004
「まず断っておくけど、これはそんなに楽しい話じゃあない。それに、君みたいな若い女の子にするには、少々血生臭い話でもある――なんてったって、僕がギャング組織の一員だった頃の話なんだから。
「これでも修羅場は経験してきている方だから、別に気にしなくてもいいって? はは、お気遣いどうも。君は本当にいい子だと思うよ――今までこの階段に足を踏み入れた人は大勢いたけど、こんなに長く僕の話を聞いてくれたのは君が初めてだ。
「ところで、さっき僕がギャングだったって聞いて、少し驚いたかな? まあ無理もないさ。
「実際、周りからもよくそんな風に言われたもんだ――ただの弱っちいガキにしか見えないって。うまく正体をカムフラージュできてるってことだから、僕としてはむしろありがたいくらいだったけどね。
「取り急ぎ、僕が幽霊に身を落とす原因となった出来事について、説明しようと思う――『パッショーネ』って名前は聞いたことがあるかい? イタリアの裏社会を牛耳る巨大組織で、僕はそこの構成員だったんだ。
「それも下っ端のチンピラとかじゃあない。なんとボス直属の腹心だった。
「あっ、その顔さては信じてないな。まったく失礼しちゃうぜ。
「これでもボスからはかなり信頼されていたんだよ。彼の正体は組織内でも徹底的に秘密にされていたけど、この僕だけは違った――疑り深い人だったけど、僕にだけは心を開いてくれたんだ。
「顔も、名前も、生まれ故郷も、ボスに関する情報なら我が事のように知っていた。
「まるで自分のことのように。
「何でも知っていた。
「だから僕は、そんなボスに心からの忠誠を誓った――彼の存在が、彼の言葉が、ヴィネガー・ドッピオという人間を定義づけていると言っても過言じゃあなかった。彼のことを考えるだけで、どんな最悪の状況でも、希望とやる気がムンムン湧いてくるって感じだった。
「閑話休題。そろそろ本題に入ろうか。
「それは一本の電話から始まった。ボスからの指令――僕だけに下された、特別な任務だ。
「なんでも、組織内部で『裏切り者』が出たらしい。それも一人や二人じゃあない……とある任務を遂行していたチームが、何を思ったのか突然、一人を除いてボスに反旗を翻したんだ。
「吐き気を催す『邪悪』。チームのリーダーを務めていた男は、裏切る直前、ボスのことをそう評したそうだ。
「だから許せなかった。
「薄汚い裏切り者の分際で――そんな風にあの人を侮辱した、連中のことが許せなかった。
「奴らはボスを打ち倒すため、彼の『秘密』を探ろうと各地を転々としていた。だから僕は、裏切り者一行の追跡を開始した――もちろん、決して平坦な道のりじゃあなかったよ。
「血反吐を吐くような。
「胃に穴が開くような。
「死ぬような思いで――というより、本当に死にかけた瞬間も何度かあったんだけどね。
「ともかく僕はやっとのことで、このコロッセオに辿り着いた。彼らが『協力者』と合流するという情報を聞きつけてのことだ。
「勘のいい君なら、もうこの後の展開は読めたかな。そう――僕はここで、あの裏切り者たちと激突したんだ。
「戦闘は壮絶を極めた。
「僕は雄々しく戦い、そしてついに華々しく散った……いや、これは少し話を盛りすぎたな。
「格好つけにも程がある。
「本当は、僕はこのコロッセオで誰かと戦ってすらいない――隙を突いて彼らに近付こうとしたのがばれ、気付いたら全身を銃で撃たれて、そのままあっけなさすぎるくらい簡単に死んでしまったんだ。
「死の瞬間っていうのがあそこまで寂しいものだったなんて、あのとき初めて知ったよ。
「でも、全くの無駄死にだったってわけでもない……実はあの日、この場所にはボスが直々に足を運んでいたんだ。彼はただ玉座にふんぞり返っているだけの、裸の王様なんかじゃあなかった。
「まさしく
「要するにあの人は、志半ばで倒れた僕に代わって、自らの手で決着をつけるべく、コロッセオを抜け出した連中を追っていったってわけだ――そしてそれが、この僕が最期に見た光景だった。
「それは僕の『努力』が報われた瞬間でもあった――これでもう思い残すことはない、僕の『意志』はボスその人が受け継いでくれたんだ。
「そうやって、ヴィネガー・ドッピオは……満足しながら死んでいったはずだった。
「それなのに。
「僕は『幽霊』になった。
「この世に未練を残して、あてどなく彷徨い続ける――魂だけの存在になった。
「そう。
「きっと結局のところ、ボスの行く末を見届けられなかったことが、僕は心残りだったんだと思う……情けない話だよ。あれだけボスの偉大さを間近で感じていながら、彼の無事を心から信じることができなかった。
「もしかしたらあの人は、裏切り者どもに返り討ちにされたんじゃあないか――そう疑う気持ちが僕の中に全く無かったのかといえば、それは嘘になる。
「もちろん、会いに行こうとしたさ。ボスが『帝王』として依然変わりなく君臨し続けている様子を一目見さえすれば、それだけで十分だったから。
「でも僕にはそれすら許されなかった。
「僕はこの場所に縛り付けられた地縛霊で、自由に動くことができない……あの人の安否を確認しようにも、どうにもできないんだよ。
「だからこれは一種の『呪い』だ。
「僕がこの階段に存在を縛られているのは、この世に未練を残し続けているから。だけど、その未練を断ち切るにはここを出るより他に方法はない……堂々巡りってヤツさ。
「終わりのないのが終わり――『呪い』とはつまり、そういうことだ」
005
「……あの、不躾な質問で恐縮なんですが」
ドッピオさんが話を終えたタイミングで、私は頭の中で渦巻いた疑問をぶつける。
彼がその純朴そうな外見とは裏腹に、ギャングという物騒な世界の住人だったことは、もちろん意外だったけれど――人を見た目だけで判断するのは良くない。
電化製品を使いこなしている人が、その内部構造まで知り尽くしているとは限らないように。
人間の心はブラックボックスと同じだ。
普段は目に見えないだけで、私たちの中に『黒』は確かに存在する。
だから私が気になったのは、そういった表面的なことではなく。
「その……助けを求めようとは考えなかったんですか? この場所に迷い込む人は私の前にもいたはずですから、そういった人たちに『組織』の現状を探ってもらうとか……」
「生憎だけど、それは駄目だ。さっき話したように、うちのボスは自分の『正体』が明らかになることをよしとしない人でね。もしその存在に近付こうとする者がいれば、たとえ一般人相手でも容赦はしない――だから本来なら、ボスに近い位置にいた僕と君が今こうして会話していることだって、かなりギリギリのラインなんだ」
「でもドッピオさん。それだと、あなたは……」
「分かっているさ。それでも僕は、ここでひっそりと生き続ける――いや、幽霊だから『死に続ける』かな? とにかく、堅気の人間をギャングの世界に関わらせるくらいなら、僕は迷わずそっちを選ぶね」
「…………」
「そんな顔するなよ。こんな僕にだって、ギャングとしての『誇り』ってもんがある……ここでその『誇り』を捨てて助けを求めるのは容易い。でもそうすれば、ボスを裏切ることになってしまう――それは自分の心を裏切るも同然だ」
ボスを裏切りたくない。
きっとドッピオさんにとって、それは『一般人を危ない目に遭わせたくない』という思い以上に、譲れない一線なのだろう――さっきの話の中で、彼が『裏切り者』たちに対して明確な嫌悪感を表していたことが、その最たる証拠だ。
たとえどんな逆境に置かれようとも、ボスの『正体』を隠し通す。
それこそが、目の前にいる青年に与えられた役目であり。
そして彼自身は、そのことを自らの『誇り』としている。
「だから翼。これは僕のような『こちら側』の者たちの問題だ――君が抱え込むようなことじゃあない。これが運命なら、あるがまま受け入れるだけだ……そのための『覚悟』も、僕はもうできている」
「『覚悟』……ですか」
「うん。君の生まれ故郷である日本風に言うなら、『武士道』みたいなものかな……ほら、あれだよ。ミルキィホームズ」
「それは武士道じゃなくてブシロードの作品です」
「ところで『見納めミルキィ』って言葉をたまに聞くけどさ、あれってミルキィホームズ発祥ってことでいいのかな?」
「なんでミルキィホームズの方に話を持っていこうとするんですか。いいんですよそっちは。いくらなんでも日本文化に造詣が深すぎるでしょ」
唐突な脱線にも程がある。
シリアス路線だったのがなんか変な空気になっちゃったし。
時代設定もキャラクター性も何もあったもんじゃない。
二次創作だからといってやっていいことと悪いことがあると思う。
見納めミルキィ。
もとい、閑話休題。
「えーと、つまり……ドッピオさん。『武士道と云うは、死ぬ事と見付けたり』――あなたは主君である『ボス』のために、喜んで我が身を犠牲にしようとしていると……そういうことですか?」
「そうだね。僕にとっての『覚悟』は、犠牲の心だよ」
「……随分諦めが良いんですね」
「諦め? いいや、そんな後ろ向きな感情じゃあない――僕はただ、後悔したくないだけだ。確かに、今の僕がボスのためにできることといえば、せいぜいこんなものさ。でもだからといって、『最善を尽くさない』なんて答えが正解のはずもない……そうだろう?」
「…………」
「自分で言うのもなんだが、今の僕は哀れな存在だ。いずれは心の底まで『絶望』で満たされて、二度目の死を遂げるだろうね。でも、それまでは……僕は前向きに、自らの『責任』を引き受けるつもりだよ」
「それが、あなたの『誇り』ですか」
「ああ。これが僕の、幽霊としての『死に様』だ――死に様で後悔はしたくない」
ドッピオさんははっきりとした口調で、そんなことを言う。
その目は私を見ているようでいて、しかしどこか遠くを見つめているようにも思えた。
いかなる異論も差し挟ませまいとする、決意に満ちた表情を前に――私は何も言えなくなる。
「でも、翼。幸いにも、君はまだ生きている――この僕とは違う。だから今から、元の世界に戻る方法を教えるよ……ここは君がいていい場所じゃあない」
「……! 教えていただけるんですか」
「もちろんさ。方法といっても、そう難しいことじゃあない……君はただ、ここまで上ってきた段数の分だけ階段を下りればいいんだ。ただその際、一つだけ気を付けなきゃいけないことがある」
「?」
「これは『この世』と『あの世』のルールみたいなもので……階段を下りる途中で、絶対に後ろを振り向いちゃあいけないんだ。そう、絶対に――なぜって聞かれても、『ルールだから』としか答えようがない。僕はこの階段の番人ってわけでもないからね」
「もし振り向いたら、その人はどうなるんですか?」
「魂があの世に引っ張られる。つまり――『死ぬ』ってことさ」
死ぬ。
その言葉がドッピオさんの口から出た瞬間、私は反射的に身構えてしまった。
振り返ってはいけない階段――か。
なるほど、それは確かに肝に銘じておかなければならないだろう。
私にとっても。
そして、きっと――
「――よく分かりました、ドッピオさん。あなたが抱える事情も、その『覚悟』も……もはや私の出る幕は無いというわけですね」
「いやいや、そんなことはないさ。さっき言っただろう? こうして僕の話をちゃんと聞いてくれたのは、君が初めてだって。それだけでも、十分救われた気分だ……本当にありがとう」
「……お褒めに預かり光栄です」
「じゃあ、翼――名残惜しいけど、もうお別れの時間だ。よかったら途中まで案内するよ」
「はい、ぜひ。ですが最後に……ドッピオさん」
そう言って私は、階段の上に立つ青年の顔を真正面から見据える。
次に彼がどう動き、どんな表情を見せるのか――しかとその目に焼き付けるために。
「差し支えなければ……今その場で、階段を二段上っていただけませんか? もちろん、怪我をするといけませんから――
006
「……え?」
虚を突かれた、というような表情だった。
ドッピオさんはその場に立ち尽くしたまま、ぽかんとした様子で私を見ている。
「翼……今、なんて言ったんだい?」
「聞こえませんでしたか? ではもう一度言いましょう。後ろを振り向いて、階段を二段上ってください」
私はゆっくりと、一言一句を噛みしめるように繰り返す。
ドッピオさんは、なおも困惑の表情を浮かべていたが――やがて震える声でこう呟いた。
「何を……言っているんだ、君は? そんなこと、できるわけないだろう……だって」
「ここは『振り返ってはいけない階段』だから……ですか? でもそうだとすると、辻褄が合わないんですよね――矛盾が生じるというか」
「矛盾……?」
「ええ。だって、おかしいじゃないですか――ドッピオさん。あなたはさっき、『終わりのないのが終わり』だとおっしゃいましたけれど……今の話だと、この階段に『終わり』が存在することになってしまいますよね? 『死』という終着点が」
「そ、それは……」
「考えられる可能性は、大きく分けて二つ」
ぴん、と。
私はドッピオさんに反論の隙を与えぬまま、二本の指を立てる。
「一つ目。やはりこの階段には『終わり』がない――つまり『振り向いたら死ぬ』というのは嘘だという考え方。ですがこの可能性は初めからあってないようなものです。そもそもあなたに、そんな嘘をつくメリットがあるとは思えませんし……むしろ先ほどのリアクションから判断するに、振り向くことで少なくとも何らかのデメリットが生じると考える方が妥当でしょう」
「…………」
「そこで二つ目の可能性です。どこにも辿り着けないかのように思えたこの階段にも、実は『死』という終着点があり――そこへ到達するためには、一度後ろを振り返る必要がある。ですがこれでは、再び最初の疑問に逆戻りしてしまうことになります。そのことを知っていながら、なぜあなたは振り返らないのか。その身に受けた『呪い』を解こうと、終点に向かおうとしないのはなぜか」
「翼……もういい、分かった。分かったから……」
「いいえ。全然良くないし、分かってもいません。ドッピオさん、これは必要なことなんです。私があなたの心を『生き返らせる』ために……だからどうか、もう少しだけ私の話に付き合ってください」
「……ッ」
ドッピオさんが私から目を逸らした。
それでも私は構わずに続ける――ここで引き下がるわけにはいかない。
ここまで来てしまった以上、後ろを向いて撤退するなんて不可能だ。
「……導き出される結論は一つしかありません。つまりドッピオさん、あなたにとって『死』という真実に到達することは――あの世へ向かうことは『デメリット』でしかないんですよ。忠誠を誓った『ボス』の無事を確認することなく、まるで近道みたいな手段でこの空間から解放されようというのは、あなたの『誇り』が許さなかった……違いますか?」
「…………」
「おそらく今のあなたを縛っているのは、この階段でも、ましてや『呪い』でもない――他でもないあなた自身なんです。本当のところドッピオさんは、『ボス』のために犠牲になりたいんじゃなくて、自らが『誇り』としている忠誠心に殉じたいだけなんじゃないか……厳しいことを言うようですが、私からはそう見えます」
「……!」
「自分の信念を貫くために、あえて苦難を耐え忍ぶ――聞こえはいいですけれど、でもそれって自傷行為と何が違うんですか? 自分のあずかり知らないところで忠臣が絶望に身を堕としていくのを、『ボス』が望んでいると思いますか? それでもあなたは、胸を張って……これが後悔のない死に様だと言えるんですか?」
「……僕に、どうしろって言うんだよ」
ぼそりと。
視線を足下に落としたまま、ドッピオさんはそんな声を漏らした。
「本当、痛いところを突かれたって感じだよ……。君の言う通り、確かに僕がしていることは、ただの自己満足に過ぎないのかもしれない。『ボス』のために犠牲になることで、自分の存在意義を確認したいだけなのかも――はは、自分で言ってて情けなくなってきたよ。僕がこんな目に遭っているなんて、あの人は知りもしないのにな」
「…………」
「でも分かるだろ? 今の僕には、もうそんなことしかできないんだよ……そうすることでしか、『ヴィネガー・ドッピオ』としての自分を保つことができない。それとも翼、まさか君は僕に自殺を勧めているのかい? そりゃあ、今ここで後ろを向けば、僕はすぐにでもあの世へ行けるだろうけど……それしか道は無いっていうのか?」
「まさか。私は自殺推進派なんかじゃありません。それにドッピオさんだって、そんなことは望んでいないでしょう」
「じゃあ僕にどうしろと?」
「簡単ですよ。たった一つのシンプルな答えです」
と。
私はそう言って、自分の胸に手を当てた。
「今ここで一言、私に向かって『助けてくれ』と言ってくれればいいんです。『ボス』の安否を確認したい、手を貸してくれ、と……その言葉だけで十分ですよ」
「……話にならないな。君のような一般人をこの件に関わらせるわけにはいかないって、さっき言ったはずだけど」
「別に『ボス』の正体を探ろうってわけじゃないですよ。そんなことをしなくても、あなたが属していた『組織』に私から話を通せばいいだけの話でしょう? 巷間で噂されるコロッセオの幽霊の正体は、『ボス』直属の部下だった――それさえ伝えれば、きっと彼らは動いてくれると思いますよ。あなた方ギャングの世界は『掟』と『信頼』から成り立っていると聞きますからね」
「何を言って……」
「あなたの『ボス』が本当に無事かどうか――それは私にも分かりません。でも少なくとも、この中途半端な状況に『けじめ』をつけることはできるでしょう? ドッピオさんは未練を断ち切り、晴れてあの世へ行くことができるというわけです」
「違う、そうじゃあない……そういうことじゃあないんだ、翼」
「じゃあ、一体どういうことなんですか」
「…………」
ドッピオさんは再び押し黙った。
その表情は、苦々しげに歪んでいる――咄嗟に私の言葉を否定したものの、心のどこかでは、それが最善の方法だと理解しているのだろう。
私はそんな彼に優しく語りかけるように、「ねえドッピオさん」と声をかける。
「ドッピオさん。『人は一人で勝手に助かるだけ』……この言葉について、どう思われますか?」
「どう思う……って?」
「私のよく知る人が口癖のように言っていた言葉です。これって、こうも言い換えられると思うんですよね……『一人で勝手に助かろうとしない者は、いつまでたっても救われることはない』と。当の本人が救いを求めていなければ、周囲の人間は力を貸すことさえできない――でもドッピオさん、あなたはそうじゃないでしょう?」
「!」
自縄自縛――ドッピオさんも暗に認めたように、彼が未だこの階段に留まり続けている理由は、そうした側面も少なからずあるのだろう。
孤独な幽霊は『誇り』という名の
『忠誠』という名の鎖で自らをがんじがらめにすることで、自分自身の実在を確かめようとした。
その意味では、彼が今置かれている状況は自己責任だともいえる――他ならぬドッピオさん自身が、そうあることを望んだようなものなのだから。
だけど。
いずれは心の底まで『絶望』で満たされる――ドッピオさんが口にしたその言葉は、裏を返せば、まだ彼が『希望』を捨てていないということを示している。
今の彼を動かしているのは、『犠牲に向かおうとする意志』のみならず。
むしろ主君の身に起きた『真実』を知り、この世への未練を断ち切るための――『真実に向かおうとする意志』もまた、彼の中に存在しているのではないか?
だからこそ彼にとって、『希望』とは死を意味しない。
そしてそれは、『ボス』のためのものでもなく――ドッピオさん自身にとっての『希望』なのだ。
ゆえに。
このとき私は、彼に二つの『道』を提示する必要に迫られたのだった。
「――決めるのはあなたです、ドッピオさん。このままここで『犠牲』となることを受け入れるか、それとも私の手を取って『道』を切り開くか……どちらの『覚悟』を選択するかはあなたに委ねます。自分の歩く道は、自分で決めるものですよ」
だから私は。
ドッピオさんが『覚悟』を決めるまで、ここでずっと待ち続けます。
私はそう言って、その場にすとんと座り込む――何かしらの回答を得るまでは、決してここを動かないという意思表示だ。
階段の上と下で、二つの視線が交錯する。
一方は、受容と忍耐の精神をその目に宿し。
もう一方は、困惑と逡巡でもってその視線に応えるかのようだった。
「…………」
「…………」
「……………………」
「……………………」
「………………………………」
「………………………………ッ」
そして――永遠とも思われた、長い沈黙の後に。
「……僕の負けだよ。翼」
ドッピオさんは観念したように溜息を吐くと、ゆっくりとした足取りで階段を下りてきた。
そして私のすぐ目の前に腰を下ろし、そのまま静かに語り始める。
「……僕はさっき、君のことを『いい子』だって言った。でも、その言葉――やっぱり取り消すことにしたよ」
「どういう意味ですか?」
「きっと『正しい子』なんだよ、君は。じゃなきゃ、こんな異国の地でさっき出会ったばかりの幽霊に対して、ここまでできるわけがない……単なる『優しさ』だけじゃ、到底説明がつかないね」
「それはいくらなんでも、私のことを買い被りすぎですよ。『正しい子』だなんて、そんな……」
慌てて首を振り、謙遜する私。
それでもドッピオさんは、「いいや、正しいよ」と断定的な言い方をした。
「そう、君は正しい――他の人間が気後れするほどにね。特に僕みたいな、常に日陰で生きてきた者からすれば、君の存在は眩しすぎる……まるで黄金に輝く太陽だ。その光で目を潰されるのが怖くて、思わず顔を背けてしまいたくなる」
「……自分にとって不都合な『真実』からは、つい目を逸らしたくなる。そうおっしゃりたいんですか? ドッピオさん」
「そうかもしれない。いや、この際だからはっきり認めようか――きっと心のどこかで、僕は『真実』を知ることから逃げ続けていたんだ。もしかしたら『ボス』は、無事では済んでいないのかもしれない……そんな可能性を考えたくなくて、ずっと保留のままにした。『けじめ』もつけないまま、忠誠だとか誇りだとかいう言葉で、自分自身を誤魔化し続けたんだ」
「…………」
「でも今ようやく、こんな僕でも『覚悟』を決めることができたよ。翼、君のおかげでね」
苦笑しながらドッピオさんはそう口にし、静かに目を閉じる。
そして次に目を開いたとき――彼の瞳は決意に満ちた強い光を宿していた。
同じ『決意』でも。
その意志の行き着く所はさっきまでとはまるで正反対のように、私には思えた。
「翼。僕の『ボス』が無事かどうか知りたい……君の力を貸してくれないか?」
何ら虚飾のない、ドッピオさんのその言葉を聞いて。
私は彼の『覚悟』を受け止めるべく、力強く頷き、そして言った。
「
階段の怪談パート終了(激ウマギャグ)。
次回から物語を大きく動かしていく予定です。