──殺した。殺して殺して殺し回った。
殺して殺して殺して、殺し尽くした先で……何かが得られたかというと、そんな事は無い。精々、ほんの少しだけ気分がスカッとした程度だ。それもすぐ後続の怒りに塗り潰された。
復讐は何も生まない──そんな言葉をよく聞く。
けど実際復讐というものをやってみて、俺はその言葉に半分懐疑的になった。
確かに復讐は何も生まないが、復讐という行為そのものにはちゃんと意味がある。そうする事でしか取り除けないものもまた存在するのだ。俺の場合、暴発しかけていた怒りの感情を発散することが出来た。今も尚怒りは燻っているが、あの瞬間に比べれば随分大人しくなったと思う。
けど……怒りが沈静化した途端、今度は悲しみが押し寄せてきた。
俺は……彼女を救えなかった。恐らくだが……彼女はアリス本人…ではなかった、ように思える──そう、思いたいだけかもしれないが──だとしても、絶対何かを知っていた筈なのだ。希望への道筋を、彼女が示してくれる筈だったのに……俺はその希望を、目の前で失った。
「俺……どうすればいいのかな……」
あの虐殺の中で、抵抗する者も何人かいた。直前のグランドクエストでもいくらかダメージを貰っていたのと合わせ、HPが全損したのだろうか。気づけば俺はALOからログアウトし、現実世界で目を覚ましていた。
徐にナーヴギアを外し、ボーッと天井を眺める。
俺はまたアリスと現実世界で時を共にする為にSAOで戦った。
アリスの存在を証明する為、彼女とアスナを救い出す為にALOで戦った。
しかしそこで、俺の道行を示す光は途絶えてしまった。
道標を失った俺に、これ以上出来る事はあるのだろうか。あるとしても、信じる事だけだ。信じるだけで……何か、変わるのだろうか。
彼女が消える直前に残した言葉が蘇る。
きっとまた会える──意味を考えれば、2通り。
読んで字の如く「また会える」という事。それがアリスにしろ彼女にしろ、その時が来れば俺はまた歩みを再開出来るのだろう。
もう1つは……「最後の最後に、また会える」という事。要は「あの世で待ってる」という意味だ。即ち、もうアリスはこの世に存在しないという事を表している。
「生きて」という言葉も、俺を生きながらえさせる為のものなのではないか。以前のように、自ら命を絶つような真似をしないように。
アリスは言ってくれた。「ずっと傍にいる」と。俺は言った。「君を独りにしない」と。
だから俺は、どこにもいない彼女を
だけどそれで本当に彼女は喜ぶのだろうか?彼女なら──いや、それは俺が作り出した都合のいい想像だ。けどそうであるなら、俺が逝けば彼女は喜んでくれるというのもまた都合のいい想像でしかない。所詮人の本当の気持ちなんて、互いに打ち明けない限り、その当人にしか分からないのだから。
……アリスに会いたい。声を聞きたい。
彼女の声が、言葉があれば、きっとこのグチャグチャになった頭の中も整理できるのに。
滲んできた涙を隠すように、腕で顔を覆う。そんな時、ヘッドボードに置いていた携帯が震えた。通話の着信だ。画面には《桐ヶ谷 直葉》と名前が表示されている。
ゴシゴシと目元を拭い、ひとつ咳払いをしてから通話に出る。
「……もしもし?」
『良かった、繋がった!急にごめんなさい。お兄ちゃんが戻ってきたので、そっちは大丈夫かなと思って』
「あぁ……うん。大丈夫だよ──キリトは?」
『はい。全部、終わったみたいです。さっき病院に──アスナさんの所に行きました』
──皆を 助けて。生きて──
不意に、彼女の言葉が蘇る。
『……ミツキさん?』
「そっか……分かった。連絡してくれてありがとう。直葉ちゃんもゆっくり休んでくれ」
そう言って通話を切った俺は、手早く身支度を終えると階段を駆け下りる。今日は叔母も母も仕事で出払って帰って来ない為、家を空けても問題は無い。家を飛び出した俺は、雪がチラつく中、最寄駅までの道を全速力で駆け出した。
キリトが決着をつけたという事は、恐らく内部で須郷と接触なり戦闘なりをしている筈だ。そうでないとしても、あそこまで大掛かりな施設を用意して人体実験に勤しんでいた男だ。簡単に諦めるとは思えない。何より、キリトは須郷にリアルで顔を見られている。その事実が、俺の脳裏に良くない未来を描き出した。
電車を乗り継ぎ、所沢駅に到着する。流石にバスまで待ってる余裕はなく、俺は病院までの道をひたすら走った。
「はっ、はっ……!間に合ってくれ──ッ!」
時間帯と、雪が降り始めたこともあって交通量が少なく、悪いとは思いつつ信号を何度か素通りした俺は無事に病院へ到着。しかし正門は固く閉ざされ、普段は守衛が立っているボックスも無人だった。少し考えた俺は、外周をぐるりと回って裏手のパーキングに向かう。駐車場と併設された病院関係者用の裏門があり、そこから敷地内に足を踏み入れた。門の横には1台のMTBが停めてあり、キリトは既に来ていることが伺える。
──死ねぇ小僧ォォォッ!!!
「──ッ!?」
何事もないよう祈りながら走る俺の耳が、甲高い絶叫を捉えた。まさか……ッ!?
──寒空の下、桐ヶ谷和人は荒い息をつきながら立っていた。右腕にズキズキと焼けるような痛みが走る。手まで伝った自分の血が冷たい空気に撫でられ、対照的にひんやりとした感覚を齎した。
そして今──和人の右手には、右腕の傷を作ったまさにそのナイフが握られている。
鈍色の刃は、目の前で怯えたように小さく呻く男──須郷伸之の喉元にひたりと宛てがわれていた。
この手をほんの数センチ動かすだけで、この男は死ぬ。多くの人々の尊厳を踏みにじり、アスナを傷つけ、辱め、醜い欲望のままに弄んだこの男を殺す事が出来る。
仮想世界の方であらかた怒りは吐き出したつもりだったが、先程のこの男の言動でまた怒りが込み上げてきた。
こんな男、生かしておく意味は無い。またコイツによって誰かが傷つけられるくらいなら、いっそここで……!
握るナイフに力を込めようとした瞬間──その手を、後ろから掴んで止められた。
「はぁ、はぁ──止せ、キリト……ッ」
「ミツ、キ……」
そこに立っていたのは、共にアスナを救うべく戦ってくれた戦友だった。
「──何で……何で止めるんだ……ッ」
間一髪の所でキリトを引き止めることに成功した俺は、息を整えながら口を開く。
「落ち着け。アスナは解放したんだろ。こいつを殺したって何の意味も無い」
「でもッ、コイツは──コイツはアスナを……ッ!!」
「分かってる。……分からないけど、分かるよ。お前にここまでさせるんだ。救いようのないクズなんだろう。コイツは」
「だったら……ッ!!」
「けどお前が手を汚してやる程の価値は無い──アスナを迎えにいくんだろ。こんな奴の返り血で汚れてちゃ、折角の再会も台無しだぞ」
ギリリ…とキリトの歯が軋む。彼自身、ちゃんと頭では理解している筈だ。須郷の処遇は法に任せるべきだと。一方の俺も、怒りの感情は理屈でどうにかなるものじゃないとよく分かっている。
それでも──命を奪うなら、せめて意味が必要だ。道を違えたとて、その意味があれば自分を納得させる事が出来る。或いは赦される事もあるだろう。だが感情に任せて無意味に命を奪った先に待つのは、終わりの無い苦しみだけ。キリトにそんな辛い思いをして欲しくない。だから──
「頼むキリト。お前は──お前は、
どうにか平静を取り戻したらしいキリトは、須郷の喉元からナイフを離す。血濡れた手から、ナイフを回収した。
「ほら──こっちは俺が見とくから、行けよ。アスナが待ってる」
「っ……ああ。ありがとう、ミツキ」
「ちゃんと腕も看てもらえよ──?」
院内に駆け込んでいくキリトを見送った俺は、すっかり腰を抜かしてへたり込んだ須郷を見やる。
「さて──初めましてだな、須郷伸之」
「お、お前は……?」
「名乗る程のもんじゃない、ただのキリトの友人だよ」
「ぼっ、僕を殺す気か……!?い言っとくけどな、僕を殺せばお前も無事じゃ──ブぁッ!?」
須郷の言葉が終わるのを待たず、横面に蹴りを入れる。これはキリトの腕を切った分だ。
「言ったろ、殺しはしない。お前なんかを殺してこっちも逮捕されちゃ割に合わないからな。だが──死なない程度に痛めつける事は出来るぞ」
「ヒッ……!?」
わざとらしくナイフの刃を見せつけると、須郷は怯えたように縮こまる。
「俺の質問に正直に答えて法の裁きを受けるか。お前が踏みにじったSAOプレイヤーの数だけ苦しんでから法の裁きを受けるか──選べ。2つに1つだ」
「な、何だ……?何が聞きたい……ッ!?」
即座に苦しまない方を選ぶ須郷に内心呆れながら、簡潔に問う。
「アリスはどこだ」
「な、何の話だ……!」
「とぼけるなよ。お前達がSAOプレイヤーを閉じ込めていた場所──《実験体格納室》にいた銀髪の少女のことだ。お前なら何か知ってるはずだろ」
「じっ、実験体の事なんか知るわけないだろッ!」
今度は反対側の横面に蹴りを入れる。呻く須郷の髪を掴んで、もう一度──
「お前なら、何か、知ってる筈だろう?──もう一度聞くぞ。彼女は、どこに行った。生きているのか」
「しッ知らないッ!本当に知らないッ!僕はSAOサーバーからログアウトするプレイヤーがALOに流れるよう、ルーターに細工をしただけでッ!実験体の管理は部下の連中に一任してたんだッ!」
弁解する須郷の目はこの上なく必死で、事実を偽る余裕があるようには見えない……どうやら本当に何も知らないようだ。
「……使えないな」
俺は立ち上がると、ナイフを逆手に持ち替える。
「な、何を……?」
「もうお前に用は無い」
「お、おい!話が違う!言ったろ!僕を殺せばお前も逮捕されるぞッ!」
須郷の言葉で、俺の動きがピタリと止まる。確かに、実際に傷付けられたキリトならいざ知らず、立場上通りがかっただけに等しい俺がこの男に刃を振り下ろせば、俺も警察の厄介になる。
しかし……だったら簡単だ。
俺は左の手の甲にナイフの刃を軽く宛てがい、ひと思いに引く。悴んだ肌に赤い線が走り、真っ赤な血が流れ出た。一瞬遅れて、ジンジンと焼けるような痛みが滲んでくる。
「ッ……これで、正当防衛成立だ」
信じられないものを見るような目をする須郷は、唾を飛ばしながら尚も口を開く。
「そ、そんな事したって……か、監視カメラが──」
「──無いよ。だからお前も
即ち、俺が自分で自分に傷を付けたことも証拠に残らない。コレは抵抗する須郷に付けられた傷になるのだ。
「精算の時間だ、須郷。裁きを受けろ──ッ!」
「ヒィッ…アアアアアアアアアアァァァ──ッ!!」
絶叫の中、ナイフが振り下ろされる──その刃は、硬い音を立ててアスファルトの地面に突き立てられた。
殺すつもりはない──元よりその言葉を覆す気は無かった。しかしこの男には、ただ法の裁きを受けさせるだけじゃ生温い。だから──その前に最大限の「恐怖」を与えてやることにした。あの研究施設で多くのSAOプレイヤー達に強いていた感覚信号の1つだ。
出来る限り凄絶に、出来る限りリアルに、死の恐怖を刻みつけてやった。俺も手傷を負いはしたが、代償というにはささやかなものだ。
「ア゛……アァ──」
その甲斐あってか、須郷は白目を剥いて涙と涎を垂らしながら気絶していた。俺はナイフを放り捨て、須郷の首から引き抜いたネクタイで両腕を拘束する。
薄らと雪の敷かれた地面に須郷を転がし、俺はバンに背中を預け座り込む。アドレナリンが出ていたのか、今になって左手の痛みが激しく主張してきた。
「終わった──か」
今頃キリトは無事にアスナと再会しているだろうか。これでようやく、彼も本当の意味でSAOから解放される。
それを心から喜ばしく思う一方で、俺の隣にアリスはいないという事実が、深々と胸を貫いていた。