俺がメディナと同室になってから、はや数日。
午前の授業を終え、どこで昼食を食べようかとキリトとユージオの3人で歩いていると……
──おい見ろ、あいつが……
──あぁ、《欠陥品》と同室になったっていう?
──可哀想に。よりにもよって……
──だが、あの平民も大概無礼な態度が多かったからな。
──確かに、そう考えればお似合いね。
「……ここ数日で一気に増えたね」
「言わせとけ。ただの雑音だ」
メディナが女子寮を追い出されたという話はあっという間に広まり、彼女と同室になった俺も、外を歩けば数人に指をさされる事が増えた。とは言え、その殆ど全部が「オルティナノスは《欠陥品》」という理由も定かじゃない漠然とした噂を鵜呑みにした事実無根のものなので、俺にはノーダメージだ。
ただ……
「──ミツキ、メディナの方は大丈夫なのか?」
「……まぁ、表向きには普通なんだが……如何せん、外野共がな」
女子寮を追い出されてからというものの、メディナに対する嫌がらせは一層陰湿なものになっている──雨の中に彼女の教科書を放置してダメにしたり、靴を隠したり。挙句の果てには彼女の事を、央都を追われた《欠陥品》と揶揄するだけでなく、俺との間にある事無い事デタラメを書いた紙が貼り出されている事もあった──いっそ俺の方に直接的な手出しをしてくれれば介入する大義名分も立つというものだが、メディナを煙たがる貴族連中は塩梅を心得ているのか、俺に対しては多少陰口を叩く程度を維持している。例の張り紙にしても、例えばメディナが俺を恐怖で従えている~という具合に、あくまで諸悪の根源はメディナという形だった。
今にして思えば、彼女が2度目の検定試験で折れた木剣を使っていたのも、元を辿ればあいつらが原因なのではないだろうか。他人の所有物を壊すのは禁忌違反になる為、新しい木剣を隠すなりして、壊れた古い木剣を使わざるを得ないよう仕向けた、とか。
普通であれば即刻教師に報告して対処を請う所だが……あろう事か、そんな教師陣すらもあてにならない。何せ学院の教師達もまた貴族出身者が殆ど故に、オルティナノス家に対する目線は他より厳しい。この前なんて、剣術の試験で些細なミスをしたメディナを必要以上に叱りつけたり、他の生徒からの明らかな言いがかりを真実と決めつけて懲罰を与えたりしていたのだ。今の所、メディナを気遣ってくれたのは寮監のアズリカ先生だけである。そんな彼女でも、表立ってメディナを庇う事が出来ない。
「──お、噂をすれば」
前方を見れば、寂れたベンチに1人腰掛けて黙々とパンを食べるメディナの姿が。これ幸いと、俺達は足早にそちらへ向かう。
「お隣失礼」
「よぉメディナ……って、それだけで足りるのか?確か午後の授業、剣術だったろ。食っとかないと力出ないぞ」
「お、お前達……!?おい勝手に座るな!」
メディナの返答を待たず、俺とキリトは勝手知ったる様子でベンチに腰を下ろす。せめてユージオは彼女がいいと言うまで待つつもりらしく、バツの悪そうな笑みを浮かべた。
「あはは……こんにちはメディナ。急にごめんね、お昼一緒に食べたいなって。それに、最近話せてなかったしさ」
「……話す事など無いと何度も言わせるな。座学についてなら他の者に聞けばいいだろう」
「まぁそう言うなって。メディナには無くても、俺達にはあるんだよ──最近、大丈夫か?」
キリトのストレートな質問に、メディナは小さく口ごもる。
「……お前達に関係ないだろう」
「そんな事言わないでよ。僕らだって、メディナがあんな風に言われてたら嫌な気分になるし。全く無関係ってわけじゃないよ」
「ってか、何なんだよあいつら?前にライオス達も言ってたけど、メディナの事《欠陥品》とか……」
「関係ないと言った!──大体、何なんだお前達まで。私に関わるとロクな事がないぞ。お前達まで無視をされるし、嫌がらせだって受けるかもしれん。現に
「別に平気だよ。元々俺らは貴族の坊ちゃん達から好かれてないし、今の所メディナ以外に話すような奴もいないしな──その様子じゃ、ミツキも同じ事言ったんじゃないか?」
げんなりとした顔から図星を突かれたメディナ。事実、丁度今朝授業に向かう前「外では私に近づくな」的な事を言われ、今しがたのキリトと似たり寄ったりな返答をしたのだ。
「……この際だからハッキリ聞くぞ。一体何が狙いだ?」
「ね、狙い?」
「ミツキといいお前達といいおかしいぞ。普通、《欠陥品》に自分から声を掛ける奴なんていない。罵倒と嘲笑が精々だ。得らしい得も無い。なのにわざわざ声をかけてくるのは、何か裏があるからだろう」
「そんなものは無い。
「だったら何だ。同情か、哀れみか?そんなもの向けられた所で余計惨めになるだけだ!」
「違うよ。仮にそうなら、メディナに気付かれないようもっと上手くやれるぞ。
どこか皮肉の効いたキリトの言葉が気になったが、一旦置いておく。
「ねぇメディナ。何か困ってる事があるなら、相談して欲しいんだ。僕たちで力になれるかは分からないけど……でも何も知らないままメディナが苦しんでるのを見てるだけなのも辛いんだよ」
「っ……そもそも、そんな気持ちを抱く事自体が間違いだと言ってるんだ!もう私に関わるなッ!」
ユージオの言葉すらも払い除け、メディナは去っていってしまう。
「強情な奴め……」
「同感だけど……お前が言うか」
ボソリと呟かれたキリトの言葉は、詳しくは聞き取れなかった。
結局、昼は男3人で済ませる事に。午後の授業でもメディナを見かけはしたものの、声をかけるチャンスは訪れず、そのまま放課後となってしまった。
幸運なことに今日のベル先輩は部屋があまり散らかっておらず、すっかり板に付いた掃除を手早く終わらせ、鍛錬へ向かう。指定された場所で俺を待っていたのは、ユージオが傍付きを務める上級修剣士第3席、ゴルゴロッソ・バルトー先輩だ。
深い緑の修剣士服の下でこれでもかと存在感を放つ鍛え上げられた筋肉が特徴的で、俺達同様に平民から衛兵隊を経て入学。正統流派のノルキア流、ハイ・ノルキア流以上に一撃必倒を旨とするパワー流派《バルディオ流》で上級修剣士の座を掴んだ豪傑である。
「よく来てくれたな、ミツキ初等練士。ユージオは既に始めている。早速取り掛かってくれ」
「取り掛かる……?あの、俺は何をすれば……?」
「……ベルグリッドの話を聞いていなかったのか?」
「いえ、その──今日はゴルゴロッソ先輩の下で鍛錬──としか。詳しい内容はなにも」
ここに来る前にベル先輩に言われた言葉をそっくりそのまま伝えると、ゴルゴロッソ先輩は愕然として顔を覆う。
「全く奴は……確かに、鍛錬の一環にもなるだろうと傍付きの手を借りたいと頼んだのは俺だが……!」
ブツブツと小言を連ねるゴルゴロッソ先輩だが、当のベル先輩は何やら所用があるとかでここにはいない──尤も、飄々と掴み所のないベル先輩と真面目一徹のゴルゴロッソ先輩とでは性格的に相性が良くないのは本人達も認めているので、その「所用」とやらも本当にあったのか怪しいところではあるのだが。
「あの……なんか、すみません」
「む……いや、こちらこそすまん。ゴホン──今日は、修練場の整備に使う土を運んでもらいたいのだ。先も言った通り、ユージオは先に始めている。予定ではキリト練士も来るはずなのだが……まぁ、約束の時間までまだ10分程ある。待つとしよう」
……ほんっとうにすみません。
内心平謝りしながら、積み上げられた土嚢へ向かう。丁度そこではユージオが複数の土嚢を肩に担いでいる所だった。
「──あ、ミツキも来たんだね」
「ああ。コレ運べばいいんだな?」
「うん。あ、でも気をつけてね。これ普通に重いから。最初は無理せず1つずつ──」
ユージオが忠告する傍ら、んぐッ!という潰れたような声が──言わずもがな、俺である。
ユージオの真似をして肩に土嚢を載せたまではいいものの、そこから立ち上がるのが中々難しい。
「だ、大丈夫!?普通に持った方が……」
「なん……ッの、これしきィ……ッ!」
気合と共に立ち上がる。たたらを踏んで転びそうになった俺を、ユージオが支えてくれた。
「っとと──すごいねミツキ。1つ持つのもちょっとコツが要るのに」
「まぁ、な……これでも、メディナの所で暫く農作業とか手伝ってたし。そういうユージオも凄いじゃないか。そんな軽々と」
「僕の場合、先輩の傍付きになってから結構な頻度でこういう力仕事やってたからね。単に慣れだよ」
ユージオ共々、土嚢を指定された場所へ運ぶ。
「──今更だけど、これってゴルゴロッソ先輩が自分から引き受けてるのか?こういう作業って学院の用務員みたいな人がやるもんだと思うんだが」
「普通はそうみたいだね。けど『日頃自分達が使う修練場は自分達で手入れするべきだ』って、先輩が。まぁ、流石に本格的な整備は学院側でやるから、こういう形で少しでも協力してるんだと思うよ。何より、身体も鍛えられるしね」
「なる程……改めて、ゴルゴロッソ先輩って武士みたいな人だな」
「ブシ……?」
「あー、その……戦う漢って感じ」
「あはは、確かに。でも、ああ見えて結構理論派なんだよ?体を鍛えるのだって、ただ闇雲にやればいいものじゃない、って事をみっちり教えられたからね」
ああいう肉体派は往々にして「脳筋」──脳みそまで筋肉で出来ている。と揶揄されるものだが、あの先輩の場合は筋肉まで脳みそ、と言った方が正しかったりするのだろうか。上級修剣士は剣だけ上手ければなれるものでもなく、座学でも好成績を取る必要がある事を考えれば……本当にそうなのかもしれない。
その後、時間ギリギリに到着したキリトが先輩からお小言を頂戴しているのを尻目に土嚢を運び続ける。やがて自分の分を全て運び終えた俺は、
「──先輩、少し所用がありまして。差し支えなければ一足先に戻らせて頂きたいのですが……」
「割り当てられた分は……運び終えたようだな。元よりこちらは手を貸してもらった身だ。好きにするといい」
「ありがとうございます。お疲れ様でした!」
最後に来たキリトは言わずもがな、傍付きという事もあってか俺達より多くノルマを課されているユージオにも挨拶をしてからその場を後にする。
陽が沈み始めて薄暗くなった空を見ながら、俺はあの仔猫の様子を見に学院内の林へ向かった。
「確かこの辺……ってか、なにか食い物持ってきた方が良かったか……?」
今更ながらそんな事を考えながら進んでいくと、前方に人影が見えた。緋色の髪が特徴的な女子生徒──メディナの後ろ姿だ。
声をかけるのはもう少し近づいてからにしよう、と歩みを進めた俺だったが……
「───っ」
開いた口から、声の代わりに鋭い息が漏れた。
茫然と立ち尽くすメディナの足元には、神聖術で凍らせた肉と──それを食べる筈だった仔猫が、力なく横たわっていた。その体はピクリとも動かず、呼吸をしている様子もない。
「なん、で──おい、一体何があった!?」
俺の問いに、メディナは掠れた声で答える。
「夕べ……元気が無くて……餌も、残して……だから、今日はこの子の好きなものを、って──来た時には、もう……」
俺も頻繁に様子を見に来れていた訳ではないが、最後に見たのは……確か一昨日の昼。
その時は全然元気で、メディナが持ってきた魚パイを美味そうに食べていたのだが──季節がら冷え込んできた事もあって、何か病気に罹ってしまった?──まだ幼い仔猫である点を考慮すれば、ありえない話ではない。猫の首にはしっかり首輪替わりのリボンが付いたままだし、特に外傷も見られないことから、他の誰かに危害を加えられた結果とも考えにくい。出来るとすれば飼い主であるメディナだけだが……そんな可能性は皆無だ。
果たして、この世界に《獣医》の天職があるのかは不明だが……もう少し早く駆けつけていれば、例え助ける事は出来ずとも、せめて最期を看取るくらいは出来たかもしれない。
心苦しいが、仕方のない事だ。とメディナに言おうとした矢先──どこからか、声が聞こえた。
「──おやおやぁ?なんだ、死んでしまったのか」
声のした方へ目を向けると、そこには見知らぬ男子生徒の姿が。服装からして俺達と同じ初等練士のようだが……
「……念の為、お聞きします──この子に何かしたのですか?」
「何かした?──ハッ、言いがかりは止してもらいたいなぁ。たかが猫ごとき、この私がわざわざ手にかける価値があるとでも?」
「ッ……なら、何故ここに?あなたのような人がわざわざ訪れる場所ではないでしょう」
「夫が妻に会いに来るのがそんなにおかしい事か?」
夫と妻──彼の言葉に眉を潜める。そんな俺に、メディナは彼が自分の婚約者であると教えてくれた。だが彼の目はおおよそ婚約者に向けるそれではなく、明らかな侮蔑と嘲笑の意が見て取れた。
「フッ……まぁ、お前達と出くわしたのは偶然だ。私はメディナに代わって、その猫に餌をやりに来ただけだからな」
その言葉を聞いた瞬間、俺の脳裏に1つの推測が過った。
「お前──コイツに何を食わせた」
俺の問いかけを耳にしたメディナもまた、同じ事を考えたのだろう。ハッとした表情で婚約者の男を見やる。
「餌は餌だ──未来の妻の飼い猫に、
そう言ってポケットから菓子を取り出して見せる──包み紙の表示を見たメディナは、悲鳴のような息と共に口元を抑えた。
「なんて、事を……っ」
「んん?──あぁそういえば。我らにとっては美味い菓子が、猫や犬には毒となる──なんて話を聞いたような気もするなァ」
「お前……知っててわざと……ッ!」
「言いがかりは止せと言ったはずだぞ平民。確かに私は、妻の飼い猫に餌をやった。その餌が
「事故だろうが責任は生まれる」
「ほう、責任?何のだ?」
「命を奪った責任──メディナの猫を死なせた責任だッ!」
それを聞いた婚約者の男は、やがて堪えきれなくなったように笑いだした。
「ハッハッハ──これだから頭の悪い平民は!いいか、さっきも言ったが私とメディナは婚約者、未来の夫と妻だ!そして古くより妻は家長たる夫に従うしきたりとなっている。つまり、メディナの所有物は夫である私のものでもあるんだよ!仮に私がこの猫を殺したのだとして、自分のものをどう扱おうが、文句を言われる筋合いは無い!ましてや──学院則や帝国基本法は勿論、禁忌目録でさえも、猫にやってはいけない食べ物など定めていないのだからな!」
「ッ……法で禁じられていなければ、何をしてもいいとでも……!?」
「では聞くが、
「ふ、ふざけ──」
「──ふざけるなッ!!」
不意に響いた俺の怒声が、メディナの声をかき消した。そのまま婚約者の男へ詰め寄り、胸ぐらを掴み上げる。
「玩具だと……!?いいかよく聞け──お前は選ばれし人間なんかじゃない。法の抜け穴を突いて、欲望のままに他者を嘲り踏み躙っているだけだ。命は……お前らを楽しませる為のおもちゃじゃないんだよ……ッ!!」
「ッ……おい、その汚い手を離せ下民。……以前からお前の事は目障りと思っていた。何故我々貴族の
「ッ──!!」
我慢の限界が訪れ、俺は固めた拳を振り上げる。
奴の狙いなど透けている。俺を煽って暴力を振るわせ、禁忌目録違反に仕立て上げようとしているのだろう。だがそんなもの知った事か。コイツは──コイツは痛みを知らない。生まれてこの方ずっと虐げる側、傷つける側であり続けてきたコイツは、傷つけられた者がどんな思いを抱くのか、考えた事すらないのだろう。
そんな奴がメディナの婚約者でいる事が……そんな奴にメディナが従わざるを得ない事が、とにかく不快で腹立たしかった。
薄ら笑みを浮かべた男の顔に拳が繰り出される──しかし、その動きは途中で止まった。
「……止めろミツキ。もう、いい」
「メディナ……?」
俺の腕を掴んで引き止めたメディナは、俺をやんわり押し退けて奴との間に割って入る。
「……もう、用はお済みですか。ならこれで──」
「待て、用はまだある──お前にお似合いの
「ッ……はい」
そう言って奴についていくメディナの腕を、今度は俺が掴んで引き止める。
「行くな、行かなくていい。いくら婚約者だからって、こんな仕打ちが許されていいはず──」
「逆らえばもっと酷い目に遭う。……今度こそ、何をされるか……」
「メディナには力がある。親父さんが遺してくれた剣と、代々受け継がれてきた志があるだろ。オルティナノスの剣は、こういう時の為にあるんじゃないのか……!?」
「……お前は知らないんだ……あの男が、どんな風に私を辱めるか……ッ」
「……一体、何を──」
「言いたくないッ……お前には──お前にだけは、何があっても絶対に……ッ」
「メディナ──!」
「っ──うるさいッ!いいから、もう二度と私に関わるなッ!」
俺の手を乱暴に振り払ったメディナは、逃げるように去っていってしまう。何度声を掛けようとその背中が振り返ることはなく……立ち尽くす俺を、例の婚約者の男が遠巻きに眺めていた。
あの男からの「頼み事」を終えたメディナは、殆ど無意識でとある場所に足を向けていた。たどり着いたのは、学内の林──数時間前まで自分の飼い猫だった仔猫が息絶え、そして同室の少年を拒絶したまさにその場所だった。
「ぁ……」
猫の亡骸は既に姿を消しており、その代わりに……よくメディナが猫じゃらし片手に仔猫と戯れていた木の下に、石を使って簡素な墓標が立てられていた。供えられた花を束ねているのは、猫が首輪の代わりに巻いていたリボン──その場繋ぎの代用品とはいえ、メディナとの関係の始まりを示すリボンだった。
この墓を立てたのは、恐らく同室の彼だろう。身を案じてくれたにも関わらず、一方的に拒絶してしまった彼。彼も猫の事を気にかけて、可愛がってくれていた。リボンを結んでくれたのも彼だった。
彼も、悲しんでいるだろうか。憤っているだろうか。猫を殺したあの男に、そして──そんな男のいいなりになる、メディナにも。
猫が眠ることを示す墓石をそっと撫でる。物言わぬ石は硬く冷たい感触のみをメディナの手に返してきて……その冷たさが、今一度ハッキリと、あの子の死を突きつけてきた。
ぽつり──と、溢れた雫が地面を濡らす。
「ごめん……ごめん、ね……っ……私のせいで……私なんかの、飼い猫になったせいで……っ……ごめん、なさい……っ──」
自分のせいだ。《欠陥品》である自分が飼うなどと決めたせいで、この猫は巻き添えを食った。メディナがこの猫に関わらなければ、もっと長生き出来たはずだ。優しい飼い主、或いは親猫の下で生きられたはずなのだ。それを──メディナが壊した。
やはり……メディナは1人でいるべきなのだ。友も、仲間も、《欠陥品》には過ぎたる物。その手に掴むのは一族の未来と、それを切り開く為の剣だけでいい。
罵倒と嘲笑、恥辱に塗れながら孤独に戦い抜く事こそが、メディナ・オルティナノスに定められた運命──ただ1つ、歩む事を許された道なのだ。
すっかり日も落ちた闇夜の中、少女は独り、慟哭する。
胸にあったのは、自分のせいで失われてしまった小さな命への懺悔と、
──私は何も望まない。何も欲しない。だから……お願いだから、もう、これ以上奪わないでください。
そんな、姿無き女神達への悲しき祈りだけだった。
「──メディナが口を聞いてくれない?」
「こう言っちゃ何だけど……今に始まった事じゃなくないか?」
「ん、まぁそれはそうなんだが……これまでで最大級の対話拒否具合でな。挨拶から何まで徹底無視。どうしても必要な時すら書置き、それが出来ない場合は用件だけ言ってさようならと来た」
取り付く島もないとはこの事か、とキリト達に相談を持ちかけたのは、翌々日の昼休みだった。
メディナが婚約者について行ってからというものの、同室だというのに全くと言っていい程言葉を交わしていない。傍付きの仕事を終えて夕食、各自入浴を済ませれば門限までの間は自由時間なのだが、メディナは決まって早々に寝てしまうのだ。どんなに声をかけても微動だにしない。
一部始終を明かしてキリトとユージオの協力を仰ぎたいのが正直なところだが……如何せん俺自身全容を把握しているわけでもなく、下手に動いて事態が悪化してしまってもマズい。さりとて俺1人では出来る事にも限界がある。でもしかし──と、こんな調子で堂々巡りだ。
「なぁ。例えば……例えばの話だぞ?──誰の目に見てもすごく困ってる友達がいて、そいつを助けてやりたいけど、本人がそれを望んでいなくて、詳しい話も聞かせてくれない──って時、お前達ならどうする?」
「んぐッ!?──んふッ、ぐふッ──!」
食べていたパンを詰まらせでもしたのか、突如キリトが盛大に咽る。ユージオから受け取ったお茶でパンを流し込んだキリトは、はぁ~と深く息をつくと……
「ミツキ……お前の言いたいことは分かってるつもりだし、真面目に答えろって言われるかもしれないけどな、それでも敢えてこう言わせてもらうぞ──そんなの、俺が知りたいくらいだ。あぁ本当に、今すぐ教えてもらいたいね……!」
キリトはそう言って、ジトーっとした目で俺を睨んでくる。
「そ、そうか……えっと、じゃあユージオだったらどうする?」
「うーん、難しい話だね……僕もルーリッドにいた頃、あまり人付き合いが多い訳じゃなかったからなぁ」
「あー、そっか……悪かったな、急に変なこと聞いて」
「ああでも──答えになるか分からないけど……もし、ミツキやキリトがそういう状況に陥ったとしたら、それでも、どうにかして助けようとすると思う。まぁ、具体的な方法とかは全然考えてないんだけど……例えその結果君達を傷つけて、嫌われてしまうんだとしても、アリスの時みたいに何もせず後悔するような事だけは、もう繰り返したくないから」
「……そうか」
「……さっきはああ言ったけど、心優しいユージオ君に免じて、俺も真面目に答えさせてもらおうかね──俺は、相手がそれを望んでないなら一旦そっとしておく。ただし、動きを止めるつもりは無い。そいつが本当に助けを必要とした時……助けないと何もかも終わっちまうって時、何て言われようがすぐ助けられるよう準備だけはしておく──って感じだ。そういうことだからよ~~く覚えとけよ、ミツキ?」
その言葉で、キリトの言わんとするところが理解できた──相変わらずというか、懲りないというか。
「……とにかく、参考意見どうも。少し考えてみるよ」
放課後──いつも通りベル先輩の部屋を掃除していた俺は、思い切って質問してみる。
「……先輩って、貴族なんですよね?」
「ああ、そうだよ──まぁ、こんなにも部屋を散らかす貴族は僕くらいのものだろうけどね。お陰で初等練士時代は同室の生徒に苦労をかけたものさ」
「そう思ってるならちょっとは──あぁいや、そうじゃなく。先輩にいくつかお聞ききしたい事がありまして」
「ふむ……法学や神聖術に関すること──ではなさそうだね。話してみなさい」
先輩は読んでいた本を閉じると、俺にも掃除を一時中断して居間のソファに座るよう言う。
「先輩は、オルティナノスという一族について、どの程度ご存知ですか?」
「オルティナノス家、か……あまり詳しいわけではないけれど──『貴族であるにも関わらず央都を追われた《欠陥品》の一族』──個々人ともなれば分からないが、まぁ貴族の多くはそんな認識だろう」
「……その事に関して、先輩自身はどうお考えで?」
「懐疑的だね。根も葉もない──とまではいかずとも、あの一族に与えられた《欠陥品》という烙印を額面ばかり受け取っている者があまりにも多いのではないか。というのが正直な所だ」
即答してきたベル先輩に、質問を重ねる。
「では、オルティナノス家が何故《欠陥品》と呼ばれるようになったのかは……?」
「それは私も知らない。何せあの一族は数多ある貴族達の中でも長い歴史を持っている。いくら僕が本ばかり読んでいるといっても、オルティナノスの歴史を記したものには巡り会えていない」
「そうですか……では、別の質問を──貴族とは、何なんですか?」
仮にも上級貴族である彼に不躾な質問であることは承知だが、学院の教師達はテンプレ回答をするばかりで当てにならない。その点、悪く言えば弄れた──良く言えば、確固たる己の視座を持っていそうなこの人ならば……
「貴族とは──いつの日か、果ての山脈の向こうから襲い来る闇の軍勢に整合騎士と共に立ち向かう為、日々剣技を磨くことを許された者──とまぁ、君が聞きたいのはこんな教科書通りの定型文ではないんだろうね」
先輩は細い指を口元で組むと、声のトーンを一段下げて語り始めた。
「現実の話をしようか──まず、教科書に書かれている通り、人界の民を守る為に腕を磨く高潔な貴族というのは、今や殆ど存在していない。貴重な実例がリーナ君のセルルト家と、主席であるウォロ・リーバンテインの生家であるリーバンテイン家。他にも探せばいくつか……といった具合かな。それ以外の貴族は──はっきり言って、醜い悪意と欲に塗れた度し難い存在──そう表現するのが妥当だろう。今の所、君もそんな印象じゃないかな?」
「……はい」
「全く以て無理もない。口を開けば罵倒と嘲笑、働くのは悪知恵ばかり……去年、ゴルゴロッソ君も頭を悩ませていたよ。尤も、彼の場合は実力で跳ね除けて今に至るわけだが──彼のように明確な抵抗の意思、そして結果を示すことが出来なければ、連中は益々調子付くだろうね。言った通り、貴族はとにかく悪知恵が働く。相手が何もしない、何も出来ないと判断すれば、学院則や帝国基本法、禁忌目録さえも掻い潜って、あの手この手であらゆる事をしてくるだろう。そんな悪意が行き着く先に何を齎すか……分かるかい?」
俺の脳裏に浮かんだのは、つい先日、奴らの悪意によって喪われた小さな命のことだった。
「彼女を──オルティナノス嬢を助けたいかい?」
「当然です……でも、肝心の当人がそれを望んでいない。彼女の考えを推し量ってみても、全部俺の勝手な妄想なんじゃないか、って──実を言うと、本題はそこなんです」
彼女があそこまで周囲を拒絶する理由、差し伸べた手を払い除ける理由。それさえ分かれば手の打ち様もあるが、本人は頑としてそれを明かしてくれないし、推測も所詮推測でしかない。
「なる程ねぇ……人間関係というのは、中々難しい問題だ」
「ですよね……すみません。困らせるような事を聞いてしまって。もう少し、自分で考えてみます」
「おっと、待ちたまえよ。確かに僕は他人の心が読めるわけじゃあないが、これでも一応貴族だからね、色んな人間を見てきてはいる。その経験に基づけば──」
「……メディナが何を考えているか、分かるんですか?」
先輩はたっぷり3秒程溜めると……
「──うん、分からないね!」
開き直ったようにそう言い放った。イラッときた俺はとっとと掃除を片付けて帰ろうかと立ち上がる。
「まぁまぁ、そう結論を急がずに!オルティナノス嬢の考えは分からないが、1つだけ、分かった事がある──君の事だ」
「……何です?」
「僕の見立てでは、君の周囲には君と近しい質の人間が集まっている。心の距離が近ければ近い程、似た性質というわけだ。特にキリト練士とユージオ練士、彼らは君に通ずる部分がある──まぁ、当の君はそんな彼らに心のどこかで一線を引いているようだけどね?」
「……それが、経験に基づく、ってやつですか」
「……いいや、何てことない僕の勘さ。当たっていたかな?」
「ご想像にお任せします──それで、今の話がメディナとどう関係あるんです?」
「なぁに簡単な話しさ。君の周囲には君と近しい人間が集まる──それはオルティナノス嬢も例外じゃあない。つまり、君と彼女には共通点があるという事だ。例えば物の考え方、他者に対する振る舞い。何を尊び、何を是として否とするか──危機に陥った際、何よりも優先するものは何か、とかね」
「何を、優先するか……」
「君にもあるんじゃないかい?強大な何かと相対した時の記憶が。そこで君は何を思い、どんな決断をした?そこから紐解いていけば、見えてくるものがあるんじゃあないかな」
言われるまま、己が胸の内を掘り返す。
俺がこれまで遭遇してきた「強大な何か」──戦えば危険は免れない恐るべき相手──そんな時、俺はどうしたか。
素直に誰かの協力を仰いだ?──否、そういう時は必ずと言っていい程、俺は周囲を遠ざけた。
何故?──自分の都合に巻き込むことで、誰かが傷つくのが嫌だった。最悪、二度と帰らぬ者が生まれてしまうのが、怖かったから。
何故?──…信じきれて、いなかったのだろう。自分の強さと、自分以外の誰かの強さを。
SAOの……「あの日」以降、自分の弱さをこれでもかと嘆いてきた俺だが、それだけではない。心のどこかで、俺の周囲にいた仲間達──キリトやアスナ、クラインといった皆の事を、本当の意味で信じられていなかった。
コイツは安心して背中を預けるに足る存在なのか?俺が守らないとダメなのではないか?俺はちゃんと皆を無事に生還させる事が出来るのか?──ああ、なんとまぁ一方的で、自分勝手で、傲慢なことか。
今だってそうだ。俺の胸の内を全て曝け出して尚、あいつらは俺の傍にいてくれるのか?そうだとして、無理にでも俺に気を遣うようになってしまうのではないか?そんな考えがこびりついている。
アリスのことは信じられた。彼女の意思を汲んだアスナの事も……今の所、信じられている。
だが他の皆──キリトに対して、全幅の信頼を置けているかというと……本当の意味では、そうじゃないのだろう。
ましてや今はアスナがいない。キリトの辿ってきた道を知っていて、その上で支えてくれる柱が無い。再会の目処も立ってない状況だ。彼にだって人並みの弱さがあるのだと知っている以上「どんな苦難を前にしても、キリトなら絶対大丈夫」と言い切ることは、俺には出来なかった。
「……そういう事、なのか……?」
思考の海から浮上した俺は、メディナの話に立ち返る。
彼女もまた、自分の──《欠陥品》であるオルティナノス家の問題に俺達を巻き込み、最悪の結果になる事を恐れているのだろうか。
得られる協力とそれに伴うリスクを天秤に掛けた結果、俺達がそのリスクに負けてしまうと判断したから──自分の力ではそれを防げる自身が無いから、メディナは俺達の協力を頑なに拒み、遠ざけているのではないだろうか。
勿論、本当の所はどうか分からない。所詮は俺の想像だ。だが──
──何もせず後悔するような事だけは、もう繰り返したくないから。
そうだ……何もしなかった、何も出来なかったせいで後悔を重ねることは、俺だって御免だ。
ではどうする?どうすれば、メディナの信頼を勝ち取れる?そうでなくとも、少しでも彼女の役に立つには──
「……これが1番、か」
ある1つの方法を考えついた俺は、ジッと俺を見守ってくれていたベル先輩に告げる。
「先輩──1つ、お願いがあります」
ここからもう1シーン繋げたかったんですが…文字数2万に迫りそうだったので一旦ここまで。