 

「元より、そんな必要はありません──ッ!」

 

 アリス目掛けて飛来する2体のミニオン。黄金の騎士がすれ違いざまに剣を一閃すると、魂無き怪物達は2体纏めて体を真っ二つに両断されていた。

 

 相変わらず見事な技の冴えだと舌を巻くキリトは、こちらも負けじと4連撃技《ホリゾンタル・スクエア》を発動。残る1体のミニオンの四肢を落とし、締めの一太刀で胴を斬り裂いた。

 

 断末魔を上げながら落ちていくミニオンを見下ろしながら、キリトはヒュンッとひと振りした剣を腰に納める。そんなキリトを、アリスは興味深そうな──それでいてどこか訝しむような目で見ていた。

 

「……何だよ?」

 

「……いえ、今の技に妙な既視感を覚えただけです。ありえない話ですが。──夏至祭で芝居小屋でもやれば、客を呼べるのではないですか?」

 

「そりゃどうも……って、セントリアの夏至祭を見たことあるのか?ありゃ庶民向けの祭りで、修剣学院でも上級貴族出身の連中は興味すら無い奴が殆どだったけど」

 

「あんな気取った上級貴族と一緒にされるのは極めて心外です。勿論、見た事…が──」

 

「アリス……?」

 

 怪訝な顔で自分の頭に手をやるアリスは、小さく頭を振って言葉を続ける。

 

「……いえ。そういう催しがあると、修道士の誰かから聞いたのです。──整合騎士は、任務以外で市井の民と交流、接触することは禁じられていますから」

 

「そうか……そんじゃまぁ、一旦休憩と行こうぜ──あ~疲れたし腹減った……」

 

 そう言って横になるキリトを呆れた目で見ながら、アリスもまた腰を下ろす。もうすっかり日は落ち、眼下に広がるセントリアの街にも明かりが灯っているのが遠目に伺えた。

 

「全く、だらしない。そんな調子でよくもまぁここまで戦ってこられたものです」

 

「生憎、ギリギリ育ち盛りなもんでね。整合騎士サマと違って、食べなきゃ天命がガンガン減ってくんだよ」

 

「……言っておきますが。整合騎士とてお腹は空くし、食事を摂らねば天命も減ります。いかに我らの力が人知を超えているからと、怪物のように言われるのは心外です」

 

「わ、悪い。そりゃそうだよな、整合騎士だって生きてるんだもんな。あ、そうだ確か──」

 

 ふと思い出したようにポケットを探ったキリトは、手の平サイズの饅頭を2つ取り出す。それを神聖術で生成した熱素で焼こうとした所、アリスに待ったをかけられた。

 

「馬鹿ですかお前は!?いきなりそんな事をしたら一瞬で黒焦げです!貸しなさい──」

 

 キリトから饅頭を奪い取ったアリスは、空いた左手に《熱素》《水素》《風素》を1つずつ生成すると……

 

「──ヴォーテックス・シェイプ、バースト・エレメント」

 

 3つの素因が組み合わさり、解放される。球状の渦を巻く風素の中に、熱素により気化した水素が充満し──やがて素因が消滅すると、そこには出来たて同然にふっくらと湯気を燻らせる饅頭が。

 

 アリスから饅頭を受け取ったキリトは、一口でペロリと平らげる。

 

「いや、まさか道具も無しに素因だけで饅頭を蒸すとは。流石は村1番の神聖術師、もとい料理上手なセルカのお姉さんってとこ──ろぉッ!?」

 

 不意に、グイと襟首を掴まれる。その手の主であるアリスは、蒼々とした瞳に強い光を湛えてキリトを凝視していた。

 

「お前……今、何と言いました?」

 

 今しがたの発言が不用意なものであったと遅まきながら理解したキリトは、腹を括る。

 

「……君には、妹がいる。そう言ったんだ──君が望むなら、話すよ。受け入れられるかは、分からないけど」

 

 アリスは少しの逡巡を見せた後、キリトから手を離し、膝を抱え込む。

 

「……いいでしょう、話しなさい。ただし、お前の言葉が私を謀る為のものであると判断したなら、その時は──」

 

「ああ、その時は相手になるよ。さて、どこから話したもんかな──」

 

 キリトは整合騎士アリス──その出自に関わる、知っている限りの事を語って聞かせた。

 

 彼女が元は北方にある小さな村で生まれた少女、アリス・ツーベルクであった事。

 家族には両親の他に妹のセルカがいて、ユージオとは仲の良い幼馴染だった事。

 そんな彼女がかつて《ダークテリトリーへの侵入》という禁忌を破り、公理教会へ連行された事。

 その後、他の整合騎士達と同様に最高司祭アドミニストレータの手で《シンセサイズの秘儀》を施され、過去を封じられた上で偽りの記憶を植えつけられ、人界の守護者に仕立て上げられたという事。

 

「セル、カ……セルカ──顔も、声も知らないはずなのに、何故だか、胸の奥が温かくなる」

 

 途中途中で反論や質問もあったが、キリトの話を全て聞き届けたアリスは、ポツリポツリと言葉を零す──その瞳からも、涙を零しながら。

 

「本当、なのね……私に、妹がっ──血を分けた家族が、いる……っ」

 

 この状況でも騎士としての矜持が働いたのだろうか、泣き叫ぶことはせず、嗚咽と共にすすり泣いていたアリスは、一頻り泣いて平静を取り戻した後、話を次に移した。

 

「お前の話を、全て信じたわけではありませんが……整合騎士は天界から召喚されるのではなく、人界に住まう民の記憶を封じて造られているというのは事実なのでしょう……ここに配置されたミニオンといい、悪意があっての事かはともかく、最高司祭様が我らを欺いておられるのだという事は、最早否定出来ません──」

 

 アリスは続ける──だが一方で、彼女によって作られた整合騎士団が今も人界を守っているのもまた事実なのだ──と。

 

 それならばとキリトは問うた──では、整合騎士団が万全の状態で迎え撃てば、ダークテリトリーからの侵略を跳ね除けることが出来ると本気で思っているのか?──と。

 

 キリトとユージオは《果ての山脈》でまさにダークテリトリーのゴブリン達と戦っている。あの時点でのキリト達は権限レベルも低かったが、それを加味しても連中の力は決して侮れなかった。そこに加えて、向こうには整合騎士同様に飛竜を駆る《暗黒騎士》や、このミニオンを生み出す《暗黒術師》が存在しているのだ。

 カーディナル曰く、ダークテリトリーの総戦力は人界よりも強大だ。本来剣を取るべき上級貴族が怠惰に溺れ、少数精鋭の整合騎士団に依存しきった今の体制では、戦いになっても数ですり潰されるだろう、と。

 

 事実、騎士団の中でも同様の考えに至っていた者はいたらしく、その1人が何と騎士長その人だと聞いた時はキリトも素直に驚いた。

 

「──確かに、現状人界に於ける戦力は整合騎士以外に無いと言っていい。けど本当に全く存在しないわけじゃないんだ。央都以外の街や村には衛兵隊だってある。ダークテリトリーの侵攻が始まるのにどれくらいの時間が残されてるか分からないけど、人界全土から義勇兵を募って、カセドラルに溜め込んだ武具を分け与え、君達が磨いてきた本物の剣技と神聖術をきちんと訓練すれば──!」

 

「出来る訳がないでしょう!数を揃えた所で、人界軍には我ら整合騎士以外に実戦経験のある者が存在しない!どれだけ上等な剣や鎧を身に付けても、傷つき命を失う恐怖に臆してしまえばそこまでです」

 

 悲観的に過ぎるように聞こえるアリスの意見だが、正直、キリトは彼女に同意だった。

 というのも、SAOでの経験が理由だ──直接的な痛みもなく、血の一滴も流れない、きちんと対処法さえ守れば確実に勝てるはずの戦いでさえ、死への恐怖や緊張からミスをして命を落とすプレイヤーは最後まで後を絶たなかった。

 経験を積む事──数値的なものではなく、実体験として自分の中に蓄積されていくものこそが、戦場に於いて数少ない頼れるものだ、とは確かシノンの言葉だったか──それが人界軍には圧倒的に不足している。数百年にも渡るそのツケがいよいよ回って来たという訳だ。

 

 だが──

 

「いいや、出来る!──戦えない人間なんていない。誰だろうと、必要となればどんな形であれ戦えるんだ──ダークテリトリーの侵攻を許してしまえば、この人界全てが蹂躙される。ひと声かけさえすれば、その滅びに抗おうとする人間が沢山集まるはずだ!」

 

 そうだろう、ミツキ。──ここにはいない友の言葉を思い出す。もしここにいるのがキリトではなく彼であったなら、もっとアリスを奮い立たせる良い言葉を言えただろうか……彼が、ここにいたのなら──

 

「……仮に、可能だとしても──最高司祭様が、お許しになるはずが……」

 

「ああ。説得に応じてくれればいいけど、ハッキリ言って望み薄だろうな……だから俺達はこの塔を登っていたんだ──最高司祭の支配体制を打ち破る為に」

 

 アリスは黙して考え込む。これまで守り抜いてきた騎士としての忠義と、今目の前にいる大罪人から聞かされた話、どちらを信じるのか──

 

「……会えますか」

 

「えっ……?」

 

「お前達に協力し、無事闇の国の侵攻を退け、そして……封印された記憶を取り戻した暁には……私はセルカに──妹に、もう一度会えるのですか?」

 

 こればかりは、キリトもすぐに返事を返せなかった。記憶を取り戻すということは、即ちアリスに埋め込まれた《敬神(パイエティ)モジュール》を取り除き、元のアリス・ツーベルクとしての記憶の欠片を埋め直すという事。それは同時に……

 

「……ああ、会うことは出来るよ。ルーリッドまでは飛竜があれば1~2日で行ける距離だし。ただよく聞いて欲しい──」

 

 キリトは告げる──アリス・ツーベルクの記憶を取り戻すという事は、同時にアリス・シンセシス・サーティとしての人格が消滅する事を意味する。つまり、全てが終わってルーリッドに帰ったとしても、セルカや家族と再会するのはあくまでも村娘アリスであり、整合騎士アリスではないのだ、と。

 言葉を選ばずに言うなら、整合騎士アリスはアドミニストレータによって造られた「仮のアリス」ということになる。流石にここまでストレートに事実を告げる気にはならなかったが、今まで得た情報を総合したアリスが自力でその結論に達するのに、然したる時間はかからなかった。

 

 アリスは膝を抱えていた自らの手をジッと見つめる。

 

「人界に生きる民達を……人々の営みを守る為に。そう信じ、戦ってきましたが──皮肉なものですね。そんな大言を嘯くこの身こそが、幼気な少女から奪い、6年にも渡り不当に占拠し続けてきたものだったとは」

 

 自嘲するような声と共に、その手がキュッと握り締められる。

 

「盗んだものは、返さなくてはなりませんね──両親も、セルカも、お前やユージオも、皆がそれを望んでいる──この体も、()()も……本来私が持っているべきものではないのですから」

 

 騎士として、余りにも潔い──本来ならば賞賛されるべきである彼女の決断に、キリトは小さく唇を噛む。そんな時、ふと聞こえたチャリッ、という小さな音へ目を向けたキリトは、愕然と目を見開いた。

 

「アリス……ソレ……それを、どこで……?」

 

「……気付いた時には、いつの間にか持っていたのです。誰かに譲ろうかとも思ったのですが、その……花の意匠がとても気に入ったのと──何故か、如何なる時も肌身離さず持っておかなくてはいけないような、そんな気がして」

 

 アリスの手の中──襟元から引っ張り出した細いチェーンを通した、銀色の()()()。その表面には、金木犀を思わせる小さな花の意匠があしらわれている。

 

 間違いない……()()()()だ。あの時、想い人と結ばれた彼女が左手の薬指に着けていた物と、全く同じ──

 

「何分、こういった装飾品を身に着ける趣味はありませんでしたから、何故持っていたのかずっと不思議だったのですが……きっと、これもアリス・ツーベルクという少女の──」

 

「──ちがう」

 

「えっ?」

 

 殆ど反射的に、掠れた声が漏れ出た。

 

「違う……違うんだ、それは……その、指輪は、君の──アリス・シンセシス・サーティのものだ」

 

「何を……私はこの指輪を手にした時の記憶が無いのですよ?であれば、最高司祭様が私を整合騎士として造り直す際に記憶を封じたのではないのですか?」

 

 キリトは逡巡する──話すべきか?もし、今目の前にいる整合騎士アリスにも大事な人がいると告げてしまえば、それは今の彼女の決意を徒らに揺らがせるだけではないのか?

 だが、それでも……2年間、ミツキとアリスの事を見てきたのだ。2人の間に確かな絆が、愛があったことを知っているのだ。それを無かった事には……出来ない。

 

「……お前は、何を知っているのです。話しなさい」

 

「……君を、待ってる人がいるんだ……君を、ずっと探していた人が……」

 

「それはもう聞きました。ですから私は──」

 

「違うんだッ!アリス・ツーベルクじゃない、今ここにいるアリス・シンセシス・サーティとしての君を……ッ!」

 

 声を震わせながら、一度大きく深呼吸する。どうにか平静を取り戻したキリトは、ゆっくりと口を開いた。

 

「……正直、俺もまだ全部を正しく理解出来ている訳じゃない。だから、推測も交えてになる。けど──君がかつてアリス・ツーベルクであった様に、今から話すことも事実だと、俺は信じてる」

 

 ただならぬ様子のキリトに、アリスは無言で続きを促す。

 

「アリス──俺は、()()()()()()。君が禁忌を犯した俺達を学院に迎えに来るよりずっと前から……俺は、君がどういう人間なのかを知っていた」

 

「……何、ですって?」

 

「俺達は《アインクラッド》っていう巨大な空飛ぶ城の中で、整合騎士や教会に関する記憶を持っていない君と共に戦った。文字通り命がけの戦いを。そんな中で、君の相棒だったのがミツキなんだ──その指輪は、君とミツキの深い絆の証なんだ」

 

 キリトは、大図書館でカーディナルと話した内容をそのままアリスへ語った。

 

「……信じられません。余りにも荒唐無稽に過ぎる──先程の《シンセサイズ》という儀式の方がまだ納得がいくというものです」

 

「でも本当なんだ!君は覚えていなくても、俺とミツキは覚えてる!君はっ……間違いなく、あの城で2年間一緒に戦った、アリスなんだよ……っ」

 

 訴えるキリトの横で、アリスは指輪を小さく握り締める。

 

「……いくつか、妙に思っていた事があります。連行対象であるお前達3人の中からミツキという名を目にした瞬間、何故だか安堵感が込み上げてきたのです。そして……この指輪が熱を持った──あの時はただの気のせいだと片付けていましたが、今のお前の話を踏まえれば、私と彼が浅からぬ関係にあったというのは事実なのかもしれません。しかし──だからと言って先の決断が変わる事はありません。私は、この体をあるべき人の元へ返す」

 

 そう言って、アリスは指輪を襟の内に仕舞い込んだ。

 

「ですが、その前に──2つ頼みがあります」

 

「頼み……?」

 

 アリスはこくりと頷く。

 

「封じられた記憶を元に戻す前に、一度だけ、物陰から一目だけでもいいのです、セルカを……家族の姿を、見せて欲しい」

 

「……分かった、いつか必ず君をルーリッド村へ連れて行く。……2つ目の頼みは?」

 

 アリスは涙で少し赤くなった目を、気恥ずかしそうに泳がせる。

 

「その……ミツキ()と、話がしたい──い、色恋には全くと言っていい程関心などありはしませんが──もしお前の話が本当であるのなら……直接言葉を交わしてみたいのです。……尤も、今の私は彼の望む私ではないでしょうが」

 

 アリスがミツキと再会する──ずっと待ち望んでいた事のはずなのに、いざ形を帯びたそれは、とても残酷なものであるとキリトには思えた。

 

 キリトの沈黙を承諾と捉えたのか、アリスは立ち上がり、眼下の街並みを見据える。

 

「……私の心は決まりました。人界と、そこに生きる民達の未来を守る為──私、アリス・シンセシス・サーティは、たった今より整合騎士の使命を捨て──ぁぐッ!?」

 

「アリス……ッ!?」

 

 宣誓の最中、アリスは突如として苦悶の声を上げる。歪んだ美貌に伸ばした手が、右眼を強く押さえつけていた。

 

「ぁ、ァ……右眼、が……焼けるよう、です……ッ!何か、文字がっ……!」

 

「まさか、ユージオやレイラ達と同じ──落ち着けアリス!何も考えるな、頭を空っぽにするんだ!このまま教会への叛意を抱き続ければ、右眼が跡形もなく吹っ飛ぶぞ!」

 

 ふらつくアリスを支えるキリトは、そっと手を退けてアリスの右眼を確認する──開かれた眼は、深い蒼ではなく、不気味な赤黒い光に満たされていた。そしてアリスが言った通り、瞳孔の真上に文字が見える。

 

 どうやら鏡のように左右が反転しているらしく、小さな文字を苦心しながら判読していくと──《SYSTEM ALERT(システム・アラート)》と読めた。

 

 このアンダーワールドに於いて、英語もとい神聖語はその意味を理解して用いられる事は全くと言っていい程無い。神聖術の式句でさえ「こう唱えたらこんな術が発動する」という程度の認識だ。

 数少ない例外として管理者権限を持つ者──賢者カーディナル及びその複製元であるアドミニストレータが存在するものの、それは彼女達が理解してさえいればいい話だ。こんな形で右眼に表示させた所で、アンダーワールド人からしてみれば謎の文字列以上の意味を成さないのだから。

 

 つまりこれは、アドミニストレータを始めとする内部ではなく、外部──この世界の創造主であるラースの人間によって施された、意識的に法や規則を破ろうとする者に働きかける警告表示という可能性が高い。

 

 その目的や真意など、疑問は尽きないが、今はとにかくアリスの思考を沈静化させなければ──そう考えるキリトの腕を、アリスは震える手で掴んだ。

 

「ひどい──こんな……記憶だけでなく、意識すら、も……誰かに、操られるなんて──これも、最高司祭様が……ッ?」

 

「……違う、と思う。多分、この世界を生み出し、今も外側から観察している存在──創世記には登場しない《神》の1人がした事だ」

 

「神……神、ですか──私達整合騎士は、神の創りたもうた世界を守るべく、無限の時を戦い続けてきたというのに……それでも、その神は我らを信じては下さらないのですか……っ……私から、家族の……妹の……かけがえのない記憶を奪い、その上このような封印を施して服従を強要するなど……ッ!」

 

 ギリリ…とキリトの腕を掴む手に力が入る。

 

 

「私、は──私は、人形ではないッ!!!」

 

 

 苦しみの中にあって怒りを滲ませた叫びが、夜闇の中に木霊する。

 

 

「例え、この魂が何者かの手によって造られた存在であろうともッ……『私』にだって意思があるのですッ!感情があるのですッ!私はッ……『私』を姿無き神などに操らせはしないッ!私は、私の意思で、この世界の人々を守るッ!それが、私の使命ですッ──!」

 

 

 荒い息をつくアリスは、キリトの両肩を掴んで引き寄せる。

 

「キリト……私を、しっかりと押さえておきなさい……」

 

「……分かった」

 

 言われるまま、キリトが自分の体をしっかりと押さえ込んだのを確認したアリスは、痛みを堪えつつ呼吸を整える。

 

「最高司祭アドミニストレータ……そして名も無き神よ……私は、私の為すべき事を成す為に──ッ」

 

 

 

 

──あなたと、戦いますッ!!!

 

 

 

 

 決意に満ちた誓いの声と共に──小さな紅い華が咲いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『人界に生きる民達を……人々の営みを守る為に。そう信じ、戦ってきましたが──皮肉なものですね。そんな大言を嘯くこの身こそが、幼気な少女から奪い、6年にも渡り不当に占拠し続けてきたものだったとは──』

 

 

 その通りだけど、違う………

 

 

『盗んだものは、返さなくてはなりませんね──両親も、セルカも、お前やユージオも、皆がそれを望んでいる──』

 

 

 違わないけど、違う………

 

 

 俺は……俺は、君を……君こそを──

 

 

 

 

「──大丈夫、もう苦しまなくていいのよ……私が、あなたをその苦しみから解放して(救って)あげるわ」

 

 

 

 

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