「っ……おかえりなさい、ミツキ……!」
「ああ──ただいま、アリス」
ミツキは手をかざし、満身創痍の雨縁を心意の光で包み込む。
「ありがとう雨縁。……こんな方法ですまないが、ゆっくり休んでくれ」
その声が届いたかのように、雨縁は小さく鳴くと、光の中で微睡むように目を閉じる。すると成体の飛竜の巨躯がみるみる縮んでいくではないか──鱗に覆われた体は柔らかな皮膚へ、強靭な翼は羽毛の生えた小さな羽に──気付けば、飛竜《雨縁》は両手で包み込める程度の卵に包まれていた。
飛竜の天命は膨大だ。雨縁はそれを削ってでも飛び続け、あまつさえ先の攻撃によって全損が目前に迫っていた。負傷度合いを考えると、強力な治癒術で天命を一気に回復させなければ間に合わない。しかしそんな悠長な真似が出来る状況でないのは誰の目にも明らか。
そこでミツキは、雨縁の肉体を卵状態にまで戻すことにした。全快で100あったHPが残り10しか残ってない状態から、肉体のHP上限が10になるまで逆行させたのだ。急場凌ぎもいい所、雨縁は再び卵から孵って成長するまで、アリスを乗せて飛ぶことが叶わなくなってしまったが、ひとまず命を繋ぎ止めることには成功した。
「……ッはぁ……上手くいったか」
「ミツキ……ありがとう。この子を助けてくれて」
相当な集中力を要したのだろう、詰まった息を吐き出したミツキに、卵をそっと抱きしめるアリスは、涙ながらにミツキへ感謝を伝える。
「なに、今や俺にとっても雨縁は大事な仲間だ。ルーリッドじゃ飯だって食わせたんだしな」
あんな状態ではあったが、この半年間の記憶もしっかり保持しているらしい。ルーリッドに隠居していた間に、雨縁もすっかりミツキに懐いていたのを思い出す。
「……アリス。言いたい事は山程あると思うけど……今は我慢してくれ。あいつは俺が抑えるから、君はこのまま祭壇に向かうんだ」
「そんな……私は、お前の相棒です!私も一緒に──」
言い縋るアリスの口に、そっと指が当てられる。
「事態はこの世界の外側でも動いてるからな──そりゃ、君が一緒なら誰が相手だろうと勝てると思う。けどあいつは、人界最強の騎士でも圧勝とはいかなかった奴だ。2人がかりでも時間はかかるだろう──多分、話は聞いてるだろ?この戦いを根本から終わらせる為には、君が少しでも早くリアルワールドに脱出しなきゃいけない」
「ですが……ッ!」
「俺を見捨てて1人逃げろ、なんて言わないよ──俺を信じて、任せてくれ。君が信じてくれさえすれば、俺は絶対に負けない。……俺は、アリスの相棒だからな」
そう言って笑ったミツキは、左手の旗槍から謎の小さな銀色の光を出現させると、先程雨縁にやったのと同じように、心意の力で光を小さな結晶に包み込む。
「……ッふぅ──これも持っていってくれ。その、アリスは怒るかもだけど……きっと助けになってくれるはずだ」
手渡された結晶を矯めつ眇めつ眺めたアリス──ふとミツキへ戻った彼女の瞳が、大きく見開かれた。
「──ミツキっ!!」
瞬間、衝撃が辺りを駆け抜ける──アリスと向かい合うミツキの背後では、あの剣翼が組み合わさった盾で、ドス黒い闇を受け止めていた。
「……ったく、無粋な奴だな空気読めよ──そういう事だから、早く行け。向こうはもう我慢の限界らしい」
「……絶対に、勝つのですね?」
「ああ。
アリスの脳裏に、かつてSAOでミツキと交わした約束の数々が蘇る……
戦いが終わった後、リアルワールドで再び会う事。
一緒に買い物をしたり、食事に行ったり……現実で試合をするのもいい。
そして……向こう側で、ちゃんと自己紹介をする。お互いの本当の名前を呼ぶ。
「ッ……無論です──今度こそ」
「ん。今度こそな」
アリスは祭壇の方へ向けて走り出す。何を考えたのか祭壇こと《ワールドエンド・オールター》は宙に浮いている為、飛行手段を失ったアリス単身では祭壇に到達出来るか怪しい所ではあるが、先程言ったようにキリトもじき追いつくはずだ。彼に連れて行って貰えばいいだろう。
走り去る群青の背を見送ったミツキは、残っている剣翼を差し向けて敵の攻撃の手を断つと、飛び上がって同じ目線に立った。
「──待たせたな。自己紹介は必要かい、皇帝さん?」
「………」
「……日本語は不慣れか。あー…──
しばらく使ってなかった引き出しから単語を引っ張り出してどうにか英文を組み上げ、ぎこちなく声に出す。もしこれで全く別の意味だったらどうしよう、等と考えていると……
「ふ……私は──求め、盗み、奪う者だ」
「……伝わってんならとっとと答えろ、頭使って損した…──で?コソ泥皇帝は何をご所望だ」
ミツキの煽りを気にも留めず、皇帝は悠々と答える。
「《魂》を。……特にあの娘の魂は、そこらのヴィンテージワインを遥かに凌駕する芳醇な味わいを齎してくれるだろう」
皇帝は恍惚と陶酔したような目で、祭壇に向かうアリスを見やる。その様にミツキは不快そうに顔を顰めた。
「──そういうお前こそ何者だ?何を求める?如何なる権利があって私の前に立つのだ?」
返された問いと共に、男の纏う闇が増大し、ミツキににじり寄ってくる。
「俺が何者か、か──」
《裂槍》《双槍》《灰かぶり》《ビーター》《解放の英雄》……呼ばれた名は多々あれど、自ら胸を張ってこうだと名乗れるような名はパッと思いつかない。《槍使い》……は、正しいがなんだか語感的に締まらない気がする。ならば……
「……うん。得物は
「お前も名乗れよコソ泥。《サトライザー》でいいならそう呼ぶが?」
「……
皇帝ベクタ、サトライザー改めガブリエルと恐らく本名を名乗った男は、纏う闇を操って、シノンとの戦いで失ったのだろう右腕を形成。不定形故に間接という概念を持たず、グネグネとのたうつ
腕で後ろ腰の剣を抜き放った。
対するミツキも両手の槍を構え直し、戦闘体制をとる。
「質問に全部答えてなかったな。俺がお前の前に立つ理由は──この世界の人々をおもちゃのように使い潰した件と、行く行くは俺の義父になってくれただろう人を殺した件と、俺の大事な友達の両脚を吹っ飛ばしてくれた件に対するお礼参り。でもって──人の女に手ェ出す変態クソ野郎をぶちのめす為だ」
「女……彼女がお前のガールフレンドだと?ふっ、いいだろう……ならば──お前の恋人の身も、心も、お前とお前が愛する
これまで口元にだけ貼り付けたような無機質な笑みを浮かべていたガブリエルだが、この時だけは、明確に笑みを浮かべたように見えた。
「……そうか。やっぱり最初は話し合いから始めるもんだな。お陰で──お前を心置きなくボコボコに出来る」
ミツキは剣翼を広げ、上空へ飛び立つと、右手の《流星の槍》をガブリエルに差し向ける。
「──ジェネレート・オールエレメント!」
システムコマンドの詠唱により、槍の穂先と、7つの剣翼の先端にも色取り取りの素因が生成される。
「──ディスチャージッ!」
まるで砲台のように狙いを定めた剣翼達は、ミツキの声を受けて散開。四方八方からガブリエル目掛けて素因を撃ち出した。
《熱素》《凍素》《水素》《風素》《鋼素》《晶素》《光素》《闇素》、実に8つの光の乱れ撃ちが次々とガブリエルの体に突き刺さり、間髪入れずに流星の如き槍の一突きが脇腹を抉る──その手応えに、今度はミツキが眉を潜めた。
「(何だ今のドロっとした感じ……スライム系とも違う、そこに在るはずなのに無い、みたいな……)」
何とも形容し難い奇妙な感覚。全素因による一斉攻撃もまるで効いている様子がない。それどころか、突き刺さった素因を傷口から全て飲み込んでいくではないか。抉られた脇腹も瞬時に再生した。
「……どの道、今のアリスではシステムコンソールに辿り着く事はできない、が、あまり遊び呆けてもいかんな──5分だけ遊んであげよう。メインディッシュ前の
ガブリエルは今しがたの攻撃などどこ吹く風とばかりにそう言い放つ。
「5分か……そう硬いこと言わず、腹ァ下すまで食ってけよ──ッ!」
ミツキは右の槍を手放し、旗槍1本のみを携えて突っ込んでいく。その周囲を、8つの刃が追従していった。
──《
剣から伝播した引力操作の力によって1つ1つが文字通り隕石級の威力を秘めている破片達は、半実体ながら、ミツキの体を自由自在に飛行させる翼であり、同時に敵を討つ刃でもある。
加えて、剣が槍へと形を変えた事で「槍ならば手足のように自在に操れる」というミツキの心意が作用し、槍と繋がった剣翼達もミツキの意のままに動く。
死角からの同時攻撃も、時間差をつけての偏差攻撃も、複数の剣翼を束ねての強烈な一撃も──ガブリエルには、全く効果が見られない。全ての攻撃が命中する中、悠々と剣を持ち替え、自らの足場となっていた有翼生物に突き立てる。
刃を覆う闇が、まるで対象を吸い上げるかのように蠕動し……同時に、ガブリエルの背が不自然に蠢いたかと思えば、身に纏うコンバットスーツを内側から突き破るようにして、1対の翼が生えた。
ガブリエルは試すように数度翼を動かすと……
「ふむ──まずは1つ、盗んだぞ」
そう呟くなり、猛然と仕掛けてきた──!
剣を一直線に構えたガブリエルの突進攻撃をミツキは旗槍の柄で受け、得意のカウンターを放つ。
これまでの攻撃を経て、ミツキはガブリエルについてある推測を立てていた。
この男には、システムコマンドによる攻撃も、剣や槍による斬撃も刺突も効果が無い。その全てが吸収されてしまう。ベルクーリを始め、奴が皇帝ベクタとしてダークテリトリーに君臨していた頃からアンダーワールド人と何度か戦闘を経験し勝利したことで、「刃物や術式による攻撃が自分に傷をつけ、死に至らしめる事はない」という認識が根付いたのだろう。それが心意により形を得て、ガブリエルの身に《全攻撃
だが一方で、付け入る隙が全く無いと言うわけでも無い。
道中で発見したシノンが教えてくれた事だ──ソルスの弓を変化させたヘカートの銃弾は奴に傷を負わせた。恐らく、リアル軍人であるガブリエルの中に「ヘカート程の大口径の銃弾は恐るべきもの」という認識が残っていたのだろう。そこにシノンの「ヘカートならば撃ち抜ける」という心意が上乗せされた結果、あの耐性を突破することが出来た。
剣だの槍だの魔法だのと、見るからにファンタジーな攻撃は粗方経験済みであるのなら、まだ奴が経験していない可能性が高い且つ、リアルでも通用する攻撃方法であれば──!
ミツキは旗槍を手放さず、しっかりと握ったまま、ガブリエルの攻撃の力に逆らうことなく体をグルンッ!と1回転。奴の刺突の威力を乗せた渾身の回し蹴りが、ガブリエルの後頭部を直撃した。
「(通ったッ……!)」
これまでとは違う、明確にダメージを与えた手応えはあった。ここで下手に暇を与えて耐性をつけられる前に、一気に畳みかける──!
爪先をピンと伸ばし、槍のようなトウキックで突っ込むミツキの足首を、ガブリエルは事も無さげに掴んできた。
「悪くないキックだったが……所詮子供が映画やドラマの真似をしてるに過ぎん。
グンっ!と引き摺り下ろされ、胸ぐらを掴まれる。ガブリエルは「本物とはこうだ」と言うように、一切の無駄の無い打撃の応酬を浴びせてきた。
流石に防ぎきれない、と一度旗槍を手放し、両手両足をフルに使って奴の拳打やキックを捌きにかかるが……先の一撃を受けただけで、カウンターヒッターというミツキのスタイルを見抜いたとでもいうのか、奴はミツキが衝撃を逃せないよう
「グッ……!」
ミツキはすぐさま流星の破片達を差し向ける。狙いはガブリエルではなく──現在奴に掴まれている、ミツキの左腕。
突き上げるような衝撃の後、左肩が異様に軽くなる。遅れてくる痛みを認識するより早く、ミツキはガブリエルの腹を蹴って距離をとった。
「はぁ……はぁ……ッぐ……!」
ミツキの行動に一瞬だけ見せた隙を突き、ガブリエルの手から心意の
「……今のは流石に驚いたぞ。実際、毒に侵された際や治療環境の整っていない状況ではやむ無く手足を切り落とさねばならない時もあるが……まさか私から逃れる為だけに、瞬時にその判断が出来るとは。その若さで大したものだ。軍に入隊すれば、さぞ
「はぁ……ッ、そりゃどうも」
「さぁ、次はどんなマジックショーを見せてくれる──?」
ガブリエルは生身の左腕を掲げると、雨縁に向けて放ったあの漆黒の稲妻を放ってくる。回避行動をとりながら、手放した旗槍と、流星の槍を手元に引き戻して稲妻を迎撃するが、流石に数が多い。どうにか見つけた針に糸を通すような間隙に、両手槍変則投擲技《ストラグル・ブリット》で流星の槍を蹴り出すも、やはりというべきか、回避行動を取らせることすら出来なかった。
遂には稲妻が体の随所を貫き、灼けるような苦痛と共に肉体の内側を侵してくる。それを心意の力でどうにか追い出したミツキを、ガブリエルは上空から見下ろしていた。
「フ、フフ……ハハハハハハハ──」
ふと、ガブリエルの口から笑い声が溢れる。しかし声とは裏腹に、表情は殆ど動いていなかった。
ガブリエルの纏う闇がより濃く、より強大に膨れ上がっていく……やがて彼の肉体を完全に飲み込み、その姿を大きく変質させていった。
背に生やした悪魔の如き翼は、根本から枝分かれした左右で6枚の羽に。
身に着けていたコンバットスーツは消失し、文字通り全身を覆う闇によって人柄のシルエットのみが形作られる。
頭部は白人然とした彫りの深さを失い、起伏の無いのっぺりとしたマネキンのような顔面に青白い双眸と、不気味に釣り上がった三日月型の口。
最後に小さく瞬いた邪悪な光が、輪っか状になって頭上に出現した。
背にした翼、頭上に浮かぶ
聖書に語られる神の御使、天使ガブリエル──その名はヘブライ語に於いて「神は私の力」「神の人」などという意味があるとされている。
果たしてあの男がその意味を解した上であの姿をとったのかは定かでないが……少なくとも、このアンダーワールドに於いて、自らは圧倒的な上位存在である、という認識が働いているのは間違いないと見るべきか。
ミツキを圧倒する優越感からではない。あらゆる攻撃を克服し、「死」という概念を超越した存在だという自己認識が形を成したのがあの「死の天使」であるのなら……それを覆すのは、困難を極める。
何せ相手は自らを天使にするような男だ。下位存在である人間如きの抵抗など、たかる羽虫のように払い除けるだろう。
「(……いや、そうか……そういうこと──)」
何かにたどり着いたミツキ──その胸に、
「ッ……ゲホッ……」
「ふ……フフフハハハハハハハ──分かるぞ、恐怖しているな?圧倒的な力を前に、震え怯え、逃げ惑う。それすらも徒労に終わり、お前は全てを奪われ失うのだ」
もう片方の手が、倒れるミツキの顔面を鷲掴みにする。
「さぁ寄越せ……!お前の魂ッ!お前の希望ッ!お前の恐怖を──ッ!!」
高笑いと共に、ガブリエルはミツキの心臓を掴み取った腕を引き抜く──不意に、釣り上がっていた口がその角度を失った。
動かない。潜り込ませた腕が、引き抜けない。
どれだけ力を込めようと、傷口から湿った音と共に血が漏れ出るだけだ。
「───」
──突如、ミツキの腕が持ち上がり、胸を貫くガブリエルの腕を掴んだ。それだけならば、無駄な抵抗を試みているだけと切って捨てたが……
「ッ……ハ……ハハ……」
吐いた血で汚れ、苦痛に歪んでいたはずの口元が、笑みを作っている。
そして、顔を押さえつける指の間から、ギョロリと見開かれた目がガブリエルを視た。
「………ッ!?」
その瞬間、ガブリエルはミツキの顔面から手を離し、引き抜けない腕をひと思いに切り離し、全力で翼を羽ばたかせてミツキから距離を取った。
刹那、ミツキの体から
渦巻く蒼炎の中、ミツキはゆらりと立ち上がる──胸に潜り込んだままのガブリエルの腕が、跡形も無く灼き尽くされた。
「ぉ……おおおおおおおおオオオオァァァァ──ッ!!!」
炎を纏った体で双槍を掴み、雄叫びと共に飛び上がるミツキ。即座に腕を再生したガブリエルは、地上から突き上げられた槍を腕でいなした。ミツキは急制動をかけるなり、振り向きざまに槍を叩きつける。
「ウルァァァッ!」
「ッ……この死に損ないが──!」
ガブリエルは腕を刃状に変化させてミツキを斬り付ける。すると、血液の代わりに傷口から蒼炎が噴き出た。
「ぬぅ……ッ!?」
「ッ……オオオオオオッ!!」
ミツキはまさに狂戦士、といった勢いでガブリエルを猛撃していく。
ガブリエル側からの反撃を受けても尚、動きが止まる事はない。
確かに攻撃は当たっているはずなのに。確かに傷が増えているはずなのに。
確かに痛みがあるはずなのに。人間である以上、胸の奥底に死への恐怖があるはずなのに。
「フッ!───セァッ!───ァアアアアアアァァァ───!」
動きが鈍るどころか、一撃繰り出す度にミツキの攻撃の威力が増している。精度こそ多少粗が見られるが、それを補って余りある── 一撃食らうだけでもただでは済まない、そう思わせるだけの気迫に満ち溢れていた。その推測を裏付けるように、穂先が掠めた箇所の傷は
何より……
「グ…ゥゥゥ……ッ!──…ッヒ…ヒヒヒッ、ァハハハハハ──ッ!」
至近距離で鍔競り合うガブリエルの眼前に迫ったミツキは、
喜びではない。愉悦でもない。傷だらけの身体、血と痣に彩られてボロボロになった顔。苦痛しか無いはずのこの少年のどこに──どこから、この笑い声が出てくるというのか。
「ッ……調子に乗るなッ!!!」
ガブリエルの手が伸び──ミツキの右眼を抉った。
「ガ…ァ……ッ!」
いくら狂乱状態になろうと痛みは平等だ。この狂乱状態も所詮自棄を起こしただけに過ぎない。眼を抉り抜かれるという尋常ならざる苦痛の前には無力──
「ァ……っは──ハハハハハハ……ッ!」
……理解出来ない。
何故、この期に及んで笑っていられる?
何故、これ程の苦痛を受けて笑っていられる?
いや、それ以前にだ──何故止まらない?
何故、まだ動いている?
何故、まだ生きている?
何故──この少年から「恐怖」を感じない?
嫌悪?──違う。
侮蔑?──違う。
憐憫?──違う。
不快感?──違う。
違う、違う、違う、違う違う違う──わからない。
わからない。この少年が何なのか。何がこの少年を動かし、何がこの少年を生かしているのか。
どうして……一刻も早く、この少年を視界から消し去りたいと思っているのか。
「この……化け物がァッ!」
ガブリエルは大きく翻した翼を刃へと変化させ、せめぎ合うミツキを背後から串刺しにしようとする。しかしミツキはそれより早くガブリエルを蹴り退けて上空へ身を翻した。
「ハハハハハッ!───ハァァァッ!!!」
ミツキが流星の槍を天高く掲げ、剣翼達はその穂先が示す先へと飛翔していく──槍が振り下ろされたその時、7つの「破壊」が降り注いだ──。
《流星の剣》の正体は隕石の破片。そしてリアルワールドに於いて隕石は往々にして、破壊と滅びの代名詞とされている──人類が繁栄する以前、かつて星を支配していた恐竜達を滅ぼす決定打となったのも、遥か宇宙より飛来した隕石だった、という説が有力視されている程だ。
ミツキと同じ青い炎を纏い、絶対的な破壊と滅亡を齎す7つの影……そこに込められたものは、ガブリエルに胸を貫かれたあの瞬間、ミツキの中で弾けたたった1つの感情──純粋な「怒り」だった。
だってそこは、ミツキにとって大事なものが──とても大事な
このアンダーワールドの人々の命を徒らに弄んだ。
大事な相棒の大事な師を殺した。
大事な友達を傷つけ、痛めつけた。
大事な大事な、たった1人の、最愛の相棒を奪おうとしている。
この上、ユージオやアリス達との思い出までもを奪おうとするガブリエルに対し、怒りが湧き上がり──否、
初めて、純粋な「怒り」というものを体感した。
溜まりに溜まった全ての感情が、全身の血液が、熱く激しく燃え滾る感覚。
そこに余計な雑念は無い。燃え上がる炎に突き動かされている最中は、恨みも殺意も、敵意さえ介在する余地が無い。
1つだけあるとしたら……爽快感、とでも言えばいいのか。
厳密には少し違うかもしれないが、とにかく、弾けた感情のままに武器を振るって暴れていると、自然と笑みが溢れた。何が楽しいわけでもないのに、笑っていた。
そんな少年の「怒り」を乗せて降り注ぐ破壊の雨は、地に触れた瞬間、轟音と衝撃、熱を伴い、大地を穿った。たった1つでクレーターを作る流星が……あと6つ、ガブリエルに殺到する。
「グッ……オオオオオオオ……ッ!!」
ガブリエルは自らの中に湧き上がる「ソレ」を自覚しないまま、ひたすらに力を振り絞って流星を受け止める。
炎にその身を灼かれながら、全力で滅びに抗う私の天使に向かって、ミツキは槍を構えた。
「オオオオオオオオオオオオオ───ッ!!!」
自らが手にした槍を8つ目の流星とし、神を騙る不遜なる死の天使に破壊と滅びを与える──!
「ッ……ゥゥァアアアアアアアアア──!!!!」
突如、絶叫した天使の
まるで食虫植物が獲物を迎え入れるかのように開いたその口は──流星の剣士を、一口で飲み込んだ。
血も、肉片も残っていない。残っているのは、偶然こぼれ落ちて地に突き立った旗槍だけ。
「はぁ…はぁ……フ、これがあの少年の魂の味か──雑味の強い、とても味わえたものではないが……まぁ、珍味として見れば悪くはない」
どうにかミツキを退けたガブリエルは、己を今一度確かめる。
「私はガブリエル……求め、盗み、奪い……喰らう者だ……!」
自らに言い聞かせるように呟く……しかし、先程までのような全能感が戻ってこない。ガブリエルの脳裏の片隅に、常にチラつく影があった。
「……柄にもなく遊び過ぎたか。アリスを追うとしよう」
南に目を向ければ、最初より随分距離が離れたものの、まだアリスの後ろ姿を確認できる。今のガブリエルならば十分追いつけるだろう。
──6枚の翼を羽ばたかせようとしたガブリエルの背後で、赤い光が瞬く。
「──オオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!!」
咄嗟に振り向き、手のひらに掲げた虚無の盾へ、黒衣の剣士の刃が突き立てられた。
常人から見て狂人であるなら、狂人から見ても同様に狂人である
狂人なら狂人を理解できるかといったらそんな事はなく、ただ自分とは違う狂い方をしてるだけの狂人でしかない。
そして狂人は他者に理解されない。理解出来ないものを人は恐れ、拒絶する。
人間にとって最大の恐怖とは、「わからないこと」である。
そもそも「死を知らない」ガブリエルと、「死を恐れない(ように見えてる)」ミツキは似てるようで違う。何せミツキは大戦中、一瞬だけ死んですぐ生き返ってまたすぐ一瞬だけ死んで〜を何百何千と繰り返し経験してるのでね。常人と比べて死とか怪我への恐怖が格段に薄い(全く感じないわけじゃない)です。率直に言って、人としてはもうとっくにネジ飛んでぶっ壊れてます。
そんなミツキだからこそ、天使モードのガブリエルに「恐怖」の芽を植え付けることが出来たわけですね。
常人と同じ感性はあるし、常人と同じ生活、行動をとる事もできる。常人を理解する事もできる。
でも残念ながら、ミツキが本当の意味で「常人」に戻ることはもう無いんです…