夜──夕食を食べ終え、念の為猫の墓の様子を確認してきた俺が部屋に戻ると、2段ベッドの下ではメディナが既に床についていた。
放課後、ベル先輩と話して決めた事をメディナに伝える事は出来なかったが、寝入っている所をわざわざ起こすのも悪い。朝になれば嫌でも起きた状態で顔を合わせるのだし、その時こそは何が何でも伝えさせてもらうことにする。
「……おやすみ」
手早く寝巻きに着替えた俺は、小声でメディナにそう言って上段のベッドに上がる。
秋も過ぎ去って冬が訪れる頃だ。夜の空気の冷たさに身震いしながら、俺は布団に包まって目を閉じるのだった。
──キッ、キィ、ギシッ──
ふと、無音だった部屋に木が軋む音が。それはベッドの梯子を昇り降りする際や、人がベッドに乗った際、よく聞くものだった。
「────」
2段ベッドの上で眠る少年の寝顔を、少女はまじまじと見つめる。
ちゃんと見たのは初めてだが、こうしているとどこかあどけなさを感じさせる。真面目なのか不真面目なのかはっきりしない──いや、最近は少し真面目になりつつあるような──そんなことはどうでもいい。
とにかく重要なのは、この少年は自分の事を案じてくれているという事──こんな自分と「友達になりたい」と言ってくれた事だ。
……初めてだった。子供の頃に出会った同年代の少年少女達ですら、予め親から「《欠陥品》とは関わるな」と言い含められた状態だったのだ。それを知らずに友達となった子供も、そうと知った途端に手の平を返して離れていった。
だが彼は……彼とその友人達だけは、自分が《欠陥品》である事を知っても──周囲から疎まれる存在である事を知って尚、友達だと言ってくれた。それどころか、自分の一族がそんな扱いを受ける事がおかしいとさえ言ってくれたのだ。
本当はそうなのかもしれない。けど始まりは、今となっては遠い昔の事だ。誰にもそれを証明することは出来ない。少女自身にも。
だから──どうにもならない事だから。そこに彼らを巻き込むわけには行かない。優しい彼らを、あんな連中に傷つけさせたくない。
だから──どれほど屈辱だろうと。自分が今まで以上の、二度と消えない汚泥を被る事になろうと──こうするしか、ないのだ。
「ん──んん……?」
半分だけ覚醒した意識が、何かの気配を察知する。ベッドが軋む音と感覚、そして俺を覆う布団を捲ろうと──
「ッ──!?」
パチッと音がしそうな勢いで目を開く──眼前殆どゼロ距離に、少女の顔があった。
「ぅわ──むぐッ!?」
驚きから反射的に叫ぼうとした俺の口を、少女が塞ぐ。
「大きい声を出すな──そのまま寝ていろ。すぐに終わる」
「メ、メディナ……!?終わるって、何が──っちょ、おい!?」
俺のベッドに潜り込んできた少女──メディナは、一体何を血迷ったのか布団を取り払うと、俺の着ている寝巻きの裾に手を掛けてきた。当然、俺はその手を掴んで全力で引き止める。
「メディナさん……!?何のつもり──」
「いいから黙っていろ、手を離せ……!」
「そっちこそ離して貰えますかね!?」
「ええい、大人しくしろ──ッ!」
小さく声を荒らげたメディナが俺の上に馬乗りになってくる。
「メディナ!一旦、一旦落ち着こう!何が理由でご乱心か知らんが、まずは話し合いから始めるべきだと俺は思うなァ……ッ!?」
「──いいからッ!」
語気を荒げたその一声で、両者の動きがピタリと止まる。
窓から差し込む月明かりの残滓が、俺に跨るメディナを──髪と同じ緋色に染められた、胸の辺りから腹にかけて大きく開いている「この時期絶対寒いだろ」と言わざるを得ない薄いネグリジェ姿の彼女を、仄かに照らしだした。
「いいからッ……このまま、何もせず身を委ねてくれ。私も、経験が無いから不慣れだが……その、頑張る、から──」
「……メディナ」
「ジッとしているのが嫌なら……て、手慰みに触っても──」
「──メディナ」
少し語気を強めて名前を呼ぶと、メディナの体がビクリと震えた。
「……もう止めろ」
「……何を、言ってる。お前の方こそ……抵抗するな」
「こんな事をしたって君が辛くなるだけだ」
「……私じゃ……ダメか?──《欠陥品》には……っ……抱く価値すら無い……という事か」
「そうじゃない。けど少なくとも、今の君を──今にも泣きそうなのを必死に我慢して隠そうとしてる女の子を、そういう目で見れない」
「ッ……!」
見上げるメディナの瞳には、涙が滲んでいた。声だってどんどん震えてきている。そんな子に不躾な目を向ける程、俺は屈折した人間じゃないつもりだ。
小さく身動ぎしながら身体を起こす。
「メディナ……一体何があった。こんなの君らしくないぞ」
「──まれ」
彼女の手が、俺のチュニックを強く握り締める。
「だまれっ……何も言うな。なにも……っ……聞くな。頼むからっ……おまえを──お前を守るには、これしかないんだ……っ」
涙ながらにそう訴えるメディナ──今の言葉で、大体の事情は察せた。
「……アイツか」
恐らくこれはメディナの婚約者による命令──この間、平民の分際で無礼な口を聞いてきた俺を禁忌目録ないし学院則違反で排除しようと計画した美人局──と言った所か。
差し詰め、俺をその気にさせて既成事実を作ってからメディナに「無理やり襲われた」とでも証言させるつもりだったのだろう。……仮にも婚約者にさせる事じゃない。想像するだに腹立たしい話だ。
「……お前はもう、あの男に目をつけられてしまった。このまま学院に居続ければ、お前まで──だから、こうするしかないんだ。せめて、学院則違反で退学に出来れば……ッ」
「せめて命は助かる──と……メディナ、俺達の為に君が身を削る必要はないんだ。こんな事しなくても、助けてくれって一言くれれば、いつだって──」
「それはこっちのセリフだ!私の……オルティナノス家の因縁にお前達まで巻き込まれる必要はない。なのにお前達は、私が何度言っても聞かずに関わろうとして……私の気持ちも知らないで、勝手な事を言うなッ!」
「──だったら見せてみろ。助けなんか必要無いって俺達が思えるように、あんなクズ野郎の手なんか振り払って証明して見せろ!」
「ッ──それが出来ればとっくにやっている!出来ないからこうなっているんだッ!お前だって見ただろう、あいつらは法をすり抜け、命を弄ぶような連中だ!そんな奴らから……私ではお前達を──私に関わる全てを守れないんだ……ッ。今のオルティナノス家には何の力もない、富も、権力も、全ては過去に消えた。残ったのは《欠陥品》の烙印だけだ!だからッ……あんな奴でも、従うしかないんだ……ッ!」
──私はもう……これ以上大事なものを失いたくない。
消え入りそうに零れたその言葉を聞いた俺は、半ば無意識に口を開いていた。
「……俺も、同じだよ」
「ぇ……?」
「俺も……もう何も手放したくないって、そう思ってる──」
俺は「これから話すことは全部夢で見た事だ」と前置きしてから、所々掻い摘みながらもメディナに語って聞かせた──あの鋼鉄の浮遊城で、俺が歩んできた道を。
「自分の力を信じられない、自分じゃ誰も守れない、だから誰も巻き込みたくない、だから1人でいる事を選ぶ──その気持ちは、よく分かる。でもなメディナ、それじゃ何も変わらない。諦めてしまったのと同じなんだよ。戦って、抗うことを止めてしまったら──その瞬間、君という存在は形だけのハリボテになってしまう」
「なら……なら、どうすればいい……っ?」
「何事も、1人で出来る事には限界がある。そんな時は、誰かと協力して乗り越える──勿論、1人でどうにか出来ればそれが1番良いんだが……悲しいかな、世界ってのは独り身に優しくないんだ。だから、1人じゃ無理だって思ったら、その時は素直に誰かの助けを借りた方がいい。意地でも誰かに助けられたくないってんなら、もっと全力で隠すことだな。じゃなきゃ、君にとっての俺達みたいな奴が『助けて欲しい』って気持ちを嗅ぎつけて寄ってくる。そういう連中に納得してもらうのはホネだぞ──あぁ言っとくが、今更何を隠そうとしても無駄だからな。こうして俺が話を聞いた時点で、君には是が非でも助けられてもらう」
「……むかつく……夢で見ただけの事をさも実体験かのように語るな」
「あー……まぁそれはそうだな。でも理解は出来たんじゃないか?」
「む……まぁ、理屈は理解できたが……」
「理屈と感情は別だからな──ってな訳で、だ。メディナ、明日の放課後、修練場に来てくれ」
「……何をするつもりだ?」
「そいつは来てのお楽しみ──そこで証明するよ、俺は君に守ってもらわなくても大丈夫なくらい戦れるって事を。ちゃんと君の協力者になれるって事をさ」
メディナは何が何やらといった様子だったが、今話せるのはここまでだ。
「──さ、話も終わったし、寝ようぜ」
「──…そう、だな」
「……メディナ?」
さっきのは言外に「そろそろ降りて」と言ったつもりだったのだが、メディナは俺から降りこそしたものの、ベッドの梯子を降りる様子はない。
「……少し疲れた。ここで寝かせてもらう」
と、あろう事かメディナお嬢様はそのまま俺のベッドに横になられたではないか。
「えぇ……?まぁいいけどさ。んじゃ、俺が下に──」
代わりに俺がベッドを降りようとするも、メディナは服の裾を掴んで引き止めてくる。
「……私はまだ、お前の事を全面的に信じたわけじゃない。だから……確認の為だ、一緒に寝ろ」
「え、いやその……流石にマズいんじゃないですかね……?」
「拒否するなら人を呼ぶぞ、『お前に襲われた』と言ってやる」
「か、勘弁してください……!」
だったら分かるな?とでも言うように「ん」と自分の隣を指差す。観念した俺は、せめて彼女に背中を向けるようにして寝転がり、2人で使うには少々小さい布団に包まって今度こそ眠りにつくのだった。
尚……寝ている間、メディナが俺の背中にピッタリとくっついてきて気が気じゃなかったのは余談である。