ソードアート・オンライン-剣槍-   作:不可視の人狼

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遅ればせながら、アリス&ユージオ、誕生日おめでとうー!


プロジェクト・アリシゼーション

 7月初旬──ギラギラと夏の陽光が降り注ぐ太平洋の上を、1機のヘリが滑るように飛んでいく。

 

 新木場のヘリポートから飛び立ったヘリの後部座席に乗る神代凛子は、やがて前方に見えてきた巨大な建造物を見やる。

 

「あれが、オーシャン・タートル……なる程、確かに亀ね。顔の部分は豚にも見えるけど」

 

 太平洋にポツンと浮かぶ巨大なピラミッド型のギガフロート──海洋研究目的の為に建造されたとされているこの施設に、何故畑違いの電子工学研究者である凛子が赴いているのか。

 理由は大きく2つ。以前から、菊岡誠二郎を名乗る男から新型BMIの研究に協力して欲しいと再三の要請を受けていた事。そしてもう1つ──凛子としてはこちらの方が比重が大きいのだが──とある人物から受け取った、凛子に助けを求める長文のメールだった。何の強制力も持たないそのメールを無視する事も出来たが、凛子は全て目を通し、決断し、ここにいる。

 

 正直、その内容を一から十まで信じられたわけではない。その真偽を確かめるのも理由の1つだった。

 

 機体はやがてオーシャン・タートルに設置されたヘリポートに着陸。開いたドアから凛子と、彼女の助手であるウェーブのかかった金髪の女性が降り立った。プロペラの風圧で舞い上がる髪を押さえる2人の元にスーツ姿の男性が駆け寄り、ピタリと敬礼する。

 

「──お待ちしておりました、神代博士。……そちらは?」

 

「助手のマユミ・レイノルズです」

 

「Nice to meet you」

 

 流暢な英語と共に差し出した手を男性が握り返す。

 

「私は、お2人の案内を命じられた中西一等海尉です。どうぞこちらへ──()()()()がお待ちです」

 

 中西に連れられ、配管や配電盤が張り巡らされた物々しい廊下を進んでいく。途中、カードキーや指紋認証の隔壁を何度か通過し、更には凛子と助手の顔認証まで行う厳重な警備を抜けた末、目的地である《第一制御室》に到着する。

 

「これは………」

 

 足を踏み入れた凛子を迎えたのは、中世風の街並み──正確には、壁一面にその風景を映し出す巨大なディスプレイだった。呆気に取られながら階段を降りると、

 

「──ようこそ、オーシャン・タートルへ。我ら《ラース》一同、あなたを心から歓迎しますよ。神代博士」

 

「……にしては、随分と気の抜けた格好をしてるのね。ラースはここで旅館でも経営してるのかしら、菊岡誠二郎()()()()?」

 

 カラコロと軽やかな音を鳴らしながら現れたのは、凛子をここに呼びつけた張本人である菊岡誠二郎──現在総務省に出向中の現役の()()()だった。尤も、藍染めの浴衣と素足に下駄という、おおよそ自衛官とは思えない出で立ちだが。

 

「いやぁ、そこはご容赦頂きたい。何せこちらはここ1ヶ月、こんな海のど真ん中に箱詰め状態だ。いつまでも堅苦しい制服のままじゃ窒息してしまうよ」

 

 役目を終えて退室する中西と敬礼を交わした菊岡は、ダラリと手近なコンソールに寄りかかる。

 

「改めて、遠路遥々ご苦労様でした。こうしてあなたがここに来てくれて本当に嬉しいよ。諦めずに声をかけ続けた甲斐があった」

 

「……お役に立てるかは保証できないけど」

 

「とんでもない。あなたは僕がこのプロジェクトにどうしても必要だと考えていた3人の内の1人──これでようやく、全員揃ったというわけだ」

 

「ふぅん──その3人の内1人は、やっぱり君だったのね。比嘉君?」

 

 凛子が視線を向けた椅子がクルリと向きを変えると、メガネと首に掛けたヘッドホンが特徴的な男がニッと笑みを浮かべた。

 

「そりゃあもちろん僕ッスよ。重村研最後の後輩として、先輩方の志は継がないと」

 

 比嘉タケル──今や狂気の天才と謳われる茅場晶彦や、彼に匹敵する秀才だった須郷伸之の陰に隠れていたが、彼もまた重村徹大の教えを受けた1人であり、その能力は先輩である凛子も認めていた。

 

「久しぶりだけど、相変わらずで安心したわ──それで、最後の1人は誰なのかしら?まさかあなたなんて言わないでしょうね?」

 

「まさか──最後の1人は……残念ながら、今は紹介出来ないんだ。折を見て博士にも──」

 

「──なら、代わりに私が紹介してあげるわ」

 

 そう言って前に進み出たのは、ここまで凛子の後ろで沈黙を貫いていた助手のマユミ──否。

 

 

「──キリト君とミツキ君をどこに隠したの、菊岡さん」

 

 

 金髪のウィッグとサングラスを取り払った彼女の姿は、菊岡もよく知る少女──結城明日奈その人だった。

 

 1週間前、アスナはキリトの履歴から発見した凛子のアドレスにメールを送った。

 彼女が設計したメディキュボイドと系譜を同じくするソウル・トランスレーター、その研究を行うラースの存在。テスターであったキリトとミツキが行方不明となった事。そしてその件に、ほぼ確実に菊岡が絡んでいる事──2人を見つけ出す為に力を貸して欲しい。というアスナの頼みに応じた凛子は、助手である()()()マユミに休暇を与え、代わりにアスナをこの場所へ同行させたのだ。

 尚、オーシャン・タートルに入ってからの道中、身元確認に使用された大学の学籍データベースの写真は、予めユイによって差し替え済みである。

 

「──これで、何故私が今になってあなたの招集に応じたのか、分かって貰えたかしら?」

 

「なる程……こいつは1本取られたな」

 

「だーから言ったじゃないスか。彼らはこの計画最大のセキュリティホールだ、って」

 

「とは言え、まさかここまで大胆な方法で乗り込んでくるとは、さしもの君も予想してなかったんじゃないのかい?いやはや、お見それしたよ──」

 

 軽口を叩く菊岡に、アスナはキッと眉根を寄せて詰め寄る。

 

「2人はどこですッ……彼らを治療すると言ったのは嘘だったんですか!?答えてくださいッ!」

 

 アスナの訴えに、菊岡は眼鏡を小さく持ち上げる。度の入っていないレンズがディスプレイの光を反射した。

 

「まず、誤解の無いよう訂正させて欲しい。キリト君とミツキ君を少々強引な手段で連れ出した事に関しては、僕も申し訳なく思っている。しかしそれはあくまでも、純粋に彼らを助けたいと思ったからだ。それを理解してもらった上で、順を追って説明しよう──キリト君とミツキ君の容態は、君も知っての通りだ。彼らの脳は重要なネットワークを司る神経細胞の一部が破壊されてしまい、現代医学では治療不可能な傷を負ってしまった。しかし……《ラース》にはその治療を行える技術があるのさ」

 

「それが……ソウル・トランスレーター」

 

 ご名答、とばかりに笑みを浮かべた菊岡は、説明を続ける。

 死滅した脳細胞を蘇らせる事は出来ずとも、STLによってフラクトライト──脳細胞を駆け巡る「魂」を直接活性化させることで、時間は掛かるが新たな神経ネットワークの生成を促す事が出来る。

 そしてそれは六本木にあるリミテッド版STLでは不可能であった為、フルスペック版が設置されたこの施設へ連れてくる必要があったのだ。

 何分プロジェクト及びSTLの存在自体が重要機密である都合、部外者であるアスナ達に詳細を話すことが出来なかったが、無事治療が完了した暁には2人を送り返し、然る後にアスナや家族達への説明もするつもりだった、と菊岡は語った。

 

「……じゃあ、2人は無事なんですね?」

 

「ああ。彼らは今まさに、STLを用いた治療を受けている最中だ。ここの設備は全国の大病院と比べても劣るものではないし、専任の看護師もついてる。その一点だけは信用してもらっていい」

 

 菊岡の表情は相変わらず底の読めないものではあったが、だからといって2人をこの場から連れ出したとてアスナに何が出来るわけでもない。キリトとミツキが助かる道がSTLしか残されていないというのなら、それを利用するべきだ。と、アスナは一旦矛を収めることを選択した。

 

「ひと段落着いた所で、そろそろこっちの説明もお願いできるかしら?──現役の自衛官であるあなたが総務省の窓際課長なんて身分を偽ってまで何をしようとしてるのか。こんな海のど真ん中に隠すような極秘プロジェクトに、何故一介の高校生である桐ヶ谷君と三島君を巻き込んだのか」

 

「それを聞くからには、手伝って頂けるという事でよろしいので?」

 

「それを判断する為に聞いてるの」

 

 当然、菊岡としてはこれ以上部外者への情報流出は避けたい所だろうが、計画に必要な3人の1人である凛子の協力を取り付ける為なら背に腹は代えられない。「少々長くなるが…」と前置きしてからここで行われている研究について説明を始めた。

 

 

 

 

 

 ヒトの魂であるフラクトライトを読み解き、現実と遜色ないクオリティの仮想空間へのダイブを実現させる。というのは、あくまでもSTL技術が齎した副次的なものに過ぎない。

 

 その目的は、《ボトムアップ型汎用人工知能》を生み出すこと。

 

「現在、人工知能(AI)ってのは大きく2つに大別されます。まずは《トップダウン型》──プログラムにあれこれ学習させて、最終的に人間同様の知性を目指そう、ってアプローチっスね。一般に知られるAIは大体こっちです。ほら、歌って踊るAIアイドルが最近話題になったでしょう?」

 

 比嘉が言っているのは重村教授が生み出したAI《YUNA(ユナ)》の事だろう。

 

「でもトップダウン型は育成に着手しやすい分、本物の人間に近づけようと思ったら学習させるデータがそりゃもうとんでもない量になるわけです。要は《AのパターンにはB、CのパターンにはD》みたいな思考パターンを延々教え込まなきゃいけない。けどそれって極論、規定のルートに沿った数学的な思考じゃないスか。命令されたことは的確にこなす一方、明確に言語化されてない言葉の裏の意図とか、その時々で変化する微妙なニュアンスを汲み取るにはその為の思考ルーチンを1から教えなきゃいけません。それがどんだけめんどくさい事かってのは、お2人も想像できるでしょう?だから、昨今のAIは活用分野を絞ることでその手間を物理的に削ぎ落としてるわけッス」

 

「だから、重村先生の人工知能は非常に興味深いケースだったんだ。あれこそ正にトップダウン型AIの行き着く所だ、とね」

 

「……もう1つというのが、さっき言ってた《ボトムアップ型》?」

 

 続きを促す凛子の言葉に、菊岡が答える。

 

「イエス。ボトムアップ型AIは、人間の脳──脳細胞が一千億個繋がった神経ネットワークを人工的に再現することで、そこに知性を発生させようというアプローチだ。当然、脳細胞がどんな風に繋がってるかなんて誰も見た事がない訳だから、所詮机上の空論とされていたが……そこでSTLだ」

 

 STLは言わば、凄まじい高倍率の顕微鏡だ。ラースはマシンを通して、ヒトの脳の奥の奥──量子の世界で揺れ動く「魂=フラクトライト」を捉えることに成功した。

 ここまで来れば、ボトムアップ型AIの開発には成功したも同然、観測したフラクトライトをコピーすればいい。事実、魂の複製は成功し、それを保存する為の媒体《ライトキューブ》も開発した。これで計画は無事成功──そうなるはずだったのだ。

 

「比嘉君、アレを見せてあげなさい」

 

「えぇ……アレ、見る度に凹むんスけど……」

 

 文句を言いながらもキーボードを叩いた比嘉は、壁面のディスプレイを切り替える。そこに《HG001》なるコピーデータをロードした。

 

 ……そこから数分に渡り凛子とアスナが見せられたのは、不快感を禁じえない精神的にグロテスクな一幕だった。

 

 スピーカーから聞こえてきたのは、少々エフェクトのかかった比嘉の声。しかし目の前でコンソールに向かう彼の口はピクリとも動いていない。やがて比嘉はマイクを取ると「お前は比嘉タケルからコピーされたフラクトライトだ」という事実を告げる。そこで、凛子達は今何を見せられているのかを理解した。

 

 コピーされた比嘉──《HG001》は、次の瞬間激しく取り乱した。

 自分は本物だ。幼少期から、つい最近オーシャン・タートルに乗り込んだ時の記憶だって鮮明に覚えている。偽物の筈が無い、と。

 

《HG001》は叫ぶ──こんなものだとは誰も教えてくれなかった。コピーならコピーだと実感出来たっていいじゃないか。自分はオリジナルだ、ここから出せ、と。

 

 ディスプレイに映し出されていた感情の起伏を示すのであろう波形がグチャグチャに乱れ、スピーカーからは「デiィルディdディルrディルディル──」というおおよそ人語とは思えない声が溢れ出す──やがて、電源が切れたかのようにプツン、と画面は暗転した。

 

「はぁ……崩壊したッス。4分27秒」

 

「ッ……悪趣味にも程があるわ」

 

 凛子は隣で口元を押さえるアスナを気遣いながら、菊岡を睨む。

 

「申し訳ない。しかし、こればかりは実際に見てもらう他無いと思ったんだ──ご覧の通り、IQ140の天才たる比嘉君のフラクトライトでさえ、自分がコピーであるという認識に耐えられず崩壊してしまう。彼に限らず、僕や他多数の自衛官のフラクトライトでも同様だった」

 

「僕が思うに、これはもうコピー主の知的能力とか、コピーに対するメンタル的な問題とか、そういうレベルの話じゃないんでしょう。言わば、フラクトライトが持つ構造的な欠陥なんじゃないかって。多分、僕ら人間の意識は自分がユニーク存在じゃないって認識に耐えられないんスよ」

 

 半信半疑といった顔をする凛子は、比嘉にコピーを取って試してみるかと冗談交じりに持ちかけられたが、即座に断った。

 

 どうにか気分を落ち着かせたアスナが、疲れた表情で口を開く。

 

「……菊岡さんはALOで何度か会ってますけど、トップダウン型AIのユイちゃんも言ってました──生まれながらにしてAIだと自覚してる自分でも、自分のコピーが生まれるのは怖い。もしそうなったら、互いを消滅させる為に戦うことになるだろう──って」

 

 恐らく現段階で最も人間に近しい知性を有するだろうユイがそう考えるという事は、比嘉の推測を裏付ける証拠にもなる。ドッペルゲンガーという都市伝説がアスナの脳裏を過ぎった。

 

 菊岡は問う──この問題を解決するにはどうすればいいか?

 

 凛子は考え、答える──コピーしたフラクトライトの記憶を制限し、自分が誰か分からないようにするのはどうか、と。

 

 先日のミツキの言葉を思い出したアスナが反論し、比嘉が同調する──フラクトライトの繋がりは非常に複雑で、そこまで自由自在に編集出来る訳ではない。最終的には可能としても、解析にかなりの時間がかかるだろう、と。

 

「なら──いっそ記憶を全部消して一から育て直す……のも、流石に時間が掛かるわね」

 

「はい。そもそも、僕ら大人の脳ってのは何て言うか……変形して固まりきった状態なんス。お皿とか壺とかの工芸品みたいな。カッチカチの表面に新しく何かを書き込むのはとても難しい。真っ白に染め直した(記憶を全リセットした)所で、柔らかくなる訳じゃありませんしね」

 

「だったらいっそ……、あなた達まさか──!?」

 

「……そうだ。我々は生まれて間もない新生児のフラクトライトをコピーした。まだ何者でもない無垢な魂を、VRワールド内で育てたのさ」

 

 幸いというべきか、《ザ・シード》の存在でVRワールドを作る為の土壌には事欠かなかった。早速それを使って内部世界《アンダーワールド》を構築したラースは、内部で16人の精神原型──《人工フラクトライト》とでも呼ぶべき最初の人間を育てた。最初の親はSTLでダイブした男女2組のラーススタッフが務め、一定の年齢まで育ったら16人の間で結婚して子を成し、それを当人達に育てさせる──スタッフ達がログアウトしてからもこれを繰り返し、今やアンダーワールドは人口8万人程の1大社会に発展を遂げた。

 

 そうして、人工フラクトライト達がボトムアップ型AIとして必要十分な知性を備えていると判断したラースは、計画を次の段階へ進めようとしたわけだが……ここで、ある重大な問題が発覚する。

 

「──現在、アンダーワールドでは公理教会なる行政機関が《禁忌目録》という法律を敷いている。内容は多岐に渡るが、まぁ分かり易い所で現実世界同様に殺人や盗みを禁じる法律が作られているんだ。そして人工フラクトライト達は、従順にその法律を守っている。お陰で内部じゃ殺人事件なんて1度も起きてないし、盗みも起きない。道端にゴミ1つさえ落ちてないくらいだ。我々とは大違いだね」

 

「遵法精神が高いのはいい事じゃない。それが何か問題あるの?」

 

()()()()()()()。彼らは例え如何なる状況に陥ろうと、絶対に法を破らない。そうだな──アスナ君、道の真ん中に子猫、或いは人間が倒れていたらどうする?」

 

 唐突に話を振られたアスナは、訝しみながらも答える。

 

「……助けるわ」

 

「そこが車の走る道路だとしても?」

 

「……無事に間に合うのなら」

 

「うん、まぁそれが普通の考えだろうね。歩行者が車道に出るのは原則的に法律で禁止されているが、命を救う為なら致し方ない──だが人工フラクトライトの場合、例え車が1台も走っていなかろうと猫を助けることはしない。車道に出てはならない、という規則を忠実に守るからだ」

 

 この菊岡の言を受け、アスナは脳裏に湧き上がる疑念を口にする。

 

「……つまり、あなた達が作ろうとしているのは──人を殺せるAI、という事ですか?」

 

「そう極端に表現されると外聞が悪いな──正確には、自ら考え、必要に応じて規則や法を破る事を選べるAI、だ」

 

 今現在、日本の国防は米国の協力の下に成り立っている。菊岡を始め、いつまでもその状況に甘んじる事に危機感を覚える人間が一定数存在するのも事実だ。

 もし、世界最大の軍事国家である米国が戦争を始めたら?その矛先が日本に、或いはそれを向けられたどこかの国の報復対象に日本が選ばれたとしたら?そして、その際米国が日本国民を守ってくれると言い切れるのか?

 

 万が一の事態に備え、日本でも自前の防衛技術は持っておくべきだ。他国にはない、日本独自のものであれば尚良い。

 

 そういった考えの下に設立されたのがラースであり、STLを用いたボトムアップ型AIの開発計画だったというわけだ。

 

「……今の話、比嘉君はどう思ってるの?」

 

「いやぁ……正直、菊さん達程意識が高いわけじゃないッスよ──学生の頃、韓国人のダチがいたんスけど。そいつ、兵役中に戦地に派兵されて……死んじゃったんス。だから……世界から戦争を無くすのは無理でも、戦争で死ぬ人の数を減らせるなら、って」

 

 そもそも、現代に於いて戦争という行為そのものが非常にコスパの悪いものとされている。A国がB国を侵略するとして、それで得られる戦果(モノ)に対し失う人命(モノ)が余りに多いのだ。しかしラースの計画が果たされれば、戦争の矢面に立つのはAI達だ。やがては世界全体で、無人機同士の戦いにシフトしていく事になるだろう。そうなれば戦争に於ける死者はうんと減らせる。

 

「……でも、その考えには幾つかの見落としがある」

 

 理に適っている菊岡や比嘉の考えに理解を示しながら、その上で尚も否を突きつけたのはアスナだった。菊岡は無言で続きを促す。

 

「まず第一に、例え戦争が無人機同士の戦いになったからといって、人が死ななくなる訳じゃない。()()()の方を落とそうと考える相手が必ず出てくるわ。そしてその工場を置くとすれば内陸部。手段さえ問わなければ、大量の民間人が巻き添えになるのよ」

 

「ふむ……流石は最強ギルドの元副団長、といった所か。大局を見据えた素晴らしい慧眼だ」

 

「何より──あなた達はこの話をキリト君とミツキ君には明かしていない。そうでしょう?」

 

「……何故、そう思うんだい?」

 

「今の話を聞いたなら、あの2人が絶対に協力するはずがないからよッ……!」

 

 菊岡達が見落としている3つの事の内1つ目は先述の通り。そして残る2つは──

 

「あなた達の計画は、()()()()()()()()を考慮していない。あなた達が生み出した人工フラクトライトは、私達と同じ魂を持っているんでしょう?」

 

「彼らに生身の肉体は無いんだよ?」

 

「なら、あなたが事故か何かで脳みそだけ培養液に浸された状態になったとしたら、あなたは人間じゃなくなるの?機械の体に脳を移植したら、その瞬間あなたからあらゆる権利が剥奪されるのかしら?」

 

 あまりにストレートな物言いに、菊岡と比嘉は少し引いたような表情をする。

 

「……言いにくい事をハッキリ言うその姿勢、まるでミツキ君だな」

 

「ええ。彼も同じ事を言うでしょうね。そしてきっと、こうも言うわ──『人の命を奪う以上、その罪と責は手を下した人間だけじゃなく、殺す決断をした当人も負わなきゃならない。自分の手を汚さずに命を奪えるようになれば、きっと人殺しという罪の重さがどんどん軽くなっていく。その先に待っているのは無責任な殺戮の応酬だ』──あなた達自衛隊、延いては政府がそうならないと断言できるの?」

 

 人工フラクトライトは、菊岡の言うように肉体こそ持たないものの本質的には同じ人間だ。ましてや命令を忠実に守るのではなく、自らの思考で判断を下す事が出来る存在──確かにそれならば状況次第で命を奪う道を選べるだろう。だがそれは同時に、命を奪わない道も選べるという事。

 だが菊岡らの想定している戦争の兵として運用する場合、否が応でも殺しをする事になる。戦争の記憶が人の心にどんな傷を残す危険性があるか、まさか知らないはずはない。人を殺す度に心をすり減らしていくAI達に対し、果たして彼らは自衛隊員と同じく情を向けるのか?──否、使えなくなれば消去、命令に従わなくても消去、そして別の人工フラクトライトに同じ命令を下すだけ。事と次第では見せしめ同然に消去する事もあるかもしれない。それでは形を変えて負の歴史を繰り返すだけだ。

 現状、AIもとい人工フラクトライトを「いくらでも換えが利く便利な道具」としてしか見ていない彼らが計画を達成した場合、本当に「専守防衛」の姿勢を貫き続けることが出来るのか?彼らの計画は戦争の概念だけに留まらず、ゆくゆくは日本という国の在り方すらも歪めていってしまうのではないかと、アスナには思えてならなかった。

 

「……なる程。国を守る自衛隊の一員として、今の言葉は胸に刻んでおこう。だがそれとこれとは話が別だ。これは単なる優先順位の問題──僕にとって、10万の人工知能の命は、1人の自衛官の命よりも軽い──そこは変わらないよ」

 

 真っ向から睨み合うアスナと菊岡。緊迫した空気を一度断ち切る意味も込め、凛子は話の筋を元に戻した。

 

「──そもそも、そんな大それた計画に桐ヶ谷君達が必要だったのは何故?」

 

 凛子の意図を汲んだ菊岡は答える。

 人工フラクトライト達が法に背けないのなら、本物の人間ではどうなのか?彼らの異常なまでの遵法精神は、人工フラクトライト特有の構造的なものなのか、それとも育成過程に起因するものなのか。

 それを確かめるべく、記憶を全てブロックした上で、アンダーワールド内で幼い子供として成長させる実験を行った。しかし被験者には、仮想世界の中でも違和感無く現実同様に動けるだけの高い適応性が必要であり、そこでキリトとミツキに白羽の矢が立ったのだ。

 

「彼ら──特にミツキ君は、非常に価値ある結果を示してくれたよ」

 

「という事は……三島君はその禁忌目録に背いたのね」

 

「ああ。と言っても、半分不可抗力なものではあったようだけどね。何より、彼だけじゃない──内部で彼らと親しくしていた幼い少年少女2人の内、少女の方までもが禁忌を破ったのさ」

 

 曰く、ミツキ及びその少女が犯した禁忌は《移動禁止アドレスへの侵入》──入ってはいけない領域へ足を踏み入れたのだと言うが、菊岡達としてはその経緯が重要らしい。

 

「禁忌を破る直前、少女の視界内では他の人工フラクトライトが死亡していました。それを助けようとしたんでしょうね。でもその為には、境界を踏み越えて禁止アドレスに入るしかない──丁度、さっき菊さんが言った例えと同じ状況ッスね。で、ラインを越えようとした少女をまず三島君が引き止め、弾みで領域へ侵入。それを追うように、少女もラインを超えてしまった、と」

 

「つまり、その少女は禁忌よりも目の前の命を優先しようとした──これこそ正に、僕らがボトムアップ型AIに求めていた適応性なんだよ」

 

「……なら、あなた達の目論見は成功したって事じゃないの?正直好きなやり方じゃないけど……その禁忌に違反した女の子のフラクトライトを大量にコピーすれば済む話じゃない」

 

「勿論、そうしようとしましたよ。けど……間に合わなかったんスよ。何せアンダーワールドじゃこっちの1000倍で時間が進んでますから。僕らが件の少女のフラクトライトが入ったライトキューブを回収しようとした時には、既に公理教会の手で修正が行われた後でした」

 

「修正……?」

 

「まぁ、有り体に言えば再教育って事ッスね。洗脳とも言えるでしょうけど」

 

「とにかく、僕らは目の前の果実を見事に取り損ねてしまったわけだ。泣く泣く、せめて少しでもデータを収集しようと該当少女のパーソナルデータを調べたら……」

 

 菊岡はここで一度、言葉を詰まらせた。眼鏡の奥の瞳によくよく注視しなければ分からない程の小さな逡巡を浮かべ、消し去り、言葉を続ける。

 

 

「どんな偶然か──その少女は《アリス》という名前だったんだ」

 

 

 その名前を聞いた瞬間、アスナは殆ど反射的に菊岡に詰め寄り浴衣の襟首を掴み上げていた。突然の暴挙に比嘉を始め周囲の研究員、凛子でさえも緊張を走らせるが、当の菊岡がそれを手で制する。

 

「……答えなさい。あなたがこの計画に巻き込んだのは、本当にキリト君とミツキ君の2人だけ……!?」

 

「……ああ。彼ら以外の一般人はこの計画に関与させていない。誓って本当だ。恐らく今君が考えたような()()()()も無いよ」

 

 気を利かせたつもりか、キリト達は一般人だが彼女は内部の者──という可能性も即座に否定した菊岡。

 

「もし、あなたが彼女の事までいい様に使おうとしているなら……例えどんな手を使ってでもあなた達の研究を潰すわよ」

 

「気持ちは分かるが、少し冷静になりたまえよ──僕がこの計画を構想し始めたのは5年程前だが、こうして始動に漕ぎ着けたのはほんの数ヶ月前だ。SAO事件当時はSTLもアンダーワールドも人工フラクトライトも存在していないし、僕は今に至るまで君達がアリスと呼ぶ少女と会った事もないんだよ?同一人物であるはずがない。……まさか、単なるデータに過ぎない人工フラクトライトがタイムスリップした、なんて言うつもりじゃないだろう?」

 

 諭すような菊岡の言葉を受け、アスナもまた頭に血が上っていた事を自覚する。しかしだからといって、この男の口からあの名前が出るのを聞き流す気にはならなかった。

 

「これでも、僕はちゃんとミツキ君のことを心配してるんだ。本音で言えば、その存在自体が懐疑的にならざるを得ないアリスという少女と再会できればそれが1番良いと思っているし、約束した以上、彼の気が済むまで付き合うつもりでもいる──何なら、この計画に協力してもらうのはキリト君だけのつもりだったんだよ。計画に必要な3人──比嘉君や神代博士に並ぶ3人目というのも、極論キリト君かミツキ君どちらか一方の協力さえ得られれば良かった。まぁ、テストダイブ時はサンプルケースの数を優先して2人に協力して貰っていた訳だが……事と次第では、今後の関係に差し障るレベルの誤解と軋轢を生む可能性が高かったからね。直近の3日間連続ダイブを最後に、ミツキ君はこの計画に関わらせないようにする予定だったのさ」

 

 菊岡は続ける──《アリス》という名前に驚いたのは、ミツキの事情を知る自分だけではない。この計画に関わる者は皆同様だった。何故なら、この名前は本計画の礎となったある概念の名称でもあったからだ、と。

 

Artificial Labile Intelligence Cybernated Existence(人工高適応型知的自律存在)》──その頭文字を取って《A.L.I.C.E》。

 

「我々ラースの目的は、人工フラクトライト達を《A.L.I.C.E》に変化させる事だ。これを縮めて《アリス化》なんて呼んでるんだから、ミツキ君を遠ざけるのは英断だったと褒めて貰いたい所だね」

 

「……寧ろ、事情を知っていながら平気でそんな名前をつけられるあなたの神経を疑うわ」

 

「だから、それに関しては寧ろこちらの方が先だと言ったじゃないか……さて、これであらかたの説明は終わりだ。ご理解頂けたかな?改めて──ようこそ、我らが《プロジェクト・アリシゼーション》へ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 菊岡達から計画の概要について説明された後、アスナは凛子と共にSTLで治療を受けているキリトとミツキの様子を見に行った。

 ベッドに横たわる2人の顔は機械に覆い隠されて見えないが、以前横浜の病院で目にしたユウキのように痩せ細っているという事もなく、身体そのものは特に問題ないらしい。それを教えてくれた専属の看護師──《死銃事件》で2人のバイタルを確認する役目を負っていた安岐ナース──によろしく言ってから、アスナと凛子は各々用意された個室に向かった。

 

 少しお高いビジネスホテル風の室内に設置されたベッドに腰掛けたアスナは、ふぅと息をつく。

 キリトの心拍モニター信号が届かなかった事からも分かるように、オーシャン・タートルに通うネットワーク回線は原則外部と切り離されており、連絡を付ける手段は限られている。その為、いつもなら携帯越しに会話出来るユイの声も聞けないのだが、先程菊岡にある事情を説明し、こちら側からの一方通行という条件付きで、数人宛に短いメールを送らせてもらった。

 

 相手は勿論、直葉とシノンの2人──特にシノンは当初、アスナと共にオーシャン・タートルへ向かうと言ってくれたのだが、凛子が用意できた助手という偽装身分がアスナ1人分しか無かった事と……万が一アスナの身に何かがあった場合、後を任せたかった事もあって、心苦しくも彼女には本土へ残ってもらったのだ。

 今頃2人は学校に行っている頃だろうか。こんな状況では授業の内容すらまともに入ってこないだろう事は、少し前の自分を見れば想像に難くない。そんな彼女達を安心させるべく、メールには無事菊岡に接触出来た事と、キリトとミツキの無事及び現在彼らが置かれている状況を簡単に記載してある。

 当然、計画の内容を明かすのは絶対ダメだと厳重に釘を刺され、送信する直前、菊岡と比嘉に文章をしっかり検閲された上で送られたメールに彼女達から返信する事は出来ないが、少しでも気を落ち着かせる程度の効果は望めるだろう。

 

「大丈夫だよね……きっとまた、皆一緒に元の日常に戻れるよね」

 

 誰にでもなく──或いは、自分自身に言い聞かせるようにそっと呟いたアスナは、暫し仮眠を取るべく目を閉じた。

 

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