喫茶店での菊岡との会談から1週間後──キリトは千代田区御茶ノ水にある大きな都立病院にバイクを走らせていた。
駐輪場の端っこにはマットブラックのスポーツバイク──ミツキのものだ──が停めてあり、あちらは先着しているのだと伺える。菊岡は2人のダイブ開始時間を15分程ずらして指定したと言っていたので、かち合う危険性は低い筈だ。
エントランスでトイレだけ済ませた後、エレベーターへ乗り込み上層階へ。メールに記載された指定の病室に向かう。その道すがら、昨日ALO内で交わしたアスナとの会話が脳裏を過ぎる──
──もう、驚かせないでよ!急にコンバートなんて言うから何かと思っちゃった。
──わ、悪い……ホント、数日したらまた再コンバートするから!
──…菊岡さんの依頼、なんだっけ?私、あの人の事全面的に信用していいのか、イマイチ分からないのよね。
──まぁ、そこは俺も同感。けど、心配いらないよ。ミツキも一緒だし。それに……
──……それに?
──…せ、接続料!《ガンゲイル・オンライン》は3000円も接続料かかるんだけど、そこは向こうで負担してくれるみたいだから、俺の懐にもノーダーメージノープロブレム。は、はは……
「(──アスナには、全部言うべきだったかなぁ……)」
GGOで名を上げれば、アリスとミツキが再会する助けになるかもしれない──正直に打ち明けていれば、よりスムーズにアスナの理解を得られただろう。だが実際に説明出来たのは、経緯の半分程──アリスの行方に関する事と、今回の話の肝でもある《死銃》に関しては説明する事が出来なかった。
彼女にとってミツキもアリスも大切な友達だ。一切合切打ち明けてしまえば、自分も一緒に行くと言い出しかねない。確かに、かつて《閃光》の二つ名を轟かせた彼女の助力があれば心強いし、単純に頭数が増えれば、それだけアリスの目に止まる確率も上がる。合理的に考えればそうするべきだったのだろうが……《死銃》という懸念材料がそれを許さなかった。
正直、あんなオカルトじみた話は99.9%デマや妄想だと思っている。しかし100%ではない。残る0.1%──もし、《死銃》が本当に超常の力を持っていたら?その銃口がアスナに向いてしまったら?そう思うと、言い出そうとした言葉が喉の奥へと押し戻された。
今ならミツキが1人で行くと言った気持ちも理解出来る。1人より2人、2人より3人──いくら合理的で、最善の道であったとしても、身勝手ながら己の中にある譲れない一線を越えることは出来ないのだ。
その一線というのがキリトにとってのアスナであり、ミツキにとっては……今回の場合、自分達──そう考えるのは、少々自惚れが過ぎるだろうか。
ミツキの配慮を無下にしてしまう事に多少の申し訳なさも感じるが、それ以上に、キリトだって大切な戦友が危険に晒されるのを黙って見ているつもりは無い。それが例え0.1%であったとしてもだ。
アスナ、リーファ、リズベット、シリカ、クライン、エギル──事情を話せば間違いなく協力してくれただろう仲間達の分まで、自分が頑張らなくては。
胸の中でそう意気込んだキリトは、目的の病室のドアをノックするのだった。
時は少しだけ遡り──菊岡に指定された病室で、俺こと三島翠月は着ていた服を脱いでいた。腰掛けたベッドの傍らには、俺やキリトがSAO帰還後のリハビリでもお世話になった安岐ナツキというナースが物々しい機器を弄っている。
……念の為言っておくが、いかがわしい行為に及ぼうというわけでは断じて無い。脱ぐと言っても上だけだし──「上だけでいいか」と確認した際、安岐ナースの顔が心なしか不満そうに見えたのも、きっと絶対、気のせいだ──その理由も、GGOにログインして《死銃》との接触を目指すにあたり、いざ相対した際俺の身体に何か異常があればすぐ対処できるようにとモニタリング用の電極パッチを貼り付ける為なのだ。
ペタペタと体の随所に電極が貼られ、安岐ナースは機器のチェックをしがてら口を開く。
「──リハビリの時も思ったけど、三島君、男の子にしては肌白いよねぇ。今年の夏とか、遊びに行かなかったの?」
「遊びはしましたよ。場所が野外じゃなかったってだけで」
「最近の子供って感じだねぇ。ゲームもいいけど、たまには運動もしないと筋肉つかないぞー?」
「してるつもりなんですけどね……善処します」
実際、帰還当時に比べれば格段に肉は付いたものの、1年が経った今でもまだまだもやしっ子の域を出ていないのが現状だ。頻度こそ落ち着いたとはいえジム通いは継続してるし、食事もちゃんと3食──程度や時間がバラつきこそすれ、摂っているのだが。
「──よし、準備オッケー!いつでもどうぞ」
「えっと、じゃあ暫くの間、お願いします」
「はい。行ってらっしゃい」
キャラクターコンバートに必要な事前準備は昨日までに全て済ませている。アミュスフィアを装着した俺は、誰かに見られた状態でダイブすることに多少の緊張感を覚えながらも、スタンバイが完了したことを告げる電子音を聞いて目を閉じた。そして……
「──リンク・スタート!」
起動コマンドを唱え、再びかの世界への扉を叩いたのだった。
ざっと5ヶ月ぶりに訪れたGGOの世界は、以前よりも賑わっているように感じられた。
それもその筈、初期スポーン地点から少し視線を上向ければ、街頭ビジョンにでかでかと《第3回BoB 本日開催!》の一文が掲げられていた。今日はGGO内で最強のプレイヤーを決めるバトルイベント《
菊岡が今日この日を指定してきたのは、恐らくこれが理由だろう。大人しく撃たれてやる気など更々無いが、《死銃》にターゲットされるには力を示して目立つ必要があり、その点この大会はまさにうってつけと言える。
差し当たって必要になるのは各種装備と、それを購入する為の金だ。
《ザ・シード》
それを避けようと思うと、事前にプレイヤーストレージからアイテムチェストなどの外部ストレージに所持品を全て移しておく必要があり、今回俺はALOでの私物を全てエギルに預けて来ている。
要するに今の俺はステータス以外、生まれたての雛同然というわけだ。
以前GGOをプレイした際は、シノンとシュピーゲルに助けてもらいながら地道に狩りで稼いだが、今回に限ってはそんな悠長にしていられない。手っ取り早くドカンとデカい金を稼げる場として思い至ったのは1つだけ。そこを目指し、俺は足を踏み出すのだった。
BoB開催の影響でプレイヤー達が殺気立っているのか、妙にジロジロと視線を浴びながら到着したのは、ゲーム内に存在するカジノ。スロットマシンで1発当てられれば、そこそこいい装備が買えるはずだ。勿論、なけなしの金が霧散する可能性も大いにあるが……そこは俺の生まれ持った動体視力スキルを存分に活用させてもらうことにする。
小さく気合を入れた俺がカジノへ入ろうとしたその時──不意に、背後から誰かに肩を掴まれた。
「──えっと、急にごめんなさい。見た感じゲーム始めたてのビギナー、よね?多分、手っ取り早く稼ぎたいとかなのかもだけど、ギャンブルで増やすのは正直おすすめ出来ないかな……」
そう言われて振り返った先には、水色の髪とマフラーが特徴的な女性プレイヤーが遠慮がちな表情で立っていた。それを目にした俺は、思わず1つの名前を零す。
「シノン……?」
「えっ……?」
初めてGGOにログインした日、右も左もわからない俺を助けてくれた1人である、クールな女性プレイヤー《シノン》──何の因果か、あの日とは立ち位置が逆転した状態で、俺は彼女と再会した。しかし、そんな彼女の口から発せられたのは……
「え……っと。ごめん、どこかで会った事あった?や、でもビギナーの知り合いなんて殆どいないし──」
たった3日間の付き合いだ、忘れていてもおかしくない──そう思ってから、今の自分はかつて彼女と出会った時とは名前も姿も違うのだという事に今更ながら気付く。
「──それに、あなたみたいな
「……えっ?」
私は以前、あなたに助けていただいたジェイドです──そう告げようとした矢先、あまりにもナチュラルに過ぎ去っていった彼女の言葉に、俺は発言をキャンセルして疑問符を浮かべる。
今、何と言った?女性プレイヤー?男として産まれ男として育ち、男としてキャラクター登録しているはずの、俺が?
何を馬鹿な、とカジノの窓を覗き込む。システム的にスモークが掛けられているらしい窓ガラスは中こそ見えないが、簡易的な鏡としての役割を発揮して俺の姿を写し出す。そして──
「え……!?」
言葉を失った。目の前に写っているのは、現実の俺とは似ても似つかない──それは当然なのだが──それどころか、ALOのシルフミツキとも、今は亡きジェイドとも違った風貌のキャラクターだった。
襟足が長めに残された髪、現実の俺と遜色ない華奢な身体。何より驚いたのが、パッと見で男とは思えない──中性的且つ女性寄りとでもいった塩梅の──容姿をしていた事。当の俺がそう思うのだから、シノン目線では本当に女プレイヤーに見えているのだろう。心なしか自分の声もワントーン高く聞こえるような気もしないでもない。
……まさかとは思うが……
恐る恐る自分の胸に手を当ててみる。そこには至って平坦な感触があるだけで、想像していたような柔らかさは感じられなかった。どうやらゲームシステムのバグやアミュスフィアの不具合で女性アバターになってしまったわけではないようだ。
もしかしなくても、ここまでの道中に俺が謎の注目を集めていたのもこの外見が理由だったのだろう。声をかけられなかったのは幸いと言うべきか。
「どうしたの?……もしかして、本当にどこかで……?」
安堵から壁に手を突き肩を落とす俺を見て、自分が何か傷つけてしまったと思ったらしいシノンは小さく狼狽する。当然、彼女は何一つ悪くない。それどころかカジノで有り金を溶かそうとしていた俺を止めてくれたのだから寧ろ感謝すべきなのだが……不謹慎ながら、クールな彼女がこうもオロオロする様を見るのが新鮮でちょっとだけ面白いと感じてしまい──
「──酷い。酷いですシノン。忘れてしまったなんて……!」
半ば自動的に発動した悪ノリスキルが、俺に傷心の少女を演じさせた。因みに話し方はアリスを参考にさせてもらっている。
「えっ!?ちょっ、嘘──ご、ごめんなさい……!」
大慌てで謝罪したシノンに宥められ、どうにか気持ちを落ち着かせた(ように見せた)俺は、「またこうして会えたので、それでいいです」と正体の究明を掻い潜り、カジノに来た理由を説明した。
「──じゃあ、ゲーム始めたてでBoBに参加するつもりだったの?」
「……もしかして、何か参加条件が?プレイ時間とか?」
「あ、ううん。そういう訳じゃないけど……その、ステータス的な問題が……」
「ああ、そこは問題ありません。このアカウント、別ゲーからのコンバートなので」
「へぇ……どこから?」
「よくあるファンタジー系ですよ」
「……もしかして、ALO?」
「え、よく分かりましたね?」
ぼかした返答にも関わらず見事にタイトルを言い当ててみせたシノンは、どこか懐かしむような目で虚空を見つめる。
「大分前の話だけど、あなたと同じALO出身のプレイヤーと知り合った事があるの──そっちは男だったんだけどね。数日間だけ私の友達と3人で一緒にプレイして……辞めちゃったんだ。リアルの都合がつかなくなるからって」
その男プレイヤーというのは……恐らく、
「その人が言ってくれたの──自分の進む道に真剣に向き合えば、きっと強くなれる。応援してる──って。……まぁ、前回のBoBはちょっと情けない結果だったんだけどね」
「そんな事……確か漁夫の利でやられてた筈だし、仕方ない部分もあったと思うよ」
シノンとシュピーゲルの2人がBoBに出場するつもりだと最終日に話していたのを覚えていた俺は、当時たまたま暇をしていた事もあって大会の中継を見ていた。GGOそのものにはあまり詳しくなくとも、やはり熟練者同士の戦いというのは素人目にも見ていて楽しいもので、その中からシノンが予選を通過し本戦へ進出した時は小さくガッツポーズをしたのを覚えている。……一方、シュピーゲルの方は惜しくも予選敗退となってしまったのだが。
「よく覚えてるね……?」
「あー、まぁ……それより──」
「──あのー、すいません。ちょっと道を聞きたいんですが……」
そっちこそよく覚えてたな──という言葉から、そろそろ自分の正体を明かそうとした俺の言葉を遮るように、3人目のプレイヤーが割り込んで来た。
腰まで伸びた長い黒髪に、俺と同じくらい華奢な身体──声音こそハスキー調だが、俺と違ってどこからどう見ても女性プレイヤーだ。身につけているのが俺と同じ初期装備の白いミリタリーファティーグなのを見るに、彼女もビギナーなのだろう。さしずめ、同じ女性プレイヤーであるシノンへ助けを求めに来たといった所か。
「えっと、あなたもこのゲーム初めてなの?」
「あ……っと…は、はい!安い武器屋と、あと総督府って所へ──って、『あなたも』?」
「ええ。この子もあなたと同じビギナーなんだけど……総督府に何しに行くの?」
「今日開催されるバトルロワイヤルイベントのエントリーに……」
よもや彼女も俺と同じくBoB参加が目的だったらしい。シノンは立て続けに恐れ知らずのビギナーと出会った事に面くらいながらも、
「だったらちょうどいいわ。
すっかり正体を明かすタイミングを逃してしまった俺は、シノンに導かれ、名も知らぬ女性プレイヤー共々移動を始める。しかし次なるチャンスは思いの外早くに訪れた。
「──あ、そうだ。あなた名前は?」
シノンが黒髪の少女プレイヤーに名前を尋ねる。恐らくこの流れなら次は俺の番だ。そこでジェイドの名前を出しさえすれば……!
「あ、えっと……私、《キリト》って言います」
「……えっ?」
「キリト……女の子にしては珍しい名前ね」
「えと、も、元々やってたゲームではカッコイイ系のアバターで!てっきりこっちでもそうなると思ってたんです、けど……」
「ああ……その気持ち、ちょっと分かる。VRMMOで性別を偽れちゃうと色々問題あるのは理解出来るけど、不便な所もあるわよね──ってことは、あなたもコンバートなんだ?」
小さく笑うシノンと、苦笑いする少女(?)……後者のキャラクターネームに、俺は大いに聞き覚えがあった。
「そういえば、あなたもまだ聞いてなかったっけ」
予想通り、シノンは俺にも名前を尋ねてきた。数秒の葛藤の末、俺は予定を変更し思い切ってカマをかけてみることに。
「そういえばそうでしたね──《ミツキ》です」
どうだ?と目線を横へ向ければ……明らかに驚いた様子のキリトがいた。念の為、もう1つだけ確認する。
「そうそう、キリトさんもコンバートなんですよね?前やってたゲームって何なんですか?私、非常に気になります」
「あ…えと……よ、よくあるファンタジー系、のを……」
「ファンタジー系というと、ALOですか?」
あちらもいよいよ状況を察したらしく、無言の肯定が返ってくる。最早疑う余地は無い。コイツは……!
「へぇ、奇遇ですね!私もALOからなんですよ!もしかしたら、向こうでも会っているかもしれませんね?ちょっとそこで話しましょう。大丈夫すぐ終わります」
シノンに一言断りを入れてから、キリトを近くの路地へ引っ張っていく。シノンの視界から隠れた所で、キリトを壁際へ押し込んだ。
「──おい、何でここにいる?俺1人でいいと言った筈だ」
「確かに言ってたけど、了承はしてないし……例の《死銃》の件、調べるにも1人じゃ限界があるだろ」
「まさか家からダイブしてるんじゃないだろうな?」
「それは勿論。ミツキの後に同じ病室からダイブしたんだ」
つまり、俺が喫茶店から出て行った後に菊岡がお得意の口八丁でキリトを嗾けた、といった所か……全く余計な事をしてくれた。
「あのな、こっちは経験者といってもたった3日でブランク5か月だぞ。首尾よく《死銃》に接触できたとして、お前を庇いながら戦うのは無理だ。とっととALOに戻れ」
「こっちだって守って貰うつもりで来た訳じゃない。万が一の時を考えれば、2人の方が安全だろ」
「……何があるか分からないんだぞ。その万が一でお前に何かあったら、アスナに顔向けできない」
「それはこっちのセリフだ。お前だけ送り出して帰ってこなかったら、俺達はどんな顔でアリスに会えばいい?」
互いに譲らず、時間と沈黙だけが流れていく。真剣な表情を先に緩めたのはキリトの方だった。
「……心配し過ぎだって。大丈夫、上手くやるよ──ほら、あまり彼女を待たせちゃ悪いし、この辺にしとこうぜ」
キリトはポンと俺の肩を叩いて路地を出ていく。話を打ち切られた俺は、まだ納得出来ないながらも一旦矛を収めてシノンの元へ戻るのだった。
GGOキリトがマジで女の子にしか見えなかったのに対し、GGOミツキはボーイッシュイケ女風男子と大分属性が盛られましたね。
余談ですが、ミツキはALOのカジノにあるスロットでボロ儲けしたせいで一度出禁を食らっています。
どんなに金を稼いでもゲーム内でしか使えないALOのスロットは目押しの重要性がかなり高く設定されてたのが理由ですね(その分リールがバカ速い上に結構滑ります)
後に修正されて無事出禁解除となりはしましたが、ミツキがスロットコーナーに入ろうとすると警告音と共にガードマンNPCが出てくるとか、来ないとか…?