ソードアート・オンライン-剣槍-   作:不可視の人狼

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《森の秘薬》

 アインクラッド第1層《ホルンカ》

 

 広大な1層の多くを占める緑の中で、俺がクエストで奔走していた《ラグル》の村とは丁度反対の位置にある小さな村だ。恐らく、道なりに攻略を続けているプレイヤーたちが最初に行き着く村であり、片手剣使いにとって心強い相棒となってくれるであろう《アニールブレード》を獲得するためのクエストが受注できる。

 

「──さあ行きますよ。あの少女を早く助けなくては」

 

「その意気だ。いい狩場を教えるよ」

 

 クエストNPCのいる民家から出てきたアリスは、やる気に満ちた様子で村の外へと歩いていく。その後をついていく俺は手早くマップの位置を確認すると、アリスを先導して目標のモンスターを探し始めた。

 

 今回俺達が《ホルンカ》を訪れた理由は、アリスの剣を新調するためだ。

 この村で受けられる《森の秘薬》というクエストは、重病に苦しむ女の子に飲ませる薬を作るべく、《リトルネペントの胚珠》を手に入れるというもの。報酬で受け取れる《アニールブレード》はきっちりと強化を重ねれば、少なくとも第3層まで活躍を見込める優秀な武器なのだ。

 

「ネペントのPOP(ポップ)が多いのは…こことここ。少し危険だけど、今回は効率優先で二手に別れよう。アリスは村に近い方。俺が奥の方に行くから、どっちかが《胚珠》を手に入れたらそこで終わりにする」

 

「何故分かれる必要が?」

 

「移動しながら話すよ。回復Pot、買い忘れはないな?」

 

 クエストの標的である植物型Mob《リトルネペント》は、先端が鋭利な長い蔦と腐食液を使った攻撃をしてくるモンスターだ。外見は、根っこを脚替わりに地上を歩行するでっかいウツボカヅラといったところ。現実世界の植物にはまずないであろう巨大な口を備えており、そこから涎のような粘液を垂らしながらプレイヤーに迫る様は、ベータテスト参加者の多くを恐怖に陥れた。

 

 そしてクエストクリアに必要な《胚珠》なのだが、《リトルネペント》を狩っていると、ごく低確率で頭に花を咲かせた個体がPOPする。それを倒すことで手に入るアイテムだ。出現確率がおよそ1パーセントも無い花つきは、通常のネペントをひたすら狩り続けることで出現確率が上がる。

 運良くその辺を彷徨いててくれれば楽なことこの上ないのだが、そんなものに望みをかけて広い森を探すくらいならば、地道に狩りをしていった方が経験値が入る分建設的だといえる。

 

 とはいえ、あまりゆっくりもしていられない。ゲームが始まって10日以上が経った今、新規プレイヤーであっても腕の立つ者が次々とこの村にたどり着いてもおかしくない。ここは小さいがきちんと《圏内》であり、道具や武具の補給もできる。ちんたらやっていては周辺のフィールドが人で溢れるのも時間の問題だろう。

 

「でもネペントは効率よく倒すのにコツが要るから、俺がやるのをちょっと見ててくれ。モンスターの動きもよく見とけよ」

 

 フィールドを見回すと、索敵スキルにいくつかの反応が引っかかる。その内の1つに目標を発見した俺は、背中から槍を抜いて走り出した。

 

 その先でのんびりと歩いていた通常個体のネペントに接近すると、向こうもそれを察知して左右の蔦を大きく掲げる。

 

 ネペントとの戦い方はシンプル。攻撃を避けて、弱点であるウツボと茎の接合部に攻撃を加え続けるだけ。……とは言ったものの、これを初見でやるにはセンスが必要だ。ゆらゆら揺れる蔦は攻撃の軌道が予測しにくいし、腐食液もタイミングを見て回避しないとネペントの口が追従してくるのだ。

 道中の戦闘のお陰でレベル7となった今ならばそこまで危険視する相手ではないが、油断はできない。

 なにせ腐食液は食らうと武器防具の耐久値がガンガン減っていく上に、暫くの間粘性のオブジェクトとなってこちらの動きを阻害してくる。もし武器や防具をロストしてしまうようなことがあれば、それがそのまま死に直結すると言っても過言ではない。

 

 右から襲いかかる蔦をくぐり抜けて右側面に回った俺は、ネペントの弱点めがけて槍を突き入れる。HPが4割弱減ったのを確認すると、同じことをもう一度──すると今度は、胴体のウツボ部分を大きく膨張させる。腐食液噴射の合図だ。最高射程は5メートル、バックステップで下がってもまず回避はできない。

 

「(……今っ!)」

 

 当たれば脅威の腐食液は、射程こそ長いが効果範囲はかなり狭い。俺はウツボの膨張がストップした瞬間を狙って思いっきり左にジャンプ。直後に放たれた薄緑色の液体は、空を切って地面に飛び散った。足が地面に着くのももどかしく、俺は槍のリーチを活かして飛び退きざまに槍の穂先でネペントの弱点を斬りつける。3度も攻撃を躱され怒り心頭なネペントは、腐食液を吐き終えるなり俺の足元目掛けて蔦を振り回した。それを小さく跳んで回避した俺が槍を大きく右に引くと、水色のライトエフェクトが穂先を包み込む。

 

「──はぁっ!」

 

 滞空したまま繰り出された両手槍水平斬りソードスキル《ヘリカルサイス》はネペントの茎部分を綺麗に捉え、俺の手に刹那の手応えを残してウツボ部分が切り離された。胴体と下半身を真っ二つにされた《リトルネペント》は、断末魔を残すこともなく青いポリゴン片となって霧散していく。

 ふぅ、と息をついて槍をしまった俺の元へ、少し離れたところで戦闘を見ていたアリスが歩いてくる。

 

「どうだ?今ので大体分かったか?」

 

「どのような立ち回りをすればいいのかは分かりました──もっとも、この本の方が圧倒的にわかり易かったですが」

 

「本?」

 

 アリスが手に持っているのは、羊皮紙を綴じたメモ帳大の本だ。

 

「回復薬を購入する際に、道具屋に置いてあったものですから。お前の戦いを見ながら軽く目を通してみましたが、先程の自律植物との戦闘に於ける注意点も全て網羅されています。あの戦い方も合点がいきました」

 

「ああ、攻略本か」

 

 SAOが始まってまだ半月弱だが、この世界には情報屋を生業とするプレイヤーがいる。通称《鼠のアルゴ》と呼ばれるそのプレイヤーは、デスゲームと化したこの世界において、生き残るために必要な攻略情報を本として販売しているのだ。お値段は1冊500コルとお高いが信憑性は折り紙つきで、それで安全が買えると思えば安い出費だろう。俺も《ラグル》に行き着くまでの村で売られていたものは全て購入し、ベータ時の記憶の補完に役立てていた。

 

 例の宿の一件で懐が寒くなっていたアリスだが、俺から彼女に返した宿賃をこの攻略本に当てたということか。

 

「なら特に問題はないな。攻略本に載ってる情報はベータの時と同じだったし、実際戦ってみてもこれといった変化は見られない。その本をしっかり読んで対策すれば、今のアリスなら問題なく倒せるはずだ。後はその本にも書いてあると思うけど、くれぐれも実のついたネペントには注意しろよ」

 

 最後に1番大事なことを念押しした俺は、森の奥地にあるネペントの狩場へと足を運んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あの槍使いの少年が森の奥へと進んでいくのを見送ったアリスは、今一度攻略本に目を通す。

 最後に彼が言い残した「実つきには気をつけろ」という言葉の意味はすぐにわかった。

 

《リトルネペント》は今回のクエスト(依頼)の目標である花つきの個体と同じ確率で、頭に丸い実をつけた個体が出現するようだ。強さに何ら違いはないが、頭上の実を剣技で破壊してしまうと、粉塵を撒き散らして周囲にいる同族を呼び集めるのだとか。

 

 ならば対処法は至って簡単だ。ここからの狩りには水平斬り剣技のみを使用すればいいだけのこと。

 

「…私も始めるとしましょう。あまり時間をかけられません」

 

 こうしている間にも、あの少女は病に苦しんでいるのだ。自分にはここに来る以前の記憶が殆ど無いが、どういうわけかあの少女のことは絶対に助けたい。助けなければならないと、胸の奥の何かが叫んでいる気がする。

 パタンと閉じた本を腰のポーチにしまったアリスは、剣を抜いて村付近のフィールドへと走り出す。

 

 少しすると、あの醜悪な外見をした植物型のモンスター(怪物)が目に入った。向こうもアリスの姿を認めたらしく、蔦を掲げて威嚇してくる。

 

「──はぁっ!」

 

 襲い来る鋭利な蔦の攻撃を、足を止めることなく最小限の動きで躱したアリスは、すれ違いざまに弱点部位へ剣を振り抜く。確かな手応えと共に、ネペントの体力(HP)がガクンと減る。減少量が先の少年よりもやや多いのは、このモンスターには刺突よりも斬撃の方が有効だからだろう。これもあの攻略本に書いてあったことだ。

 

 すぐに振り返り、相手の動作を見極める。次は──

 

「──っ腐食液!」

 

 奴らが気色の悪い液体を口から吐き出す兆候を見て、アリスはすぐさま横へと跳ぶ……が、ここで過ちに気付いた。

 

「しまった…!」

 

 ネペントの腐食液は、吐き出す直前に回避行動をとらなければ狙いをつけたまま追従してくる。攻略本に書かれていたのはもちろん、あの少年も同じように戦っていたというのに、アリスは先んじて回避を行ってしまった。このままではあの液体に塗れ、最後の勤めを果たそうとしている愛剣を志半ばで失うことになりかねない。何よりあんなおぞましい怪物の粘液に塗れるような醜態を晒すのは御免だ。

 

 考えろ。この状況をどうすれば切り抜けられる…!

 

 思考が長く引き伸ばされるような感覚に陥りながら、必死で解決策を考えるアリスの脳裏に、ある光景が蘇った。それはつい先ほどのこと──あの少年がネペントにとどめを刺したときのことだ。

 

 気が付けば、アリスの体は半自動的に動いていた。身体を強引に向き直して地面を這うような低姿勢に、右手の剣を左に構える。すると、刀身がペールブルーの輝きに包まれる。

 次の瞬間、アリスの爪先は僅かに触れた地面を力の限り蹴り出し、超低空の突進を繰り出した。

 

 放たれた片手剣の単発突進技《レイジスパイク》は、ネペントの吐き出した腐食液の下を滑るようにくぐり抜ける。そして前方に突き出された剣の切っ先は、的確に弱点を捉えていた。突進の勢いのままネペントの背後に突き抜けたアリスは、技後硬直(ポストモーション)が終わるのを今か今かと待ちながら背後の様子を伺う。

 

 予想外の攻撃を受けたネペントは、捕食器の上に黄色いライトエフェクトをクルクルと回していた。モンスターやプレイヤーが痛撃を食らったりすると発現するバッドステータス──気絶(スタン)状態だ。

 

 敵が身動きを取れる状況でないことを理解したアリスはケープを翻し、駆け寄りざまに剣を大きく右に引き、刀身に水色のライトエフェクトを纏わせる。

 

「せ──やぁっ!!」

 

 気合一閃、渾身の単発水平斬り剣技《ホリゾンタル》が《リトルネペント》の胴体を真っ二つに斬り飛ばした。

 

「ふぅ……見様見真似でしたが、案外なんとかなるものですね」

 

 回避行動を取りながらのソードスキル発動──あの少年がいとも簡単にやっているように見えたそれは、アリスが思っている以上に難度が高い。

 ソードスキルは規定のモーションを検出することで立ち上がるという性質上、不安定な体勢であったり、大雑把な動作では発動が難しい。ましてや空中という姿勢制御の難しい状況下では、発動しかけていたスキルがストップして一定時間動けなくなる危険性をも孕む。

 

 そんな危ない綱渡りに見事打ち勝ったアリスだったが、今後このような賭けはあまりしないようにしよう、というのが正直なところだ。癪ではあるが今度やり方を教わることに決め、アリスは次の獲物を探しに出た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ふぅ、そろそろ花つきが出てきてもいい頃だと思うんだが…」

 

 目の前でポリゴンに分解されていくネペントを尻目に、周囲を見渡してみる。順調に熟練度が上がり続けている索敵スキルの効果範囲には、Mobの位置を示す光点が3つ表示されていた。

 体感では2時間程狩りを続けていると思うが、まだ目当ての花つきは現れない。

 

「アリスは……大丈夫みたいだな」

 

 一旦小休止も兼ねてマップを開き、近辺の再湧出(リポップ)をぼーっと眺めていると、やや離れた位置で忙しなく動く青い光点が。自分とパーティーを組んでいるプレイヤーを表すこれは間違いなくアリスだろう。視界に表示されている彼女のHPバーも、危険域には到達していない。ダメージを端から受けていないか、そうでなくとも回復はきちんとしているようだ。

 

「……本当にビギナー、なんだよな」

 

 誰にでもなく呟いた。

 ここに来るまでの彼女の戦いぶりを見た限り、こと戦闘技術の一点に絞れば、アリスは元ベータテスターと比べても何ら遜色ない実力を持っている。普通ならシステムアシストに身を任せてしまうソードスキルも、アシストに合わせて自分の体を動かすことで威力をブーストしている。これは一朝一夕で身に着けようと思ってできるものではない。俺やキリトだってベータ時代は失敗してアバターが硬直、HP全損寸前まで行った経験が何度もあるのだ。

 

 それを本能的にやった、ということなのだろうか?だとすれば素直に脱帽する他ない。が、ここでまた1つ疑問が生まれる。

 

 アリス本人が言うには、覚えているのは自分の名前と剣の使い方だけ。初めて会った時に片手剣のソードスキルを使って戦っていたことを考えれば、その剣の使い方というのはちゃんとこのSAOのシステムに則ったものだと考えるべきだろう。

 

 しかしそれでは違和感がある。

 

「どうして彼女はソードスキルのことだけ知ってたんだ……」

 

 あの後、俺はSAOというゲームの基本的な事柄を1から10まで、掻い摘みながらも知ってる限りのことを話した。時に質問を重ねてきたり、至って真剣に耳を傾けていたことから、俺の「彼女はSAOに限らず、ゲーム全般の知識に疎い」という認識は間違っていないはずだ。

 

 であれば、その知らない知識の中に含まれていて然るべきソードスキルだけは何故ああも高いレベルで扱えているのだろうか?

 

 うんうんと小さく唸りながらいくつか可能性を考えてみたものの、どれもしっくりくる答えたり得ない。

 

「ダメだ、さっぱりわからん」

 

 額に手を当て溜息をついたところで、周辺がまたネペントたちで賑わっていたことに気がつく。そしてその中に──

 

「──待ってました!」

 

 思考を放り投げて背中から槍を抜いた俺は、一目散に走り出す。視線の先にいる他とは一風変わった《リトルネペント》──花つきの元へ。

 

「シュウウウウ!」

 

 という虫とも獣ともつかない独特な声で咆吼した花つきは、両方の蔦を勢いよく振り下ろしてくる。左右で時間差をつけて攻撃してきた花つきネペントだったが、当然俺は外──側面側へ回り込むように回避する。

 

 避けては攻撃、避けては攻撃を繰り返し、やがて敵のHPがイエローを超える。蔦攻撃を槍で強めに弾き(パリィ)して距離をとった俺は、両手槍単発ソードスキル《フェイタルスラスト》を発動させる。

 黄色のライトエフェクトを纏った槍を、踏み込みと共に全力で突き入れた。

 

 一瞬の沈黙の後、花つきネペントは俺がこれまで何匹と倒してきたネペントたちとは違った断末魔を響かせ爆散。直前に頭部の花からこぼれ落ちた拳大の球体を残して、体を構成していたポリゴンが消えていく。

 

 槍をしまい、足元に転がっている球体──《リトルネペントの胚珠》を拾い上げた俺は、心の中で小さくガッツポーズを決めた。コレはアリスに渡すものだし、例え俺がこのクエストを受けて今のように《胚珠》をドロップしたとしても、槍メインの俺は受けられる恩恵が経験値と金くらいしかない。

 それでもレアドロップを獲得したという事実に喜んでしまうあたり、俺も中々ゲームに毒されてるなと実感する。

 

「よし……戻るか」

 

 貴重なアイテムをストレージにしまった俺は、村の方へと引き返した。左上を確認したが、相変わらず彼女のHPは殆ど変化しておらず、攻略本の情報をしっかりと噛み砕いてうまく立ち回っていたようだ。

 

 しばらく歩き、アリスが狩りを行っているはずのエリアに到着したところ……

 

「──やぁっ!!」

 

 鋭い気合と、走るライトエフェクト。そして俺がついさっき聞いたのと同じ悲鳴が周囲に響き渡る。悲鳴の発生源である目の前で固まった《リトルネペント》がポリゴン片となって散っていく向こうでは、達成感に満ちた顔をしたアリスが《胚珠》を大事そうに拾ったところだった。

 

「──おや、戻りましたか。それより見なさい、これであの少女を助けることができます!」

 

 どこか自慢げに《胚珠》を見せつけてくるアリスに、

 

 

 ああそれ、俺も持ってるんだよねー。

 

 

 と言った時の顔が見てみたいと一瞬だけ思ったが、彼女が怒るとおっかないのは分かりきっているので自重する。

 

「おめでとう。早いとこ村に戻ろう」

 

「言われずとも。さあ行きますよ!」

 

 小走りに俺の先を行くアリスの背中をジッと見つめる俺は、何かを言おうと口を開きかけたが、

 

「何をしているのです!急ぎなさい!」

 

 というアリスの叱責を受け、黙って彼女の後を追いかけるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《ホルンカ》に戻った俺達は、村の広場に複数人でパーティを組んだプレイヤーたちが屯しているのを見かけた。予想通り、腕の立つビギナーの第一波が到達したようだ。

 

 別にやましいことは何もしていないし、今のアリスはフードで顔を隠している為、普通に広場を通っても良かったのだが、万が一話しかけられた時が面倒なので、裏道を使ってクエストNPCの待つ民家まで移動した。

 

 時刻は夕方4時。ここから《トールバーナ》までは歩きだとそれなりに時間がかかる。できれば早いうちにこの村を出たいところだ。

 

「お待たせして、申し訳ありません」

 

 丁寧にノックをしてから民家のドアを開けると、クエストを受けたときから変わらずに釜戸の火で何かを煮ていた少女の母親である女将が、俯けていた顔を上げる。その頭上には金色の《!》マークが浮かんでおり、クエストが進行していることを告げていた。

 

「これを娘さんに……」

 

 アリスが手渡した《リトルネペントの胚珠》を見た女将は今までのやつれた顔が一変、喜びで顔を輝かせる。続くマシンガンの如き感謝の言葉を経て、女将は《胚珠》を鍋に入れると、部屋の奥にある長棚(チェスト)の中から古びた1本の剣を取り出す。見た目こそ地味だが、今現在アリスの腰に下がっている《スモールソード》と比べれば確かな存在感を放っていた。

 

「…ありがとう。大切に使わせていただきます」

 

 無言で差し出された剣を捧げ持つように受け取ると、視界の中央にクエスト達成のメッセージとリザルト画面が表示される。クエストを受けたのはアリスなのだが、そんな彼女とパーティーを組んでいた俺にもボーナス経験値と金はきっちり加算されていく。

 

「これでこのクエストは終わりだ。行こう」

 

 ウィンドウを閉じて外へ出ようとした俺だったが、アリスはじっと動かない。受け取った《アニールブレード》こそストレージにしまったが、その視線は《胚珠》の入った鍋を無言でかき混ぜる女将をじっと見つめていた。

 

「……アリス?」

 

「もう少しだけ…ここにいてもいいでしょうか。最後まで見届けたいのです」

 

「……わかった」

 

 手近な椅子に座った俺とアリスは、部屋の中に鍋の煮える音だけが静かに響くのを黙って聞いていた。身も蓋もないことを言ってしまうと、クエストをクリアした時点で俺達と女将さんの間には何の関係性も無くなった。こうしてどれだけ待てども女将は水の1杯も出してくれないし、何らかの会話を試みても「ありがとうございました。これで娘も助かります」的な定型文が繰り返されるのみ。

 

《はじまりの街》を出た時の俺やキリトのような効率重視のソロプレイヤー(エゴイスト)からしてみれば、こんな行為には何の意味もありはしない。ただ時間を無駄にするだけだ。

 

 だが目の前で女将が鍋をかき混ぜる様子を見守る彼女は、女将に対する接し方からして俺とは違っていた。彼女はNPCを魂のないデータの塊ではなく、この世界に生きる1人の人間として接しているようだ。

 

 正直、その気持ちは理解できなくもない。従来の画面越しにプレイするゲームでさえ、劇中で悲劇的な道をたどったキャラクターに対し「幸せになって欲しい」という願いを抱かせてくれたものだ。

 俺の中にもまだ残っていたらしいそんな思いが、アリス1人をこの場に残すのではなく一緒に残るという選択を選ばせたのだろう。

 

 待つこと数分、気づかない内に船を漕いでいたらしい俺の肩を叩く手があった。向かいの椅子に座っていたアリスだ。彼女が指さす先では、今まで微動だにせず鍋をかき混ぜていた女将が、棚から木製のカップを取り出しているところだった。

 おたまで鍋の中身を注いだカップを持ち、女将は部屋の奥にあるドアへと消えていく。

 

 その様子を、俺は驚愕しながら凝視していた。ベータテストの時は、クエストクリア後にこのような演出があるという情報はひとつとして出回っていなかったからだ。そもそもあの奥の部屋は、プレイヤーが開けようにもシステムロックが掛かっていて開かなかったはずなのだ。同じNPCなら可能ということなのか……

 

「私たちも行きましょう」

 

 アリスに促され、俺達もその後を追う。

 女将が入っていった部屋は、夕方とは言えまだ日が出ているにも関わらず薄暗い。中にある物といえば簡素なベッドとタンス。後は小さな椅子が1つ鎮座しているのみ。

 

 そしてそのベッドには7~8歳程と思しき少女が横になっており、薬を持ってきた女将が体を助け起こそうとしているところだった。そこへアリスも補助に入り、シーツに隠れていた少女の体が露わになる。

 

 身につけているネグリジェから除く肩や首は細く骨張っており、この薄暗い部屋の中でもわかるほどに顔色が悪い。このクエストのそもそもの発端である重病を患った少女というのが、あの娘なのだろう。

 

「アガサ、旅の剣士さま達が森から薬を取って来てくだすったのよ。これを飲めばきっと良くなるわ」

 

 差し出された薬入りのカップを一瞥した──アガサという名前らしい──少女は、その視線をすぐ横にいるアリスへと向ける。普段の毅然とした表情を崩したアリスは少女を安心させるように微笑み、頷く。

 

 それに勇気を貰ったのかは分からないが、少女はカップを両手に持ち、ゆっくりと中身を飲み干した。すると薬の効能で少女の体はたちまち元気に……は、残念ながらならない。だが先程まで青白かった少女の顔に、微かにだが赤みが戻ってきたように見える。

 

「ありがとう、お姉ちゃん」

 

 小さいが、可愛らしい声で少女はアリスに感謝を告げる。それを聞いたアリスは床に膝をついて少女に目線を合わせると

 

「あなたの病状が良くなる事を祈っています。ここまでよく頑張りましたね」

 

 そう言って、少女の頭を優しく撫でる。くすぐったそうに目を細めた少女は、部屋の入り口付近に立っていた俺に気付いたらしい。バッチリと目が合ってしまった。

 リアルでは人と目を合わせるのが大の苦手な俺が、このまま目を背けては少女を傷つけてしまわないかと迷っていたところで……

 

「お兄ちゃんも、ありがとう」

 

 と、弱々しくはあったが確かな笑顔を向けられた。彼女は間違いなくNPCのはずだ、にも関わらず、あまりに人間染みた所作に俺は戸惑いを隠せない。こちらからもぎこちない笑みを返すのが精一杯だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「全く、まさかお前の笑顔があそこまで酷いものだとは思っていませんでした。あれではせっかく快復に向かっていたあの娘の容態が悪化しそうです」

 

「随分な言いようだな……まぁ否定はしないけども」

 

 あの親子の民家を後にした俺達は、またも裏道を使って《ホルンカ》の次の村である《メダイ》を目指していた。《トールバーナ》へ戻るには少々長居をし過ぎてしまった。この《ホルンカ》は唯一の欠点として寝床の数が少なく、ここからそう遠くない次の村の方が確実に寝床を確保できるだろう。

 

「……あの娘は、無事に回復するのでしょうか」

 

「きっと良くなる……って言いたいところだけど、多分そうはならない」

 

 俺達が受けた《森の秘薬》クエストは、あの民家に行けば誰だって受けられるものだ。つまり、あそこを訪ねるプレイヤーがいる限りあの少女は何度も何度も病に苦しむ事になる。改めて考えればおぞましい話だ。

 

「でも……アリスに頭を撫でられている時、少なくともあの時にかけられた言葉で、あの娘は救われたんじゃないかと思うよ。この世界じゃあそこまでNPCに寄り添える人間はいないからさ」

 

「なら、良いのですが……いえ、そう信じましょう。お前も偶にはいい事を言うではないですか」

 

「『偶に』は余計だ、『偶に』は。──それより腹減った。《メダイ》に着いたらまずは何か食おうぜ」

 

「昨日食べたあの黒パンのようなぼそぼそとした食事は御免ですよ。贅沢は言いませんが、せめてもう少し──」

 

「あの黒パンを馬鹿にするなよ?丁度次の村で受けられるクエスト報酬がだな──」

 

 月明かりに照らされ、言い合いをしながらも並んで歩く2人の影は、昨晩よりも少しだけ距離が縮まっていた。

 




過去のストックからは一旦ここまで。
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