殺人ギルド《
ゲームオーバー=死を意味するデスゲーム《ソードアート・オンライン》の中で最も恐れられた、文字通りの殺人集団だ。
奴らが暗躍を始めたのは、攻略の最前線がまだ2層か3層だった頃。当時は直接的に手を下すのではなく、言葉巧みに他者を扇動して衝突させ、殺し合いへと発展させる《扇動PK》が常套手段だった。
しかしある時期を境に、《睡眠PK》や《デュエルPK》、《ポータルPK》等といったシステムの穴を突いた様々なPK手段を考案しては、アインクラッドに閉じ込められた数多のプレイヤー達をその手にかけていった。
そんなラフコフが消滅したのは、SAO攻略も折り返しに入った2024年の夏頃──事態を重く見た最前線の攻略組プレイヤー達50人程からなる討伐隊が組織され、武力によって壊滅させられた。
当然、その過程で死者も出た。討伐隊からは11名。そしてラフコフ側からは実に21名。
レベルやステータスで優っていた討伐隊にこれ程の犠牲が生まれた理由は「殺人への抵抗感の差」だろう。奴らはSAOがデスゲームであると宣告された後でも、「この世界はあくまでゲーム」として殺人を行っていた……正確には、《
──自分達はあくまでゲームシステムに則って遊んでいるだけ。殺人が犯してはいけない禁忌と言うなら、システム的に出来ないようになっているはず。そもそもこの世界で死んだ所で実際に死ぬのかもこちらからは分からない。仮にそうだったとしても、その責任はこんな世界を作った茅場晶彦が負うものだ。自分達はただ巻き込まれただけなのだから。遊ぼう、ゲームはゲームらしく。
そんな甘言がプレイヤーの自制心を徐々に腐らせ、やがて跡形もなく崩れ去る。残るのは欲望と衝動のままにプレイヤーを殺す極悪非道のプレイヤー・キラーだ。
一方討伐隊からしてみれば、いくら相手が積極的に殺人を行う
あのピエロマスクが立ち去ってからどれ程経っただろうか。10分か10秒か──いつの間にか呼吸まで止まっていたらしく、俺は詰まっていた息を咳き込むように吐き出した。覚束無い足取りで壁際のボックス席に向かい、耐え切れなくなったように腰を下ろす。
あいつは……あのピエロマスクは、SAO最大最悪の殺人ギルド《
そいつがGGOにいる事自体は然程驚く事でもない。問題なのは奴の言葉だ。
──今度こそ、お前をぶっ殺すのをなァ……!
あの口ぶりから察するに、奴は俺がSAOでの槍使いミツキだとほぼ確信している。
そして恐らく、俺はSAOで奴と戦っている。タイミングは……討伐戦の時?或いは……
「……ッ」
あの時──下層プレイヤー達から知らず知らずの内に《ヴィジランテ》等と呼ばれていたらしいあの頃の記憶に触れた途端、1つの予感と共に凄まじい悪寒が全身を駆け抜けた。
──まさか……「奴」か?
アインクラッドで俺を執拗に付け狙い、その度に無関係の者を殺して回ったあの男が、あのピエロマスクの正体なのだろうか?付け加えるなら、奴こそが《死銃》なのか?
「(……いや落ち着け。まだ決まったわけじゃない。別人の、可能性だって……)」
違う筈だと己に言い聞かせても、一度浮かんだ危惧はしつこくこびり付いて離れない。また奴の手で無関係の誰かが殺されるのではないか?その誰かを、俺はまた助けられないのではないか?
俺の……俺の、せいで、また……
思い出したくもない不快な声が、奥底から這い上がってくる。内側から俺の胸を突き破って、耳から頭の中へと──
「ッ──!」
思わず耳を塞ごうとしたその時──不意に、軽く肩を叩かれた。ビクリと体を震わせて顔を上げれば、少し驚いたような顔のシノンが俺を見下ろしていた。
「……ひどい顔ね。そんなにギリギリの試合だったの?その割には早く戻って来たみたいだけど」
「いや……何でも、ない」
どうにか平静を取り戻そうと深呼吸を繰り返すが……どうやら入り込まれてしまったらしい不快な声が消えてくれない。
「……しっかりしなさいよね。私はあなたから貸しを取り立てなきゃいけないんだから。予選の序盤でこの有様じゃ、次はあっと言う間に殺されるわよ」
「殺される……そう、だ──いや、違う。分かってる。違う……!」
「……ちょっと、本当に大丈夫……?」
ブツブツと要領を得ない俺の言葉に眉をひそめたシノンは、怪訝な様子で俺の肩に手を置く。
その手を──小さくも確かに感じた温もりへ、俺は無意識の内に手を伸ばしていた。
「ちょっ、急に何よ……!?」
シノンは反射的に手を引き抜こうとするが、俺はそれを離すまいと震える手に力を込める。きっと彼女の視界にはハラスメント報告のシステムウィンドウが表示されているだろうが、今の俺にはそんな事を気にする余裕などありはしなかった──今はとにかく、寄る辺が欲しかった。
「……どう、したの……?」
「頼む……少しでいい、このま──」
ボックス席に縮こまっていた俺のアバターが転送エフェクトに包まれ、次なる戦いへ送り出される。俺がいた場所を、シノンは呆然と見つめていた。
──2回戦開始前の準備時間が刻一刻と過ぎ去る中、俺は暗闇の中でポツンと力なく崩れ落ちていた。手の中には何もない。どれだけ手を伸ばせど、掴めるのは虚空だけ。
「クソッ……いい加減消えろ、消えろよ……ッ」
必死に抵抗を続けるも、侵食は止まらない。嘲嗤うようにゆっくりと、着実に、俺の頭を侵してくる。
オマエノセイダ
オマエガヨワイカラ
オマエガイルカラ
お前の、おまえの、オマエの、OMAENO、お前の、オマエノ、OMAENO、おまえの、おMAエの、O前ノ、キオまえNO、おマEの、おMAエの、O前ノ、イオまえNO、おマEの、チおMAエの、O前ノ、オまえNO、おマEの、おMAエの、ャO前ノ、オまえNO、おマEの、おMAエの、O前ノ、ダオまえNO、おマEの、おMAエの、メO前ノ、オまえNO、おマEの───!
「……ッ」
もう、記憶に縋る程度ではダメだ。彼女に……アリスに会いたい。アリスの声が聞きたい。
でもそれは叶わない。だって彼女はここにはいない。逃げ出した先で待ってくれているわけでもない。今、俺を救ってくれる人はいない。
──誰にも頼れない。誰も俺を救えない。……結局、自分でどうにかするしかない。
いつの間にか試合が始まっていたらしく、気づけば俺はバトルフィールドに立っていた。
何かの遺跡らしい夕暮れのフィールドに並んだ、石造りの建造物──その陰から、相手プレイヤーが姿を現した。
「──ハッハァ!間抜けなスナイパーガールでラッキーだぜェ!」
一体どれだけの間惚けていたのか、かなりの近距離まで接近を許してしまっていたようだ。距離が詰まれば詰まる程、銃の命中率は上がる。この距離でしっかり狙って撃たれれば、俺のアバターは一瞬で蜂の巣にされるだろう。
全てに於いて有利と言えるこの状況。しかし名も知らぬ相手プレイヤーは1つだけ致命的なミスを犯してしまった。
普通ならミスにもなり得ない、たった1つの、些細な行動──
……うるさい。
……うるさい…うるさい、うるさい、うるさい、うるさい、うるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさい──ッ!
「うるさいッ──黙れえええええええええェェェ──ッ!!!」
どんなに強く耳を塞いでも頭に響く嗤い声。それを掻き消さんと吼えた俺は、地面に触れそうな低姿勢でドラグノフを握り締めて飛び出していた。
「うお──ッ!?」
突然の俺の行動に相手は驚きながらも、銃の引き金を引く。何本もの真っ赤なラインが俺の体目掛けて殺到するが、予測線が俺をポイントする事はなかった。殆ど地を這うようにして真っ直ぐ突っ込んで行った俺の体が、弾かれたように方向転換して石柱に飛びついたのだ。そのまま柱を蹴って、凄まじい勢いで突攻をかける──!
敵の顔面を掴み、突進の勢いを利用して引き倒す。すぐさま馬乗りになってマウントポジションを取った俺は、振りかざしたドラグノフを勢いよく振り下ろした──首を狙ったつもりが、軌道が逸れて鎖骨の辺りに銃剣が突き立てられる。
引き抜いてもう一度──また逸れた。
もう一度──逸れた。
もう一度──また。
もう一度──
「ぐっ……くっそ、このアマ……!」
「うるさい…うるさいっ、うるさいッうるさいッ!黙れ!死ね!死ねッ!死ね──ッ!!」
何か反撃をする暇も与えず、俺はただひたすらに刃を振り下ろし続けた。もうどこを狙うかなんて意識していない。どこでもいいからとにかく斬って刺し続ければ敵は死ぬ。そうすれば静かになる。きっとこの頭の中の嗤い声も聞こえなくなる──それが半分間違いだという事に気付いたのは、2回戦が終わって即3回戦へ転送された時だった。
──こいつらを何人殺した所で、この不快で鬱陶しい嗤い声は消えない。アイツだ。あのピエロマスク……奴を殺せばきっと止まる。アイツは、どこだ……ッ!?
ふと、あのピエロの姿と言葉が脳裏を過る。
──今度こそお前をぶっ殺す。
「っ……ハハハ……こっちのセリフだよ──今度こそ、殺す……邪魔する奴も、全員殺す。二度とわらえないように、殺して殺して殺し抜いてやる……ッ!」
3回戦を勝ち抜き、4回戦開始10秒前。暗闇の中に、渇いた笑いが消えていった。
──シノンがあの2人の戦いを観戦出来たのは各1回だけだった。
Gブロックに振られた《キリト》というどこからどう見ても女にしか見えないアバターの男の戦い方は規格外としか言えないもので、これまでただのロマン武器としか認識していなかった光剣で敵の銃弾を防ぎ、あっと言う間にゼロ距離まで踏み込んで叩き斬るという離れ業を以て、決勝までコマを進めてみせたのだ。あんな戦い方をするプレイヤーは前例が全く無い。第1回BoB優勝者の《サトライザー》というプレイヤーも大概だったが、訳の分からなさで言えばキリトの方が圧倒的だ。本戦で戦う可能性を考えると、中々に手を焼かされそうだと素直に思った。
そしてもう1人……自分と同じFブロックで戦うミツキだが……ある意味、こちらはキリト以上に規格外だった。
武器選びの段階で彼のステータスがAGI寄りであることは聞いていたが、その動きたるや、シノンがこれまで目にしてきたGGOプレイヤーとは全く違うものだった。
基本的にGGOのAGI型プレイヤーは上げに上げた敏捷ステータスにモノを言わせて敵の狙いを外しながらも、撃つ時は少しでも命中率を上げる為に足を止めるのがセオリーだ。前大会ではゼクシードと一騎打ちを演じて準優勝となった《闇風》という極AGI型プレイヤーもその例に漏れない。
しかしミツキの場合は違う。地面すれすれの低姿勢、獣の如き敏捷さで猛然とチャージをかけ、予測線が出た瞬間カクッと軌道を変える。間髪入れず地形オブジェクトや地面を蹴って軌道を戻し、間合いに入ったら銃剣でウィークポイントを一突き──驚きなのは、その動きに一切の淀みがない事だ。
どれだけAGI型の高速移動に馴染みのあるプレイヤーだろうと、急制動を掛ければ慣性で体を振り回されるし、そこから動きを再開する時だって思考と行動の間にラグが生まれるはずだ。熟練のプレイヤーはそこを狙い撃つ。
しかしミツキの動きを見ていると、あたかも最初からこうするつもりだったのではと思える程に行動までのラグが削ぎ落とされていた。勿論未来予知なんて出来るわけでもなし、そんな筈はない。現実的に考えるなら……思考を捨てて本能だけで戦っている、と言えばいいのだろうか。時折アップになるカメラが映す彼の表情は何か策の下に動いているようには見えず……身も蓋もない言い方をすれば、自分が死ぬより先に敵を殺せればいい、と闇雲に突っ込んでいるようにしか見えない。シュピーゲルの話では、試合を経る毎に回避機動も最小限になっていき、直近の試合ではHPも残り2割を切っていたそうだ。
そんな自暴自棄同然の戦い方ではすぐに敗退すると誰もが思うだろう。しかし彼はそれで決勝戦まで勝ち上がってきた──即ち、今目の前に表示されたホロウィンドウに自分と並んで名前が記載されている彼は、本能レベルにまで刷り込まれた戦闘スキルを有する紛れもない強者ということを意味する。
あの男とも女ともつかないアバターの向こうにいるのは、一体どんな人間なのだろう。少なくとも日本人だろうとは思うが……いや、日本に帰化した外国人という可能性もあるか。
何にせよ、シノンにとって重要なのは彼が強いという事実だ。愛銃ヘカートで彼の頭を吹き飛ばし、その屍を糧にしてシノンは更なる高みへ昇っていく。ミツキは間違いなく、以前パブリックフィールドで戦った《ベヒモス》よりも強い。ともすれば、全GGOプレイヤーでも上澄みの上澄みに位置するかもしれない。そんな彼を倒せば、シノンはもっと強くなれる。
──過去に怯える、弱くて情けない自分とおさらば出来る。
そこでふと、脳裏にミツキの姿が浮かんだ。1回戦を勝ち抜いた後、待機ホールで1人憔悴していたあの姿だ。
現実世界で何度も鏡を見たシノンなら分かる──あれは自分と同じ顔だ、同じ目だ。もしかしたら彼もまた、自分と似た類の過去と戦っているのかもしれない。そう考えると、多少なりとも同情の気持ちも湧いてくるが……だからといって、手を抜いてやる気など毛程も無い。フィールドで相対した以上は敵同士。いつも通り、冷徹な
「(……ま、明日の本戦が終わったら話くらいは聞いてあげてもいいか)」
一度は肩を並べて戦ったよしみでそんな事を考えていると、周囲で転送エフェクトが輝き出す──時間のようだ。
深呼吸で胸の中の要らない感情を全て吐き出したシノンは、本日の大詰め、予選決勝へ臨むのだった。
送り込まれたのは《大陸間高速道》──マップ全体の広さは規定通りの1キロ四方だが、プレイヤーが実際に行動可能なのは中央を一直線に貫く、幅100メートルのハイウェイのみという単純なフィールドだ。ここでは道路上に配置された瓦礫、捨てられた車やヘリといった乗り物の残骸を遮蔽物として利用しながら戦う事になる。
背後へ目を向ければ透明なシステム障壁が張られており、どうやらハイウェイの端っこに転送されたようだ。スナイパーであるシノンとしては、背後を気にしなくていい分都合がいい。
傍らに鎮座する大型の観光バスに乗り込んだシノンは、2階席の通路に身を投げて伏射姿勢をとる。夕日が正面から差しているが、バスのフロントガラスはミラー加工されている為、スコープの反射で外から位置がバレる事はない。
ミツキはどう動いてくるだろう──コンバートとはいえGGOで必須となる射撃系スキルは取っていないはずなので、あのドラグノフで遠距離狙撃される心配は無い。した所で十中八九当たらないだろう。
であれば、これまでの試合同様に白兵戦を挑んでくると見るべきだ。その為には道路上の遮蔽物を利用して接近する必要があるが、シノンのいるバスの2階からならほぼ全ての障害物を一望出来るし、生半可な壁なら対物ライフルであるヘカートの一撃で相手ごと粉砕してやるという自信があった。
懸念点があるとすれば路上に投棄された大型の貨物トラック──唯一アレだけがまともな遮蔽物としての役割を果たしているが、逆に言えば警戒ポイントをそこに絞れる。状況的にはシノンの有利だ。しかしそれも今だけ──万が一第1射を外してしまえば、以降の狙撃は予測線が表示される。そうなれば、きっとあの獣の如き敏捷性で全て躱されてしまうだろう。そうなれば……
……いや、外した時の事など考えるな。敵を一撃で屠れずして何が狙撃手か。
「(当てる……絶対に……っ!)」
当てて──勝って示すのだ。今の自分の実力を、あの日の自分の覚悟を。
自分でも無意識の内に、口元には不敵な笑みが──
「ッ──!?」
突然、トラックの後ろから何かが飛び出してきた。反射的に撃とうとしてしまったシノンだが、ギリギリの所で踏み止まる──放物線を描いて路上に転がったのは、なんて事はないただの瓦礫だった。先の試合で同じ手を食らったばかりだろうと己を叱責したシノンは、もう一度深呼吸して精神を研ぎ澄ます。
シノンが見た限り、ここまでの試合でミツキはあんな搦手は使ってこなかった。スナイパー最大のアドバンテージを奪うというクレバーな策を取る程度には考えることをしているようだ。
そうこなくてはと思った瞬間──もう一度、何かが飛び出してくる。また瓦礫だ。流石にもう引っかからない。と注視していた目を反対方向へ向けようとしたシノンは、慌てて視線を引き戻した。
「来たッ……!」
ハイウェイの左右を囲う柵の上を見事なバランス感覚で走ってくる影──間違いなくミツキだ。てっきり道路を大きく左右へ動きながら接近を図ると思っていたが、端に寄ってくれているなら話が早い──!
走るミツキを照準し、引き金に指を掛ける。《
──その瞬間、ミツキは急に方向転換。更にスピードを上げて道路中央へ飛び出した!
「ちっ──!」
まさかこちらの様子が見えている訳ではないだろう、勘のいい男だ。と舌打ち混じりに銃口を向け直すが、もう一度ミツキを狙う事は出来なかった。
「なッ──!?」
彼は路面に転がっていた瓦礫をあの細い脚でサッカーボールよろしく蹴り飛ばしてきたのだ。AGI優先といえどSTRも上げているという彼のシュートは中々の威力だったらしく、ブロック状になったコンクリートの破片が決して楽観できないスピードで飛んでくる。
ここでシノンは2つの決断を迫られた──迎撃か、回避か。
宙を舞う瓦礫を撃ち落とす程度、シノンなら造作もない。しかしそれでは予測線無しの第1射を消費する事になる。
かと言って無視するのも結構な博打だ。何せ瓦礫は銃弾と違って予測線が表示されない。つまり、どう見てもこちらに向かって飛んで来ている瓦礫はガラスを破ってシノンに命中するかもしれないし、しないかもしれない。迎撃せず避けることも出来るが、この狭い車内では一度射撃体勢を解かねばならず、ミラーガラスが割れればミツキもこちらをハッキリ視認して突撃してくるはずだ。その上でもう一度射撃に移行できるかと言われると怪しいところではある。サブアームの《MP7》も、防御全捨てのシノンより先にミツキのHPを削りきってくれるかどうか。
何なら、ミツキは現時点でシノンがバスの中にいると見抜いているのかさえ定かではないのだ。
たまたまこちらへ飛んでくるだけの当てずっぽうかもしれないシュートを迎撃して優位を捨てるか、ゲームを始めて以降全く手をつけていない自らの
マズルブレーキが火を噴き、50口径の巨大な銃弾が撃ち出される──冥界の女神の名を関するシノンの相棒の一撃は、バスのフロントガラス共々瓦礫を木っ端微塵に粉砕してみせた。
息つく間もなくレバーを引いて次弾を装填。次なる脅威へ備える──そう思った時には、もう20メートルまで接近を許していた。キリトの試合を見ていても思ったが、揃いも揃って馬鹿げたスピードだ……!
もうヘカートでの迎撃は間に合わないと判断したシノンは、ひと思いに体を起こしてレッグホルスターのMP7を引き抜く。倒せなくとも、せめて牽制して距離を開けることさえ出来れば──しかしそれすらも、あの男は許してくれなかった。
跳躍して車内に飛び込んできたミツキは、差し向けられたMP7をドラグノフで横殴りにして逸らし、返す刃でシノンの首筋を斬りつけようとする。対するシノンも、咄嗟に交差させた両腕でドラグノフを受け止め、しっかり脇に抱え押さえ込む。もう一度MP7を構えようとするが、ミツキにその腕を掴まれてしまう。
「ッ…おおおおおおお──ッ!」
「ぐゥッ……!?」
ミツキはドラグノフを手放し、両手でシノンをグイグイとバスの後方へ押しやる。踏ん張る間もなく、シノンは勢いよく壁に叩きつけられた。堪らず床に倒れたシノンに、ミツキは手探りで探し当てたドラグノフから銃剣を外し、力任せに振り下ろした。
それを寸での所で止めたシノンだが、重量級の対物ライフルを扱う都合STRを上げているはずの自分でも拮抗できたのはたった数秒。ミツキのナイフはジリジリと下降を始めた。
──ああ……私の負けだ。この距離まで敵の肉薄を許した以上、スナイパーである私に勝ち目はない。
GGOプレイヤーとしての経験則がそう判断しながらも、敗北に抗うのを辞められないのは何故だろう。どうしてこうも必死になっているのだろう──極めてシンプルなその答えは、すぐに見つかった。
「(そうだ。私、負けたくないんだ……私は、強くならなきゃいけないから……ッ!)」
例え誰が相手だろうと、こんな所で負けていられない。諦めるなど以ての外だ。
今戦っているこの男は、シノンの望んだ通り決勝までやってきた。GGOでの戦闘経験が乏しいにも関わらずだ。そんな彼にこんな無様な姿を見せる訳には──!
「…ぇ───」
思わずそんな声が漏れた。嘘でしょ、こんなの…──そういった言葉が脳裏を渦巻く。
──ナイフを止める腕越しに見えたミツキの目が、どこか違う場所を見ていたから。
今、自分を殺そうとしているこの男の目にシノンは映っていない。彼の目に渦巻く感情は、自分じゃない誰かに向けられている。彼にとって、自分は……ただの通過点……?
「──けないで……ッ」
湧き上がった感情が、一気に頂点まで達した。
「──ふざけないでよッ!!!」
爆発した怒りが、シノンにステータスとは別の力を与える。
この男に負けるわけにはいかない。絶対に。少なくとも、
「くッ……ぅあああああッ──!」
シノンは足を縮めると、ミツキの腹を蹴り上げて巴投げの要領で後方へ投げ飛ばした。すぐさまMP7を拾い上げ、ミツキと位置が逆転した状態で彼の額に銃口を押し当てる。
「はぁ…はぁ……ッ!」
形勢逆転。トリガーを引けばMP7の4.6ミリ弾がミツキの頭を蹂躙し、5秒と持たずHPが全損する。シノンの勝ちが決定する。
──やれ。それで終わりだ。ここでこいつを殺して、明日の本戦でも見かけたらその時は無感情にもう一度殺す。そして大会が終われば、積み上げた屍の1つとしてキレイに忘れる。それでいいではないか。
そう言い聞かせても、引き金に掛けた指が動かない。まるで……まだ、何かを期待しているようだった。
「……どうして……っ!」
ギリリと食いしばった歯の隙間から、掠れた声が漏れる──その裏では、トドメを刺さないシノンに反撃しようと、ミツキが手探りでナイフを探し始めていた。
「何で……ッ!」
ミツキの手が遂に、転がったナイフを探り当てる。しかし握られた凶刃が、シノンの背中に突き立てられる事はなかった──ミツキの頬にポタリと落ちた何かが、彼の動きを止めた。
「ッ……嬉しかった。あなたが一度GGOを辞めてからも、私達の事を覚えててくれたのが……ッ!」
ターコイズ調の瞳に滲んだ涙が、ポタリ、ポタリと零れ落ちる。銃を握るシノンの手が小さく震えていた。
「だから……っ……今度はちゃんと全力で戦えるんだって、あの時背中を押してくれたあなたに、強くなった姿を見せてやるって……思ってたのにッ!なのに肝心のあなたは私なんて眼中にない!──これじゃ私が馬鹿みたいじゃないッ!」
悲痛な叫びが車内に木霊する。シノンは感情のままにミツキの胸ぐらを掴み上げ、銃口を一層強く押し付けた。
「今あなたの前にいるのは誰ッ!こうして銃口を突きつけてるのは誰ッ!?──ここには私とあなたしかいないのッ!邪魔する奴が居るなら教えなさいよ!私がそいつの頭ブチ抜いて黙らせてやるからッ!」
とうとうMP7まで手放したシノンは、空いた手を大きく振りかざす──
「いい!?あなたの相手は私なの!他の奴なんて関係ない!分かったら──ちゃんと私だけを見なさいよッ!!!」
そんな言葉と共に、ミツキの横面へ渾身の平手を叩き込んだ。それに伴い、HPが小さく削れる。
「はぁ…はぁ……っ」
一頻り言いたいことを言ったシノン──その耳が、小さな声を捉えた。
「シノ、ン……」
「ッ……やっと、目が覚めたのね。この馬鹿」
「っ……あぁ──いい1発、貰ったからな。着替え見ちゃった時のより効いたよ」
「バッ──余計なことまで思い出さないでよッ!今度は記憶飛ぶまでグーで殴るわよ!」
「そ、そりゃ勘弁──取り敢えず、降りてもらっていいか?」
そう言われて、シノンは自分がミツキに馬乗りになっている状態ということに気付いた。なんとなく気恥ずかしくなり、慌てて立ち上がる。
「……悪かった。決勝で、全力で戦おうって──そう約束したのにな」
「全くよ。お陰で決勝戦が台無しだわ。観客達はブーイングでもしてるんじゃない?」
「ハハ、そりゃ楽しそうだ──正直、俺としてはここで降参して明日の本戦に持ち越してもいいけど……」
「それじゃあんたと戦える保証がないじゃない。私以外の誰かに横取りされるなんて御免だわ」
「……それはお互い様だろうに──とにかくそういう事なら、仕切り直しと行こう」
散らばった各々の武器を回収し、一旦バスを降りる。
「仕切り直すって言っても、具体的にどうするのよ?このマップじゃ位置情報をリセットするのも簡単じゃないわよ」
「あー、そうだな……ここはオーソドックスに決闘スタイルで──」
そう言ってミツキは腰のグロックを抜き、スライドを引いて銃弾を1発手動排莢した。
「そっちも弾、残ってるよな?」
「……ええ。まだ6発あるわ」
「よし。じゃあ
「……あなたはどうするのよ?」
「いやぁ、昔から憧れだったんだ──銃弾斬りってやつ」
「は、はぁ……ッ!?」
あっけらかんと言い放ったミツキに、ついそう返してしまう。確かに、彼の友人であるキリトは超高出力のエネルギーブレードで敵の銃弾を斬る──もとい溶解させていたが、それは軽量且つ高威力の光剣という武器があってこその戦法だ。しっかり重さのある銃剣付き狙撃銃とハンドガンしか持っていないミツキに出来るはずがない──普通は光剣があっても出来る芸当ではないのだが。
「……あのね。確かに刃物で銃弾を斬る事自体は可能だけど、あなたがそれを出来るかは別問題なのよ?百歩譲って可能としても、たった10メートルの距離で
「そういう、一見不可能な事に燃えるのがゲーマーってもんだろ。それにな──曰く、俺は2つの不可能を覆した男らしいぞ」
「どこの誰よ、そんな事言ったの──はぁ……後悔しても知らないわよ」
シノンはヘカートからマガジンを抜いて、チェンバー内の1発を残して全ての弾丸を抜き取った。
「……おい、いいのか?」
「言ったでしょ、私の銃弾は絶対に当たる。1発あれば十分だわ」
「ほう──後悔しても知らないぞ」
ピンッ、と指先程の大きさの銃弾を弾き上げ、シノンはへカートを、ミツキは腰を低く落としてドラグノフを構える。
スコープ越しに彼の姿が見える。自分と同じ狙撃銃を持ちながら、銃ではなく槍として使う邪道も邪道な異端者の男。
銃弾を斬る?そんなの、漫画やアニメの話だろう。GGOは現時点で最も現実に近いVRMMOだ。ペインアブゾーバだって他のゲームよりレベルがいくらか低く設定されていると聞く。
何度考えても出来るとは思えない──だが一方で、もしかしたらと思っているのも事実だ。
きっと……彼はシノンに無い「何か」がある。その「何か」の正体を掴めれば、きっと自分も強くなれる。
その為に──ミツキを倒す。
へカートを握る手に力を込める。刹那──
キンッ
静寂の中で光った小さな音を皮切りに、シノンは引き金を引いた。
この戦いでは2度目にして最後となる轟音──その中に、バキッ!と何かが割れるような音が混じった気がした。
残響が尾を引く中、シノンは愛銃の反動で仰向けに倒れながら信じられないものを目にした。
──立っている、五体満足で。
厳密には右腿と頬を負傷しているが、一撃必殺のへカートの銃弾としてはそんなものかすり傷だ。
「(ありえない……ありえないッ!だって──!)」
シノンが狙ったのはミツキの脚──射線にヤマを張って防げる箇所じゃないし、この距離では予測線による軌道予測も間に合わない。だというのに……!
「ッ──!」
シノンは反射的にMP7を抜こうとしたが、一足で10メートルの距離を詰めてきたミツキにグロックを突きつけられる。そして──
「……あ、やばッ──!」
その勢いのまま、シノンはミツキに押し倒された。2人がもつれて倒れ込む音と、ゴチン!と後頭部を打ち付ける感覚。鈍い痛みに顔を顰めたシノンが次に目にしたのは、とても気まずそうな顔でシノンに覆い被さるミツキだった。
「……早く退きなさいよ。重いし暑苦しいんだけど」
「あー、その……そうしたいのは山々なん、ですが……動けなくてですね」
「はぁ?アンタね、ふざけるのもいい加減にしないと通報するわよ!?」
「俺だって困ってるんだよ、こんなの初めてだし!」
話を聞くに、どうやらミツキは極度の集中状態に入ると知覚が加速状態に入るらしい。スポーツ選手の《ゾーン》と同じようなものなのだろう。自由にオンオフも効かないし、元に戻ると揺り戻しで頭痛や目眩に見舞われるそうなのだが、痺れたように動けなくなるのは初めての経験だという。
動けるようになるのを待ってもいられず、強引に押し退ける。10秒程経ってからようやく体の自由を取り戻した彼に、シノンは一体何が起きたのかを問いただした。自分には一瞬の出来事だが、知覚が加速してスローに見えていた彼ならば一部始終をしっかり見ているはずだ。
「あー、っとじゃあ……まずは撃った弾がどうなったのか、だな──結果から言えば、斬る事は出来なかった。こう、刃が食い込む感じはしたんだけど、銃剣の方が耐えられなかったみたいでさ。ほれ、この通り」
拾い上げたドラグノフの銃剣は、刃を中程から消失した状態だった。食い込んだナイフの破片で、回転するライフル弾の重心がブレた事により軌道が変わり、致命傷には至らなかったのだという。
「じゃあ、弾道は?どうやって私の照準を予測したの?」
「ああ、それは──君の視線だ。スコープ越しに見えた。キリトの言ってた『予測線の予測』ってのはこういう事だよ。昔取った杵柄だな」
「……なんで、私の視線なんか……」
「……君が言ったんだろ。『自分だけ見てろ』って」
冗談めかしてそう言ってのけたミツキは、「武器がちゃんとした槍だったら多分いけてたのになぁ…!」と悔しがっている。
シノンの理解を超えた強さを持つこの男に、聞かずにはいられなかった。
「……それ程の強さがあって、あなたは何に怯えるの?さっきまでのあなたは、一体『何』を見ていたの……?」
ふと、ミツキの表情が静まり返る。
「……強さ、か──これが強さだって言うなら、俺もプロになろうかな」
「茶化さないで!あなたは知ってる筈よ。どうやったらその強さを身につけられるの!?私は…私は、それを知る為に──」
「俺は弱いよ──守るべき時に、守るべきものを守れなかった。……殺すべき時に、殺すべき相手を殺せなかった。挙句の果てには……ッ──何度も何度も、自分の弱さを思い知らされて、呪ったよ」
沈痛な面持ちで語る彼は、言葉を続ける。
「為すべき時に、為すべき事を為せる──その結果を背負える事こそが、強さなんだと思う。俺はその対極だ。強くなんかない。過去と向き合う事も、立ち向かう事も、綺麗さっぱり忘れる事も出来ずに、目を背けて、耳を塞いでるだけの弱虫だよ」
「ミツキ……あなた、は──」
シノンの手が、彼の頬へと伸びようとした時──沈んでいた表情が180度変わった。
「ま、それはそれとして、だ──俺はこうして生きてるわけだから、勝負は俺の勝ちでいいよな?だったら降参してくれると助かる。……女の子殺すのは、ちょっとな……」
「な、ッ~~~!」
ビシッ!と音がしそうな勢いで指を突きつけたシノンは、
「……次は、絶対負けないッ──明日の本戦、私と遭遇するまで絶ッッッ対に生き残りなさいッ!」
「え、コレ1回勝負じゃ……」
「うるさいッ!──
苛々を隠そうともせずシノンが降参を宣言したことで、Fブロックの全試合が終了。プレイヤーネーム《Mitsuki》及び《Sinon》の本戦出場が決定したのだった。
──予選が終わり、会場にいたプレイヤーは一斉にログアウトさせられた。
するとどうなるかというと……
「──さて、何か言うことは?」
「す、すみませんでした……」
当然、同じ病室からダイブしていた俺とキリトが鉢合わせる事になる。
「……一応聞いとくが、結果は?」
「あ、ああ……ブロック優勝したから、明日の本戦にも出るよ。ミツキも、シノンと一緒に予選通過おめでとう」
「……もう一度言うぞ。キリト、辞退しろ」
「……それは、
キリトの言う「奴ら」──それが何を意味するのかは、その表情を見ればすぐに分かった。
「お前も、会ってたのか……」
「奴らがGGOにいて、しかも件の《死銃》かもしれないんだろ。だったら尚更、お前を1人で行かせるわけにはいかない。お前がダメだと言っても俺は行く」
「何を言っても無駄か……好きにしろ」
「ああ。そうするよ」
認めるのは癪だが、確かにラフコフの影がチラついた以上、対処出来る人間は多い方がいい。キリトの実力であれば申し分ないだろう。
世の中上手くいかないものだ、と嘆息しながら服を着て、安岐ナースに礼を言ってから2人して病室を後にする。エレベーターを待っている最中、キリトが遠慮がちに口を開いた。
「……お前の試合、何度か見たよ──あんな戦い方、らしくなかった。何があったんだ?」
「……別に、何でもない。元ラフコフの奴に会って、イラついてただけだ」
「あのボロマントか……嫌な事聞くけど、正体に心当たりあるか?」
「確証は無い」
言外に「心当たりはある」と告げた俺に、キリトは「そうか…」と苦い顔で返した。
「……キリト」
「何だよ?」
「……頼むから、死なないでくれ」
「そりゃこっちのセリフだ。お前に何かあったら、俺がアリスに殺される──だから、ミツキも無事でな」
そんな言葉を残して、俺達は別れるのだった。
決勝の最後にミツキが動けなかったのは、使っているのがナーヴギアよりスペックの低いアミュスフィアだからです。ナーヴギアでは加速終了後、軽い目眩と頭痛で済んでましたが、アミュスフィアだと持続時間も短い上になんかこうなります。信号素子の少ないアミュスフィアだとそもそもこの状態に入りにくいので、何気に帰還後は今回が初ですかね。