ソードアート・オンライン-剣槍-   作:不可視の人狼

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アルヴヘイム・オンライン

 東京都台東区御徒町──駅から程近い路地に、その店はあった。

 黒く煤けた木造の建物はパッと見店とは分からない。ドアに掛けられた看板には、《Dicey Cafe(ダイシー・カフェ)》と店名が刻まれていた。

 

 以前にも訪れた事があるらしい和人は勝手知ったる様子でドアを押し開ける。来客を告げる乾いたベルの音に反応して、店の中にいたマスターらしい大柄な男がこちらを振り返った。

 

「──よう、早かったな」

 

 懐かしい声が聞こえた。

 

「事情が事情だからな──それと、客連れてきてやったぞ」

 

「客だァ……?」

 

 訝しむようなバリトンボイスに、和人が身体を横へスライドさせると──褐色肌の巨漢と目が合った。

 

「おぉ……ミツキ!」

 

「……久しぶりだな、エギル。少し痩せたか?」

 

「お前ら程じゃねぇよ──ま、2年前より大分肉が落ちたのは確かだけどな。当面は、仕事服(こいつ)がしっかりフィットするまで鍛え直すのが目標だ」

 

 あの世界で交流を持っていた数少ないプレイヤーの1人。多くのプレイヤーから人望を集め、75層ボス戦では共に肩を並べて戦ったエギル──本名アンドリュー・ギルバート・ミルズは、そう言って笑う。

 アインクラッドで見た頃よりも幾分かスマートな体つきになっているが、その顔に浮かぶ笑みには寸分の違いも見られなかった。

 

「再会に水を差すようで悪いが、本題だ──あの写真はどういう事だ?」

 

「一緒に来たって事ァ、ミツキも見たんだよな──コレ、知ってるか?」

 

 カウンター席に座った俺達に、テーブルの上を滑ってある物が渡される。受け取ったそれは、ゲームソフトのパッケージだった。ジャケットには大きく《ALFheim online》とタイトルが書かれている。

 

「アルフ…ヘイム・オンライン──でいいのか?」

 

「アルヴヘイムと読むらしい──俺達がSAOにいる間に発売された《アミュスフィア》っていうナーヴギアの後継機対応のVRMMOだ。テーマは《妖精の国》だとさ」

 

「妖精、ねぇ……それだけ聞くとまったり系っぽいが、そんな風でも無さげだよな」

 

 パッケージに描かれた2人の妖精は、それぞれ武器を手にしている。ほのぼのファンタジー系のゲームに武器が登場する事自体は大して珍しくもないが、赤い羽根の女妖精が持つ剣が如何にも戦いの気配を匂わせていた。

 

「ご名答。《どスキル制》《プレイヤースキル重視》《PK推奨》……バチバチに()り合う系のタイトルだ」

 

()スキル制ってことはつまり……レベルの概念が無いのか」

 

 MMOを始め、RPGゲームにはプレイヤーを強化する要素・方式が大きく分けて2つある。

 1つはレベル。敵を倒したり、クエストをクリアすることで経験値を蓄積し、一定値に達すればレベルアップ。レベルが上がると共に体力上限だの攻撃力だのといった各種ステータスが上昇していくこのタイプを《レベル制》と呼ぶ。

 2つ目はスキル──物によってはここに《パーク》が割り当てられる事もあるが──予め用意された魔法だとか剣術といったスキルの熟練度を上げていくタイプを《スキル制》と呼ぶ。

 

 SAOを例にするなら、プレイヤーレベルと各種スキル熟練度によって強さが決定していた為、レベルの方に比重を置いた2種複合制という事になる。

 それに対しアルヴヘイム・オンライン──略称ALOは「ド」がつく程のスキル制という事だから、プレイヤーが駆るアバターの基本スペックはかなりフラットに設定されているのだろう。実力差を生み出すのはスキルの育ち具合と装備品の性能、アバターを操るプレイヤー本人の運動能力。所謂《レベル差の暴力》で無双が出来ない。恐らく存在しているであろうモンスター相手でも同じ事が言える筈だ。

 それでいて《PK推奨》──PvPを念頭に置いたゲームというのだから、妖精の国という響きに反して中々にハードなタイトルだ。《ソードスキル無し、魔法有りのSAO》というエギルの言葉がしっくりきた。

 

「聞くところによりゃあ、グラフィックや動きの精度もSAOに迫るクオリティらしい」

 

「けど、いくらハイクオリティでもそんな人を選ぶマニア向け仕様じゃ人気出ないだろ」

 

 和人の言葉も尤もだ。レベル制は古参と新規の間にどうしようもない差を生み出す一方、多少ゲームが下手でもレベルさえ上がれば数値相応のステータスが担保されるメリットもある。それが無い以上、リアルで運動能力の高い人間──分かり易い所で現役のスポーツ選手等──は始めたてでも古参に迫るアドバンテージを有する事になり、ある意味ではレベル制よりも理不尽な格差が生まれてしまう。

 ゲーマー的には「そんなのチートや!」と言いたい所だが……斯く言う俺も、SAOでは生まれ持った動体視力に大いに助けられていた身なので、何も言えない。

 

「マニア向けってのは同感だが……どうもそのゲーム、()()()らしい」

 

「翔ぶ……飛行って意味か?」

 

 俺の言葉に、エギルが頷く。

 

「妖精だからな。パッケージの通り翅がある。なんでもフライト・エンジンってのを搭載してて、熟練者はコントローラーの類無しで自由に空を飛び回れるらしい。そいつがウリで、今大人気なんだそうだ」

 

 過去にも飛行が可能なVRゲームはいくつか存在していたが、そのどれもが背中に装備したバックパックを操作して~とか、空飛ぶ乗物に乗って~とか、何かしら操縦要素とセットだった。それはそれで男心にかなり楽しかったのだが、このALOにそんな野暮なものは無い──その身一つで自由自在に空を飛び回れるというのは、確かにVRでなければ味わえない新体験だろう。人気が出るのも頷ける。

 

「その翅って、どうやって動かすんだろうな……もし現実の鳥とかと同じ空力制御なら、背中の筋肉だけで制御できるとは思えないが……」

 

「まぁ……正直もう少し色々聞きたい所ではあるが……本題に戻るぞ。このゲームとあの写真に何か関係があるのか?」

 

 脱線しかけた話を和人が引き戻す。エギルは顎で俺の手にあるパッケージを指し示した。

 

()()()()()()()

 

 一瞬意味が分からず、俺も和人も疑問符を浮かべる。エギルは指をクルリと回して、パッケージを裏返すよう促した。パッケージ裏には簡単なゲームの説明と、プレイヤーが冒険することになるゲーム内マップの全体図が描かれている。

 

「ALOにはいくつか妖精の種族ってのがある。プレイヤーはその中から好きな種族を選んで、このマップの中央にある《世界樹》の天辺に他の種族より先に到達するのが目的らしい。PK推奨はその一環ってこったな」

 

「到達って……飛んでいけないのか?」

 

「飛べるっつっても無限じゃない。滞空時間がある。そんで、時間一杯全力で飛んでも世界樹の1番下の枝にもたどり着けない程高いらしい」

 

「じゃあ、あの写真はどうやって?」

 

 至極真っ当な俺の疑問に、エギルはニヤリと笑う。

 

「どこの世界にも馬鹿な事を考える連中ってのはいるもんだ──体格順に5人で肩車して、多段ロケット方式で枝を目指そうとしたんだとさ」

 

「なる程、馬鹿だがいい発想だ。嫌いじゃない」

 

「全くだ──で、結果から言えばギリギリ届かなかったが、過去最高高度まで到達できた証拠として写真を撮りまくった。その中に、枝から吊るされたでっかい鳥籠が写っていたらしい。そいつを限界まで引き延ばしたのが、あの画像だ」

 

 囚われの籠の鳥──そんなワードが脳裏を過る。制作会社に問い合わせでもしてみるかと、パッケージ裏の企業名に目が止まった。

 

「……おい、キリト──」

 

 ついプレイヤーネームで呼んでしまったが、それに対する反応は無い。代わりに、俺の手元を覗き込んだキリトの表情が強張る。視線を落とした先には──《レクト・プログレス》の名前が記載されていたからだ。

 

「……おいどうした、急に怖ェ顔して」

 

 言葉を失っているキリトに代わり、俺が口を開く。

 

「……なぁエギル。こういう写真、他には無いのか?例えば──SAO未帰還者300人がこのゲームに囚われている可能性は?」

 

 俺の言いたい事を理解したらしいエギルだが、首を横に振る。

 

「──第一、そんなもんあればもう確定だろうが。キリトじゃなくて警察に連絡してる」

 

 尤もな返答に口を噤む。もしかしたら彼女も…──そう考えたのだが。

 

 菊岡達対策チームにこの事を知らせるか?しかし情報が漠然としている。件の写真に写っていたのはアスナによく似ているが、まだ本人であるとは確定していない。

 しかし目覚めない300人、レクトのフルダイブ研究部門所属の須郷、そして同社制作のALOと、そこで目撃されたアスナらしき人物。偶然にしては出来過ぎており、何かしらの関連性を疑わざるを得ない。

 仮にレクトが──須郷伸之がアスナの魂をあのゲームに閉じ込めているのだとして、そこへ政府が調査に踏み切れば、事の発覚を恐れた須郷は必ず隠蔽を図るだろう。そうなればアスナの意識は二度と目覚めない……そんな最悪の結末まで予想できてしまった。菊岡や警察機関を頼るにしても、確たる証拠を掴んでからにするべきか。

 

「──エギル、コレ貰ってっていいか」

 

「別に構わんが……まさか、行く気か?」

 

「ああ。この目で確かめる」

 

 パッケージをジッと見つめるキリトに、エギルは心配そうな目を向ける。

 

「……心配すんな、俺も行く。キリトが無茶しないよう見張っとくさ」

 

 SAOから帰還した者の大部分は、VRゲーム──仮想世界というものに対し本能的な忌避感を覚えているというのはニュース等でも取り上げられている。理由は単純、また「何か」が起きるかもしれない……そう思えてならないのだ。俺やキリトもその例外ではなく、「もし機会があれば」程度に考えて、新しいVRゲームに進んで手を出す事はしてこなかった。

 だが今は状況が状況だ。アスナがあの世界に囚われているかもしれない。助けを求めているかもしれない。アスナだけではなく、未だ目を覚まさない300人──その中に「彼女」もいるかもしれないのだ。ならば何を迷うことがあるだろう。

 

 差し当たって対応ハードが必要と思ったが、アミュスフィア対応のゲームは全てナーヴギアでもプレイ可能だと、ありがたい情報をエギルが教えてくれた。ならばソフトを追加購入するだけで済みそうだ。

 

「……絶対に助け出せよ、アスナを。でなきゃ、俺達の戦いは終わらねぇ」

 

「当然。今更死んでもいいゲームなんてヌル過ぎるぜ」

 

「いつかここで、皆揃ってオフをやろう。そん時は豪勢に頼むよ」

 

「はっ……ドタキャンは許さねぇからな」

 

 そう言って3人の拳を突き合わせ、俺とキリトは店を後にした。

 

「……悪いな、付き合わせちゃって」

 

 駅に向かう道すがら、キリトはそんな事を呟く。

 

「気にすんな。アスナは俺にとっても大事な仲間だ。それに……もしかしたら、そこにアリスもいるかもしれない」

 

 菊岡にあんなメールを送りつけた後だが、仮にALOにアスナ共々アリスも囚われているのだとすれば、解放した暁には現実世界で連絡がとれるかもしれない。例えアリスが海外にいると仮定しても、再会出来る可能性がグッと高まる。

 

「さっきの繰り返しになるが──必ず連れ戻すぞ」

 

「──ああ、頼りにしてるぜ」

 

 差し出した俺の手を、キリトがしっかりと握り返す。

 

 かつて剣の世界を終焉に導いた2人の英雄は、決意を新たに、次なる世界へ向けて行動を開始するのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 家族によろしくとキリトへ伝えた後に帰宅した俺は、丁度起きたばかりだった叔母に一言挨拶してから自室へ駆け込んだ。

 

 キッチンで手早く用意した、食パンにハムとマヨネーズを挟んだだけサンドイッチを齧りながら部屋着に着替え、デスクに置いた袋から長方形のパッケージを取り出す──帰りがけに購入してきたALOのソフトだ。

 

 キリトによれば、須郷がアスナとの結婚式を執り行うのは1月26日──丁度1週間後がタイムリミットになる。

 あまり猶予は無いが、その点スキル制というゲームシステムは非常にありがたい。少なくともステータスが足りなくて世界樹の根元にすら辿り着けない、という事態にはならずに済みそうだ。プレイヤースキル重視というのも、武器を使う戦闘ならばSAOで2年に渡り磨き抜いた戦闘勘を活かせるだろう。

 

 一方、不安要素であると同時に楽しみでもあるのが、SAOには存在しなかった《魔法》という概念。

 恐らくHPの他に魔法を行使する為の魔力ゲージ(M P)がある筈だが、武器を使った近接戦闘に対して魔法がどれ程の影響力を持つのか。多少のリサーチは必要だろう、とPCで検索をかけようと伸ばした手を止める。

 

 この手のMMOは往々にして正解が無い。魔法至上主義や近接至上主義、そのちゃんぽん。武器カテゴリまで含めれば様々な宗派の存在が予想される。その中からビギナー向けの信憑性の高い記事を精査するには流石に時間が足りない。

 距離の問題で、キリトが家に着くまではざっくりもう20分程掛かるはずだ。ここは習うより慣れろの精神で、一足先にダイブして感覚を掴んでおくのも手かもしれない。

 

 端末のメッセージでキリトに「先にちょいと偵察行ってくる」と伝えた俺は、サンドイッチ最後のひと欠片を飲み込むと、デスク脇の棚からヘルメット型のハードを手に取った。

 

「……休んでた所悪いが、もうひと働き、頼むな」

 

 パッケージから取り出したROMカードをスロットにセットし、ケーブルを接続。装着したナーヴギアのハーネスを首元でロックすると、2年前のあの瞬間が蘇ってきた。

 

 一度深く深呼吸した俺は、もう二度と口にしなかったかもしれないあの言葉を唱える──

 

 

「──リンク・スタート!」

 

 

 俺の意識は現実の肉体から解き放たれ、無機質な暗闇の空間に降り立つ。そこはSAOベータテスト以来久方ぶりに訪れる、アカウント登録のステージだった。

 

 

 ──アルヴヘイム・オンラインへようこそ──

 

 

 自動音声のナビゲーションに従い、まずは登録するIDとパスワードを設定する。SAOの時にも使用した文字列をパパッと打ち込み、続いてプレイヤーネーム──ここも同じく《Mitsuki》と入力した。

 続いて接続料の課金方法等を選択する画面が出てくるが、ALOには1ヶ月の無料期間が存在する為スルー。いよいよアカウント登録の最終段階──自分が操る事になるキャラクターを作成する。

 キャラ作成といっても、ALOのアバターの外見は完全ランダムで生成されるとの事で、プレイヤーは妖精の種族を選ぶだけでいいようだ。アバターの作り替えは原則不可、どうしてもという場合は追加料金が必要と説明を受けたが、あくまで目的はアスナ達の救出なので、気にせず種族の選択に移行する。

 

 選べる種族は全9種あり、各種族に得意分野があるらしい。

 

 

 ──武器の扱いと攻撃に長け、名前通り火の魔法が得意な火妖精《サラマンダー》

 

 ──飛行速度と聴力に長け、これまた名前通り風の魔法を得意とする風妖精《シルフ》

 

 ──耐久力と金属素材の採掘に長け、土魔法を得意とする土妖精《ノーム》

 

 ──トレジャーハントと幻惑魔法を得意とする影妖精《スプリガン》

 

 ──暗視能力及び暗中飛行に長けた闇妖精《インプ》

 

 ──高位の回復魔法と水中活動に長けた水妖精《ウンディーネ》

 

 ──俊敏性と視力に優れ、モンスターテイムに長けた猫妖精《ケットシー》

 

 ──歌唱や楽器演奏によって仲間を支援するサポート特化の音楽妖精《プーカ》

 

 ──武器生産を始めとする各種工作系に特化した工匠妖精《レプラコーン》

 

 

 キリト辺りは真っ黒な格好の《スプリガン》を選びそうだ、と笑った俺が気になったのは、速度補正の高いらしい《シルフ》と魔法に秀でた《ウンディーネ》の2つ。

 目的はこのゲームを楽しむ事じゃないとはいえ、折角魔法が使えるのだから《ウンディーネ》も悪くないかと思ったが、寸での所で踏み止まる。

 

「……このゲームの魔法ってどんなシステムで発動するんだ……?」

 

 従来のMMOなんかではパレットから使いたい魔法を選びボタン1発で発動出来たものだが、VRMMOともなればそうもいかない。何かしらの起動文句があると推測される。

 

 火の玉を飛ばす魔法を例に考えてみよう。

 魔法には何かしら名称が設定されているのだろうから、《ファイヤーボール》的な名前を唱えるだけで手軽に発動出来るのか。それとも《火の玉よ、敵を焼き尽くせ~》的な呪文詠唱が必要なのだろうか。

 

 従来の画面越しコンシューマーゲームならモニターの端にメモでも貼り付けておけたが、当然仮想世界でそんな真似は出来ない。ALOの魔法は詠唱タイプと仮定した場合、その詠唱を頭に叩き込む必要がある。それ自体は大した苦ではないが、何度も言うが俺達には余り時間が無いのだ。

 勉強が必要そうな魔法は一旦置いておくとして、直感的に動けて且つ素早い奴がいい。その点《ケットシー》も良いかもしれないが、幸い反応速度や動体視力は自前のものがある。それならばと自力ではカバー出来ない飛行速度に秀でた《シルフ》に種族を決定した俺は、キャラクター決定のボタンを押した。

 

 

 ──それでは、シルフ領のホームタウンへ転送します。幸運を祈ります──

 

 

 視界が真っ白な光に包まれる。続いて浮遊感と、緩やかな落下感──落下速度は徐々に増していき、視界が完全に晴れた時には、全くの別世界にいた。

 

「おお……!」

 

 巨大な翡翠色の尖塔が立ち並ぶ足元に、人の営みを感じさせる灯りがいくつも煌く。眼下に広がるこの街がシルフのホームタウンらしい。

 ゲーム中のいち種族が集まる街だけあって、見下ろした感じ規模は中々のもの。流石にアインクラッド1層の《はじまりの街》には及ばないが、円錐状のアインクラッドの上の部分──多分90層辺りなら1フロア丸ごと収まるのではないだろうか。

 

 地上が近づいてくるに連れて落下死しないかとヒヤヒヤしたが、地表3メートル程の高度でフワリとしたシステムの浮力が働き、無事着地する。

 

「っと──ここがアルヴヘイムか……」

 

 確かめる様に手を握ったり開いたりしてみる。続けて、俺が今立っている石畳の地面や、その辺の建物の外壁をそっと撫でてみた。仮想世界特有の「本物っぽい感触」が手に伝わり、思わず笑みが溢れてしまう。

 

 2年間に渡りあんな思いをしたにも関わらず、仮想世界に対する愛着は根強く残っていたらしい。今俺の胸の中は、正しくあの時の──蒼穹の空に浮かぶ甲鉄の城の地を踏みしめたあの瞬間と同じ高揚感で満たされていた。

 

「──さて、まずは……」

 

 俺は緊張の面持ちで右手の指を揃えて縦に振る。するとメインメニューが……出て、来ない。

 もう一度、ゆっくりしっかり同じモーションをなぞってみるが、ウンともスンとも言わなかった。そこまでやって、そういえばALOでメニューを呼び出すのは左手だったと思い出す。

 

 今度はちゃんと表示されたメインメニューで1番最初に確認するのは、ステータスでもアイテム欄でもなく、オプションタブだ。歯車マークのアイコンをタップすると、そこから更に3つのタブが派生してくる。その1番下に《LogOut》のアイコンがしっかりと表示されているのを見た瞬間、俺は大きく安堵の溜息をついていた。念の為タップしてみると、ログアウトの確認表示が出てくる。本来なら当たり前の事だが、ちゃんと機能しているようだ。

 

 続いてその上にあるヘルプタブから《Tutorial》を選び、気になっていた魔法についての説明を見てみる。

 予想通り、ALOで魔法を使うには呪文詠唱が必要らしく、しかも詠唱に用いられるのが日本語とも英語ともつかない言語──後に調べた所、古ノルド語という実在する言語らしい──であると知った俺は、安易にウンディーネを選ばなくて良かったと数分前の自分にサムズアップした。

 

 最後に、同じくチュートリアルの中から飛行について確認する。

 翅は念じることで出現、手を握るモーションを取ることでコントローラーが出てくるので、それを使って飛ぶらしい。

 早速左手で何かを握るような形を取ると、ジョイスティック型のコントローラーが出現。試しに手前に引いてみる。

 

「おッ……と──!?」

 

 見る見る上昇していく俺の体。スティックを中央のニュートラルに戻すと、上昇は止まった。手前に引いて上昇ということは。恐らく下降は前に倒すのだろうと慎重にスティックを前方向へ入れる。すると案の定、ゆっくりと下降が始まった。

 

「これがALOの飛行か……早いとこ慣れとかないと苦労しそうだな」

 

 メニューを開き、トップ画面の隅に表示された時計を確認する。アルヴヘイムの時間は現実と同期しているわけではないらしく、ゲーム内時間の下に現実世界での時間も表示されていた。俺がログインした時の時間を考えると、キリトが帰宅してログインしてくるのはざっくり10分後になるか。それまでは飛行の練習に充てることにする。

 

 適当な高さまで上昇し、屹立する尖塔の間をグルグルと周回してみる。幸い操作自体は従来の飛行系VRゲームよりずっと簡単なお陰で、少し飛べば感覚は掴めた。これが中々楽しいもので、今ではクルリと1回転も出来るように。

 

 ただ、1つだけ不満点というか……物足りないと感じたのが──

 

「……もう少しスピード、出ないかなぁ……」

 

 スティックの押し込みによって加速が行えるのだが、その加速度合いというのがなんとも慎ましい上に1段階しかギアが上がらない。スピードアップしているのは間違いないものの、体感的には下り坂を自転車でかっ飛ばすあの感覚に毛が生えた程度だ。

 折角仮想世界なのだから、もっと速く──新幹線と並走できるくらいのスピードを出してみたい。そう思った俺は、手の中のコントローラーに目をやる。

 

 少し飛んでみて感じた事だが、恐らくこのコントローラーはプレイヤーを飛行させるのではなく、プレイヤーの代わりに翅を動かす補助アイテム、という事になるのだろう。スティックを入れる度、丁度肩甲骨の間ら辺に少しムズっとくる感覚があった。

 要はコントローラーそのものにプレイヤーを飛ばす力があるのではなく、飛ぶ為に必要なプロセスを簡略化しているだけ。そのプロセスというのが、ずばり「翅を動かす」という動作だ。

 

 元々鳥類ではなく霊長類である俺達の体には翅なんて無い。そんな俺達が仮想世界でポンと翼を授かった所で、本来存在しない翅という器官をどう動かせばいいのか分らない。そこを助けてくれるのがコントローラー。上昇・下降・左右旋回・加速・減速といった操作を通じ、対応した動作を翅へ伝える役割を担っている訳だ。

 で、あれば。コントローラーに頼らずとも翅を動かせるようになれば、コントローラーに制御された加速の限界も突破出来るのが道理。エギルも「熟練者はコントローラー無しでも飛べる」と言っていたではないか。

 

 俺は飛びながら背中に意識を集中する。スティックを動かす度に走るムズっとした感覚を頼りに、背中に思いっきり力を込めると──

 

「うぉわああああああ──ッ!?」

 

 弾かれた様に急加速した俺は、情けない声の尾を引きながら街を真っ直ぐ縦断し、そのまま外の森まですっ飛んでいく。思った通り、コントローラーに頼らなければもっとスピードが出せるようだ──しかし今の俺にそんな状況を分析出来る程の冷静さは残っておらず、取り敢えず減速を試みるが……コントローラーで操作したわけではないこの加速を止めるのはコントローラーでは不可能。出来るのは上昇・下降・旋回だけだ。そうなってはもう止める方法は1つだけしか思いつかず、俺は死なないよう祈りながらスティックを思い切り前に倒した。

 

 グンッ!という感覚と共に体が地上へ引き寄せられる。眼下の森に突っ込んだ俺は、そのまま枝々に揉まれて地面に激突。揺るぎない妖精の国の大地は、暴走した俺を頼もしくも荒々しく止めてくれた。

 

「ッ……ぅあ──」

 

 強かに打ち付けた顔面に手をやりながら、少々無謀だったかと反省する。

 空を仰げば、夜空を彩る満天の星。耳を澄ませば枝葉を揺らす風の音。街の喧騒が嘘のような静けさに、俺はまたも懐かしさに笑みを浮かべていた。

 

「ベータテストの時も、こんな感じだったなぁ……」

 

 今は懐かしきSAOベータテスト。あの世界に足を踏み入れたばかりの頃の俺は、ソードスキルというシステムを体に馴染ませるべくそれはもう練習した。何度も挑戦して、同じ数だけ失敗した。その失敗すらも楽しんでいたあの時の記憶は、過酷なデスゲームを経た今でも色褪せることなく残っていた。

 

 暫し思い出に耽っていた俺は、大事な事を思い出して跳ね起きる。メニューを開いて時刻を確認すると……キリトが帰宅するであろう時間の約2分前だった。

 

「あっぶね……」

 

 夢中になってしまっていた己を戒めつつ、オプションメニューへ移動する。ログインから暫くした後でもしっかり残っていたログアウトアイコンをタップすると、確認表示が出現──《○》《×》ボタンの上に表示された一文が目に止まる。

 

 

《フィールドでは即時ログアウトできません。よろしいですか?》

 

 

 ログアウトできませんというワードに一瞬ドキリとしたが、すぐに「そういう意味ではない」と思い直す。

 

 恐らくだが街以外でログアウトすると、プレイヤーと切り離された空っぽのアバターが暫くの間その場に残存するということだろう。こうでもしなければ「危なくなったらログアウトして脱出」というルールもマナーもあったもんじゃない無法行為が横行してしまう。PK推奨を謳ってるだけあってその辺はしっかりしていると思う一方、今の俺の状況を考えれば「なんでや!」と頭を抱えたくもなる。

 もう時間は秒読み間近。街へ戻ってる余裕なんか無い。このままゲーム内でキリトを待つにしても、最低限合流する手筈は整えなければならない。

 

「あぁクソ……しゃあない──ッ!」

 

 時間に追われる俺は素早く辺りを見回し、パッと目につく外敵が存在しない事を確認すると、念の為近くの木の陰に身を隠してからログアウトを決行した。

 

 ──仮想世界から帰還し、ナーヴギアを外すのももどかしく跳ね起きた俺は、傍らの携帯端末を引っ掴むとロックを解除。メッセージアプリを起動する。そこにはキリトからの「了解」という短い返信が残されており、俺は大急ぎで「すまんいま戻ったまだいん(イン)してないか」と打ち込んで即送信。あちらからの返事を待つが……3分、5分と待ってみても返事は無い。それどころか既読すらつかない。という事は、恐らくもうログインしているという事だ。

 正直俺が戻るまで待っていて欲しかったものだが、アスナの未来がかかっている事を考えるとあまり責める気にもならない。

 

 端末を置いてベッドへ身を投げた俺は、仮想世界へとんぼ返りするのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──悪いが、こっちも任務なんでな。金とアイテムを置いていけば見逃す」

 

 ログインシークエンスを経てアルヴヘイムに戻ってきた俺が最初に聞いたのは、冷静な声音の男のセリフだった。次いで、

 

「なぁに紳士ぶってんだよ、殺そうぜ!オンナ相手とか超久々じゃん!」

 

「散々手こずらせてくれた礼はたっぷりしねぇとなァ?」

 

 という、お世辞にも品の良いとは言えない声と言葉。妙に首元が息苦しいと思い目を開けると、俺の前には1人のプレイヤーが立っていた。

 鮮やかな緑が目を引くドレス調の装備を纏う、緑がかった金髪の女性プレイヤーは、得物らしい長刀を構えてこちらを──いや、俺とは少しズレた場所を睨んでいた。

 

 その視線を追った結果……この息苦しさの原因と、今俺が置かれている状況を理解する。赤い金属鎧に身を固めたプレイヤー3人──俺はその内の1人に襟首を掴まれ、悪戯がバレた子供のように捕まっていた。

 

「一応、隠れた筈なんだけどなぁ……」

 

 小さく溢れたその声に、俺を捕まえていたプレイヤーが愉快そうに笑う。

 

「おう、お目覚めかよルーキー。戻ってきて悪いが、人質になって貰ってるぜ」

 

 人質という言葉から、更に詳しい状況を理解。この女性プレイヤーと鎧の男達は敵対関係にあり、経緯は不明だが戦闘中だったのだろう。そんな中、フィールドに放置された俺のアバターを発見。恐らく色合い的に俺と同じシルフなのだろう彼女は、俺を助けようとしてくれている……とまぁそんな所だろうか。

 

「あー…っと、そこのお嬢さん──いやお姉さん?」

 

「何──!?」

 

「俺が人質になってさえいなければ、こいつら全員倒せたりするか?だったら気にせずやってくれていいんだけど」

 

「そう言ってくれるのはありがたいけど、正直厳しいかな……でも、せめて後1人は絶対道連れにする。多分、あなたも殺されちゃうだろうけど……リスポーンしたら、お詫びに愚痴くらい聞いてあげるから──さぁ、デスペナが惜しくない人からかかって来なさい!」

 

「もう翅だって限界だろうに、気の強い子だ──悪く思うな。警告はした」

 

 あくまでも徹底抗戦を貫くつもりらしい長刀の女性に、赤鎧のリーダー格らしい男は嘆息すると、俺を捕まえている奴を除いた2人で翅を広げて飛翔する。ALOの戦闘のセオリーは知らないが、地上と上空のどちらに分があるのかくらいは俺でも分かる。「翅が限界」という言葉を聞くに、話に聞いていた滞空制限とやらであの女性プレイヤーは飛べないのだろう。数的有利だけとってもかなり不利な状況だ。

 

「……あんたは飛ばないのか?」

 

 未だに俺の首根っこを掴んでいる赤鎧の男に声をかける。

 

「あぁん?そりゃ俺も殺す側に回りてェけどよ、両手塞がっちまうからな……いや、ってかお前をとっとと殺しちまえば解決じゃねぇか!」

 

 名案だとでも言わんばかりに声音を輝かせた男は、持っている突撃槍(ランス)を俺に向ける──その瞬間、俺は翅を出すと同時に左手のコントローラーを操作。練習で習得した1回転の要領で、男の槍を蹴り上げた。

 

「のわッ──!?」

 

 男が驚いた拍子に解放された俺は、着地するなり背中から剣を抜くと彼の腕目掛けて思い切り振り抜く──!

 アバターを斬り裂く手応えは感じたが、斬り込みが浅かったのか切断には至らなかった事を確認すると、飛び退って距離を取った。

 

「……やっぱ剣の間合いは慣れが要るな……」

 

「コイツ……ッ!初心者の癖に調子乗りやがって!」

 

 腕からダメージエフェクトを散らす男は、憤慨した様子で翅を広げて仲間達に並ぶ。突きつけられた3本の突撃槍が月明かりを受けてギラリと光った。

 

「……あたしが時間を稼ぐから、その間にあなたは逃げて」

 

 油断なく得物を構えながら小声で囁く女性プレイヤーだったが、

 

「いや、こうなった以上一緒させてもらうよ。愚痴の代わりに教えて欲しいこともあるしな」

 

「そう──じゃあ、精々暴れてやりましょう……!」

 

 生憎俺の得物は初期装備特有のチープさが隠せない貧相な片手剣だが、彼女が斬り込む為のチャンスを作る形で戦いに貢献できる筈だ。

 

「そうかよ。だったらお望み通り、殺してやる──!」

 

 苛立ちを隠そうともせず突っ込んでくる男達に身構えた俺達だったが、その横から何やら黒い影が飛び出してきた。その影は空中でグルグルと回転した後、派手に地面に激突する。突然の闖入者にこの場の全員が呆然としていると、

 

「ッてて……着地がミソだな、こりゃ──」

 

 緊張感に欠けた言葉と共に立ち上がったのは、色が黒い以外は俺と全く同じ初期装備に身を包んだ黒髪のプレイヤーだった。

 

「スプリガン……!?何でこんな所に……」

 

「えっと……これ、俺はどっちに味方した方がいいのかな?」

 

 俺達が2つに分かれて戦闘中である事は理解できたらしい黒髪のスプリガンは、奴らと俺達をしきりに見回す。数的有利を無くす為こちらについて貰おうと口を開いた俺だったが、それよりも先にどこか聞き覚えのある可愛らしい声が聞こえてきた。

 

「──パパ!そちらのシルフの男性がミツキさんです!」

 

「えっ……?」

 

「へぇ──なら、迷う必要は無くなったな」

 

 何故俺の名前を?そんな疑問を口にする間もなく、スプリガンは背中から剣を抜くと、俺達の横に並び立った。

 

「行くぞ──()()()

 

 はっきりと、信頼と親しみを込めて俺の名を呼んだその声で、やっと気付いた──

 

「ああ──キリト!」

 

 予想通り影妖精の姿をとっていたキリトは、不敵な笑みを浮かべながら地を蹴るのだった──。

 




Welcome to Alfheim Online!!

という事で、ミツキの選んだ種族は風妖精シルフです。
…実はウンディーネの方が後々都合よかったりするんですが、魔法の勉強に割く時間を惜しんだ結果ですね。
後悔することでしょうきっと(分かる人はもう理由分かってるはずです多分)

因みに皆さんはミツキはどの種族を選ぶと思ってましたか?
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