ソードアート・オンライン-剣槍-   作:不可視の人狼

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心の在り方

 人界四帝国が1つ《イスタバリエス東帝国》──その更に最東端に、ソレはあった。

 

 人界をぐるりと囲む《果ての山脈》の中で、唯一真っ直ぐに切り開かれた峡谷。向こう側に広がるダークテリトリーとを隔てているのは、見上げる程に巨大な門だ。

 古くから伝わる伝説によれば、いつの日かこの《東の大門》が崩壊し、門の向こうから闇の国の軍勢が押し寄せてくるとされている。人界が生まれてからこの方、ただの御伽噺と一笑に伏す者がほとんどだった「その時」が、もうすぐそこまで迫っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アリス、キリト、ミツキの3人を乗せた飛竜は、山脈の麓に築かれた野営地に降り立った。人界最北のルーリッドからここまで飛んでくれた雨縁(アマヨリ)の首を労いを込めて撫でてやってから、アリスはキリトを抱えて鞍から降りる。ミツキと一緒に雨縁の背から車椅子を下ろしていると、アリス達の元へ駆け寄ってくる足音と──それに合わせて、小さな金属音が聞こえてきた。

 

「──師よ!信じておりましたぞ──っ……」

 

 纏った白銀の鎧を小さく鳴らしながら走ってきたのは、近くで兵達の訓練の様子を見ていた整合騎士エルドリエ・シンセシス・サーティワンだった。しかし、アリスの帰還という念願が叶い喜色に彩られていた顔は、彼女の腕の中、そして傍らにいる少年達を見た途端、冷たく強張る。

 

「……連れて、来たのですか。彼らを」

 

「当然です。彼らを守ると誓ったのですから」

 

「しかし……一度開戦となれば、我ら整合騎士は最前線で力を振るわねばなりません。まさか、そのような無用の重荷を背負って敵兵と剣を交えるおつもりですか」

 

「必要とあらばそうします」

 

 キリトを車椅子に座らせながら平然と言ってのけたアリスに、エルドリエは小さく唇を噛んだ。

 

「……恐れながら師よ。あなた様を含め、我ら整合騎士は来る戦いに於いて、ここに集った兵達を率いて戦う責務があるのです。そのあなた様が、剣力をかなぐり捨てるが如き暴挙に出てどうするのですか!」

 

 ……はっきり言って、エルドリエの言葉は正論も正論だ。キリト達を守るというなら尚の事、彼らをルーリッドに残し、アリスだけがこの場に来るべきだった。

 それでもアリスはこの選択をしたのだ。自らの手で彼らを守り抜いてみせる、と──本音を言えば、他にも理由はある。これ以上セルカに迷惑を掛けたくない。アリスが整合騎士と知っても尚、村人達がキリトやミツキに危害を加えないとも限らない──極めて個人的で、自己中心的な理由と言われれば、そうだ、としか言えない。他にもっといい方法があったのかもしれない。だが生憎、今のアリスに考えついたのはこの方法だけだった。

 

 エルドリエをどうにかして説得するか……それよりは、何か別の方法を考えるべきか……思案するアリスの耳に、懐かしい声が聞こえてきた。

 

「──まぁそうカッカするなよ、エルドリエ」

 

 半年顔を合わせていなくても、この声を聞くと反射的に背筋が伸びてしまう。アリスが微かな緊張を滲ませて振り返ると、ゆったりとした着物に身を包んだ偉丈夫──整合騎士団団長兼人界守備軍総司令であるベルクーリ・シンセシス・ワンが気安い笑みを浮かべていた。

 

「よぉ嬢ちゃん、思ったより元気そうで安心したぜ。ちょいと顔がふっくらしたかい?」

 

「小父様……ご無沙汰しております」

 

 笑みを浮かべてペコリと一礼するアリスだが、その胸中はお世辞にも平穏とは言えない状態だった。ベルクーリは人界守備軍の総司令……即ち、今回の戦いに於いては人界そのものを率いる立場にある。そんな彼がもし、キリト達がここにいる事をよしとしなかった場合……そうなれば、いよいよアリスも我侭を言ってられない。先程エルドリエが言った通り、武威を以て兵達を鼓舞するのも整合騎士の役目だ。ここで反目し合っていては、付き従う兵達に不安が生まれ、やがては秩序と指揮の崩壊に繋がりかねない。

 

 ダメだった時の事を必死に考えるアリス。その心情を見通しているかのように、ベルクーリは小さく頷くと、その双眸でキリトとミツキを見据えた。

 何か言おうとしたエルドリエを小さく手で制し、品定めするように2人を順番に見たベルクーリは、最終的にキリトの方をジッと凝視する。間近にいるアリスには、ベルクーリの中で剣気が練り上げられているのがわかった。

 

「(まさか、キリトを……!?)」

 

 自力で動けるミツキはともかく、車椅子状態のキリトは置いておけない。ここでひと思いに斬り捨てる──もしそんな判断に至ったのなら、なんとしても阻止しなければ。キリトの身の安全は言うに及ばず、彼を守ろうとしたミツキがベルクーリに攻撃を仕掛け、結果どちらかないし両者共に負傷、事と次第では命を落とすという最悪の結果につながってしまう。

 

 小さく震えるアリスの手が、ゆっくりと剣の柄に伸びる……そんな時だ。

 

「──大丈夫だ」

 

 ボソリと小さく零された言葉は、果たして誰に向けたものか──刹那、ベルクーリが鋭く息を入れると同時に、頬にピリッとした感覚が走った。アリスにも覚えのあるこれはそう……得物同士で斬り結んだ時の空気の震えだ。

 

「……嬢ちゃん、今のが見えたかい?」

 

「は、はい……ほんの一瞬でしたが、剣戟の光と衝撃が」

 

「今俺は、嬢ちゃんに向けて《心意の太刀》を放った──まぁ、当たっても頬の皮1枚切れる程度に加減はしたがな」

 

 そう言われてアリスは自分の頬を撫でてみるも、その肌にはかすり傷1つ付いていない。

 心意の力によって剣を用いずとも不可視の斬撃を放つ《心意の太刀》は、目視出来ないだけで武器や盾で防ぐことは可能だ。しかし見ての通り、この場の誰も抜剣しておらず、ミツキもキリトも身動き1つ取っていない。アリスが確かに目にした剣戟の光を見るに、ベルクーリがわざと外したわけでもない。

 

「──受けたんだよ。そこの黒髪の若者が、己の心意でな」

 

 ハッとなったアリスは、キリトの顔を覗き込む。もしやと思い期待したが、相変わらず彼の顔からは生気が感じられないままだった。

 

「その若者の心はここには無ぇようだが、だからって死んだわけじゃねぇ。さっきの小刃も、最初はこの若者に放つつもりだったんだぜ?だってのに、こいつは迷いなく嬢ちゃんを優先して守った──何かきっかけさえありゃあ、戻ってくるだろう。と、俺はそう思う」

 

 アリスはキリトの手を取り、小さく「ありがとう」と零す。その様子をどこか複雑な目で見るエルドリエに向けて、ベルクーリは言葉を続けた。

 

「──っつー訳だからよエルドリエ。そう細かいこと言わねぇで、若者の1人2人、面倒見てやろうや」

 

「しかし、戦力になるというならまだしも、この状態では……仮に目覚めたとして、彼らはまだ学徒の身と聞きました。学生の剣が実戦で通用するとは到底──」

 

「それこそ心配いらねぇだろ──さっきからそこで突っ立ってるもう1人の若者はな、俺が剣気を練るより一瞬早く()()()いた……面こそ呆けちゃいるが、いい勘をしてやがる。直前にひと声かけてなけりゃ、小刃を放つと同時に斬りかかってきたかもな──こいつらもこいつらで、ちゃんと戦う気概は持ってるってこった。時が来りゃあ、心強い戦力になるだろうぜ」

 

 ベルクーリの言を受けてもまだ納得しきれない様子のエルドリエ。

 

「何より、この若者らとその相棒は、俺達を打倒してみせたんだぞ。完全支配術を発動させた整合騎士を、だ。実力を語るのにこれ以上何が要る──お前さんもそう思うだろ、イーディス?」

 

「──そうねぇ。結果から言えば、私もそこの彼に手酷くやられちゃったわけだし……それを差し引いても、しっかり強かったわよ。その点は私が保証するわ」

 

 ベルクーリが視線を向けた先……エルドリエの更に後ろから、白い鎧を身に纏う女性騎士──イーディスがやって来た。

 彼女は半年前のカセドラルにて、アリスと共にキリトとユージオの2人組と剣を交え、更に99階ではミツキとも交戦している。各々が一騎当千と謳われる整合騎士の中でも、とりわけ1対1の戦闘に於いて一、二を争う彼女のお墨付きもあると来れば、エルドリエとてこれ以上反論をする訳にもいかなかった。

 

「──そんじゃイーディス。あとはお前さんに任せる。エルドリエ、一緒に来てくれるか」

 

 話が落ち着いた所で、用がある、とエルドリエを伴い去っていったベルクーリ。残されたアリスは、振り向こうと踵を返すより早く、背中に衝撃を感じた──同時に、やっぱりこうなったか、とも。

 

「アリスゥ~~~~!久しぶりぃ~~~元気だったぁ~~~!?」

 

 後ろから抱きついてきたイーディスは、アリスの頭を撫で回す。

 

「ちょ、イーディス殿、急に抱きつかないでください……!」

 

「い~じゃない~!だって半年よ半年!? 可愛い妹と離れて仕事に勤しむ半年がこんなに辛いとは思ってなかったのよぉ~!」

 

 街中でこそないとは言え、少し離れた場所にはまだ訓練中の兵達だっている。出来る事ならとっとと離れて欲しいのだが、イーディスはキリトとミツキをカセドラルから連れ出すのを提案し、協力してくれた恩人でもある。更に行き先を知っていながら約束通り黙っていてくれたことを考えると、あまり邪険にするのも躊躇われた。

 

 仕方ない、と観念して暫くイーディスにされるがままになっていると、やがて満足したのかイーディスは抱擁を解いた。

 

「ふぅ……改めて、久しぶりアリス。無事にまた会えて本当に嬉しいわ」

 

「は、はい……イーディス殿も、お変わり無いようで何よりです──その……」

 

 あれ以降、本来アリスの領分だった仕事まで引き受けてくれていたのだろうイーディスに感謝と謝罪をしようとしたアリスだったが、先んじてイーディスに止められる。

 

「そういうのはいーの。妹を助けるのはお姉ちゃんとして当然だもの──ミツキとキリトも久しぶり、あの時よりちょっと血色良くなったんじゃない?」

 

「……はい。ですが、依然として正気には……」

 

「大丈夫よ。さっき騎士長も言ってたでしょ、きっと戻ってくる、って」

 

 どうやら一部始終を聞いていたらしいイーディスは続ける──カセドラルでミツキを最上階へ連行中、彼は、アリスの話をもっと聞きたかったと言っていた。アリスをよろしく、とも。これから処刑されるというのにアリスのことを気にかけていたのだから、いつまでもこのままでいるはずがない──と。

 

「私の見立てでは、ミツキは相当アリスの事好きよ。私に匹敵するんじゃないかしら。──あ、勿論私の方が上だけどね」

 

「……ふふっ、どうでしょうね」

 

 彼女なりに場を和ませようとしてくれているのだろう。そこそこ長い付き合いにも関わらず、自分の姉を自称する理由は未だよく分からないが、半年ぶりに再会した彼女の陽気な性格が、今はとても心強く思えた。

 

 

 

 

 

 

 

 イーディスに案内された騎士用の天幕は、彼女が「もしかしたらアリスが戻ってくるかも」と考えて用意されたものだった。流石に設置されている簡易ベッドは2つだけだが、天幕の中は車椅子でも問題なく動けるだけの空間が確保されている。

 

 剣を抱えたキリトをベッドに座らせ、手伝いを終えたイーディスも「待たせている人がいる」と去っていった所で、アリスは思案する。

 

 ベルクーリ達の厚意で2人が追い返される事にならなかったのは重畳だが、それで終わりではない。エルドリエには「背負ってでも戦う」と半ば意地で啖呵を切ってみせたものの、現実問題それは厳しい。雨縁に任せようにも、飛竜を駆るのは敵の暗黒騎士も同様なのだ。空中戦になる可能性を考えれば、出来る限り身軽にしておきたい。

 

 やはり後衛部隊に預けておくのが最善だろうが、キリトとミツキを預けるに足る信頼の置ける者を今から探すのもホネだ。ただでさえ見ず知らずの初対面、キリトに至っては身体が不自由というだけでなく、意思疎通すらままならない状態にある。

 そんな彼を根気よく面倒見てくれる心の広い者が見つかればいいが、もし苛立ちに任せてキリトに強く当たるような事が起きれば……キリトの身の安全は勿論、彼を守ろうとミツキが何をするか分からない。未然に防いだルーリッド村での一幕が現実のものになってしまう恐れもある。

 

 せめて、ミツキが元に戻ってくれれば──そんなことを考えながら、傍らに立ち尽くす彼を見やる。

 

「(ミツキ……あなたの心は今、どこにあるの?)」

 

 あの浮遊城で、アリスとミツキは互いの心を繋ぎ合わせた。今にして思えば、記憶を奪われた状態でも、その繋がり自体は消えていなかったのに……今は、自分の胸の内に意識を集中させても、彼の心が見つからない。魂の糸は今も確かに繋がっているはずなのに、伸びた糸の先に濃霧が広がっているかのようだ。糸を引いても手応えがない。霧が晴れた先に、今この瞬間もちゃんと彼はいるのか──そんな不安すら覚える。

 

「(もう一度……もう一度、私の全てであなたを求めれば、あなたは応えてくれる……?)」

 

 SAO当時と比べて、アリスの中には多くのものが存在している。整合騎士団の仲間達、故郷にいる家族。肩を並べ戦った戦友のキリト。そして自分が守るべき、名も知らぬ人界の民達──それら全てを文字通り擲つ覚悟で……唯々ミツキ1人だけの無事と幸せを願い、ありったけの心意を注ぎ込めば、彼の心を見つけられるのだろうか……?

 如何にも短絡的で、極端な思考だと理解している。だがアリスの中には、このまま時が過ぎるに任せていては、いつか彼の心がどこか手の届かない場所へ行ってしまうのではないか──そんな漠然とした不安がしつこく付きまとっていた。

 

 篭手に包まれた手を彼の頬に沿わせる。温もりを求めるその手に、どこか空虚な温度だけが感じとれた。それだけじゃ足りなくて、それだけじゃ凍えてしまいそうで……アリスは少しだけ背伸びをして、ミツキに顔を近づけていく……触れ合うまであと数センという所で、チリン、と軽やかな鈴の音が聞こえた。来客を告げる呼び鈴だ。

 

 ハッと動きを止めたアリスは、僅かな名残惜しさを心の片隅に押しやりながら、入口の布を捲り上げる。もしやエルドリエがまた説得しに来たのだろうか──そう予想していたアリスだったが、天幕の前で待っていたのは、意外な人物だった。

 

「あ、あの……お夕食をお持ちしました。騎士様」

 

「こちら、お飲み物とパンです……」

 

「それと、こちらの毛布も持っていくようにと……」

 

 緊張の面持ちで、手に持った食事と毛布を差し出す3人の少女達──見た所、歳は14~5歳くらいだろうか。簡素なブレストプレートこそ着けているが、その下はどこかの学校の制服のようだった。

 

「……ご苦労様。ありがたく頂くわ」

 

 夕食の入った鍋を受け取る際、彼女達の手が微かに震えているのが伝わってきた。そんなに怯えなくても……と思った矢先、過去の記憶が小さく刺激される──以前にも、自分を見て怯える少女達から何かを受け取ったような……

 

「──あなた達もしかして、北セントリア修剣学院の……?」

 

 思い出したその名を口にした瞬間、少女達の顔が少しだけ明るくなり、すぐに引き締められる。

 

「は、はい──私は、人界守備軍補給部隊所属のティーゼ・シュトリーネン初等練士です」

 

「同じく、ロニエ・アラベル初等練士と──」

 

「──レイラ・カーヴァス初等練士です」

 

 礼儀正しく名乗り、ペコリを頭を下げてきた3人。その中の、レイラと名乗った長い濡れ羽色の髪の少女が、意を決した様子で口を開く。

 

「き、騎士様……その、お会いして早々にこのような事を申し上げるのは、大変ご無礼であると承知しておりますが……お、お伺いしたい事が──」

 

「そう畏まらないで。ここでは私も、ただの1人の剣士に過ぎないのだし──私の事は、気安くアリスって呼んで」

 

 彼女らを萎縮させないよう、努めて穏やかに返答する。そんなアリスを見て、ティーゼ達はぽかんと目を丸くしていた。

 

「……どうかした?」

 

「い、いえその……」

 

「騎士さ──アリス様のご印象が、以前学院でお目にかかった時とは違うものですから……」

 

「そう……かしら?──それで、聞きたい事っていうのは?」

 

「はい──実は私達、アリス様が騎士ではない若い男性を2人、伴っておいでだったと聞き及びまして」

 

「もしかしたら、その方々は私達の知っている人なのではないかと……」

 

「加えて、その……本当に、2()()()()()()()、お伺いしたく……」

 

 そこまで聞いて、アリスは納得がいった。キリト達は本来、修剣学院の生徒であり、彼女達はカセドラルへ連行されるまで、彼らと親しい関係だったのだ。

 

 罪人として連行されていった彼らと再び会うことが叶う。アリスとしても是非そうさせてあげたい所だった──こんな状況でなければ。

 過ぎった逡巡を振り払い、アリスは少女達を天幕へ招き入れた──きっと、彼女達はとても辛く、悲しい現実に直面する事になる。ともすればアリスを口汚く罵り、世界を呪う可能性すらあるだろう。だがアリスは信じた……彼らのすぐ傍で教えを受けた彼女達ならば、折れずにいられるはずだと。

 

 正直に言えば、ほんの少しだけ期待もあった。学院の後輩と再会することで、何か変化が──ほんの少しでも正気を取り戻すのではないか、と──だが現実とは残酷なもので、少女達の前に厳しい現実をありのまま突きつけた。

 

 キリトとミツキが今どのような状態にあるのかを聞いたロニエとレイラは、揃って涙と嗚咽を零しながら彼らに縋り付く。それだけでも充分過ぎる程に辛い光景だが、最も悲痛な雰囲気を漂わせていたのは、折れた《青薔薇の剣》を前に声もなく崩れ落ちるティーゼだった。

 

 ここにはいない──いて欲しかった3人目の少年を想い涙を流すティーゼ。その手が、遺された青薔薇の剣の柄に伸びる……指先が触れた瞬間、剣が淡い光を発したように、アリスには見えた。

 

「……聞こえた……先輩の声……っ──泣かないで、って……僕はずっと、ここにいるから、って──」

 

 ポタリ、ポタリと、溢れた涙が零れ落ちる。そんなティーゼに、ロニエとレイラが寄り添った──同じように、涙を浮かべながら。

 

 アリスには何も聞こえなかったが、折れた剣が光を発したのは見間違いではない……と思う。ティーゼの言葉を信じるなら、剣にユージオの意思が残っており、それがティーゼに語りかけてきた、という事だろうか。

 可能性としては、ありえない話とも言い切れない。ユージオはアドミニストレータとの戦いで自らの肉体を剣に変換する際、青薔薇の剣と一体化していた。記憶解放術を扱える程に剣と強い絆を結んでいたのであれば、融合が解ける際、魂の一部が剣に残留することもあるのかもしれない。

 

 そして、その声がティーゼにのみ聞こえたということには、必ず意味があるはずだ。

 理由がどうあれ、禁忌違反という大罪を犯しても断ち切られる事のなかった強い信頼。まだ学生の身でありながら、後方支援とはいえこうして戦場に馳せ参じる覚悟……並大抵のものではない。それだけの行動力を齎す感情があるとすれば、それはきっと──

 

「そう……あなた達、彼らのことを──」

 

「──違いますッ。……違うんです、そんな──そんな資格、私達には……ッ」

 

 ティーゼ達は、かつてキリトら3人が学院で犯した罪──その真実と経緯についてアリスに語った。本人達からすれば思い出す事も嫌だろう辛く恐ろしい記憶を、涙ながらに。

 そしてその中で、アリスはミツキが3人の学生の命を奪った事を知った──「もう誰も殺したくない」──悲痛な表情でそう零していた少年が、また誰かに向かって刃を振り下ろしたのだ。

 

 そして案の定、彼はその罪すらも背負うと言った、と──今ならハッキリ断言出来る、これは、アリス達公理教会の盲目と怠慢が招いた事だ。アドミニストレータが敷いた法を絶対のものだと盲信し、如何なる理由があろうと法を破れば罪人だ、と……法に触れていないのなら、何も問題はない、と。

 

 地上に蔓延る上級貴族達の腐敗ぶりは理解していたつもりだった。理解していながら、アリスを始め整合騎士の誰1人として、その現状に対し表立って異を唱える者はいなかったのだ。勿論、埋め込まれた《敬神モジュール》によってそれが出来なかったという側面もある。何か異議を申し立てたとて、どうせチュデルキンが握り潰したであろうことも想像がつく。それでも……人界の秩序と民を守る事が責務だなどと声高に嘯いておきながら、その守るべき民達が苦しむ様から意図的に目を逸してきたという事実が──それによって齎された悲劇の被害者達の姿が、アリスの胸に深々と突き刺さった。

 

「──私達がもっと賢ければ、私達がもっと強ければ、先輩達は罪を犯すことなんて無かった……法を正す為に教会と戦わずに済んだ……こんなふうに、なる事もッ……」

 

 嗚咽に飲まれたロニエの言葉を、ティーゼが引き継ぐ。

 

「だから……っ……口が裂けても、先輩達のことが好きだなんて言えない──言っちゃいけないんですっ……!」

 

 少女達の懺悔を聞き届けたアリスは、膝をついて彼女らに目線を合わせた。

 

「違うわ──あなた達に罪なんて無い」

 

 この言葉に真っ先に言い返してきたのはレイラだった。

 

「アリス様にはっ……誉れある整合騎士である貴女には解りません!私は──ッ、私の身体は、醜い欲に穢されてしまった……その上、敬愛する御方に必要の無い罪まで背負わせた──本当なら、私はこんなふうに先輩に会うことすら許されない、汚れた人間なんです。そう思う以外に……償う方法が分からないんです……ッ」

 

「体がどれだけ穢されようと関係ないわ。だって──肉体は、心の容れ物に過ぎないのだから」

 

 アリスは深呼吸し、意識を集中させる。

 ルーリッドが襲撃を受けた折、アリスは失われたままだった右眼を取り戻した。それは何かの術式によるものではない──「戦う理由」という、あの時のアリスに欠けていたものが埋め合わさると同時に、右眼も復活したのだ。恐らくこれは心意の力によるものだろうとアリスは考えている。強い意志の力は、肉体そのものに変化を与えることも出来るのだ。

 

「心だけは、何があろうと絶対に穢されたりしない……そして、心の在り方を決められるのはたった1人、自分自身だけなのよ──」

 

 肉体を変化させられるなら、それ以外のものも変化させられる道理。身に纏う衣服や鎧、武器、そういったものも全て引っ括めて、己の一部とする事で。

 アリスが脳裏に思い描いたのは、かつての自分──禁忌目録を犯し、罪人として連行されるより以前の村娘だ。

 

 アリス・ツーベルクは、整合騎士アリス・シンセシス・サーティとは別人なのだとどこかで考えていた。人を形作るのは過去であり、それを封じられた以上、新たに芽生えるのは別の誰かなのだと。

 

 だが……セルカが教えてくれた。記憶が無くても、アリスはアリスなのだと。ミツキが言ってくれた、アリスは自分と同じ人間なのだと。

 

 なら、きっと出来るはずだ。有り得たかもしれない、自分の未来を形にすることが──

 

 ふと、暖かな光がアリスの身体を包み込む──レイラ達が眩しさに目を細めたのも束の間、収まった光の中には、装いの変わったアリスの姿があった。

 整合騎士であることを示す黄金の鎧は消え、群青色の騎士服に代わって彼女の身を包むのは、晴天の空を思わせる澄んだ青のエプロンドレスだった。

 

「──ほらね。身体も、外見も、心の従属物に過ぎないのよ。……辺境の村で生まれた私は、本当ならこんなふうに育つはずだった。でも11歳の時に罪人としてカセドラルに連行されて、術式で記憶を消されて整合騎士になったの」

 

 キリトから真実を聞かされた時は、そんな残酷な運命を呪った。今の自分を必要とする者などどこにもいない、いたとしても、先に待つのは人形として使い潰されるだけの未来だ、と。

 

「でも……そんな私のことを、愛してくれる人がいた。出来る事が、すべき事があるんだって、教えてくれた人がいた。だから、私はもう迷わない。……ううん、少し違うわね──迷うことがあっても、足だけは絶対に止めない。私が私であることを受け入れて、前に進み続けるわ」

 

 そう言いながらミツキを一瞥したアリスは、レイラの手を優しく握る。

 

「あなた達にだっていたはずよ。例えあなた達の身体がどんなに穢されようと、あなた達の心を見て、変わらずに接してくれる人が──こうして手を取って、抱きしめてくれる人が」

 

 レイラの脳裏に、あの時の記憶が蘇る──「そんな事ない。君は綺麗だ。今までも、これからも」──辛い記憶の中にあって尚、この言葉だけは……自分を抱きしめてくれたミツキの暖かさだけは、優しい光を放っていた。

 

「っ……は、い……はいっ……!」

 

「罪の有無は重要じゃない。大事なのは、どうやって向き合うか……どんな未来(みち)を生きていくかよ──あなた達にもきっとあるわ。今のあなた達だから歩める、広くて、長くて、まっすぐな道が」

 

 啜り泣く3人の少女達を、アリスは優しく抱きしめるのだった。

 




当然来ている「彼女」も出したかった所ですが、ここは一旦後輩達のみということで。
おそらく次回、開戦になりますかねぇ…?さぁ大変だぞぉ…
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