日曜日の夜に起きたあの一件から1日と半分ちょっとが過ぎた頃──詩乃はすっかり見慣れた学校の校門に、小さな人集が出来ているのを見つけた。その中にいた、そこそこ仲の良いクラスメイト2人が詩乃に気付いて駆け寄ってくる。
「──朝田さん、今帰り?」
「う、うん……アレ、何かあったの?」
「校門の前にね、他所の制服の男子がいるの。バイクで来てて、ヘルメット2つ持ってるから誰か待ってるんじゃないか。って」
「前髪で目元隠れちゃって、顔よく見えないのが残念だけど、結構イケメンっぽいよね!」
「他所の高校……バイク……」
そこで1つの可能性に思い当たった詩乃は、慌てて時間を確認すると……サーっと血の気が引いていくような感覚を覚えた。それが意味する所を目の前の女生徒2人は目聡くも察したらしく……
「……もしかして、あの人が待ってるのって朝田さん!?」
「ど、どういう関係!?もしかして、彼氏──」
「──ご、ごめんなさい……っ!」
これ以上追求されるのを防ぐべく足早に校門へ向かう。少し居心地の悪い視線を浴びながら校門を通り抜けると──やっぱりいた。
「……確かにこの時間とは言ったけど、何でこんな目立つとこにいるのよ……!?」
黒いスポーツバイクに緩く腰掛ける、紺色の髪の少年──先日詩乃を助けに来てくれたミツキこと本名、三島翠月は詩乃の声を受け、ボーッと空を見つめていた目をこちらへ向ける。
「──来たか。こんにちは、シノン」
振り向いたミツキの顔には軽い治療の形跡が残っており、恭二から自分を助ける際に数発殴られていたのだと言う事を思い出すと、言ってやろうと思っていた小言も引っ込んでしまう。
「……こんにちは。お待たせ」
「何、大して待っちゃいないさ。──近くの駐輪場が全滅でな、コンビニまでは少し歩くし、君1人拾うだけならまぁ大丈夫かと思ったんだが……ちょいと甘かったな」
「本当よ、全く……ほら、先生が来る前に早く」
ミツキからオープンフェイスのヘルメットを受け取り、カバンをリュックの要領で背中に背負う。
「あー……ところでシノンさん」
「何よ……?」
「下はジャージか何か履いておいて下さいと事前にお伝えしたはずなんですが……」
「絶対嫌」
詩乃は特段おしゃれに気を使う方ではないと自負しているものの、年頃の女子として最低限譲れない一線はある。スカートの下にジャージやハーフパンツを履くのは断固お断りだった。
「体育用のスパッツ履いてるし、大丈夫よ」
「左様ですか…──後ろ、少し高くなってるけど乗れるか?」
「……多分、大丈夫」
「こっちでしっかり支えとく。肩とか掴んでくれていいからな」
詩乃は幼い頃、祖父のスーパーカブの後ろに乗せてもらっていた経験があるが、こういったスポーツバイクに乗るのは初めてだ。後輪の上に突き出ているだけにしか見えない小さなリアシートに頼りなさを覚えるが、確かめるようにタンデムステップに足を掛け、思い切って跨った。
「……思ってたより、高い」
「一応注意点だけ手短に──右足はマフラーに触るな、靴が溶ける。走行中両手は俺の肩か腰、不安なら足でも俺の腰をしっかり挟んどけ──」
その他諸々の注意点を聞いた詩乃は、少しだけ迷った末にミツキの腹に手を回し、膝でも彼の腰をホールドする。
「じゃあ行くぞ。あまり飛ばさないようにするけど、怖かったら言ってくれ」
エンジンが始動し、2人を乗せたバイクはゆっくりと走り出すのだった。
一昨日の夜、恭二によって胸に薬品を注射された筈のミツキが何故こうして詩乃の前に現れたのか──それは、まるで漫画やアニメのような奇跡によるものだった。
恭二が突き立てた注射器の先端は、ミツキの胸に偶然貼り付いていた「ある物に」阻まれ、薬品が彼の体内に注入されることは無かった。
その「ある物」というのが、心電図モニター用の電極パッチ──有事の際はすぐ気付けるようにと「依頼人」の手配によって彼とキリトが装着していたものが、偶然にも1つだけ残っていたのだ。
小さい頃に見た古いドラマなんかでは、懐に忍ばせていた何か──大抵家族の形見とか──が銃弾を受け止めて九死に一生を得た、なんて話もあったが、何年も後になってそれを実際目にするなどと誰が予想出来ただろう。
──と、あの日の事を思い出している間に、目的地である銀座へ到着。ミツキに連れられて足を踏み入れたのは、いかにも高級そうな雰囲気漂う喫茶店だった。
「……ねぇ、ほんとにここで合ってるの……?」
「気持ちは分かる。前来た時俺も思った」
エレベーターから降りた2人をタキシードのウェイターが出迎える。そこへ──
「──おーいミツキ君!こっちこっち!」
「……ホントすみません。また、アレと待ち合わせです」
雰囲気ぶち壊しの声量で名を呼ばれたミツキは、小さく頭を下げてフロアの隅を指差す。その先では、眼鏡をかけたスーツ姿の男性がブンブンと手を振っていた。
テーブルで2人を待っていたのは菊岡誠二郎。ミツキとキリトにGGOで《死銃》について調査するよう依頼した張本人であり、総務省の役人でもあるという。
そんな彼がミツキだけではなく詩乃までここに呼びつけたのは、事件に関する調査報告が理由だった──因みにキリトは何やら別件で用があるらしく、今回は不在である。
──まず、今回の事件の主犯である兄、新川昌一と弟の恭二は、あの夜の一幕から程なくして逮捕された。昌一は聞かれた事に素直に答えている一方、恭二は黙秘を貫いているという。
発端は、昌一が
幼少期から病気がちだった昌一は総合病院のオーナーである両親から早々に見切りを付けられ、一方恭二はそんな兄の分の期待までもを一身に背負うことになった。弟が勉学に励む中、昌一はMMORPGへ耽溺していき、やがてSAOの虜囚となる。
ゲームから帰還後、昌一はSAO内での事を恭二にだけ語って聞かせ、恭二もまた、両親からのプレッシャーに加え学校で受けたいじめによるストレスなどから、昌一があの世界で殺戮者として恐れられた体験談に爽快感のようなものを覚えていたらしい──これは家の内外両方に於いて恭二の味方がおらず、周囲全てを敵と認識していた故ではないか、と菊岡は推測した。
昌一がGGOを始めたのも恭二に誘われたのがきっかけであり、最初は熱心にプレイせず、街にいるプレイヤー達をどうやって殺すか想像して楽しむ程度だったのだが……ここで、先述の透明化マントを入手。他プレイヤーに気付かれずストーキングする技術を磨いていった。総督府ホールで個人情報を手に入れるようになったのも、最初は単なる偶然と思いつきだったそうだ。
「──そうやって、昌一は最終的に16人もの個人情報を入手することに成功していたようだね。その中にはゼクシードや薄塩たらこ、そして
そして第2回BoBが終了した後……恭二の行く末を決定的に分けたと言っても過言ではない出来事が起きた──ゼクシードによる、多くのGGOプレイヤーを巻き込んだ印象操作が発覚したのだ。
彼の言葉を鵜呑みにした結果、一部例外こそいるもののAGI一極ビルドのプレイヤーの大部分は、今後ゲームプレイを継続していく上で大きなハンデを背負わされる事となる。特にGGOの《プロ》や最強の頂を目標にコツコツとアバターを育てていた者──現実を投げ打ってまでプレイしていた恭二にとって、ゼクシードの所業は到底許せるものではなかった。
それを恭二から打ち明けられた昌一は、丁度ゼクシードの個人情報を持っていた事を思い出し、彼に提供。奴を粛清すべく、《死銃》計画が始動した。
2人で話し合い、ゲーム内の銃撃と同時に現実で殺人を行う為の障害を1つずつクリアしていく──最後に父親の病院から緊急時用の合法マスターキーと無針注射器、注入する薬品を盗み出した。
「──昌一曰く、そうやって計画を詰めていく過程そのものがゲームだったそうだ。SAOで標的の情報を集め、必要なものを準備し、実行するのと何ら変わらない、とね。聴取を担当した刑事に向かって、『警察だって同じだろう。街中の
「詭弁だな」
菊岡から語られた昌一の言葉を、ミツキはピシャリと短く斬り伏せた。
「そうかい?僕は0.1理くらいはあるなと思ったけど」
「頼むぞ公務員…──やってる事は確かに同じかもだが、根底の意識が違う。ラフコフとしてあの世界でプレイヤーを殺し回った連中は、皆が皆根っからの殺人狂だったわけじゃない。通常ならあって然るべき殺人への心理的ハードルを意図的に下げた奴がいる──ゲームなんだから人を殺してもいい。しかし奪う命は本物である──システムに則ったPKと現実での殺人を=で結びつけながらも、それを行う自分自身には常に≠を突きつける。そうやって都合の良いように信じ込んで殺しまくった結果、仮想と現実、両方の世界をその濁ったフィルター越しにしか見れなくなった……これは間違いなくVRMMOのダークサイドだ。のめり込んだ分だけ、現実が混じって薄まっていく」
「のめり込む、か……そういう君はどうなんだい、ミツキ君」
質問こそ悪趣味と言えるものの、至って真剣な表情で問うた菊岡に、ミツキもまた真剣な表情で答えた。
「……今の俺は、間違いなく欠けてる。あの世界を経た俺を構成するのに必要不可欠な、最後の1ピースがな」
「そのピースを取り戻す為なら、あの世界に戻りたいと思うかね?」
「……分かりきった事をわざわざ聞くな。悪趣味通り越して陰険だぞ」
答えは果たしてYESかNOか……それが明確にされる事は無かった。
「ただ……ある意味、あいつらも俺と似ていたのかもな。俺はあいつらが、またアインクラッドに戻りたがってると思ってたけど──奴らからしてみれば、今もSAOの延長線上なのかもしれない。きっかけさえあれば今回みたいに……」
「全く怖い話だよ──さて、話の続きだ。諸々の準備を終えてゼクシードと薄塩たらこの殺害に踏み切った2人だが、名うてのトッププレイヤーである彼らを殺しても、《死銃》の存在を信じる者は極小数のみだった。実際、僕やミツキ君、キリト君も眉唾物だという結論に至っていた訳だしね」
──そこで、新川兄弟は大きく手を打つ事にした。GGO全プレイヤーが注目する最強決定戦《バレット・オブ・バレッツ》にて、新たに3人のプレイヤーを殺そうと考えたのだ。標的となったのは《ペイルライダー》、《ギャレット》、そして《シノン》の3人であり、シノン以外の2人は本戦決着時のリザルト画面で《通信切断》の欄に名前が並んでいたのを覚えている。
しかしここで1つの問題が発生した。これまで現実サイドの実行役を昌一に一任してきた恭二が、今回に限って自分が現実サイドを担当すると言い出したのだ。昌一はスクーターの免許を持っているが、徒歩移動を余儀なくされる恭二1人では複数の標的の自宅を巡るのに時間がかかってしまう。内部からリアルの状況を確認できない以上、《五四式》による銃撃と死亡にタイムラグが発生する可能性がある。
「──そこで、昌一は同じくラフコフ所属だった知り合いの中から、追加で2人の協力者を引き入れた。恭二と共に現実世界で実行役を担う
「ジョニー・ブラックだけなら」
ジョニー・ブラックは頭に麻袋を被った残忍な毒ナイフ使いとして有名で、首魁の《PoH》と今回キリトと戦い敗れた《赤目のザザ》に並ぶラフコフ3大幹部の1人だった。
しかしギル──GGOではデリンジャーとして俺を狙ってきたあの男に関しては今初めて知った、というのが正直な所だ。戦った事こそ思い出したが、あの時の俺は相手の名前を一々確認するような余裕が無かった。ラフコフ残党の中の1人、程度の認識だったのだ。
「……あの、2人だけなんですか?仮想世界内で2人いるなら、実行役ももう1人加えて3人にした方が、その、確実だったと思うんですけど」
「尤もな疑問です。ギル──《デリンジャー》と呼んだ方が分かり易いかな──彼の役目は、万が一何かのアクシデントで昌一の《ステルベン》が大会から退場してしまった場合、《死銃》の役目を引き継ぐ事だったようだ。殺害の合図として使っていたあの拳銃を死体から回収した瞬間、何かに取り憑かれたような演出まで加える予定だったらしい」
「さながら呪いの拳銃か……ご苦労なこった」
「付け加えるなら、砂木沼の部屋から押収されたアミュスフィアには改造の痕跡が見つかった。調べた結果、VRMMOのメニュー画面を操作することでデジタルドラッグを使用出来るようになっていたそうだ。これだけでも充分逮捕案件だよ。要するにチート行為だからね。これでもしGGOのシステムに異常が出ていれば、アカウント抹消程度じゃ済まなかっただろう」
「急に動きが変わった事といい、明らかに様子がおかしかったのはそのせいだったのか」
追加人員を2人に留めた理由については、盗み出せた薬品カートリッジの本数の都合だと昌一は供述していたそうだ。
「後は君達も知っての通りだ。彼らは計画通り大会本戦で《ペイルライダー》及び《ギャレット》を殺害。しかし最後の1人は殺せず、主犯である新川兄弟は逮捕された、と……あくまで昌一の供述に基づく推察もあるから、全てが明らかになるのはまだ少しかかるだろうけどね」
「金本と砂木沼の供述次第か……」
「……いや、その2人はまだ捕まっていない」
「……は?」
菊岡の口から発せられた驚きの言葉に、俺は持っていたカップを危うく落としそうになる。
「何分、共犯者2人の身元が判明したのは新川兄弟が逮捕されたおよそ2時間後だったからね。予め決めていたのかは分からないが、ログアウト後すぐに逃亡を図る猶予はあった──とは言え、こうして氏名は割れた以上、逮捕されるのも時間の問題だよ。日本の警察の捜査能力は凄いからね。安心してくれていい」
「……確認だ、ペイルライダーとギャレットを殺したのはその金本で間違いないんだな?」
「ああ。犠牲者の部屋から、金本の自宅で採取されたものと同じDNAの毛髪が見つかっている。間違いないよ」
「薬品のカートリッジは何本持ってた?全部使い切ったのか?」
「ええと……基本的には1本あれば人1人の致死量を軽く上回るようだが、昌一は念の為3本渡していたそうだ。標的1人に対して丸々1本使ったと考えても、まだ1本残っていることになる──昨日から今朝にかけて朝田さんに警護がついたのは、それが理由だよ」
即ち、ジョニー・ブラックがまだ詩乃を狙っているかもしれない──引き入れた昌一をして、金本の人間性には理解の及ばない部分があったらしく、今回の件の協力に積極的だったのかさえ不明。裏を返せば、《死銃》の伝説などそっちのけで詩乃を殺しにかかるという可能性もゼロではなかった。
「ま、これはあくまで可能性の話だ。計画は既に崩壊してるし、例え朝田さんを殺した所でメリットも無ければ、両者間には何の怨恨も無いんだから。さっきも言ったけど、そう長期間逃げ続けるのは無理だよ──と、現時点で判明してるのはこんな所だね。何か質問はあるかな?」
質疑を問うた菊岡に、真っ先に詩乃が口を開く。
「あの……恭二君は、これからどうなるんですか?」
「そうだね……精神鑑定の結果次第ではあるけど、彼らの言動を見る限り、医療少年院に収容される可能性が高いと僕は思ってる。何せ2人共、現実というものを持ってないわけだし……」
「……いえ、そうじゃないと思います」
詩乃の呟きに、菊岡は興味深げな目線で続きを促す。
「お兄さんの事は、分からないですけど……少なくとも恭二君にとっての現実は、《ガンゲイル・オンライン》の中にあったんだと思います──元々持ってた現実を全て捨てて、あのゲームの中こそが真の現実なんだ。って……そう、決めてたんだと思います」
そんなの、ただ辛い現実に立ち向かう事を諦め逃げた先で遊び呆けてるだけ──と、そう一蹴する者が大多数だろう。しかし詩乃もミツキもそうは思わない。
スポーツを例にすると分かり易いだろう──最初は勝ち負けなんか瑣末な問題だった。近所の公園や空き地で仲のいい友達と楽しく気楽に遊んでいた筈なのに、クラブチームや学校の部活、社会人チーム、そしてプロと段階を経る毎に、勝敗という結果の持つ意味が重くなっていく。敗北は無価値に、価値あるものは勝利のみになっていく。それはゲームだって同じなのだ。
たまに数時間遊んで息抜きをする程度ならいい。しかし高みを目指して情熱を注ぎ込み、ある一定のラインを超えると……娯楽は作業へと変貌する。
最も経験値効率のいい狩場に張り込んで、見た目も強さも全く変わらないモンスターを何時間にも渡って黙々と倒し続ける──気分転換などしてる暇は無い。少しでも早く、他の者より少しでも先に最強の頂へ上り詰めるには、とことんまで効率を追求しなくてはならない。現実世界での食事を抜くのだってその一環だ。
長いこと続けていれば集中力だって限界が訪れる、ミスをすれば苛立ち、その苛立ちがまたミスを呼ぶ──今日はもう止めておこう、と引き揚げる自分がどうしようもなく惨めで、情けなく思えてしまう。どれだけストレスを感じても、それでも目指すことを止められない。何故なら──
「──ゲームでストレス……それは、本末転倒というものでは……?」
「……はい。恭二君は文字通り、転倒させたんです。2つの世界を」
「しかし……何故、そこまでして最強を目指すんだろう?ゲームというのは本来、楽しく遊ぶべきもので……」
「ほんの数日前に話したろ──強くなりたいからだよ。仮想世界でなら誰もが理想の自分になれる。その理想を現実にする為に、死に物狂いで努力するんだ」
「ステータスは万能の力、という話か……少しだけだけど、理解出来たような気がするよ」
「……あの、恭二君はいつから面会出来るようになるんですか?」
「ええと……送検後はしばらく拘置所にいるはずですから、鑑別所に送られて以降になりますね」
「──私、彼に会いに行きます。会って、私が今まで何を考えていたのか……今、何を考えてるのかを、ちゃんと話したい」
詩乃の言葉に、菊岡は柔らかい笑みを浮かべて頷いた。
「……あなたは強い人だ、是非そうしてください。──面会が出来るようになったら、メールでご連絡しますよ」
「はい。お願いします……!」
「──と、そろそろ時間だ。話はここまでにしておこう」
「わざわざ時間取らせて悪かったな、助かった」
詩乃共々感謝の言葉を口にするミツキへ、菊岡は「2人を危険な目に遭わせたせめてものお詫びだ」と笑い──事件の概略が入っていたタブレットを仕舞うと、傍らのケーキの皿を引き寄せた。
「……おい、時間なんじゃないのか」
「急げば間に合うさ。頼んだ以上、しっかり完食するのがマナーだろう?大丈夫、僕は甘いもの大好きなんだ──ああ、何か予定があるなら気にせず帰ってもらっても大丈夫だよ。お代は僕が持つから」
大きないちごのショートケーキを満面の笑みで頬張る菊岡に呆れたようなため息をついたミツキは、詩乃を連れて店を後にする。
「……悪い、店に忘れ物した。先にバイクのとこで待っててくれ」
「……?分かった」
到着したエレベーターから詩乃だけが降り、ミツキはもう一度店へと引き返していった。
シノンと一度別れた俺は、エレベーター前のウェイターに小さく会釈してから足早にフロアを横切る。
「──戻ってくると思ってたよ」
先程まで座っていたテーブルでは、紙ナプキンで口元を拭く菊岡が俺を待っており、その手元には4つ折りになった1枚のメモがあった。
「コレ、頼まれていた件だ──丁度僕も出る所だから、行きながら話そう」
メモを受け取り、会計を済ませた菊岡と共にエレベーターへ乗り込む。扉が閉じた瞬間、俺はメモを開いた。そこには──
キャラクターネーム:《
本名:───
「手短に言うよ。新川昌一の供述では、今回の一件にその男の関与は認められなかった。加えて、その男は既に日本を出ている。今どこにいるのかまでは分からない」
「そうか……いや、調べてくれただけでもありがたい。手間をかけさせた」
「それは問題ないが……どうする気だい?」
「別にどうもしないさ。少なくとも今は」
短い沈黙を挟み、俺は言葉を続ける。
「……『これが終わりじゃない、終わらせる力はお前達には無い。すぐにお前もそれに気付かされる』……今朝、アンタから聞かされた新川昌一 ──《赤目のザザ》の言葉が本当なら、また今回みたいな事が起こるかもしれない。その時は協力する。だが二度とキリト達は巻き込まないと約束しろ」
「……一応、理由を聞いても?」
「アイツはもう十分苦しんだ。今回の件で過去とも決着をつけた。いい加減普通の幸せな日常ってやつを謳歌していいだろ」
「……君は、そうするつもりは無いのかい?」
エレベーターが到着し、2人揃って降りる。閉まる扉を背に、俺は答えた。
「……俺は俺で、出来る事を──やるべき事をやるだけだ」
それだけ言い残し、俺はシノンが待つ駐輪場へ向かうのだった。
「──あー……ところでシノン。この後時間あるか?」
「……特に、予定は無いけど……何よ?」
「少し付き合って欲しい場所がある。あまり時間は取らせない」
そんなやり取りを経て、再び後ろに詩乃を乗せたミツキの愛車は、心なしか嬉しそうにエンジンを唸らせながら御徒町へと移動していた。
エンジンが止まったのは、細い路地に面した小さな店の前。扉にはサイコロを模した看板が掛けてあり、《DICEY CAFE》と名前が刻まれている。
「ここ……?」
「ああ。ボロい店だが我慢してくれ」
ミツキが《Closed》状態の扉を勝手知ったる様子で押し開けると「おそーい!」という声が飛んできた。
「待ってる間にアップルパイ2切れも食べちゃったじゃない!太ったらミツキのせいだかんね!」
そう言って頬を膨らませるリズの隣にはアスナとキリトにシリカ、直葉の姿もある。クラインだけはどうしても都合がつかず不在だが、所謂「いつものメンバー」がこの店に集結していた。
手早く各々の自己紹介を済ませたミツキは、詩乃を席に着かせ、まずは日曜日のBoB本戦で何があったのかをキリトと2人で皆に説明した。
「──とまぁ、そんな事があった訳だ。まだ公になってない情報も多いから、一部ぼかしたのは了解してくれ」
一連の事を話し終え、テーブルに置かれた烏龍茶をグイっと呷る。その横で、詩乃は何やら真剣な面持ちでじっと考え込んでいた。
「《ステルベン》……死を意味する医療用語……一体何を思ってそんな名前にしたのかしら」
説明途中でアスナ達から聞かされた、《死銃》のキャラネームの意味──病院の後継であった新川兄弟が、両親への反発心めいた理由でつけたのではないかと、ミツキは推察したが……
「VRMMOのキャラネームに、名前以上の意味を探さない方がいいわ。気付くことより、見失う事の方が多いから」
「おっ、アスナが言うと説得力すごいわねぇ」
「アスナさん、向こうでも本名そのままですもんね……」
「学校でもすぐ話題になってましたよ──あの閃光のアスナさんだ!──って」
「も、もう……!余計なこと言わなくていいのっ」
リズの脇を肘で小突いたアスナは、小さく咳払いをしてから詩乃に向き直る。
「──あなたが来るまで、女の子のVRMMOプレイヤーの知り合いが増えたら嬉しいねって、皆で話してたんです。良かったら友達になってくださいね、朝田さん」
差し出されたアスナの手に、詩乃は逡巡しながらおずおずと手を伸ばす。やがて指先が触れたかと思えば、彼女の手はアスナの手の中にあった。
「……さて、新たな友情が育まれた所に水を差すようで悪いが──本題に入ろう」
「本題……?」
「ああ。まずシノン、俺達は君に謝らきゃならない。当事者である君の意見を聞かずにやった事だからな」
頭を下げるミツキとキリトに詩乃は何が何やらといった様子だったが、続くキリトの言葉を聞いた瞬間、その表情は凍りついた。
「──シノン。俺達は、君が過去に遭遇したというあの事件での事を、ここにいる皆に話した」
「ぇ……?」
息を呑むような小さな声。それだけで、彼女の考えている事がありありと伝わってきた。
何故?どうしてそんな事を……!?──声無き声を湛えた視線が、ミツキとキリトを行き来する。
「朝田さん──詩乃さん。私達は先日、あなたが過去に住んでいた町へ行ってきたんです」
これから自分に向けられる言葉を想像したのか、詩乃は突然立ち上がってアスナの手を振り解こうとする。しかしアスナは頑として手を離さない。優しくも真剣な目で詩乃を見つめていた。
「……なん、で──そ、な……!」
「それはシノン。君が会うべき人に会っていなくて、聞くべき言葉を聞いてないと思ったからだ──君を傷つけるかもしれないと分かっていても、放っておく事は出来なかった」
「会うべき人……聞くべき、言葉……?」
一先ず彼女をもう一度座らせたミツキは、リズとシリカに目配せする。頷いた2人は店の裏へ続くドアを開け、その向こうから人を2人、連れてきた。
アスナ達が空けた席に座ったのは、30歳程の落ち着いた雰囲気を漂わせる女性と、その娘と思しき小さな女の子だった。
「朝田詩乃さん、ですね……?私は、
それを聞いて、詩乃は彼女が何者なのかを理解する。彼女は詩乃が引き金を引いたあの日、同じ場所にいたのだ。
「……ごめんなさい──ごめんなさいね、詩乃さん。本当なら、私はもっと早くあなたにお会いしなきゃいけなかったのに……早くあの事件の事を忘れたくて、夫の転勤をいい事に、東京へ移ってしまった。あなたが苦しんでいるという事なんて、少し考えれば分かったはずなのに……!」
目尻に涙を滲ませる母親を、瑞惠が心配そうに見上げる。そんな娘の頭を優しく撫でながら、彼女は続けた。
「……私、あの事件があった当時にはもう、お腹にこの子がいたんです。あの時、あなたが強盗に飛びかかっていなければ、私だけじゃない、この子もここにはいなかった──娘がこうして無事に産まれて来てくれたのは、あなたのお陰なのよ。詩乃さん、あなたがこの子の命を救ってくれたの──本当に、本当にありがとう……!」
「命を、救った……私、が……」
信じられないと言った様子で、祥恵の言葉を繰り返す。ミツキとキリトは、そんな詩乃に歩みを寄せた。
「シノン。君はずっと自分を責め続けてきた。自らを罰しようとしてきた。それが間違いだとは言わない。でもな──」
「──君に残されたのは罪だけじゃない。救った人の事を考えて、自分を赦し、救う権利があるんだ。俺は、その事を君に伝えたかった……ッ」
キリトは小さく声を震わせ、拳を握り締める。安岐ナースに言われた、命との向き合い方──奪った事で救えたものが、自分自身を赦す理由になるのだという事を伝える為、キリトはこの場を設けたのだ。
椅子から下りた娘の瑞惠が、肩に掛けたポシェットから4つ折りの画用紙を取り出す。広げて見せたそれには、瑞惠の家族の絵がクレヨンで描かれていた。そしてその上には、幼さを感じさせる字で──しのおねえさんへ──と。
震える手で絵を受け取った詩乃に、瑞惠は大きく息を吸い込み、
「しのおねえさん。ママとみずえを、たすけてくれて、ありがとう!」
そう言って、にこやかな笑みを浮かべた。
「ぁ…っ……」
ぽつり、ぽつりと……虹が描かれた画用紙に雨が降る。しかしその雨は優しく、暖かい。
朝田詩乃の手はもう、冷たい武器を握るだけのものではない──静かに涙を流す詩乃の手に重ねられた瑞惠の小さな手が、何よりもそれを雄弁に物語っていた。
大澤親子を見送り、詩乃がアスナ以外の面々とも改めて親交を結んだ事で、この場は解散となる──はずだったのだが。
「──待った。まだこっちの話は終わってない」
「……他に、何かあったか?」
詩乃を自宅まで送るべく店を出ようとしたミツキの背中を、キリトが呼び止めた。
「まだ1人、救われなきゃいけない奴がいる──約束、忘れたとは言わせないぞ。ミツキ」
ファントムバレット本編はこれにて終了となりましたが、もう少しだけ続きます。
キリトの言った通り、ここからはミツキの番です。