104年後からの今 作:requesting anonymity
ロンドン、その中心部。マグルの政府施設の地下に位置する、英国魔法省地下2階。魔法法執行部闇祓い局本部では、局長ルーファス・スクリムジョールが頭を抱えていた。その隣では、ヴォルデモート卿に忠誠を誓っている事を今日まで隠し通して未だ平然と闇祓い局に勤めている死喰い人コーバン・ヤックスリーもまた、同じ理由で頭を抱えていた。ヴォルデモート卿からの命令こそが至上である彼にとって、「闇祓いとして」苦悩するというのは、そうあることではない。
「現場に赴く闇祓いに命令を下す側の身にもなってほしいものだ……」
スクリムジョール局長の呻き声を聞きながら、ヤックスリーは死喰い人として、これは闇の帝王に御裁可を奏請するべきだと素早く判断を下していた。上手く動けば闇の帝王にお褒めいただけるだけの成果を得られる可能性もあるが、単独で判断するにはあまりにもリスクが大きい。
そして同じ日の午後、魔法省から遠くウィルトシャーに位置するマルフォイ家の邸宅に、一通の手紙が届いた。ルシウス・マルフォイはフクロウから素早くそれを受け取り、送り主の名前と宛名のみを確認して、足早に屋敷の奥の部屋へと向かう。
「我が君。よろしいですかな」
「話すが良い、ルシウス」
「ヤックスリーめから私宛に手紙です。つまり―」
「俺様への報告か」
ルシウス・マルフォイが恭しく跪いて献上した手紙を、ヴォルデモート卿はつまらなさそうに受け取ったが、その中身をひと目見て少し表情を変える。
「ふむ。これはまた……このドローレス・アンブリッジという輩を俺様は知らん。どんな奴だ?」
「不愉快な女です。権力欲の権化。であるにも拘らず平凡。平均と比して特段劣るわけでもありませんが、才覚を発揮したのはつまらぬ政争が精々。我が君のお手を煩わせる価値も無いかと」
ヴォルデモート卿は、束の間考え込む。そして「私も読みたい」と顔に書いてあったベラトリックスに手紙を渡すと、すぐに答えを出した。
「ルシウス。ヤックスリーに返事を書いてやるがいい。『闇祓いとして』誠心誠意励め、とな。それとこのアンブリッジとかいう女の情報を寄越すように伝えるのだ。お前の言う通りに権力欲の権化なら、つまり権力さえ与えておけばそれで満足するという事だ。使い捨ての駒の中ではいくらか上等な物に仕上がるかもしれん。……事によっては『服従の呪文』の出番すら無いやもしれぬ」
この件については俺様からはこれで終わりだという闇の帝王の意思を素早く察知して、一礼して立ち去ろうとしたルシウス・マルフォイを、ベラトリックス・レストレンジが呼び止める。
「これが、そのアンブリッジとかいう奴の差し金なのかい?『魔法大臣閣下』の方が逆にソイツの言いなりみたいじゃないか。たかが魔法大臣付上級次官だろう?それに、この最近『予言者』によく出てくるこの『不審人物』ってのは、ここまでしなきゃならないほどの相手なのかい?」
その質問に答えたのは、あろうことかヴォルデモート卿だった。
「まず。ファッジめがずいぶん俺様に都合のいい夢を見ている事はお前とて把握しているな?」
一気に恐縮したベラトリックスは震え気味に「勿論です」と答える。
「あやつの考えでは、その『不審人物』は、ダンブルドアが己を魔法大臣の座から追い落とすためにホグワーツで組織している軍団の、副官なのだ。そしてホグワーツには『ダンブルドアの反乱』の『決定的証拠』があると、あのみじめな老人は思い込んでいる。つまりむしろ此度の提案はファッジめにとって、却下する理由が全く無いのだ……愉快な事よ。精々踊ってもらうとしよう」
そこで、ずっと隅で縮こまっていたピーター・ペティグリューが驚いて口を開く。
「まさか……まさか闇の帝王のご手腕による成果では、ないのですか?ファッジの奴は服従の呪文にかかっているものだと、思っておりました………」
汚らしいピーター・ペティグリューが口を開いた事をベラトリックスが咎めるより先に、ヴォルデモート卿が嗤い始めた。
「そうだ。ペティグリュー。『賢い』お前が今察したとおり、俺様はあのファッジめに、なにもしておらん。あやつは驚くべきことに、勝手に1人で縮み上がって勝手に自分で自分の心を捻じ曲げたのだ。ダンブルドアに指示を仰ぐか助けを求めるかのどちらかだと思っていたが……いやはやまさかこれほどまでに肝の小さい男だとは。歴史あるファッジ家のお歴々は泣いておるだろうな?」
ヴォルデモート卿が嗤い、ベラトリックスも嗤う。コーネリウス・ファッジめのここ最近の一挙手一投足は、愉快極まる見世物だった。
一方、ヴォルデモート卿に反抗する者たちが秘密裏に集うグリモールド・プレイス12番地では、明日から新しい任務に就く2人の闇祓いが意気消沈していた。
「シャックルボルト家の当主ともあろうものが、ため息とは!どうした事かね?」
フィニアス・ナイジェラス・ブラックの肖像画に話しかけられて、多忙故にたまにしかグリモールド・プレイスに来られないキングズリー・シャックルボルトは、また大きくため息をつく。
「局長から、というか魔法大臣閣下からだと思われますが、ご命令をいただきまして」
この額縁の中の気難しい老人に伝えたことはダンブルドアにも伝わるのだと思い出して丁寧に説明を始めたキングズリーと同じテーブルに向かい合って座っていたもうひとりの現役闇祓い、ニンファドーラ・トンクスは「不本意」を態度で表現していた。
「やだーーーーー!!行きたくなーーい!!気が進まなーい!!!」
「どうしたトンクス、大きな声を出して」
闇祓いとしても不死鳥の騎士団メンバーとしても今日は非番なのを良いことにしこたまワインを煽った挙げ句床を転げ回ってジタバタしていたニンファドーラ・トンクスは、ルーピンとシリウスがリビングに姿を現した途端、跳ねるように起き上がって、できるだけお行儀よく床に座った。
「床に直接座っとる時点で、充分行儀は悪いだろうが」
引退した元闇祓い、アラスター“マッド‐アイ”ムーディが苦笑している。
「で、どうしたんだいトンクス。なにがそんなにヤなんだい?」
「どんだけ飲んだんだお前……」
リーマス・ルーピンが優しく語りかける後ろで、シリウス・ブラックはテーブルに幾つも並んだ空き瓶を見て呆れている。
「やぁだ!私あんなヤツの言う事ききたくない!マッド‐アイが代わりに行ってよ!」
「マッド‐アイは引退した身だぞトンクス……」
不本意な任務を仰せつかったのだろうとは察せたシリウスは、「だったら断れば」と口走った直後キングズリーと目が合った事で、彼らの立場を思い出した。
「………あー、そうかお前たちは、あくまでも魔法省魔法法執行部闇祓い局の職員だから……」
「そうだ。どれだけ気が進まなかろうが、下された指令を拒否する権利は私達には無い」
治安の維持を担う組織に身を置く以上、そして公務員で有るがゆえに。嫌だといくら喚いても仕方がない事はニンファドーラ・トンクス自身にもよくわかっていた。そして、だからこそせめてフラストレーションを発散したかったという心根を理解できているからこそ、キングズリーもムーディも深酒を諌めこそすれ止めはしなかったのだ。
そして、事の次第を把握したフィニアス・ナイジェラス・ブラックは、すぐにホグワーツの校長室にある自分の肖像画へと向かう。
「おやフィニアス。どうした事かな?」
「どしたのブラック校長」
子供は騒がしいから嫌いなのにその中でも最も騒がしい奴が居るのを見て、グリモールド・プレイスに帰って寝ていようかと一瞬思ったフィニアス・ナイジェラス・ブラックは、しかし報告が先だと心のなかで自分に言い聞かせた。
「わたくしとセブルスは、席を外していましょうか?」
「その必要は無い、ミネルバ」
校長がそう言うならと納得した2人の教授は、その「報告」を聞いている内にどんどん怒りが湧き上がってくるのを感じて、眉間にシワが寄ってやしないかと己を律する。
「『未成年だった1890年当時の学校外での魔法の複数回行使に端を発する件の人物の長年に渡る違法行為はどれも重大であり―』他者に対する禁じられた呪文の複数回に渡る使用。大量殺人、窃盗、杖の略取。禁止指定されている魔法生物複数の飼育及び繁殖などなどの罪により、貴様は指名手配犯となった。そして『凶悪犯』がここホグワーツに未だ潜伏しているという事実を重く見た魔法法執行部は、生徒たちの身の安全を守るために闇祓いを派遣する事を直ちに決定したそうだ」
憤りのままに大きな声を出してしまいそうになったマクゴナガルは、気づいた。
気分を害しているのは自分とセブルスだけだと言うことに。
「身から出た錆だぞ愚か者め」
「いやはや。『動く』と決めれば優秀ですなコーネリウスは」
「うふははははは!あー、よく調べたねぇ!」
ダンブルドアも、フィニアス・ナイジェラス・ブラックを始めとする歴代校長の肖像画たちも、そして「凶悪犯」として指名手配された当の本人も、クリスマスパーティの最中かのようにリラックスしたまま笑っていた。
「事実ですな?先輩」
「事実だねぇ。アルバス」
ミネルバ・マクゴナガルは、開いた口が塞がらなかった。
一方のグリモールド・プレイス12番地では、珍しく深酒して珍しく泥酔した若手闇祓いニンファドーラ・トンクスが、まだグズっていた。
「リーマス・ルーピン!」
「なんだい?」
「………ん何でもなぃぃ」
どうにかトンクスに酒を飲むのを止めさせようとしているルーピンの背後では、シリウスが蓄音機にレコードを乗せて針を落としている。
しかし何の音楽も聞こえてこない事で、キングズリーとムーディは、シリウスが気を利かせたのではなくイタズラ心に駆り立てられたのだと勘づいた。
「私の分も行ってきてよぉキングズリー……!」
「悪いが言っている意味がわからない」
「2人分働いてきて!できるでしょ!」
「できるがそれは私が2人分働いただけで、きみが働いた事にはならない」
「ほらワインボトルを離しなさいトンクス」
泥酔し前後不覚のニンファドーラ・トンクスが抱きかかえた飲みかけのワインをルーピンがどうにか穏便に取り上げようと試みたその時。
「そろそろ止めておきなさいトンクス。ほらボトルを―」
「やだ! ニ ン フ ァ ド ー ラ っ て 呼 ん で ! ! 」
ルーピンもキングズリーもムーディも己の耳を疑い硬直する中、シリウス・ブラックだけがニヤニヤと笑っていた。
そして翌朝早く。まだ頭が痛いトンクスは、昨日しこたま酒を飲んだ事だけは覚えていた。
割り当てられた寝室で寝間着のままぼんやりしていると、扉を叩く音が聞こえてくる。
扉の向こうの人物は入っていいと声が聞こえるのを待ってから、扉を開けて入室した。
「やあ、おはようニンファドーラ」
「ニンファドーラって呼ばないで!」
強めの口調で言ってからそれがリーマス・ルーピンだと気づいたトンクスは慌てて謝るが、ルーピンはそんな些細な事を気にしない。
「今日から新しい任務だろう、闇祓いの。昨日話してくれたってこと、覚えてるかい?」
「………あんまり覚えてない……」
「任務の内容は、覚えてるかい?」
「………おぼえてない」
ルーピンに優しく微笑みかけられるといつも、トンクスは嘘が下手になった。
「やだ。やだよ私。お仕事行きたくない!」
「それでも行かなきゃいけないって、わかってるだろう?」
そこでトンクスは急に、今の自分がどれだけ薄着なのかを思い出した。
どんどん顔が赤くなっていくトンクスを見て、優しい微笑みを崩してはいないルーピンは内心大いに慌てていた。自分は何かマズい事を言ったのかと。そして、己の心の底に宿った一欠片の小さな気持ちに、ルーピンは気づいてしまう。
(ダメだ、ダメだ。僕は狼人間だ。だからダメだ。絶対に)
シリウスとジェームズが自分のためにどれだけのことをしてくれたのかにすぐ意識が行ったからこそ、そう考えたのかもしれなかった。
「きみは充分余裕を持って起きたから、まだもう少しゆっくりしてられる。けど二度寝しちゃダメだ。そこまでの時間は無い。それとこれはマッド‐アイからのアドバイスだけど……いいかい?『不本意な任務というのは闇祓いである以上避けては通れん。そういうものに直面した時は、自分だけの目的を設定しろ。職務に差し支えないちょっとしたものをな。どうにかして楽しめ』だって。ねえ、僕もシリウスもきみたちがすごく羨ましいんだよ?だってホグワーツに行けるんだ!」
その言葉を大事に受け取って、気持ちを入れ替えるべく頑張ったトンクスは、まじまじとリーマス・ルーピンの顔を見つめる。
「ねえルーピン」
「なんだい?トンクス」
「……お酒弱いんだっけ?」
22歳の若手闇祓いニンファドーラ・トンクスが寝室から出た頃。既に闇祓い局本部に出勤してきていたベテラン闇祓いのドーリッシュは、その命令を受け取った時から気になっている事があった。
昨今アンブリッジ上級次官が目の敵にしているらしいこの人物は、あの人なのではないかと。
闇祓い局に古くからある噂。たまに気づいた新人に有ること無いこと吹き込んで遊ぶためにわざと言い伝え続けている、100年以上前の「先達」の話。
「いいところに居てくれた、ロバーズ。ちょっといいか」
「どうしたドーリッシュ。何だ?」
「闇祓い名簿に1人だけ、名簿でしか見たことが無い同僚が居るだろう」
「ああその話か。どうした?」
ドーリッシュが何に気づいたのかなど既に察せていながら、ガウェイン・ロバーズはあくまでもドーリッシュが話すのを待つ。
「今回のこの人物が、その『名前しか知らないあの人』なら、指名手配などするだけ無駄で、そもそもかの人物に我らは、何もできないのでは?」
「それを。魔法大臣閣下と、上級次官どのに。説明してご納得いただけそうか?しかも我らは、かの人物の『件の職務』に関して、本人の許可無く言及する権限が有るのかどうかもわからん」
ロバーズのその発言に、ドーリッシュはひとつの決意を表明する。
「……あまりにも現場人員が不必要な危険に晒されそうになった場合は、私がご説明する」
ガウェイン・ロバーズは、自分たちの職責と権限の範疇を超える可能性を孕んだその提案についてじっくりと悩んだ後、それに賛同した。
「まあ、やむを得まい。しかしあの人は本当に何をするかわからん。気をつけてくれ。もし何か、もう少し『個人的に』アドバイスが欲しいなら、魔法試験局のマーチバンクス局長を尋ねると良い。かの人物のO.W.L.試験を担当して以来の知り合いだそうだ」
マーチバンクス教授にお教えいただいた事はお前の胸の中に留めて報告も共有もするなという言外の懇願を、ガウェイン・ロバーズと長い付き合いのベテラン闇祓いドーリッシュはきちんと察した。
「……何歳なんだあの婆さん」
それもまた魔法省の謎の1つで、そればっかりは資料を参照するのも本人に訊くのも憚られた。
そして、程なくその通達は張り出され、ホグワーツの生徒たちの知るところとなる。
センセーショナルな見出しが踊る「日刊予言者新聞」の1面大見出しと共に。
「デタラメよ!先生はそんな事―」
そこまで口走ったハーマイオニーは、先生がマンティコアとドラゴンを飼育しているという事実を思い出し、さらにかつて、何度目かの授業で言っていた内容を思い起こした。
(闇の魔法使いに命を狙われているって時に、どんな手段を採ったって僕は咎めない)
「―何かきっと事情があったのよ!」
ハーマイオニーはそれ以上、何も言わなかった。
そこに集まっている他のみんなも憤っている中、ハリーは1人だけ落ち着いていた。
「なんでそんな平然としてんだよハリー」
「……なんか、先生ならどうにか切り抜けるんじゃないかって気がして」
そう言われたらそんな気がしてきたロンの隣に居たネビルが、ぼんやりと口を開く。
「闇祓いって、誰が来るんだろう。ハリーたち、何人か知り合いなんだよね?」
しかしハリーたちは、次の日すぐに自分たちの認識の甘さを思い知る事になる。
つまり「誰が来るんだろう」も何も無いという事を。
ホグワーツ魔法魔術学校を包む保護呪文のすぐ外に、同じ制服に身を包んだ厳粛な表情の魔法使いと魔女たちが次々と「姿現し」する。
そこには闇祓い局の所属人員が、絶対に中断できない重大任務に就いている者などの極一部を除いてほぼ全員集められていた。
(ここまでする必要ある?例のあの人が戻ってきたのに。他が手薄になるじゃない)
ニンファドーラ・トンクスは一度も見たことがない顔を周囲に何人も見つけて、遠方で任務にあたっていた者や要監視組織への長期潜入任務などに就いていた者も手当たり次第にかき集められたのだと理解して、また一層ウンザリした。
(あのアンブリッジってオバサン、何考えてんだろ。バカなのかな)
同時刻、ニンファドーラ・トンクスとは真逆の立場と言っていいヤックスリーも、数人の「同僚」と共に別働隊として赴いたホグズミードで、しかしトンクスと同じような事を考えていた。
「今回の作戦についてお前はどう思うねサヴェージ?そも、そんな凶悪犯ならダンブルドアが雇う筈が無いだろうに。上級次官どのは何を考えているんだか……」
「アンブリッジ上級次官は、いい噂を聞きませんからね。『かの人物』を追い落とせればそれでいいのでは?つまり、目的さえ達成できれば他がどうだろうが知ったことではない」
「それに振り回される方の身にもなってほしいものだ……」
心にも無い懸念を、ヤックスリーはさも密談かのような声色でこっそりと表明する。公的には闇祓いの職務と魔法省の意向に忠実であり続けつつ「親しい同僚」にのみダンブルドア支持者かのように振る舞うというのが、彼が死喰い人であるという事実を隠すために身に着けた仮面だった。
(ファッジの奴がここまで臆病だとは。ダンブルドアに助けを求めるか、そうでなくても助言を貰いに行くくらいするものかと……自分が闇の帝王のために動いている自覚も無いのだろうな)
なにも働きかけずともそうまでさせる闇の帝王の偉大さに畏れを深めるとともに、ヤックスリーの中での、ただでさえ内心軽んじていたコーネリウス・ファッジ魔法大臣への評価は、ここのところ日毎に下がり続けていた。
(『我らに都合が良い』以外の価値がつくづく無いなあの男は………)
「どうしましたヤックスリー?」
「いや、今回の作戦の対象人物は、どれほどの腕前なのやらと思ってな」
ヤックスリーの闇祓いとしての同僚サヴェージは、ヤックスリーの本当の顔を知らない。
「エヘン、エヘン」
ホグワーツの正門前に現れた全身ピンク色の服で固めたその中年の魔女は、呼び寄せた大勢の闇祓いたちを校内に招き入れると共に、魔法大臣閣下に依頼した「援軍」が到着するのを今か今かと待ち遠しく思い、斑に雲が泳いでいる青空の、高く遠い端に目をやる。
そんなアンブリッジを改めて見て「相変わらず凄い色。フウーパーに憧れてんのかな」などと余所事考えていたトンクスは、まだやる気が湧かない今回の任務に際して、リーマスがくれた助言に従ってひとつ、自分の中だけの秘密の目標を決めた。
つまり今作戦の捕縛対象であり、自分にとっては闇祓いとしての師匠の師匠にあたるその人物に、あわよくばアドバイスとか貰いたいと。
ニンファドーラ・トンクスも、キングズリー・シャックルボルトも、そしてジョン・ドーリッシュも。聞いた話でしか知らない「その人物」を、悪人だとは全く思っていなかった。
「でさ、アルバス。誰なら殺していいんだっけ?混ざってるんでしょ?トムくんの駒が」
「ミスター・ヤックスリーが死喰い人ですが、ホグワーツで殺人は控えていただきたいですな」
ホグワーツの校長室で、物騒な話をしているその2人に、罪状が事実とはどういう事なのかの説明をスネイプと共に受けて納得したマクゴナガルが話しかける。
「そう言えば先生。ご自宅がホグズミードにあるとの事ですが、そちらは大丈夫なのですか?つまり、あなたが手配犯になった以上、そちらにも闇祓いたちが踏み込むのでは?」
「ダイジョブだよー。ウチの警備主任は優秀だから……あ、来るね案の定」
「ミネルバ、セブルス。城の周囲を見回って、全ての生徒を城の中へ」
説明が欠落したダンブルドアからの指示に、マクゴナガルとスネイプは即座に従う。2人共、現在の状況から、「来る」というのが何の話なのかをすぐに察していた。
「ねえアルバス、まさか『あれら』にまで穏便になんて、言わないよね?」
「あんなものをホグワーツに招き入れるなど、あってはならんと考えます、先輩」
それだけ聞いた青年は、マクゴナガルとスネイプに続いて校長室から出ていく。
(ここまでする必要、ある?)
ニンファドーラ・トンクスは、アンブリッジに対する不信感をより一層強めていた。空を覆う数の吸魂鬼が飛来するのをその目に捉えながら。
そしてドローレス・アンブリッジは、これでとうとうあの不愉快な輩も終わりだと思いこんで、気分を高揚させていた。
「あっ………」
たまたまその時グリフィンドールのクィディッチチームの一員として練習に精を出していたハリー・ポッターも、額の傷が痛み始めた事で、生徒の中ではいち早く吸魂鬼の接近に気づいた。
そして、ハリーに続いて降下してきたケイティ・ベルも、同時に叫ぶ。
「アンジェリーナ、練習を中止するべきだ!」
「吸魂鬼!とんでもない数近づいてきてる!」
スリザリンとの試合が明日に迫っているとは言え、キャプテンであるアンジェリーナ・ジョンソンに選択の余地は無かった。
「こんな数の吸魂鬼を一度に動員して、本当に制御しきれるのか」
アンブリッジに先導されて同僚と共にホグワーツ城内へ向かうドーリッシュがふと呟いた懸念は、隊列に加わった夥しい数の吸魂鬼に半ば覆われた彼らの視界の外で、既に現実の物となっていた。
「アストリア、ナイジェル!こっちだ。早く!」
ホグワーツ城の傍のクィディッチ競技場。城内への避難が間に合わなかったグリフィンドールクィディッチチームの面々と、その練習を見物していた数人の生徒たちは、ハリーが喚び出した牡鹿の守護霊と、恐らくマクゴナガル先生が派遣してくれたものなのであろうトラネコの守護霊から離れないように気をつけながら、お互い可能な限り近寄り、杖を構え、どうやら自分たちを獲物だと認識したらしい吸魂鬼の大群から、普段の試合で自分たちを囲んでいる観客と大差ない数の吸魂鬼から、どうにか身を守っていた。
「ハリーあなた、ホントに凄いのね……」
マクゴナガルのトラネコと共に波動のようなものを放ちながら自分たちの身を守ってくれている牡鹿の守護霊が、それでも近寄ってきた1体の吸魂鬼に突撃して吹き飛ばすのを見て、ケイティ・ベルが感嘆の声を漏らす。
「毎年こんな目にあってるんじゃ、そりゃ『防衛術』の成績なんか、嫌でも良くなるよ……だって、だって!じゃなきゃとっくに死んじゃってるよ!」
ナイジェル・ウォルパートのその叫びには、ハリー自身も同意だった。
そしてチームメイトや友人たちと共に、今まさにハリーに守られているフレッドとジョージは、いつものようにただ視線を交わすだけで相談を終えた。
「ハリー!それ、やり方教えてくれ!」「守護霊呪文!どうすりゃいい?!」
既に集中力が限界を超えているハリーは、ほとんど叫ぶようにしてその要請に応える。
「『最高に幸せな思い出!』妄想でもなんでも良いけど『最高に幸せ』って気持ちで心の中をいっぱいにしないと、この呪文は機能しないんだ!呪文は『エクスペクト・パトローナム』!それと杖で円を描く事で、呪文の効果を多少増幅させられる―ほんとに多少だけど!」
その説明を聞いたハリーの周囲の皆は一斉にそれを真似し始めるが、当のフレッドとジョージだけは、杖を下ろしたままお互いの顔を見つめていた。
彼らの中にあるのは、かつてのアルバス・ダンブルドアですら抱かなかった感想。
魔法界の長い歴史の中で守護霊呪文を学んだ数多くの者たちが、誰一人抱かなかった感想。
(なんだ、そんなんでいいのか)(だったら簡単だな)
「何ボーっとしてんだよ2人共!!」
大慌てしている弟の声を、その双子は聞き流す。2体の守護霊が放つ力強い波動に押し返されては再び波のように押し寄せる吸魂鬼の群れに囲まれて、その2人だけが平然としていた。
「そうだろ?ジョージ」「そうだな。フレッド」
フレッドとジョージは見つめ合ったまま、決闘でも始めるかのようにお互いに杖を向ける。
そして2人は、ニヤリと笑った。
「「エクスペクト・パトローナム!!」」
フレッドとジョージの杖の先からそれぞれ出現した2羽のカササギを、ハリーも含めたその場の全員が、目を丸くして見つめていた。
「ハリー!お前の守護霊もっとこっちに寄せてくれ!」「俺たちの守護霊が蹴散らしてる間に!」「ハリーのを盾にしながら城まで移動するんだ!」「このままここで耐えてたってジリ貧だぜ!」
双子の意見にその場の全員がすぐ同意し、2羽のカササギと1匹のトラネコが吸魂鬼の波を押し返している間に、ハリーの牡鹿に守られながら、全員で身を寄せ合って移動を開始した。
一方、キングズリー・シャックルボルトはいち早く気づく。地面近くの低い位置を覆い始めた薄い靄が、吸魂鬼の影響に因るものではないという事に。
(守護霊呪文か、これは。こんな使い方ができるとは)
そして次の瞬間。その靄のような霧のようなものは、劇的に濃く分厚くなった。
「なんだ?!」
「え、何?『フューモス』でもないよねこれ?」
慌てる同寮の声を聞きながら、皆も自分と同じように視界がホワイトアウトしたらしいと判断したキングズリーはまだ見ぬ「かの人物」が何をするのかに考えを巡らせる。極めて強力な守護霊呪文でこの数の吸魂鬼を全て撃退するつもりなら、わざわざ守護霊呪文を不定形のまま使うとは考え辛い。「かの人物」が有形の守護霊を生み出せないわけがないと、キングズリーは直感していた。
「みなさん!無事ですか!」
「マクゴナガル先生!」
どうにかこうにかクィディッチ競技場から脱出する事に成功し、とりあえず最も危険な状況からは助かったグリフィンドールクィディッチチームの面々が見たのは、息を切らして駆け寄ってくるミネルバ・マクゴナガルとその周囲に付き従う2匹のトラネコの守護霊だった。
その瞬間。
「うわ!」「なんだぁ?!」
彼らもまたいきなり押し寄せてきた不定形の守護霊に厚く濃く覆われ、視界がホワイトアウトし立ち尽くす。しかしハリーたちが混乱するよりも先に、全ての方向からの声が響く。
「大丈夫。よく頑張ったね。凄いよ、みんな」
10秒足らずで、その白く光る分厚い霧は跡形もなく消えた。
「さあ、早く城へ!」
マクゴナガルと合流できたハリーたちは、変わらず下級生を隊列の中心に据えて皆で守りながら、さりとて慌てないように精神力を総動員しながら城へ急ぐ。
そんな中、最後尾で皆を守っているハリーのすぐ前。ハリーたちの練習を見物していた1人であるコリン・クリービーが、自分も大急ぎで駆けながらも、いち早く気づいた。
「ねえ、なんかディメンター、変じゃない?」
闇祓いたちも、ドローレス・アンブリッジも気づいた。
全ての吸魂鬼が宙に漂ったまま微動だにしなくなっている事に。
「何をなさったのか、参考までにお伺いしても構いませんかな?」
ホグワーツ城の時計塔、かつて「杖十字会」なる秘密の決闘クラブが開かれていた場所のすぐ傍。時計塔の中庭と呼称されているその場所で、セブルス・スネイプの問いに青年は快く答える。
「『食欲』と『飢え』を根こそぎ吸い上げてやっただけだよ。でもま、ディメンターってそれしか無いんだから、もう絞りカスも同然って事になるね」
セブルス・スネイプは気軽に笑いながらそう語る青年の横顔を見て、その向こうに闇の帝王ともダンブルドアとも違う恐ろしさを感じていた。
が、しかし。
「………きみやっぱり、エバンズくんに似てるとこ有るよね。覚えてる?リリー・エバンズくん。僕の記憶違いじゃないなら、同級生だったよね?セブルスくんが生徒の心配してる時の顔、あの子にそっくりだよ。あの子もきみとおんなじくらい優しい子だったなぁー」
まあ僕はきみたちが1年生の時の事しか知らないんだけどさ、と言って笑うその青年が果たしてどこまで自分の事について把握しているのか、セブルス・スネイプには全く判らなかった。
「ねえセブルスくん。賢いきみならわかるよね。『これ』がどういう性質のものか」
青年が杖の先で弄んでいる、強いて言えば「憂いの篩」に注ぐ寸前の「記憶」のような、あるいは守護霊呪文で呼び出されるソレを濃くしたようなそのクアッフルくらいのサイズのドロリとした流動体の塊を、スネイプは見つめる。そして、察した。
「ほぼ純粋な、『魔法』の塊。未知数に強力且つ、未知数に危険。吾輩はそのようなモノ、視界に入っているだけでも、とても安心などできませんな」
「やっぱり賢いねえセブルスくんは。スリザリンに5点!そう。凄く強力で凄く危険。それも底なしにね。これはある魔女が、善意で作り出した魔法なんだ。最初は『父親の苦しみを取り除いてあげたい』って一心だった。けどすぐに歯止めが効かなくなって、善意を暴走させたその魔女は、自分の父親を全ての感情が失われた絞りカスにしてしまった。……問題はそれだけじゃなかった」
「『取り出したモノ』の処遇ですな?」
セブルス・スネイプの理解の速さに、青年は感心していた。
「そう。その魔女はとりあえず瓶とかに詰めてたんだけどさ。けどこんなもん、仮にグリンゴッツの一番奥に仕舞っといたって安心はできないじゃん?」
「まあ、不充分でしょうな。というより、このようなモノを収めておくのに『充分な』容れ物など、無いのでは……?吾輩が見た限り、このようなモノはそもそも生み出すべきではない」
その発言は、青年を一層笑顔にさせた。
「きみにならこの話をしても大丈夫だって思ったの、正しかったみたいだねえ。そうさ。これは、あっちゃいけないモノだ。けど、もうある。現に、ここにね。だから僕はできるだけ安全に、少なくとも僕以外のものに危険が及ばないように処理する方法を長いこと研究してた。で結論というか『今の所はこれが最善』って方法を2つ見つけた。ひとつはこれを、僕の中に仕舞っちゃうこと。けどこれをやると僕の精神に影響が出てくる。ポジティブな感情なら躁っぽくなるし、今回みたいにディメンターから吸い上げたヤツだとめちゃくちゃお腹空くんだよ。実際に胃袋の残り容量がどのくらいなのかは一切関係なく、ただただ食欲が湧いてくる……つまり『僕の中に仕舞う』のは、もうひとつの方法を採れない時だけ。で、そのもうひとつの方法を今からやる―」
青年が杖の先で操っていたそのドロリとした塊は、杖の動きに合わせて宙を漂う内にどんどん小さく濃く凝縮されていき、薄ぼんやりとしている程度だった発光も強くなっていく。
「―つまり、その場ですぐに、全部。使い切る事!」
青年は杖を振り上げ、真っ先に思いついた呪文を唱える。
「エイビス!」
その光景は、吸魂鬼たちの沈黙に騒然としていたアンブリッジ及び闇祓いたちの目にも捉えられた。そして闇祓いたちは、自分たちが逮捕しようとしているのが、本当に、正真正銘、あらゆる意味合いで「ダンブルドアの先輩」なのだと言うことを、あっという間に分厚い雲に覆われたにも拘らず力強い明るさを保っている空と、俄に降り始めた雨、そして雲の中から響く雷鳴を聞きながら、そして翼を広げて雄大に飛翔するその魔法生物を見ながら、今更ながら理解していた。
白にも金にも見える羽毛。大きな体。ヒッポグリフのような頭。長い尾と、3対の翼。
「あれは、あれは。まさかサンダーバードか……!」
ジョン・ドーリッシュが我を忘れて声を上げるその横で、その場でただ1人だけその光景よりもそれに対する同僚たちの反応の方に注意を向けていたキングズリー・シャックルボルトは、トンクスの目が好奇心で輝いているのを見た。
そして羽撃きの度に雷光を放ちながら城の周囲をぐるっと飛んで戻ってきたそのサンダーバードに、生まれたばかりでありながら既に成鳥であるその子に、青年は親しげに話しかける。
「お腹空いてるだろ?それもすっごく。だから今すぐご飯にしようね。でもその前に―きみの名前はリリーだ。だって、目の色があの子とおんなじだ!ね、きみもそう思うだろうセブルスくん!」
セブルス・スネイプは湧き上がってくる想いに蓋をするべく、別の思いに手を伸ばした。
「あなたは、『エイビス』で。小鳥を喚び出す呪文で。まさかこれほどのものを……しかもこれは、普通呪文で喚び出されるモノとは違う。『正真正銘生きている』。これは―」
青年はバチバチと激しく感電しながら、すり寄ってきたそのサンダーバードを撫でている。
「色々試したんだけどね。生き物を喚び出す呪文が一番穏便なんだよ。『本当に生きているもの』を喚び出す事にエネルギーの大半を使うみたいでさ。……セブルスくんも撫でてみるかい?」
「いえ、いえ。吾輩は、結構です……」
そう答えたセブルス・スネイプはしかし、そのサンダーバードの目を見つめ続けていた。
一方、アルバスから聞いた話でしかこのセブルス・スネイプという生徒の事を知らない青年は、なんかよくわかんないけどリリーをカバンの中に収容するのはもう少し待ってあげたほうがいいみたいだなとだけは察して、全く別の事に思いを馳せる。
(こんな数の吸魂鬼から根こそぎ吸い上げて、やっとクアッフルくらいの塊になる)
それはこの魔法を、「感情を抜き取る魔法」を、敵対者や吸魂鬼などに使う度に思う事。
青年が思い浮かべるのは、ホグワーツの地下深くにある「保管庫」。
(いったい、どれだけの数の人から感情を取り上げたんだいイシドーラ……)
敵対者か自分自身のみにと固く決めてはいるが、この「感情を奪い取る魔法」をわりとちょくちょく使うからこそ青年は、ともすればラッカム先生たちよりもさらに、危険性が身に沁みていた。
100年以上研究し続けても、かの保管庫の「中身」に関しては、「そっとしとく」以外に道は無いと、青年はそう結論を出していた。あんなもの使い切るのは不可能だし、仮に自分の中に取り込んだら、どんな目的のためにそうしたかに拘らず、きっと精神を取り返しのつかない規模で蝕まれて自分が自分ではなくなるのだろうと、青年はそう思っていた。
そうなったらきっとフィグ先生の事すらも忘れてしまうのだろうと。
(それだけはダメだ。イヤだ。絶対に、絶対に)
もしかしたら自分は既に道を踏み外した後なのではないかといつも思いながら、その事だけがこの「ダンブルドアの先輩」にとってどうしても譲れない、「踏み越えてはいけない一線」だった。
フィグ先生を、なんとも思わなくなる事だけは。
原作者曰く「何も無いところから創り出されたものは、長持ちしない傾向がある」
……感情の塊というリソースを消費してるのでセーフ!(強めの幻覚)
Q.「エイビス」でサンダーバードが出てくるの無茶じゃない?
A.だってランロクがドラゴンになったし……(書きたい場面が先。理屈付けは次)