奇物語 -アヤシモノガタリ-   作:ミサキレイン

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其ノ肆

088

多くの民話や伝説にも描かれている通り、我々吸血鬼は日光を嫌う。これは単なる好みの問題ではなく死活問題であるため、吸血鬼は通常、夜間にしか活動せず――稀に昼間に動き回る場合も、その行動範囲はかなり制限される。

したがって、『太陽の克服』はわたしにとって何よりの悲願であり、それは『世界(ザ・ワールド)』という強大な能力に目覚めた今でも変わらない。このディオにとって太陽は超えるべき壁であり、乗り越えねばならない宿業なのである。

 

とはいえ……仮に、太陽を完全に克服した吸血鬼がこの世にいたとして。

もはやその者は『吸血鬼』と呼べるのだろうか?

 

「……千石! 千石撫子! 今日も話をつけに来た! いるなら出てきてくれ!」

 

石段の向こう側から姿を現した暦という男の第一印象は、正直言って『貧弱』の一言に尽きた。

 

黒を基調とした学生服に身を包んでいる姿や、どこか野暮ったさを感じさせる顔つきだけを見れば、どこにでもいる普通の男子学生にしか見えない。ただ、千石撫子に対して呼びかけたときの彼の声音は、ひどく緊張しているかのように震えており――全身を『恐怖』で支配されたその姿からは、人間を超越した吸血鬼としての威厳というものがまるで見受けられなかった。

 

単なる『自称』に過ぎないとはいえ、神社の神を務める女と愛憎劇を繰り広げた男がいかほどの者か、それなりに期待していた側面もあったのだが……拍子抜けと言わざるを得ない。いや、この際『当てが外れた』とはっきり言うべきか。

 

だが。

日光を全身に受けているにもかかわらず、確かに暦は平然とした様子で立ち続けている――少なくともその点に関しては、彼はわたしの期待に応えてくれたともいえた。

 

「……あれが暦お兄ちゃん。撫子が神様になってから、ほとんど毎日あんな感じでここに来るの」

 

部屋の中に舞い戻ってきた千石撫子は、わたしにそう耳打ちする――ちなみに現在の状況を簡潔に説明すると、境内の中心で立ち尽くしている暦のことを、わたしと千石撫子が扉の隙間から覗き見しているという構図だ。改めて文章で表現すると、なかなかシュールな光景ではある。

 

「いつもああいう風に、『僕が悪かった』とか『お前を助けたい』とか……わけがわからないよ。『助ける』ってどういう意味? 神様になった撫子は、もう何も怖くないのに」

「まあ、確かに……わけがわからんな。自分を殺そうとしている相手のことを『助けたい』とは」

「あんまりしつこいから、最近は居留守使うことも多いんだけど……それでも懲りずに来るんだよね。もしかして暦お兄ちゃん、意外とお馬鹿さんなのかな?」

「お前にだけは言われたくないだろう。……それで、今日はどう対処するつもりなのだ」

「うーん……あ、あれは幼女奴隷さんかな?」

 

暦のことをじっと観察していた千石撫子は、目敏くも彼のもう一人の仲間――通称『幼女奴隷』の姿に気付いたようだった。わたしもざっと探してみたが、別段それらしき人物は見当たらない。

どこにもいないではないか、とわたしが口にしようとした瞬間だった――『それ』は突然、音もなく暦の『影』から出現した。

 

まるでそこにいるのが『当たり前』であるかのように、平然と――傲然とした様子で。

『それ』は二本の足で立ち上がると、腕を組んで境内をじろりと一瞥した。

 

「……なんじゃ、また居留守か。そうやってずっと、『知らないふり』『聞こえないふり』を続けるつもりか? 蛇神娘よ」

 

第一印象は、あどけなさの残る金髪の幼女。だがそのやたらと古風な物言いや、暦とは打って変わって強気極まりない立ち居振る舞いから察するに、明らかに見た目通りの年齢ではあるまい――なるほど、これが千石撫子の話していた『伝説の吸血鬼』か。底の知れない老獪さという点では、あながち間違いでもないのかもしれない。

 

「それとも、それは一種の『戦略』のつもりかのう。『能ある鷹は爪を隠す』とでも言うつもりか? この儂に言わせれば、むしろうぬの場合、能のない(とんび)が立派な爪を見せびらかしているに過ぎないのじゃが」

「忍。あまり千石を刺激するな」

「お前様もお前様で、まだそんな甘ったれたことを言っておるのか――闇に堕ちた化物をこの期に及んで『助けたい』のなら、手段を選んでいる場合ではないじゃろうに」

「千石は化物じゃない。僕のせいであんな姿になってしまっただけで……まだ中学生の女の子だ」

「その通り。あやつは自分が可愛くて仕方ないだけの、ただのガキじゃ――というよりそれが、今の面倒な状況を作り出した原因なんじゃろうが」

「…………」

 

『忍』こと幼女奴隷に言い負かされたと感じたのか、それっきり暦は押し黙ってしまった。一方の忍は、呆れたかのようにフンと鼻を鳴らす。

 

その会話の様子を観察していると、改めてこの二人の関係性というものがよく分からなくなってきた――千石撫子による『暦お兄ちゃん』と『幼女奴隷』という呼称や、当の本人たちが互いを『忍』『お前様』と呼び合っていること、良くも悪くも人間臭い暦と、勝気な様子の忍という対照的な構図……それらが渾然一体となって、この奇妙な関係性を生み出しているように思える。

 

わたしは再び千石撫子に向き直り、今後の方針について訊ねてみることにした。

 

「それで、改めて聞くが。あの二人をどう接待するつもりなのだ? 撫子よ」

「うん。とりあえず……今日のところは『誠意ある対応』をしておこうかな。スチュワーデスさんがファースト・クラスのお客さんに、お酒とキャビアをサービスするみたいにね」

「ほう。何か考えでもあるのか」

「……正直な話、ディオさん、撫子のことまだ『神様』だって認めてないでしょ」

「……フン。気付いていたのか」

「もう撫子は騙されないんだからね」

「特に騙していたつもりもないが……まあ、確かに全知全能には程遠いな。あの忍とかいう吸血鬼も言っていたが――自分が可愛いだけの『ただのガキ』にしか思えん」

「別にいいよ、それでも。これから、撫子が『本物の神様』だってことを証明してあげるから……だからディオさん? 撫子のこと、ちゃんと見ててね」

 

そう言って、千石撫子は不敵な笑みを浮かべる。

どこか妖艶さを感じさせるその表情は――皮肉にも、『人を騙し喰らう蛇』と呼ぶに相応しいものだった。

 

 

089

「撫子だよ!」

 

その日四度目となる『持ちネタ』――それとともに千石撫子は、暦の前に勢いよく姿を現した。

 

「せ……千石!」

「こんにちは、暦お兄ちゃん。こうして直接顔を合わせたのは、結構久しぶりじゃない?」

「……そうだな。相変わらず、千石が元気そうで良かったよ」

「でも、暦お兄ちゃんの方は元気なさそうだね。ご飯ちゃんと食べてる? 今の時期は風邪が流行ってるみたいだから、健康に気を付けないと」

「あ、ああ……ありがとな千石。わざわざ気を遣ってくれて」

「――阿保か、お前様は」

 

あまりの茶番を見るに見かねたのか、暦の横に立っていた忍が、千石撫子の面前に歩み出てそう言った。

 

「世間知らずの小娘と、そんな下らん世間話をしたところでどうにもならないじゃろ――ここに来た目的を忘れたのか」

「……分かってるよ、そんなことは――千石。お前を助けに来た」

「『助けに来た』……って?」

「あの日から――お前が『神様』になったあの日からずっと、どうしてこんなことになったのか自分なりに考えたんだよ。それで気付いた。僕と戦場ヶ原のこととか、『お札』のこととか、そういう原因めいたことは色々あるけれど……でもそういうことじゃなかった。もっと根本的に、僕の不甲斐なさが原因だったんだ」

「不甲斐なさ……」

「そうだ。去年の六月にこの神社で再会したときから、正直言って僕はお前のことがずっと気がかりだったんだ。いつも気弱で、自信なさげで、恥ずかしそうに俯いて……そんなお前のことが心配だった。いつかまた、誰かに酷い目に遭わされるんじゃないかって。だから、なんとかして『助けてやりたい』って――偉そうに聞こえるかもしれないけど、そう思うようになった」

「…………」

 

わたしが今いる部屋の中からは、角度的に、千石撫子の顔を窺い知ることはできない。

はたして彼女は、どのような表情で暦の述懐――否、『懺悔』を聞いているだろうか。

 

「だけど、千石――僕は欲張りだから、お前だけじゃなくて全員のことを助けたくなっちまうんだ。忍も、戦場ヶ原も、八九寺も、神原も、羽川も、火憐ちゃんも、月火ちゃんも……その他にも何人かいるけど、みんな僕の大切な人たちだ。だから、僕はお前だけを特別扱いするわけにはいかないんだよ。いや、できないんだ」

「暦お兄ちゃん……」

「それでも……それでもな、千石。僕は後悔しているんだ。僕が、もっとしっかりしていれば――千石がずっと助けを求めていたことに気付けてさえいれば、お前は二度も『蛇』に噛みつかれずに済んだんじゃないかって。もっと強くて頼りがいのある『お兄ちゃん』だったら、こんなことにはならなかったんじゃないかって」

「…………」

「お前の生活をこんな滅茶苦茶にして、もしかしたらもう遅いのかもしれないけれど――だけど、今ならまだお前のことを助けられる。まだ引き返せる。だから千石、頼むから……」

「――『人は一人で勝手に助かるだけ』」

「……ッ!?」

 

出し抜けに千石撫子が口にしたその言葉に、暦は過剰なまでの驚愕の表情を見せる。

どこか怯えているようにさえ見えるその姿は――さながら蛇に睨まれた蛙のようだった。

 

「あれって、誰が言った言葉だったかな……まあそれはいいや。とにかく、撫子は別に暦お兄ちゃんの力を借りなくても『一人で勝手に』助かったんだよ。撫子、神様になってから毎日幸せだよ? ここなら誰も撫子のことを傷つけないし、『可愛い』って言われ続けるために頑張る必要もないし――『しんどい』ことなんて何もないんだよ」

「違う……違うんだ千石、『助ける』っていうのは、そういう意味じゃ……!」

「それに」

 

暦の必死の訴えを、千石撫子はぴしゃりと遮る。

 

「暦お兄ちゃんはさっき、『誰かを特別扱いすることはできない』みたいなことを言っていたけれど……でもそれって、嘘だよね」

「……え?」

「だって暦お兄ちゃん、他にも知り合いの女の人がいっぱいいたのに……今の彼女さんを『特別扱い』したじゃない。他の人と区別して――差別して、あの人を選んだんじゃない」

「それは……その」

「差別は良くないと思うけど、嘘をつくのはもっと悪いことだよね――悪いことをしたら、『ペナルティ』が必要だよね。うん、そうだ」

「………! ま、待ってくれ千石、落ち着いて僕の話を……」

「もう、しつこいなあ暦お兄ちゃんは。そもそも、卒業式の日に殺す約束だって何度も言ってるよね? 約束を破ろうとするのも悪いことだと思うな」

「そんなつもりじゃ……!」

「――これは『天罰』だよ、暦お兄ちゃん」

 

千石撫子がそう告げた、次の瞬間。

 

じゃ、と。

じゃじゃ、と。

じゃじゃじゃじゃじゃじゃ――と。

 

暦を取り囲むあちこちの空間から、一瞬のうちに小さな蛇が大量に姿を現した。神社の境内から、本殿の中から、茂みの中から、果ては暦の足下から……続々と出現する。

あまりに壮絶な光景に、さしものわたしも思わず息を飲む――まるで山全体が、一匹の巨大な蛇と化していくようだった。

 

蛇の群れはそのまま暦の方へと向かい、獲物に襲い掛かる勢いで彼の全身に絡みついていく。

必死に身をよじって脱出を試みる暦だったが、圧倒的な物量差の前にはそんな抵抗も空しく――数秒後には、彼の身体は何万もの蛇に覆われてほとんど見えなくなってしまった。

 

「暦お兄ちゃん、生きてる?」

「せ、せん……せんご……く」

「よかった、無事みたいだね。ああ、心配しなくても大丈夫だよ――撫子は神様だから、約束はちゃんと守ってあげる。暦お兄ちゃんたちは三月になるまで殺さないよ」

「……ぼ……く……は」

「だから、今日のところは大目に見てあげるね」

 

そう言って、千石撫子が微笑んだのとほぼ同時に、暦を拘束していた蛇たちが一斉に彼の身体に牙を突き立て始めた。

ほんの一瞬、悲鳴とも呻き声ともつかない暦の声が聞こえたような気がしたが……ぞわぞわという蛇共の這い回る音は、そのかすかな声さえも掻き消してしまう。

 

ほどなくして、与えられた任務を忠実に遂行した蛇たちは周囲に四散していく。

あとには――さながらボロ雑巾の如く、見るも無残な状態で地面に転がる少年だけが残された。

 

「あーあ。やっぱり暦お兄ちゃん……弱すぎ」

 

見捨てるように――吐き捨てるように、千石撫子はそんな言葉を口にする。

その言葉を合図代わりに、再び白の塊が暦のもとに集い、彼を石段の下まで引き摺っていった。暦が再びここへ戻ってくることは、少なくとも今日はもう無いだろう。

 

「――フン。『自分の選択した悲劇』……というわけか」

 

事の一部始終を観察していたわたしの脳裏には、またも百年前の情景が蘇る。

 

それは『風の騎士たちの町』――ウインドナイツ・ロットにて、赤ん坊を抱えた人間の女と相対したときの出来事だ。

若き吸血鬼を目の前にした女は恐怖に震えながらも、我が子の身の安全を条件に、最後にはわたしへの恭順を誓った。約束通り、このディオは赤ん坊に『手をかけなかった』……が、凶暴な屍生人と化した女は、腹を痛めて産んだ我が子を自ら食い殺したのだった。

 

自らが行動を起こせば別の誰かを救うことができると妄信しているという点では、あの女と暦は大差ないように感じる。

なにせ、自分を殺そうとしている相手に向かって『助けたい』などと言うような男だ――きっとあの哀れな少年は、ずっとそうやって生きてきたのだろう。不幸な者を見捨てられず、我が身を犠牲にしてでも救いの手を差し伸べずにはいられない、善良で間抜けな『お人好し』だったのだろう。

 

だが、不幸な者が必ずしも助けを求めているとは限らないというのも、厳然たる事実である。

あの千石撫子がまさにその良い例だ。自らを幸福と信じ、他人の助けなど求めていない女のことを、一体どうやって助けるというのか……終わりの見えない救出作業となるのが関の山だ。

 

『深淵』を覗くとき『深淵』もまたこちらを覗いている――とは、誰の言葉だったか。

とにかく、千石撫子と暦の関係性を一言で言い表すとすれば、せいぜいそんなところだろう……いや、待て。

 

「そういえば、あの女……忍とかいうもう一人の吸血鬼は、どこへ行ったのだ?」

 

千石撫子と暦のやり取りにばかり気を取られ、うっかり見逃した……というわけではあるまい。このディオともあろう者がそんな失態を犯すはずがない。

ゆえに――気配が『消えた』のではなく、気配を『消した』。おそらく先ほどの段階で、忍が何らかの術を用いて意図的に闇に紛れたのだ。

 

そして、その目的はただ一つ。

 

「まさか……暦を囮にして、どこからか奇襲でもかけるつもりなのか」

「そんな小汚い手は使うまでもないわ。今この場で宣戦布告してやるわい」

「……ッ!?」

 

突然背後から聞こえてきた声に、わたしは反射的に振り返る。

 

そこには、先ほどと全く変わらぬ勝気な表情を浮かべながら。

どこから取り出したのか、日本刀の刃先をこちらに向ける金髪の吸血鬼――忍の姿があった。




物語も佳境に差し掛かって参りました。
ちなみに忍ちゃんと阿良々木くんは普段通りの姿ですが、限界ぎりぎりまで吸血鬼度を上げてやって来た設定です。武力がなければ交渉の場にも立てませんからね。
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