095
人は『五秒』の間に、一体どれだけのことができるのか?
おそらく、ほとんどの者は『何もできない』まま終わるはずだ――理由は実に簡単。ごく普通の人々の日常は、このわたしから言わせれば『眠っちまいそうなノロい動き』の連続だからである。
しかしそれは、必ずしも『軽蔑』に値しない。
たとえば、あの空条承太郎やその仲間たち――あるいはわたしの配下の者たちにとっての『五秒』とは、おそらくかなりの割合で死活問題だったはずだ。一瞬の油断が命取りとなる戦いの場において、『五秒』もの隙を相手に見せることはかなり致命的なのだから。
『スタンド』という特殊能力を手にした代償として、普通の人々以上に『時間』に縛られる……それは力ある者の宿命であり、ある意味では『不幸』と呼ぶべきなのかもしれない。
だが。
全ての生物や全てのスタンド使いを超越したこのディオにとって――『時間』とはむしろ支配の対象となり得るのだ。
そして、そのための能力が『
「これが、『
凍り付いた時間の中に閉じ込められている忍に向かって、わたしは語りかけた。
そんなことは『無駄』な行為でしかないと分かっていながらも――あえてそうする。
「お前は自分の身に何が起こったのかさえ、知ることはない」
静止した時の中を、わたしはゆっくりと歩き出すと……辺り一面に散乱した『ロープ』の切れ端を掴み、
そしてそのまま、忍の背後に立って宣言する。
「時は動き出す!」
五秒が経過した。
凍結した時間の流れは融解し――『世界』は再び、自らの動きを取り戻す。
それと同時に。
忍の四方八方を取り囲んだ、無数の毒牙も――中心部へ向かって一斉に襲い掛かった。
「……!? ぐ、ああああああああああッ!」
毒牙の群れが、忍の肉を抉る。
皮膚を貫き、骨をも砕き――その毒は全身にくまなく行き渡る。
今の彼女に、もはや打つ手はない……
「儂に……何を、した……若造……」
「フン! 貴様は何も知らない――このディオだけが知っているのだ。……ダメ押しにもう一本」
忍に向かってそう冷徹に告げると、わたしはとどめを刺すつもりで一本の毒牙を投擲する。
最後の抵抗とばかりに、忍は『心渡』で防御を試みたが……全身を毒に侵された状態でまともに刀を振れるはずもなく、その刃先は虚しく空を切るのみだった。
「ガハッ……」
眉間を貫通した毒牙の勢いに押され、忍の身体は宙へと放り出される。
吹っ飛ばされた先にあったのは、神社へ続く長い階段であり――彼女はまともに着地することすら許されず、暦と同様に石段を転がり落ちていった。
こうして。
北白蛇神社を舞台に繰り広げられた、『神』と『吸血鬼』の戦いは……ここに幕を下ろした。
「それにしても……。『勝利』の代償が、これほどまでに――大きいものとはな」
わたしは勝利の余韻に浸る暇もなく、胸に深く開いた傷口を見て顔をしかめた。
忍の手前、気丈に振る舞ってはいたが……先ほどからずっと頭痛と吐き気がおさまらない。『最低にロー』というやつだ。
いや――むしろこの程度で済んで良かったと、そう考えるべきだろうか。
「ディオさん」
と、その時。
わたしの背後から、今までの戦いを見守っていた千石撫子が姿を現した。
「大丈夫? 血がいっぱい出てるけど」
「……気にするな。今は無理な真似はできないが――遅かれ早かれ、傷というのは治るものだ」
「そう。なら良かった」
そう言った後、千石撫子は忍が落ちていった石段の方を一瞥した。
「倒した……のかな」
「さあな。少なくとも『再起不能』には追い込んだつもりだが……あの忍のことだ。気絶したふりをして、こちらの隙を窺っているかもしれん」
「そっか。じゃあ一度、様子を見にいかないとね」
千石撫子は軽く上を見上げると、頭の中で何かを念じるかのような素振りを見せる。
すると、神社上空を覆っていた蛇の群れがするすると移動を始め、階段の両脇にそびえ立った木々に巻き付いていく。
それから少しして――直射日光を防ぐための『アーケード』が、我々の前方に形成された。
「これでよし、と」
「……随分と手慣れたものだな」
「まあね。もしかしたら撫子、のび太くんみたいな『綾取り名人』になれるかも……でも今日だけで結構頭使ったから、流石に疲れちゃった」
「そうか。色々と……世話になったな。撫子」
「ううん、気にしないでいいよ。だって撫子は『神様』だもん」
千石撫子はそう言って、得意げに微笑んだ。
わたしはその顔を少しだけ見つめた後、腕組みして石段の方へと向かう。
「――忍の様子はこのディオが見てこよう。お前はここで少し休んでいろ」
「…………」
「心配するな。すぐ戻ってくる」
「……うん。待ってるから」
そのまま千石撫子のもとを離れ、わたしは石段を一段ずつ踏みしめながらゆっくりと下りていく。
あの『黒い壁』を抜け、この神社で経験した数々の出来事――千石撫子との会話や忍との戦闘を思い出しながら。
その堂々たる足取りは、まさしく『王者の風格』と呼ぶにふさわしい。
「……さて」
山の中腹に差し掛かったところで、わたしは一旦歩みを止める。
視線の先に――何となく予想していた光景が広がっていたからだ。
「ハァ……ハァ……」
全身に突き刺さった無数の毒牙。
止まらない出血。
焦点の合わない目と、荒い息遣い。
朦朧とした意識の中、忍は――それでもなお立ち続け、このディオに『心渡』の刃を向けていた。
「貴様……それは何のつもりだ」
ただ一つ、このディオの予想を裏切ったもの。
それは――背後で気絶して倒れている暦を庇うかのように、忍がその身を挺してわたしの前に立ちはだかっていたことだった。
「いくら仲間の吸血鬼とはいえ……あれだけ気位の高い貴様が、なぜそんな惨めな姿を晒してまでその少年を守ろうとする?」
「…………」
「その暦とやらは、まだ吸血鬼になって日の浅い『青二才』という話ではないか――貴様とは経験も実力もまるで違うはずだろう。千石撫子に対するあの煮え切らない態度が良い例だ……そんな男をなぜ『我があるじ様』と呼び、素直に付き従う?」
「…………」
「答えろ」
「……『お前が明日死ぬのなら僕の命は明日まででいい』」
口をわずかに開き、忍は息も絶え絶えにそう呟く。
たったそれだけの動作で――傷口から鮮血が飛び散り、石段に新たな染みを作った。
「かつてこの男が、儂に言った言葉……それが『答え』じゃ。儂はまだ……ここにいる。うぬのような男に……儂らの『明日』を……勝手に潰されるわけにはいかんのじゃ」
「…………」
「あるじ様の命が失われれば……その瞬間、儂は儂でなくなる。この忍野忍は『完全体』となり……うぬを真っ先に殺すぞ。問答無用で、情状酌量の余地なく……必ず殺す」
「……! 『完全体』……だと?」
完全体。
その言葉に、わたしは強い引っかかりを覚え――忍に一つの質問を投げかける。
「まさか、忍……。今の貴様は『完全体』などではなく――吸血鬼『もどき』に過ぎないと、そう言いたいのか?」
吸血鬼もどき――それは当の忍が散々、このわたしに対して投げかけてきた言葉だ。
てっきりあれは、このわたしを同じ吸血鬼と認めず、下に見ていたがゆえの挑発だと思っていたのだが……そうではなくむしろ、中途半端な存在に成り下がった自分と同じ『もどき』を前にし、不快感を覚えたがゆえの嘲りだったのか?
『蔑視』ではなく『同属嫌悪』――そういうことなのか?
「……ッ! う、ううう……」
だが、忍はわたしの質問に答えなかった……というより『答えられなかった』という方が正しい。
蛇毒に全身の至る所を侵され、もはや意識を保つのもやっとの状態なのだろう――倒れそうになる身体を刀で支え、ひたすら気力だけで立ち続けているといった様子だった。
「最後に、一つだけ……聞くぞ。この儂を……我があるじ様を……殺すのか?」
うわ言のようにそう呟くと、忍は残った力を振り絞り――上段に立つわたしのことを睨みつける。
わたしはその眼光に気圧されることなく、彼女の瞳をはっきり見据えて答えた。
「……貴様らを殺すのは、このディオではない。あの『蛇神』――千石撫子が、自らの手で貴様らにとどめを刺すと決めたのだ」
だから――せいぜい。
勝手に生きて。
勝手に死ね。
「――かかっ。その言葉……信じたぞ、『同属』……」
「……!」
それだけを言い残して、忍は地面に倒れ伏し――そのまま意識を失った。
最後の最後で。
わたしが千石撫子を『神』と認めたように……忍ははっきりと、このディオのことを『自らと同じ存在』と評したのだった。
だがそれは、このわたしのことを『吸血鬼』として認めたということなのか。
あるいは、わたしの質問に対して、自分も同じ『もどき』だと正体を明かしたに過ぎないのか。
答えを知る唯一の存在は、今や深い眠りの中だ。
「…………」
しばらく様子を窺ってみたが、忍が再び起き上がってくる様子はない……だが数時間もすれば、暦ともども傷を回復させ、意識を取り戻すことだろう。
いつまでもこの神社に留まっていては、また面倒な事態になりかねない――そう判断したわたしは、千石撫子に軽い別れを告げるため、石段を上り始めた。
だが。
背後から、
「――ディオ? まさか、ディオ……なのか?」
慣れ親しんだ声。
『聖職者』特有の――よく通った、それでいて落ち着いた声。
わたしはゆっくりと後ろを振り返り、その人物の姿を視界に収めた。
「驚いたな……なぜ『きみ』がここにいる――プッチ」
エンリコ・プッチ。
わたしのその言葉を聞くやいなや……彼はどこか恍惚とした表情を浮かべ、天に向かって祈りを捧げ始めた。
「おお……神よ。この時をずっと待っていた――まさか再び、我が生涯の友と巡り会えようとは」
「それは良いのだが……しかしプッチ、なぜわたしの居場所が分かったのだ?」
「Pater noster, qui es in caelis, sanctificetur nomen tuum. Adveniat regnum tuum. Fiat voluntas tua sicut in caelo et in terra……」
「いや、あの……プッチ?」
「Panem nostrum quotidianum da nobis hodie, Et dimitte nobis debita nostra, sicut et nos dimittimus debitoribus nostris……」
「……プッチ」
「Et ne nos inducas in tentationem; sed libera nos a malo……」
「――エンリコ・プッチ!」
「はっ!? す、すまないディオ……つい我を忘れてしまった」
「我を忘れるあまり、このディオのことまで忘れないでほしいものだな」
わたしはやれやれといった様子で溜息をつくと、改めてプッチの顔を見た。
そこで初めて――『違和感』のようなものを覚える。
「ところで、プッチ……きみ、そんなに大人びた顔つきをしていたか?」
「大人びた? それはそうだろう。もう今年で――わたしも『三十五歳』になるからな。あの頃はただの神学生だったが、今では教誨師として第一線で活躍しているよ」
「三十五歳……だと?」
わたしは耳を疑った。
プッチの年齢が、わたしの記憶と明らかに食い違っている――それに、『あの頃』とは一体どういう意味だ。
何かが……おかしい。
「その様子だと……あれはきみの『戦略』ではなく、突発的な『事故』だったみたいだな」
動揺を隠せないわたしに対し、プッチの態度は至極冷静なものだった。
彼はゆっくりと石段を上がってくると、わたしを『安心』させるためか――肩にポンと手を乗せ、穏やかな口調で語りかけてくる。
「いいかいディオ、落ち着いて聞いてくれ」
だが。
その後に続けられた彼の言葉は――わたしをしばし絶句させるに十分足るものだった。
「今は、西暦でいうと『二〇〇七年』だ。きみが突如エジプトで『失踪』を遂げてから……実に
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後日談というか、今回のオチ。
いや、オチというのも不正確だろう……強いて言えば『編集後記』のようなものだ。
まずはわたしの『失踪』の件について。
プッチから聞いた話によれば――わたしはあの空条承太郎との一戦の最中、何の前触れもなく出現した『黒い壁』に飲み込まれて姿を消したとされていた、らしい。
そこまではこのわたしの認識と何ら相違ない……が、その先の展開はわたしの想像を遥かに超えるものだった。
「『タイムトラベル』」
「……なんだと?」
「ディオ。きみが青年期を過ごした十九世紀後半の時代には、まだあまり一般的ではなかったかもしれないが……いわゆるサイエンス・フィクションと呼ばれる類の物語において、『タイムトラベル』という概念は頻繁に用いられている」
「…………」
「土台となる理論や仕組みは複雑なものがほとんどだが――実際に起きる現象は至極単純明快で分かりやすい。『過去や未来へ移動する』……ある意味では『時間を操っている』ともいえる」
「なるほど。『時間を操る』――それならイメージしやすいな」
「ただ、問題は――それが単なる『フィクション』じゃあなく、莫大なエネルギーさえあれば実現可能なものだったということだ。そして今回、きみが『当事者』としてタイムトラベルを経験したことで……それが立証されたことになる」
黒い壁。
今までわたしがそう呼んでいたものは、どうやら『タイムトンネル』の役割を果たしているらしく――このディオはそこを通ったことで、一瞬のうちにこの『十八年後の世界』にやってきたということになる。
なお、タイムトラベルに必要な『エネルギー』についてだが……これは『霊的エネルギー』と呼ばれる代物であり、まさしくエジプトを始めとした世界中のパワースポットに遍在しているという。
そして、それらの条件が『偶然』重なったことにより――今回のタイムトラベルが実現した、と。
「それは分かったが……しかし、なぜこのディオがそんなものに巻き込まれたのだ? それに、エジプトから遠く離れた日本に飛ばされたことも不可解だ。それはタイムトラベルの範疇には入らないんじゃあないのか?」
「ふむ。現実世界におけるタイムトラベルに際して、時間軸や空間の座標を設定するのはトラベラー本人だと聞くが……ディオ。きみはあの『タイムトンネル』に入る直前、未来の世界や日本について考えたことはなかったかい?」
「いや、特にそんな覚えはないが……」
――否。
『未来』のことというのなら……わたしはあの時『天国』について思いをはせていたではないか。
承太郎に追い詰められ、思考が混乱していたわたしは……向かうべき『あの場所』を『天国』のことだと勘違いし、ずっとそのことだけを考えていた。
『天国へ行きたい』……すなわち、『未来へ行きたい』と。
そう願ったのは、他ならぬこのディオだったのではないか。
「…………」
自ら導き出しておいてなんだが、それは非常に認めがたい結論だった。
『未来へ行きたい』――それはすなわち、このわたしが心のどこかで、承太郎との戦いの放棄を望んでいたということになる。
ジョースターの血統との決着をつけることなく。
タイムトラベルによって、自らの運命から『逃げ出した』ということに他ならない。
「ただ……未来のことはともかく、その空間座標とやらが日本に設定された理由については、やはりどうしても分からんな。『承太郎が日本人だったから』ということも考えられるが――しかしそれでは、あの北白蛇神社に飛ばされた理由の説明にはならん」
「そうか。だとすれば、これはわたしの推測になるのだが……単純にあの神社一帯の地域ときみとの間に、強い『引力』が働いたのかもしれない」
「『引力』?」
「そう。詳しくはわたしも知らないが――あの町の住人との間に存在する『引力』は、きみ自身が一番よく感じ取ったはずじゃあないのかな」
「…………」
わたしはしばし沈黙した後、小さく頷いた。
「スタンド使いはスタンド使いに引かれ合う」というジンクスがあるが……これは何もスタンドを有する者に限定した話ではない。もっと普遍的な――例えば『類は友を呼ぶ』と言われるように、似た属性を持つ者たちはそれ自体が一種の『塊』となって、『引力』が大きく作用するのである。
プッチの仮説が正しければ。
『吸血鬼』としてのディオは……忍野忍と。
『神』としての
このわたしと彼女らの出会いは――『引力』という名の『運命』によって、あらかじめ決定づけられていたのかもしれない。
「それにしても、プッチ……きみもよく、このディオの居場所がすぐに分かったものだな。まるでわたしが『復活』するタイミングを完全に見透かしていたみたいじゃあないか――どんなからくりを使ったんだ?」
わたしが口にした疑問に対して、プッチは軽く微笑むと。
「決まっているさ。きみとわたしとの間に存在する『引力』……あるいは『重さ』のおかげだ」
それっきり、彼は黙して答えなかった――まあいい。
このディオが、千石撫子との『物語』を秘密のノートにしたためているように。
きっとプッチにも、わたしには秘しておきたい『物語』があったのだろう。
それから、例の吸血鬼――忍野忍に関するわたしなりの推察も、この機会に記しておこう。
仮にあの忍が、わたしの想像通り『吸血鬼もどき』だったのだとすれば……彼女が太陽を克服できた理由についても察しは付く。
答えはずばり、そもそも忍は純粋な『吸血鬼』などではなかったからである――どうりで彼女が、このディオに『あんな方法』が受け入れられるはずはないと言い放ったわけだ。人間を超越した『吸血鬼』であることを一種のアイデンティティのように感じているわたしからすれば、いくら『弱点』を無くすためとはいえ、その称号をかなぐり捨てることなど言語道断である。
また『あんな方法』の具体的な内容についてだが、これは忍と暦の関係性から類推するしかない。
このわたしが幾度となく肌で感じた、彼らの奇妙な繋がり――それは絆でも愛情でもなく、この場合『呪縛』とでも言い換えられる代物だった。
彼らは互いに呪い合うことで、互いを縛り合っているのであり……そして吸血鬼にとって相手を『縛る』ためにする行為とは、言うまでもなく『吸血』である。
『他人の血を吸う』という行為には、それが単なる『食事』のためか、眷属作りを目的としたものかにかかわらず、否応なしに『支配』という側面が伴うものだ――それはまさしく相手の自由を奪う『束縛』に他ならない。
話を整理すると。
千石撫子が語ったように、事の発端はおそらく、忍に血を吸われたことによる暦の吸血鬼化だ――その時点では忍はまだ『伝説の吸血鬼』であり、彼を支配する立場にあった。
だが、その後何らかの『トラブル』があり……結果として忍は逆に暦に血を吸われ、一転して彼の『幼女奴隷』へと成り下がったのだろう。
『吸血』を行う側の立場でありながら、逆に『吸血』される側に回ってしまう――吸血鬼にとって最大のアイデンティティを失った忍はもはや元の姿ではいられず、『吸血鬼もどき』に身を堕とすことになった。
彼らの身に起きた出来事の真相としては、そんなところだろうか?
「かかっ。若造の分際で、他人のプライベートをあれこれ邪推しおって。うぬに儂らの心は永遠に分かるまい」
限られた情報だけでつらつらと考えてはみたが、忍が聞けばそんな台詞を吐いたかもしれない……実際、この仮説にはまだ不明瞭な点が多いこともよく分かっている。
もし本当に『トラブル』なるものがあったのだとしても、それは単に、暦が忍に対して『下剋上』を仕掛けたというわけでもなさそうだ――そうだとすれば、それは一般的な『主従関係』の領域を出るものではなくなる。厳密に言えば、暦が『あるじ様』というわけでも、忍が『幼女奴隷』というわけでもないとしか思えないのである。
『お前が明日死ぬのなら僕の命は明日まででいい』。
互いに自らの命運を縛り合おうとするその態度は、『運命共同体』の産物そのものではないのか。
結局わたしに言えるのは、彼らの身に起きた『物語』もまた、このディオの知り得るところではないということだけだった。
わたしの知らない物語。
彼らだけの物語――それは本来であれば、誰も知らないどこかで勝手に始まり、そして勝手に結末を迎えるものだったはずだ。
だが。
あの千石撫子がこれからやろうとしているのは……そんな二人が築き上げてきた『世界』に介入し、完全なる終焉をもたらそうとするものだ。
他者の『運命』に自ら決着をつける――それはまさしく『神』の所業とも称すべき、身勝手の極みだった。
千石撫子。
あの石段で、プッチから自分の『失踪』の件について聞かされた後――結局わたしは彼女に別れを告げぬまま、神社を後にした。
空条承太郎をはじめとする追手の者(聞けば、未だに彼らはこのディオとの『因縁』に囚われ、『安心』とは程遠い生活を送っているのだという。敵ではあるが何とも哀れなものだ)がこの場所を突き止める前に、早いこと身を隠した方がいいというプッチの助言に従ったまでなのだが……やはりあんな尻切れトンボのような別れ方は、どこかすっきりしないものがある。
もしかすると、未だに千石撫子はこのディオの言葉を信じ、あの北白蛇神社でわたしが『戻ってくる』のを待っているのかもしれない――いや、それは流石に買い被りすぎというものか。
図らずもあの日、このわたしと千石撫子が共同戦線を組む形で忍と戦ったのは、たまたま互いの利害が一致したからに過ぎず……決して彼女を助けようと思ってのことではない。
それは千石撫子の方とて同様だろう――あの「信じてあげる」という発言にしたところで、結局それはただのポーズに過ぎない。
本質的にあの少女は、他者を『信じる』ことなどできやしないのである。
だが、これだけは言える。
このディオと千石撫子は、『引力』に導かれて出会った者同士であり――そしてその出会いには意味があったのだと。
わたしと彼女がそれぞれの『天国』を目指す上で――きっと『無駄』なことではなかったのだと。
手段はどうあれ、あの幼い『神様』が今も『天国』へ向かうための努力を重ねているというのなら、このディオとて負けてはいられない。
たとえ多くの部下を失い、宿敵から逃げ出すなどという『恥』を晒したのだとしても――誇り高く、純粋な
だから『過去』の過ちは忘れよう――大切なのは『未来』だ。
これからのわたしに必要なのは『未来』であり、『覚悟』であり。
そして『天国』だ。
どんな手を使ってでも、わたしは再び、そこを目指してみせる。
このディオと千石撫子が『天国』に到達する日まで。
我々の『物語』の続きは――そのときまた書くことにしよう。
『なでこザ・ワールド』、完。
人間を辞めた者同士ということで、ディオ様と撫子ちゃん(+忍ちゃん)のお話でした。
原作でいうと『恋物語』の最中のお話です。ディオ様の説得を信じてあげた撫子ちゃんですが、貝木さんの言葉に騙されてあげた結果人間に戻るというのが、この後の流れになります。
感想や意見等ありましたら、ぜひお寄せください。
作者がもれなく歌でもひとつ歌いたいようなイイ気分になります。