104年後からの今 作:requesting anonymity
「お前さんは紅茶に輪切りのレモン、それでお前さんはストレートだねヴォルデモート」
その日、皆が寝静まった時間帯。いきなり玄関先に現れたベラトリックス・レストレンジとヴォルデモートの2人を、その老婆は平然と家に入れた。
「お初にお目にかかる。マダム・カッサンドラ・トレローニー」
「ああ。直接会うのは初めてだねヴォルデモート」
カッサンドラの言う「直接会うのは初めて」というのはつまり、彼女の備える内なる目に四六時中ずっと見えている「予見」の中に「見た」事はある、という意味合いである。
それは即ち「お前の未来を知っているよ」と言っているのと同義だった。
ヴォルデモート卿は、このベラトリックスに「くれぐれも無礼な真似をするな」とあらかじめ言い含めておいたのは正解だったと、閉心術で固く防護した心の内で思っていた。
なぜならベラトリックスはもう既に「闇の帝王になんだその態度は」とカッサンドラ・トレローニーに磔の呪文でも浴びせかけたいらしいのが隠しきれていないのだから。
恐れ慄き怯え竦むか敬意をもって平伏するかしろと、ベラトリックスは思っている。
しかし当のカッサンドラは、ヴォルデモート卿すらも、他の全ての訪問者と同じに扱っていた。
「まずヴォルデモート。お前さんが完全勝利するってのは、お前さんが完全敗北するのと同じくらい、狭い道だよ。不快な輩どもを『尽く』始末するってのがお前さんの思う完全勝利だからね。そしてヴォルデモート、お前は、お前が今いちばん欲しているものを、別にそんなに必死になってまで探す必要は無いんだ。なんせ『その予言』を、知ろうが知るまいが。結局お前さんが安寧を得るためにやるべきことは変わらないわけだからね。自分でも解ってるだろう?」
「俺様が負けるやもしれぬと、そう言いたいわけかカッサンドラ・トレローニー」
闇の帝王のその言葉には明らかな怒りがあったが、怯んだのはベラトリックスだけだった。
「そりゃお前、負ける『かもしれない』さ。なんてったってまだ決着はついてないんだからね。私はお前さんが勝つところも負けるところも両方何度も見たけど、まあとにかく…………勝ちを確実にしたいなら、不死鳥を連れた魔法使いに注意する事だね」
「ダンブルドアが俺様の障害になると、そう言いたいのか?」
「さあ? かなり遠くからだったから、誰かまでは見えなかったね。ただソイツは不死鳥を連れてて、アンタはソイツを殺そうとしてるんだけど、かなり手こずらされてたよ。それは確かに見た」
ダンブルドア以外で不死鳥を連れてる奴って言うとニュージーランドのクィディッチチームに、とすぐ連想したベラトリックスだったが、いくらなんでもモウトホーラ・マカウズなんかに我が君が手こずらされるわけは無いと、その考えをすぐに捨てた。
「私が見たアレが誰だったにしても、そんな奴より先に始末すべき相手が居るんだろ?」
カッサンドラ・トレローニーにそう言われたヴォルデモート卿の思考は「これから先すべき事」という未来から「なにより先にすべき事」という現在へと立ち戻った。
「ハリー・ポッター…………」
その声を最後に部屋もヴォルデモート卿もベラトリックスもカッサンドラも何もかも煙のように形をなくしていき、1年生の女の子にしか見えないその「先生」は憂いの篩から顔を上げた。
「はやー。皆でこんな大事なの見てたんなら起こしてほしかった……」
「よくお眠りでしたし、マダム・トレローニーが『いいよほっといて』と仰せでしたから」
歴代校長の肖像画が壁から見守っているホグワーツの校長室で、棚の目立つ場所に置かれた1年生のアルバス・ダンブルドアの肖像画が平然とそう告げる。
先日なんの前触れもなくホグワーツを訪れた高名な予見者にして占い学教授のシビル・トレローニーの曾曾祖母でもあるカッサンドラ・トレローニーが提供していった記憶を、その時は眠りこけていたその「1年生の女の子」は、ひとりだけ遅れて今更確認したのだった。
「あの、あのマダム・カッサンドラ・トレローニーは、どっちの味方なんですか」
「ガッちゃんだっこして」
「はい」
言われるがままにその「1年生の女の子」を抱き上げた闇祓いのガウェイン・ロバーズが投げかけた質問に答えたのは、ミネルバ・マクゴナガルだった。
「どちらの味方かと言うなら、まあこちらの……というよりシビルの味方ですね。ですがマダム・カッサンドラ・トレローニーは、えー……我らとは違う視点を。お持ちですから」
かなり言葉を選んだらしいマクゴナガルの後に続いて、その「女の子」は口を開く。
「見えたものを偽らないってのが、カッサンドラくんの昔っからの主義信条だからね。まあ、だからこそ『何が見えたのか』を疑ってくる奴をカッサンドラくんすっごく嫌うんだけど……そこを間違えるようなトムくんじゃないし……だからガッちゃんも、もしカッサンドラくんに占ってもらえるような事があれば、その時は『本当に見たのか』とか『正確には何を見たんだ』とかそういう事訊いちゃダメだよ。カッサンドラくんヘソ曲げるからね」
そう言った「1年生の女の子」に、アーマンド・ディペットの肖像画が言う。
「一度、同級生だったグリフィンドールの男子がカッサンドラ……『ミス・ヴァブラツキー』に。『本当に未来なんか見えてるつもりでいるのかお前』と、嘲笑半分に訊いた事があったな?」
ミネルバ・マクゴナガルが目を見開いて驚く中、その「女の子」はガウェイン・ロバーズに抱っこしてもらったまま、その90年近くもの昔を懐かしんだ。
「あー。あったねえマンドちゃん。覚えてるよそれ。カッサンドラくんめっちゃくちゃ怒って、その男の子に1日中付き纏って、その子のこれからの人生を滔々と語って聞かせたんだよね。それもあらゆる分岐点の先すら余さず全て……シャープ先生が『オスコーシ』で口を消してやめさせようとしたんだけど、カッサンドラくんいつの間にやら開心術を身につけてて、それで今度はその開心術を自分自身に使って、『私の“目”を疑いやがったグリフィンドールの男子のこれからの人生』をホグワーツ中の皆の脳に直でお伝えし始めて。結局その子は泣いて謝っても許してもらえなくて」
魔法史上最高の予見者を敵に回すという事がどういう事なのかを理解して、ミネルバ・マクゴナガルもガウェイン・ロバーズも同じ表情になって慄いていた。
「そのグリフィンドールの男子はそれから暫く医務室で臥せってたし、ずっとその予言に抗おうとし続けて、予言されたどれでもない人生を歩もうと躍起になって、予言されたとおりの幸せな人生を送って、予言されたとおりの年齢で、予言されたとおりの日に、予言されたとおりに死んだの」
「……口は災いの元、ですね…………」
他に今聞いた話を言い表す言葉が思いつかなかったガウェイン・ロバーズは、予見者を――もしくは予見者だと主張する輩を――無下にするのは絶対にやめようと、そう心に決めるのだった。
「それは、そんなのは逆にもう『占い学』の。守備範囲外なんじゃないか?」
同じ頃。今日も寮の垣根を越えて朝から「地下聖堂」に集まり試験勉強と宿題に取り組んでいる皆の中で、ラベンダー・ブラウンとパーバティ・パチルから「カッサンドラ・トレローニー」の話を聞かされたノットも、驚愕をもってそのエピソードを受け止めていた。
「ええ。『だから』占い学の教師にはならなかったんだって、御本人が仰ってらっしゃったわ」
「『垣間見たものをどう解釈するか』って授業で、『ずーっと何もかも全部バッチリ見えてる上に見たままを受け止めてそのまま伝える予見者』は、確かに。生徒に何も教えらんないな……」
シェーマスもノットと一緒になって戦慄しているが、ドラコは冷笑的だった。
「お前ら、そんな話を信じてるのか?」
「お前はお前のこれからの人生の行く末とそのあらゆる可能性をいま全部聞かされたいのか?」
ノットの端的な指摘でドラコは理解した。信じるかどうかは重要ではなく、ドラゴンの尾を踏みつけるような愚かな真似をやるのかどうか、自分で自分の敵を作りたいか否かの話なのだと。
「…………それは、……それはご勘弁願いたいね。無礼な物言いだった。撤回する」
未来が見えるというのはつまり「過去のいつかのカッサンドラ・トレローニー」が「今」自分がした発言を「既に」聞いているのではないかとまで想像して、急に怖気が走ったドラコはこの場に居ないその高名な予見者に、誠心誠意謝罪した。
そのドラコの掌返しが面白かったらしく、ダフネ・グリーングラスが吹き出すように笑った。
そのすぐ隣では、アーニー・マクミランとジャスティン・フィンチ=フレッチリーがネビルとザビニと一緒になって、魔法史の問題集に挑んでいる。
「1835年だっけ。4年だっけ……そのへんに始まった『神秘部廃止運動』って、なんで頓挫したんだっけ? なんか前に授業でやったって、僕のノートには書いてあったんだけど」
いつも眠気と戦いつつ魔法史の授業を受けているのでそんな話を授業でやった記憶が無いのはザビニとてネビルと同じだったが、それでも彼は元々持っていた知識から、その質問に答えられた。
「神秘部が、その『神秘部廃止運動』に対して。何の反応も示さなかったからだ。当時のラドルファス・レストレンジ魔法大臣は神秘部の必要性に疑問を感じていたのか、何か他の理由があったのか、とにかく神秘部を廃止しようという運動を大々的に展開したんだが、神秘部の職員は誰一人これに反論どころか反応すらせず、完全無視して通常業務を、つまり一切が門外不出の機密事項である『研究』を続けた。そして結局、レストレンジ大臣は健康上の理由で1841年に退陣した」
「…………神秘部って、なんなの??」
「わからん。ただ、予算を吸うだけの腐敗した組織ではない事、魔法省自体より古い事、そして魔法大臣ですら神秘部に対してはあまり、というか恐らく全く権力を及ぼせない事は確かだ。ついでに言うと神秘部は、魔法省にある部局の中で唯一、魔法法執行部に従う義務が無いそうだ」
結局よくわからないという事だけ理解したネビルは、ザビニの説明をただ丸暗記する事にした。
「ね! そういえば、5年生のみんなは今日からなのよね? O.W.L.試験」
ルーナに遊んでもらっていたアストリア・グリーングラスがそう言ってしまった事で、ハリーもロンもネビルもノットもパンジーもジャスティンもディーンも、そこにいる5年生が全員呻いた。
「考えないようにしてたのに……」
ダフネ・グリーングラスが絞り出すように呟き、ザビニや他の皆がそれに続く。
「そうだアストリア。今日これからまず『呪文学』。午前に筆記、午後は実技」
「1日1教科、全部で2週間」
「成績は6段階。最高評価の『O:優』とその次の『E:良』が合格。3つ目の『A:可』もまあ合格だけど、厳しい科目は『A:可』じゃ来年以降続けさせてもらえなかったりする」
「スネイプなんかは『優』じゃなきゃ不合格だろうな。で『P:不可』と『D:落第』と更にその下『T:トロール並』が不合格だけど……『トロール並』は、とった奴なんて聞いたこと無いな」
うわ言のような低く抑揚の無い声で次々にそう言った5年生たちに、スリザリンの7年生エイドリアン・ピュシーが宿題と格闘しながら補足する。
「俺それ一昨年気になってな。スネイプに訊いたんだ。そしたら教えてくれたよ。なんでも『T』は、『試験中に不届きな振る舞いをして他の生徒に迷惑をかけた』とか『暴れて試験官を殴った』とかそういう、試験以前の問題だった奴に与えられる評価だから、どれだけ出来が悪かったとしても、ただ成績が悪いだけじゃあ貰えないそうだ。残念だったなウィーズリー」
「なんだあコンニャロ喧嘩なら買うぞピュシー」
ギュウっと眉間にシワを寄せて反射的に言い返したロンだったが、スリザリンの上級生の中では例外的に元々から人当たりの良いエイドリアン・ピュシーが今ぶつけてきたのが「嘲り」ではなく「軽い冗談」だという事は、ロンとてよく理解していた。
「買ってる余裕なんか無いでしょロン。…………あなたまさか『頭冴え薬』とかでやり過ごそうなんて考えてないでしょうね?」
「かっかかかかかかかかかぁ考えてるわけないだろ!!!!!!」
考えてたんだなコイツと、ザビニもノットも思った。
「……ウィーズリーお前、試験官どものボスが誰なのかを知らないのか?」
「知らないよそんなの。魔法試験局の局長だろ? なんかすごい奴だってのかノット?」
ロンのその質問に、アンジェリーナの宿題に付き合っていたフレッドとジョージが反応した。
「すごいのすごくないのって――」「そりゃあもうな。なんたって――」
フレッドとジョージが皆に説明を始めたちょうどその時、その人物は他の試験官たちを引き連れてホグワーツに到着していた。
「お待ちしておりましたわ、マダム・マーチバンクス」
「お前さんが出迎えに来たって事は、やっぱりダンブルドアはまだ逃げてるんだねドローレス」
背は低いし手も顔もシワだらけのその老婆は、しかし背筋がピンと伸びており、かなりの早足でスタスタと歩いてホグワーツの正門をくぐった。
「すぐに捕まります。魔法省が総力を上げて捜索しているのですから」
アンブリッジがピシャリとそう返すと、マーチバンクス教授はくわっと口を大きく開いた。
「いいや! ダンブルドアが見つかりたくないと考えているのなら魔法省には絶対にダンブルドアを捕まえられないと思うね! 私があの子のO.W.L.とN.E.W.T.の試験官だったのだから! あれほどの杖使いはそれまで見た事が無かった!! あのバカチンだって凌ぐよあの子は!!」
高齢故に少し耳が遠い魔法試験局局長グリゼルダ・マーチバンクスは、とても声が大きかった。
つい先日まで所属していたウィゼンガモットで、どころか魔法省全体で見てすら現役最高齢に近いマーチバンクス教授は、その長い長い勤続年数ゆえに、職権から来る以上の発言力があった。
だからこそドローレス・アンブリッジは、この小さくて元気な老婆に、強く出られない。
「まったく、ダンブルドアが強硬手段に出ないのを良いことに強気に出てたくせに、いざ実力を行使されたら何も成すすべが無いんだから闇祓い局の若い奴らは鍛え直さなきゃダメだね!」
「その意見自体には、同意します。闇祓いたちは些か……期待外れです」
城内へと歩を進めながら、アンブリッジはこの魔法省内で普段から独特な存在感を放っているマーチバンクス教授と、意見の合う点を探そうと試みていた。仮にこの老婆から自分への覚えが少しでも良くなる事があれば、それは大いに今後に役立つだろうと。
そして「闇祓いは鍛え直すべき」というのは、当の闇祓い局や不死鳥の騎士団の会合でも最近度々話題になる「目下の課題」だった。
「闇祓いがしっかりしてれば、そもそも台頭してきたその時にヴォルデモートを逮捕してそれで話は終わりで、ポッター家が犠牲になる必要も無かったわけだからね」
それはいくらなんでも荷が勝ちすぎるのではないかとマーチバンクス局長の後に続いて歩く部下たちは思っていたが、誰もそれを口には出さなかった。
「おや、そうなると今度は、ヴォルデモートが生徒だった間に奴を矯正できなかったダンブルドアに責任があるって話になるのかね? 『当時は“単なる問題のある生徒”の範疇だと思っていた』って、昔ダンブルドアが言ってたが。……ま、これに関しちゃ何を言っても今更遅いけどね!」
豪快に笑ったマーチバンクスに、アンブリッジはどうにか合わせて愛想笑いを浮かべていた。
「さて、まずは呪文学だねトフティ」
マーチバンクス教授がそう言った通り、当事者たる5年生たちが泣こうが喚こうが狂乱しようが、すぐにその時はやってきた。
6年生以降に受講する科目を、どころかこれからの一生すら左右する試験。
「Ordinary Wizarding Level」略して「O.W.L.」通称「ふくろう試験」が。
普段は組分けの儀式や節目の挨拶、そしてなにより日々の食事が提供される場であるホグワーツ城1階の大広間で。魔法省から派遣されてきた複数人の試験官が監視する中で、ハリーら5年生は揃ってO.W.L.試験の開幕を告げる呪文学の筆記に挑んでいた。
(『浮遊呪文』の唱え方と杖の動き……『浮遊させたものを自由に動かしたい場合に』唱える呪文……1問目ならまあ、こんなもんなのかな)
1年生の時、女子トイレでロンがトロールの手からその呪文で奪った棍棒を見事にトロールの頭部に命中させた光景を、ハリーは未だにハッキリ思い浮かべる事ができた。
続く「浮遊させたものを動かす必要が無い場合」の問いに「レヴィオーソ」と記入してから、杖の振り方の記述にかかったハリーは、ちょっと迷った。
(レヴィオーソって、浮遊させたいものを直接杖で叩く必要があるんだったよな……でもあの先生は、相手の服にかける事で決闘にも活用できるって言ってたし、実際にやって見せてくれた……というかD.A.でシェーマスが喰らってた……あれどういう事なんだろうな……)
数秒考えたハリーは「あの先生が言ってた『ヘキャット先生』って人のオリジナルなんだろう」と結論付けて「直接杖で叩く」と解答欄に記入し、次の設問に移る。
(箱を爆破して開ける呪文…………なーんだっけな……)
2年生の時になんか見たよなリドルの日記に見せられた記憶の中で、と思い浮かべたハリーは、すぐに去年フリットウィックがその呪文を紹介してくれた時の事まで思い出せた。
(ああシステム・アペーリオだ。そうだそうだ)
普段あんまり使わない呪文はけっこう忘れてるなと、ハリーは肝を冷やしたのだった。
そうしてO.W.L.試験の最初、呪文学の筆記は滞り無く終了し、午後の実技も、まあ他の皆の話から推測する「平均水準」よりはどうやら良くできたらしいとハリーは自分に言い聞かせた。
浮遊呪文は隣でやってたマルフォイのそれより精緻だったと言えるし、効果がまるっきり違うのに発音が酷似している「変色呪文」と「成長呪文」を間違えてオレンジ色にするはずだったネズミが小型犬くらいにまで膨張してしまったが、どうやらその程度のミスは皆どこかしらでやらかしていたらしく、ロンやノットと話す内に「済んだ事だしいいか」とハリーは割り切る事ができた。
翌日の変身術も、まあハリーとしては「よくやった」と自分を褒めてあげたい気持ちだった、というか幾らかのミスは仕方がないと割り切って「良い出来だった」と思い込まなければ気が変になりそうだった。なにせ6年生以降如何な教科を選択できるか、どの程度選択の幅が広いかが今受けているこの一連の試験の結果で決まる以上、それ即ち将来就く職業の選択の幅が今まさに決まっているということであり、既に将来の夢が確固として決まっているハリーのような生徒にとっては、その将来までもが、「自分がこれから歩む人生」までもが今決まっていると言えるのだから。
(まあでも僕らは、ヴォルデモートをブッ殺さなきゃ将来もなにも無いんだけどね…………)
まさかヴォルデモートについて考えた事でいくらか気持ちが楽になる日が来るとは思っていなかったハリーは、なんとも妙な気分になってしまって、変身術の実技、用意されたイグアナを対象としての「消失呪文」に取り組み始めるのが隣のハンナ・アボットより数秒遅れてしまった。
「今のところは、まあ……僕ら良くやってるよな?」
水曜日、薬草学の実技試験を終えた後でそう言ったロンに、シェーマスとディーンが同意した。
その横ではネビルも珍しく自信あり気で、それは筆記も実技も一切ミスをしなかったという自己判断に基づいていた。
現にこの前日、グリフィンドールの談話室で「明日は薬草学か」という話題になった途端、ハーマイオニーまでもがネビルにアドバイスを求めたのだ。
そして次なる「闇の魔術に対する防衛術」の、実技で。試験官たちは驚愕する事になった。
「では最後に、ハリー・ポッター。あなたが使える中で、最も難しい呪文を。今ここで、やってみせてくださいますか? なんでも構いませんから」
それは「ハリー・ポッターは守護霊呪文を使えるらしい」という「噂」に興味を惹かれた魔法試験局の職員たちが、直前で急遽ねじ込んだ課題だった。
「ハリー・ポッターは」守護霊呪文を使えるらしいという噂だった。
「エクスペクト・パトローナム!!」
ハリー・ポッターのみならず、ロナルド・ウィーズリーも、ハーマイオニー・グレンジャーも、シェーマス・フィネガンもアーニー・マクミランもしっかりと動物の形をした守護霊を作り出してみせた事で、魔法試験局から派遣されてきた試験官たちは喝采すらして5年生たちを讃えた。そしてネビル・ロングボトムを始めとするもっと多くの5年生たちが、はっきりした動物の形にこそなっていないとはいえ、盾として機能するそれなりの守護霊を呼び出して見せ、さらにそれらの全員が「ハリーに習いました」と口を揃えた事で、午前に行われた筆記試験の採点を待つまでもなく、ハリー・ポッターの「防衛術」の試験結果が最高評価の「O:優」に決まった。
一方で当のハリーたちは、皆が皆「アンブリッジがホグワーツから逃げ出すところ」を想像して守護霊呪文を成功させたと知って、お互いの顔を見ながらなんとも邪悪に笑ったのだった。
そして次の日は古代ルーン文字の試験だったので、その教科をそもそも選択していないハリーたちにとっては丸々1日を迫る他の教科の試験勉強に充てられる貴重な時間となり、地下聖堂に行ってみたらフレッドとジョージやアストリアやルーナも皆そこで待っててくれていた事で、ハリーたちは大いに気分をリフレッシュできたのだが、毎度毎度試験が終わってからヒステリーを起こすハーマイオニーだけは、午前中の筆記の結果について「あそこをミスしたかもしれない」などと、言ってもどうにもならないし恐らくミスもしていないだろう点についてひたすらウジウジと嘆き続けて、5年生の皆をうんざりさせたのだった。
次の日、週が変わって月曜日。魔法薬学の筆記は危惧していた通りの強烈な難易度だったが、ハリーは少なくとも「ポリジュース薬」については効果も何もかも完璧に解答できたと自負していたし、それ以外に関しても、クリスマス休暇中にシリウスやルーピンや他の「騎士団」の皆に教えてもらったりした事が大いに活きて、終わってみれば「まあそこまで酷くはない」と思えた。
ただ、確実にいくつもミスをしてもいたので「O:優」がとれていない事もまた、明確だった。
そして午後の魔法薬学の実技は、ひとえに「スネイプが居ないだけでこんなに楽なのか」という、試験終わりにシェーマスが口走った一言が全てだった。
翌日の「魔法生物飼育学」は、いくらなんでも今年の授業内容を忘れられる生徒など居るはずもなく、例年を大きく超える平均点だと後でコッソリ教えてもらえたハグリッドが大喜びしすぎたせいでマーチバンクス教授の手を「ほんの少し」強く握りすぎてしまった以外は本当に誰も何も大きな失敗をせずに終了したし、当のハリーたちにしてみても「良くできた」という実感があっただけでなく、実技が屋外で行われた事と、魔法生物と実際に触れ合う試験内容だったことで、またまた張り詰めていた気持ちをいくらか落ち着かせる事ができたのだった。
そして次の日の夜。天文学の実技試験の終わり際に、その事件は起きた。
最初にそれに気づいたのは、まだ望遠鏡を覗いている生徒たちの内、唯一既に全ての課題をやり終えていたセオドール・ノットだった。
なんか向こうが妙に明るくないか何だどうしたオレンジ色だなと、ノットは今の天文学の実技に関してやれることは全部やり終えていたのも手伝って、なんとなく望遠鏡でそっちを見てみた。
「ん? ……おい何やってんだあいつら」
一方ルビウス・ハグリッドは、今朝方ドーリッシュの奴が死にそうな顔をして小屋に来たかと思えば「本当にすまん」とだけ言って去っていった理由を、今やっと理解していた。
ここまで貧乏くじを引くのか自分はと思いながら、いや一番気の毒なのはハグリッドだろうと思いながら、ドーリッシュは心を無にして「上司」の命令を遂行している。
「うわ、なんだあいつら! こんな夜中に!」
ノットに続いて異変に気づいたらしいロンも同じ方向を望遠鏡で見下ろしながら声を上げた。
「ハグリッドの小屋が燃えてる! 燃やされてる! あのガマガエルよくもあんな真似!!」
その声で一斉にそちらを見た5年生たちの目に飛び込んできたのは、アンブリッジが4人の闇祓いを従えて、屋根まで炎に包まれているハグリッドの小屋に次々呪詛を撃ち込んでいる光景だった。
燃え盛る小屋の扉が勢い良く開き、何やら大きなものを担いだハグリッドが煙と炎に巻かれながら外へと飛び出てきた。
アンブリッジは闇祓いたちに「逮捕しなさい!」と連呼し、闇祓いたちは淡々と命令に従って絶え間なくハグリッドに呪詛を浴びせ続ける。
「なんだあのデカブツ。あれだけ呪詛を浴びて何ひとつ効いてないのか?」
「そりゃ、巨人の血を引いてるやつを『失神』させるなんて。あの人数でそんな真似を成功させたいなら闇の帝王かダンブルドアを呼んでくる必要があるだろうな」
わりと他人事の声色でそう話しているスリザリン生2人をよそに、グリフィンドール生たちはもはや試験など放棄して、一丸となって怒り狂っていた。
「あいつら何の正当性があってハグリッドを攻撃するんだ!!」
「正当性なんか要らないんだろうよ。アンブリッジにとっちゃ『巨人の血をひいてる』ってだけで『攻撃する正当な理由』なんだろ」
「みなさん、今は試験中なんですよ!!!」
魔法試験局から来た試験官、禿げかかった頭と優しげな佇まいのトフティ教授がそう咎めるが、そこに居る5年生たちは、スリザリン生たちも含めてもはや誰も試験など気にしていなかった。
「あんな真似して、あのババアは一体ウィゼンガモットの連中をどう納得させるつもりなんだ?」
そう呟いたザビニはひたすらに「アンブリッジの思考回路」が気になっている様子だった。
ハグリッドが抱えている大きな何かが飼い犬のファングだと最初に気づいたのはドラコだったが、ドラコはそんな事よりもハグリッドの呪詛に対する耐性の方に興味を惹かれていた。
「ファングを狙わんでくれ! 煙を吸っちまったんだ、ファングを狙わんでくれ!!」
失神呪文を絶え間なく浴び続けながら、ハグリッドは誰にも反撃せずにそう訴えている。
ハグリッドに抱えられたまま弱々しく息をしているファングは、それでもハグリッドを守りたいらしく、闇祓いたちに吠えかかろうと頑張っている。
「あなたたち、一体何をしているのです!!!!」
「マクゴナガルよ!」
ハーマイオニーが叫んだ。
「やめなさい!! 何の理由があってハグリッドを攻撃するのです! そのような行いを正当化する材料など何もありません! やめなさ」
アンブリッジ他3人の闇祓いが一斉に失神呪文をマクゴナガルに浴びせるのを、ドーリッシュは見届けてしまった。
「卑怯者!!! 卑怯者!! なんたる行い! ケダモノの行いだ!!」
トフティ教授すら、もはや試験の監督など放棄して怒り狂っていたが、それと入れ替わるようにしてハリーたちは一気に静かになっていた。
ハグリッドが本気で怒っているところなど、それまで誰も見たことが無かったから。
「この野郎!!!」
ハグリッドの一番近くに居た闇祓いが咄嗟に唱えた盾の呪文ごと思い切り殴られてブッ飛んでいくのを、盾の呪文がパンチで粉砕されるのを、ハリーたちは目撃してしまった。
その光景を見て、スリザリン生たちは先日受けた「防衛術」の筆記試験の中にあった設問と、それに自分がどう解答したかを思い浮かべていた。
盾の呪文で防げるものと防げないもの。「投石」を盾の呪文で防げるか否か。
史上最も有名な「盾の呪文の使用例」は、1484年に行われたとあるマグルの少年とその土地の領主である乱暴で意地悪な同じくマグルの伯爵との馬上槍試合において観客にまぎれていた魔女が少年に加勢するためにこっそり唱えたもので、この逸話はつまり「馬の走力が乗った槍の突撃」を盾の呪文で防げる事を意味しており、それは翻って、盾の呪文の強度が攻撃の強さに負けていた場合は、魔法的な要素が無い攻撃にも盾の呪文は打ち砕かれ得るという事で、5年生たちは現にこれを、盾の呪文を唱えられるハリーやザビニを実験台にして色々試してみんなで自主学習していたのだが、それでもまさか単なるパンチ一発で割られるとは、誰も想像すらしていなかったのだった。
今年新しくできたグリフィンドールの友人たちがいい顔をしないだろうという点を差し引いても、ハグリッドをからかうのは金輪際やめたほうがいいと、スリザリン生たちは心に誓った。
そして4本もの失神呪文を不意打ちで、なんの警告も無く突如胸に浴びて倒れたマクゴナガル先生が無事かを確認したかったドーリッシュは、アンブリッジも自分以外の3人の闇祓いたちも、そしてハグリッドまでもがその方向を見つめて硬直している事に気づいた。
いつの間にやらそこにいた純白の巨大なドラゴンが、マクゴナガルを守るかのように地面に腰を下ろして、片方の翼を半分だけ開いてこちらを睨んでいた。
「ミネルバくんを医務室に運んであげてくれるかい?」
連れていた不死鳥にそう依頼した燃えるような赤毛にそばかす顔のその青年は、ドラゴンの蔭から進み出て、真っ直ぐに闇祓いたちと対峙する。
そして、ハリーたちが気づいてみればいつの間にやら、ハグリッドも静かになっていた。
ハグリッドが本気で怯えているところを見るのも、ハリーたちはこれが初めてだった。
「きみたちは何をやっているのかな?」
その人物が誰なのか、どういう人なのかをドーリッシュから今朝すべて聞かされた3人の闇祓いは、誰も何も返答できず、動くこともできない。
ただアンブリッジの「逮捕しなさい!」と怒り狂う声だけがホグワーツに響いていた。
「きみがついていながら何をやってるんだいジョンくん」
その「先生」の声色がいつも通りだからこそ、ハグリッドは恐怖で動けなかった。
「何をやっているのです! あの手配犯を逮捕しなさい!!」
アンブリッジはその人物の姿が視界に入る事自体我慢ならないらしかったが、ドーリッシュは事ここに至っては仕方がないと、これが自分の今日の仕事だと心に決めて、負けじと叫び返す。
「できませんアンブリッジ上級次官!!! 我らにそんな権限はありません!」
「何を言っているのですかドーリッシュ! あなたたちは魔法法執行部の闇祓いですよ!!」
「ですから我らにあの人物を逮捕する権限など無いと申し上げているのです!!」
彼にしては珍しく冷静さを失いつつあるドーリッシュは、説明しているつもりで何も説明になっておらず、もちろん納得などできるはずもないアンブリッジは変わらず怒り狂い続けている。
「あの人物を逮捕する権限は我ら闇祓いの誰にも、あなたにもありません!!」
「私はホグワーツの高等尋問官で! 魔法省の魔法大臣付き上級次官ですよ!」
「あの人は神秘部の部長なんです!!!!」
ドーリッシュのその一言でアンブリッジの顔から怒りの表情が消え、なんとも間の抜けた、状況を理解できていないとすぐに判る顔になった。
それと同時に、その人物は旅行カバンをどこからともなく取りだしながら、ニッコリ笑う。
「ジョンくんジョンくん」
「はい」
「きみ、今。機密保持義務違反」
「…………覚悟の上です」
ハッと動作を再開したアンブリッジは、その赤毛の青年に杖を向ける。
しかしアンブリッジが飛ばした呪詛はヒョイと姿勢を少し変えただけで平然と躱され、続く2発目の呪詛は純白のドラゴンが翼を広げて青年の代わりに防いだ。
「ありがとねアミット」
そして青年は、カバンの中に声をかける。
「おーい。出てきてくれるかいオミニス。ちょっと手伝ってほしいんだけど」
そして現れたその大きな大きな蛇を見て、それが何かを真っ先に理解したのはハリーだった。
魔法生物飼育学が別にとびっきり得意でも好きでもないと自負しているハリーだったが、それでもこの一種類だけは、どんなに遠くに居たって一瞬で判別できる自信があった。
そして今、現に。ホグワーツ城で最も高い天文台の塔のてっぺんから地上を見下ろしているにも拘らず、ハリーは望遠鏡越しに一瞥しただけでその生き物を同定していた。
なにせハリーは2年生の時に、一生分その姿を観察したのだから。
「バジリスクだ!!!!!」
あの「スリザリンの怪物」より少し細くて小さいだけのその大蛇は、のっそりとカバンの中から現れて、鎌首をもたげて舌をチラつかせながら、闇祓いたちの前に立ちはだかった。
「T:トロール並」という成績になる基準は私の妄想です。落第より下ってなんだよと思った時に思いついたのが「試験をまともに受けようともしない不真面目な生徒」で、いやでもそれは単に落第するだけだよなと思い、その更に下を考えた時に思い浮かんだのが「故意の試験妨害」でした。
かつて存在したゲーム作品「ハリー・ポッター:魔法同盟」に登場する、ギャレス・グリーングラスという人物が原作も含む公式メディアミックス唯一の「存在が判明している神秘部の部長」。ただしこのゲームは既にサービスを終了しており、更にゲーム内で主に取り扱われているのは2019年以降、つまり「呪いの子」くらいの時代。
(『ハリー・ポッター:魔法同盟』はARゲームなので発売当時の現実の年代を扱っている)
なので恐らく私のこの話に「ギャレス・グリーングラス」が居たとしても、彼は「魔法同盟」に登場した時ほどには出世できないだろうと考えられる。
まあその代わり彼は犯罪行為に手を染める事も無く、そして死なずに済むかもしれないけれど。