ソードアート・オンライン-剣槍-   作:不可視の人狼

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救いへの誘い

 整合騎士アリス・シンセシス・サーティは、ユージオの幼馴染であるアリス・ツーベルクであると同時に、俺がずっと探していた《姫騎士》アリスでもある──その事実が明らかになってからというものの、俺は頻りにクィネラに質問を繰り返していた。

 

 即ち、2人のアリスを両方とも救う方法は無いのか、と。

 

 薄々予想は付いていたが、それでも聞かずにはいられなかった──返ってきた答えは、案の定NO(ノー)だった。

 

 曰く、記憶の欠片を新しい精神原型にロードすればそれを擬似的なヒューマンユニットとすることは可能だが、有する知性は極めて限定され、とても人間とは呼べない代物になるだけだ、と。

 

 アリスとアリス・ツーベルク、残れるのはどちらか一方だけ……

 

「──それで、どうするのかしら?あなたが《姫騎士》ちゃんを取り戻すつもりなら、手伝ってあげるわ」

 

 クィネラは恐らく、一緒にカセドラルへ連行されてきたユージオがアリス・ツーベルクを取り戻そうとしている事に気付いている。その上で俺に協力するということはつまり、ユージオを排除するという事だ。今の所、少なくとも表面上は友好的な姿勢を見せている彼女がユージオにも同じ態度を取るとは思えない。十中八九、何の躊躇いもなくユージオを──延いては彼に協力するキリトをも殺すだろう。用心深い彼女のことだ、わざわざ生かしてはおくまい。

 

 俺の選択1つで、必ず誰かの命が……魂が、喪われる。

 

 その重圧を自覚した瞬間、全身の肌が泡立つのを感じた。

 

「さぁ、答えを聞かせて、ミツキ──あなたは、どっちを選ぶの?」

 

「俺は……俺、は──っ……彼女の……アリスの、決断をっ……尊重する」

 

 どうにか絞り出せた返答は、我ながら随分と情けないものだった。

 アリスの意思を尊重する、と言えば聞こえはいいが、裏を返せば自分で選ぶ事を拒否しているだけ。自分の代わりにアリスに選択を委ね、重責を肩代わりさせているだけではないのか。

 

 何より──

 

「そう……なら、見てみましょうか。アリスちゃんの選択を──」

 

 ふと周囲が真っ暗になり、暗闇の中に1つのホロウィンドウが出現する。そこには、どこかのテラスに2人並んで腰を下ろすアリスとキリトの姿が映し出されていた。

 

「これは……」

 

「今現在のアリスちゃんの様子よ。どうやらあなたのお友達と一緒にカセドラルの外壁を登ってるみたいね」

 

 一体何故そのような状況に?という疑問は勿論あったが、俺の意識はそれよりも聞こえてくる声の方に向けられていた。

 

 

 

『人界に生きる民達を……人々の営みを守る為に。そう信じ、戦ってきましたが──皮肉なものですね。そんな大言を嘯くこの身こそが、幼気な少女から奪い、6年にも渡り不当に占拠し続けてきたものだったとは──』

 

 ……彼女もまた、自分がアリス・ツーベルクであった事。その記憶を編集された結果生まれたのが今の自分である事を知ったようだ。

 

『盗んだものは、返さなくてはなりませんね──両親も、セルカも、お前やユージオも、()()()()()()()()()()──』

 

 ……ッ。

 

 

 

 プツン、と映像が終了し、暗闇と静寂だけが残る。それも次第に掻き消え、元の光景が戻ってきた。

 

「……あれが、アリスちゃんの選択だそうよ。あなたも同じ意見という事でいいのね?」

 

「と…──ッ」

 

 当然だ──その短い言葉すら、紡ぎ出せない。

 何をやっている、自分で決めたんだろう。アリスの意思に従うと、彼女の選択を尊重すると。彼女は答えを出した。ならばそれに殉ずるべきだ。元のアリス・ツーベルクを取り戻すのだ、その結果、彼女が……っ……彼女が、消え──

 

「──ッ!!!」

 

 自分の頭を力いっぱいテーブルに叩きつける。この期に及んで見苦しく決断を渋る自分を叱咤するように、何度も、何度も、何度も──弾みでテーブル上からティーカップが落下し、か細い音を立てて砕け散った。

 

「あぁ、かわいそうなミツキ──」

 

 ふと、耳元で囁かれた甘い声。いつの間にか移動していたクィネラは、背後から俺の肩をそっと抱き締める。

 

「いつもそう──あなたはいつも誰かの為に、誰かを思って、誰かの代わりに傷つき苦しむ──けれどその苦しみは誰にも理解されない、されてはいけない──」

 

 耳に入った蠱惑的な声が、まるで()のように俺の中を侵してくる。

 

「思い出して。どうしてあなたは苦しむのか──それは、苦しませたくない人がいるから」

 

 蜜はじわじわと広がり、やがて思考が蕩けていく。

 

「どうして理解されるのを拒まなければいけないのか──それは、理解されることで苦しむ誰かがいるから」

 

 やがて思考だけにとどまらず、体からも力が抜けていく。

 

「あなたがその胸に抱えているものは、あなたを苦しめるものばかり。だったら──いっそ手放してしまいなさい」

 

 違う、嫌だ──普段なら即座に出てくる筈の言葉も、思考諸共グズグズに溶かされてしまう。

 

 

 気づけば、俺は分厚い灰色の雲に覆われた曇天の下にいた。

 

 

 ──考えた事が、無かった訳じゃない。いや寧ろ、何度も考えた事がある。

 

 もし、俺がキリト達と深く関わらなければ──と。

 

 アリスと同じくらい大事な友達(もの)を、沢山抱えるような事にならなければ──と。

 

 

 ──ミツキ!

 ──おいこらミツキィ!

 ──ミツキッ!

 ──ミツキさんッ!

 ──翠月ッ!

 ──ミツキっ!

 

 

 声が聞こえる……あの世界を共に生き抜いた者達の声が。

 その声の方へ目をやった瞬間、半透明の黒いベールが全てをシャットアウトした。

 

 

 ──ミツキさん、ダメ!

 ──戻ってミツキッ!

 ──行っちゃダメだ、ミツキ!

 

 

 声が聞こえる……先の見えない旅路の中で知り合った者達の声が。

 その声の方へ足を向けた瞬間、黒いベールが全てをシャットアウトした。

 

 

 ──ミツキ!

 ──先輩ッ!

 ──ミツキ君!

 

 

 声が聞こえる……この世界で知り合った、新なる命達の声が。

 その声に言葉を返そうとした瞬間、黒いベールが全てをシャットアウトした。

 

 

 ──こっちに来いミツキッ!

 ──ミツキ君早くッ!

 ──ミツキさん!

 

 

 声が聞こえる……志を共にした、友達の声が。

 その声に手を伸ばそうとした瞬間、黒いベールが全てをシャットアウトした。

 

 

『──あなたの心は、たった1人しか受け入れられない。そのたった1人にしか、あなたという人間を真に理解し愛する事は出来ない……他は全て、あなたを縛って苦しめる邪魔な鎖でしかない。そうでしょう?』

 

 

 ──ミツキッ!!

 

 

 まっすぐ前方から届いた声。俯けていた顔を上げると、そこには亜麻色の髪の少年が手を伸ばしていた。

 

 

『苦しみたくない、誰も苦しめたくない──なら、どうすればいいか分かるわね?』

 

 

 ──聞いちゃダメだミツキ!こっちに来るんだ!

 

 

 1歩、また1歩、覚束無い足取りで少年へ近づいていく──その傍らに、暖かい光があった。

 オレンジ色と、淡く色付いた白──2種類の花が1房、光の球に包まれて浮いている。光はやがておぼろげに少女の姿を模り、少年と共にこちらへ来るよう呼んでいるようだった。

 

 伸ばした手が触れそうになった瞬間、またあの黒いベールが全てを遮る──殆ど倒れるように前へ踏み込むも、少年の手を掴むことはなく、俺の体は後ろから抱き止められた。

 

『大丈夫、もう苦しまなくていいのよ……私が、あなたをその苦しみから解放して(救って)あげるわ』

 

「す、く……い……」

 

 最早まともな思考も出来ないまま、甘い香りと共に伸びてきたクィネラの柔らかな手の平が俺の目を塞ぐ。もう、声は聞こえない……しかし、握った手の中に温度を感じた。僅かに開いた指の隙間から手の中を覗くと、どうやら寸での所で掴めていたらしい2つの花が、暖かな光を放っていた。

 

『ええ、そうよ。だから、全部手放して楽になりなさい。あなたの中を、私の愛で満たすの──』

 

 白く細い腕が手の中の花へ伸びる──が、その手は空を切った。俺の中に残ったなけなしの理性が最後の力を振り絞ってそうさせたのだろうか、まるで小さな子供がおもちゃを取り上げられるのを拒むように、小さな花を両手で大事に包み込んだのだ。

 

『……そう……いいわ。それな──そ──で、ま──やりよ───の──』

 

 

 

 

 クィネラは俺を抱きしめたまま、背後のベッドへと導く。シュルリ、という衣擦れに続き、全てを蕩かす魔性の声音が囁いてくる。

 

「ミツキ……あなたの望みを叶える方法を教えてあげる。あなたが望むもの全てを手に入れる方法を──」

 

 引かれるまま、仰向けにベッドへ倒れ込む。クィネラの細身の身体は弾力がありつつも沈み込むような柔らかさを以て俺を迎え入れた。

 

「私の言う通りにして。そうすれば、あなたは全ての苦しみから解放されるの──誰かを傷つける事に怯える必要も、誰かの代わりに傷つく必要も、誰かの為に自分を傷つける必要も無い……もう誰も、あなたをいじめる事は無くなるわ──さぁ、まずは神聖術の起句を……」

 

「……シス、テム……コール……」

 

「いい子ね──最も大事なものを心に思い浮かべながら、こう唱えるの──《リムーブ・コア・プロテクション》」

 

 最も大事なもの……そんなの決まってる。

 

 

 ──覚悟はしていた。再会した君は俺のことを覚えていないかもしれない。

 それでも……君が笑って幸せでいてくれるなら、それでも構わないと。

 

 

「リムーブ……」

 

 

 だから……それはダメだ。

 俺の事は忘れていてもいい。俺のことを敵として見たっていい。俺ではない誰かとの未来を歩んだって、それで君が心から幸せに笑えるのなら。けど──

 

 

「コア……」

 

 

 けど、君がいなくなるのは──キミという存在が消えてしまうのは……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……プロテクション」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……それだけは、絶対に、嫌なんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 セントラル・カセドラル95階《暁星の望楼》──沈みゆく夕日に照らされるそこから、イーディスは下を覗き込んでいた。

 

「うーん……いないわね。本当に大丈夫なのかしら……」

 

 ユージオはきっと無事だと言っていたが、キリトのことをよく知らないイーディスからすれば、その言葉の信憑性は今ひとつだった。95階に来てからもう何度も下を覗き込んではアリス達の姿が見えないか探しているが、一向にその気配が無い。呼びかけてみても同様だ。

 一瞬、あれはもしや自分との戦いを避ける為の方便だったのかという考えが過る。それは同時にイーディス自身のミツキに対する印象もまた間違いだったという事になる為、そうであって欲しくないのだが。

 

「……生きてるかしら、あの子」

 

 このままただ待ってるだけというのも落ち着かず、イーディスは気分転換がてら90階の様子を見に戻ってみることにする。

 

 階段を下り、到着した90階の扉──開けた隙間から白い煙が立ち込めるのは同じだが、上ってきた時とは違い、その煙が思わず身震いする程冷え込んでいる事に気づいた。

 

 ひと思いに扉を開け放ったイーディスは、驚くべき光景を目にした。

 

「これって……!?」

 

 普段は湯気が立ち昇る大浴場が、辺り一面余す所なく凍りついている。大理石の床も、浴槽も、沈みかけの夕日が差し込む窓さえも、分厚い氷に飲み込まれていた。これをやったのがユージオだという事は、最早確かめるべくもない。

 

「素質はあると思ってたけど、まさかここまでだなんて……2人はどこに──」

 

 足を滑らせないよう歩幅を小さく取りながら、浴場を進んでいく──中程にある浴槽に、氷の蔓に巻かれた2つの人影が見えた。1つは、下半身を氷に飲み込まれ、氷に突き立てた青薔薇の剣を支えに力無く項垂れるユージオ。その対面にある2つ目の影は、胸から下を氷漬けにされた整合騎士団騎士長ベルクーリ・シンセシス・ワンのものだった。

 

「……おぅ、何だイーディス……戻ってきたのか……やっぱ、この小僧の事が心配だったか?」

 

「まぁ、ある意味ね──そういう騎士長こそ、まさかこんな風になってるとは思いもしなかったわ。手加減でもした?」

 

 ベルクーリは剛毅の体を小さく身じろぎさせて笑う。しかしその笑みはどこか弱々しかった。

 

「はっ、馬鹿言え……殺しはしないまでも……とっとと叩きのめして、勝つつもりだったさ──その結果がこのザマたァ……俺もヤキが回ったかね……」

 

「それこそ馬鹿言わないで。あなたは私達騎士の長なんだから、ちょっとやそっとで負けを認められちゃ困るわ──待ってて、今助けるから」

 

 氷を斬り裂きベルクーリを引っ張り上げようと剣を抜くイーディスだったが……

 

「──待った……助けるなら、先にそっちの小僧を出してやれ──こちとら風呂上りだからな、もちっと涼ませてくれや……」

 

「……分かったわ」

 

 抜刀した闇斬剣が閃き、ユージオに巻きついていた蔓が断ち斬られる。体を飲み込んでいた氷は、前に彼女がやってみせたように《闇素》を用いて削り取った。氷中から引っ張り上げたユージオを床に寝かせ、直ちにベルクーリも救出する。流石と言うべきか、ある程度周辺の氷を消すだけで自力で氷を割り砕いて立ち上がったベルクーリは、氷の床に腰を下ろして深く息をついた。

 

「ふぅ……氷風呂ってのも案外悪かねぇかもな……」

 

「冗談言ってる場合じゃないわよ、全身霜塗れじゃない。早く体を温めて、治癒術式で天命も回復させなきゃ──」

 

「俺ァいいつったろ。小僧を診てやれ──神聖力ならそこらじゅうにたんまりある」

 

 イーディスは不承不承といった様子で、言われた通りユージオの体を片手の《熱素》で温めながら、もう片方の手で《光素》を生成し、主に下半身に広がる凍傷を治療していく。

 

「イーディス……そのまま聞け──お前、この小僧の事はなんて聞いてる?」

 

「え?えっと……色々あって禁忌目録を破った罪人だ、って。アリスから。大元を辿れば元老院の判断って事になるでしょうけど」

 

「へッ、やっぱりな……俺はこう言われたんだよ──ダークテリトリーの暗殺者がカセドラルに入り込み、最高司祭殿の命を狙っている──チュデルキンの野郎からな。ファナティオ達にも同じ指令が下ってたそうだ」

 

「どういう事……だってこの子達、北セントリアの修剣学院の生徒だったのよ?ダークテリトリーの刺客だなんてありえないわ」

 

「だからおかしいんだよ──あの肉っころ、俺達にある事ない事吹き込みやがった。最高司祭殿の命を引き合いに出されちゃ、従わねぇわけにゃいかねぇからな──何を企んでるか知らねぇが、野郎は俺達を謀りやがった、そいつは紛れもねぇ事実だ」

 

「事と次第じゃ、チュデルキンこそが最高司祭様に危害を加えようとしてるのかもしれない……そういう事ね」

 

「察しがよくて助かるぜ──イーディス、そいつの治療が終わったら、お前は元老院へ行け。チュデルキンの野郎をふん縛って、洗いざらい吐かせろ」

 

「……分かったわ──騎士長も、ちゃんと自分の治療するのよ。アリスにはまだあなたが必要なんだから」

 

 話が一通り纏まった所で、治療の完了したユージオが目を覚ます。状況がすぐには飲み込めない様子だったが、ベルクーリが、戦いはユージオの勝ちであり、自分にもう戦う意志は無いと告げた事で、ユージオも刺さったままの青薔薇の剣を納めた。

 

「イーディスさん、キリトとアリスは……?」

 

「まだ着いてないみたいね。もしかしたら、私が下りるのと入れ違いで戻ってきてるかもしれないけど──ただ、今はその事ばかり気にしてられる状況じゃなくなったわ。元老長チュデルキンを吊し上げて、どういうつもりなのか聞き出さないと。ユージオ(あなた)は95階でアリス達を待ってて」

 

「……いえ、僕も一緒に行きます」

 

 ユージオの返答に、イーディスは少し驚いたような顔をする。

 

「80階で戦った時、あなたはミツキの身柄を元老長に引き渡したと言いましたよね。もしその元老長という奴が何かを企んでいるなら、ミツキが危ないかもしれない。僕にとっても無関係じゃありません」

 

「けど……」

 

「──連れてってやれ。この小僧、これで中々肝が据わってやがるし……チュデルキンは俺達整合騎士を石に変える術を使う。いざって時にゃ役立つだろ」

 

 ベルクーリの後押しもあり、イーディスはユージオの同行を承諾。本来95階までだった停戦協定を延長することになった。

 

 ユージオを伴い再び95階へ戻ったイーディスは、キリト達が見えないか手分けして下を覗いてみるが……やはりというべきか、2人の姿は見えなかった。

 

「出来れば待ってたい所だけど、さっきあなたが言った通り、ミツキ()が心配だわ。進みましょう」

 

「あの……元老長って、どういう人なんですか?」

 

「そうね……率直に言って──人界一《長》の称号に相応しくない男──かしら。最高司祭様の右腕っていう立場上、あの方の指示を整合騎士に伝達する事が多いんだけど……あの癇に障る声で喚かれると、段々イラついてくるのよね……こっちも出来るだけ私情は持ち込まないようにしてるけど、それも限度ってものがある訳よ」

 

「そ、それ程までですか……」

 

「ええ。きっとあれよ──神聖術以外の才能を全部、汚い言葉で他人を詰って神経を逆撫でする事に費やしてるんだわ。そういう男よ」

 

「……少し、分かる気がします。同列に考えていいのかは分からないですけど、修剣学院にもそういう生徒が沢山いましたから」

 

「けど神聖術の腕前に限って言えば、チュデルキンは最高司祭様に次ぐ高い権限を持ってる、他の元老達もね。──もしあいつを見つけたら、私が気付かれないよう一気に距離を詰めて取り押さえる。元老達は武器を使った近距離戦が不得手だから、チュデルキンを人質にして動きを止めた隙に、あなたの氷で元老全員を詠唱が出来ないよう氷漬けにして欲しいんだけど……武装完全支配術、使えそう?」

 

「は、はい。さっきベルクーリさんとの戦いで記憶解放術を使いましたけど……薔薇が吸い取って放出した神聖力で、剣の天命も結構回復したはずです」

 

「へぇ……その()の記憶解放、天命の回復も出来るのね」

 

「氷で拘束した相手の天命を吸い上げて、咲いた薔薇から空間神聖力として放出する──それが、この青薔薇の剣の力です。でも元老院が神聖術師の集団なら、安易に使うのは危険かもしれません」

 

 青薔薇の剣が吸い上げた神聖力は放出してしまえばそれ限り。迂闊に記憶解放を発動してしまうと、万が一誰かが詠唱可能な状態にあった場合、強力な神聖術の発動に利用されてしまう危険性があった。

 

 ユージオの読みに首肯を返したイーディスは「なら取り敢えずは完全支配術までに止めておいて」と指示する。言葉の裏には「ただし必要だと感じたならその限りではない」という意味も含まれていたが、ユージオはそちらもしっかりと理解し、こちらも頷いた。

 

 そうしている内にたどり着いた新たな扉。これまで幾度となく開けてきたものとは違う、表面に彫刻の入った金属製の小さな楕円形の扉だった。

 元老院内部は騎士の立ち入りが禁じられている場所であり、何かしら理由があって最高司祭の元へ向かう際は95階から昇降盤で移動していたという。警戒心の中に微かな緊張を滲ませたイーディスは、未知の領域に続く扉をゆっくりと押し開けた。

 

 扉を隔てた先は、空気からしてこれまでとは全くと言っていい程違っていた。絨毯が敷かれ、暖かさのあった下層とは似ても似つかぬ無機質な1本道──壁や床の至る所に青白い光が走り、耳を澄ませば先に見える照明の光の中からブツブツと複数人の声が聞こえた。

 

「これは、神聖術の詠唱……?」

 

「攻撃系の術じゃないみたいだけど、油断はしないで──行きましょう」

 

 腰の剣を抜いた2人は、慎重な足取りで奥へ奥へと進んでいく。細い道を抜け、恐らく元老院の本部と思しき開けた空間に出た2人は、飛び込んできた光景に己が目を疑った。

 

 

「なッ……!?」

 

「何、よ……これ……!?」

 

 

 空間そのものの広さは大した事はない──カセドラルを3フロア分ぶち抜きで利用しているのだろう──横よりも縦に長く伸びたこの空間の壁には、奇妙なものが設置されていた。

 金属で出来た円筒状の箱──棺と言った方が近いだろうか──に設けられたガラスの窓。その奥に覗いているのは、()()()()だった。肌は生気を感じられない程青白く、頭髪も眉毛も全く生えていない、頬の肉は削げ落ち、ガラス玉のような眼は最早何も映していない事が見ただけで分かる。そんな気味の悪い代物が壁一面に何十、何百と設置され、中に収められた人間達は皆一様にブツブツと謎の術式を詠唱していた。

 

 掠れた声を漏らし唯々愕然としていたユージオ達は、突如鳴り響いた警報音に身構える。どこからか攻撃が飛んでくるのではと警戒したのも束の間、鳴り止んだ音の次に訪れたのは不気味な静寂だけ──否、少し違う。極々小さな……嗚咽のようなものが聞こえる。

 ユージオが恐る恐る棺の窓を覗いてみると、内部では上方から伸びてきた管を咥え、ドロドロになった「ナニか」を無心に飲み込んでいた。時折口の端から零れ落ちるソレはおおよそ食べ物とは思えず、そんなものを嚥下し続ける光景に、ユージオは思わず口元を押さえ、込み上げてくるものを押し止めた。

 

「(こんなの……人間にしていい扱いじゃない。家畜にだってもっとまともな食事を与えるのに、こんな……ッ!)」

 

 声無き声と共に、沸々と怒りが沸いてくる。この光景を作り出したのが元老長ないしその上に位置する最高司祭アドミニストレータなのは間違いない。こんな人を人とも思わない所業をする連中の事を……そんな連中が作った法を、自分は10年以上も信じ、守り続けてきたというのか。

 

 だがユージオ以上に衝撃を受けているのはイーディスだ。先程の口ぶりから察するに、彼女──整合騎士達は元老院について詳しく聞かされていないのだろう。数人~数十人からなる元老達が、人界の秩序が保たれているか日夜監視している──そう信じて疑っていなかった。

 

「この人達……生きてる、のよね……?」

 

「……死んでは、いないと思います──恐らく、過去に禁忌を犯した罪人の中から術式行使権限の高い者を選りすぐって、人界全体を監視するだけの存在に作り替えたんだ──学院で、僕らが禁忌目録を破った時、この人達と全く同じ顔を見ました。これが……元老院の、正体……」

 

 ユージオもまた、賢者カーディナルからアドミニストレータの所業の一端を聞かされている。この世界を支配するという欲求の為なら、あらゆるものを……人命すらも道具のように使う冷酷非道な存在なのだと。そう打ち明けたい気持ちは山々なれど、それは出来ない──少なくとも今はしない方がいいだろう、という直感があった。

 というのも、ユージオとしても記憶に新しいあの右眼の痛みだ。あれは教会そのものや教会の敷いた秩序を疑ったり、叛意を持つことで生じると考えている。整合騎士には《敬神モジュール》なるものが埋め込まれ、それがアドミニストレータへの絶対的な忠誠心を強制しているのだと教えてもらったが、元を正せばイーディスもアリス同様に人界で生まれ育った人間なのだから、同じような封印が施されていると考えて然るべきだ。

 

 元老長の実力も未知数な以上、今の所心強い味方となってくれているイーディスの疑心を徒らに刺激し、肝心な時に戦えなくなってしまうのは避けるべきだろう。

 

「元老長には会った事があるんですよね?なら、元老院の中でチュデルキンだけが人間ということの筈。いくら神聖術の腕が良くても、2対1ならこっちが有利です──まずはチュデルキンを倒しましょう」

 

「……そうね、うん。──ごめんなさい、取り乱したわ。あなたの言う通り、まずはチュデルキンを──」

 

 

 ──あぁッ!あああァァ──ッ!!

 

 

 ふと聞こえてきた、妙に癇に障る金切り声。出処はこの奥のようだ。

 

 

 ──ほァッ!?あぁいけません猊下!そんなッ!そのような事までッ!ホォッ!ホォォォォ──!

 

 

 顔を見合わせた2人が歩みを進める最中も絶えず響き渡る声。元老院という醜悪な環境の中にあって尚、このような悶え声を大音量で撒き散らすような人物に、イーディスは1人しか心当たりがなかった。

 

 たどり着いたのは、これまた打って変わって奇妙な空間だった。

 先程見た無機質の極みのような空間が嘘かと思える程豪奢な部屋だ。床には絨毯が敷かれ、最奥には小さな丸いベッド。周辺に設置されたタンスやらの家具類を、無造作に散らかされた大小様々な玩具達が飾っている──そしてその全てが、金色だったり複数の色を混ぜ合わせたりしたどぎついカラーリングをしていた。

 

「ホアアアアア!!!いけません猊下ァ!これはッ!これはいけませんッ!いけませんよゥ!!!オオオオォォ──!!!!」

 

 部屋の中央で縮こまり、何かを見ているのだろうか──頻りに奇声を上げては丸々とした体を振り乱すあの小男こそが、元老長チュデルキンだとイーディスは語った。他に誰かが居る様子はない。正真正銘、元老院の中で「人」と呼べるのはチュデルキンただ1人だけのようだ。

 

 視線を交わした2人は頷き合い、先行してイーディスが床を蹴る。僅か数歩でチュデルキンに肉薄した彼女は、振り向いたチュデルキンの襟首をむんずと掴み上げて漆黒の刃を突きつけた。

 

「抵抗しないで。ただでさえ小さい体をもっと小さくされたくないならね──それとも、()()の詠唱と私の剣、どっちが速いか試してみる?」

 

「ぅぎゥッ──お、お前ッ……10号!?なんでここに来てやがるんですよゥ!?アタシの許可なく元老院に立ち入るなんて──!」

 

「──そりゃ困るわよね?()()()()()を見られたら」

 

 元老院の真実を知られている事を察したチュデルキンは必死に目を泳がせる。ブヨブヨと肥え太った瞼から覗く小さな眼が、ユージオに止まった。

 

「なッ……じ、10号!なんでコイツと一緒にいるんですよゥ!?このガキはダークテリトリーの侵略者だって言ったでしょうがァ!」

 

「聞いてないわよそんな事。仮にそうだとして、じゃあどうして彼の仲間であるミツキ(あの子)を最高司祭様の所へ連れて行ったの?──本当は最高司祭様の命令じゃなくて、お前個人の企みに利用する為だったんじゃないの」

 

「そッ、そんな訳ねぇだろうがァァァ!無能な木偶人形でしかないクソ騎士の分際でアタシにこんな事して、ただで済むと──!」

 

「まぁどっちでもいいわ──何にせよ、あんな恐ろしいもののすぐ近くで平然としていられるお前を仲間だなんて思えないし。大人しく全部白状するなら命だけは助けようとも思ったけど……お前はそんな潔い男じゃないものね」

 

 イーディスはそう言って、闇斬剣をチュデルキンの心臓の辺りに突き入れる。

 

「……恨むなら、いい加減な仕事ばかりして信頼を損ねてきたお前自身を恨みなさい」

 

 剣を引き抜こうとしたイーディスだったが、その表情が怪訝なものに変わる──整合騎士としてダークテリトリーの騎士やゴブリン達と幾度となく戦い、勝利してきた彼女だからこそ感じた──剣を引き抜く際の手応えに違和感が……

 

「……ふひィ……!」

 

 ぐったりチュデルキンの分厚い唇が釣り上がる。次の瞬間、ブシュウッ!と彼の体が弾け、赤い煙が辺りに充満した。

 

「ホヒィィィ!ッヘッヘッヘァ───!術式ばかりが芸じゃねェんですよゥ!バーカバーカ!」

 

 煙に紛れたチュデルキンは、嘲笑を残して姿を消す。幸い煙はすぐに晴れ、壁際にあったタンスの奥に隠し通路が口を開けているのが見つかった。

 

「チュデルキン……ッ!待てッ──!」

 

 イーディスとユージオはすぐさま後を追う。チュデルキンの体格に合わせてあるのだろう、窮屈な階段を駆け上がる2人の耳に、あの甲高いキンキン声が──

 

 

 ──システム・コォォォォル!ジェネレェェェト・──

 

 

「──神聖術の不意打ちに気をつけてッ!」

 

「はいッ!」

 

 ユージオは青薔薇の剣に手を掛け、必要であればすぐさま抜刀、完全支配術で氷の壁を張れるよう備える。

 

 果たして、階段を抜けた先に待ち受けていたのは、灼熱の火炎でも、凍て刺すような氷柱でもない。唯々純粋な静寂のみだった。

 

「……何も、無いですね。チュデルキンの姿も見えない」

 

「罠らしきものも無し……迎撃は諦めて、最高司祭様の所へ向かったって事?だとしたら私達も早く行かないと──」

 

「でも、階段が見当たらない。奴はどうやって上に……?」

 

「昇降盤があるのよ。今動かすわ──システム・コール、ジェネレート・ルミナス・エレメント!」

 

 イーディスの指から無加工で放された《光素》が天井へ吸い込まれ、弾ける。するとその箇所の天井が丸く突出し、円形の石盤となって下降を始めた。

 

 昇降盤が下りきるのを待つ時間すら焦れったく、歩みを進める──そんな2人の耳が、例の金切り声を捉えた。今度こそ不意打ちを警戒したが、そうではない。キンキンと耳に響く点は同じだが、これは先程聞いたような笑い声ではなく──悲鳴?

 

「──ヒッ!ホヒイイイィィェェェ!!──ヘブッ!?」

 

 ポッカリと空いた天井の穴から、声の主が落ちてくる。情けない声を上げて昇降盤に突っ伏した小男──どうやら服を内側から膨らませていただけで、本来の体は痩せ細っていたらしい──チュデルキンは、呻きながら顔を上げ、ユージオとイーディスを見る。その小さな瞳からは、明確な恐怖の感情が見て取れた。

 

「テッ、テメェら……助け──」

 

 一体何が起きたというのか。ユージオもイーディスも、突然の事に軽く混乱していたせいで──()()に気付くのが遅れた。

 

 チュデルキンを追うように、天井から落ちてくるもう1つの影。その影は着地と同時に逆手に持った得物をチュデルキンの痩躯に躊躇なく突き立てた。

 

「ギャッ!」という声。持ち上げられた短い腕がパタリと落ちる。まだギリギリ生きているらしく、チュデルキンの細腕が小さく震えた。

 

「こ……ッの、クソ……ガキがァ……ッ」

 

 自分を踏みつける闖入者に恨めしげな目を向けるチュデルキンだったが、体内を抉るように刺さった得物をこじられ、絞り出すような断末魔を残して動かなくなる。

 

 最高司祭の側近──イーディス視点では全ての黒幕だったチュデルキンの突然の死。何とも呆気無い幕引きとなったが、ユージオもイーディスもその事を気に留めている余裕はなかった。

 

 

 

「──やっと黙ったか……キンキン耳障りな声で喚きやがって」

 

 

 

 背丈はユージオやキリトよりほんの僅かに高い程度。鎧の類は着けておらず、体格もスラリと細身なその男は、小さく毒づいてからチュデルキンに刺さっていた得物を引き抜くと、その亡骸を無造作に壁際へ蹴り飛ばした──まるで、路傍の石ころを退けるかのように。

 

 

 

「それで──お前らも、俺の邪魔をするのか……?」

 

 

 

 身の丈を超える程の長槍をひと振りし、穂先の血を払った紺髪の少年──ミツキは、冷たい視線で2人を見据えるのだった。

 




レッツ・シンセサイズ。
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