少し、時は遡り──
軍議を終えた直後、アスナは改めてキリトの元へ案内して欲しい、とアリスに頼み、ロニエ達と一緒に補給部隊の馬車へ向かった。
妙な真似をすれば斬る、ともう一度しっかり釘を刺されたアスナは、緊張の面持ちで荷台の扉を開き……暗がりの奥に、逢いたくて堪らなかった姿を見つける。
「っ……キリト君……」
車椅子に腰掛け、二振りの剣を抱えて項垂れる黒衣の少年の名を呼ぶと、彼の腕がピクリと動いた。
「ぁ……ア……っ?」
ゆっくりと持ち上げられた視線が、アスナを見る。吐息と共に漏れる掠れた声は、おおよそ意味を成しているようにはみえなかったが……それでも、アスナにはこれ以上ない程ハッキリと聞こえた──自分の名前を呼んでいるように。
キリトの体が僅かに前傾する、まるで少しでもアスナに近づこうとするように。光の無い瞳に滲んだ涙が頬を伝った所で、我慢の限界を迎えたアスナは衝動のままキリトに駆け寄り、細身の体を抱きしめていた。そこで初めて、彼の右腕が消失している事に気付く。ミツキのみならず、彼もまた傷つきながら懸命に戦ったのだ。その結果……
「あ……ァ……ッ」
「キリト君ッ……もういい、もういいよ……!君1人で──君達だけで頑張らなくて、いいんだよ……私も頑張るから」
比嘉は言っていた──キリトとミツキが公理教会に立ち向かうにあたり、協力してくれたこの世界の人間は、戦いの末に死亡してしまっている──と。巨大な喪失感と悔悟の念が、キリトに自らの《主体》を傷つけさせるに至ったのだ。それ程までに深く大きな穴が、キリトの胸に空いている。その穴をきっと埋めてみせる、と、アスナは改めて決意した。
これは自信ではなく、覚悟だ──アスナはユウキとの出会いを経て、皆が帰る場所を守ると己が胸に誓った。どんな苦境、どんな困難に晒されようと、あの暖かく幸せな場所を、そこに集まる人々の笑顔を守る。その中には当然、キリトとミツキの笑顔も無くてはならない。
アスナ1人で無理なら、彼らと絆を育んだ多くの人々と協力して、必ずや──愛で癒せない喪失は存在しないと、アスナは信じている。
「……もう大丈夫だからね。後は私に任せて」
キリトの涙をそっと拭ったアスナは、キリトの左手と、その傍らで眠るミツキの手を取り、優しく握り締めるのだった。
「──ありがとう。2人がこうして生きてくれてたのも、きっとあなた達のお陰よね。改めてお礼を言わせて頂戴」
短い逢瀬を終えて馬車を下りたアスナに、一部始終を見ていたアリスは1つの質問を投げかけた。
「……あなたは、ミツキとどういう関係なのですか?」
そんな問いに、アスナはきょとんとした顔でアリスを見やる。あたかもミツキの安全上、といった風を装っているが、懐かしいサファイアの瞳の奥には、どこか気恥ずかしさのようなものも伺える。一瞬のタイムラグを経てアリスの質問の意図を理解したアスナは、
「あ、安心して!私とミツキ君はそういう関係じゃないわ。大事な友達なのは確かだけど……その、私にとって特別なのはキリト君の方、っていうか……」
アスナがそう答えた時──えっ?──というような、誰かの極小さな声が聞こえた気がした。
「……そうですか」
嘆息するアリスだが、安堵の気持ちを隠しきれていない。そんな彼女の感情の動きを感じ取ったアスナは、無意識の内に安堵からくる微笑みを浮かべていた。
「……何を笑っているのです?」
「あ……ごめんなさい。なんだかその、懐かしくて」
「懐かしい……?──もう1つ、質問です」
アスナの返答に首を傾げたアリスは、少し考えてから、今度こそ真剣な表情で問いを投げる。
「あなたは私を──
「っ……ええ、知ってる──私はあの浮遊城で、あなたと同じギルドに所属していた。同じ副団長として、何度も一緒に戦った──大事な……っ……大事な、親友よ」
最低限の回答を口にしながら、途端に湧き上がってきた数々の言葉や感情を、涙と共に飲み込む。己を律していなければ、手当たり次第に言葉やら質問やらを投げかけてしまいそうだった。
聞きたい──今までどこで何をしていたのか。何をどこまで覚えているのか──胸の内の疑問を片っ端から吐き出してしまいたい。そんな衝動を抑え込む一助になってくれたのは、感情の渦の中にあるたった1つの……それでいて最も大きな安堵の気持ちだった。
例え浮遊城での記憶が無いのだとしても、アスナとの思い出を無くしてしまっているのだとしても……彼女の中には、変わらずミツキがいる。変わらず彼の事を想っている。
先のアリスの表情から読み取れたその事実が、何よりもアスナを安心させてくれた。
「……ごめんなさい、意味が解らないかもしれないわね。その、説明するとすごく長くなっちゃうから、あまり気にしないで。ただ──私は、こうしてあなたと会えて嬉しい──それだけ分かってくれればいいわ」
それだけ言って、気持ちを切り替えるように小さく深呼吸したアスナは、わざわざ用意してくれたらしい自分用の天幕へ案内してくれるというロニエ達について行くのだった。
──と、そんな一幕があり……アスナ及びその後ろでハラハラしていたロニエの2人は高い確率で夜間にこの天幕を訪れるだろう、と考えていたアリス。
果たして、予想通りに来客があったわけなのだが……
「来ると思ったわ──その……想定より大分多いし……意外な顔もあるのだけれど」
揃った顔ぶれは、アリスを除いて実に6人。内2人はアスナとロニエ、残る4人はというと──
「戦いが終わるまでは、と思っていましたが……私もキリトとは浅からぬ縁がある故、我慢しきれず……」
そう言って少々気恥ずかしそうな顔をするのは、ノーランガルス帝国騎士団所属のソルティリーナ・セルルト。此度の戦に於いて衛士長の立場にある彼女は、かつて修剣学院にて初等練士時代のキリトを1年間指導した先輩だという。その都合、彼にあれこれ身の回りの世話をしてもらったのだそうだ。
「キリト君の……」
「先輩……」
アスナがこの世界の文化や習慣に疎い一方、まさに同じ学院に通うロニエは、傍付き練士と指導生がどういう関係かをよく知っている。ましてや相手がこうも美人と来れば、思わぬ強敵が現れた、とアスナ共々歯噛みしてしまうのも無理はなかった。
「私も驚きました……まさかリーナ先輩までいらっしゃるとは。ご無沙汰しております」
「ふふ、そういう君もな。メディナ練士──いや、君ももう上級修剣士か──私も久しぶりに顔を見られて嬉しいよ」
「今の私は修剣士ではなく、いち貴族としてここへ馳せ参じた身です。どうぞ、気軽に呼び捨てて頂ければ──本当はここへ足を向けるつもりはなかったのですが、その、彼女がどうしても一緒に来るように、と……」
「た、確かにお誘いしましたけど……でもメディナ先輩、この天幕の近くをずっとウロウロされてましたよね……?よく聞き取れませんでしたが、ブツブツと何か呟いていたような……」
「ちっ、違──私はただ、深夜の見回りをだな……!」
続く4人目と5人目──ミツキとキリトの学院での同級生だというメディナ・オルティナノスと、ロニエ同様彼らの後輩であるレイラ・カーヴァス。どうやら2人はキリトではなくミツキに会いに来たらしく、アスナが内心で胸を撫で下ろす一方、今度はアリスの方が小さく歯噛みしていた。
そして最後の6人目──アリスが「意外」と言っていたのが……
「いやぁ~アハハ……偶然とは言え折角同じ部隊になったんだし、アリスと久しぶりにお話したいなぁ~って……それにホラ、あの2人の事とかも色々聞きたいし!」
どこかバツの悪そうに笑う彼女は整合騎士イーディス・シンセシス・テン──なんとアリスに続く2人目の整合騎士がこの場に顔を並べていたのだ。……尤も、彼女の主目的はキリトでもミツキでもなく、アリスだったようだが。
斯くして、この6人にミツキの学院の先輩だったベルグリッド──暗黒騎士の襲撃で傷ついたミツキを治療してくれたあの眼鏡の修道士──を加えた総勢8名が、天幕の中で輪を作った。
各自の手元にはロニエとレイラが淹れたお茶のカップと、天幕に備え付けられていたものに加え、ベルグリッドが持ち込んだお菓子が並んでいる。
アリス及びアスナの提案で決定したこの集まりの目的はズバリ、情報交換──各々のみが知るキリトとミツキの事を開示し合う。という名目だが……
「(キリト君の事を1番よく知ってるのは私……!)」
「(ミツキの事を1番よく知ってるのは私……!)」
……という具合に、内心では恋敵達に対する牽制及び情報収集、という側面が強いのは言うまでもない。
同時に……その恋敵達当人もまた、自分の知らない想い人の情報を少しでも引き出し、後の参考にしようと画策していることも想像に難くない。
数少ない、その例に含まれない2人──イーディスとベルグリッドだけが、呑気にお菓子とお茶に舌鼓を打っていた。
……尤も、ベルグリッドの場合は「女の子の恋バナって何か楽しそう」という旨のある種野次馬めいた心持ちでいるのは内緒である。
「さて、それじゃあまず──アスナさん。早速で悪いけれど、あなたの知っている事を教えてもらえる?」
「私?知ってる事、っていうと……」
「あなた達──ミツキやキリトがこの世界に来る前、何をしていたのか。それと……あなたの知っている『私』について、聞かせて欲しい。……私もあの城の事は一応覚えているけれど、鮮明に思い出せるのは自分の事と、ミツキに関することだけなの。色々あって……多分、記憶が欠損しているんだと思う」
「そう……うん、そういう事なら。けど1つだけ条件があるわ──」
「条件……?」
訝しむアリスに、アスナは優しい笑みを向ける。
「……名前。これからは呼び捨てでいいわ。あなたに『さん』付けで呼ばれると、なんだか違和感凄くて」
予想外の要求にぽかんとしたアリスは、
「……なら、私の事も『アリス』と……軍議の時、呼びにくそうにしていたものね──アスナ」
「……うん、アリス!」
互いの名を呼び合い笑う、かつて親友だった2人の少女。そこへ、遠慮がちにイーディスが手を挙げる。
「ちょっとぉ~?2人だけで通じ合ってないで、その《城》とか色々、早く聞かせて欲しいんですけど~?」
もう一度顔を見合わせた2人は、それぞれ手分けして、かの浮遊城──自分達と彼らとの馴れ初め及び、そこで一体どのような戦いがあったのかを語り始める。
始まりの第1層での戦いと、その末に彼らが背負うことになった業の事──それでもめげずに戦い、やがて英雄となった2人の少年達の事を。
アスナとアリスの口から語られる英雄譚に、ロニエやレイラを始め、メディナやリーナ、イーディスとベルグリッドまでもが時に目を輝かせ、時に固唾を飲み、時に楽しそうに笑い声を上げる。口々に感想を言い合ったりもした。
しかし英雄譚とは何も、輝かしい話ばかりではない……やがて話題は、彼らの背負う罪に移り変わっていった。リーナは「無理に話さずとも」と言ってくれたが、皆にも知っておいて欲しい、という共通認識の下、アスナもアリスも、彼らから直接聞かされた知り得る限りの事を明かした。
アスナに次いで、アリスの口からミツキがあの城で何を経験したのかが語られる──これに関してはアスナも知り得ないこともあり、彼女も一時聞き手に回る。
出てきたのは、率直に言って何とも後味の悪い話ばかりだった。
背負った罪の上から、更なる罪が灼き付けられる──誰かを見捨てた罪、誰も救えなかった罪、救うことを辞めようとした罪、自分を救おうとした罪、誰かを殺した罪、誰かを殺せなかった罪──罪、罪、罪……例え作り物の世界であろうと、そこに在ったもの、そこで生きた者は全て本物であったが故に。
どれだけ多くの人々を救おうと、救えなかった命が帳消しになるわけではない。ましてやそれが自分の目の前、すぐ手が届く場所で喪われたのであれば尚の事。
「ミツキ君……そんな思いを、ずっと抱えてたなんて……全然、気付けなかった」
「確か……あの時は周囲にできる限り心配をかけないよう、この事は伏せておこう、という話になっていたから。ごく一部を除けば、全く知らないという人の方が多いのは当然よ──今となっては、その判断が正しかったのか、疑問に思うけれど」
「でも、アリス様がいてくれたお陰で、先輩は最後まで戦い抜くことが出来たんですよね……私には、きっと真似出来ません。記憶を無くして尚、誰かの為に戦うなんて……きっと、すぐ足手纏いになってたと思います。やっぱりアリス様は凄いお方です」
賞賛の言葉をくれるレイラに、アリスは小さく苦笑する。
「私だって、最初は殆ど無我夢中……というか、半分自棄になってたのよ。後になって思えば、随分無茶な戦い方をしてたわ──ミツキが偶然通りかかってくれなければ、程なくして命を落としてたでしょうね」
「確か、『知り合ってすぐの頃は何度も剣を向けられた』──ってミツキ君が話してたよ~」
「なっ、そんな事まで!? 全く、勝手にベラベラと……と、とにかく──ミツキには、本当に感謝してるわ。右も左も分からない上に……その、かなり気難しかった私に根気よく付き合ってくれたんだもの。だから最初は、その恩返しって意味も込めて、彼と並び立てるくらいに強くなろうって、思っていたのだけど……」
ミツキもまた、どんどん強さの高みへ上っていく。その背中を追いかけて、追いかけて、伸ばした手が届きそうだと思えば、また遠ざかる……戦闘能力という点では、SAOが始まって程なく彼に匹敵するものを見せていた、とアスナは言うが、当のアリス本人からすれば、近づきこそすれ、同じ場所に至ったと思えた事は一度として無かった。
仮にアスナの言う通り、実力面で比肩していたのだとしても、それ以外の場所……言うなれば、心の強さ、のようなものがミツキは遥か見上げる場所にあったように感じる──後に、その認識は違っていた事を知るわけだが。
「ミツキは確かに強い、それは疑いようもないわ。けど……実際は、強く在ろうと必死に頑張ってる人なの。全てを背負える程強くないのに、その必要が出たなら──そうしなきゃいけないと思ったなら、精一杯虚勢を張って背負う。……困ったことに、その姿がとても眩しくて、頼もしいの。誰もが『ミツキがいれば大丈夫』って思えるくらいにね。胸の奥に、泣いて苦しんでる自分を押し込む事ばかり上手くて──それを吐き出して、曝け出すのがとても下手だった」
アリスは傍らのベッドで眠るミツキの頭をそっと撫でる。
「強者として背負うには弱くって、弱者として庇護されるには強過ぎる──それが、ミツキっていう人間なのよ。本人も多分、自覚はあったと思う。それでも……自分に出来る事として、彼は背負う道を選んだ──私は、そんな彼を1番近くで支えたいと思ったの。……思うだけで、出来ていなかったのだけど……」
「──そんな事ないわ」
自嘲気味に零すアリスへ、真っ先に否を突きつけたのはアスナだった。
「ミツキ君、言ってたもの──『アリスが傍にいてくれなかったら、あの時自分を見つけてくれてなかったら、例え元の世界に戻れても、ずっとあの声に苦しめられてた筈だ』って」
「そうね、私もアスナさんと同意見──『数え切れないくらいアリスに救われたし、支えられた。返しきれないくらいの恩がある』って言ってたわよ」
2人の言葉を受け、アリスは照れたように……しかし安堵の色を滲ませて微笑んだ。
「……さ、暗い話はこのくらいにしておきましょう──今度は、皆の知る彼らの話を聞かせてくれる?私とアスナの次に、2人と付き合いが長いのは……」
今年知り合ったばかりのロニエとレイラは言うに及ばず、先輩であるリーナとベルグリッドはおよそ1年間、2人を指導していたが……
「聞く所によると、学院に入学する以前から面識があるそうじゃないか──どうだいオルティナノス嬢。君だけが知る彼らのあ~んな話やこ~んな出来事、話してあげたまえよ」
「あ、あんな話!? ななんの事ですか……!」
「おおっと、それはつまり心当たりがありすぎて迷っているということカナ?まぁそれも無理はない。特に君はミツキ君と仲が良かったようだしね。共に切磋琢磨し合う中、ふとした瞬間に胸がときめく事も──」
明らかにメディナを掌で転がすベルグリッド──本人は気を利かせたつもりなのだろうが、いざ話を振られたメディナは狼狽している。見かねたリーナがベルグリッドの襟首を摘まむようにストップをかけ、まずは自分がキリトとの思い出を語ろうとしたが……
「いえ、私から行きます。……とっとと自分の手番を終わらせてしまった方がいいと感じましたので──確かに私は、修剣学院に入学する以前に彼らと知り合いました。特にその……ミツキとは、その更に前からの付き合いになります」
ミツキはメディナの治める領地に何の前触れもなく現れ、記憶を無くしているという事で暫く面倒を見ていた。今にして思えば、この「記憶がない」というのは事実の上で合っているが、真実としては間違っていた──恐らくあの時、ミツキはリアルワールドからこの世界に迷い込んだ、という事なのだろう。異世界の生まれなら、禁忌目録を始めこの世界の常識を全く知らなかったのも頷ける。
「少々事情がありまして……彼をザッカリアへ送る道中、彼から《アインクラッド流》の技の基礎を少々、教わりました。学院入学後は……その、互いに良き同期として研鑽を積み、無事上級修剣士に──」
「おやおやオルティナノス嬢、恥ずかしがる事なんかないじゃあないか。君とミツキ君は初等練士時代の1年間、男女でありながら同室に──」
「ベッ、ベルグリッド先輩……ッ!」
慌てて制止するメディナだったが、時既に遅し──
「メディナさん──いえ、メディナ。その話、聞かせてもらっていいかしら?詳しく」
「先輩……私、その話、初耳なのですが……!?」
親しみを込めて(本人談)メディナを呼び捨てるにこやかな表情のアリスと、目元をピクつかせながら問い詰めるレイラ。レイラがミツキに浅からぬ想いを寄せている事は察していたが、よもや──話を聞けば「浅からぬ」どころじゃない想いを秘めていた──アリスにまで詰められるとは。
2人の迫力にたじろいだメディナは、観念して入学1年目の事を正直に明かした。
「た、確かに……私は、初等練士の頃、ミツキと同室でした……経緯に関してはその、話せば長い、といいますか……この場では割愛させていただきます」
「ミツキは何か迷惑をかけなかった?大変だったでしょう」
「……剣の手入れの方法や法学の試験勉強など、あいつにはアレコレ教えさせられましたが……」
当時の事を思い出しているのか、苦い顔をするメディナ……しかし眉間に皺を寄せたその表情は次第に緩んでいく。
「……それでも、去年の1年間は私の人生で最も濃密で、意義のある日々だったと、今は思えます──認めるのは癪ですが、それはきっと
ふと言葉を詰まらせたメディナ。その顔が見る見る赤くなっていく……彼女の脳裏では、追い込まれたメディナがミツキを学院から追い出すもとい逃がそうと、寝ている彼に迫った時の事が蘇っていた。しかもその後、あろう事かメディナの方からミツキに同じベッドで眠るよう要求したのだ。結果的に事なきを得たものの、よくよく考えてみれば淑女にあるまじきとんでもない行動を、と羞恥に悶えそうになる。
「ッ~~~──っと、とにかく!私から話せるのはこんな所です。次は……レイラの番だな!」
明らかに何かあった様子にも関わらずはぐらかしたメディナに、アリス共々ジトっとした目を向けていたレイラだったが、順番を譲られて自らの体験談を語り始める。
「では、手番を頂きます。といっても私は、皆さん程長く先輩とご一緒していた訳ではないのですが──」
レイラは上級貴族との合併で実質的に乗っ取られてしまった実家の養蜂場を取り戻したいと、修剣学院の門戸を叩いた。彼女自身、剣術は向いていないという自覚はあったが、それでも……亡き父が遺してくれたものと、自分の未来を守る為にはこれしかないと一念発起したのだ。
陰ながらの努力でどうにか入学試験の上位12人にギリギリ食い込めたレイラだったが、先立って入学を果たしていた上級生、その更に上澄みである上級修剣士には義兄の姿もあり──
「──そんな時、義兄に先んじて私を傍付き練士に指名してくださったのが、ミツキ先輩です。正直、最初は不安で仕方なかったのですが……先輩は、私みたいな暗い娘にもとても優しく、親切にしてくださって……せ、先輩のお部屋で、何度もお話をしました。ふ、2人きり──はい、
基本的に自信なさげなレイラだが、この時ばかりは──特に最後の部分を強調して言いのけた。
アリスは勿論、メディナも進級して部屋が別になってからは以前程頻繁に顔を合わせていたわけではないので、ミツキとレイラが放課後何をしていたのか、詳しく知らない。
そんな中、こんなぼかした言い方をされては──2人の脳裏で、悶々と様々な妄想が繰り広げられるのは想像に難くない。
……尚、「ミツキの部屋で2人きりで色々と話をした」というのは紛れもない事実なので、レイラのこの発言に一切の嘘偽は無い。
だがしかし、アリスもメディナもまだギリギリ平静を保っていられた。メディナは1年間同室、アリスに至っては2年一緒だったのだ。この程度、まだかわいいもの……そう考えていた所へ、彼女達──ことアリスにとって最大級の特攻兵器が投下される。
「それと、先輩直々に技を伝授していただいたんです──アインクラッド流槍術、極意《カウンター》──私には素質がある、と、来る日も来る日も熱心にご指導してくださって」
「「「えっ……!?」」」
声を漏らしたのは3人──基礎を教わっただけのメディナと、ミツキのカウンターの異常性を知っているアスナ、そして……過去実際に教えてもらおうとしてダメだったアリスである。
尤も、アリスの場合は当時のミツキが感覚派故に教えるのが下手過ぎた、というのが理由として大きく、彼女自身に何か足りないものがあった訳ではないのだが……それでも、想い人が自分以外の誰か(しかも女性)に得意技を手取り足取り教えた(しかも「素質がある」とまで)というのは……正直……正直……
……正直、すっっっっっごく羨ましい。
もしこの場がアリス1人であったなら、頬を膨らませて枕をボスボスと叩いていたかもしれない。
そんなアリスを他所に、他の面々はレイラに詰め寄る。
「嘘、ミツキ君のカウンターを教わったの!? っていうか、出来るのアレ!? すっごく難しいと思うんだけど……!?」
「は、はい……まぁ、《槍術》というからには本来槍を用いるのだろうと思いますし、その点で言えば私は剣で教わったので、完全な形とは言えないかもしれません……何より、私自身がまだまだ未熟ですから」
「それでも凄いわよ……だって、キリト君でも真似出来ないのよ?アレ」
「確かに、私もキリトにセルルト流の《活水》を教えて欲しいと頼まれた事があるが……あいつはそういった搦手は不得手のようだったな。結局、身に付かず終いだった」
「まぁ、実際戦ってみると結構意地悪な戦法を使ってきたりするんだけどね──キリト君は攻撃力が高いのに対して、ミツキ君はとにかく防御が上手いの。私も槍の状態の彼と1回だけ戦ったけど、どれだけ仕掛けても本っ当に有効打が通らなくて苦労したわ。あれでしっかり攻撃力もあるなんて反則よ反則」
「《防御は最大の攻撃》ですね。先輩が仰ってました。他にも……剣術だけじゃなくて、生きていく上で大切なことを、沢山教えてもらったんです。ですから……何があろうと、私にとって先輩は敬愛すべき素敵な御方です──私からお話できるのは、このくらいでしょうか。次は……」
アリスに目を向けるレイラだが……そのアリスは、未だ心此処に在らず、といった様子で愕然としている。目の前で手をヒラヒラとしても反応が無い。
「あらら、よっぽど衝撃的だったのかしらね──それじゃあ、おまけ程度に私もちょっとだけ話しちゃおうかしら」
そう言って手を挙げたのは意外にもイーディス。彼女はこの中で、最も付き合いの短い人物なのだが……
「あの子達がカセドラルに連行された後、色々あって、私がミツキを上の階まで送り届けることになったんだけど……ほら、カセドラルってすごく高いじゃない?昇降盤があるとはいえ、大部分階段での移動になるから、彼に話し相手になってもらってたのよ。他にも、通ってく階層の事を色々解説してあげたり……改めて思えば、ちょっとした観光みたいな感じだったわね」
下層はともかく、カセドラルは上層へ行く程、様々な景色を覗かせる──50階《霊光の大回廊》や80階《雲上庭園》、95階《暁星の望楼》辺りが代表的な所か。
「あの時のミツキは一応、これから処刑されるって時だったんだけど、庭園とか大浴場に驚いててね。私達整合騎士は長くあそこにいるからか、反応が新鮮でかわいいなぁ、って思っちゃった。途中の話も結構楽しかったし」
一通り語り終えたイーディスの肩に、フラフラと手が伸びる──意識が戻ったアリスだ。
「イ、イーディス殿まで……い、一体何を話したのですか……?」
精神的なダメージで既に心のHPはレッドゾーンも斯やという状態のアリスを見て、イーディスの心にちょっとした悪戯心が芽生える。
「え~?そうねぇ……何せぇ、
「い……いえ結構です!べ、別にお2人が何を話していようと、私には何ら影響などありませんから……!イーディス殿であれば、ミツキに妙な事もしないでしょうし」
実際の所、道中の話というのは殆ど一方的にイーディスがアリスの可愛さを力説し続けるというものだったのだが、当のアリス本人はそんな事知る由もなく……
「(あぁ~~~ッ!ヤキモチ妬いてるアリスもかわいいいいいい~~~~ッ!!)」
……イーディスが内心でこんな事を叫んでいるとも、露ほども知らなかった。
「へぇ~?まぁ、アリスがいいならいいけどぉ……本当にいいのぉ?」
「えぇ、大丈夫ですとも」
「……本当にぃ?」
「しつこいですよ。それとも、聞いて欲しいのですか?」
イーディスの胸中にはもう1つ、別の感情も湧き上がっており……
「(……アリスにあんなふうにヤキモチ妬いてもらえるとか……ミツキ、ちょっとずるくない……?私お姉ちゃんよ?普通、妹はお姉ちゃんが彼氏に取られないよう嫉妬するもんなんじゃないの!?『彼氏より私に優しくして~!』って甘えてくるんじゃないの!?)」
所謂《深夜テンション》というやつだろうか……併せて、久方ぶりにアリス成分を摂取したからか、ブレーキが動作不良を起こしているらしい──果たしてどこから仕入れたのかも定かじゃない怪しげな常識を掲げたイーディスは、カマをかけても手応えのないアリスに不満げに唇を尖らせると、衝動的に思いもよらぬことを口走り始める。
「むぅ……フンだ、いーわよ別に──私とミツキがくっついちゃってから後悔しても知らないんだからね!」
さしものアリスも、これには黙っていられなかった。
「イーディス殿ッ!? いっ、いい一体何をい言っているのですか!?!? あ、あなたとミツキが──いッいつからいつのまに──!?!?!?」
バビュンッ!と瞬間移動と見紛う速度でイーディスに詰め寄ったアリスは、彼女の肩を掴んでグワングワンと揺すりまくる。当然冗談なのだが、今のアリスの精神状態ではそれを満足に判断出来なかった。
何せ、アリスもアリスで──
「(ミツキへの気持ちは私が1番だと自負してる……けど、少なくとも2年ほったらかしにしちゃってた訳だし……SAOでの2年間に胡座をかいてたら足元を掬われると騎士の──ううん、女の勘が告げている……ッ!ど、どうすれば……!? SAOで結婚してた時の事を話す!? でもあの時の事は私とミツキだけの思い出にしたいし……!じゃあ結婚前……は、ダメダメ!
──という具合に、脳内パニック状態なのだ。
やがて、「えうえうあう~」等と謎の鳴き声しか出せなくなってしまったアリスがショート寸前と判断したアスナの助け舟が入り、プシュゥ~…と煙を上げながらアリスが気絶、もとい一足先に眠りにつく。
丁度ミツキのエピソードが1周したという所で、次はアスナを始めとする3人のキリトの情報交換が始まるわけだが……
「──ベルグリッド、お前はもう口を開くな。もし、余計な事を言ったら……分かっているな?」
洒落にならない目でベルグリッドを睨み、釘を刺すリーナ──元はといえば、彼がメディナとミツキの事をバラしたのが、アリスがこうも疲弊する要因になった事を考えれば、予め対策を講じておくべきだと考えたようだ。
「は、はは……そう怖い顔をしないでくれたまえよリーナ君……僕はただ、乙女達の恋の話に華を添えようと──」
「この世界にも同じ諺があるか分かりませんけど……そういうのはどっちかっていうと、『火に油を注ぐ』って言うんですよ……」
苦笑するアスナの言も手伝い、ベルグリッドはどこからか用意された《もう調子に乗りません》という木札をぶら下げ、天幕の隅に正座させられるのだった。
そうして始まったキリトの情報交換。言われた通り、ジッと黙して少女達のエピソードに耳を傾けるベルグリッドは、
「(在学時は半分冗談だったけれど……君の事をこうも想ってくれる人達が沢山いると分かって、正直安心したよ。……彼女達の為にも、早く戻ってきてあげなさい、ミツキ君)」
そんな、老婆心にも似た心持ちで、少年に語りかけた。
※尚、この中にミツキに殺されかけた人がいるという事を知るのは、当人とアリスのみである。