果ての山脈を貫く峡谷で激しい戦闘が繰り広げられる中、アリスはその上空で飛竜に跨り、ジッと黙して戦況を見守っていた。
地上から高く離れたこの場所にいても、戦いの喧騒がハッキリと聴こえてくる──敵味方を問わず、命を奪われる兵達の断末魔。傷ついた仲間を助け起こす者の声。劣勢、或いは攻勢の中で自らを奮い立たせる鼓舞の声──その中にアリスも並び、共に戦いたい。それが正直な心境だ。
しかしそういう訳にはいかない。アリスには任された役割がある、ベルクーリに次ぐ古株の副団長ファナティオをして「アリスにしか出来ない」と言わしめた、重大な役目が。
その「役目」そのものと言っていい、手元にある銀色の球体をアリスはそっと撫でる。内に納められた暖かな光に、思いを馳せながら。
ダークテリトリー軍本陣では、1人の女が苛立ちを滲ませながら側近の戦況報告に耳を傾けていた。
惜しげもなく晒した褐色の肌と銀灰色の髪、そして青いメイクが特徴的な彼女の名はディー・アイ・エル。《五族平等》を掲げダークテリトリーを統治する《十候会議》が1席──暗黒術師ギルドの総長だ。
「──第1陣を率いていたシボリ殿、シグロシグ殿、コソギ殿、いずれも討ち死にとのことです」
「ちっ……元より大した期待はしていなかったが、こうも早く死ぬとは。長とは名ばかり、所詮間に合わせだな……整合騎士共の位置は掴めたか?」
「最前線の3人は捕捉済み。両翼後方にも2名の存在が確認できていますが、位置特定には今暫く」
「合わせてもたったの5人……或いは、そもそも数が少ないのか……?何にせよ、最低限その5人は確実に仕留めなければ」
遥か昔から、ディー達暗黒界軍が最も手を焼かされた整合騎士。その全容は未だに知れず、分かっているのは1人1人が凄まじい戦闘力を持っており、また人界を率いる最高司祭アドミニストレータの手によって永遠とも言える天命を有するという事だけ。
そんな連中をどうにかしろ。というのが、現在暗黒界軍を率いる暗黒皇帝ベクタの命令だ──半分は、ディー自ら進言したことでもあるのだが──名代として指揮権を移譲されたはいいが、話に聞くだけでも厄介な整合騎士に真っ向から勝負を挑むなど冗談ではない。そんな真似は頭にまで筋肉を詰め込んだ拳闘士か、下らない義を掲げる暗黒騎士だけで十分。ディーが考えたのは、自らが持つ力を最大限活かし、胸に秘めた野望を成就させる為の戦略だった。
「接近戦に秀でた相手は、攻撃範囲外から囲んでチクチクやるに限る」──どの時代、どの世界に於いても例外なく存在する、合理的な戦い方。わざわざ相手の土俵に立ってやる必要など無い。これは戦争、生きるか死ぬかの戦いだ。例え誰かが卑怯卑劣と罵ろうが、死んでしまえばそれで終わり。まずは生きなければ、未来を語ることすら出来ないのだから。
皇帝ベクタは《光の巫女》なる存在を欲している。それさえ手に入れば再び眠りにつくと言った。強者こそが絶対である暗黒界に於いて、あの暗黒皇帝こそが間違いなく最強の存在であろう事は、先の一件──謀反の暗黒将軍シャスターの恐るべき技を、当人諸共涼しい顔で消し去ってみせた──で理解している。だから、ディーを始め暗黒界十候の面々も皇帝に平服している、そうせざるを得ない。
そんな存在が、未来永劫絶対の服従を誓わせるでもなく、全てを鏖殺するでもなく、目的を果たしさえすれば退くと言っているのだ。こと生きる執念にかけては暗黒界随一と言えるだろうディーとしては、これを利用しない手はなかった。
この戦で手柄を立て、皇帝に気に入られれば、然る後に皇帝が退いた玉座を受け継ぐことが出来る。そうして暗黒界の頂点に君臨した暁には、人界を含むアンダーワールド全土を支配するのだ。もっと言えば、何百年にも渡って生き続けた支配者アドミニストレータの秘密を暴き、自らもまた永遠の存在となる。そうすることでようやく、ディーは解放されるのだ──この胸の奥底に燻る死への恐怖から。
「……よし、ミニオンを出せ!
「その距離では、最前線の亜人部隊も巻き込む事になりますが」
「構わん」
「は。数は如何なさいますか?」
側近の言葉に少し考えたディーは、暗黒術師ギルドがこの戦場に持ち込んだ全てのミニオン──実に800体を一気に投入する決定を下した。
ダークテリトリー陣から、闇夜に紛れる異形の怪物が羽ばたき始めた頃──人界陣営の中央後方で、1人の剣士がそれを感じ取った。
「……来たか」
部隊の中央で仁王立ちしている男──ベルクーリは、徐に腰の剣を抜き放つと、最上段に構えた。
まだ……まだ早い。あと少し、あと少しで──全部収まる。
「(──今ッ!)」
機を掴んだベルクーリは、短くも力強い気合と共に、掲げた剣を一直線に振り下ろした!
「時穿剣──《
空気すら斬り裂かんばかりの一太刀。しかし彼の前には誰もいない。聞いてそのまま、空気を斬っただけのように、後ろに控える剣士達には見えていた。
だが当のベルクーリは、己が太刀に確かな手応えを感じている──遥か前方に広がる戦場、その上空でずっと保持し続けていた300にも上る不可視の斬撃が乱れ裂き──この時、僅かばかりに人界側へ戦線を押し進めていたダークテリトリー亜人部隊に、病を呼ぶとされるミニオンの黒い血液が雨のように降り注いだ。
単調な命令しか解さないミニオンといえど、800体も並べば相当な脅威になる。それは人界、暗黒界両陣営の共通認識。だからこそ暗黒界軍は800体一気に投入する判断を下し──人界陣営もまた、人界最強の剣士という最高戦力を以て、これを迎撃したのだ。
たった1人の剣士によって、という情報は削ぎ落とされているものの──投入したミニオンが、ただの1人の血肉すら喰らわないまま1匹残らず殲滅された、という報は、すぐさまディーの耳に届いた。同時に、ディーは我が耳を疑った。
「何故だ……!? 敵に大規模な術師部隊がいるとは聞いていないぞッ!」
「わ、分かりません……現在、大至急状況を確認させています」
持っていたワイングラスを割り砕かんばかりに握り締めるディーだったが、一度深く深呼吸して己を落ち着ける。
「……神聖術以外でミニオンを迎撃できる方法となると……まずは敵の飛竜か」
「しかし、開戦以降あちらの飛竜は1匹も確認していません。これは確かな情報です」
「ならばアレか……整合騎士共の切り札、噂に聞く《武装完全支配術》とやら……」
整合騎士同様、その秘術たる武装完全支配術に関しても情報は無いに等しい。しかしいくら超常の力を有する神器といえど、無闇に力を使えば天命を大きく消耗するはず……即ち、同じことをもう一度行うことは不可能、若しくは相応に時間がかかるのではないか。
その推測に行き当たると同時に、側近から、後方に控えていた2人の整合騎士──前線と合わせて計5人の騎士の照準が完了した報せを受ける。
今が好機と睨んだディーは、ここまで温存していたオーガ族の弩弓兵団、並びに直属の配下である暗黒術師団を投入。後方射撃で一気にケリをつけようと画策する。
「(大丈夫、私は冷静だ……ミニオンなど所詮は土人形、前座に過ぎん。こちらこそが本命──我が手足たる暗黒術師団が敵を殲滅し、安寧と栄光への第1歩とするのだ……!)」
ディーの命令を受け、オーガ兵団と暗黒術師が前進を始める。陣頭指揮を執る術師の1人が、各方面へ指示を飛ばした。
「術師隊、《広域焼却弾》術式、詠唱準備!照準係、敵整合騎士座標への誘導術式、詠唱開始!──並びにオーガ隊、弩弓発射用意!」
暗黒界に於ける術師の頂点たるディーがこの戦の為に考案した術式──戦死した兵が発生させる膨大な神聖力を全て《熱素》に変換し、オーガの矢に乗せて放つ──それが《広域焼却弾》だ。
《バードシェイプ》や《アローシェイプ》など、形状変化の式句を省くことでとことん威力のみを追求し、更にそれを照準係が風素術で誘導することで、敵戦力の中核たる整合騎士を焼き払う。
基本的に種族、勢力間でいがみ合う暗黒界軍が、皇帝ベクタという絶対の存在によって纏まった今だからこそ実現した、正しく切り札というべき秘策だった。
遥か前方から、炎に焼かれて藻掻き狂う人界人達の悲鳴が聞こえてくるのを想像しながら、ディーは優雅にワイングラスを傾けるのだった。
──出陣させた術師隊が、困惑の渦に陥っていることを知らされるのはほんの数秒後。
──続けて、戦局を覆す圧倒的な「力」を目の当たりにするのは、さらに数秒後の話である。
人界守備軍上空──飛竜の背で、銀球を手にジッと戦場を見下ろしていたアリスは、与えられた役目の準備を続けながらも、物思いに耽けていた。
「(何故……どうして、人界人だけでなく、亜人達の亡骸から生まれる神聖力も、同様に暖かく、清らかなの……?)」
ダークテリトリーには、醜悪、残忍、冷徹そのものである怪物達が住んでいる──アリス達整合騎士を始め、人界に生きる全ての人間はそう教えられてきた。勿論、ベルクーリやイーディスのような古株の騎士は「向こうにも話の分かる者や敬意を払うべき戦士はいる」と知っている。だがそれもほんの数える程度。《力の掟》などというしきたりに嬉々として従っている以上、大部分が会話の通じない野蛮な化物なのだという先入観はアリスも持っていたし、こうして実際に戦っている様子を見た者は、その認識を一層強くしたことだろう。
故にこそ、アリスは不思議でならなかった。
危険を顧みずこの場に集った人界守備軍の衛士達であれば、その高潔な魂が還って生まれる神聖力も同じく清いものであることは間違いない。
逆に、ひたすら殺戮と暴力に明け暮れるような者の魂など、例え人界人だろうときっと醜悪なものに違いないはずなのに……戦場に漂う命の光……その全てが、1つの例外もなく美しいとは。
もし、仮にだ……人界人も、闇の国の怪物も、持って生まれる《魂の本質》は同じであり、単に生まれた場所が、果ての山脈のあちらかこちらかという違いしかないのだとしたら?
育まれた心に慈愛が生まれるかどうか──その慈愛を他の誰かにも向けられるかどうかは、過ごした環境の違いでしかないのだとしたら?
そうであるなら、今この戦場で起きている戦いは……一体、何なのだろう?
同じ暖かな魂を持っている筈の存在が、いがみ合い、憎しみ合う。その気になれば手を取り合い、無用な血を流すことも、悲しい別れも起こさずに済むはずなのに……何故、何の為に、わざわざ、命を奪い合わなければならないのだろう?
「(ミツキ、キリト……あなた達なら、別の道を見つけられたのかしら──いいえ、きっとそうするはずよね。だって
今ならばよく分かる──相互理解の及ばないことが決定的な相手であるならまだしも、端から理解することを放棄する行為の愚かしさが。
そして自分達は、正しく今、その愚かな行為に手を染めているのだという事実を、アリスは自らの胸にしかと刻んだ──この上更なる愚行を重ねんとしていることも。
ふと、
アリスが顔を上げれば、敵軍が本命と思しきオーガ部隊及び暗黒術師を投入したのが確認できる──いよいよ、「その時」が来たのだ。
アリスに与えられた役目は、この峡谷に発生する神聖力を枯渇させることだ。その神聖力とは、予てよりこの地に蓄えられていたものに限らず、戦いの中で喪われた命が変じたものも含まれる。
しかし開戦前の軍議で他ならぬアリス自身が提言したように、術師の数で圧倒的に劣るこちらが敵を上回るスピードで神聖力を消費することは出来ない──例外はあるものの、一般には、術師1人が一度に消費可能な神聖力……即ち生成し保持できる素因の数は、基本的に両手の指の数までが限界とされているのだ──たった1人で、数百にも上る敵の術師以上の素因を保持しておく方法を、アリスは己が記憶から導き出した。
かの浮遊城での戦いに於いて、高出力の光線を放って攻撃してくるモンスター相手に、当時の彼女達は、鏡を使って反射することで対抗したのだ。
そしてミツキは教えてくれた──鏡とは、ガラスに銀を纏わせたものなのだと。
思いつくやいなや、アリスは生成した《晶素》を《ホロウスフィア・シェイプ》の式句で中空のガラス球に変化させ、それを《鋼素》でコーティングした。それが、今手元にある銀球の正体──アリスは開戦以降、球の
通常、生成した素因は集中を切らすと同時に霧散していく。《熱素》なら熱気として、《凍素》ならば冷気として、《風素》はそよ風、そして──《光素》は、光の瞬きとなって。
銀球の内部は、謂わば《閉じた鏡》となっている。内部に生み出された《光素》は、アリスの制御から離れた瞬間光となって弾けるが、その光はどこにも逃げられない。ガラスを包む銀の膜が鏡となって、光を反射し続けているのだ。
今、銀球の内部では神聖術師300人分の素因保持量を優に超える大量の《光》が駆け巡っている。その源には、闇の国の住人の命も含まれている。アリス達が知らないだけで、或いは人界人と同じように同胞を、友を、家族を慈しんでいたのかもしれないその命達を使って、これからアリスは更なる殺戮を行うのだ。
「(ミツキ──あなたが元に戻ったら、私がした事をちゃんと全部話すわ。あなたが私を非難して、嫌いになったとしても……それはきっと、私の背負うべき罰だから)」
そうだ。これはアリスの負うべき罪であり、罰──如何な大義名分があろうと、この行いが罪でなくなる事は決してない。その先にどんな未来が待っていたとしても、これは紛う事なき罪でなければならない。
たった1人──愛した少年を守る為に。その少年が愛したものを守る為に。
例え少年からの愛が失われようと、後悔はしない。
己の愚かさを貫き通す。胸の奥で確かな熱を放つ、愛を信じて。
アリスは抜刀した得物を掲げると、そこに内包された力を解き放った。
「咲け──花たちッ!」
主の呼び声に応じ、《金木犀の剣》は黄金の刀身を煌びやかな花弁へ変える。普段なら美しくも苛烈に敵を切り裂く花びら達は、今回に於いてその棘を収め、丸く、柔らかく、銀球を包み込んだ。
極小の輝きが集まり、空に咲かせた巨大な金木犀。四方に開いた花の中心には、捧げ持つように銀球が鎮座している。
アリスは無数の花弁の中から1つだけを刃とし、銀球の表面、ある一点のみを浅く傷つける……これで、全ての準備が整った。あと必要なのはたった一言。アリスは深呼吸と共に戦火の匂いを感じながら、その一言を口にした──
「──バースト・エレメント」
銀球内部を駆け巡っていた大量の素因が一斉に炸裂、先程傷をつけて脆くなった箇所を内側から破り、外へと放出される──刹那、峡谷を駆け抜けたのは、凄まじいまでの光と熱だった。
《反射凝集光線》とでも呼べばいいだろうか──まるでソルスの威光そのものであるかの如き強烈な力の奔流がなぞった場所は、固く冷たい地面さえも融解させ、グツグツと煮え滾る溶岩へ変えてみせる。当然、その軌道上にいた生命は例外なく光に灼かれ、爆発の衝撃で吹き飛び、或いは痛みすら感じずに蒸発していった。
数秒と要さず峡谷を火の海に飲み込んだアリスの術式によって、ダークテリトリー軍の亜人部隊第1陣は勿論、その後方に展開していたオーガ兵団、暗黒術師団までもが全滅に等しい状態に陥るという極めて甚大な被害を受けたのだった。
自身が齎した破壊と殺戮を絶対に忘れまいと、アリスは眼下に広がる光景を目に焼き付けた。
長時間に渡る術式の行使で心身共に消耗したアリスを、愛竜
「……ご苦労様。見事な術だったわ」
ファナティオは、今のアリスが以前程責務に忠実な性分でなくなった事に気づいている。戻ってきたアリスを労う声音には、数多の命を奪った事で双肩にのし掛かった重責への気遣いが見て取れた。
正直、アリスとしては少し1人になりたい──否、すぐにでもミツキの所へ戻って無事を確認し、彼に触れていたい。だが今この瞬間に於いて、アリスは英雄とも呼べる存在だ。下手に弱さを見せてしまえば、周囲で沸き立つ衛士達の士気にも影響してしまう。
「ファナティオ殿……そちらは、どうでしたか?」
「そうね……危ない所もあったけれど、何とか耐えられたわ。勿論、犠牲は少なくない──多くの衛士と、ダキラが死んだ──でも、これ以上の犠牲を出さずに済んだのは間違いなくあなたのお陰よ。だから……お礼を言わせて頂戴」
「……まだ戦いは終わっていません。今の攻撃で、また多くの死者が出ました。そこから生まれる神聖力をあちらに利用されないよう、治癒術で消費しておかなければ」
少なくとも表面上は気丈に取り繕ったアリスの提言を受けたファナティオは、すぐさま各方へ指示を飛ばす。その後、彼女はベルクーリへ報告に向かうとしてこの場を離れていった。
後退していく守備軍の衛士の1人を呼び止め、自陣の被害を確認する。
ファナティオが言っていた通り、《四旋剣》から1人死者が出てしまったものの、他の整合騎士は上位、下位共に全員存命。特に左翼前衛を受け持ったエルドリエは敵の奇策を受けながらも獅子奮迅の戦いを見せ、同じく目覚しい活躍でゴブリンの長を討ち取った後衛のレンリが駆けつけるまでの時間、単身で敵の侵攻を抑えてみせたのだという。
「──師よ。ご無事で何よりです」
聴き馴染んだ声に振り向いてみれば、そこには白銀の鎧を血に濡らした若き騎士が立ち尽くしていた。噂をすればなんとやら、エルドリエだ。
「エルドリエ……!その血は──怪我は無いのですか!?」
「はい……精々かすり傷程度です。治療は済ませました。しかし……」
返り血に塗れたエルドリエは、陰らせた表情を俯ける。
「……しかし、決して少なくない数の部下が命を落としました。たった1人の死者も出さず、等と驕っていた訳ではありませんが、私が敵の策に即座に対処出来てさえいれば、少なくとも犠牲を減らす事は出来たはずです。だというのに──私は、アリス様の命令を、守れませんでした」
開戦前、アリスがエルドリエに言いつけた命令は大きく2つ──自身が生き延びることと、仲間を守ること──彼はその後者を完遂出来なかったとして、自分を責めていた。
アリスの記憶では、エルドリエは確かに志と向上心に満ちた騎士ではあるが、そこまで徹底した完璧主義ではなかったはずだ。今しがた「犠牲をゼロに出来るとまでは思っていない」と言っていた通り、多少なりとも死者が出てしまうことは避けられないと彼も理解はしているのだろう。
しかし──彼は戻ってきたアリスの姿を見つける前、多くの衛士達の亡骸を目にしたのだ。その傍らで嘆き、悲しむ者達の声を聞いたのだ。
整合騎士の役目は闇の国の怪物を討つ事ではない。あくまでも人界に生きる民達を守る事だ。ここに集った者達も、民である事に違いはないのに……己の力不足から、彼らを死なせてしまった。初めての「戦い」に恐怖もあっただろうに、それでも共に世界の為に……整合騎士の背中を信じ、希望を見出してくれた者達を守れずして、何が騎士か。
そんな自分に……正しく神の如き力で皆を救ったアリスの弟子を名乗る資格などあるのだろうか……?
「……それを言うなら、私だって何も出来ませんでした。其方を始め、多くの仲間達が血を流しながら戦っている様を、ただ見ている事しか……其方は出来る限りの事をしたのです。ですから、そう自らを卑下するのは止しなさい。──何より、其方が師と仰ぐ私は、こうしてお互い無事に再会出来た事を喜んでいるのですから」
「……お気遣い、痛み入ります。このエルドリエ、二度とあのような失態は──」
「ッ──何者……!?」
不意に、何かを感じ取ったアリスは身構える。しかしその瞳が睨む場所には誰の姿も見られない。
「アリス様……?」
アリスはジッと数秒間待ってから警戒を解いた。無意識の内に少々神経質になり過ぎているのかもしれない……そう思った矢先、不規則なリズムで地面を踏み締める音が聞こえてきた。これにはエルドリエも反応し、2人揃って音のする方へ目を向ける。
先程まで戦いが繰り広げられていた前線……薄らと立ち込める硝煙の中から姿を現した音の主は、大柄な人影だった。しかし見事な逆三角形を描く強靭でしなやかな肉体と、腕や足を覆う毛皮、何より頭部がオオカミを思わせるソレであることから、アリス達はこの者が先の攻撃を生き延びたダークテリトリーの兵──それも暗黒術師と並ぶ懸念要素であったオーガ族だと看破する。
「……其方、その傷ではもう天命は殆ど残っていないはずです。何故武器も持たず、また生き残った同胞達と共に撤退せずに敵陣へ来たのですか」
あの光線の直撃を受けたのだろう。生き延びた、とは言っても、このオーガの左半身は黒く炭化しており、1歩進む度に末端部からボロボロと崩れ落ちている。立って歩いているだけでも敵ながら大したものだ、即ち、何かそうするに足る目的があるはず……
「オレ……オーガの長、《フルグル》……」
自らを暗黒界十候の1人と名乗ったフルグルというオーガは、閉じかけの双眸でアリス1人を凝視する。
「オレ……見た。あの、光の術……放ったの、オマエ。あの力、その姿、オマエ──オマエが、《光の巫女》……!」
聞き慣れない単語に、アリスもエルドリエも眉をひそめる。
「オマエ、連れていく──そうすれば、戦争おわる……オーガ、草原帰れる……!」
戦争が終わる──その言葉が気にかかったアリスは、斬り掛ろうとするエルドリエを制止し、フルグルの前に進み出た。
「……いかにも、私こそが《光の巫女》。さぁ、私をどこへ連れて行こうというのです── 一体何者が、この身を求めているというのですか?」
アリスの問いかけに、フルグルは息も絶え絶えながら答える。
「……皇帝、《ベクタ》……」
フルグルは続ける──皇帝が欲しているのは《光の巫女》のみ。巫女を生きたまま皇帝に差し出した者は、報酬として何でも願いを叶えてもらえる。オーガ族の望みは広く豊かな草原へ帰り、のどかで平穏な暮らしを送ることなのだ──と。
「……私を、恨まないのですか。つい先刻、其方が守ってきた民を鏖殺したのは他ならぬこの私です。一族の悲願の為であれば、その恨みや怒りすらも飲み込めると?」
この質問は、情報を引き出す為ではなく、アリスの本心からくるものだった。今にも閉じてしまいそうな双眸をジッと見つめて問いかけるアリスに何を感じたか、フルグルもまた彼女の目を真っ直ぐ見返して答える。
「強い者……強さとおなじだけ……いろんなもの、背負う。……オレも、長の役目、背負ってる。だからッ──オマエ捕まえて、ツレテイク──ッ!!」
死にかけだった瞳に刹那の眼光が瞬き、オーガの長は鋭い爪と牙を剥き出してアリスに飛びかかる──その腹目掛け、アリスは抜刀した金木犀の剣を横薙ぎに一閃した。
身体を2つに両断され、風前の灯だったフルグルの天命は全損。鮮血と共に崩れ落ちた亡骸は、やはり、暖かな神聖力の光となって天に昇り始める。
その神聖力を集め、いくつかの風素を生成したアリスは、
「……せめて、その魂を草原に飛ばしなさい」
そう言って、フルグルだった命の光を東の空へと送り出した。
「(皇帝ベクタと、《光の巫女》……)」
得られた情報は決して多くはない。しかしこれら2つの存在が、この戦に於いて極めて重要なものであるということを、アリスは確信している。
この事を直ちにベルクーリへ報告すべく、アリスはエルドリエと共に本陣へ足を向けるのだった。
──その様子を、高練度の隠形を用いて盗み見ていた者がいると知らずに。
次回は短めの幕間になる予定(仮)です。ゆうて来週すぐ更新できるかは怪しいもんですが…