件のダンジョンに生息するMobは平均60層相当のステータスを持っているらしく、奥地にはボス級の巨大モンスターも確認されたという話をユリエールから聞かされた時は「まぁ何とかなるだろう」とどこか呑気に考えていた俺達だったが、そのダンジョンがまさか《黒鉄宮》の地下に存在していたと知った時は揃って唖然としてしまった。
近くに水道でも通っているのか、どこかジメッとした空気の通路を進んでいく。やがて俺やキリトの索敵スキルが複数の反応を示した。暗がりの中で赤い目を光らせるのは、サッカーボールくらいの大きさのウシガエルだ。道中で遭遇したザリガニ型Mobといい、このダンジョンはこういう系のMobが多いらしい。
「──ふッ!」
「ォおお──ッ!」
しかしそんなMobも、今やレベル90オーバーの俺やキリトにかかれば何のその。暫く休ませていた戦闘の勘を取り戻さんと、俺達はそれぞれ2振りの剣と槍を振り回した。その無双っぷりたるや、今度はユリエールの方を唖然とさせ、アスナとアリスを呆れさせ、ユイはというと「パパ、おじさん、がんばれー!」と楽しそうに応援していた。
──本来、ダンジョンに潜ってる間はユイを教会に預けるつもりだったのだが、当の本人が一緒に行くと譲らず、ユリエールを含めた5人による最大警戒態勢を敷いた上でシンカー救出に同行している。実際この子、この歳で記憶を失っているにも関わらず肝が据わっているようで、Mobに怯える様子も無い。
「──すみません。こちらから同行を頼んだにも関わらず、戦闘を任せてしまって……」
「いやいや。俺達も好きでやってるんで──アイテムも出ますし」
「へぇ、何が落ちたの?」
「そうだな、例えば──コレとか」
キリトがオブジェクト化したのは、何かの動物の脚と思しき生肉──今しがた山程倒した《スカベンジトード》というウシガエルの肉だ。
「俺、SAOの中でも蛙肉って食べたことないんだよ。なぁアスナ、戻ったらこれ料理して──」
「嫌ッ!」
顔を青ざめさせたアスナは、キリトの差し出した肉をひったくって遥か後方へ投げ捨てる。暗がりの中で、オブジェクトが消滅する破砕音が小さく聞こえた。
「ああーッ!?勿体無い……!」
「あんな気持ち悪いもの、私料理しませんからね!」
「まぁ確かに見た目はちょいとグロいかもだが……ほら、ゲテモノ程美味いなんて言うだろ?せめて一口くらい食べてみてからでも──」
「ミツキの言う通りだ!俺は諦めないからな!」
「……あなたまさか──!」
アスナは慌ててメニューを開き、夫婦共通となっているストレージの中から大量にストックされていた《スカベンジトード》の肉を発見。それを全て処分してしまう。
「お、おいアスナさん!?貴重な肉に何て仕打ちを……!」
「お肉なら他にいっぱいあるでしょ!」
「いや絶対美味いんだって!ほら試しに──!」
「何でまだ持ってるのよ!?ちょっと近づけないで!どうしてもって言うならキリト君が食べてよねッ!」
夫婦になっても2人は2人だなぁ──と、そんな事を考えていた俺は、今度遊びに行った時また頼んでみようと蛙肉をストレージにそっと仕舞う。その瞬間は見られていなかったはずだが、ストレージに肉が入った途端、アスナの目がこちらへ向けられた。
「──アリス、そっちのストレージも確認して。ミツキ君も隠し持ってるかもしれないわ」
……何故バレた。
「……ミツキ、観念なさい」
「い、いや何の事だか……!」
「自白するなら早い方がいいわよ。アリスの方からもストレージは確認できるんですからね!」
アスナのこの言葉を聞いて、俺とアリスは小首を傾げる。
「……何故、私がミツキのストレージを確認出来ると?」
「えっ?だって、夫婦ならストレージが共通化されて……えっ?」
僅か数秒の沈黙の後──「ええええぇぇぇ!?」というキリトとアスナの叫び声がダンジョンに木霊した。
「えっ、だって2人──あの、まだ結婚してなかったの!?」
「してないというか……忘れてたというか」
「少し見ない内にかなり仲が深まってるっぽかったし、俺もアスナもてっきり……」
「ええ、私もその様にお見受けしていました……」
キリト達だけでなく、ユリエールまでもが俺とアリスが既に結婚してると思っていたらしい。新婚オーラならばキリトとアスナの方がずっと強いと思うのだが。
「べっ、別に問題は無いでしょう!婚姻関係にないからといって、私とミツキの仲が険悪になるわけでもあるまいし……!」
「それはそうだけどさ……」
「……でもまぁ、アリスならその選択も有りなのかしら?」
「……アリスだけに?」
空気の読めないダジャレを呟いたキリトは、アスナのヒールで足を踏まれて悶絶する。その光景を見たユリエールは、堪えきれなくなったように噴き出した。
「──あ、おねぇちゃん初めて笑った!」
そんな彼女を見て、ユイもまた嬉しそうに笑う。ログハウスで俺を励ましてくれた時と同じ、屈託のない笑顔。どうもこの子は、周りが笑顔でいる事に喜びを感じるようだ。例え子供であっても──子供だからこそ、その気持ちはとても尊いものだ。是非とも大切にしたまま育って欲しい。
歩みを再開すること暫く──出てくるMobが水棲生物から、アスナの苦手なホラー系にシフトし始めた頃。前方に小さな光が灯っているのが見えた。索敵スキルでジッと凝視してみると、その奥に緑色のプレイヤーカーソルが確認出来る。恐らくあれが最新部の安全地帯、即ち──
「シンカー……ッ!」
走り出したユリエールの後を追いかけて俺達も走る最中……不意に、索敵スキルが外敵の接近を報せてきた。同時に──
「ユリエール──ッ!来ちゃダメだ!その通路には──ッ!」
恐らくシンカー氏のものなのだろう叫び声が、安全地帯の中から響く。それを聞いた俺とキリトは、ギアを一気にトップへ上げて走り出した──!
キリトがユリエールを抱き抱え、抜いていた剣を地面へ突き立てる。俺も槍の石突を剣に重ねて思いっきり踏ん張り、激しい火花を散らしながら急制動をかけた。次の瞬間──巨大な刃が俺達の眼前に振り下ろされた。ゆっくりと引き上げられた凶器の持ち主は、宙に浮遊する巨大な死神だ。名は──《
ユリエールの言っていた、奥地にいるボス級のモンスターというのはコイツのことだったのだろう。俺とキリトの元へ、ユイをユリエールに預けたアスナとアリスも合流、揃って武器を構える。
「場所は狭いけど、60層クラスなら──!」
──この4人ならば倒せる。アスナの言葉はそう続いたことだろう。
60層ボスにLAを見舞ったのは他ならぬこの俺だし、そのボスも多彩な特殊攻撃や目まぐるしいパターン変化によって翻弄してくる、所謂「強いから強い」タイプではなく「面倒くさいから強い」タイプのモンスターだった。だからこそレベルが上がった今なら何とかなると思っていたのだ。しかし、これは……っ!
「──キリト、
「……いやダメだ。何度視ても同じだよ」
俺達を見下ろす死神の頭上に表示された名前は血のような赤い色──これは即ち、レベル90超えの俺やキリトから見ても上位のステータスを持つことを意味している。何より──それしか視えないのだ。モンスターと戦うならば絶対に表示されるはずのHPバーも、何もかもがシステム的に隠されている。唯一分かるのは「コイツはやばい」という漠然とした事実だけだ。
「……アスナ、今すぐ安全地帯に走れ。皆と一緒に結晶で脱出するんだ」
「えっ……!?」
「アリス、君もだ」
「ミツキ、お前まで何を……ッ!?」
「多分、コイツの強さは90層クラス──今の俺達じゃ束になっても敵わない」
「90ッ……なら、お前達も一緒に……!」
「俺達は時間を稼ぐ。すぐ追いかけるから、早くしろ!」
《転移結晶》による移動は行き先を指定して実際に転移が完了するまで、1~2秒程のタイムラグが発生する。その間に攻撃を受けると転移が中断されてしまうのだ。
逡巡するアリス達を説得する間にも、死神はこちらへ近づいてきている。早く動かなければ間に合わない……!
「──アスナ」
「うん──ユリエールさん、その子を頼みます!」
「ッ……お前ら──ッ!?」
「来るぞ──ッ!!」
死神が鎌を振りかぶる。対する俺達は、それぞれの得物を交差し組み合わせ、4人掛りでの全力防御を試みた。しかし──
「ぐァ──ッ!?」
見た目以上に重い大鎌の一撃は攻略組トッププレイヤー4人のガードを易々と崩し、路傍の石ころの様に吹き飛ばしてみせた。揃って壁や天井に叩きつけられた俺達のHPバーはあの一撃だけで半分近く減少しており、ヒヤリとしたものが背筋を這う。
「クッソ……!」
──立て!立って戦え!また失う事になるぞ!
あまりの衝撃でビリビリと痺れる体に鞭打って立ち上がろうとするが、上手く言うことを聞いてくれない。それはアリスやキリト達も同様で、俺達は文字通り、瞬く間に死の淵に立たされてしまった訳だ。
そんな時──
「──いけない、ユイちゃんッ!」
「戻ってくるんだ──ッ!」
不意に聞こえた、ユリエールとシンカーの切迫した声。その方向へ目を向けると、2人が転移していく青白い光を背に、1人の幼い少女がこちらへ歩いてきていた。
「ユイ、ちゃん──早く逃げるんだッ!」
「ユイ!馬鹿な真似は止しなさいッ!」
「ユイッ!」
「逃げてユイちゃん、お願いッ!」
俺達の声は聞こえている筈だが、ユイは動かない。あの恐ろしい死神と真っ向から向かい合っている。死神は幼い少女の命を刈り取ろうと、手にした鎌を振りかぶった──!
「──大丈夫だよ。パパ、ママ」
静かに、確かな芯を持って聞こえたその言葉が、反射的に目を閉じようとした俺達の動きを止める。同時に、凄まじい衝撃と紫色の光が辺りを駆け抜けた。見れば、死神の鎌はユイの体に届いておらず、紫色の障壁に阻まれていた。
衝撃に耐えかねた死神が後退する中、ユイの頭上にシステムメッセージが表示される。
──《
その文字の羅列を見た時、意味が分からなかった。ユイが──あの子がオブジェクト?そんな訳があるものか。と、目の前の現実を受け入れるのを拒否しているように。
ユイの体が独りでにふわりと浮かび上がる。小さな手を前にかざすと、どこからともなく発生した火の粉が凝集し──ユイの身の丈の倍以上はあるだろう、炎を纏う1振りの長剣を形作った。
流麗な動作で剣を構えたユイは、燃え盛る刀身を死神に叩きつける──!
最初こそ抵抗していた死神だったが、剣を受け止めていた鎌が両断された瞬間、その体が炎に包まれる。薄気味悪い笑い声にも似た断末魔を残しながら、死神を包む炎は小さく収縮していき──パァン、と小さな粒子となって弾け飛んだ。そこにもうあの恐ろしい死神の姿はなく、俺達の前には黙して佇む1人の少女がいるのみだった。
「全部……全部、思い出したよ。パパ、ママ──」
最奥の安全地帯に避難した俺達。そこでユイから語られたのは、衝撃の真実だった──
この世界──SAOを構成する全ては、《カーディナル・システム》という自立稼働システムによって管理されている。システムメンテナンスやゲームのバランス調整等、往々にして外部の人間──運営が行うべき諸々の仕事を、このシステムが一手に担っていた。
例えばフィールドに出現するモンスター、それらが落とす金の額やアイテムのドロップ率、NPCのAI──それら全てが、カーディナル・システムが自力で考え走らせたプログラムの制御下にあるというわけだ。
そんなカーディナルが請け負っていたのは、ただ世界を正常に運営する事だけではない。そこに生きる──生きなくてはならなくなったプレイヤーのメンタルケアも、システムによって行われるはずだったのだ。
メンタルヘルス・カウンセリングプログラム 試作1号・
ユイはユリエールとこの部屋に避難した際、部屋の中央に鎮座している大理石のような謎のオブジェクトに触れた。
このオブジェクトはゲームマスターが内部からシステムにアクセスする為のコンソールであり、それと繋がった事で全ての記憶が戻ると同時に、こうして淀みなく会話ができるようになった。これまで見せてきた感情は、プレイヤーに違和感を与えないよう搭載された感情模倣プログラムによる偽物の感情なのだとまで言われれば、嫌が応でも信じざるを得ない。彼女は──ユイは俺達と同じ現実世界の人間ではなく、システムによって生み出されたAIなのだと。
「──でも……AIが記憶喪失になるなんて事、起きるの?そのカーディナル・システムがこの世界を管理してるなら、ユイちゃんの記憶喪失だってシステムの不具合としてすぐ直せたはずじゃ……」
「……2年前、正式サービスが始まってすぐの事です。カーディナルは私に、プレイヤーへの一切の干渉を禁じました。その理由はわかりません。当時の私は仕方なく、プレイヤー達のメンタル状態のモニタリングだけ続けていたんです──」
──状況は、最悪と言う他無かった。
誰かが死ぬ度に、無為な1日が過ぎ去る度に、恐怖や絶望、怒りや憎しみといった負の感情がプレイヤー達の中に渦巻いていく。負の感情は新たな負の感情の呼び水となってあっという間に伝染していき、遂には狂気に陥る者まで出る始末だ。本当なら、ここまで状態が悪化する前に各プレイヤーの元へ赴かなければならなかったのだが、カーディナルの命令は絶対だ。本来のメンタルケアAIとしての役割も、後付けされた干渉禁止というコマンドも、どちらも絶対に遵守しなくてはならない。その矛盾がプログラムにエラーを起こす。そしてアインクラッドに閉じ込められた約10000人分の負の感情を余さず観測し続けたユイはエラーをどんどん蓄積し、自己崩壊の一途を辿っていた──
「ただ、そんな時──他のプレイヤーとは明らかに違うメンタルパラメータを持ったプレイヤーの存在に気づきました。それが、あなた達4人です。あなた方の周りには、喜びや安らぎ、他にも様々な感情が渦巻いていました。それはとても暖かくて、優しくて……観測を続ける内に、あなた方に会いたいと、思うようになったんです──でも、そんなあなた達にも、負の感情は付き纏ってきた。これまでで、最も大きくて暗い負の感情を観測した私は、モニタリングという役目から逃げるように、22層のフィールドを彷徨い歩きました。そうすれば、いつか出会える気がしたから……おかしいですよね。ただのプログラムに過ぎない私が、そんな事思えるはず無いのに……っ」
「っ──それでも、現に君はこうしてキリト達にたどり着いた。絶対的な存在だったカーディナルの命令を破ったのは、他でもない君自身の意思だ。君はもうシステムに操られるだけの空虚な存在じゃない、君は…君には、ちゃんと──ッ」
溢れ出したような言葉は自分でも上手く纏められない。そんな俺の代わりに、キリトが言葉を引き継いだ。
「──ユイ。今の君なら、自分の望みを言葉に出来るはずだよ。だから聞かせてくれ──ユイは、どうしたい?」
「わたし…私は──ッ」
俯けていた顔を上げ、小さな両手を目一杯伸ばす。
「ずっと…ッ…ずっと、一緒にいたいです…ッ……パパッ、ママ……ッ!」
「ッ……ユイちゃんッ!」
アスナは堪らず、ユイの体を抱きしめる。
「うんッ……ずっと一緒だよ。ユイちゃん……!」
「ああ……ユイは俺達の子供だ」
涙ながらに抱擁を交わす3人の肩に、俺とアリスも手を重ねる。過ごした時間はこの2人よりもずっと短い束の間のものだが、俺達にとってもユイという存在は大きなものになっていた。重ねた手に、この家族が穏やかな時を過ごせるようにという願いを込める。
「でも……ごめんなさい。もう、遅いんです──」
しかし、その直後にユイの口から告げられたのは、今の状況に於いて何よりも残酷な事実だった。
システムコンソールにアクセスしたユイは、その中から《オブジェクトイレイサー》──あの火焔剣を呼び出し、コンソールを守る為に配置されていた死神を文字次通り消去した。しかしそれはカーディナルから見れば「プレイヤーのメンタルケア」という本来の役目から大いに逸脱した行為であり、一介のAIプログラム如きがGM権限を行使する事などあってはならないと判断する筈だ。ユイのプログラムは今まさにカーディナルによるシステムチェックが行われており、その結果──
「──カーディナルの命令に違反した私はシステムに害をなす
「ッ──!?」
「消、去?──そんな…何とか、ならないのですか」
悲鳴のような息を呑んだアスナの隣で、アリスが呻く。
「パパ、ママ。ミツキさん、アリスさん──ありがとう。ここで、お別れです」
「いや──嫌ッ!これからなのよッ!?これから皆で……楽しく暮らそうって……!」
アスナの悲痛な叫びを嘲笑うように、光に包まれたユイの体は端から少しずつ粒子となって消滅し始めていた。
「ダメだ……ダメだユイ、逝くなッ!!」
「ユイちゃんッ!!」
手を握ったキリトの手を、ユイもまた握り返す。しかしどれだけ願えど、ユイの消滅は止まらない。
「パパとママの近くにいると、皆が笑顔になれる──お願いです。これからも、私の代わりに皆を助けて……喜びを、分けてください」
「嫌っ……無理だよ……!ユイちゃんがいなきゃ、私、笑えない……ッ!」
「……お願い、ママ……笑って──」
今にも靄となって消えそうな手が、アスナの頬をそっと撫でる。それを掴もうとしたアスナの手は、虚しく空を切った──涙を滲ませた瞳を開いた時には、もう、あの幼気な少女の姿はどこにも残っていなかった。
泣き崩れるアスナにアリスが寄り添う。彼女の碧眼にも、涙が滲んでいた。
「ッ……ふざけるな。こんな結末、認めてたまるか──ッ」
割れんばかりに歯を食いしばった俺は、未だ起動状態のコンソールに向かう。忙しなくホロキーボードを叩く俺の隣に、もう1つのキーボードが表示された。それを操作しているのはキリトだ。
「カーディナル……!そうやって、全てがお前の思い通りになると思うなよ……ッ!!」
恐らく今ならまだ、このコンソールに紐付けられたGM権限が有効なはずだ。ユイがやったように、ここからシステムにアクセスすれば……!
コンソール上に巨大なウィンドウが表示され、いくつものシステムファイルが同時展開される。その中の1つにあたりを付け、内部のタブへ深く潜っていくと、大量のデータコードが並ぶファイルが出てきた。この中にきっと……!
恐るべき速さでスクロールされていくコードに目を走らせる。普通ならすぐに目を回してしまう早さだが、俺には下から上へ流れていくコードの1つ1つがしっかりと見えていた。
「──見つけたッ!」
「よし、後はこっちでやる!」
発見したコードを選択し、キリトが新たなコマンドを複数入力。ウィンドウにローディングゲージが表示される。
「早く……間に合え……ッ!」
ゲージが右端へ到達したその瞬間──謎の衝撃波によって、俺とキリトはコンソールから弾かれた。
「ミツキ!」
「キリト君!──大丈夫?」
強かに打ち付けた頭の鈍い痛みを尻目に、俺は隣で倒れるキリトを見やる。
「キリト、どうだ……ッ!?」
「ああ……上手くいったよ──」
そう言って、キリトは握りこんだ手をアスナに突き出した。その下に差し出したアスナの手に──ポトリと、小さな雫型のクリスタルが渡される。
「これ……?」
「ユイが起動してたGM権限が消える前に、ユイの本体プログラムをシステムから切り離した。これはそれをオブジェクト化したもの──言うなれば、ユイの『心』だよ」
クリスタルの中では、白く小さな光が拍動を続けている。触れればどこか暖かな気持ちが伝わって来るようで──間違いなくユイはここにいるのだと、アスナは本能的に理解した。
「そのオブジェクトはクライアントプログラムの環境データの一部として俺のナーヴギアのローカルメモリーに保存されるから、ゲームクリアでこの世界が消えても、ユイの心は無くならない。向こうでまたユイとして展開するにはちょっと大変かもだけど……きっと、また会えるよ」
「そっか──良かった……ありがとう、キリト君……っ!」
「──ミツキも、ありがとな。お前がユイのプログラムをいち早く見つけてくれたから間に合った」
「そうか……俺──今度はちゃんと、助けられたんだな……」
ユイが消える直前に見せた、あの笑顔──泣きながら浮かべたあの表情は、単なる感情模倣の域を超えている。涙と笑顔、そのどちらかは模倣プログラムによるものだとしても、もう一方の感情は紛れもなくユイがキリト達との生活で手に入れた、彼女だけのものだ。そう思った瞬間、ユイはもう俺にとってプログラムではなく、紛れもない人間へ──大切な仲間達の、かけがえのない家族へと変わっていた。
今まで、多くのものを救えなかった。多くのものが、伸ばした手からこぼれ落ちていった。そんな俺が、初めてちゃんと命を救えたのだという実感が、今になってこみ上げてくる。
偶然出会った小さな魔法使いの少女は、この世界で最後に、俺の中の後悔を少しだけ晴らしてくれたのだ。
──アリスの様子がおかしい。それが確信に変わったのは、47層の家に戻って夕食を食べ終えた頃だった。
いつもなら何かしら歓談を挟みながらになる食事が、今回は終始無言。イマイチ食も進んでいないようだ。あんな事があったのだから多少なりとも気分に変化があるのは頷けるが……恐らく、ユイと会えなくなった事とは違う、別の何かが原因なのではないか。
寝る準備をしていたアリスに、意を決して声をかける。
「──アリス。その…何か、悩んでるのか?」
「……何ですか、急に?」
「や、その……いつもと違うっていうか。違和感があるというか──何か抱えてるものがあるなら、俺に話してくれないか。君があの時言ってくれたように、俺も君の力になりたい」
俺がどうにか出来るものなのかは分からない。それでも、少しでも彼女の気が楽になるのなら──そんな思いが通じたのか、アリスは小さく息をついた。
「……お前には、敵いませんね──ミツキ、何も言わず…私の言う通りにメニューを操作してください」
「あ、ああ……」
右手を振ってメニューを呼び出した俺は、同じくメニューを開いた彼女の言う通りに操作していく。オプションから派生したタブを辿り、更に奥深くへ──
「──その、1番下の設定です」
「1番下……何だこれ?」
アリスが指定したのは、《倫理コード解除設定》なるアイコン。倫理コード──少し考えた末に、俺はこのワードが意味する所を理解した。
「おっ、おいアリスこれ──ッ!?」
「いいからっ!──何も言わずに、という約束です……お願い、ですから」
「……取り敢えず、何で急に──あー、この設定を解除しようと思ったのか、ちゃんと教えてくれないか?ゆっくりでいいから」
今の今までこんな設定の存在を露ほども知らなかった身ではあるが、意味を理解した今、彼女が言わんとしている事は分かる。しかしだからこそ、ちゃんと話を聞きたいのだ。少なくとも勢いだけで解除していいものではないだろう。
「……不安、なのです……私は本当に人間なのか──この世界から脱出した後も、お前と一緒にいられるのか」
「何を言って──アリスは人間だろ」
「っ……どうやってそれを証明するのです!?誰も私の過去を知らない、私自身でさえも!──もしかしたらユイのように、カーディナルによって作られた紛い物の存在という事だって……っ……私には、私が分からない……ッ!」
俺の肩を弱々しく掴むアリスの手はずっと震えていた。
これが、彼女が内に秘め、ずっと戦っていた恐怖──ユイと出会い、別れた事でそれが大きく膨れ上がり、限界を迎えたということか。
「嫌なのっ……ミツキの事を忘れたくない……ッ!ミツキに忘れて欲しくない……ッ!この気持ちも、記憶も、何もかも消えて無くなるなんて、そんなの……っ!」
悲痛な涙を流すアリスが見ていられず、俺は彼女を強く抱きしめた。彼女の胸を刺す痛みを全て俺の方で引き受けられればいいのに──そんな思いで、強く。
「──大丈夫、大丈夫だから。君は人間だ、俺達と同じ、人間だよ。俺は君を忘れない。君を独りにしない。この世界で君と過ごした日々も、君への想いも、何1つ消えはしない──きっと、向こうの世界でまた会えるから」
「でも…っ、私はどうなるか分からない…っ。元の世界に戻ったら、ミツキの事を──アスナやキリト達の事まで何もかも忘れて、傷つけてしまうかも……そんなの、耐えられないの……だから──」
アリスは急に力を込め、俺をベッドに押し倒す。
「だから、お願い──何があってもあなたを忘れないように……私の奥深くに、ミツキの存在を刻みつけて欲しい……ミツキの中にも、私を刻みつけて欲しい……例え世界が終わっても、絶対に消えない繋がりが欲しいの……ッ!」
そう言って、彼女は自身のメニューを操作──コード解除のボタンを押した。
「アリス……」
俺を押し倒した姿勢のまま、真っ直ぐ俺を見下ろすサファイアのような瞳。そこには不安と恐怖、渇望が見て取れた。今彼女は未来を見失い、冷たい場所で1人震えている。そんな自分に寄り添って、熱を分けてくれる存在を求めている。そして──その相手に、俺を選んでくれた。
……正直に白状すると、アリスと暮らし始めてから一度として「そういう気分」にならなかったと言えば嘘になる。だがそもそもシステム的に不可能だと思っていたし、何より俺の心を救ってくれた彼女をそういう不躾な目で見るのは躊躇われた。
それら諸々の問題が取り払われた今、俺はどうするべき──否、どうしたいのだろう?
自らの胸に今一度問いかける──俺はアリスが好きだ。彼女の力になりたい。支えたい。守ってあげたい──俺に出来うる全てで、彼女を愛したい。
小さく深呼吸した俺は、今も視界の端で光を放つメニューを操作する。
《倫理コードを解除しますか?》という確認表示の下──《○》ボタンを押した。
「ミツキ……きゃッ──!?」
可愛らしい悲鳴と共に、アリスの体がベッドに横たえられる。上下が逆転し、今度は俺が彼女を押し倒す形になった。寝る直前だったこともあり部屋の照明は全て消えている。窓から差し込む月明かりが、潤んだ瞳で俺を見上げるアリスの顔を照らし出した。美しくも扇情的なその表情に、思わず息を飲んでしまう。
「……その、歯止め効かなくなったら、ごめん」
俺のバカ、もっと安心させるセリフとか他にあっただろ!と叫びたくなる気持ちをどうにか飲み込む。そんな俺の胸中を見透かしたように、アリスはクスクスと笑った。
「……ミツキの方こそ。私の想い、ちゃんと全部受け止めてね?」
頬を撫でる彼女の手に導かれるように──この日俺達は、身も心も1つになったのだった。
ユイちゃんの言ってた「最も大きくて暗い負の感情」というのは、ほんの数話前、精神をやられてた時期のミツキの事です。恐怖、絶望、怒り、憎しみ、負の感情のフルコース状態でしたからね。これがきっかけでユイちゃんがフィールドに出てキリト達と会えた事を考えれば、ミツキが苦しんだ事にも少しは意味が生まれるんでしょうか。中々複雑です。
終盤は結構センシティブな話題に触れました。
ことSAOの二次創作では割と額面通りに捉えられがちな解除設定ですが、こんな見方も出来るのではないかと思った次第です。
アスナ曰く「ロマンチックでプラグマチック」な関係性である結婚に対し、「ロマンチック極振り」という感じの描き方になりました。ただし人を選ぶ描写である事は間違いないので…諸々不安ではあります、えぇ。
さて、割と長くなったアインクラッド編もいよいよクライマックスです。頑張ります。
…実は前々回の話でミツキおじさんがユイちゃんに頭を撫でられたのを見て、ちょっと対抗心燃やしたアリスが2人きりの時にミツキの頭を撫でる~なんてほのぼのシーンを考えてたりしたんですが、完全にタイミング見失いましたね…