アインクラッド第1層の《黒鉄宮》には、巨大な石碑がひっそりと鎮座している。それにはこの世界にいる全プレイヤーたちの名前が記されており、HPを0にして死んだプレイヤーたちの名前には、死亡した瞬間に横線が刻まれる。
ご丁寧に死亡原因や、いつどこで死んだかも追記してくれる親切設計だ。
この世界がデスゲームであると宣告されてから最初に出た死者は、1人の男だった。ナーヴギアの構造上、ゲームシステムから切り離されたものは意識が回復するはずだ。という持論を展開した彼は、第1層の外周によじ登り、底があるのかさえ知れない空中へ身を踊らせた。
絶叫の尾を引きながら落下していった男がどうなったのか。それがわかったのは、数分後だ。
男の名前には無慈悲な横線が刻まれ、その下に詳細が記されていた。死亡原因は高所落下。死に至るまでに男が何を見て、何を思ったのかは正直考えたくない。そもそも仮にこれで脱出できたとしても、この世界にいるプレイヤーたちには外部との連絡手段がないため、この試みの成否を確認できない。
第一、そんな簡単な方法で脱出できるのならとっくに解放されているはずだ。
デスゲームが始まってから10日が経った頃……
安全な街に引き篭る大勢のプレイヤーたちを他所に、俺こと三島翠月──プレイヤーネーム《Mitsuki》は、森の中を駆け回っていた。
両手で槍を構え、背後から迫るモンスターを集団から引き離しにかかる。俺の後を追ってきているのは暗い灰色の狼──正式名《ダイアウルフ》。
本来なら街の周囲にある草原地帯でよく目にするMobだが、生息地を徐々に移動しているらしい。後方には、同じMobが群れをなしていた。
オオカミ系のMobの特徴として、HPがイエローゾーンを下回ると咆哮によって周囲の仲間を呼び集める。しかも吼えた個体と同じプレイヤーにターゲットを集中することであっという間に囲まれてしまう恐れがある為、こうして1~2頭ずつ咆哮の範囲外に引き離して戦う必要があるのだ。
時刻は既に夜だというのに、なぜ俺はこんなところで狩りをしているのか?
理由は至極単純。そういうクエストだから。
俺はキリトと別れたあと、全力疾走でとある村を目指した。途中の村々でレベリングと休憩を挟みながら進んだ先には、マップをよくよく注視しなければ分からないくらいに小さい農村がある。
《ラグル》というこの村には老人のNPCしかおらず、若者の姿は見えない。そんな中、村付近に移り住んできたオオカミが畑を荒らして困っているから助けてくれ。というのがクエストの内容だ。
害獣であるオオカミたちを特定数倒せばクエストはクリアとなり、徐々に討伐数が増えていくクエストを3回クリアすることで、報酬である《アニールスピア》が手に入る。最初は5頭、次は10頭、そして最後は15頭の討伐を要求される周回クエストだ。
俺が今装備している初期装備の《ブロンズスピア》は、現在進めている3度目の挑戦が最後の見せ場となる。
そんなわけでオオカミたちを狩り続けた俺は、計8頭のオオカミたちを撃破している。クリアまではあと7頭。
「グルァッ!」
獰猛な唸り声を上げて飛びかかってきたオオカミを左に避け、ガラ空きとなった横っ腹に渾身の《シャフト》を打ち込む。
ダイアウルフのHPバーがガクンと減り、イエローゾーンを経て赤く染まる。本来ならここで咆哮により仲間が呼び集められるはずなのだが……
「よっと」
基本ソードスキルの利点である
これでオオカミのHPはゼロとなり、ポリゴンの欠片へと変わっていく。
一見効率のいい倒し方に見えるこの方法だが、やっている側からしてみればかなり危険な戦い方だ。
なにせタイミングが少し遅れるだけでわらわらとオオカミの大群が押し寄せてくるのだ。ソードスキルでどのくらいのHPを削れるか。とか、どのタイミングでスキルを繰り出せば余裕を持って対処できるかを考えながら戦わなければならない。
従来のMMORPGならばそういうことを考えながら戦うことも苦ではなかったろうが、失敗の許されないこのゲームで同じことをやろうとすると死の危険すら伴う。
さりとてチマチマ削っていくだけでは時間がかかりすぎて、倒したオオカミのどれかが近くに
現状のステータスでは一度に2頭相手取るのが精一杯なため。それ以上の数に囲まれたらもう逃げるしかない。
……こんな時に魔法があれば楽ちんなんだけどなぁ……
などとぼやきながら、俺は水平斬りソードスキル《ヘリカルサイス》を繰り出し、今まさに飛びかかってきた2頭のオオカミを横薙ぎに一掃する。断末魔を残してポリゴン粒子と消えるオオカミたちを隠すかのように、俺の視界に《Congratulations!!》のフォントがファンファーレと共に表示される。同時に、俺の現在をレベルを示す数値が5から6へ。
「あと4体か……流石にしんどいな」
かれこれ3時間──1周目から数えれば3日──近く同じ相手と戦闘を続けている。ソードスキルは規定モーションを検出して発動するため、使うのに結構な集中力を要する。俺はモーションが単調な基本技の《シャフト》を軸に戦っているため然程でもないが、それもいつまで持つか分からない。
正直な所、手早く片付けて休みたい。しかし手早く片付けるためには最低でも一度に2頭のオオカミたちを相手にしなくてはならない。この状況でそれは非常に危険だ。
他のプレイヤーとパーティを組んでいれば、こんな事で迷う必要もないのだが…俺もキリトも街を出た時からソロを貫くと決めている。自分で決めた事をそう易易と曲げない程度には、俺も人間が出来ていた。
メニュー画面を操作し、ステータスポイントの振り分けを手早く済ませる。俺は槍使いなので、獲得した3ポイントのうち筋力に1、敏捷値に2ポイント振り分けた。上の層に上がるにつれて筋力値も上昇させるつもりだが、序盤は敏捷値を優先させることにしよう。
そろそろ再開するか……と移動を始めた俺の聴覚が、異音を捉えた。
──はっ!──―やぁっ!──
気合、だろうか?誰かが近くで戦っているようだ。それも……
「この声……女、か?」
いやまさか…と思いながらも耳を澄ませる。するとまた、鋭い気合が聞こえた。
聞きようによっては声が高い男に思えなくもない。
「…行ってみるか」
そうつぶやいた俺は、慎重に声の方へと歩みを進めた。
SAOにおけるプレイヤーの男女比は、圧倒的に男性の割合が多い。
当然といえば当然の結果だが、偏見を恐れずに言うと、そもそも廃人レベルのゲーマーという人種はほぼ男しかいないものだ。上手い女ゲーマーというのもいないわけではないのだが、なんだかんだで廃人レベルには至っていないケースが殆ど。
「おいおい……」
だから俺は、目の前の光景を見た瞬間そう声を漏らしてしまった。
声のした方では、予想通りプレイヤーがオオカミと戦闘を繰り広げていた。そのプレイヤーというのがまた滅多に見ることのない外見をしていたのだ。
本当に現実世界で生まれたものなのかと疑うほどに整った顔立ち。透き通った青い瞳。真っ白な肌。そして何よりも目を引く、月の光を受けて輝く、後ろで編み込まれた長い金髪。創作物などでよく見られる《救国の聖女》という表現がピッタリはまりそうな外見だ。
俺は今、この世界に閉じ込められて初めて女性プレイヤーに会ったのだ。
「──やぁっ!」
金髪の女は手にした片手剣を構え、オオカミの横腹に片手剣垂直斬りソードスキル《バーチカル》を繰り出す。攻撃がクリティカルヒットしたらしく、オオカミのHPが減少していく。ギリギリブルーのラインからイエロー、そしてレッドゾーンを経て、HPが全損するかに思われたが……
「──っ!あれじゃ…!」
オオカミのHPは全損一歩手前で減少を止めた。
このままではオオカミの群れがこの場に大挙して攻めて来る。
見たところ彼女は中々の腕を持っているようだが、流石にオオカミが5体も6体も出てこられては歯が立たないだろう。その上周囲を警戒している素振りもない。
そうこうしている内に、俺の索敵スキルが周囲から走り寄ってくるオオカミたちを捕捉した。
「ちぃっ──!」
俺は背中から槍を抜き放ち、すぐ近くまで迫っていたオオカミに不意打ちの《シャフト》を叩き込む。
「──っ!?何者……」
「話は後だ!オオカミの群れが来るぞ!」
金髪の女と背中合わせの状態になり、俺は槍を、女は剣を構える。
次の瞬間、灰色のオオカミたちが獰猛な唸り声を上げて飛びかかってきた──―
「はぁ…はぁ……あんた、無事か?」
「……えぇ。そちらも無事で何よりです」
何とかオオカミの群れを全滅させた俺たちは、荒い息を吐きながら互いの無事を確認した。
そろそろ耐久力が心配になってきた槍を背中に戻し、背後の女を見やる。
「別に必要ありませんでしたが、助けてくれた事には礼を言います」
「いくらなんでも無茶だろ女1人で。しかもあんた、ベータテスターじゃないんだろ?」
手近な木を背に座り込む女プレイヤーは、見ての通り剣使い──それも何から何まで初期装備のようだ。もし仮にベータテスターであるなら、《始まりの街》を出て最初に目指すのはここではなく、キリトが向かった《ホルンカ》という村のはず。
「ベータ、テスター……?何の話か知りませんが、女だからと甘く見られるのは不愉快です」
「あのな…分かってるだろ。俺たちに残された命は1つしかないんだ。レベリングに熱心なのはいいことだが、まず生き残ることを優先しろって」
「お前は命を複数持つ生き物を見たことでもあるのですか?何をそんな当然のことを」
さっきの丁寧な言葉遣いから一転、「お前」呼びにシフトした彼女を見て、俺は違和感を覚えた。この女プレイヤー、どうにもさっきから俺との会話が微妙に噛み合っていない。ベータテスターという言葉に首を傾げたのはまだ理解できる。正式サービス直前になってSAOに興味を持った新規プレイヤーも多いはずだ。
しかし今の彼女の言葉を聞くと、まるでこの世界がゲームであるという根本的なことを端から理解していないような印象を受けるのだ。
ある意味、俺たちにとってもうひとつの現実となったこの世界にいち早く、それも中々にディープな没入の仕方をしているとも取れるのだが……
「……そろそろ再開します」
考え込んでいた俺を他所に、息を整えた金髪の少女は、剣を片手に歩き出す。
「おい待てって……あー、失礼を承知で聞くけど、あんた今のレベルは?」
「レベル…?」
「えっと、視界の左上に自分の名前があるだろ?そのすぐ横に書いてある数字はいくつだ?」
「…4とありますが」
「俺は6。つまり今の俺はあんたより少しだけ強いってことだ。もし狩りを続けるなら、俺も同行させてもらうぞ。見た感じ結構な数を狩ってるみたいだけど、またあんなヘマをして死なれちゃ困る」
先程の動きを見れば戦闘経験者なのはわかる。だが何度も戦っているであろうオオカミたちの習性を理解していないようではとてもじゃないが放置しておけない。
「ぐ……意味がわかりません。何故初対面のお前と一緒に行動しなければならないのですか。心配は無用、私は1人でも戦えます。もうあのような失態は犯しません。ではこれで」
嫌な部分を突かれてぐぬぬと歯噛みした金髪美女は、矢継ぎ早にまくし立てるなりそっぽを向いて立ち去ろうとする。
せめて「レベルが上がるまでは我慢してあげましょう」くらいの答えを期待していたが、最初の素直な彼女は何処へやら、思った以上に頑固のようだ。下に見られるのが嫌なのだろうか?
ならば……
「分かった、言い方を変えるよ。俺は今、近くの村でオオカミ狩りのクエストを受けててな。あと4匹狩る必要がある。それを手伝ってくれ」
「そのような義理があるとでも?」
「あんたを助けなきゃ今頃終わってたものだ」
「勝手に助けたのはそちらでしょう。それにオオカミなら先程あれだけ相手にしたではありませんか」
確かに。彼女を助けに入った際には延べ6匹ほどのオオカミを相手にチクチクと立ち回っていた。いたのだが……
「でもトドメはぜーんぶあんたに持ってかれたからなー。俺が倒したことになってないんだよなー。もし手伝ってくれれば、お礼にこの世界のこととか色々教えようと思ってたのになー」
少しの沈黙を経て、金髪美女の良心に訴えかけてみる作戦は成功。不承不承といった様子で俺たちはパーティを組むことになった。
「それじゃ、取り敢えずクエストクリアまでの間だけよろしく。俺はミツキ、あんたの名前は?」
「私の名は……アリスです」
上手くアリスの性格や話し方を表現できているでしょうか。
言葉遣いから分かるように、このアリスはツーベルクではなく整合騎士のアリスです。