絶剣
2026年1月6日──ALOに浮かぶ新生アインクラッドの22層にひっそり佇む一軒のログハウス。
暖炉の火がパチパチと踊り暖かな空気を送る中、アスナ達はソファに腰を並べて《冬休みの宿題》という強大なボスモンスターと相対していた。
シリカは数学、リーファは英語の問題に難しい顔で唸る一方、一足先に相手を撃破したリズは、リキュール入りの紅茶片手にゲーム内で発売されている小説を楽しんでいる。アスナも課題のレポートを着実に完成へ近づけている最中だったのだが……ここでシリカが眠気により一時ダウンしてしまう。
「──ほらシリカちゃん、今寝ちゃうとまた夜眠れなくなっちゃうよ?」
「んゅ……眠いですぅ……」
《
「部屋、暖かすぎるかな?少し温度下げようか」
「そうじゃないと思いますよ?多分、原因はアレかと──」
そう言ってリーファが目をやった先では、暖炉の傍で揺り椅子に揺られて居眠りをする黒髪の《
キリトの寝姿を見ていると不思議と眠気を誘われるのは、スプリガン得意の幻惑魔法にでもかかっているのではないか。とはリズの談。アスナもリーファも最初は冗談のように笑っていたが、近頃は本当に眠気を誘うデバフ効果でも振りまいているのではないかと思い始めている。
新生アインクラッドのアップデートで21層~30層が開放されたのは、ほんの最近──去年のクリスマス・イブの事だ。エギルからそれを聞かされたアスナは、キリト共々少しでも早い22層への到達を掲げてあれこれ準備をしていた。
21層が開放されるなり、アスナは仲間達と共に怒涛の勢いでフィールドを駆け抜け、迷宮区を駆け上がり、共にボス攻略へ臨んだレイドパーティの先頭で誰よりも苛烈に剣を振るった。
半分
この家にはキリトやユイと一緒に過ごした大事な思い出が詰まっている。たった2週間ちょっとの短い間だったが、それでもアスナにとっては何よりも濃密な時間だったのだ。
当時まんまとは行かずとも、その面影を感じさせる調度品で飾られたこの家は、今や気の知れた仲間達の憩いの場になっている。最初はキリトやユイと3人だけだったこの場所で、リズやリーファといった仲間達がくつろいでいるのを見ると、アスナは何とも言い表せない暖かな充足感に見舞われた。
「──そう言えばアスナ、もう聞いた?《ゼッケン》の話」
気分転換と眠気覚ましに外で温かいお茶を飲んでいた折、リズがそんな事を言い出した。
「ゼッケン……運動会の時とかに付けるアレ──じゃないわよね。新実装のレアアイテムか何か?」
「ノンノン、人の名前よ。通り名って言えばいいのかな、あんたの《閃光》とか、《黒の剣士》とか、そういうの──あまりの強さに誰が呼んだか、付いた名前が《
意味合いとしては「絶対無敵の剣」や「空前絶後の剣」という事らしいが、アスナはとんと聞いた事が無かった──それもその筈。《絶剣》の噂が囁かれ始めたのは丁度年末年始のタイミングで、当時アスナは父方の実家である京都の本家へ帰省していたのだ。
こっそりアミュスフィアを持って行きこそしたものの、今の時代にあってネット環境が整備されていない部屋だったせいで、東京に戻るまで一度もログイン出来ず、例年以上にストレスが溜まったのを苦い顔で思い出す。
「──それで?その《絶剣》さんはプレイヤー狩りなの?」
「いんや、デュエル専門みたい。それも過去に大会に出てたとかでもない、全くの新顔。にしちゃスキル値が高いから、多分どっかのゲームからコンバートして来たんだろうってのが通説ね」
リズが言うには、その《絶剣》は新生アインクラッド24層主街区にある大きな木の生えた小島に毎日午後3時になると現れ、立会希望者と1人ずつ戦うらしい。
《MMOトゥモロー》にあるALOの情報掲示板に書込みがされたのが最初。調子に乗った初心者を凹ませてやろう、という心持ちで約30人程のプレイヤーがデュエルを挑んだそうなのだが……《絶剣》はその尽くを返り討ちにした。初日ではHPを3割以上削れた者はおらず、今も尚全戦全勝を貫いているのだそうだ。
「わたしとリーファも挑戦してみたんだけどさぁ……もうコテンパンよ」
「リーファさんはリズさんより良い勝負でしたけどね」
「うっさいわ!」
リズがシリカの茶々に突っ込みを入れた所で全員お茶も飲み終わり、家の中へ戻る。苦心の末無事に各々の敵を攻略した4人は、フルーツをたっぷり使ったケーキで仮想の糖分を補給していた。
「──さっきの《絶剣》の話だけど……そんなに強いなら、もう対戦希望者なんていないんじゃないの?」
「それがそうでもないんです、賭けネタが凄いんですよ!」
「よっぽどのレアアイテムを賭けてるとか?」
「いいえ、賭けてるのは《
それを聞いたアスナは、思わず感嘆の声を漏らした。
ALOに渡来したSAOの遺産の片割れであるソードスキルシステムだが、根っからのゲーマーで構成されるALOの新運営はそこにもう1つ、とある味付けを追加した。それが《オリジナル・ソードスキル》だ。
実装当初は多くのプレイヤーが《僕の考えた最強必殺技》の開発に熱意を燃やしたものだが……それこそゲームや漫画のキャラクター達が放つ必殺技というものは、一朝一夕で身に付くものではない。それはOSSも同様だった。
一体何がプレイヤー達を挫折させたのかというと、OSSの登録条件が理由として大きい。
要約するなら「システムアシスト無しでシステムアシスト有りと同等以上の速さで技を出せるようになればOSSとして認めてあげましょう」というもの。
加えて、発動時に無理な姿勢や体重移動があってはならない。ましてや基本的な単発技や2~3連撃程度ならほぼ全てのパターンがSAO時点でソードスキルとして存在する為、オリジナリティを出すなら最低でも4連撃以上が求められる。それを達成する為にはひたすら技の動きを反復練習して、体もとい脳に強く刻み付けるしか無い。
例を出すなら、キリトは片手剣4連撃技《バーチカル・スクエア》をGGOの光剣でも再現出来る程動きが染み付いているし、ALOには存在しない《二刀流》スキルの動きをシステムアシスト無しで99%再現する事に成功している。
裏を返せば、SAO組レベルでどっぷりと仮想世界に浸かっていなければその領域に達するのは困難ということだ。
以上の理由から、あまりの難易度に大部分があえなく撃沈。それでもごく一部の努力家達は弛まぬ努力で見事OSSを開発することに成功し、まるで剣術流派の開祖の如き栄誉を手にした者もいる。
そんな代物がデュエルの賞品になっているとあれば、多くのプレイヤーが挑戦するのも頷けるというものだ。
「そのOSSって、何系の技なの?何連撃?」
「見た所、片手剣系の汎用技ですね。何とびっくり、11連撃です!」
「じ、じゅういち……!?」
現在確認されているOSSの中で最多の手数を誇るのは、サラマンダーのユージーン将軍が開発した8連撃技《ヴォルカニック・ブレイザー》。既存の片手剣ソードスキルを含めて考えても、最上位剣技である《ノヴァ・アセンション》10連撃が最大だ。即ち、その《絶剣》というプレイヤーは、文字通り片手剣カテゴリ最強の必殺技を自らの手で編み出したということになる。
「皆はそのソードスキル、実際に見たの?」
「ううん。何でも、辻デュエルを始めた初日に演舞として1回披露したらしいんだけど、それっきり使ってないみたい」
「──というか、OSSを使わせる程《絶剣》さんを追い詰めた人はいないんです」
「……リーファちゃんでもダメだったの?」
「はい……お互い、HPが6割切る辺りまではいい勝負だったんですけど、結局最後までデフォルト技だけで押し切られちゃいました」
《絶剣》の種族は暗中飛行に長けた《
「あの人、とにかく凄く速いんです。身のこなしからして違うっていうか……完全には目で追えませんでした。あんなの初めてで、正直すごいショックです……」
リーファのリアルは大会でも成績を残す剣道少女だ。リアルとALO両方で培われた彼女の実力は、上位プレイヤーの中でも上澄みに位置する。そんな彼女にここまで言わせるとは、《絶剣》の実力は相当なものなのだろう。
「スピード型かぁ……リーファちゃんでも追えないんじゃ、私も勝機無しかなぁ……ってそうよ──」
盲点だとでも言わんばかりに、アスナは暖炉の方へ目を向ける。
「動きのスピードって言えば、反則級の人がそこにいるじゃない。キリト君はどうなの?こういう話、絶対食いつくと思うけど」
アスナの言葉を受けた他3人は、意味ありげに顔を見合わせる。
「……実はもう戦ったんです、お兄ちゃん。それはもうカッコ良く負けました」
思わぬ返答に、アスナはポカンと口を開けて固まってしまう。キリトが負けたという事実は、そうなるに相応しい衝撃だった。
「……本気、だったのよね?」
「うーん……正直な所、わたし程度じゃあ、あのレベルの戦いはよく分かんないのよねぇ──まぁキリトは二刀流じゃなかったし、そういう意味じゃ全力とは言えないんだろうけど」
リズは語った──キリトが本当の意味で本気になるのは、ゲームがゲームではなくなった時、VRワールドがリアルになった時だけ……そういう時は往々にして、キリトを含む誰かの命が危険に晒される。だから、キリトが本当の本気で戦わなくてはならないような状況は、もう来ない方がいいのだ──と。それにはアスナも全面的に同意だった。
「でも、あたしの主観にはなっちゃいますけど……お兄ちゃん、真剣だったと思いますよ。少なくとも手を抜いていたようには見えませんでした」
「リーファがそう言うんなら、そうなんでしょうね──にしても、リーファでも動きが追えない、キリトも負けたと来ちゃあ、もうミツキくらいしか勝てないんじゃないの?」
「確かに、ミツキ君ならもしかしたら──…」
その名前が出た途端、アスナ達の表情が僅かに陰る。
「……どうしてんだろうね、アイツ──リーファは確か、年末に一緒にクエストやったんだっけ?」
アスナ達が年末のエクスキャリバー獲得クエストに挑戦した翌日、リーファはサクヤに誘われてミツキの
「──確かに、あの時の事を話せるような雰囲気でこそなかったですけど……そうでなければ普通に話してくれましたよ。そこまで酷く落ち込んでる様子は無かったです」
「そっか……元気にしてるなら良かったわ。学校で見かけたら声かけようと思ってたんだけど、全然捕まんなくてさ。そのまま冬休みに入っちゃったもんだから」
「……今年中には、前みたいに皆でワイワイ遊べる関係に戻れるといいですね」
「……うん。そうだね」
アスナはそう言って、雪の降る窓の外を静かに見上げるのだった。
時は遡り、同日の昼間──俺こと三島翠月はふらりと渋谷まで足を伸ばしていた。
特に何か用事があるわけではない。ただ……年末にALOで伝説級武器獲得クエストに挑戦する折、リーファと鉢合わせてからというものの、また同じように誰かと気まずい空気になるのではないかとログインする気が起きないのだ。またGGOにコンバートする事も考えたが、ALO側の所持品を預ける当てがない。エギルは勿論、キリト達が購入したという22層のあの家を使わせてもらうなど以ての外だ。
それならばと、こうして平日の真昼間から外出している次第である。
「(……来たはいいものの、何するかねぇ)」
女子ならこういう時、ウィンドウショッピングという択を取れるのだろうが……アリスがストッパーになってくれたあの時ならいざ知らず、今の俺では十中八九見るだけでは満足出来ないだろう。くれぐれもPCショップには立ち寄らないよう己に厳命する。
となると、他に時間を潰せそうなのは……
「……ん?」
ふと、横から騒がしいサウンドエフェクトと小さなどよめきが聞こえてくる。足を止めて見れば、大手ゲームセンターの入口に設置された街頭モニターに対戦ゲームの様子が中継されており、それを見ている観客達が感嘆の声を上げているようだった。
「ゲーセン……久しぶりに覗いてみるか」
最後に遊んだのは果たしていつだったか。何ということはないただの気まぐれで、俺は実に数年ぶりとなるゲームセンターの敷居を跨いだ。
UFOキャッチャーを始めとするメジャーなジャンルが設置された1階を一通り見て回った俺は、階段を上がって2階へ。そこには同じくUFOキャッチャーに混じってシューティングゲームやリズムゲームの台も設置されており、そこから更に上の階へ上がると……
「おぉ……懐かしいな」
薄らと煙草の臭いがする薄暗い3階には、所狭しとアーケードゲームの筐体が並べられている。ジャンルは様々だが、中でも格ゲーが多いようだ。
スパスパと煙草を吹かす喫煙エリアを避けつつ奥へ進むと、ある1つの台に小さな人集りが出来ていた。後ろから覗いてみると……昔から根強い人気を博する格ゲータイトルで今まさに対戦が行われているらしい。
俺がいる側の男性プレイヤーは機動力に定評のある金髪の女性キャラ。対する相手側は、筋骨隆々の如何にも格闘家といった風体の老人だった。確か重い一撃を駆使した攻めがウリのキャラだったか。
果敢に攻めていく男性プレイヤーだが、相手側はしっかり対応していた。コンボ始動の浮かせ技は牽制でキッチリ抑えられ、近距離の間合いを維持されるせいで得意のリーチを活かしきれていない。男性はまだキャラの練度が少し甘いのか始動技からコンボを繋げようと躍起になっており、どんどんHPを削られていく。最終的には派手な大技コンボを食らってK.O.……男性は敗北してしまった。
──おい、次お前やってみろよ。
──いや無理だって。あんな強いのと。
男性が席を立ったことで台が空席になるが、そこへ新しく腰を下ろす者はいない。どうやら先の相手はここ数戦を連勝しているらしく、他のプレイヤー達はすっかり戦う気を削がれてしまっているようだ。
少し考えた俺は近くの両替機で電子マネー1000円を小銭に変換。100円玉片手に例の台へ着席した。今ではすっかりネットゲーマーの俺だが、遡れば1番最初に触れたのは当時の叔母の趣味でもあった格ゲーなのだ。とは言えブランクは長いし、台の向こうにいる相手は俺の記憶にある叔母よりもずっと強い。ボロ負けする可能性が高いだろうが、今の自分の腕試し程度にやってみるのも一興だろう。
コインを投入し、店内対戦を選択。対面の相手もそれを了承し、キャラセレクトに入る。相手側は先と同じガタイのいい老人空手家。対する俺は、カウンターを得意とするイギリス人ボクサーを選択した。
深呼吸し、記憶の中からかつて叔母をボコボコにしたあの時の感覚を──アーケード筐体特有の手の動かし方を呼び起こす。
ローディングが終了し、いざ、戦いのゴングが鳴り響いた──!
まずは1ラウンド目──結果から言えば完敗だった。
格ゲー特有のフレームにまだ目が慣れず、牽制やカウンターが上手く決まらない。完全に相手の独壇場だった。
しかしラウンドを取られはしたものの、勘は大分取り戻してきた。という所で第2ラウンド──今度は開幕から上手くカウンターヒットが決まりリードを取り、反撃にヒヤリとさせられながらも発生の早い下段攻撃でK.O.……1/1に持ち込む。
続く第3、第4ラウンドを分け合い、最終第5ラウンド──ここまで来るとお互いどんなスタイルなのかは割れており、出方を読み合う慎重な戦いになるかと思いきや、この状況でも相手は果敢に攻めてきた。
開幕から強烈な一撃でダウンを貰い、続く小コンボで更にダウン。地面を転がって追撃の踏みつけを回避し、立ち上がりざまの一撃でラッシュを切る。それでもこの空手家の一撃は脅威で、あっという間にステージ端の壁際へ追い込まれてしまった。多段ヒットする上段蹴りを受けてまたもダウンするが……
「(──ここッ!)」
地面を転がって相手の背後に回った俺は、一転攻勢に出る──!
中段の強烈なパンチで怯ませてからのワンツー、アッパーとコンボを繋げる──先とは一転して壁際へ追い詰められた相手は、ボクサーの怒涛のラッシュを余すことなく叩き込まれた。
堪らず壁際から抜け出し、返しの1発で流れを切られてしまうが……今しがたの攻撃でお互いHPはほぼ互角。コンボを許してしまえば確殺圏内に入った以上、流石にあちらもガードを固めて慎重にならざるを得ない。
ジリジリと距離を詰め、隙を伺う──先に動いたのは向こうだった。
発生が早く、コンボ始動としても最強とされる最速のアッパー攻撃──上段攻撃として判定されるそれを、俺はボクサーの固有アクションであるしゃがみステップで潜り抜ける。そこからコンボを繋げようと試みるが、あの最速アッパーは技後の隙も小さく、すぐにしゃがみガードでダメージを抑えられてしまう──ここで俺はレバーを入れたまま素早く入力を行い、発生の早い3段技を繰り出した──!
しゃがみ状態では下段技しかガード出来ず、下段→中段へと素早く繋がるこのコンボで相手のHPは全損。3/2で辛勝を果たしたのだった。
「っふぅ……案外やれるもんだな」
止めていた息を一気に吐き出す。ギリギリではあったが、現役のプレイヤーと渡り合える程度の実力はまだ残っていたらしい。ゲームを始めたての頃、叔母に散々煽られしごかれながら必死こいて練習したコマンド入力は未だ身体に残っていたのだ。
とはいえ、VRMMOとは違う脳を使った──VRゲームも脳を使うゲームではあるのだが──ことで俺の頭は煙を上げており、連戦できる程の余裕はない。何か飲み物でも買おうと席を立った俺は、
「──ちょっと!」
そんな声と共に、肩を掴まれた。
振り返ってみれば、立っていたのはキャップにパーカーというラフな服装をした少女。
薄暗くて人相がハッキリしないが、年齢は……パッと見俺と同じくらいだろうか。キャップの後ろから出たポニーテールが目を引く。
「あー……何か、用か?」
「何その反応、たった今戦った相手の事も分からないわけ?」
「あ、あぁ……なる程」
どうやら、彼女があの台の向こう側で空手家を操っていたプレイヤーらしい。であるなら、さしずめ再戦のお誘いだろうか。まさか物理攻撃(リアル)でリベンジしてやる、なんて言い出しはしないだろうが。
「えっと、取り敢えず……ナイスファイト。強かったよ」
「負けた相手に言われるとなんか腹立つわね……あなたの方こそ強かったわよ。最後は完全に読み負けたわ」
「運が良かっただけだ」
「格ゲーに運要素なんてほぼ無いでしょ──まぁいいわ、休憩するなら付き合いなさい。缶ジュース1本くらいは奢ってあげるわ」
有無を言わさず、フロア隅の自販機まで連れてこられた。
「……ホンット悔しい。最後、ダッキングで最風を潜られるのまでは完璧に読めてたのに──あなた、新顔よね?私、そこそこ通ってるけど、今まで戦ったあのキャラの使い手じゃあなたが1番だったわ」
「そ、そりゃどうも……偶然立ち寄っただけで、遊んだのも気まぐれだったんだけどな」
少しだけ静けさを取り戻した自販機コーナーでは、彼女の声がよく聞こえる。そこでやっと気付いた──この女子にしては低くてよく通る声、どこかで聞いたような──
「──はい。好みとか分からなかったから、適当にオレンジジュースだけ…ど……」
2人分の飲み物を買った少女がこちらを振り向く。相変わらず薄暗い空間の中で、自販機の発する光が彼女のキャップの下を照らし出した。
「……ミト、か?」
「ミツキ……!?」
あの世界──SAOで俺やキリト、アスナを始めとする攻略組プレイヤー達をサポートしてくれた名職人、プレイヤーネーム《Mito》。まさかこんな所で再会することになろうとは。
お互いの正体が分かった途端、話は弾んだ。と言っても「SAOクリア以降はどうしていたのか」という話題が多くを占めることにはなるのだが。
「──私がSAOに囚われてた間に、親が携帯とかネットのアカウントも全部解約しちゃっててさ。今まで一度も連絡出来なくて、ごめん」
「そうだったのか……ミトも無事に戻ってこれたって事だけはこっちでも把握してたけど、皆心配してたよ。アスナは特に」
「そう、よね……」
「その様子じゃ、まだ連絡取ってないのか」
俺の言葉に、ミトはコクリと頷いた。
「第1層での事は、あの子とちゃんと話して踏ん切りも付いたけど……でもやっぱり、私があの子をSAOに引き込んじゃったのには変わりないし──親がさ、『私がSAOに閉じ込められたのは、悪い友達がいたからだ』なんて言い出しちゃったのを聞くと、余計にね……」
彼女とて、その気になればアスナの連絡先を調べることも出来たはずだ。しかし完全には消え切らないアスナへの負い目が、そうすることを躊躇させたのだろう。
「──VRMMO、もうやってないのか?」
「……うん。現実世界に戻って来てからは、VRデバイスには一度も触ってない。その代わりってわけじゃないけど、こうしてゲーセン通いを続けてる。……正直な所、また遊んでみたいって気持ちは一応あるんだけどね」
「……まぁ、怖いよな。またあんな事になるんじゃないかってのもあるし……他にも色々」
「うん…──そういうあなたは、今でも仮想世界にどっぷりみたいね。GGO最強プレイヤーさん?」
「……知ってたのか」
「ゲーマーやってれば、情報だけなら嫌でも入ってくるわよ。今はGGOやってるの?」
「いや、普段は……一応、ALO。GGOにはちょっと事情があってコンバートしてただけだ」
「ちょっと事情があって大会優勝なんてされちゃ、堪ったもんじゃないわね──ALOか……確か妖精のやつだっけ。去年の春頃にアインクラッドが実装されたって聞いたけど」
「ああ。今じゃ皆で新生アインクラッド攻略の真っ最中だ。最近、22層が開通してな。キリトとアスナがSAOで暮らしてたあの家、もう一度買ったんだ」
「へぇ、さぞ喜んでたでしょうね」
「ああ。本当に……」
暫しの沈黙。逡巡の末、ミトは遠慮がちに口を開いた。
「……聞いちゃいけない事なのかもしれないけど──アリス、どうしたの?」
「……どうした、って?」
「気付かないとでも思った?あなた、ここまで一度もあの子の名前を出してない。あんなに仲の良かったあなた達がそんな簡単に別れるとも思えない──何か、あったの?」
胸が締め付けられるような葛藤が俺を襲う。ミトはアリスとも仲が良かった。そんな彼女が行方不明という事は、再会して初めて伝えるには重過ぎる事実だ。
「……まぁ、無理に言わなくてもいいわ。その内、また顔を合わせる機会もあるでしょうし」
「……気を遣わせて、悪いな」
「いいわよ別に──代わりに、私からもお願い。私と会ったって事は、アスナには言わないで。……次あの子と会って話す時は、ちゃんと気持ちに整理をつけてからにしたいから」
「……分かった。──それはそれとして、一応連絡先は教えてくれ。何かあった時、連絡は取れた方がいいだろ」
「いいけど……何かってなに?」
「別に深い意味は無い。単に利便性の話だ。約束通り、アスナ達に教える事はしないから安心してくれ」
去年の春に起きたALO事件や、ほんの数週間前の《死銃》事件──《SAO生還者》は何かと騒動に巻き込まれる傾向がある。いずれも舞台となっているのは仮想世界であり、彼女は当分そこに近づく事は無さそうだが……後者の事件の事を考えると、現実世界だからといって安全という訳でもない。何事も備えあれば、だ。
連絡先を交換した携帯の画面に、お互いの本名が表示される。
「そう言えば、まだ名乗ってなかったわね──
「
今更ながら本名で名乗りあった俺達は、握手を交わす。
「ちょっと、本名教えたんだからそっちで呼びなさいよ。ネットリテラシー」
「あぁ、はい……じゃあ、兎沢」
「……なんか急に距離感じるんだけど」
「そうか?苗字呼びなんて学校でも珍しくないだろ」
「別に苗字で呼び合うほど赤の他人でもないでしょ。それに私の場合、あなたを苗字で呼ぶ方が違和感凄いの」
「はぁ……?」
ミト改め深澄は「ん」と手近な壁を指差す。先程俺達が対戦した格闘ゲームの広告ポスターが貼られたそこには、丁度深澄の使っていた空手家のキャラが描かれており……
「……あぁ、なる程」
そのキャラクターの苗字は、何の因果か俺と同じ「ミシマ」なのだ。ご丁寧に字まで一緒である。
苗字呼びだとそのキャラとごっちゃになるから、彼女は俺を名前で呼びたい。対する俺だけ苗字呼びだと気持ち悪いので、俺も彼女を名前で呼べ、ということなのだろう。
理屈はまぁ理解したが、それはそれ。直葉のような歳下を「ちゃん・君」付けで呼ぶならいざ知らず、同年代以上の女子を本名──それも下の名前で呼び捨てるのは簡単なように見えて中々な高難易度ミッションだ。
何せ一部例外を除けば、俺が仮想世界で知り合った相手の事を、現実世界で、しかも本名で、名前で呼び捨てるのは彼女が初だったりするのだから。
いっそアスナ同様キャラネーム=本名であったなら楽な事この上なかったのだが。彼女のネットリテラシーの高さを今ばかりは恨みたい。
「……まさかあなた、キリト達の事現実世界でもキャラネームで呼んでるの?」
……ギクリ。という音が筒抜けであるかのように、深澄は呆れた顔をする。
「しっかりしなさいよ、アスナじゃないんだから……っていうか、あの子も大丈夫よね?SAOでの2年間で、ちゃんと学んでるわよね……?」
「あー……まぁ少なくとも、話に聞く『仮想世界の中で本名を大声で叫ぶ』みたいな事はもうしないだろ」
「そんな初歩の初歩で安心しろっていうのも無理な話よ…──まぁいいわ、とにかく私のことはちゃんと本名の名前で呼ぶこと、いい?」
「……分かったよ、ミt──み、深澄」
「よく出来ました、翠月。……なんかこの名前、格ゲーのキャラにいそうね」
「本当にいたら怖いから探すなよ……?変なニックネームを付けられても困る」
脱力感に見舞われガクリと壁にもたれる俺を見て、深澄は面白そうに笑った。
マザーズ・ロザリオ編始動です。
以前のアンケートにあった「ミツキの伝説武器獲得クエ」は、描かれてないけどこういう事があったよー程度に思っていただければオーケーです。
実はミツキがゲームを始めたきっかけは叔母である佳苗さんに勧められたからなんですね。
部屋には中々に使い込まれた彼女譲りのアケコンが飾ってあり、生まれつき良かったミツキの動体視力は格ゲーで更に磨かれていったわけです。
趣味程度とはいえ、全盛期の佳苗さんはゲーセンでブイブイ言わせるくらいの実力があったんですが、ゲームセンスの塊だったミツキがどんどん成長していき実力差が逆転。仕事も忙しくなってきた今では事実上引退となってます。
そしてそして、実に47話振りの登場となりましたミトとの再会。
これ自体は結構前から考えていた事だったんですが、まさか某格ゲーで対戦することになるとは…
(因みにその「某格ゲー」のキャラとミツキの苗字が字まで同じなのは全く以て偶然でした)