ソウル・トランスレーター
──待て、ダメだ!
──えっ……?
これは……夢か?
どこか朧げな視界には、自分とそう背丈の変わらない3人の子供。ぼんやりと聞こえる声は、あどけなくも聞き覚えがあるような、無いような……
ともかく、俺は前にいる1人の少女を引き止めようと慌てて手を伸ばす。寸での所で肩を掴み、後ろに押しやったが……その反動で、俺は派手に転んでしまった。
──ッてて……
──ミツキッ!
──馬鹿、来るなッ!
この日、俺と彼女は禁忌を犯した。この世界に於いて何人も破ることを許されない絶対の法を、破ってしまったのだ。
──キリト、ユージオ、お前達はアリスを連れて村を出ろ。とにかく逃げ続けるんだ。
──で、でもミツキは……!?
──まぁ、なんとかやってみるさ。整合騎士も、もしかしたら話せば分かってくれるかもだしな。
──…だったら、俺も残る!ユージオ、アリスの事頼んだぜ!
しかし……幼い子供の稚拙な計画など、所詮吹けば飛ぶような儚いものでしかなかった。
──騎士様!違うんだ、禁忌を破ったのは俺だけなんだッ!彼女は……!
──如何なる理由があろうと、罪は等しく罰せられるべきものだ。何一つとして例外は無い。
──たったあれだけの事が、罪だなんて……ッ!
必死の訴えも虚しく、騎士の駆る飛龍に繋がれた鎖が俺と少女を縛り付ける。友である黒髪の少年は、斧を振りかざしてでも止めようとしてくれたが、騎士はそれを
──…ごめん。俺、何も……ッ
──…謝らないで。私の方こそ、ごめんなさい。元はといえば私のせいだもの……
飛龍が飛び立ち、地面が、そこに立つ人々の姿が遠ざかっていく。
その最前で、悔しげに顔を歪めながら、或いは茫然自失とこちらを見上げる2人の少年達の姿……そして、隣にいる美しい金髪の少女の浮かべる悲しげな笑顔を最後に、この夢は終わった。
「──あんた、また痩せた?」
6月も下旬に差し掛かり、梅雨も過ぎ去ろうとしている頃。
ダイシーカフェのテーブルを挟んで座るシノンに、開口一番そんなことを言われた。
「あー……まぁ、体重落ちたのは事実だけど……そんな目に見えて分かる程か?」
「ん……そう言われると少し自信無くなってくるわね」
そう言って立ち上がったシノンは俺の後ろに回ると、腰の辺りに手を伸ばしてくる。
「お、おいシノンさん……?くすぐったいんですが」
確かめるようにペタペタと俺の腰周りを触ったシノンは、
「やっぱり痩せてるわよ。前にバイク乗せてもらった時より、少し細い」
「や、何でそれで分かるんだよ……まさか、後ろに乗せる度そうやって測定してたのか……?」
「そ、そんなわけ無いでしょ!私を何だと思ってるのよ!──それはそうと、ちゃんとご飯食べてるんでしょうね?」
「暫くは標準だったんだけどな……ここ数日で一気に落ちた」
「……何してたのよ」
「菊岡からのバイト。3日間飲まず食わずで寝たきりだった」
「はぁ?何よそれ。また《死銃》の時みたいな危ない事じゃないでしょうね」
「そこは心配ないよ。と、そう言えば──あれからどうだ?シュピーゲルは」
丁度名前の挙がった《死銃》──その片割れだった《シュピーゲル》こと新川恭二は、菊岡が話していた通り、兄共々医療少年院に入った。シノンはあれから定期的に面会に訪れているものの、当の本人が中々応じてくれない状態が続いていたそうなのだが……
「聞いた所じゃ、最近は少しずつカウンセラーの先生の質問に応えてくれるようになったそうよ──多分、GGOの接続料未払で《シュピーゲル》のアカウントが消えたのが大きいんだと思う。近い内にまた行ってみるつもり」
彼は首謀者でこそあったものの、一面では家庭環境に起因する被害者でもある。何より、ギリギリの所で一線を越えずに済んだ。自分の罪と向き合い、考え、進むべき道が見つかることを祈るばかりだ。
「──んで、肝心の用件ってのは?」
「ちょっと待って、2人がもうすぐ着くみたいだから」
「2人……ああ、なる程」
得心のいった顔でコーヒーを一口啜ると、店のドアベルがカラン、と音を立てる。
「いらっしゃい」
「おう」
「こんばんは、エギルさん」
入店してきたのはキリトとアスナ。まだ外では雨が降っているらしく、既に2本の傘が入った入口脇の酒樽に新たに2本が追加される。
「ごめんねシノのん。遅くなって」
「ううん、気にしないで」
気安い言葉を交わしながら笑みを浮かべる2人。
「……お前ら、そんな仲良かったか?」
「お前もそう思うか、ミツキ……そうなんだよ、年明け頃から急にあだ名で呼び始めてさ」
「何よキリト、妬いてるの?──心配しなくてもアスナを取ったりしないわよ」
「や、妬いてないわッ!」
「……シノン、改めて用件ってのは?」
明らかに遊ばれているキリトを見かねて助け舟を出す。シノンも変に引っ張ることはせず、アスナとキリトを交えた4人で本題に入った。
「──こないだ、GGOで第4回BoBが開催されたでしょ?」
「うん、皆してALOで中継見てたよ。キリト君とミツキ君なんか試合にも出てないのにすっごい緊張ぶりだったんだから」
「余計な事まで言わんで宜しい──遅くなったけど、準優勝おめでとう」
「あ、ありがと……まぁ、素直に喜べないのが正直な所だけどね」
シノンがそんな感想を抱くのも無理はない。本来、広大なマップ内での遭遇戦となるBoB本戦で準優勝ともなれば紛う事なき好成績なのだが、最後の最後──残った2人の片割れであるシノンは、もう一方のプレイヤーになす術なくキルされてしまったのだ。その相手というのが……
「確か、日本の第1回大会をナイフとハンドガンだけで優勝した外国人プレイヤーだっけか。それを受けて、第2回からは国外からのログインが遮断されるようになったって聞いたけど」
「ええ。どうにかしてブロックを掻い潜ったのか、運営にコネでもあるのか……最初は名前を騙った偽物だ、なんて意見もあったんだけどね。あんな戦い見せられちゃ、嫌でも信じるしかないわよ──思った以上に手強かったわ、伝説の《サトライザー》は」
先述の通り、その《サトライザー》氏は第1回大会をデフォルト同然の装備で優勝してみせたわけなのだが、何と今回は完全な丸腰。銃は愚かナイフの1本も持たずに出場し、《
一見、国外には凄まじいプレイヤーがいるものだと賞賛すべき事で、事実その通りではあるのだが……実際ゲームをプレイしている側──特にベテラン達からすれば、憤懣やるかたない者が多数ではなかろうか。
あの世界での戦いに長じている者ほど、サトライザーと自分達の間にある圧倒的な差の源が何なのか、ハッキリ理解しているはずだ──即ち、日常的に銃に触れられるか否か。
サトライザーがアメリカ人だと仮定しよう。日本に於いて、拳銃やナイフを許可なく持ち歩くのは法律違反とされているが、アメリカでは違う。あちらは日本と真逆の銃社会、一家に一丁、護身用の銃が置かれている国だ。当然、それに伴う諸々の事件も多くはあるものの、裏を返せば銃の扱い及び、身を守る為の術が自ずと身に付く国でもある。仮想世界が舞台になったとて、あちらからすれば銃で撃ち合うことなど極論日常の延長でしかないのだ。
2度に渡る大会でのサトライザーのスタイルは、言外にその差を見せつけているようにも感じられる。「お前達のやってる事など自分達からすればお遊びだ」と言ってるも同然──ゲーマー界隈に於いてやってはいけない事の1つである「舐めプ」と言われても仕方のない行為だ。
「アイツにやられたプレイヤーの多くは、まるで予知でもしてたみたいに先回りされて抵抗の暇もなく瞬殺されてる──ベテランになればなる程、自分のビルドや武器から最適且つ合理的な行動を取ろうとするから、それを読まれたんだろう、って《闇風》は言ってた。……そこで、よ」
シノンはピッ、と俺とキリトに指先を突きつけてくる。
「合理やセオリーから外れたおバカな行動を取るような奴が相手なら、サトライザーの裏を掻けるんじゃないかって考えたの。それで──『だったら適任がいるじゃない』って訳」
「……それ、褒めてるんだよな?」
「勿論──長くなったけど本題。キリト、ミツキ。次の第5回BoB、私と一緒に出なさい。協力してサトライザーを倒すわよ」
1つ前のセリフの段階で予想できたシノンの言葉に、俺もキリトも煮え切らない表情を浮かべる。
「……2人共どうしたの?てっきりすごいやる気出すと思ってたのに」
「いや、だってさぁ……サトライザーって接近戦めちゃくちゃ強いんだろ?俺達でも敵うかどうか……」
「それに、シノンや闇風が言ってた行動予測……単にゲームが上手いから、じゃ説明出来ない部分だってあるだろ。確かにベテランは戦闘スタイルが固まってるけど、それ一辺倒で勝てる程GGOは甘くない。その上で好成績を残してるからベテランなわけだし」
「……まぁ確かに、私みたいなスナイパーだって色々試行錯誤しながら戦ってるけど」
「うん。その場の状況、残ってる相手、場合によっちゃ相手の心理とかも材料としてアレコレ考えて動くわけだ。で、サトライザーはそれら全部をひっくるめた上で参加者全員の行動を完璧に予測して圧倒した──ただのいちゲーマーにそこまでの真似が出来るとは思えない。所謂『本職』の可能性が高いと見るべきだろ」
「本職……?」
揃って小首を傾げるシノンとアスナに、キリトが説明する。
「あまり表立って言われてこそないけど、VRMMOを戦闘訓練に転用できないかって話があるんだ。特にGGOなんかはかなりリアル寄りだし、実弾銃は全部実在するわけだからな。リアルじゃ弾代やら消耗品やらで諸々金が掛かるけど、仮想世界じゃそんなの気にしなくていいし、実際に怪我するわけじゃないからより実戦に近い訓練が出来るだろうな」
「……じゃあ、サトライザーの正体は軍人って事……?」
「断定は出来ないが、全然ありえる線だと思う──まぁ、だから何だって話ではあるけどな」
いくら現実でのスキルが優れていようと仮想世界に飛び込めばその瞬間、肉体のスペックは数値的ステータスに支配される。ALOのようなドのつくスキル制特化ならまだしも、レベル制であるGGOでは時間をかけてアバターを育てなくてはいけない以上、リアルとゲーム内とで多少なりとも身体能力に差が生じる。付け入る隙は必ずあるはずだ。
「何はともあれ、取り敢えずBoBの件は了解した。リハビリも兼ねてその内またコンバートするよ」
「GGOかぁ……私もやってみようかな」
「えっ……!?」
キリトは、とんでもないことを言い出した、というような顔でアスナを見る。
「アスナなら結構いい線行くと思うわよ。っていうか、元々アスナも誘うつもりで呼んだんだしね。勿論、コンバートの手間もあるから無理にとは言わないけど」
「私はサブアカあるから、アイテム類とか家は全部そっちで保管できるよ」
「そう、なら良かった──正直、私1人でこのバカ2人の手綱を握れる気がしないのよね」
「任せて。戦力としてもブレーキ役としても、しっかり働くから!」
「協力するのはまぁ良いとして……次の大会、そのサトライザーがいなかったらどうするんだよ」
「その時は正々堂々、第3回の時の約束を果たしてもらうわよ。……まさか、忘れたなんて言わないわよね?」
圧を滲ませたシノンの笑みに、俺もキリトも揃って両手を挙げる。今度こそ頭を吹っ飛ばされるかもしれない。
「それはそうと──キリト君、また痩せたんじゃない?ミツキ君も心做しか細っそりしてる気がする」
「やっぱりアスナもそう思う?──ちょうどいいわ、本題は済んだことだし、さっき言ってたバイトとやらについて聞かせなさいよ」
「聞かせろ、と言われてもな……」
「……まさか本当に、周りに言えないようなバイトじゃないでしょうね」
「違う違う!」
シノンに詰められる俺を他所に、アスナはバッグから携帯を取り出して画面をチェックする。
「うーん……見た感じ、特に身体に異常とかは無いみたいだけど……」
「……アスナ、何見てるの?」
アスナがシノンに見せた画面では、《Kirigaya Kazuto》の名前と共にハート型のインジケータが一定のリズムで拡縮を続けており、その下には何かの値を示す数字が2つ並んでいた。
「……コレもしかして、キリトの……!?」
「当たり。先方に勧められてな、俺とキリトの胸の辺りに超小型センサーがインプラントされてる。最初は、ダイブの度に電極貼っつけるのが面倒だろう、って事だったんだが……」
「その事をアスナに話したら、バイタルデータの提供を強く要求されまして……仕方なく自分でアプリ組んで、俺の脈拍と体温がネット経由でアスナの端末にリアルタイムで送られるようにしたんだ」
「な、なる程……でも何でそんな──あ、もしかして浮気防止とか?」
「ち、違うわよ!?だってほら、キリト君の体のデータを知らない誰かに独占されてるみたいでなんか嫌じゃない。それに──なんだかこの画面を見てると和むのよねぇ……キリト君の心臓が今も元気に動いてるって思うと、ちょこっとトリップしちゃうっていうか……」
「そ、そう……そのインプラントってやつ、ミツキにも入ってるのよね?そっちもモニタリングしてるの?」
「それも考えたんだけどねー。ミツキ君が絶対やだ、って」
「常時監視されてるみたいで落ち着かないし……ほら、キリトに嫉妬されても困るだろ」
「するかッ!」
「あ、だったらシノのんは?アプリならこっちで渡せるし──」
「オーケー、話を戻すぞ──えっと、バイトの内容に関してだったな。俺達がここ最近テストしてたのは、VRMMOみたいなゲームアプリじゃない。新型フルダイブシステムの
俺やキリトも実際耳にするまで知らなかった企業名に、女子2人は首を傾げる。《歩く百科事典》と名高い我らがアスナさんが、「不思議の国のアリス」に出てくる空想上の生き物に同じ名前のものがいると教えてくれた。
「新型マシン……って事は、アミュスフィアの後継機って事?」
「いや、どうだろうな……」
眉をひそめて言葉を濁すキリト。
「あくまで俺やキリトの所感だけど……アレはアミュスフィアの後継機というより、ナーヴギアの発展系と言った方がしっくり来る。立ち位置的にはメディキュボイドと同じだ」
「じゃあ、一般向けに開発したものじゃないって事……?メディキュボイドはもう量産体制に入ったって聞いたし、医療用じゃない、んだよね?」
「だろうな。メディキュボイドと同じくベッド一体型で、諸々の周辺機器を合わせればこの店の半分以上を占めそうな大規模マシンだ。間違いなく一般家庭に置けるような代物じゃない。何か……フルダイブ技術に対する、今までとは違ったアプローチを掛ける為のものなんだと思う」
「……実際使ってみて、どうだったの?仮想空間にダイブするっていう根本は同じなわけでしょ?何か変わった所とかは?」
シノンの問いかけに、今度はキリトだけではなく俺まで押し黙る。回答を口にしたのはキリトだった。
「……知らないんだ。何も」
「ああ。機密保持の為なんだろうが、内部での記憶は外に持ち出せないんだ。俺もキリトも、ダイブ中に向こうで何を見て、何をしたのか殆ど覚えていない」
「ちょっと、本当に大丈夫なのそれ!?まさかオーグマーの時みたいに……ッ」
フルダイブデバイスによる記憶の欠落──オーグマーによって引き起こされたO.S事件は記憶に新しく、あのままでは最悪死者が出ていた事を考えれば、シノンやアスナが慌てるのも無理はない。
「いや違う、オーグマーみたいに脳に負荷をかけて、って事はしてない。そうだな……記憶を引っこ抜くんじゃなくて、隔離するって言えばいいか。記憶情報っていう大量のファイルの中から、特定のものにロックをかけて中身を閲覧できないようにした、みたいな」
要するに記憶を失ったわけではなく、単に思い出せなくなっただけ。という旨を伝えると、2人はホッと胸をなで下ろした。
「……でも、そんな事まで出来るなんて。これまでのフルダイブマシンとは殆ど別物みたいね」
「んー……一から説明すると長くなるが、2人共時間は?」
アスナもシノンも首肯を返す。それを受け、俺は残り少なくなったコーヒーを一気に飲み干す。
「オーケー。じゃあ知ってる範囲で解説しよう。例の新型マシン《
──人間の「心」とはどこにあるか?この哲学的な質問に対し、歴史は2つの答えを示した。
1つ目は、古来よりヒトの命そのものとされていた心臓──即ち胸の中にある、という答え。
そして2つ目、医療の発達と共に存在が紐解かれている頭の中──即ち脳にある、という答え。
現代では専ら後者が有力視されているが、では脳のどこに心があるのだろう?
脳とは即ち、多くの脳細胞の集合体だ。では、その脳細胞のどこが心なのだろうか?
脳を含め、人体を構成する細胞には細胞骨格がある。《
では、その管の中には何があるのか?という疑問に、ラースは1つの答えを出した。
《量子脳力学》というキワモノ理論に照らし合わせ、チューブの中には「光」──即ち光子が封じ込められている。光子とは即ち量子のことであり、量子というものは存在自体が非確定的である。
かの有名な「シュレディンガーの猫」を例にすると、箱の中に隠された猫は量子力学の観点から見れば、箱を開けて観測されることで初めて生死が確定する。裏を返せば、実際に観測されるまでは両方の確率が共存している「生きていると同時に死んでもいる」という何とも奇妙な状態になるのだ。この状態に関し納得のいく説明が出来なかった事で、コペンハーゲン解釈は否定される事となった。
話を戻して──そんな、常に確率の中を行き来して不確定な量子の「揺らぎ」こそが人の心なのだ。と、ラースはそう定義し、STLを開発するに至ったのだ。
ナノチューブの中を駆け巡る光、人の心かもしれないそれらを何百、何億個と繋ぎ合わせた集合体──「魂」とも呼べるモノを、ラースは独自にこう名付けた。
《
「──えっと……じゃあそのフラクトライトを読み解く為の機械がSTLって事だよね?この表現が適切か分かんないけど……人間の脳の、より深い部分にアクセス出来るマシン」
「ん、大体合ってる──と思う」
ここまで長々と説明していた俺自身、正直理解が及んでいない。
量子力学云々以前に、あまりにも突拍子がないというか……もしこの理論が本当だとすると、頭の中にある「ナニか」が自分の全ての決定権を握っている──分かりやすく言えば、某名作ロボット漫画のように「本当の自分」とでも呼ぶべきパイロットが頭の中にいて、そいつがアレやコレや考えて操作した結果、俺達の肉体が動いている……俺達が自分で考えたつもりでいるあらゆる思考・言動は本当に自分のものなのか、頭の中にいる「ソレ」は本当に自分なのかと、そんな事まで考えてしまいそうになる。
「でもそれって……逆も可能って事なんじゃ……?」
「逆……?」
アスナの言葉にシノンが疑問符を浮かべる。
「アミュスフィア──現行のフルダイブマシンは、脳から発せられる信号をリアルの肉体からアバターへ誘導するだけじゃなくて、音とか味みたいな五感情報を送り込むことで仮想世界を体感させてるでしょ?さっき言ってた、人間の魂──フラクトライトにアクセス出来るSTLで同じ事をしたら……」
「魂を……記憶や感情を、自由に書き換えられる……?」
本能的な緊張か、シノンは自らの腕を摩る。
「理論上は可能だろうけど……さっきも言ったろ、記憶を消されたんじゃなくて、遮断された、って。一定期間内の記憶にロックを掛けるのが精一杯で、アスナ達が思ってるように人の記憶を好きに改竄したりする事は現状出来ないんだそうだ。でも──」
俺はテーブルの上にあるコーヒーカップの淵を指先でなぞる。
「アスナの言葉はいい着眼点だ。ご推察の通り、STLもアミュスフィアやナーヴギアと同じように、脳へ情報を送り込むことが出来る。《ニーモニック・ビジュアルデータ》と言うらしいが──重要なのはこの場合、脳というかフラクトライト──魂から読み取った情報を、そのまま直接魂に書き込んでるって点だ」
「……何か違いがあるの?フラクトライトがあるっていうのも脳なんでしょ?」
「……ラースでのバイトを始めたばかりの頃、ごく初期のテストダイブ時の記憶は残ってるんだが……正直、俺もキリトも困惑したよ」
「ああ……ダイブしたのは何てことないただの狭い部屋だったんだけど──俺もミツキも、一瞬そこが仮想世界だと分からなかったんだ。呼吸の感じとか、オブジェクトを触った時の感触、何から何まで、現実のそれと全く変わらなかった」
《ニーモニック・ビジュアル》は、STLを使用した人間の魂の中から様々な情報を読み取り、それをフラクトライトへ送り込んでいる。例えば、アスナとシノンがアミュスフィアを用いた通常の仮想空間で誰かと握手をしたとて、感じられるのは「誰かの手を握っている感覚」や「それっぽい温度」のみだが、STLを介して同じ事をした場合、得られる情報は圧倒的に増える。
とてもリアルな皮膚感覚は勿論、その人特有の手の柔らかさ、骨の形、変化する温度とそれに伴う発汗──そういった情報を、読み解いた2人の記憶から呼び出しているのだ。
「聞けば聞くほどすごい技術だけど……本当に大丈夫なの?そのバイトの話を持ちかけてきたのって菊岡さんなんでしょ?私、あの人の事を全面的に信用出来ないっていうか……」
アスナの言葉にシノンも頷いて同意を示す。ここにいる全員、大なり小なり菊岡の世話になった経験こそあれど、あの男からにじみ出る胡散臭さは消えるどころか濃くなる一方にすら思える。
「俺、思うんだ──フルダイブ技術は、一体どこへ向かうんだろうって。STLには、フルダイブ技術の未来を左右するような何かがきっとある。それを見てみたいんだ。それに……」
キリトの視線がチラリと俺へ向き、アスナとシノンもそれに倣う。
「……まぁ、俺はキリト程仮想世界の展望に注目してるつもりはない。けど……あのマシンのことが気になってるのは事実だ。何て言うか──呼ばれてるような気がするんだよ」
「呼ばれてるって……」
「もしかして、アリス……?」
「そうかもしれないし、見知らぬ誰かかもしれない。何なら全部俺の思い込みって事もある。それでも……STLには何かがある、って感想はキリトと同じだ」
「まぁ、何だ──フラクトライトとか専門用語を並べると難しく聞こえるけど、STLの作る世界を分かりやすく言えば、滅茶苦茶リアルな夢なんだよ」
「リアル、っていうのは分かったけど、夢……?」
「ほら、人間は寝てると夢を見る時があるだろ?その夢の中で何時間、下手すりゃ何日ってレベルの大冒険やら何やらを繰り広げたつもりでも、いざ目が覚めてみたら大した時間は経ってなかったって経験、無いか?」
どうやら覚えがあるらしく、2人の表情に納得の色が浮かぶ。
「ラースは研究の結果、人間の意識の中心部に《思考クロック制御信号》みたいなものが流れてると考えた──」
この「クロック」というのは、電子工学に於ける1秒間に行える計算回数のことだ。「何ギガヘルツ」というような単位を聞いたことがあるだろう。
PCの部品──CPUなどにはよくこのクロックのマックス値が記載されているが、実を言うと、常にそのフルスペックを発揮しているわけではない。「オーバークロック」という言葉があるように、処理する情報量が一気に増えると、持てるスペックをフル活用──その気になればスペック以上のクロック値を発揮して対処する。その結果、1秒間に何千何万という膨大な回数の演算処理を行えるというわけだ。
そして──「人間の脳は超高性能CPU」とされているように、フラクトライトにも同じ機能があるとラースは考えたのだ。
「STLはそいつを再現出来る──俺達が実際にダイブしている時間の数倍っていう長い時を、仮想世界の中で体感出来るんだ。STL最大の目玉機能《
「つまり……
「あー…そうだな、そういう事になるか。ナーヴギアやアミュスフィアでは、脳のオーバークロックについて行けなかったんだろう。だから揺り戻しで頭が痛くなったり、動けなくなったりしてた訳だ。けどSTLのスペックならそれをしっかり受け止める事が出来る──あ、一応言っとくが、別にダイブ中周りがゆっくりに感じてたわけじゃないからな。要は、ダイブ中の通常クロック値を引き上げるって事だ」
「あなたさっき、3日間飲まず食わずでダイブしてたって言ったわよね?STLの中と外で時間の流れが違うなら、一体向こうでどれだけ過ごしたの?」
「そのへんも分からない。加速の倍率とか、とにかくSTL技術に関する事はなんでも秘密秘密ってさ。何の為に作ったのかすら分からないもんだから、テストのし甲斐も無いよなってキリトと話した」
「2人して食い下がりまくった結果、どうにか内部世界のコードネームだけ教えてもらったんだ」
「どんなの?」
「《アンダーワールド》──だそうだ」
直訳するなら地底の国、というような意味になるが……ここで、シノンが何やら考え込むアスナに気づく。
「どうしたの、アスナ?」
「うん……その《アンダーワールド》って名前が、ちょっとね──さっきも《不思議の国のアリス》の話をしたでしょ?あのお話、最初の私家版では《地下の国のアリス》って名前だったのよ。原題は確か……《アリスズ・アドベンチャー・アンダーグラウンド》」
「ここでもまたアリス、か……」
「偶然だろうとは思うけど……でも、なんだか勘繰っちゃうよね。菊岡さんが関わってて、ミツキ君をテスターに選んだって事を考えると、余計に」
「まぁ、もしアリスに関わる事なら、また向こうからコンタクトしてくる……と思う。あそこまで情報管理を徹底されちゃ、もう俺達からSTLに触れる道筋だって残ってないだろうしな。癪だけど、そこは菊岡を信用するしかない」
話がひと段落着いた所で、時計を見ればもう6時。いい時間なのでこの場はお開きとする。
キリトとミツキが支払いを済ませている間、シノンはアスナに小声で囁く。
「アスナ……さっき言ってた、心拍測定アプリのことだけど……後で、詳しく聞かせて」
「あ、うん。いいよー。やっぱり気になっちゃうよね」
殆ど即答で返ってきたアスナの言葉に、シノンは少々面食らう。
「あのさ、私がこんな事言うのも変だと思うけど──いいの?」
「何が?」
「だって、ほら──アスナはSAOの頃からずっと、ミツキとアリスさんの仲を見てきた訳じゃない?傍から見れば私はその……」
口ごもるシノンの言いたい事を察したアスナは、柔らかい笑みを浮かべる。
「こう言うと、すっごい無責任に聞こえるかもだけど──私は、誰にでもチャンスはあるべきだと思うの。最終的に想いが実らなかったとしても、やるだけの事をちゃんとやりきって欲しいって言うか……うーん、いざ言葉にしようとすると難しいなぁ」
アスナは続ける。
自分だけではない、リズやシリカ、直葉もキリトへ想いを寄せていることはちゃんと理解しているし、彼女らが多少なりとも自分に気を遣ってくれていることも分かっている。だがそれに胡座をかくつもりもなければ、キリトに近づく異性を排除しようとも思わない。リズもシリカも直葉も大事な友達だし、アスナ自身、彼女らと一緒にいて楽しいと思っている。故にこそ、自分だけが特別であるなどとは考えたくない。少なくともキリトが結論を出すその時までは、彼女らとは友達であると同時に対等な恋のライバルでありたいと思っているのだ──本音の本音を言えば、とっとと結論を出して欲しい、とも思うのだが。
もし、仮に、自分ではない誰かがキリトと結ばれる事になったとして。その相手が彼女達──或いはこの先友達になるまだ見ぬ誰かであるなら、悔しく感じながらも最後には祝福できるような気がする。……勿論、そうならないよう日々精進を続ける所存である。
「──きっと、アリスも同じ事言うと思うの。ライバルが出てきたら、排除するどころか『臨むところです、かかってきなさい』とか言いそう。だから、シノのんも変に気を遣わなくていいんだよ。というか……ぶっちゃけ、私目線から見てもアリスはかなりの強敵だから、来るべき時に備えて今の内に装備を整えといた方がいいと思うな……もしかしたら、ミツキ君を賭けてデュエルとか申し込まれるかも」
「あー……確かに、ありえるのかしらね」
以前、ミツキから聞かされたアリスの為人を思い出す。今時珍しい騎士道精神の体現者とでも言うべき気高い性格の彼女であれば、剣で決着を付けようと言い出しても何ら違和感が無い。
これではまるで恋のライバルというより、息子の結婚相手を見定める姑のようだ──とそんな事を考えていると、会計を済ませた2人が店を出て来た。
「お待たせ──それじゃ、俺はアスナを送ってくよ」
「ああ。くれぐれも気をつけて帰れよ」
キリトとアスナが駅へ向かっていくのを見送り、ミツキはシノン共々歩き出す。
「あなた、今日はバイクじゃないんでしょ?何か用事でもあるの?」
「俺が女の子を送ってくのがそんなに変か?」
さらりと返ってきた言葉にドキリとしたシノンは、プイとそっぽを向く。
「ア、アンダーワールドで何日分か余計に生活したからって大人にでもなったつもり?調子に乗り過ぎじゃないの。大体、ウチは送ってもらう程遠くじゃないし……」
「まぁそう言うなって──」
急に肩を抱き寄せられ、2人の距離が急接近。そのままシノンの家路とは別の方向へ足を向ける。
「なッ、何よ急に……!?それにこっちは──」
「いやさ、最近いいトコ見つけたんだ。ほら、この店なんだけど……」
普段のミツキらしからぬ突然の行動に軽いパニックに陥りそうなシノンの視界に、パッと光が点った。
「えっ───」
差し出されたのは、ミツキの携帯の画面。少し輝度が落とされたその画面はメモアプリが起動されており──
《進路変更、尾けられてる》
その短文を目にした瞬間、シノンの中でカチッとスイッチが入る。一介の女子高生である《朝田詩乃》から、GGO最強のスナイパー《シノン》へと。
慌てて周囲を見回すような愚は犯さない。さり気なく、曲がり角に設置されたカーブミラーで背後を確認すると……確かに、一定の距離を保ちながら後を尾けてくる人影が見えた。
「……私、そういうお店あまり好きじゃない。もっとこういう所にしてよ」
話し声で気取られる可能性を考慮し、適当に話を合わせながらテンキーに指を走らせる。
《まさか、店からずっと?》
ミツキは小さく頷く。詩乃の自宅はエギルの店に徒歩で来れる距離にも関わらず送ると言い出したのは、この追跡者の存在を察知していたからなのか。
《どうする?交番に行く?》
《多分近づいた段階で一度逃げられる。撒いたとしてもまた狙わないとも限らない》
わざわざ店から出てくるのを待ち伏せていたということは、明確にミツキかシノンのどちらかを標的にしているという事。つまり、謎の追跡者にはどうにかして現行犯で捕まってもらう必要があるわけだ。少し考えた末、ミツキはある策を提案した。
まず、2人はこのまま駅へ向かう。そこで一度別れるフリをしてシノンはトイレへ、ミツキはそのまま駅構内へ向かい、追跡者の標的がどちらなのか絞る。標的でない方が警察へ通報。という手筈だ。
《トイレに入ったらすぐ個室に逃げ込め。どっちが狙いか分かり次第連絡する》
作戦を示し合わせた2人は、駅に着くと他愛のない挨拶を交わして別れた。手筈通りシノンはトイレへ向かい、ミツキはそれを鏡やガラスの反射で確認出来る位置を保ちつつ、構内を移動する。
シノンがしっかり施錠した個室の中で息を潜め、ミツキからの連絡を待っていると──
《トイレ前で止まった。すぐ人を呼ぶからそこを出るな》
《了解、気をつけて》
《死銃》事件以降、GGO由来の独学とはいえ軽い護身術を身に着けたシノンではあるが、だからといって危険に飛び込んでいくつもりはない。護身術にせよ銃や刃物にせよ、使わずに済むのが1番。ここはミツキに任せるべきだ。
その判断は決して間違っていない。寧ろ正解だと言っていいだろう。しかし──
「──シノンッ!!!」
シノンは──朝田詩乃は、この時の選択が果たして本当に正しかったのかと、生涯考え続ける事になる。
突如聞こえた自分を呼ぶミツキの声。続いて、外が騒然とし始める。
《何があったの?》
《ねぇ》
《ミツキ》
既読は付いているのに返事が無い。嫌な予感がして、シノンは恐る恐るドアを開き、外へ──
「う、そ……でしょ──」
飛び込んできた光景に、我が目を疑った。
駅に常駐している警備員に取り押さえられた例の追跡者。歯を剥き出して不気味な笑い声を零すその男の視線の先には──
「そんな、いや───ミツキッ!!」
意識を失い倒れ伏す、三島翠月の姿があった。
できる限り短くしようと思ったものの、案の定長くなりましたね。