俺とアリスが1つ屋根の下で暮らし始めて3日目──攻略へ向かおうとした俺の背中を、またも彼女にむんずと掴まれた。
「お前は攻略よりも先にやらねばならない事があるはずです」
「う……分かってるよ」
アリスの言う、俺がやらなければいけない事。それは即ち──
「──…本当に、迷惑をかけた」
50層の安価な宿屋の一室。アリスが見守る傍らで頭を下げる俺の前には、揃って腕を組むアルゴ、エギル、クラインがいた。
姿を眩ませた俺を探すのに、この3人もかなりの時間と労力を割いてくれたと聞いている。アルゴは情報屋の通常営業を続けながら、俺に繋がりそうな情報を探しては精査するハードワークを数日に渡ってこなし、クラインやエギルがいたお陰で、俺を35層から47層へ安全に運ぶことが出来たのだそうだ。
「……ン。まぁ事情が事情だしナ。反省してるならオレっちからは特に言う事は無いヨ。お前達は?」
「まぁ、概ねアルゴと同意見だ。だがミツキ、お前はもっと周りを頼ることを覚えろ。ガキのうちからそれじゃあ、大人になったらもっとキツいぞ」
「……ああ。肝に銘じるよ」
エギルの言葉を胸に刻んだ俺は、クラインに目を向ける。ここまでジッと黙っていたクラインからは、いつもの陽気な雰囲気は欠片も感じられない。
「……ミツキ、正直に答えてくれ──俺達ゃ、頼りねぇか?」
真剣だが、どこか覇気の抜けた言葉に、俺はすぐ返事が出来なかった。
「そりゃあ、おめぇやキリトに比べりゃまだまだってのは分かってるよ。一緒にいた所で足手纏いになっちまうだろうってのも……悔しいがその通りなのかもしれねぇ。けど──けどよォ……!」
立ち上がったクラインは俺の両肩をしっかりと掴む。
「理屈だけじゃどうにもなんねーんだこういうのは……!おめぇが俺達を巻き込まねぇようにって気を遣ってくれたなァ分かる。でも残される側の気持ちってのもよ、ちっとは頭に入れといてくれ……ッ」
「……ああ。悪かった」
小さく鼻を啜ってからニカッと笑ったクラインは、「こちとら巻き込まれ上等だからな!」と言って俺の背中をバシッと叩いた。
そんな一幕を経て──3人と再びフレンド登録し直した俺は「今度無断で登録解除したらぶん殴る」という約束をした上で、その場を後にする。そんな俺の背中を、アルゴが呼び止めた。
「……待ったツキ坊。オレっちも言いたい事、1つだけあったんダ──もう二度とアリっちにあんな顔させるなヨ」
「……当たり前だ。アリスは俺の──俺の大事な…パ、パートナー、だからな」
背中越しに「ひよっタ」「ひよったな」「ひよりやがって」と野次の3連撃が飛んでくるが、前を歩く《姫騎士》様の背中をグイグイ押して逃げるように宿を出るのだった。
──この事から分かるように、今日1日は俺のフレンドリスト復元に充てることになった。といっても、元々俺のフレンドリストはてっぺんからちょいと下に動かすだけでスクロールが止まる程度しか埋まっておらず、今は両手の指にも満たない数の内、5人の名前が連なっていた──1番上にアリスがおり、この間会った時に登録し直したミト、そして先程の3人だ──あと声をかけなければならないのはリズにサーニャと……あの2人か。
ここ最近前線で見る事が減ってきているサーニャは後にして、一先ずリズの店がある48層へ向かおうかと思っていた所、アリスの元へメッセージが送られてくる。内容に目を通したアリスは、少々バツの悪そうな息を漏らした。
「……間に合いませんでしたか──ミツキ、予定変更です。先に22層へ行きますよ」
「22層?」
そんなところに知り合いいたっけ?という俺の疑問に、アリスはメッセージウィンドウを可視化させることで答えた。
──いつの間にかミツキ君がフレンドリストから消えてる!無事なの!?見たらすぐ返信して!
覗き込んだウィンドウには、そんなアスナからのメッセージが表示されていた。
アインクラッド第22層──《コラル》という小さな村を主街区に持つこの層は、アインクラッドの中で最も人口が少ない層だ。同時に、75層に至るまでの中で最も苦戦しなかった層と言っていい。迷宮区は愚かフロアボスすら大した強さではなく、当時の俺達は到達から僅か3日というハイテンポでこの層を駆け抜けていった。
そんなのどかな階層の南西エリアには水と緑に囲まれた自然地帯が広がっており、その更に南岸へ進んだ所に、その家はあった。
「アレがあいつ等の新居か……いい家じゃないか」
「ええ。私も実際に訪れたのは初めてですが、見ているだけでどこか温かい気持ちになります」
キリトとアスナが結婚するにあたり購入した1軒のログハウス。豊かな自然に囲まれたそこは、ここがシステムに保護されていない《圏外》であるという事すら忘れてしまいそうになる。
「……さて、見入っている場合ではありませんよ。心の準備はいいですか?」
胸の中に戻ってきた緊張感に息を呑む。一度深呼吸した俺は、「行こう」という意思を込めて頷きを返した。
テラスに繋がる小さな階段を上がり、アリスがドアをノックすると、ガタッ!パタパタ…──というような音が微かに聞こえた。
「──アリスッ!大変、ミツキ君が……ッ!」
「落ち着けアスナ!まず状況をちゃんと整理してからだな……!」
内側からドアが開かれ、慌てに慌てた様子のアスナと、それを宥めつつ自身も心配が隠しきれてないキリトがアリスを出迎える。それを聞いただけで、罪悪感からか俺の仮想の胃がキリキリと痛んだ。
「アスナもキリトも落ち着いてください。ちゃんと説明します──他ならぬ本人が」
「へ……?」
「ほん、にん……?」
アリスが体を横へスライドさせ、後ろにいた俺の姿が顕になる。ポカンとした2人に俺は、
「や、やぁお2人さん。あー……ご結婚、おめでとう……は、はは──」
気まずさマックスの苦笑いで乾いた笑いを発する事しか出来なかった。
場所は移り、新婚夫婦の家のリビング──キリトとアスナ、そして客人であるアリスがソファに腰を下ろしている中で、同じく客人であるはずの俺1人だけが木の床に正座させられていた。
「じゃあつまり──75層のクエストギミックでフレンド登録が全解除されちゃった──ってこと?」
「えー、はい。そういう事です……」
「なんだよ人騒がせな……とにかく、大事なくて良かった」
古戦場のようなフィールドが広がる75層で戦士の亡霊と戦うクエストがあり、進行上のギミックでフレンド登録が解除されてしまった──キリト達には、事の経緯をそう説明した。これはここに来る道中アリスと相談して決めた事で、話を合わせるよう了承も得ている。
あの日襲撃を受けたのは俺だけではない。キリトもまた、ラフコフに与したクラディールの罠によって死にかけたのだ。その際……奴の命を奪ったという事も聞き及んでいる。この上またもラフコフ残党による襲撃を匂わせるような事があっては、折角手に入った穏やかな生活に影が差してしまう。それだけは何としても避けたいというのは、俺とアリスの共通認識だった。
「──俺もフレンド欄が空になってるのに最近気づいてさ。今日は朝から知り合いを回って、フレンド登録し直してる最中だ。数が少ないのは不幸中の幸いだったかもな」
「でも、そんなクエストがあるならアルゴに伝えといた方がいいな。アイツ《全クエスト必勝ガイドブック》出してるし、フレンド登録全解除ってのは一見笑えるようで見えにくい危険もある筈だ」
「いや、その必要は無い。てかもう言ったんだ。けどそのクエ、1回きりの単発ものだったみたいでな。俺がクリアしたから、もう誰も受けられない」
「珍しいな。俺、クエストはほぼ全コンプしてた筈だけど、先着1回きりってのは初めてじゃないか?」
「75層は最後のクォーターポイントだからな……今後そういうクエストも増えてくるのかもしれん」
そう話題を締め括る。どうやら上手く誤魔化せたようだ。
「でも本当に良かった。2日も遅れちゃったけど──ミツキ君、お誕生日おめでとう」
「おめでとう、ミツキ。──遅れた上にケーキの1つも用意できなくて悪いな」
「お構いなく。てかよく覚えてたな俺の誕生日。多分知ってる奴の方が少ないぞ?」
「アリスは覚えてそうだな」
「そうね。アリスは絶対覚えてたでしょ」
「な、何ですかその含みのある笑みは……!」
ニヤニヤと温かい目でアリスを見るキリトとアスナ。そんな中、廊下の床板が微かに軋む音が聞こえた。誰かが廊下を歩いている……?だが家主であるキリトもアスナもソファに座っている。では一体誰が──そう思って振り向くと、あどけない寝ぼけ眼と目が合った。
「……パパ、ママ──このひと、だぁれ?」
「ユイ──ごめん、起こしちゃったか」
「うん、ちゃんと1人でおきれたよ」
「よしよし、早起き出来て偉いぞ──じゃあ、そこで座ってるミツキおじさんに一緒に挨拶しような」
「こんにちは!」
「あ、ああ──こんにちは……」
噛みそうになりながら挨拶を返した俺は、静かに立ち上がると部屋の隅へアスナを手招きする。そこへ俺と胸中を同じくしているであろうアリスも加わった。
「「……説明してもらおう(いましょう)か?」」
「えっと、話せば長…い訳でもないんだけど──」
困ったような笑みを浮かべたアスナは、ユイと呼ばれたあの少女と出会った経緯を語り始めた──。
「──っていう訳で。一時的に私達で預かってるのよ」
「なる程、そのような事情が……ごめんなさいアスナ、私とした事が早とちりを」
「ううん、そりゃ驚くよね。って感じだし」
「ホント驚いたよ……結婚と合わせて2倍のご祝儀包むべきかと思った」
──尤も、今の俺の懐事情では結婚祝い分すら包めるか怪しい所だが。
「……けど、随分妙な場所で迷子になってたんだな。親御さんの手がかりはまだ……?」
「うん。両親に関する記憶がほぼ全部飛んじゃってるみたいで……今日は午後から、第1層でユイちゃんの知り合いがいないか探してみようってキリト君と相談してたんだ」
「あの幼さで何も覚えていないとは……怖かったでしょうね」
自身もまたリアルでの記憶を持たないまま、がむしゃらに戦っていた経験を持つアリスは、あの少女に同情の念を禁じえないようだった。
「──そういう事であれば、私にも手伝わせてください」
「えっ、いいの?」
「幸い…というのも変ですが、私とミツキも今は前線から離れています。《はじまりの街》の広さを考えれば、人手は多い方がいいでしょう。──ミツキ、構いませんか?」
「勿論」
「2人共……ありがとう」
キリトもアスナも、そして俺達も。今でこそ前線から離れているが、ずっとそのままという訳にはいかない。迷宮区の攻略は他に任せるとしても、最低限ボス戦には参加しなくてはならず、その間はあの子1人となってしまう。あの2人を「パパ、ママ」と慕う彼女にとっては、それが動物の刷り込み現象に近いものであったとしても心細い事に変わりはない。出来る事なら、早い所本来の家族の元に返してあげるべきだが……きっと俺以外──ユイを除く3人の脳裏にも、「最悪の可能性」がチラついているはずだ。
ここ22層は迷宮区以外のフィールドにモンスターがほぼ湧いてこない。あの子がキリト達に保護されるまで無事だったという事がそれを裏付けているが、何事にも例外というのは存在するものだ。例えばそこかしこに点在している大小の湖に潜んでいた水棲モンスター等に襲われ、両親はその身を犠牲にユイ1人を──そこまで考えて、縁起でもないと強制的に思考を打ち切った。
彼女の両親はきっと無事だし、記憶だってきっと戻る。元の両親の所へ帰れる筈だと自分に言い聞かせた俺は、ふとアリスを見やる。
彼女は、どうなのだろう?
このゲームをクリアした暁には、アリスのリアルでの記憶も戻るのだろうか?記憶が戻ったら──今のアリスの記憶はどうなるのだろう?欠けたパズルのピースのように過去の空白が埋まるだけなのか、それとも……
頭を振った俺は、またも思考を打ち切る。それ以上考えるのを、心が拒否しているようだった。
「2人共座って。お礼って言うには早いけど、お昼、ご馳走するわ」
「ありがとうアスナ。お言葉に甘えて、ありがたく」
久し振りにアスナの料理が食べられると期待に胸を膨らませる俺の元へ、キリトの膝から下りたユイがトテトテと近付いて来る。歳は小学校の低~中学年くらいだろうか、あどけなさの残る可愛らしい瞳は、ジッと俺を──いや、俺越しに「何か」を見ているようで──
「……いたいの?」
「ッ──!?」
唐突に発せられた言葉に、俺は鋭く息を呑んだ。視界の端では、アリスも同じように驚いた表情を浮かべている。
「わたしね、しってるよ。こーいうときは…えっと──」
背伸びをしたユイは、懸命に伸ばした手を俺の頭に触れさせる。
「いたいのいたいの、とんでけー!──ってするの。げんきになるまほう!」
「ユイ、何か思い出したのか?」
「んー、わかんない……でも、このまほうはしってた。ないてるひとをえがおにするまほう」
無垢な笑顔に、胸の奥から込み上げてきたものをどうにか押し止める。代わりに、
「……ありがとう、ユイちゃん。君は凄い魔法を使えるんだな、お陰で元気が出たよ」
「えへへ…っ!」
「──よし、お礼だ。ご飯が出来るまで、ミツキおじさんと外で遊ぶか!」
白いワンピースに包まれた小さな体をヒョイと持ち上げる。槍使いとして見れば異端である筋力寄りのステータスを持つ俺だが、それを加味しても随分と軽いユイは、俺の手の中で楽しそうに笑った。
2人が外へ出て行き、リビングにはキリトとアリスだけが残される──そんな中、キリトはおもむろに口を開いた。
「……無理に答えなくてもいいけど……ミツキの奴、何かあったのか?」
「そうですね……ここまでの道中で、少し」
「……そうか……アリス、俺がこんな事言うのも変かもだけど──ミツキの事、よろしく頼むな」
「……無論です」
ミツキ改めミツキおじさんをユイちゃんと会わせるかどうか迷いましたが、フェアリィダンスの事を考えれば顔くらいは合わせといた方がいいかなと。それじゃあという事で、ちょっとだけユイちゃんに「本来の役目」を果たさせてあげる事が出来ました。