「ここまでは書ききらねば」と言う事でくっそ長くなりましたが、どうぞ!
「ッ………!」
アンダーワールドの地に降り立ったアスナが最初に感じたのは、頭の中を内側から針で貫かれたような痛みだった。
この世界に向かうに当たりアスナがラースから与えられた、限定的ながら管理者権限を行使可能なスーパーアカウント。冠するナンバーは《01》──名を《創世神ステイシア》。
有する管理者権限は《無制限地形操作》──女神の歌声を響かせることで、地面や建造物といったものの形状や起伏を自由に操作することが出来る。
その際、アスナが使用しているSTLと、このアンダーワールドそのものと言っていいメインビジュアライザーとの間で膨大な量のニーモニック・ビジュアルデータが行き来する都合、アスナのフラクトライトに軽視できない負荷が掛かるのだ。
頭痛、そして軽度な聴覚への異常という形で襲いかかったその代償を実際に感じてみて、アスナは「地形操作は無闇に使わないように、頭痛を感じたらすぐ操作を止めること」という比嘉の警告を今一度胸に刻んだ。
比嘉の計らいでキリトがいるという座標へログインしたアスナの視界にまず飛び込んできたのは、およそ1000人程の集団と、それに接近する大規模な軍勢──遠目にも分かる黒い甲冑に身を包んでいるのを見るに、恐らく後者がダークテリトリー軍、前者が人界軍だろう。規模からして、アレを真っ向から迎え撃つには人界側は過小戦力と言わざるを得ない。
大雑把ながらも状況を把握したアスナはすぐさま地形操作で大規模な地割れを発生させ、北から接近する軍勢を分断。既に人界軍に肉薄していた30人程の敵は直接手を下すしかなく、同じく作り出した小規模な断層に落とすことで排除した。
彼らはプログラム制御のNPCではなく、本質的に自分達と同じ命を有する人間だ。改めて、それを自らの意思で殺めたのだという事実を沈痛な面持ちで受け止めた。
ゆっくりとした降下を経てアンダーワールドの土を踏んだアスナ。
緩慢に収まっていく頭痛を振り払いながら、目の前の断層を閉じておくべきだろうかと考えていると……
「──あなたは……神様、ですか……?」
収まりかけの耳鳴りの中、辛うじて聞き取れたそんな声に振り返れば、多数の人界軍の人間の視線がアスナを迎えた。今しがたの声は、中央にいる焦げ茶色の髪の少女だろうか。……見た感じ、歳はアスナより1つか2つ下。腰に帯剣してこそいるものの、佇まいからして戦闘慣れしているようには見えない……ダイブ前の「キリトとミツキが行動を起こした結果、今の人界側の戦力は十全と言えない状態かもしれない」という比嘉の推測が当たっていた、ということか。本来武器を持たなくてよいはずの人々までもが戦場に駆り出されているのかもしれない。
無意識の内に、すっかり癖となった状況把握を始めていたアスナだったが、ここは一旦思考を止めて少女の問いに答えようと口を開く──そんな時だ、ようやく鮮明に聞こえ始めたアスナの耳が、切迫した声を捉えた。
「せ──輩!──先輩、しっかりしてくださいッ!」
張り詰められた澄んだ声音が、少女達の後ろから聞こえてくる。傍らにいた赤毛の少女共々、焦げ茶色の少女が背後を振り向き、アスナもまた、ただならぬ事態であると察して視線を向かわせ──
「っ──!?」
──悲鳴と共に、息を飲んだ。
少女達の後ろで、長い黒髪の少女に助け起こされている少年の姿に見覚えがあったから。
至る所に血を滲ませた灰色の服、腕を伝う血が袖口から滴り、地面に小さな赤黒い点を打つ。
「ミツ、キ……君……っ」
震える声でどうにか絞り出した名前を聞いた黒髪の少女が顔を上げるのも他所に、アスナはミツキの元へ駆け寄った。
「ミツキ君ッ──!酷い……こんな……っ!」
幸い息はあるようだが、ぐったりとして意識は虚ろ。呼びかけても返答が無い。とにかく傷の治療をしなければ、と思い至ったはいいものの、この世界で傷を癒す術をアスナは知らない。
「だ、誰か……怪我の治療が出来る人は──!?」
「っ──修道士隊の方々を呼んできますッ!」
他の衛士達も暗黒騎士との戦いで大なり小なり負傷している。その中で唯一五体満足、かすり傷程度で済んだ少女達は、ミツキを一時アスナに任せ──ろくに名乗りもしていなかったが、一先ずアスナが敵ではないと判断してくれたようだ──奇襲作戦に備え、北の林に集められている筈の修道士隊の元へ救護を呼びに走っていった。
「ミツキ君、すぐに助けが来るからね……っ──遅くなって、ごめんね……ッ」
VRMMOと違い、アンダーワールドではペインアブソーバが機能していない。傷を負えば現実同様痛みを感じる。転んで膝を擦りむく程度ならかわいいもの、かつてアスナ達が何度も経験してきたように、剣や槍で体を斬り裂かれ、貫かれてしまえば、今まで味わった事のない激痛が襲いかかるのは想像に難くない。
その上でミツキのこの惨状だ。ヌルりとした赤黒いシミと、鼻腔を擽る生臭い鉄の匂いもさる事ながら、裂かれた服の隙間から覗く生傷はとてもじゃないが間近で見ていられなかった。
痛かっただろう……苦しかっただろう……アスナの知るいつものミツキではなくなってしまっているのだとしても、それはきっと変わらない。所々、今回の戦闘で出来たと思しき傷とは別の治療の痕が見られる辺り、もしかしたらこれ以前にもミツキはボロボロになりながら戦っていたのかもしれない。
それ程までに彼が体を張って戦い続ける理由……思いついたものは、決して多くはなかった。
「(人界の──ううん、アンダーワールドの人達を守る為……アリスを、守る為に……)」
この世界の──延いては現実世界の行く末をも左右する《アリス》という人工フラクトライトの少女。予測していた通り、何の因果か彼が愛し、アスナもまた友愛の情を向けていた少女と同じ名前の少女を守り抜かんと、ミツキは戦っていたのだろう。
同時に……現在心身喪失状態にあるとされるキリトを──アスナが愛する人を守る為に。
大事な友達が傷つき、瀕死の状態にあるというのに、何も出来ない。スーパーアカウントという最強の力を与えられたにも関わらず湧き上がる無力感。ならばせめてと、アスナはミツキの手を取り、優しく握り締めた。
大丈夫、きっと助かるから……そんな思いが届くようにと目を閉じたアスナは──突如、背筋に走ったゾクリとしたものに、閉じかけた目を見開いた。
アスナは振り向きざま、殆ど条件反射的に腰の
痛みを感じるとはいえ、アスナやキリト、ミツキはアンダーワールドで死亡しても現実世界で目覚めるだけだ。しかし現在アスナが使用しているスーパーアカウントは、内部でHPを全損してしまうと、アカウントは完全消滅。再びリアルで一から作り直さなければならなくなる。別のアカウントであれば即座に再ログイン可能だが、FLAで内部時間が加速している以上、戻るまでに状況がどうなっているかわからない上、次もこうして首尾よく合流出来るとも限らない。
故に、アスナはここでむざむざやられるわけにはいかないのだ。
続けて数回の剣戟を交わし、鍔迫り合いに持ち込む。体感だが、この相手は剣の腕前でアスナを上回っており、対するアスナはGMアカウントらしく武器の優先度で上回っている。この一長一短が、両者の戦いを伯仲させていた。
ギリリ…と己が剣を支えながら、咄嗟の攻防の集中状態から脱したアスナはようやく相手の姿を見やる。振るう刃は山吹を思わせる黄金の長剣。それを握る手も、上に伸びる肩も、装備越しでも分かる華奢な胴も、全て同じ金色の鎧に覆われていた。更に視線を上へ向かわせると──
「ぇ───」
思わず間の抜けた声を漏らすアスナ。そんな彼女を急襲した金色の女騎士は、更に踏み込んでアスナの剣を押しやろうと力を込める。
「先程の妙な光は貴様の仕業だなッ!補給部隊を襲ったのも──!」
「なっ……違──」
「この期に及んで見え透いた嘘を……ッ!」
「私じゃないわ!私がそんな事するはずがないじゃないッ!」
「黙れッ!貴様はミツキを傷つけた!彼を傷つけ苦しめる者は、誰だろうと私の敵だッ!私は貴様を、決して許しはしない──ッ!!」
率直に言って、彼女は勘違いをしている──救助を呼びに行ったあの3人と入れ違いになってしまったのだろうか。確かに、傷だらけの兵士達、そして特に負傷の酷いミツキが倒れている中でアスナのような見知らぬ者がいれば、この状況を作り出した張本人と誤解するのも頷けるが……
「待って!話を聞いて──!」
「黙れと言った──ッ!」
アスナが攻撃の手を緩め防戦に回る一方、女騎士の気迫は凄まじく、その剛剣は苛烈さを増していった。
「私が分からないのッ!?
口を突いて出たその名前で、女騎士──アリス・シンセシス・サーティは一瞬動きを止める。
色こそ違うが、全身に纏う鎧と、その背ではためく群青色のマント、華奢な細腕にそぐわぬ剛剣。そして何より……剣を振るう度に夜闇を舞う、暗闇の中でも分かる美しい金色の髪とサファイアを思わせる蒼い瞳──彼女の姿は、アスナの記憶にある《姫騎士》アリスの姿そのものだった。
この刹那の内に対話を持ちかけようとするアスナだったが、当のアリスは纏う空気を一層剣呑にしてアスナを睨みつけてくる。
「……敵の皇帝から私の名を聞きでもしましたか。ならばその手足を切り落とし、情報を聞き出すまで……!エンハンス──」
何かが来る──そうアスナが身構えた瞬間、
「──そこまでだ」
低く威厳のある声と共に、両者の間を不可視の刃が駆け抜ける。地面にくっきりと刻まれた斬撃痕は、まさに一触即発だったこの空気をも切り裂いてみせた。その斬撃を放った主──時穿剣を鞘に収めながら悠々と歩いてくるベルクーリに、2人の視線が集中する。
「小父様、何をっ……!? ──この者は敵の間者に違いありません!」
「そうか?俺はそうは思わんがな」
「現に、待機していた衛士やミツキが──!」
「ちょいと頭を冷やせ──嬢ちゃんは、そこのお嬢さんが少年や衛士達に剣を向けている所を見たのか?」
「そっ──それは……」
「事実は寧ろ逆さ──あのお嬢さんは、俺達を助けてくれたんだ。あの七色の光で大地を裂き、追ってくる敵の進軍を止めてみせた。あれが無きゃあ、俺は今頃拳闘士連中に一瞬で伸されて、こうして呑気に話も出来てねぇだろうよ。……証人だっているぜ、3人もな」
チラと動いたベルクーリの視線を追ってみれば、彼の後ろから多数の修道士を連れた3人の少女達が走ってくる。抜剣しているアスナとアリス、傍らに倒れたままのミツキを見て、おおよその状況を察したらしいレイラは、ロニエとティーゼと一緒に、暗黒騎士に襲われていた自分達をアスナが助けてくれた事をアリスに説明した。
一通り説明を受けたアリスだが、未だ釈然としない様子で、篭手に包まれた指を真っ直ぐアスナに突きつける。
「……ではこの者は一体何者なのです。敵の間者でもなければ、神画に描かれた装束を真似た不心得者でもない。まさか本物のステイシア神だとでも──?」
「うむ、そこは俺も気になる所だな。俺の主観としちゃあ、本物の女神さんってこたァないと思うが──どうだいお嬢さん、その辺諸々、詳しく説明してもらえると助かるんだが」
ベルクーリに話を振られたアスナは、ハッとなってから剣を収め、交戦の意思が無い事を示す。
「は、はい。私としてもそうさせてもらいたいのですが……それよりまず、負傷者の治療を優先してください。何か出来ることがあれば、私も手伝い──」
「──必要ありません。……一先ず、あなたが敵対者でないという事は了解しました。しかし得体の知れない者である事に変わりはない。事が済むまでそこで動かず、何もしないというのであれば、私も剣を引きましょう」
まだダメですか…と内心げんなりするアスナは、降参の意思を込めて小さく両手を挙げる。それを見たアリスは「フン」と嘆息して、治療を受けている最中のミツキの元へ足早に向かった。
「あ、あの、じゃあ……!」
だったらせめて、見張りをつけてもいいからキリトの居場所を教えて欲しい──というアスナの要求は、誰にも届かないまま風に乗って消えた。こうなれば仕方なし、と、アスナは目の前のミツキの無事をひたすら祈るのだった。
──ダークテリトリー内は総じて空間神聖力が薄い中、遊撃隊が陣取ったここは見ての通り、枯れかけながらもいくらか植物が自生している。ある程度治癒術式を行使出来る状況だが、敵の領土の只中に踏み込んだ以上、今現在持ちうる以上の物資は無いのだ。いくら救命の為とはいえ、空間神聖力は勿論、その補助となる薬も出来る限り節約したい、というのが実情。
他にも10人の衛士達が負傷している中、ミツキの傷は群を抜いて酷い。体のあちこちを斬り付けられ、流血も決して楽観できない量だ。……正直、アリスとしては神聖力の消費度外視で全力の治癒術をかけたいが、他の負傷者の事を考えるとそうもいかない。さりとて治療薬も、その道の知識に明るくないアリスでは適切な使い方が出来ない──故にこうして、数人がかりの治癒術式でゆっくりと治療を進めるしかなかった。
何とも頼りない光素の光を手に、アリスがレイラ共々遅々として進まない治療に焦りと歯痒さを覚えていると、背後から何者かの足音が──
「──失礼、整合騎士殿。そちらの彼の治療は私が代わりましょう」
「気持ちはありがたいですが……」
「では、僭越ながら言葉を変えましょう──そのまま手当たり次第に治療を続けていては、彼を助けることは出来ない。ただ神聖力を浪費するだけになってしまう」
言いながらアリスの隣に膝をつく、かけていた眼鏡を外した若い男の修道士は、か細い呼吸を続けるミツキの身体を上から下へ、ジッと検分する。
「……よし。まず、体を横向けて──騎士殿とお嬢さん。2人は左の腿と背中に集中的に術を。そこが最も傷の深い箇所だ。最低限血が止まるまで、許す限りの全力で」
「わ、分かりました……!」
数秒見ただけで分かるものなのか──そう思いつつ、修道士の指示に従い、アリスとレイラは指定された箇所に素因の光を集中させる。じわじわと傷が塞がっていく傍ら、修道士もまた持っていた鞄から薬入りの瓶を取り出し、他の患部に塗布、布をあてがった上から包帯を巻いていく──レイラは勿論、アリスから見ても見事な手際だった。
やがて背中と腿の止血が完了すると、修道士はそこへも薬を用いて処置を施していった。
「……ひとまず、これで何とかなりそうだ──今度は全力でなくてもいい、引き続き、包帯の上から治癒術を掛け続けてください。呼吸が安定すれば、もう大丈夫でしょう」
最後にもう一度ミツキの身体を検分した修道士は、そう言って眼鏡をかけ直す──そこでようやく、アリスは彼の眼鏡にレンズが嵌っていない事に気付くが、まずは礼をとその違和感を隅に押しやった。
「──助かりました。恥ずかしながら、医療の知識は疎いもので……其方の助力がなければ、彼を救う事が出来なかったやもしれません」
「何、礼には及びませんとも、騎士殿──偶然にも、覚えのある姿が目に入ったものですから。いても立ってもいられず、つい出過ぎた真似をしてしまいました──私の方こそ、不遜な物言いを咎めずにいてくださった事、心から感謝致します」
「それこそ、謝る必要などありません。一々立場など気にしていては、救うものも救えませんから。改めて、ありがとう──よければ、名を聞かせてもらっても?」
「栄えある整合騎士殿に名乗る程大層な身ではありませんが──どうぞ、しがない一介の修道士としてお見知りおき頂ければ」
ベルグリッドと名乗った修道士は、それだけ言い残して他の衛士の治療へ向かった。
治療を施されたミツキを、アリスは安堵の息と共に見やる。
「ごめんなさい……私が、もっと強ければ……私が足手纏いにならなければ、先輩は……」
「……相手は暗黒騎士だったんでしょう?こちらの行動を読んで、先んじて配置されていた伏兵なんて、私や騎士長でも予想出来なかったわ。あなたが責任を感じる事じゃない」
「でも……でも、本気の先輩はあんな人達に負けないんです……先輩は、強いんです……っ」
レイラの脳裏では、あの短剣使いの暗黒騎士の刃に晒されるミツキの姿が思い起こされていた──ミツキがレイラ達や他の衛士を助けようとする度、凶刃が彼の体を切り裂いた。
それがどうしようもなく悔しくて、無念で……
「……ええ、そうね。ミツキは強い。誰かを守る為なら迷わず戦える人──自分が傷つくことも厭わずに」
「……私、強くなりたいです……先輩が、こんな風に傷つかなくていいように……っ」
「……そうね。私もよ」
声を震わせるレイラの肩に、アリスはそっと寄り添うのだった。
敵の追撃を間一髪で回避した遊撃部隊。各方面の状況を確認して回っていたベルクーリは、西の空からこちらへ飛んでくる影を目撃する。暗黒騎士ではない、あれは恐らく──
「──ちょっと、一体何がどうなってるのよ!? 突然妙な光が浮かんだと思ったら地面が割れてるし、様子を見に来てみれば別働隊に騎士長がいるし……!」
「気持ちは分かるがまぁ落ち着け──何はともあれ、まずは無事戻ってくれて何よりだ、イーディス。南の洞窟はどうだった?」
「あ、うん──イーディス・シンセシス・テン、ただいま帰還しました。……騎士長の読み通り、南の洞窟を突破しようと暗黒騎士の別働隊が来てたわ。数は少なかったけど、乗ってた飛竜ごと全員始末してきたから、北にいる本隊に制空権を取られることはないと思う。それと……あのシャスターって暗黒将軍、あっちの指揮官に殺されちゃってるみたい。側近の子も」
「そうか、やはりな……シャスターの小僧が生きてりゃ、和平の成立も現実味があったんだが」
暗黒騎士団のトップに君臨していたシャスターは、ベルクーリから見ても見所のある傑物だった。弱肉強食のダークテリトリーに生まれながら、力で全てを解決する現状に疑問を抱いていたあの勇士とは、戦場で幾度となく刃と言葉を交わしたものだ。或いは刃ではなく酒を酌み交わす未来も有り得たかもしれない。そんな若き将軍と、彼と志を同じくしていた側近の女騎士への追悼を胸に、ベルクーリはイーディスに今の状況を説明する。
「えーっと──敵は神話の神様で、《光の巫女》っていうのを狙ってて、その巫女がアリスで、しかもこっちにはステイシア様みたいな女の子が降臨した……と──こんな時に冗談言ってる……訳じゃないわよね」
「さっきも言ったが、気持ちは分かるぜ。だが生憎9割方事実だ、今の所な」
「そりゃあんな大部隊で追ってくるわけね……となると、峡谷の方に残ってる敵は……オークの部隊だけ?」
「他の亜人部隊も残党はいるだろうが、まぁそんな所だろう。向こうにゃファナティオがいるし、デュソルバートの矢が潤沢なら、十分対抗出来るはずだ」
「なら、私もこっちに合流した方が良さそうね。頑張ってくれた
「……それだけか?」
「皇帝だか神様だか知らないけど、私の大事な妹を手に入れようなんて許しておけないわ……!」
この状況でも相変わらずのイーディスに、ベルクーリは小さく笑みを零す。
「お前さんも疲れてるだろうに、悪いな。せめて少しでも休んでくれ、例のお嬢さんのお陰で、想定よりゆっくり出来そうだ。嬢ちゃんやあの少年達にも顔を見せてやるといい」
「ありがと。そういう騎士長も、ちゃんと休まなきゃダメよ?後でファナティオに怒られても、私知らないからねー」
余計なお世話だ──という言葉を、ベルクーリは少し考えた末に飲み込んだ。
負傷者の治療が終わり、問題はアスナへ戻る。
自分が何者なのか、何を目的としているのか──それらを説明する為に、ベルクーリを始め整合騎士や衛士長達を集めて欲しい。という頼みを受け、一同は突貫で設営された陣に顔を揃えていた。
集った主な面子は、ベルクーリを始め遊撃部隊にいる整合騎士全員と、各部隊の隊長を務める衛士及び修道士。そしてアスナ来訪の場に立ち会ったロニエ達3人と、彼女らに引っ張ってこられたメディナが列席している。
「──初めまして。私はアスナ、この世界の外側からやって来ました」
アスナはこのアンダーワールドと現実世界──《リアルワールド》とでも言うべき場所の存在とこれらの関係、今現在リアルワールドでは、2つの勢力間でこのアンダーワールドの支配権を巡る争いが起きている事、自分がその勢力の片割れ《ラース》の使者である事を説明した。
「あなた方が《ステイシア》と呼ぶ私のこの姿と力も、リアルワールドからアンダーワールドへ向かう為に借り受けたもので、私は神様ではないし、皆さんと同じ人間です──ただ、ほんの少し凄い力を与えられただけの」
説明を受けても、それを素直に飲み込めている様子の者は殆どいない。各衛士長は勿論、整合騎士も同様だ。それ程にアスナの言葉は現実離れしていた。
「まぁ何だ──実の所、この世界に生きてる俺達でさえ、人界の外側にダークテリトリーが実在してて、ゴブリンやらオークやらが人界侵略を手ぐすね引いて待ってる、なんて話、まともに信じてる奴の方が少なかったんだ。今更その更に外側にもう1つ世界がある、なんて話をされた所で、大した違いはねぇだろ──そんで?そっちの世界の連中の目的は何なんだ。支配権とは言うが、何がどうなれば、この世界を支配したことになる?」
「……まず、私と敵対している勢力の目的は、この世界に存在するたった1人の人間を手に入れる事です。その人間というのが──あなたよ、アリス……さん」
「私が……!?」
「ふむ、つまりそいつが《光の巫女》ってやつの正体か──で、アスナの嬢ちゃん達……《ラース》とかいう連中は?」
「私達の目的は、この世界を守る事です──その為にも……アリスさん、あなたには私達の世界へ来て欲しいの。もうこの世界にあなたが存在しないと分かれば、敵もここを狙う理由を失うはず」
「来て欲しい、って──それはつまり、私1人だけ逃げ果せろというのですか!? 冗談ではないッ!私は騎士です、この世界を、そこに生きる人々を守る為に戦うと誓ったのです!」
「なら尚の事。もし、リアルワールド側の強奪者があなたを捕らえてしまえば、この世界に生きる人々も、街も、大地も空も、何もかもが破壊されてしまう──例えそうはならなかったとしても、先に待つのはリアルワールドに強制的に服従を強いられる未来──この世界の未来を、ここに生きる人達の権利と尊厳を守る為には、他に方法がないの!こうしている間にも、いつ敵がこの世界に直接干渉してくるか……」
比嘉によってメインコントロールルームのコンソールは機能の大部分をロックされているが、物理的に破壊でもしない限り、絶対安心とは言い切れない。アスナが予想した通り、もしあちらに電子戦に強い者がいるのなら──その人間がもし、比嘉や凛子に匹敵ないし凌駕するスキルを持っていたなら、或いはロックを解除する可能性も全くのゼロではない。
もしそうなれば、リアル側から遠隔操作でアリスのライトキューブをイジェクト出来てしまう。
そんな危惧を抱くアスナに、ベルクーリは小さく手を挙げて補足を加えた──アスナも知り得なかった情報を。
「その敵ってやつだがな、どうやらもう来てるみたいだぜ──アリス嬢ちゃんを《光の巫女》と呼んで狙う暗黒神ベクタ……十中八九、その正体はアスナ嬢ちゃんと同じリアルワールドの人間だろうよ。お前さんと同じように、神の姿を借りてこの世界へ来た向こう側の人間、ってわけだ」
「暗黒神……まさか、ダークテリトリー側の……」
人界側のハイレベルアカウントは全てロックしたと比嘉は言っていたが、ダークテリトリー側にもこのステイシアと同等の権限を持つスーパーアカウントが存在しており、そちらまでロックする時間は無かった、ということなのだろう。
いくら神や皇帝という肩書きを有すれど、ダークテリトリー側の総戦力は数万規模にも及ぶと聞く。それ程の軍団をいきなり指揮して動かすのが如何に難しいか、何度も集団を指揮して戦った経験のあるアスナには分かる。余程のカリスマ──それこそかの聖騎士ヒースクリフのような──が無ければ不可能だ。その「まさか」が有り得てしまったと……?
「──ごめんなさい、質問いい?」
決して小さくない衝撃に見舞われるアスナに、挙手と共に質問を投げかけたのはイーディスだった。
「そもそも、その《光の巫女》っていうのはどういう存在なの?あなた達がどうしてそれを巡って争っていて──どうして、それがアリスじゃなきゃいけないの?」
「それは……」
すぐには説明が難しい。菊岡達ラースの言葉を借りれば、アリスが《A.L.I.C.E.》として覚醒しているから、ということだが……そこから話を辿っていけば、ラースの目的がアンダーワールドに生きる人々を使い捨ての兵器として利用するつもりでいることに触れなくてはならない。
勿論、アスナ個人としてはそれを阻止するつもりでいるが、全てを詳らかにしてしまえば、現時点でもリアルワールドへの脱出に抵抗感を抱くアリスの気持ちを一層固くしかねない。
だが一方で……それを伏せておくのも誠実性に欠ける。アリスの言う通り、アスナの要求はこの世界を見捨てて逃げろ、と言っているも同然。であるなら、アスナにも説明責任が生まれる。
アスナが返答に迷っていると……
「──《瞳の封印》を、破ったから」
沈黙を破った静かな声。その主であるシェータは、過去にセントラル・カセドラルを《黒百合の剣》で斬り倒せないかと思い至った際、右眼が激痛に見舞われたと語った。
「ここにいる中にも、密かに覚えのある奴がいるかもしれんが──最高司祭殿の権威や、公理協会の支配体制に僅かながらでも疑いを持つと、右の目ん玉に赤い光がチラついて、凄まじい激痛に襲われる。普通ならあまりの痛みで考える所じゃなくなるが、それでも不敬な思考を続けると、痛みは際限なく強まり──」
「──最終的には、右の眼球が跡形もなく弾け飛びます。私が一時期、眼帯をしていたのはその為です。……最高司祭様を殺めた反逆者、その中には、他ならぬ私自身も含まれているのです」
「あの、私達も──経験があります。先輩達がカセドラルに連行される直前、どうして、って思ったら、右眼が……」
「……私もだ。修剣学院で、長らく私を虐げてきた男と立ち会った際──胸に殺意を抱いた瞬間、右眼に激痛が走った」
レイラとメディナの話も合わせると、定められた法や規則を破ろうとしても、その《封印》とやらは発動するようだ。ここまで話を聞いていたアスナは、怪訝そうに眉をひそめる。
「(おかしい……ラースの目的は、必要に応じてルールを破れる、本物の思考能力を持つAIの筈。そんな封印なんて施したら、寧ろ計画の妨げにしかならないのに……)」
思考を巡らせたアスナは、ある1つの可能性に行き当たった。
敵の妨害工作──オーシャン・タートルを襲撃したあの黒づくめの連中当人達ではない。奴らと繋がっている何者かが、予め右眼の封印を施した。それは即ち、アンダーワールドを直接操作可能なラースサイドに内通者がいるという事にほかならない。
つまり……ほんの数分前まで、アスナはその内通者と同じ部屋にいた可能性があるのだ。
この事をすぐさま菊岡達に知らせなくては……しかしどうやって?スーパーアカウントといえど、コンソール無しで現実世界へ連絡をつけることは出来ない。このままアリスを説得し、リアルワールドへ連れ出すしかないが、アスナが上手くやったとて、リアル側の内通者が何かしら手を回してくる可能性も大いに考えられる。菊岡達が気づいた時にはもう何もかもが遅い、なんて事になってしまえば完全に詰みだ。
どうすれば……どうすれば…──そんな言葉が脳裏を駆け巡る。
その末に「こんな時彼らがいれば…」と考えてしまってから、アスナはハッとなって思考の渦から脱した。
自分の目的は菊岡達から頼まれた事だけではない。キリトとミツキを助ける事こそが、アスナにとっての最重要目的ではないか。そんな自分が彼らに縋るような考えでいてどうする。
小さく深呼吸したアスナは、考えを整理してから口を開いた。
「その右眼の封印というのは……恐らく、リアルワールドの人間──例の強奪者に与する、ラースの内通者によるものである可能性が高いです」
「右眼を吹っ飛ばす以外に、その封印を解除する方法はないのか?」
ベルクーリの問いに、少し考えてから答える。
「無くはない、と思いますが……少なくとも、この世界の中から解除することは不可能かと」
「そうか……ってこたァ、アスナ嬢ちゃんの言う《敵》は、右眼の激痛にも負けず、封印を自力で突破した者を欲してる、って訳だ──あんた達リアルワールドの人間にも、そういう封印があるのかい?」
「いいえ。私達リアルワールドの人間にそういったものはありません。推測ですが──『法や規則に絶対的に忠実であることを強制されているか否か』──その一点が、リアルワールド人とアンダーワールド人の違いなんだと思います」
アスナは続ける──《敵》は、その封印を自力で突破した者……連中が《光の巫女》と称した存在が現れ、それがアスナ達を始め他の勢力の手に落ちる事を恐れた、故にこうして奪取しに来たのだ、と──それ程に、《光の巫女》はリアルワールドに於いて途轍もなく貴重な存在なのだと。
「ふむ……ここまで話を聞いたが、未だ分からんのがそこだ──この世界とリアルワールドの人間の違いが右眼の封印の有無だけなんだとすりゃあ、そいつを突破したアリス嬢ちゃんは、実質的にリアルワールド人と同じ存在ってことになるだろう。『違う世界の人間が、自分達と同じ存在になった』と言えば大仰に聞こえるが……実際起きた変化としちゃ、法や規則に無理に従わなくてよくなった、ってだけだ──その《敵》にせよ、アスナ嬢ちゃん達にせよ、何故そうも《光の巫女》に固執する?アリス嬢ちゃんをそっちに連れ出して、何をさせる気なんだい?」
……やはり、そこに行き着くか。
もう一度頭の中で考えたアスナは、意を決して口を開く。
「……ごめんなさい、ここでは言えません」
「そりゃつまり……明かせないような事、ってわけかい?」
ベルクーリの纏う空気が微かに張り詰めたのを肌で感じながらも、アスナは怯まずに答える。
「不誠実な返答である事は分かっています、でも……今の時点で下手に先入観を与えたくないんです。私は……アリスさん自身の目で見て、判断して欲しい」
ベルクーリは無言で続きを促す。
「向こう側の世界は、決して神様の国でもなければ、理想郷でもない……寧ろ、この世界よりずっと醜く、汚れているとさえ言えるかもしれません。でも──っ」
立ち上がったアスナは、真っ直ぐアリスの目を見つめる。
「でも……そんな部分ばかりじゃないんです!この世界を守りたい、皆さんと仲良くなりたいと思う人達だって沢山います──ミツキ君や、キリト君がそうだったように!」
「……なる程。ようやく、少し合点がいきました──あなたがミツキのみならず、キリトの事まで知っているのは、彼らもまた、リアルワールドからこの世界へ来た人間ということ。そしてあなたは、彼らと志を同じくする者だ、と。そう言いたいのですね」
アリスの問いに、アスナはハッキリと首を縦に振る。煌々と夜を照らす焚き火を反射するその瞳から、敵意や害意の類は感じ取れなかった。
「……分かりました。正直、まだ問い質したい事はありますが、この場はこれ以上聞かないことにします。ただし──優先すべきは目の前の問題からです。まずはこの戦を終わらせ、ダークテリトリーと和平を結ぶ。外の世界云々はその後に。何より──」
何を思ったか、アリスは腰の金木犀の剣を抜き放ち、切っ先をアスナに突きつける。
「先程の返答──あなたが彼らの同志であるという言葉に少しでも偽りが見えたならば、その時は即座に斬り捨てます」
「……ええ、それで構わない。あなたの判断に任せるわ」
堂々としたアスナの言葉を受け、アリスは剣を収めた。
敵軍を率いる暗黒神ベクタがリアルワールド人である可能性が高い以上、如何にアスナとて単独でアリスを連れて部隊を離れるのは危険だ。
「──ですから、私も皆さんと一緒に戦います。ベクタの相手は任せてください」
神話に名高き創世神の力という途轍もない増援に、衛士達が浮き足立つ。しかし先程やってみせたような大規模な地形操作は出来てあと1~2回が限度だろうと判明した途端に、その空気は消沈した。
「──我らの世界を守るのに、異世界人ばかりを当てにしてどうするのです。次は、我々が力を見せる番ではないですか!」
発破をかけるアリスに続き、イーディスとレンリも立ち上がる。
「そうね。彼女は神様じゃない、私達と同じ人間なんだって、皆も聞いたでしょ?」
「だったら、僕達だって同じくらい戦えるはずです!」
「師の仰る通り。我らの世界を……この美しき人界を、必ずや守り抜いてみせましょうぞ!ほかならぬ、我らの手で!」
最後のエルドリエの言葉が、衛士達の心に火を点けた。その火は、陣の外で事の行く末を見守っていた他の衛士や修道士達にも波及していき、大火となって燃え上がる。
沈みかけていた士気が回復していくのを目の当たりにしたアスナは、キリトとミツキを救い、アリスを無事リアルワールドへ連れて行くと同時に──
「(この世界を守ってみせる……襲撃者からも、ラースからも……!)」
キリトとミツキが必死になってこの世界を駆け抜けた理由を感じ取り、彼女もまた決意を新たにするのだった。
軍議を終えて訪れた、開戦以来初となるまともな休息の時間。
見張りの者以外は寝静まった天幕の間を、少女は静かに歩く。
これから戦いも激しくなる。落ち着いて顔を合わせる機会はもう無いかもしれない。
ならばせめて、今の内に少しでも時を共にしていたい……
そんな考えを胸に抱きながら──
「「「「「「───あっ」」」」」」
──ここに、寝間着姿の6人の少女達が集った。そこへ更に7人目……
「来ると思ったわ──その……想定より大分多いし……意外な顔もあるのだけれど」
ミツキとキリトが眠る天幕の前で門番よろしく待ち構えていた、こちらも同じく寝間着のアリスは、予想通りと言いたげな──それでいて驚きも混ざった何とも言えない表情で来客達を迎える。
「……まぁ、寒い中立ち話も何だし、取り敢えず全員中へいらっしゃい──お茶とお菓子、足りるかしら……」
「──そこはご心配なく。この通り、手土産は持ってきていますとも」
「気の利いたことね。それじゃあありがたく…──えっ?」
「「「「「「───えっ?」」」」」」
異口同音にそんな声が漏れる。彼女達の視線が集まる先では……
「──おっと、見目麗しい女性達の視線をこうも一身に受けたのは初めてだ。これは中々……」
そう、冗談めかして笑う狐のように細い目の男がいた。
……前言を訂正し──ここに、7人の少女(+男1人)が集った。
この小さな天幕の中で、束の間の語らいの一時が、始まろうとしていた。
次回!正妻戦争(?)、開・幕! ドンッ!
現状ヒロインレースでアリスに次ぐ実力者シノン選手がいないのが悔やまれますねぇ。
それはさておき、開戦してからというものの、ミツキはずっとボロボロ…