104年後からの今   作:requesting anonymity

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37.見舞い客

 目を開けたミネルバ・マクゴナガルが最初に見たのは、かつての教え子の顔だった。

「おはようございます。マダム・マクゴナガル。主治癒のキアラ・ロボスカです」

 聖マンゴ魔法疾患傷害病院の4階で、その艷やかな白髪の年若い魔女は、安堵を隠そうともせずニッコリと笑って言う。

「ご無事で何よりです、マクゴナガル先生。痛みますか?」

「いいえ、大丈夫ですロボスカ。……ありがとう」

 

 やっぱりまだあちこち痛むんだろうなと、キアラ・ロボスカは鋭敏に察した。

 

「それで、……その。マクゴナガル先生。お見舞いしたいって人が、先生がお眠りになられている間もひっきりなしにいらっしゃって。今までは、全てお断りしていたのですが――」

「順番に案内してくださって結構ですよロボスカ。安心させるのが患者の務めですから………」

 

 そう言ったマクゴナガルは一呼吸置いた後にベッドの上で身体を起こそうと試み始めたものの、今のマクゴナガルはその動作に他者の介助を必要とした。

「ご無理をなさらないでください、マクゴナガル先生」

「ありがとうロボスカ。…………わたくしとした事が、全く情けない……」

「失神呪文を4本も胸に浴びたんですから、仕方ないですよ」

「防げばよかっただけの話です。全く……」

 マクゴナガルがこれほどまでにギリギリと悔しがっているのは、ひとえに「アンブリッジの失神呪文をくらってしまったから」である。卑怯な不意打ちだったというのは彼女にとってなんの慰めにもならず、むしろ悔しさを増大させている要素だった。

 なぜわたくしはあんな奴ごときに、と。

 

「起きたんだねミネルバ。無事でなによりだよ」

 

 制止しようとする癒者たちを押しのけながら入室してきたらしいその老魔女が、己のベッドを囲っているカーテンの間から現れた途端、ミネルバ・マクゴナガルの顔に笑みが浮かんだ。

「来てくれてありがとう、オーガスタ」

 マクゴナガルがそう言った事で「患者当人の意思によって面会謝絶は解除された」と理解した癒者たちはマクゴナガルのベッドに軽く一礼などしてから静かに退室していく。

「お久しぶりです、マダム・ロングボトム」

「ああ。久しぶりだねロボスカ。しっかりやってるんだろうね?」

 

 そこでマクゴナガルは、ようやく。オーガスタ・ロングボトムの姿を見て安心したからなのか、少し落ち着いたからなのか、ただ単に目が醒めてきただけか。

「ハグリッドは無事なのですか? ホグワーツは――」

「一番大怪我してるのがお前だよミネルバ。朝早くにネビルからの手紙が届いてね。だからたぶんネビルはO.W.L.の『天文学』が終わってすぐ手紙をよこしたんだろうね。一応教えておくけど、ネビルが手紙で知らせてくれたのは3日前だよ。だからミネルバお前、まる3日眠ってたんだ」

 そう言われたマクゴナガルは、オーガスタ・ロングボトムの発言の続きが待ちきれずに訊く。

 

「闇祓いたちは無事なのですか?」

 

 オーガスタ・ロングボトムは、その質問を聞いた途端に笑い始めた。

「……相変わらずだねお前は。よくもまあそのざまで他人の心配ができるもんだ」

「教え子を心配するのは教師として当然の事だとわたくしは考えます!」

 

 マクゴナガル先生が拗ねるところなど初めて見たキアラ・ロボスカは、職務に集中しつつも意識をいくらかそちらに向けてしまっていた。

「会う度に言ってる気がするけどミネルバお前、とうとうその喋り方が染み付いちまったんだね」

「……何十年も続けていれば、演技も素の態度になるというものです」

「私にゃ、就職先が決まったお前が『立派な魔法省職員っぽい喋り方を一緒に考えてほしいの』なんて半泣きで相談してきたホグワーツ7年目の夏が、まだ昨日の事のようだってのにね」

「時の流れの早さときたら、まったく。グウェノグ・ジョーンズの飛びっぷりも顔負けですわね」

 かつてのルームメイトが贔屓のチームの贔屓の選手を引き合いに出したのを見て、オーガスタ・ロングボトムは「大丈夫そうだね」と内心で胸をなでおろした。

 一方、やっと頭が冴えてきたミネルバ・マクゴナガルは、焦燥に駆られ始めていた。

 

「……そんな事より! 闇祓いたちは無事なのですか! ハグリッドの話をあなたが真っ先にしなかったという事は、アンブリッジの目論見は挫かれたのでしょう! それ即ち、あの先生が――」

 

 オーガスタ・ロングボトムは何も答えず、ただ杖を振ってミネルバ・マクゴナガルのベッドを囲っているカーテンを開ける。

 

 そこには。

 

「「「申し訳ありませんでした!!!」」」

 

 あの夜「ダンブルドアの先輩だという手配犯」に皆で挑み、そして十把一絡げに叩きのめされた闇祓いたちの中の数人が、各々のベッドの上にキチンと座って深々と頭を下げていた。

 

「彼らは単なる骨折や内臓の損傷でしたので、とうに完治しているんですが。なんでもバジリスクと目が合ったそうで。さすがに検査をしないわけにはいきませんので、経過観察のためにも入院を長引かせる必要があるのです。…………加害者である彼らを被害者であるあなたと同じ病室にするのは本来厳禁なんですが、ブレイニー院長が珍しく強権を発動しまして」

 マクゴナガルにそう説明したキアラ・ロボスカに続いて、オーガスタが端的に言う。

「他の病室にも半人前共がギッシリだよ。1階のダイ・ルウェリン棟とかにもね」

 そしてマクゴナガルの思考が「バジリスク」という聞き捨てならないはずの単語を処理しきるより先に、その声は病室に響いた。

 

「ねーえーキアラくん今いーいー? ミネルバくん起きたー?」

「あなたはまだダメだと言ったでしょう。あなた心臓に悪いんだから」

「なんでよブレちゃん。僕ほど胃にやさしい魔法使い居ないだろう!」

「どの口が言ってるのよおバカ」

 

 レイブンクローの制服を着た不思議な雰囲気の少女と言い合いながら入室してきたその人物を見るなり、キアラ・ロボスカは大慌てで背筋を伸ばした。

「お疲れ様です、ブレイニー院長」

「はいお疲れ様。ごめんなさいね騒がせて。……お加減はどうかしらミセス・マクゴナガル?」

「お蔭様で、まだ生きておりますわ…………あなた、あなたも。ありがとうございました。わたくしの油断の、後始末を、押し付けてしまったようで……」

 院長と呼ばれた魔女に頭を下げたマクゴナガルに礼を言われて、なぜかルーナ・ラブグッドの姿になっているその魔法使いは、ルーナらしからぬ快活さでケラケラと笑った。

 

「いーのいーの。僕もオミニスを久しぶりにお外で遊ばせてあげられたしさ!」

 

 そしてマクゴナガルは、先程聞こえた気がした緊急の懸案事項について問いただす。

「……そういえば、先生。……聞き捨てならない噂を耳にしたんですが。『バジリスク』と――」

 しかしその質問に答えたのは、この聖マンゴ魔法疾患傷害病院院長マダム・ブレイニーだった。

「この子、6年生の時からずっと飼ってるのよ。私は当時ホグワーツで校癒をしていたんだけど、いきなり『見て見て脱皮したんだよ!』って大喜びで連れてきてね。最初はちょっとびっくりしたけど、正直私『今更バジリスクが1匹増えたところで……』って思っちゃったのよね」

 なにせこの子が生徒だったんだからと「ルーナ・ラブグッド」の頬を抓りながら言ったブレイニー院長の言葉に、キアラ・ロボスカは開いた口が塞がらなかった。

 そんな部下の表情も見ながら、ノーリーン・ブレイニー院長は更に続ける。

 

「既にこのおバカを皆で飼ってたんだもの。バジリスク1匹増えたところで何も変わらないわよ。第一、私が『オミニス』の事を知ったのは1892年で、飼育開始から既に1年近く経過していたの。それで、問題になっていなかった。誰も睨み殺されていないし、誰も噛まれていない。そして生徒には生まれつきのパーセルマウスが1人、その生徒に教わってパーセルタングを身に着けた7年生が複数人居た。大丈夫じゃないなら、飼うべきじゃないなら、ミス・スウィーティングがあんな嬉しそうにお世話を焼いたりしないわ。……似た事例を経験したでしょう、マクゴナガル『先生』?」

 

「…………ハグリッド」

 

 そう一言呟いて考え込み始めたマクゴナガルに、ブレイニー院長は言う。

「そうね。フラッフィー、ノーバー『タ』、アラゴグ。殺処分するべきだったと思うのかしら?」

 アラゴグについては「否」とは言い切れないのではなかろうかと思ってしまったキアラ・ロボスカをよそに、名前が挙がらなかったいくつもの「ハグリッドの『ともだち』」を次々に思い浮かべたマクゴナガルは、やがて観念したように溜め息をついた。

 

「…………生徒に苦労させられるのは、教師の喜びですわ」

「あなた、ヘキャット先生と同じ事言うのねミネルバ・マクゴナガル」

 そんな会話に、ルーナ・ラブグッドの姿をしている魔法使いが再び割って入る。

 

「ねーえーそれでさ。僕、ミネルバくんにお届け物があるんだけど――」

 

 そう言いながら「ルーナ・ラブグッド」が懐から取り出したのは、果物の籠盛り。

「あ、これは僕のおやつね。お届け物はこっち」

 その魔法使いは籠に盛られた果物の間から何かをつまみ上げて、床に下ろし、杖を一振りした。

 

 3日ぶりに元のサイズに戻してもらえたその若い闇祓いの魔女は、その人の姿を一目見た途端、安堵が全て罪悪感に変わった。

 

「マ゙グゴナ゙ガル゙先生!! 先生……先生ごめんなさい!!!! 私、私……!!」

 

 現れるなり号泣しながら抱きついてきたその若い闇祓いの魔女に、マクゴナガルは言う。

「どうしたのですか? アンブリッジに何かされたのですか? それともこの先生に何かされたのですか? 心配する必要はありませんよ。わたくしがあなたをきっと守って差し上げますから」

 かつての教え子の目を真っ直ぐに見つめたマクゴナガルに優しく諭すような口調でそう言われたその若い闇祓いの魔女は一層強くマクゴナガルに縋りつき、しかし「体調に障るかもしれない」と反省してすぐにやめ、さらなる罪悪感が上乗せされて半ばパニックを起こしながら泣きじゃくる。

 

「きみ、ちょっとは落ち着きなよ。他の患者さんに迷惑だろう」

 

 その魔法使いにそう言われた瞬間に若い闇祓いの魔女がビクリと怯み、ミネルバ・マクゴナガルはルーナ・ラブグッドの姿になっているその魔法使いをしっかりとした眼差しで見つめる。

 そして、自分に縋り付いて何度も何度も謝りながら号泣し続けているかつての教え子を、包み込むように両腕で庇いながら。

 ミネルバ・マクゴナガルは、その魔法使いを睨んで、言った。

 

「わたくしの教え子を傷つけたのなら、たとえあなたでも決して許しませんよ」

「ま゙ ぐ ご な゙ が る ぜ゜ん ぜ い゜ご ゔぇ゙ ん な゙ さ゜い゙゛ ! ! ! ! ! 」

 

 もはや言葉が言葉になっていないその若い闇祓いの魔女は、周囲のベッドに自分の同僚たちが居ると気づくまでの数分間、ひたすらマクゴナガル先生に縋り付いて泣き続けたのだった。

 途中マクゴナガルのベッドの端が突如火を吹いた事も、その炎の中から現れた不死鳥が果物の籠盛りをつつき始めた事も、その若い闇祓いの魔女の目には入っていなかった。

 

「わたくしはこの通り、なんともありませんから。あなたは何も謝らなくていいのですよ。第一あのドローレス・アンブリッジが命令した事なのですから」

 しかし、そここそが、あの時アンブリッジと同時にマクゴナガルを不意打ちした3人の闇祓いが、最も気に病んでいる点だった。

 

「命令してないよ」

 

 いつの間にやらチャーリー・ウィーズリーによく似た赤毛の青年になっていたその魔法使いは、冷徹に事実を指摘する。

 

「きみに関しては、ミネルバくん。ドローレス・アンブリッジ上級次官は闇祓いたちに、何も命令していない。『目標達成の障害だから攻撃した』それだけだ。闇祓いには『職務遂行の障害となる相手を実力で排除する権限』があるから、ハグリッドくんの学校追放が一応は法規定に沿う形で行われていて、それにハグリッドくんが抵抗する意思を示していた以上、法的正当性はドローレスくんにあった。違法行為をしているのはこっちだったんだよ。ハグリッドくんに関しては、ね」

 その魔法使いは、三本の箒でバタービールを褒めるような気軽さで、淡々と続ける。

「ドローレスくんはきみを排除しようとした。そしてそれと全く同時に、闇祓いの何人かも、同じようにきみを排除するべきだと判断した。あくまでも個々人の判断とタイミングが重なっただけで、その子も誰も『やれ』なんて命令されていない。だから仮にきみへの攻撃が職権を越えた単なる暴力行為だとウィゼンガモットに判断されたなら、責めを負うべきは攻撃した当人たちだよ」

 

 マクゴナガルのベッドを見つめている同じ病室に入院中の闇祓いたちが、一斉に俯いた。

 

「アンブリッジ上級次官の指揮下に居たのですから、全ての責任はアンブリッジ上級次官にあります。それに、他ならぬわたくしが、この子たちが厳罰に処される事を望んでいないのです……第一あなたはどうして、この子たちにそんなに厳しくするのですか」

 かつての教え子たちを庇って反論したマクゴナガルに、その青年は言う。

 

「充分優しくしているよ。だって殺してないんだから」

 

 それはミネルバくんを攻撃した闇祓い3人とアンブリッジ上級次官にその青年が未だ激しい怒りを抱いているからこその発言だったが、しかしこんな人を教師としてホグワーツに迎え入れたのが本当に正しい判断だったのだろうかと、当のマクゴナガルは一瞬だけ思ってしまったのだった。

 しかしすぐに、泣き止んだ若い闇祓いの魔女がマクゴナガルから離れたのと同時に。そんな考えはマクゴナガルの中から消え去る。

 

 フランクとアリス・ロングボトムが、癒者に付き添われて入室してきたために。

 

「おや。どうしたんだい2人揃って。眠れないのかい?」

 母であるオーガスタの問いかけに何の反応も示さないフランク・ロングボトムは、妻と並んだまま、マクゴナガルを見つめている。

「お邪魔しています。ミスター・ロングボトム、ミセス・ロングボトム」

 そう挨拶したマクゴナガルにアリス・ロングボトムが痩せこけた手で何かを渡そうとしている間ずっと、フランク・ロングボトムはマクゴナガルを見つめ続けていた。

 今2人が果たして何かを考える事ができているのかどうかすら、周囲の皆にはわからなかった。

 この2人にはそんな機能はもうほとんど残っていないと、青年は知っていた。

 

「フランク……アリス…………」

 

 かつて同僚だった2人の姿から、マクゴナガルと同室の闇祓いの1人は目が離せないらしかった。

 そして一度それを床に落としてしまって慌てた様子で再び拾い上げたアリス・ロングボトムが大切そうに手渡してきたのは、カラカラに乾いたオレンジの皮の切れ端だった。

 それが昨日の昼食に含まれていたものだと癒者たちはすぐに気づいたが、キアラ・ロボスカやブレイニー院長が何を言うよりも先に、マクゴナガルがアリス・ロングボトムに言った。

 

「ありがとうアリス。大切にします」

 

 そしてまた来た時と同じように緩慢で力の無い動きで退室するそぶりを見せ始めたフランクとアリス・ロングボトム夫妻を、癒者が介助している。

「捨てていいよ、ミネルバ」

 息子夫婦と付き添いの癒者が退室してから、控えめな声量でオーガスタが言った。

「いいえ、決して」

 そう返したミネルバ・マクゴナガルは無言で手の中に杖を呼び寄せるとそれを一振りし、出現させた薄手のハンカチにそのカラカラに乾いたオレンジの皮の切れ端を包むと、もう一度杖を振ってそれを他の私物が入っているカバンの中へと送った。

 

「さ。伝言頼めるかい? ハグリッドくんと『地下聖堂』の皆に。マクゴナガル先生起きたよって教えてあげなきゃ。みーんな心配してるんだから」

 そう言いながら不死鳥に折りたたんだ羊皮紙を2つ渡した青年に、マクゴナガルが訊く。

「ではハグリッドは本当に無事なのですね? ファングも? どこも怪我をしていないのですね? 浴びた呪詛の影響に苦しんでいるなどという事も――」

「…………きみは本当に、どこまでも優しいんだねミネルバくん。自分が死にかけた直後にそこまで他人の心配ばっかりできるなんてさ」

 青年はもはや、感心を通り越して半ば呆れてすらいた。

 

「こいつは昔っからこうさ。7年生の最後のクィディッチで大怪我した時も、目を醒ますなりチームメイトの心配し始めて。負けたって聞かされたら今度は謝り始めてね。困ったやつだよ本当に」

 

 オーガスタ・ロングボトムが、学生時代を懐かしみながらそう言って笑った。

 

「だからこそ私たち皆、そんなマクゴナガル先生の事が大好きなんですよ。ほら、申し訳ありませんけど面会希望者まだまだ待ってらっしゃるんで、申し訳ありませんが御三方にはそろそろ――」

 キアラ・ロボスカにそう言われて青年と若い闇祓いの魔女とオーガスタ・ロングボトムが病室から出ていったのと入れ替わりに入室してきた日刊予言者新聞編集長バーナバス・カフの事も、マクゴナガルはベッドの上で上半身だけ起こしたまま笑顔で歓迎したのだった。

 

 そして同じ頃、O.W.L.試験の全日程を終えたばかりのホグワーツでは、「燃え尽き症候群」とでも言うべき一種の無気力状態に陥っている者すら散見される5年生たちと入れ替わるようにして、ほとんどの7年生たちの表情から余裕が消えていた。

 

 N.E.W.T.試験がいよいよ迫っているのだ。

 

「ねえフレッド、『ガンプの元素変容の法則』の、詳しい理論の部分をもう1回教えてほしいんだけど! 5つの例外がなんで例外なのかの理由付けをまだ理解できてなくてさ――」

「おいウィーズリー、悪いが真実薬の醸造についてアドバイスを貰えると助かるんだが――」

 

「「もちろんいいぜ」」

 

 フレッドとジョージは最近、グリフィンドール寮所属でない7年生たちの間でも、教え方がわかりやすいと評判になりつつあった。

 

 試験対策に励む7年生たちをよそに、「O.W.L.」という肩の荷が下りたハリーたちは、精神的な余裕が久しぶりに戻ってきたからこそ、雑談となれば「その話題」ばかりだった。

 

「マクゴナガル先生、大丈夫かしら…………随分なお歳なのに、失神呪文を4本も……」

 

 数日前の事なのにその光景がまだ目に焼き付いているラベンダー・ブラウンは、あの夜からずっとそればかり言っていた。

 心配で心配でしかたがないラベンダーはしかし、自分自身に再び言い聞かせる。

「…………でもマクゴナガル先生ならきっと、こんなときでも『宿題は済んだのですか?』とか『なにをぼんやりしているのですか? 授業に戻りなさい!』って、言うわよね……」

 そんなラベンダーに「マクゴナガルならそう言うだろうな」と横から声をかけたセオドール・ノットは、ハーマイオニー他数人の生徒と共に「O.W.L.」の反省会をしていた。

 

「わかっていた事だが、自主学習に取り組んでいなかったら僕らの『防衛術』の成績がどうなってた事か。いやはや全く想像もできないね……その場合僕は父上と母上にどう報告したんだろうな」

 しみじみとそう言いながら、ノットは本来ごく一部のスリザリン生だけの空間になるはずだった「地下聖堂」全体を見渡し、そこに居る幾人もの「他の寮の奴ら」を見る。ザビニはフィンチ=フレッチリーの奴と一緒になって「魔法薬学」のスネイプから与えられた厄介な宿題に挑んでいるし、ブルストロードとパーキンソンはロングボトムに薬草学の教えを請うている。

 

 もし、あの時ザビニの奴がポッターたちに「一緒にやろう」と言っていなかったら。はたして自分たちの「O.W.L.」の試験結果がどうなっていた事か。「ああこの設問はあの時あいつが」という閃きに全ての教科で助けられたノットは、グリフィンドールの奴らとすら「上手くやっている」自分たちスリザリン生を客観視しながら、内心で大いに肝を冷やしていた。

 そんなノットの正面では、ハーマイオニーが未だに鬱々とした瘴気を全身から発散させている。

 それはハリーたちにとっては見慣れた光景だったが、ノットにとっては違った。

 

「わたしきっと落第してるわ…………」

「嫌味かグレンジャー?」

 

 眉間にシワを寄せたノットに、パーバティ・パチルが横から言う。

「本気で言ってるのよ。試験と名の付くものが終わった時、ハーマイオニーはいつもこうなるの」

「ハーマイオニーが落第してるんだったら、我ら5年生は全員落第してるって事になるのにな」

 至って気楽な口調でそう言ってのけたディーン・トーマスはロンやネビルと共に、クリービー兄弟やアストリアなど下級生たちの宿題を見てあげていた。

 

「ファイアサラマンダーって、長生きするんだっけ? 短命なんだっけ?」

 コリン・クリービーの質問に、ロンが答える。

「場合によるな。炎の中に居る限りはいくらでも生きられるけど、炎から出たら普通はすぐに死んじゃう。胡椒をあげ続ければ6時間までなら生きられるってハグリッドが言ってたけど。それに、そのファイアサラマンダーが生まれた炎が消えると、ファイアサラマンダーも一緒に死ぬんだ」

「それって、なんだったかしら。使い道があるんだったわよね? ………血だったかしら?」

 ロンの説明から授業の記憶を辿る事に成功したらしいアストリアを、ディーンが褒める。

「そうだよ。よく知ってるねアストリア。ファイアサラマンダーの血は強化薬とかウィゲンウェルド薬とかの材料になるんだ」

 

「スリザリンの卒業生には1人、そのファイアサラマンダーの血の匂いが好きだからって常に携帯してた奴が居たんだが。正直ちょっと理解はできなかった」

 

 スリザリンの7年生エイドリアン・ピュシーがジョージ・ウィーズリーに大鍋を見てもらいながらそう言った時、クラッブとゴイルが溜め込んだ宿題をダフネ・グリーングラスと一緒になって手助けしていたドラコの目の前の空中が突如燃え上がった。

 

 そこから現れた不死鳥は優雅に羽撃いて「地下聖堂」を一周し、ネビルが広げていた薬草図鑑の開かれたページの上に着陸した。

 

 そして不死鳥は、嘴に咥えて運んできた一通の手紙をネビルに差し出す。

 

 その手紙の差出人が誰で、用件が何なのか。不死鳥から手紙を受け取って読む役割を、他ならぬ不死鳥の気まぐれによって担うことになったネビル・ロングボトムはそれを薄々ながら察し、もしかしたらまさかそんな、と不安を抱きつつ恐る恐る手紙を開く。

 そこに書かれていた、たった一言だけの連絡事項を見た瞬間、ネビルはパッと笑顔になった。

 

「マクゴナガル先生が目を醒ましたって!!」

 

 ネビルがそう言った瞬間にドラコまでもが勉強の手を止め、「地下聖堂」の全員がその手紙と、それを持つネビルの周囲に集まってきた。

「本当かロングボトム? そこにそう書いてあるのか? …………もう結構な歳だろう?」

 死んでしまってもおかしくないと思っていたのは、そう言ったザビニだけではなかった。

「うん。ほら!」

 ネビルは、まるでオリバー・ウッドが一昨年クィディッチの優勝杯をそうしたように、満面の笑みと共にその短い手紙を掲げ、集まってきた皆に見せて周る。

 

 そしてすぐにその手紙はネビルの手を離れ、パドマ・パチルからアーニー・マクミランに、そこからフレッドとジョージと7年生たちへと渡され、数分も経たずに「地下聖堂」に居た全員がその内容を読み取った。

 生徒たち皆が一目でそうと確信できる、「あの先生」の、達筆すぎず読みやすい、それでいて元気いっぱいの荒々しさが矯正しきれていない独特の筆跡だった。

 

「マクゴナガル先生…………よかったぁ……」

 

 ラベンダーがパドマと抱き合って喜ぶ横で、ノットやジャスティンなどの一部の生徒は内心、ハリーたちとは少し違う理由で安堵していた。

 仮にマクゴナガルが死ぬような事があれば、代わりの教師が赴任する事になると考えられる。

 それはつまり変身術の授業の質が大きく落ちる事を意味すると、彼らはそう危惧していたのだ。

 ダンブルドアが居ない今、マクゴナガルより優れた変身術の教師など魔法省には用意できる筈が無いと、ノットのみならず何人もの生徒がそう確信していた。

 一方で、いま一時的に本来の教師が居ないからこそ授業の質が向上している科目もあった。

 他ならぬ、闇の魔術に対する防衛術である。

 アンブリッジがダウンしているのを良いことに勝手に職務復帰した「あの先生」が、神秘部部長という肩書きを盾にして、闇祓いたちを授業に動員しているのだ。

 

 来年以降もこのままが良いと、生徒たち皆思っていた。

 

「ところであのババア、まだマダム・ポンフリーのところに居座ってるってホントかピュシー?」

「本当だぞ。疑うならお前もアンブリッジ先生のお見舞いに行ってみるといいウィーズリー」

「嫌だね。『囃し立て薬』を自分たちで試す方がまだマシってもんだ」

 フレッドとジョージのどちらかがそう言い、聞き馴染みのない単語にハリーが反応する。

 

「それ、なあに?」

 

「俺たちの新作。『ウィーズリーのご両人囃し立て薬』。目の前で延々とイチャついてる知り合いのせいで勉強に集中できない時とかオススメだぜ」「商品名は仮のもんだけど、商品自体は概ね完成してるんだ。イチャついてる2人の、どっちかの飲み物に2.3滴混ぜる」「もちろんバレないようにな」「そしたらまた恋人とイチャつき始めるまで待つ」「この薬は『飲んだやつの舌が別の誰かの舌に接触したら』効果を発揮するんだ」「ギッチリ結ばれて離れなくなるんだ」「1滴でキッカリ30分。慌てるお2人さんを笑ってやろう」

 果たしていくらで売ろうかねと軽口を叩く2人を見ながら、ハリーの頭に疑問が浮かんだ。

 

「……それ、完成させるまでにさ。どうやって実験したの? 試さずに商品にはできないよね?」

 

 そう訊ねられたフレッドとジョージはお互いの顔を見て、親友のリー・ジョーダンを見て、それからアンジェリーナ・ジョンソンを見て、そしてまたハリーを見た。

 

「「企業秘密」」

 

 いくらお前でもそれだけは教えられないぜハリー、と声を揃えたウィーズリーの双子を見ながら、ハーマイオニーもケイティ・ベルも、そしてトレイシー・デイビスとルームメイトたちも、どういう方法でフレッドとジョージが「治験」をやったのかを、だいたい察していた。

 フレッドとジョージに見つめられたアンジェリーナの表情が、それを雄弁に語っていたから。

 

 しかし、ロンとジニーは知っている。

 この困った兄たちは新発明の品を「友人」や「家族」で試す前に、まず真っ先に。

 必ず、自分たち2人で試すのだという事を。

 

「「それについてはノーコメントだ」」

 

 急にこちらを向いてそう釘を刺してきたフレッドとジョージに、ジニーが笑わされた。

 

「まあでも、マダム・ポンフリーには悪いけど、アンブリッジ高等尋問官どのには、末永く休んでてほしいね。できればホグワーツから出てってくれるともっと嬉しいんだけど…………」

「あのぶんだと、城に根を張るつもりなんじゃあないかアンブリッジは。あの声の不快さと考え合わせると、先祖のどっかにマンドレイクが混ざってるかもな」 

 リー・ジョーダンに続いてそう冗談を言って嗤ったモンタギューに、ノットが苦言を呈する。

 

「…………マクゴナガルに聞かれたら確実に減点されるぞ、その類の軽口は」

 

 そう忠告したノットはいつからか、「血統に混ざりものがあるからこそ当人がああなのだ」などと言外に揶揄するような冗談を、愉快だとは思えなくなっていた。

 今のはつまるところ純血至上主義を肯定する考えが根底にある発言だと、ノットは捉えている。

ノットに言わせれば「行き過ぎた」純血至上主義は衰退と絶滅だけに繋がっている一本道で、この「純血」というものに関する己の心変わりを、ノットは前向きな変化だと思っていた。

 

「……闇の帝王の手で、一体いくつの純血家系が断絶したやら」

 

 ふと、そう呟いたノットに、スリザリン生たちは誰も何も言わなかった。

 ただ1人を除いて。

 

「闇の帝王は、なんでそんなに誰でも彼でもすぐ殺しちゃうのかしらね?」

 コリン・クリービーと一緒に宿題を再開しているアストリア・グリーングラスは、テキストの設問に解らないところがあった時と同じ声色で、誰にともなくそう訊いた。

「アンブリッジ先生にしたってそうよ。……攻撃するよりおともだちになった方が嬉しいのに」

 

 アストリアがそう言うのを聞いたハリーとドラコは一瞬だけお互いを意識したが、どちらからも一瞥もしようとしなかった。

 仲良くできないというただ一点についてのみ、ハリーとドラコは意見が一致していた。

 

「おまえら随分仲良しじゃないか、ハリー?」

「まったくだ。そこまで気が合う相手には中々出会えないぜ?」

 

 完全に同じタイミングでお互いに背を向けたハリーとドラコを、フレッドとジョージが嗤った。

「あなたたちこそ、そこまで気が合う相手に出会えるなんて事ふつう無いのよジョージ?」

 そしてそんなフレッドとジョージに、アンジェリーナ・ジョンソンがそう言って笑った。

 

「…………お加減はいかがですか、アンブリッジ上級次官」

 

 一方その頃、キングズリー・シャックルボルトは完全に業務の一環として、未だマダム・ポンフリーの元で臥せっているアンブリッジを見舞っていた。

「なんともありません。マダム・ポンフリーが『聖マンゴに行かないのならせめてここにいろ』と仰って、こちらの意見を聞こうとしないのです」

「お言葉ですが、上級次官はバジリスクに敵意を向けられてお倒れになられたのですから、マダム・ポンフリーの意見が正しいですな。言ってしまえば、死んでいた方が自然なのですから」

 

 あの夜あの場に居た100人近い闇祓いたちは半数が聖マンゴに入院し、残りの何割かがマダム・ポンフリーのお世話になり、未だ治療や経過観察のために職場復帰できていない者が何人か、そして「ダンブルドアの先輩だというあの手配犯どの」つまり「神秘部部長閣下」に誘拐されて未だ行方知れずの闇祓いが1人。あの夜、自分の同僚たちが何をしたのか、また何をしようとしたのかを考えると、どうにかしてアンブリッジ上級次官に全ての責任を押し付けなければ一体何人の闇祓いがクビになるやらわかったものではないと、キングズリーは苦慮していた。

 どうすればこの高級官僚様に、自分たちのぶんの罰まで肩代わりさせられるだろうかと。

 だからこそ、あの神秘部部長どのには悪いが、あの後ロバーズとドーリッシュを初めとする大勢の同僚が声を揃えたその証言は、キングズリーにとって福音だった。

 

 アンブリッジ上級次官は神秘部の部長どのに磔の呪いを唱えたんです、と。

 

 そしてさらにキングズリーは、ハリーたちのために。ひとつ「汚い真似」をしようとしていた。

 すぐ外の廊下に誰が居るのか、キングズリーは察していた。

 

「もしよろしければ、差し入れですアンブリッジ上級次官。お暇でしょうから、何冊か書籍を持ってきました。好みに合うものがありましたら幸いです」

 

 なぜ自分があのとき死ななかったのかをどれだけ考えても「あの蛇の気まぐれ」と、つまるところ「あの不快極まる不審者の気まぐれ」という結論に達してしまうアンブリッジは、未だ気力が回復しきっていなかった。

 だからアンブリッジにとって、差し入れ自体は本当に嬉しいものだった。

 どんな本を持ってきたのかしらと思いながらシャックルボルトの差し出してきた何冊かの本に目をやったアンブリッジは、キングズリーの意図通りに、その1冊に気づいた。

 そして束の間眉間にシワを寄せたアンブリッジは、すぐに貼り付けたような笑顔に変わる。

 それも、キングズリーが予想した通りの反応だった。

 

 主義信条には些か反するがハリーたちのためを思うとこうでもしなければと、ダンブルドアもマクゴナガルも良い顔はしないだろうが仕方ないと、キングズリーは自分にそう言い聞かせている。

 そして今まさに、キングズリーの「その行動」が、ひとつの結果に達そうとしていた。

 

 ネガティブキャンペーンが。

 

「…………この本は、なんです? どういう意図でこれを?」

 そのいつにもまして甘ったるい声はアンブリッジが心底からの不快感を隠そうともしていない証だと、ホグワーツの誰もがとうに知っている。

「見ての通り、かの有名なアンガス・ブキャナン氏の著書『スクイブとしての我が人生』ですが。お気に召しませんでしたか? それならこちらは私が持ち帰りましょうか」

 

 アンブリッジは魔法省で働き始めて以来、今までずっと「その事」を探ろうとした相手全員に、1人の例外もなく、然るべき代償を払わせてきた。

 

「…………この本に、何か嫌な思い出でもおありなのですか?」

 

 それはアンブリッジにとって「許容限度ギリギリ」の、超えてはならない一線のすぐ手前の発言だった。そこまでにしておかなければあなたにも代償を支払ってもらう事になると思いながら、アンブリッジはシャックルボルトを、そしてその手にある「スクイブとしての我が人生」を見る。

 

 アンブリッジにとってはその単語を目にする事自体、不愉快で仕方がなかった。

 

「そんな本は視界に入るのも遠慮したいですわ。……スクイブなど!! ……穢らわしい」

 

 その言葉を、部屋のすぐ外で彫像を磨いていたその人物は、しっかりと聞き取っていた。

 衝撃と失望と怒りとが溢れんばかりに全身で渦巻いているその人物に、背後から声がかかる。

 

「あ、いたいた。僕また色々持ってきたんだけど今いいかい?」

 グリフィンドール色のベストの上からドラゴン皮のコートを羽織ったドラコ・マルフォイ似の顔立ちと白に近いブロンドの青年は、その人物の背中から、鋭敏にその感情を察した。

 

「どしたのアーガスくん。…………ミセス・ノリスと一緒にあそぼ?」

「たった今。……ひどい裏切りを受けたのです」

 

 アーガス・フィルチの目には、涙が浮かんでいた。

 

 




 
 あのシーンでマクゴナガルに失神呪文不意打ちした闇祓いたちの中に、グリフィンドール出身でマクゴナガル先生を恩師として心から尊敬している奴が混じってても何も不自然じゃないよなってずっと思ってたんですよね。

 マクゴナガル先生が学生時代クィディッチに熱をあげていたのと、グリフィンドールのチームに所属していたのと、卒業する年の最後の試合でスリザリンのラフプレーを喰らって大怪我(脳震盪&肋骨数本骨折)して、それでその年の優勝をスリザリンに持っていかれたのは公式設定。

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