ソードアート・オンライン-剣槍-   作:不可視の人狼

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怨嗟と妄執

 BoB本戦が終了し、出場者達は一斉にログアウト措置を取られた。

 

 視界が光に包まれ、アバターから意識が抜け落ちる。そして少しの浮遊感を感じながら現実世界へ帰還する最中、俺はふと右手の辺りに温かさを感じ──

 

「──アリスッ!」

 

 右手に感じた熱は、あの頃──SAOで幾度となく握ったアリスの手の温かさとよく似ていた。そして先の戦いで俺をドラグノフへ導いてくれた声といい、もしや目を覚ませばアリスがいるのではないか──そう、思ったのだが。

 大切な人の名前と共に跳ね起きた俺の目に映ったのは、来た時と何ら変わらない病室の壁と──隣のベッドで同じく覚醒したキリトに寄り添う、アスナの姿だった。

 

「あ──ミツキ君!2人共、無事で良かった……!」

 

「あ、あぁ……」

 

 聞けば、アスナは《死銃》が元ラフコフメンバーであることを独自に看破し、何かが起きているとして、菊岡に事の経緯とこの病院の場所を聞き出したのだという。

 

「ア……っ──」

 

 一瞬「アリスはいないのか?」と聞こうとして、それを飲み込む。アスナ以外に誰かがここを訪れた様子は見られなかった。何より──今はそれよりも優先すべき事がある。

 

 俺は胸の電極を剥がすのももどかしく、ベッド足元の荷物カゴから携帯を掴み上げ、ある番号に通話をかけた。スピーカー状態にした携帯からコール音が鳴り響く間に、いそいそと服を着ていく。

 

「ミツキ君、どうしたの……!?」

 

 アスナの問いに答えるよりも、通話が繋がるのが先だった。

 

『ミツキ君かい!?今どういう──』

 

「──菊岡さん!今から言う住所に警察を向かわせろ!大至急だ!」

 

『えっ!?な、何だい藪から棒に!』

 

「いいから!言うぞ──!」

 

『ちょ、待ってくれ!今メモを……!』

 

 通話相手──菊岡にシノンが教えてくれた自宅の住所を一言一句ハッキリと伝える。

 

『──ここに《死銃》がいるということかい!?』

 

「違う!そこに住んでる女の子がターゲットだったんだ!身の安全を確保しろ!」

 

『一体どういう事なんだ?詳しく説明を──』

 

「くそッ──キリト、あと任せた!」

 

「お、おいミツキ──!」

 

 諸々の説明をキリトに丸投げした俺は、通話を切るなりライダースジャケットを引っ掴んで病室を飛び出す。後ろで安岐ナースの制止する声も聞こえたが──何も知らないのだから仕方ないとは言え──この分では恐らく菊岡が警察を動かすのに少々時間がかかるだろう事を考えると、1分1秒が惜しい。

 いくらシュピーゲルを呼ぶといっても、彼が着くまでの間は彼女1人だけだし、何なら道中でシュピーゲルが襲われる危険性だってゼロではないのだ。急ぐに越したことはないだろう。

 

 幸運にもすぐに到着してくれたエレベーターに乗り込みながら、今の内に携帯の地図アプリにシノンの住所を打ち込んで最短ルートを表示させておく。扉が開くなり再びダッシュでフロントを駆け抜けた俺は、ポケットからキーを掴み出し駐輪場へ。すっかり暗くなった寒空の下で主人を待っていたバイクに飛び乗り、ホルダーに携帯をセット、ヘルメットを被る。この際グローブは着けないままエンジンを始動させると、バイクは冬の夜道へ走り出すのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、現実世界のシノン──朝田詩乃が暮らすアパートの一室では……

 

「──優勝、本当におめでとう。朝田さん……シノン。とうとうGGO最強のガンナーになったんだね」

 

 現実へ帰還してから、まずは家の中に自分以外誰もいないことを確認した詩乃は、シュピーゲルこと新川恭二に連絡を取ろうとしたところ、それよりも早く恭二の方から詩乃の家を訪ねてきたのだ。まさかGGO内での会話を聞いていたはずもなく、恐らく大会終盤に入ってからは近くの公園で中継を見ていたのだろう。今はすっかり冷え切った彼を家に上げ、お祝いの言葉を貰っている最中だ。

 

「僕は分かってたよ。朝田さんならいつかそうなる、って──だって朝田さんは、誰も持ってない本物の強さがあるんだから!」

 

「あ、ありがとう……」

 

 恭二から発せられる称賛の言葉が妙にくすぐったく感じる。予想と少し違う形ではあるものの、ずっと目標にしていたBoB優勝という栄冠を掴んだ詩乃だが、あまり実感が湧かないというのが正直な所だ。こうして現実に戻ってきても、何か己に変化が起きているようには思えない。

 強いて言えば──今日の本戦が始まるまで胸に燻っていた「強くならねば」という焦燥感が、綺麗さっぱり消えている事くらいだろうか。単に一山越えた事で緊張が解けただけなのかもしれないが。

 

「それで……さ、朝田さん」

 

「な、何……?」

 

 座布団代わりのクッションに正座する恭二は、緊張を滲ませた面持ちで、ベッドに腰掛ける詩乃を見上げる。

 

「その……洞窟に隠れてる時の事が、中継に映ってたんだけど……」

 

「えっ、あ──あれはその……」

 

《死銃》の襲撃を振り切り逃げ込んだ洞窟の中で詩乃は発作を起こしてしまい、ミツキに対し情けない姿を見せてしまった。そしてその様子が中継されていたのだという事を今更ながら思い出す。あの時は「手でも振れば」等と気楽に言えたが、こうして知り合いに問い質されてみると気まずさが拭えない。とはいえ、何かやましい事をしていたわけでもなし。恭二には正直に話そうと口を開いた詩乃だったが──

 

「──あれはアイツに……ジェイドに脅されたんだよね?何か弱みを握られて、仕方なくだったんだよね……?」

 

「えっ、ええ……?」

 

 思わず間抜けな声を出してしまう。しかし恭二の表情は真剣そのもので──

 

「脅迫されて、無理やり戦いの手伝いまでさせられて……最後は仲間割れに乗じてグレネードで道連れにしたけど──あんなんじゃ足りないよ。もっと、ちゃんと思い知らせてやらないと……」

 

「ち、違うの!そりゃまぁ、大会中にあんな事してたのは自分でも不謹慎だったと思うけど、ちゃんと理由があるの──私、大会中に例の発作が起きちゃって。取り乱した勢いで、アイツに……ミツキに色々酷いこと言っちゃったの」

 

 話が妙な方向へ進みだしたのを止めるべく、詩乃は洞窟内での事のあらましを説明する。

 

「話してみるとさ、アイツもアイツで色んなものを抱えてて……似た者同士なんだって思って、安心しちゃって──情けないとことか、いっぱい見せちゃった。恥ずかしいよね」

 

「で、でも……それは発作で仕方なく、なんだよね?別にアイツの事、何とも思ってないんだよね……?」

 

 詩乃の言葉に真剣に耳を傾けていた恭二だが、彼の胸中に渦巻く疑念は「決定的な一言」でなければ晴れる事はない。

 

「朝田さん、前に言ったよね。待ってて、って──言ったよね?待ってれば、()()()()になってくれるって……!」

 

「新川、君……?」

 

 恭二はその「決定的な一言」を詩乃から引き出そうと、身を乗り出して迫る。詩乃を見つめる目にはただならぬ光が宿っているように見えた。

 

「ね、言ってよ──あんな奴嫌いだって、僕がいいって……!」

 

「ちょ、どうしたの急に……?」

 

 確かに、本戦前にリアルで恭二と話した際、「待ってて欲しい」と言った覚えはある。しかしそれはあくまで「大会が終わってからゆっくり考えさせて欲しい」という意味だったし、その旨も伝えたはずだ。

 

「あ……朝田さんはもう充分強くなれたよ。もう発作なんて起きないし、GGO最強なんだから誰かの助けを借りなくていい。そうだよ……だから、もうジェイドを頼る必要なんて無い。アイツに笑いかける必要なんて無いんだよ──僕が、ずっと一緒にいてあげる。これまでみたいに、ずっと、一生君を守ってあげるから……!」

 

 一生守る──過去に苦しむシノンがミツキに求めた言葉。それを彼よりも付き合いの長い恭二に言われれば嬉しいと感じるはずなのに、その裏には背筋を這うような悍ましい感情が隠れているように、詩乃には感じられた。

 

 恭二はゆらりと立ち上がり、1歩、2歩と近づくと──突如両腕を広げ、詩乃の身体をきつく抱き竦めてきた。

 

「し……かわ、く──ッ!」

 

 詩乃の事などお構い無しにギリギリと力一杯抱き締める恭二。丁度詩乃の耳元に置かれた彼の口からは、

 

「朝田さん……好きだよ、愛してる……僕の、朝田さん──僕の、シノン」

 

 と、愛の言葉が囁かれるが、今のこの状況では呪詛のようにすら聞こえる。

 

「や、め……やめてッ!」

 

 体重をかけてベッドに押し倒そうとしてくる恭二をどうにか押し返すことに成功する。クッションに足を取られて大きく尻餅をついた恭二は、詩乃に拒絶された事が信じられない、という面持ちだった。

 

「だ……ダメだよ。朝田さんは僕を裏切っちゃダメだ。僕だけが朝田さんを助けてあげられるのに……なのに他の男なんか……ジェイドなんかに……!」

 

 ブツブツとうわ言のように呟きながら立ち上がった恭二は、ポケットに手を突っ込んで何かを握る仕草を見せる。突然大股で詩乃へ詰め寄ると、肩を掴んでベッドの上に押し倒し、ポケットから引き抜いた「ソレ」を彼女の首筋へ押し当てた。

 

「し……しん、か……くん……?」

 

「動かないで、声も出しちゃダメだ。──最近の医療って凄くてね、針を使わない注射器があるんだよ」

 

「注、射器……」

 

「うん。ボタン1つ押すだけで中の薬が注射される。名前は……なんて言ったかな。普通はちゃんと医療目的で使うものだけど、量次第じゃ心臓が止まっちゃうんだ」

 

 注射、薬品、心臓──その3つのワードが詩乃の頭の中で組み合わさり、こと今の状況に於いて最悪に近い推論を導き出す。

 

「じ、じゃあ……君が──もう1人の《死銃》、なの……?」

 

 苦労して絞り出した声に、恭二はニタリと口元を歪ませる。

 

「《死銃》の秘密を見破ったんだ?流石朝田さんだ──そうだよ、僕が《死銃》の片腕さ。といっても、最初の2回は僕が《ステルベン》を動かしてたんだけどね。今回だけは現実側をやらせてもらったんだ。……だって、他の男に朝田さんを触らせる訳にはいかないもんね?いくら兄弟といっても、さ」

 

「そん、な……じゃあ、昔SAOで殺人ギルドに入ってたっていうのは……君の、お兄さん……!?」

 

「へぇ、そんな事まで知ってるんだ。昌一(しょういち)兄さんが話したのか……いや、ジェイドの奴から聞いたのかな。アイツもSAOにいたらしいし」

 

 間違いない。恭二の兄は、ゲームでありながら本当の死が待ち受けるあの世界で多くのプレイヤーを手に掛けた殺人者なのだ。そして恭二はそんな兄と共に、この恐ろしい事件に加担していた。

 

「ホントはね、コレを打つのは止めようかなって思ってたんだよ。兄さんは怒るかもだけど……朝田さんが『僕のものになってくれる』って言ったからさ。なのに、あんな奴と……朝田さんは騙されてるんだよ、夏に初めてジェイドと会ったあの時から、ずっと……!」

 

「な、何のこと……!?」

 

「覚えてないの?アイツがGGOを辞めるって言ったあの日──朝田さん、ジェイドと2人で話してたじゃない。すごく楽しそうで……僕と話してる時はあんな表情、1度も見せなかったのに」

 

 ジェイド──ミツキとあの時話した事といえば、戦利品の分配とスナイパーへの転向の相談に乗って貰った程度だ。恭二が言うような楽しい内容ではない。だが恭二にとっては「詩乃が自分以外の男と自分抜きで親しげにしていた」という事実の方が重要らしく……即ち、あの頃から詩乃に対してこんな気持ちを抱いていたのだということが伺える。

 

「──でも大丈夫。これから朝田さんを僕で一杯にして、あんな奴忘れさせてあげるからね」

 

「待……って……!じ、じゃあ、君はまだ、その注射器を一度も使ってないんだよね?だったら……まだ、間に合うよ……っ……お医者様になるんでしょ?その為に、予備校にも行って──」

 

 詩乃の必死な訴えに、恭二は答えない。その代わりに、ポケットから雑に折りたたまれた紙片を見せてくる──詩乃も見慣れた模試の成績表だ。結果はどれも燦々たるもので、恭二が両親から期待されている医学部への進学にはどう考えても足りない。

 GGOをプレイしつつも、必要水準の成績はキープしている。と恭二は語っていたが、その実彼は勉強そっちのけでGGOに傾倒していたのだ。両親に見せる成績表はプリンターで偽装し、遠隔教育を受けるのに必要だとしてアミュスフィア没収を回避、時折勉強を見てくれた詩乃にも嘘をついていた。

 

 恭二は語る──GGOは自分の全てだった。あの世界で最強になれればそれで満足だった。

 しかし第2回BoBの直後──優勝者ゼクシードによって多くのAGI型プレイヤーが割を食うことになってしまう。その中には恭二の分身たるシュピーゲルもおり、恭二はGGOに生きるガンナーとしての自信とプライド、未来を奪われた。

 自分がこの世界に誘い、導くはずだったシノンは独力でメキメキと力をつけていき、いつしか自分の指導や助言を必要としなくなっていった。それどころかあっという間に自分を追い越し、1人でどんどん高みへ昇っていく。

 ならばせめてと、彼女を支える事で自分の存在意義を保とうとした。自分はもう強者にはなれない。だから自分が最強と信じる詩乃にとって無二たる存在になれれば──孤高の最強が唯一その身を預ける存在になれれば、数値的ステータスや実力とは違う意味で他の奴らよりも上にいられる。

 

 ……そして今、そんな最後の希望すら手を離れようとしている。

 

「全部アイツ等が悪いんだ……AGI型最強なんて嘘を広めたゼクシードのクズも、僕から朝田さんを奪おうとするジェイドも!親も学校の奴らも、皆、みんな、どうしようもない愚か者ばっかりだ!──だから僕達は《死銃》を作り上げたんだ。ゼクシードみたいなゴミ屑にだって、GGO……いや、全VRMMO最強の死神の伝説を作る為の生贄としてなら、まだ価値があるだろう?……アイツとたらこを始末した以上、もうこんな世界に用は無いよ。さぁ朝田さん、僕と一緒に『次』へ行こう?」

 

「ダメ、だよっ……お願い、新川くん……っ!」

 

 恐怖と緊張で体が痺れて上手く動かない。辛うじて言う事を聞く右手で迫る恭二を押し留めるが、この抵抗も長くは持たないだろう。

 

「安心してよ、朝田さんを1人にはしないから。僕もすぐ追いかけるよ。一緒にGGOみたいな──ううん、もっとファンタジーっぽい奴でもいいや──そんな世界に生まれ変わってさ、夫婦になって一緒に暮らそうよ!一緒に冒険して、子供も作ってさ!楽しいよきっと……!」

 

 光を失った目で恍惚と語る恭二は、震える手で詩乃の頭へ手を伸ばす。乾燥してささくれ立った指が髪を撫で、頬をなぞる度に嫌悪感と恐怖で鳥肌が立つ。

 

「ああ、朝田さん……綺麗だ……すごく綺麗だよ……!僕の……僕の朝田さん。ずっと、ずっと好きだったんだ──学校で、朝田さんのあの事件の話を聞いた時から、ずっと……!」

 

「え……それ……どう、いう……」

 

 思わず、きつく閉じていた目を見開いて眼前に迫る恭二の顔を直視してしまう。あの優しくも気弱そうな印象など見る影もなく、彼の目には自分を追い詰めた現実と、未来を奪い、奪おうとする敵への憎悪。そして詩乃に対する歪みきった妄執が渦巻いていた。

 

「じゃあ、君は……あの事件の事があったから、私に声をかけたの……?」

 

「勿論──だって、本物のハンドガンで悪人を射殺した事のある女の子なんて、日本中探しても朝田さんしかいないよ!言ったでしょ、朝田さんには本物の力がある、って──だから《死銃》の伝説を作る武器に《五四式》を選んだんだ。朝田さんは僕の憧れだからね……愛してる、愛してるよ……この世界の誰よりもね」

 

「そ……ん、な……」

 

 あの事件が起きてからというものの、詩乃の世界は180度反転した。

 大好きだった母親は心を病み、当初は詩乃の事を拒絶した。

 登下校の時に笑って挨拶してくれた近所の大人達は、詩乃を見ると表情を曇らせて目を背けた。

 つい数日前まで楽しくお喋りしていた学校の友達は、挙って「人殺し」の3文字を詩乃に投げつけた。教師達も半ば黙認状態だった。

 

 どれだけ綺麗に洗っても、人殺しである詩乃の手にはべっとりと血が付いている。決して落ちることはない。だから自分は誰にも触れず、ずっと1人で生きていくのだと、そう思って上京してきた詩乃は、ここでもやはり現実の冷たさに苛まれた。

 そんな中で唯一心を開ける相手が恭二だったのだ。彼だけは、詩乃を拒絶しないでくれた。強くなって過去を乗り越えたいと望んだ自分をGGOへ導いてくれた──()()()()の親友だと、そう、思っていたのに。

 

「(これが……罰なのかな──)」

 

 懸命に抵抗していた手から力が抜け落ちる。もう詩乃が何を言っても、恭二の心を動かす事は出来ない。もっと恭二の事を気にかけていれば、何か違ったのだろうか。自分の事で精一杯だった詩乃の弱さが、この状況を招いたのではないのか。

 

 ……ならば、せめてその報いを受ける事が、自分に出来る最低限の償い、当然の罰なのではないか。

 

 霞んでいく視界の中、やがて恭二の顔が過去の亡霊と重なっていく──詩乃が撃ち殺したあの男の顔だ。

 

「(あぁ……そっか……私とうとう、捕まっちゃったんだ)」

 

 死を迎えて詩乃が《朝田詩乃》ではなくなったとしても、きっとこいつはついて来る。最早死すら救済になりえない。何度生まれ変わったとしても、自分は永劫に苦しみ続けるのだろう。

《死銃》との戦いで答えを掴めたと思っていたが……それは思い違いだった。例えそうであったとしても、詩乃自身の弱さを克服できない以上、そんなものに意味は無かったのだ。

 

 弱さ──その言葉から、ふと思い出す。

 彼は……ミツキはどうなのだろう?一体彼がSAOで何を見て、何を経験してきたのか詩乃には分からない。しかし詩乃と同じく自分の弱さに打ちのめされたというのは確かだと、洞窟の中で話を聞いた時に思った。

 ただ、今の詩乃と決定的に違うのは、彼はそれでも必死に生きているということだ。自分の弱さを認め、受け入れながらも、誰かの為に行動していた。過去を1つとして放り出さず背負い続けるという、昨日語られたミツキの考える強さというものを、その身を以て示してくれていた。果たして彼自身にそのつもりがあったのかは定かではない。それでも詩乃は──シノンはその姿にとても勇気づけられたのだ。

 

「(──やっぱり、君は強いよ)」

 

 そうだ。彼は強い。彼自身はそう思っていないようだが。

 

「(──折角助けてくれたのに、無駄にしちゃってごめんね……)」

 

 ……そうだ。ミツキもキリトも、《死銃》という得体の知れない相手から自分を守って戦ってくれた。今ここで詩乃が死を受け入れてしまえば、彼らの努力が水の泡になる。そうなったら……そうなったら、彼はどう思うだろう?

 

 大会中、自棄になったシノンに対しミツキは、俺は君に死んで欲しくない、と言った。ここで詩乃が死ねば、その報せは遅かれ早かれ彼の耳にも届くだろう。その時彼は何を思う?悲しむだろうか、犯人である恭二に憤るだろうか──恐らく、彼は真っ先に彼自身を責めるはずだ。

 もっと早く行動できていれば──とか、そんな事を考えて、詩乃の死に要らぬ責任を感じるだろう。こんな言い方は何だが、洞窟内で彼が過去を語っている時の様子を見て、それがしっくり来た。

 

 自分の戦いに意味を与えるのも、奪うのも、自分自身。というミツキの言葉が蘇る。確かにその通りなのだろう。だが詩乃はこうも思う──意味を奪うだけなら誰にでも出来るのだ、と。

 詩乃が諦めてしまえば、ミツキの戦った意味を奪う事になる。その結果彼が余計に悩み、苦しむ事になるのは……それは──

 

 

 ──うん、それは嫌だよね。

 

 

 音も光も届かない暗闇の中に閉じ篭った詩乃へ、もう1人の自分が──シノンが語りかけてくる。

 

 

 ──思い出して、あなたの手を握ってくれた人の事を。その言葉を。

 

 

 記憶を少しばかり遡る……そうだ。彼は言ってくれた、例え詩乃の手がどれだけ血で汚れていようと、助けを求めて手を伸ばしたのならそれを掴んでみせると。

 

 

 ──そんな優しい人を、悲しませたいの?

 

 

 ……違う。そんな筈ない。だって自分は、まだ伝えられていない。ミツキに伝えたい事が、伝えなくちゃいけない事がある。

 

 

 ──なら、どうすればいい?

 

 

 出来る事は多くない。しかしゼロではない。喉元まで迫った死に抗う事くらいは出来る筈だ。ここで諦めて……死んでなどいられない。

 詩乃は今まで自分の事しか見てこなかった。自分の為にしか戦ってこなかった。詩乃が本当に決別すべきはそんな自分だ。今更何をしようと遅いのかもしれない。それでも……何もしないよりはずっといい。例えこれが最初で最後になるとしても、1度くらい誰かの為に……!

 

 

 ──うん。じゃあ、行くよ!

 

 

 冷え切った体に少しずつ熱が戻る。手足が次第に言う事を聞くようになっていく。

 小さく深呼吸して覚悟を決めた詩乃は、Tシャツの裾に手を潜り込ませる恭二の横面に肘を叩き込んだ。同時に体を傾けて首筋の注射器を外し、顎目掛けて掌を突き入れる。距離が空いた隙に両脚で恭二を押し退けようとするが、緊張が抜けきらない体では大した力が入らず、恭二も詩乃を力尽くで押さえ込もうと迫ってくる。

 狭いベッドの上で揉み合いになりながらもどうにか恭二の手から逃れた詩乃は、壁に打ち付けた頭を押さえて呻く恭二を尻目にリビングを飛び出した。

 

 せめて外に出られれば助けを呼べる──覚束無い足取りで玄関に辿りつき、焦りで手間取りながら鍵を開け、チェーンを外す。後は開けるだけ──

 

「──キャ……ッ!?」

 

 しかし、ノブに掛かった手はこれ以上前に進まなかった。這うように追って来た恭二に足首を捕まれ、文字通り足を掬われてしまったのだ。少しでもドアが開きさえすればと、上がり框に手を掛けて必死に抗う詩乃だったが、興奮状態に陥った恭二の力は凄まじく、伸ばした手はギリギリドアノブに届かず空を切る。そのままキッチンまで引き摺り戻された詩乃の上に、恭二が伸し掛った。抵抗しようと持ち上げた腕も捕まれ、万力の如き力でギリギリと締め付けられる。

 

「ハッ…ハァ……ア、朝田さん──アサダさん、アサダサンッ、アサダサンアサダサンアサダサンッアサダサンアサダサンアサダサン──!!!」

 

 歯を剥き出し、目の焦点を失った恭二が呪いのように詩乃の名を唱えながら迫る。この際噛み付いてでも……と口元を緊張させた詩乃だったが──突如、冷たい空気が肌を撫でた。次いで、恭二のくぐもった苦悶の声と共に詩乃の拘束が解かれる。

 一体何が……?と恐る恐る目を開けると、キッチン前で恭二と誰かが揉み合っている。ドアの開錠には成功していた為、誰かが騒ぎを聞いて助けに来てくれたのだ、という事まではすぐに理解出来たが……

 

 

「──シノン逃げろッ!助けを呼べッ!」

 

 

 歳はそう離れていないだろう、ダークグレーのライダースジャケットに身を包んだ、紺色の髪の少年──その声を聞いて、詩乃は彼が誰なのかを悟った。

 

「ミツ、キ……?」

 

 掠れた声で口にした名前に、少年は小さく頷く──ログアウト後すぐ警察を手配してくれると言っていたが、それだけで終わらせずにここまで来てくれたのだ。

 

 ミツキは恭二を詩乃から引き離そうと、強引に部屋の奥へ押しやる。

 

「ッお前、誰だよ……ッ!?邪魔するな!!」

 

「大人しくしろ!──シノン、シュピーゲルはッ!?」

 

「ぁ……か……」

 

 今目の前にいる彼こそが、と答えようにも、掠れた息が漏れるのみ。しかし恐怖を湛えた視線と、力なく持ち上げた手の指し示す方向でおおよその状況は伝わってくれたらしく、

 

「……お前──お前何してんだッ!?彼女はお前の友達だろうがッ!!」

 

「う……るさい……ッ!お前も邪魔するのかッ!?シノンは僕だけのものだ!誰にも渡さないッ!」

 

「目を覚ませッ!あの頃のお前に戻ってくれシュピーゲルッ!」

 

 その言葉で、恭二の動きがピタリと止まる。しかし安堵感は無い。寧ろ嫌な緊張感が部屋の中に充満し始める。

 

「お、まえ……ジェイド、か?」

 

「あぁそうだ、俺だシュピーゲル!こんな事、もう止め──…ッぅ!?」

 

 言葉を遮り、恭二はミツキを突き飛ばす。

 

「そうか……お前、オマエが──オマエがあああああああァァァッ!」

 

 倒れ込んだミツキの上に馬乗りになった恭二は、理性をかなぐり捨てた獣のような叫びを上げながら拳を振り下ろす。

 

「オマエッ!──オマエッ!──オマエがッ!──朝田さんをッ!──シノンをッ!」

 

 力任せに叩きつけられる拳を防ごうと両腕を掲げたミツキに、恭二が不敵な笑みを浮かべる。ポケットから取り出したのは、先程まで詩乃に突き付けていた薬品入り注射器だ。

 

「ッ……ミツキ──!!」

 

 恭二の狙いをいち早く察知した詩乃の声で、ミツキも掲げられた注射器に気付く。振り下ろされた凶器をギリギリの所で受け止める事に成功した。

 

「シュ、ピーゲル……ッ!お前、自分が何やってるのか分かってるのかッ!?お前が協力してた男は──!」

 

「あぁ知ってるよ!兄さん達はSAOで真の殺戮者だった!」

 

「だったら──!」

 

「──でもそれはオマエだって同じだろ!?オマエ、あのゲームをクリアするって正義の味方ぶってたくせして、他のプレイヤーを殺したそうじゃないか!」

 

「ッ……!」

 

「兄さんから聞いたよ!味方が1人死んだ程度でパニックになって、問答無用で敵を殺し回った!降参した奴まで無慈悲に殺したってねェ!──そんな奴に、僕達の事を悪く言う資格なんか無い!オマエなんか所詮、朝田さんの足元にも及ばないんだよ!朝田さんはオマエとは違う!僕の愛する彼女は本当の力を持った、僕の理想なんだ!」

 

「シュピーゲルッ!」

 

「馴れ馴れしいんだよさっきからッ!!言っとくけどな、僕はオマエを友達や仲間だなんて思ったことは1度だって無い!初めて会ったあの時から、ずっとだ!」

 

「ッ……」

 

 ミツキを罵りながら、恭二は全体重を乗せんばかりに注射器を押し込む。ミツキも歯を食いしばって懸命に抗うが、やはり人1人の体重を支えるには体勢的に無理がある。注射器はジリジリと下降を始めていた。

 

「……確かに、シノンは俺とは違うッ……俺なんかよりもずっと長い時間、ずっと辛い経験をしてきた。人を殺したといっても、それは誰かを守る為だ。お前の言う通り、俺じゃ彼女の足元にも及ばない──けどなッ!」

 

 小さく震えながらも注射器を受け止めるミツキの手に力が込もる。

 

「俺はお前が知らない事を知ってる!──人を殺すってのはな、お前が考えてるよりずっとずっと怖い事なんだよ!毎晩のように悪夢を見るし、いつか誰かに復讐されるんじゃないかと気が気じゃなくなる!誰かの未来を奪った自分が幸せになっていいのかとさえ考える!──命を奪うってのはそういう事だ!」

 

「そんなの、オマエが弱いからだろ!!朝田さんは──」

 

「──違うとは言わせないッ!!彼女は5年もの間、その苦しみと戦い続けてきた!誰に言っても理解されない苦しみと、ずっと1人で!──いいかシュピーゲル!今までお前が見ていたのは朝田詩乃でもなければシノンでもない!お前が自分の中に作り上げた偶像だ!本当に彼女の事を想ってるなら、今すぐこんなもの捨ててちゃんと彼女の事を見ろッ!!」

 

「ッ……うるさい黙れェッ!──死ね!死ねェ!死ねエエエエエエエエエエッ!!!」

 

「っ……ダメェ──!!」

 

 詩乃の叫びも虚しく、注射器はズルっとミツキの手を滑り抜け、ライダースジャケットの襟元から覗くTシャツへ突き立てられる──ブシュッ、というような小さな音が、嫌に大きく聞こえた。

 

「……は、ハハ──ハハハハハハハッ!こ、これで──」

 

「ッこん──のッ!」

 

 振り上げたミツキの拳が、タガが外れたように笑う恭二の顎の先端を綺麗に捉える。至近距離で繰り出されたアッパーで脳を揺さぶられた恭二は、小さく呻きながら床に崩れ落ちた。

 

「ミ──ミツキッ!」

 

 慌ててミツキに駆け寄った詩乃は、ジャケットのジッパーを下ろす。注射を打たれたと思しき箇所には、じんわりと黒い染みが出来ていた。

 

「……シノン──怪我、は……」

 

「嫌ッ……やめてよ──こんなの、だって……ッ!」

 

「──ミツキ、シノンッ!……おい、大丈夫かッ!?」

 

 そこへキリトが遅れて到着。倒れるミツキを見て、顔を青ざめさせる。

 

「あなた、キリト……!?──ミ、ミツキが注射を打たれて……!」

 

「何だって……!?くそッ──おいミツキしっかりしろ!」

 

「ミツキィ──ッ!」

 

 2人の叫びが木霊するアパートへパトカーが到着したのは、それから僅か数分後の事だった。

 




新川くんが救済されるとしたら、あの夏の時点でミツキとちゃんと仲良くなっておく事が最低条件だったかなと思いますが、流石にどうしようもなかったですね……仮想世界でリアルの事を詮索するのはマナー違反という不文律がある以上、ミツキの方から踏み込む事はなかったでしょうし。
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