真に守り抜く   作:しんぴのまもり

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覚醒の日

 

(なんだ、すごく、すごくきぶんがいいぞ? 今なら、なんだってできる気がする。

 

……そうだ、さっき負けてしまった夏油傑にだって、今の僕なら勝てるに違いない。

気分だけじゃない、身体の調子だって、最高だ。 新しい事も出来そうだ。 何からしようか、実に胸が躍る。

 

だが、何故僕は、夏油傑を殺そうとしていたのだったか。 ……ああ、そうだ。 相手が殺そうとしてきたのだから、殺して当然だ)

 

 亀永千尋の投入した毒は、反転術式を覚え脳内物質を大量に分泌していた真守と、最高で最悪な噛み合いを起こしていた。

 今の真守は、精神力と実力を兼ね備えた状態で、最も冷酷で情けを知らない幼少期の心に戻っていた。

 更にこの際、記憶までもが複数の脳への衝撃によって消し飛んでしまっていた。

 

 つまり今の真守には、京都校での友情と青春の記憶も、師匠の二宮玉枝との思いやりが生まれた記憶も存在しない。

 

「やるぞ、ミク」

「…………うん、分かったよ」

 悲痛な顔をしながらも、式神は術者の命令を受け入れた。

 背後に顕現したミクの想いにも、今の幼い真守は気づけない。

 

「……反転術式か」

 

 その時、夏油傑の脳によぎっていたのは、11年前の、忌まわしいあの日だった。

 大切なものを何一つ守り抜く事が出来ず、張りぼての達観が崩れたあの日。

 

 たった1人の親友が、自分を置いていってしまったあの術。

 それが今、彼の目の前で覚醒し行使され、牙を剥こうとしていた。

 それでも彼は、動揺を抑えて呪霊に命じる。

 

「喰らい尽くせ」

 

 数十匹の牙のついたミミズが涎を垂らしながら真守に襲いかかり、1秒と持たずに斬り伏せられる。

 

 だが、その呪霊たちは消滅するよりも早く体液を全方向に撒き散らした。 当然それは経皮毒、すなわち皮膚からも吸収される毒だ。

 

(反転術式の対処法の一つは毒だが……どうなる?)

 

 飛散した体液が付着するまでの僅かな時間の中、夏油傑は確かにその声を聞いた。

 

「術式反転 無強和音」

 

 真守の手から楽譜に似ているがどこか歪な形のモノが生成され、呪霊の撒き散らした体液に素っ気なく投げつけられる。

 だが、意外にも呪霊の体液に触れた瞬間にそれは呪霊の中に流れ込んだように見えたが、何事も無かったように真守に毒液は降り注いだ。

 

(不発だったか? いや、毒を食らった真守に一切異常が見られない、これは……)

 

「なるほど、半数致死量、毒の強さを減少させたわけか」

 

 真守の術式は、身体でリズムを刻む限り、ありとあらゆるもののステータスや数量を増加させる。

 故に当然、反転させればあまねく全てのものを減少させられる。 今回は毒の強さを減少させたが、物を縮める事も人へのデバフも自由自在だ。

 真守は、秤との戦いにて、自分以外への術式順転の使用は困難になっていた。

 しかし、術式反転を得ることによって、今日この時刻をもって縛りの代償は踏み倒された。

 

 本来反転術式には莫大な呪力が要求される。 だが、真守の術式効果により呪力は増え続け、呪力切れは起こらない。

 真守には、全体的な呪術のセンスで言うのなら、五条悟はおろか、乙骨憂太にも及ばない。 だが、とある分野に関してのみ、真守は誰よりも才覚を持っていた。 それは術式との噛み合いであり、長年二宮玉枝の反転術式を受けていたことによる、慣れでもあった。

 

 ともかく、真守の真の才能、反転術式はここに花開いた。

 

「術式反転 無強和音 術式反転 術式反転」

 

 作られた3つの楽譜は、夏油傑を取り囲むように投げつけられる。

 

「これを食らうわけには行かないだろうね!」

 それぞれの方向に面積のある呪霊を展開し、身代わりとしながらバックステップを踏んで完全に回避する。

 楽譜が吸い込まれた呪霊は、一体は動きが亀のように鈍くなり、一体は風船のように浮かび始め、最後の一帯は肉体が圧縮されて跋除された。

 

(これは……一つでも当たったらまずいだろうね。 自分を対象にしていた術式が無制限に他方へ使えるようになると、ここまで凶悪なものになるのか)

 

 夏油傑の顔に、初めて冷や汗が流れ始める。

 その背後にて、すでに真守は二宮丸を振りかぶっていた。

 

「!!」

 

 游雲を呪霊の口から滑るように取り出して受けるも、力ずくでそのまま押し込まれ、崖下へと吹き飛ばされる。

 ほとんどの術師ならばこの時点で勝負は決まっていたが、流石に特級の名は安くない。

 

「特級呪具 万里の鎖」

 

 伏黒甚爾から回収した遺品、万里の鎖。 片方の先端を見せない限り、その射程は無限大だ。

 岩壁のうちの特に張り出したところに鎖を引っ掛けることで飛行可能な呪霊の召喚のインターバルを稼ぐ。

 

 マンタの呪霊で再浮上する夏油の脳内で渦巻いていたのは、親友の奥義だった。

 夏油が聞くところによれば、親友(五条悟)があの誰よりも憎い(伏黒甚爾)を殺したのは、単なる術式反転ではなかった。

 術式順転と術式反転を同出力で注ぎ込むことによって初めて生まれ出づる『虚式』。

 それは五条家の中でも極一部のみしか知らない秘奥。 だが、五条悟が伏黒甚爾との戦いで使用していること、真守が二宮玉枝の弟子であることを考慮すれば、それを知っている可能性は0ではない。

 

 もちろん、術式反転を持っているからといって簡単に使えるような術ではない。

 しかし、今の真守にはできても不思議ではない思わせるだけの凄みがあった。

 

 そして、それは現実になった。

 かつてなく研ぎ澄まされた真守の呪力操作は、普段体内のみで完結させていた順転を質量化することに形成する。

 右手と左手に出現させた、留まることのない増大と減少の楽譜。

 その間に生まれるのは、どこにも存在しない架空のエネルギーだ。 その色は水色で、二つの纏まった髪が絡み合っているように見えた。

 

「虚式 双音」

 

 それは悪夢のような、耳を塞ぎたくなる言葉だったが、夏油は既に覚悟をしていた分、一瞬だけ決断が早かった。

 これは特級術師としてというよりも、最強を誰よりも間近で見ていたことによる経験則がもたらしたものだろう。

 

 3367体の低級呪霊、1245体の高位呪霊、そして40体の特級呪霊を一点に凝縮し、指向性を持って虚式に放つ。

 

「極の番 うずまき」

 

 それでも虚式の威力は相殺しきれなかったが、ある程度まで減衰できれば素の耐久力と呪霊の盾が物を言う。

 

 驚くべきことに、夏油傑はこの攻撃をほぼ無傷で凌ぎ切ってしまったのだ。

 

 だが真守はそれだけでは止まらない。

 虚式を放った瞬間から真守は後を追うように飛び出していた。

 爆風を反転術式で無理矢理帳消しにし、夏油の五条袈裟に手を文字通り伸ばす。 煙の中から現れたその5m近くの腕は、虚式の相殺に成功した夏油の虚を完全についた。

 腕を元の長さに戻して、夏油を崖の上に引き戻す。

 

 そして今度こそ、研ぎ澄まされた二宮丸は、夏油傑を崖の底にまで撃ち落とした。

 

 

 刀を振り下ろしたにも関わらず、夏油の体は切り裂かれなかった。

 

「……!? 何を、した?」

 

 下を見に飛び降りると見えたものは、大柄な人間1人が通れるぐらいの穴だった。

 地面には足跡も、直近で呪霊が通ったとわかる残穢も残っていなかった。

 

「……まさか、逃げたのか?」

 

 吸引か何かの術式を持つ呪霊が居れば、二宮丸の振りに合わせて地面に降下し、その勢いのまま地面に潜る事も不可能ではない。

 

「無駄な事を!」

 だが、真守は索敵に優れた簡易領域『範』を持っている。 隠れることは決して不可能だ。

 

 早速地面に突き刺して発動すると、既に地下数十メートルのところまで潜っていることが分かる。

 想像以上の速さだったが、虚式のいい的だ。 早速放ってやろうと詠唱を開始する。

 

 だが、ここで真守にとっての予想外が起こった。

 夏油傑の位置を常に捕捉し続けるために、簡易領域『範』は中断する事なくその範囲を広げ続ける。

 

 この時、簡易領域は上下左右全ての方向へ均等に広がっていくのだが、夏油傑は真守の想像よりもずっと早く、遠くへと移動していた。

 故に、崖の上にまで簡易領域は拡大していった。 そして、当然その上にいる死にかけの人物に、真守は嫌でも気づいてしまった。

 

 だが、それだけならば今の怪物の精神性になった真守ならば意に介さなかっただろう。 そのことまで織り込んで、亀永千尋はそれ相応の毒を真守に打ち込んだのだから。

 

 だが、真守と常に共にある彼女は式神であり、そこに実体は無い。 故に、どのような術式にも影響を受けず、当然毒も決して効かない。

 そして彼女は、今の真守を良しとは思わなかった。

 一瞬の意識のブレを見逃さず、最大音量で真守に訴えかける。

 

『マスター!! 元に戻って! 昔のマスターには戻らないで!

 マスターは、ここ数ヶ月のマスターが1番楽しそうだったよ!!』

 

(……? これは……ミクの声だ……ミクが、悲しんでいる!?)

 

 二宮真守と初音ミクは術式を通して魂で繋がっている故に、比喩的な表現ではなく、声を魂に響かせることができる。

 

 言葉の意味に対しては曖昧模糊な認識しかできなかったが、その言葉は確かに真守の注意を引き付けた。

 

「ミク、どうした!? 何があった! 僕にできることはあるか!?」

 

「……なら、お願い、治しに行って! あの人が死んだら、マスターは多分もう戻れなくなる!!」

 

 今の一連で夏油を見失った真守に他の選択肢はなく、ひとまずはミクの助言に沿って動くことを決めた。

 視力を強化すれば、空気にも動きが、流れがあることに気がつく。 それに沿って空気の面を蹴り付ければ、空中歩行が可能だ。

 

 クライミングをするよりもずっと早く上へ上へと上がる真守だったが、一つ重大なことに気がつく。

 

「とりあえず……何と言ったか……あいつを治す……、治すだって!?」

 

 真守は、まだ反転術式をアウトプットすることはできない。

 

 反転術式のアウトプットは、通常の反転術式よりもなお遥かに難易度が高く、五条悟すら習得はしていない。

 

 使いこなすには反転術式以外の呪術の才能を全て反転術式に注がれて生まれるか、変幻自在の呪力を持って誕生するか、もしくはありとあらゆる呪術を扱える呪いの王になるしか無い。

 当然、真守はそのどれにも当てはまっていない。

 だが、真守に諦めるという選択肢は無かった。 生来彼の持ち合わせていた親しい人への忠実さ、誠実さにより、彼は治せるかどうかではなく、どうやって治すかを考え始める。

 

「どうするミク! 何かいい案はあるか!?」

 

「待ってマスター、今……今考えているところ!」

 式神のミクには動揺はあれど、それによる思考の鈍りは存在しない。

 その上で、彼女は今苦悩していた。 

 

「ぐっ……そうだ、領域! 領域はどうだ!? あれの必中効果なら他人に強く干渉できる! アウトプットの必要なく、正のエネルギーを流し込むことができる!」

 真守の狙いは、反転術式を領域の必中効果に選択するというものだった。

 無下限や投射呪法などの術式でも、領域の中に引き摺り込めば致命傷を与えられる。

 つまり、領域の中の術式は、通常よりも他人を術式に巻き込みやすくなるわけだ。

 

「でも、反転術式は術式じゃなくて呪力操作だよマスター! あくまで必中を付与できるのは、マスターの術式……私に由来するものだけ!」

 ややこしいようだが、反転術式は術式と名のつくだけで理論上は誰でも使える呪力と呪力の掛け合わせ。 そして領域は、自身の術式を付与し、相手に食らわせる。 故に、反転術式は領域の条件に組み込むことはできない。

 

 「そうか、ならそれ以外には……いや、ちょっと待った、ミク」

 袋小路に追い込まれた気分で思考を巡らせる中、真守の脳内で、点と点が繋がる。

 それは間違いなく、今の真守だからこそ瞬時に飛び出した発想だった。

 

「今思いついたんだが、別に反転術式をアウトプットすることにこだわる必要はないんじゃないのか?」

 

「……どういうこと?」

 

「これは今思い浮かんだ、ただの思いつきでしかないんだが、聞いてくれ。

 もしも、もしも術式の範囲内で正の呪力を生み出す事が出来たのなら……それを領域で必中に出来るはずだ」

「僕の術式はミクだ。 そしてその効果は、ただ韻を踏んで呪力を増やす、そういう術式だったはずだ」

 

 二宮真守の術式は今でこそ腕を常識の範囲外の長さにまで伸ばしたり、視力や反射神経を限界まで上げ続ける事ができるようになっているが、それはあくまでも真守の考案した拡張術式だ。

 本来はリズムを刻む事で自身の呪力量を爆発的に増加させる、ただそれだけのシンプルな術式だった。 

 更に言うのなら、その仕組みは『流す曲に向けられた人々の呪いを利用する』という見立てによって成り立っていた。4話参照である。

 

 今の真守は拡張術式そのものは覚えているが、何故それを憶えるに至ったかの過程が記憶から消失していた。

 故に、先入観を持たずに術式を見つめ直し、シンプルかつ当然の結論に至った。

 

「そう、この増加する呪力は、曲への想いであり、呪いだ。 だが、考えてみてくれ、ミク。

 素晴らしい曲へと向けられる想いは、負の感情よりも、感動とかの、正の感情の方がよっぽど大きいと、そうは思わないか?」

 

「マスター、もしかして……」

 

「僕は、曲から、正の呪力を直接取り出す」

 組むは、心願を成就させる意味を持つ智拳印。

 つい昨日行った模擬戦にて、すでにそれの要領は掴んでいる。 故に、後はそれを唱えれば良い。

 

「領域展開 未来応頼(みくおうらい)

 

 その領域の中は、治療をする場所としては似つかわしくないほど賑やかだった。

 機械的なミクの声とやたらテンポの早い曲が幾つも折り重なって流れ、辺りにはレコードだのスピーカーだのがざっくばらんに散らかされている。

 ミクはこれを、マスターの子供っぽいところが前面に押し出された領域だと感じた。 

 

 亀永千尋の心臓に、腱に、肌に術式で抽出された正の呪力が必中する。

 この正の呪力には、必ずそれぞれの術師にある呪力の癖のようなものが存在しない。

 よって受け手側からの拒否反応が起きる事もなく、亀永千尋の呼吸が少しずつ整っていく。

 

「よし、これで亀永千尋は大丈夫だ。

 それにしても、これが僕の領域か。 なんというか、少し不思議な感覚だ……。

 さっきまでみたいに最高に気分が良い、というのとも少し違う」

 

 亀永千尋が完全に治るまで、まだ2、3分はかかる。

 完全に手持ち無沙汰になった真守は、自分の領域をしげしげと眺め回していた。

 

「……あれ、なんだろう、これ」

 

 真守が見つけたのは、CDやミクの似顔絵で埋め尽くされた壁の中にある、小さな額縁だった。

 

「これは、写真だ、真ん中にいるのは僕で、他に6人いる……けれど、僕以外の顔はぼやけていてよく見えない。

 写真写りが悪いタイプの人たちなのかな……? というか、この人の体、どう見てもロボだよね……」

 真守は首を捻るが、脳内に靄がかかった状態からどうにも抜け出せない。

 仕方がないので振り返って、他の場所も見てみようとする。 

 真守は振り返ろうとする。

 だが、どうしても、その写真から目を離す事が出来ない。 脳の1番奥から、芯まで届くほど強く訴えかける何かがある。

 

「なんだこれ…、もしかしてこれは、僕にとってすごく大切な何かなのか?」

 

「気がついたね……」

 

「……え?」

 

 あれほどまでに振り返れなかった首が、いとも容易く振り返った。

 それは、不可侵の領域に、見知らぬ声が入ってきたからではなかった。

 

 むしろその逆、真守が聞いたのは誰よりも慣れ親しんだ声だった。

 

 だがおかしい。 明らかに、その声はいつもと比べて離れすぎている。

 この声は、いつも側にいてくれた、あの声のはずなのだ。

 

 その姿を確認した真守は、ポツリと一言だけを絞り出す。

 

「なんで今のミクは、本物の身体を持っているの?」

 

「昔話でもしようか、マスター」

 いつも通り、にっこりと笑って、いつもと違う肉声を持ってミクはそう告げた。

 

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