104年後からの今 作:requesting anonymity
イギリス魔法省地下9階、神秘部、その一室。不気味な石のアーチが中央に聳えるその寒々しく広大な部屋の一角で、いよいよ意識も朦朧としてきたシリウス・ブラックは未だ死の淵に居た。
しかし当の本人は、そんな事は微塵も意識していなかった。
これでもう大丈夫だと、半年前にハリーや皆と一緒に祝ったクリスマスの夜と同じくらいリラックスした精神状態のまま、安心しきって笑い始めていた。
その姿は傍目には、いよいよ保たないぞシリウスの奴はと焦燥を抱かせて余りあるものだった。
一方で、そんなシリウス・ブラックとは対照的に、身体的には健康そのものでありながら、呪詛どころか掠り傷のひとつも、服に汚れすら無いにも拘らず「終わりだ」と絶望している者がいた。
終わりというのはハリー・ポッターたちが、ではない。例のあの人が、でもない。闇の帝王が、でもない。不死鳥の騎士団や死喰い人という組織の話でもなく、魔法界全体の話でもない。
自分が、である。
「ひさしぶりだね、オーガスタスくん?」
数十年前に受けた採用面接で見たのと同じ穏やかな笑顔が、今ジェームズ・ポッターの姿に変わったばかりのその人物が誰なのかを、オーガスタス・ルックウッドに即刻理解させた。
オーガスタス・ルックウッドが最も畏れているものは、闇の帝王に他ならない。
しかしオーガスタス・ルックウッドを過去最も恐怖させたのは、闇の帝王ではなかった。
「きみにはがっかりだよオーガスタスくん」
ジェームズ・ポッターの姿をしたその魔法使いの隣には、アルバス・ダンブルドア。
もうガキ共で遊んでいる余裕は無いと、死喰い人たちは既に判断し終えていた。
ベラトリックス・レストレンジの思う「ガキ共」には、不死鳥の騎士団の大半が含まれていた。
そしてその場の不死鳥の騎士団とD.A.の面々は殆どが「邪魔するわけにはいかない」と考えた。
「きみ、もうちょっと盗られちゃ困る情報を抜いていくもんだと期待してたのにさ」
結果としてこの瞬間、戦闘は全て止まっていた。
「やあルシウスくん。それにノット、クラッブ、ゴイル。いま謝るなら赦してあげるよ?」
ジェームズ・ポッターの姿をした魔法使いにとってその4人は「同級生の曾孫」であると同時に「嘗ての教え子」であり、「今の教え子の父親たち」でもあった。
「クルーシオ!!」
ベラトリックス・レストレンジが不意に放った磔の呪文が、その魔法使いの全身を貫いた。
「ごめんね、僕、きみの名前知らないんだ。たぶんブラック家の子だよね? きみ、磔の呪文の使い方間違ってるよ。死の呪いの使い勝手を改善するための呪文だろう、『磔』は」
その魔法使いが何を言っているのか、ベラトリックス・レストレンジと同じく不死鳥の騎士団の面々の多くもまた理解していなかった。
なぜベラトリックスの「磔」を浴びて平気な顔をしているのか、ほとんど誰にも解らなかった。
まさか単に我慢しているだけだなどとは、死喰い人たちは露ほども考えていなかった。
先生が何を言っているのか理解しているのは、キングズリー・シャックルボルトと、アラスター“マッド‐アイ”ムーディ、そしてアルバス・ダンブルドアと、オーガスタス・ルックウッド。
オーガスタス・ルックウッドが他の死喰い人たちにも闇の帝王にも「この話」を今の今までしていなかったのは、ひとえに「信じてもらえるわけがない」と考えていたからだった。
「クルーシオ!!」
雑な狙いでこちらに放たれたその呪詛を、オーガスタス・ルックウッドは死に物狂いで躱した。
それはルックウッドの背後に居た大柄な死喰い人に直撃するが、その死喰い人が苦しみもがいたのはほんの数秒だった。
なんだ大したことないじゃないかと、ほとんどの死喰い人たちが思った。
動物的な勘とでも言うべきもので危険を察知したベラトリックスと、この次の瞬間こそ最も必死で逃げなければいけないと理解しているオーガスタス・ルックウッドだけが、警戒を続けていた。
「うっ!」「ぐう!」「何だ」「ぐうぁ!」
その魔法使いは無言のままヒョイヒョイと何度も杖を振り、その度に先ほど「磔」を浴びた大柄な死喰い人と、その周囲の誰かもうひとりの死喰い人が一瞬だけ苦しみの声を上げた。
弾道が見えない種類のおそらく呪詛がばらまかれている事だけは、誰の目にも明らかだった。
まだ20人以上立っている死喰い人たちは四方八方から反撃しているが、それはアルバス・ダンブルドアに全て防がれている。
そもそも狙われなかったルシウス・マルフォイ他数人と、ベラトリックス・レストレンジを始めとする「危険を察知して躱した」者たち、そして「その手順」を見たことがあったオーガスタス・ルックウッド。それ以外の全員、その場の死喰い人の半数が、その不可視の何かを浴びた。
「アバダ――」
「アバダケダブラ!!」
オーガスタス・ルックウッドが唱えきるより早く、その魔法使いは死の呪いを放った。
ルックウッドでもなく、ベラトリックスでもドロホフでもなく、単にその時最も狙いやすい位置に居た、名前も思い出せない誰か適当な死喰い人に。
そしてその死喰い人の全身を打ち据えた緑色の閃光は幾筋にも別れて他の死喰い人へと襲いかかり、10人以上がいっぺんに床に倒れて動かなくなった。
殺されなかった死喰い人たちが不死鳥の騎士団の面々とD.A.の子供たちと全く同じ表情で驚愕している中、その魔法使いはまた鋭く杖を振り、今度はベラトリックス・レストレンジを狙った。
アルバス・ダンブルドアが心から恐れた唯一の魔法使いは、とうとう暴れ始めてしまった。
それも当のアルバス・ダンブルドア本人を伴って。
ベラトリックスが先生の呪詛を防いだのを見ながらハリーは「ダンブルドアが昔言っとった」とハグリッドから以前又聞きしたその話を、事ここに至ってついに実感として理解していた。
ダンブルドアが怖いと言ったのは、まさにこういう時の先生の事なのだと。
「インペリオ!」
父さんの姿をしたその先生はまた別の死喰い人を今度は「服従の呪い」にかけ、その死喰い人はベラトリックス・レストレンジに向かって緑色の閃光を連射し始める。
「なにを操られてんだい情けないやつだねロウル!! クルーシオ!!」
次々撃ち込まれる死の呪いを蛇のように滑らかで俊敏な身のこなしで躱しているベラトリックスはそう言いながら、操られた味方に容赦なく全力の「磔」を浴びせ、その耐えられる筈などあるわけがない苦痛をもって、力ずくでソーフィン・ロウルの「服従」を解いた。
「クルーシオ!!」
しかしベラトリックスは我に返ったロウルの奴に追加でもう一発「磔」を放ち、腹いせを喰らったソーフィン・ロウルは床に倒れて動かなくなった。
そりゃそのぐらいしたくもなるよな、とでも言いたげな表情で、マッド‐アイの後ろに隠れたままベラトリックスの凶行を目撃したロンとシェーマスは無言でウンウンと頷いている。
「アクシオ!」
数十年ぶりに先生の離れ業を目撃して一瞬頭が真っ白になっていたキングズリーは、しかし次の瞬間には我に返ってD.A.の子供たちを次から次へと「呼び寄せ」、自分の傍に集めていく。
向こうではマッド‐アイ・ムーディが、先生とダンブルドアに気を取られている死喰い人共の横っ面に、何やら嬉しそうに笑いながら次々呪詛を放って不意打ちで昏倒させている。
咄嗟に人質を取ろうとしたラバスタンとロドルファス・レストレンジの2人は、ダンブルドアの杖の一振りで床に倒れた。
「グレイシアス、コンフリンゴ! アクシオ、インセンディオ! で変身術ぅー、そんでディフィンド! レヴィオーソ! ディセンド! クルーシオ! …………アバダケダブラ!!」
今まで授業などで見たことがあるのとはまるで違う先生の戦い方に、大量殺人の時間効率だけを追い求めたようなその戦い方に、ハリーは言葉を失くしていた。
「聞いてた通り、違法行為の見本市だな先生?」「そりゃ同級生に心配されるわけだぜ」「な」「友達がそんなことしてたら俺たちだって話ぐらい聞くぜ」
しかしフレッドとジョージだけは相も変わらず、いつもどおりの気軽な口調でそう言って笑う。
「さっきの今で何人殺してんだよ先生」「俺たちたぶんセストラルが見えるようになったぜ?」
フレッドとジョージはそう言いながら、シリウス・ブラックの口の中に何やら押し込んでいる。
「ほらシリウスしっかりしろよ」「こんな勝てそうな戦いで死ぬな、シリウス」「ほらこれ喰え。色々混ぜて食べやすくしたベゾアールヌガーだ。だいたいの呪いがどうにかなる」「そのかわりちょっと人には言えない場所が虹色に光るけど、死ぬよりいいだろ」「男が上がるぜシリウス」
解毒効果はとびっきりだけど光り具合が納得いかないからまだ商品にはできないんだコレと言いながら水を飲ませてくれたフレッドとジョージの声を聞いて、シリウスは視界が徐々にハッキリしてきたのをぼんやりと体感していた。
「やっぱもうちょっと光ってほしいな」「言えてるぜジョージ。眩しすぎるぐらいにしたいよな」
なぜフレッドとジョージが自分の下半身を見つめているのかは、シリウスには解らなかった。
「きみたちがフレッドとジョージだね? アーサー・ウィーズリーの息子たちだ。だろう?」
「そうだけど、アンタ誰だ?」
「僕はここの職員だよ。あの困った人の部下。それでね、そのシリウス・ブラックが浴びたアントニン・ドロホフの呪詛ってすっごく厄介なものなんだ。きみたちのお蔭で命はもう大丈夫だけど、ほら。治療する役目を交代してくれるかな」
ダンブルドアの周囲を飛び回っていた2羽の不死鳥の片方が自分たちの方に飛来するのを見て、フレッドとジョージは、そのいつの間にか背後に居た神秘部の職員が「自分と」交代してくれと言っているのではなかったのだと気づいた。
そんな中で、緊張の糸すら解け始めていたパーバティ他D.A.の何人かは、ハリーが急に頭を抑えて床に倒れたのを見て、一気に恐怖が戻って来るのを感じた。
それが意味するところを、今から誰がここに来るのかを、すぐ理解したから。
そしてハリー本人は、自分の頭がカチ割れたのだと確信していた。それほどの激痛だった。
「久方振りじゃの、トム」
ダンブルドアはあくまでも落ち着いているように、ネビルには見えていた。
「これはこれは、部下たちが随分みっともないところを見せてしまったらしいなダンブルドア。俺様は恩師のお目を汚してしまった事を、部下に代わって詫びるとしようか」
そう言ったヴォルデモート卿は、周囲に転がっている役立たず共をぐるりと見据えて、ベラトリックスとルシウス他数人の、まだ使い道があるらしい比較的マシな部類の役立たず共を睨む。
「我が君――」
「向かうべき場所と、取ってくるべきものを。俺様は丁寧に伝えたはずだな?」
ダンブルドアにもハリーにも他の誰にも何もせず、ただ部下たちに説教を始めたヴォルデモート卿に、ダンブルドアもジェームズ・ポッターの姿をしている魔法使いも、何もしようとしない。
「勿論です我が君、ですが――」
「『ですが』? 『ですが』何だルシウス? 何か申し開きがあるのか? 予言を棚から取り出せるのが予言の当事者だけだったという話についてか? それともホグワーツの勇敢な子供たちに、ものの見事に時間を稼がれたことについてか? 多勢に無勢だったのは子供たちの方だと解っているな? それともブロデリック・ボードを始末しそこねた事について何か申し開きがあるのか?」
「そんな男は知らないと何度も申し上げました!」
ハリーはルシウス・マルフォイの口答えで、ヴォルデモートの怒りが爆発するものだと思った。まだこの場に数人生き残っているその他の死喰い人たちも、ベラトリックスすらそう思っていた。
しかし実際にはヴォルデモート卿は、一気に沈静化した。
「どうやら俺様が詰問するべきは、お前ではないらしいなルシウス。お前はこの度失態を犯したが、それはお前のみに責任がある失態ではない。お前たちは――ベラトリックス、お前も含めてだ――1人残らず、こちらの、あの誰なのかもわからん『部長どの』に、まんまとやられたわけだ。今回この場に死喰い人を全員送り込んではいかんという『あの老いぼれ占い師』が今朝方よこした手紙の予言は、またしても的中していたわけだ……これでより一層あの老いぼれを殺すのが惜しくなったなベラトリックス? あの老いぼれはお前たちの誰より有益な進言をよこしているぞ?」
極めて有用にも拘らず世に2つと無い物はそうそう破壊などするべきではない、という当たり前の話を、ヴォルデモート卿は有能だが気が逸りやすい副官に今改めて言い聞かせていた。
あの夜、このベラトリックスは終始カッサンドラ・トレローニーを殺したがっていたのだから、ヴォルデモート卿にとってこれは、当然しておかなければならない忠告だった。
そしてヴォルデモート卿は、その人物に向き直る。
「お初にお目にかかる。つまりお前が噂に聞く『ダンブルドアの先輩』というわけだな?」
「はじめまして。きみが『ヴォルデモート卿』で間違いないね? ほら、人違いだったら攻撃するわけにはいかないから、一応確かめとかないとさ。勇気を出してヴォルデモート卿に挑んだつもりで、ぜんぜん違う何の罪も無いおっちゃんに呪詛をぶつけちゃってたら、寝覚めが悪いだろう?」
闇の帝王を前にしてそんな態度が取れるやつを見るのは、ベラトリックスも初めてだった。
ポッター小僧のように勇気で心を支えて精一杯強がっているわけでもなく、老いぼれダンブルドアのように会話と並行して注意深く隙を探り合うでもなく、その魔法使いは殺意を爛々と発散したまま、ヘラヘラと軽口を叩いてみせる。
その魔法使いの事を実力的にはダンブルドアと同程度に要注意の危険人物だと思っていたベラトリックスは、さらにもう一段階その魔法使いの評価を内心で引き上げた。
ダンブルドアには無い危険性がこの不審者にはあると、ベラトリックスは理解した。
それは今しがた「一度に複数人殺す死の呪い」という信じがたいものを見たからではなく、ベラトリックスがもっと心の底の方で感じた、本能的な危機感だった。
「いかにも、俺様がヴォルデモート卿だ」
「ビーム出る?」
「緑色のを浴びせて進ぜよう」
「緑色好きなのかい?」
「赤や黄や青よりは。ホグワーツ城は緑色に染めるべきだ」
外交的な笑顔を保っているヴォルデモート卿に、その魔法使いは更に言う。
「殺し合う前にお伝えしなきゃいけないことがあるんだけど、いいかい? オーガスタス・ルックウッドの元・上司である僕から、彼の現・上司であるきみに、ちょっと申し送り事項があるんだ」
そう言いながらその魔法使いが闇の帝王に杖で操ってよこした数枚の資料と1冊の小冊子を見て、オーガスタス・ルックウッドは全ての戦意を喪失して膝から崩れ落ちた。
「まずお手元の資料の3ページ目をご覧ください。そう、そのパンフレットです」
子供たちと騎士団の奴らを守りやすい位置へ下がらせるための時間稼ぎだと理解しながらもヴォルデモート卿がその会話に乗っているのは、ひとえにルックウッドめに対する嗜虐心ゆえだった。
「きみさ、今回の計画、1回思いっきり足踏みと予定変更を余儀無くされただろう? ほら、予言を棚から取り出せるのは予言に関わった当事者だけ、って話を知った時にさ」
「いかにも。俺様は計画を変更する必要があると理解して、一旦全てをやり直した。襲撃を取りやめ、予定を先延ばしにし、何人かの口を封じ、少なくない労力が無駄となった」
ヴォルデモート卿のその言葉は、哀れなルックウッドを苛むために発されていた。
「だよね。で、その冊子さ。神秘部に新しく配属された職員とかインターンの学生に、勤務初日に絶対渡す、まず最初に読んでもらうパンフレットなんだよ。だから神秘部の職員を務めた経験がある人間はそれを絶対に読んでるし、そこに書いてある内容なんか、知ってて当然なんだよね」
ルシウス・マルフォイを初めとして未だ立っている10人弱の死喰い人たちは、既にその話の先を察してオーガスタス・ルックウッドを睨みつけ始めていた。
「で。その資料のさ。3ページ目に。予言の間の説明にさ。書いてあるだろう? 『予言を棚から取り出せるのは予言の当事者だけ』って。……だってさ、当たり前だろう? こんなことが神秘部でも一握りの人間しか知らない特別な秘密だと思うかい? 違うよね? だってこんなことは予言の間で働くなら当然知ってなきゃあ仕事にならないんだから。だってほら、予言の基本的な取り扱いも知らないで、どうやって予言の研究をするんだい?」
確かにそりゃそうだと、フレッドとジョージは不死鳥の目から零れた涙がシリウスの口の中へと落ちたのを見ながらそれを聞いて思った。
「つまり? ルックウッドがこの俺様を謀っていたと?」
「滅相もありません我が君!!!!」
「違うさ。彼はただ単に忘れていたの。神秘部での勤務態度は不真面目だったからね。資料もあんまりちゃんと読んでなかったし、指示もちゃんと聞いていなかった。ただ、仕事をしているふりだけしてた。他の職員たちは皆自分たちの研究に夢中だから、そうするのは簡単だっただろうさ。研究で他の職員たちに並べないって、ここで働き始めてすぐに諦めちゃったんだろうね。それで甘い汁を吸う事にシフトした…………まさかそれを僕の部下に見抜かれているなんて思わずに。ルックウッドくん、きみ、いつからきみの雇用形態が僕と同じになってるか、知ってるかい?」
「神秘部における先輩の雇用形態は、それほど奇妙なものなのですかな?」
ダンブルドアは、そこでようやく口を挟んだ。
それが子供たちと不死鳥の騎士団の面々が自分たち2人の背後に移動し終えたという合図だと、外交的な笑顔のまま周囲を観察して理解したヴォルデモート卿はそれと同時に、くたばった死喰い人たちは部下の中でもどうとでも替えがきく部類の無能たちだと切り捨て終えていた。
比較的役に立つ少数の者たちは、ベラトリックスを筆頭に皆まだ立っていた。
「僕は魔法法執行部に従う義務が無い。魔法法執行部もウィゼンガモットも僕を逮捕なんてできない。罪には問えるけどね。なぜなら僕は神秘部の職員であると同時に、神秘部の所有する研究試料でもあるから。僕自身も、神秘部の機密なんだ。だから闇祓いたちは僕の身柄を拘束できないし、ドローレスくんにもそんな権限は無い。だってそれは神秘部の機密を盗み取る企みと同じだから」
その2人を注意深く警戒しながら、ヴォルデモート卿もまた己の部下に指示を出す。
「ルシウス。お前に新しい任務を与える。オーガスタス・ルックウッドを我らが元居たところへ連行するのだ……そやつには罰を与えねばならん。つまり、敗死や逮捕ではない罰という意味だ」
オーガスタス・ルックウッドが死にそうな顔をしたが、誰もそんな事を気にしなかった。
「承りました、我が君」
「勿論予言は持っているだろうな?」
「はい。こちらに」
「おう、俺ぁここに居るぜ?」
ルシウス・マルフォイがシリウスにぶん殴られても大混戦の只中にあっても、そして死の呪いが顔のすぐ横を飛んでいってもずっと手放さなかったその水晶玉が、喋った。
酒焼けしたような中年男性のガラガラ声だった。
次の瞬間ルシウス・マルフォイが状況を理解するより早く、その水晶玉はルシウスの掌から抜け出して、スネ毛だらけの細い両足で勢いよく逃走を開始した。
「じゃあな便秘野郎のルシウス・マルフォイ! 下痢も併発しちまえ!!」
「アクシオ!!」
「ダメだよルシウスくん。知ってるだろう? 生き物に呼び寄せ呪文は効かない」
その水晶玉にヴォルデモート卿が杖を向けた瞬間、水晶玉はシュポンと軽い音を立てて、どこかへと「姿くらまし」して逃げおおせた。
そして一気に怒り狂ったヴォルデモート卿とアルバス・ダンブルドアと神秘部部長の3人が、全く同時に杖を振り上げる。
必死の形相で部屋の隅に避難したベラトリックスとルシウス・マルフォイやオーガスタス・ルックウッド他何人かの死喰い人と、彼らから距離を取って不死鳥の騎士団の面々と固まってお互いを守り合っているD.A.の子供たちは、とうとう始まったその戦いを固唾を飲んで見守っている。
手助けなどできるわけがなく、誰も入り込む余地など無いと、もし自分が割って入ったならそれは邪魔以外の何でもないと、D.A.の子供たちもベラトリックス・レストレンジも理解していた。
そして「割って入る」という言葉には、向こうで自分たちと同じように観戦以外の何もできずにいるアイツらを攻撃する事も含まれると、アーサーもドロホフも互いを睨みながら考えていた。
ヴォルデモートが放った緑の閃光をダンブルドアが目も眩むほどの光線を放って迎撃し、そこに横から呪詛を放ったジェームズ・ポッターの姿の魔法使いをヴォルデモートは煩わしげに手を振って雑に吹き飛ばした。
「俺様は貴様に用など無い!!」
「だから邪魔するんだよ!」
床に転がっている死喰い人の亡骸を赤く塗装された樽に変身させたその魔法使いは、樽を操ってヴォルデモートにぶつける。
炎と衝撃を撒き散らして大爆発したそれを、しかしヴォルデモートはダンブルドアと呪文の押し合いを続けたまま、また片手を振って雑に防いだ。
「ダンブルドアより老いぼれの貴様に何ができる!」
「何もできないよ」
その魔法使いは急に落ち着いた声色に戻ってそう言った。
「僕はきみに、もう何もしてあげられない。ごめんね、ミスター・リドル」
「アバダ・ケダブラ!!」
激昂したヴォルデモートはダンブルドアとの呪文の押し合いを止め、ダンブルドアの呪文をサッと躱して杖をその魔法使いに向けて死の呪いを放った。
しかしヴォルデモートはすぐ何かを察して、自分の死の呪いが躱されたのにも一切構わず背後に振り向いて杖を防御に使う。
次の瞬間、耳がビリビリと痛むほどの交通事故のようなすさまじい轟音が響いたが、それでもヴォルデモートは無傷だった。
そこにはハリーが2年生の時に目撃した「スリザリンの怪物」の身体くらいある、あまりにも太く巨大なサソリの尾が、いつの間にやら壁と天井が無くなったその部屋の、はたしてどこまで続いているのか解らない暗闇から伸びてきていた。
「紹介するよ。僕の友達。マンティコアの『ゴドリック・グリフィンドール』」
あのドラゴンみたいな翼をしっかり畳めばホグワーツの大広間にギリギリ収まるかもしれないと、フレッドとジョージはその異常に巨大なマンティコアを見上げながら思っていた。
その雄大が過ぎるマンティコアがドシンドシンとさっきまで床だった筈の地面を揺らして目の前を通り過ぎていったパーシー・ウィーズリーとネビルは、お互いの顔を見合って呆然としている。
「Esne homo qui se “Regem Obscurum” vocat?」
「Sic est. “Imperator Tenebrarum” sum」
そのマンティコアの太い尾による暴風のような連続攻撃を全て事も無げに防ぎつつ、ヴォルデモートはラテン語の質問に訛りの無いラテン語で返答した。
「アルタクセルクセスの奴とその部下共が、アレでもまだどれだけ善良な部類の人間だったのか。お前を見ていると思い知らされるよ、ヴォルデモート」
「随分流暢に喋る猫だ」
ヴォルデモートがそう言いながら放った死の呪いを、その巨大極まるマンティコアは驚くほどの俊敏さで飛び退いて躱した。
「エクスペリアームス!!」
「アバダ・ケダブラ!!」
ジェームズ・ポッターの姿をしているその魔法使いの放った武装解除呪文がヴォルデモートの放った緑色の閃光と正面衝突して、激しく火花を撒き散らしながらせめぎ合う。
しかしそれはまるで生まれたばかりの赤子とパドルミア・ユナイテッドの一流ビーターが腕相撲をしているかのようなスムーズさで、瞬く間にヴォルデモート優位に傾いていく。
「うわーー!! こりゃすっごいや想像以上!! 勝てるわけがない! アルバス交代!!」
その魔法使いが死の呪いを跳び退いて回避しながら上げた、どこか緊張感の欠けたその声を合図にしてアルバス・ダンブルドアが放った黄金色の閃光に、ヴォルデモートはまたしても死の呪いを真正面からぶつけて対抗した。
こう立て続けに目撃するとヴォルデモートとダンブルドアとあの先生との間には、隔絶と表現できるほどの如何ともし難い魔法力の圧倒的な差があると、ハーマイオニーは見て取った。
身に宿した魔法力を比べるならまずヴォルデモート、次にダンブルドア、そして大きく大きく水を開けられて先生が後塵を拝していると、マッド‐アイ・ムーディは分析していた。
しかし魔法力の多寡だけで勝負が決まるのなら苦労は無いと、ソーフィン・ロウルはいくつかの苦々しい記憶を思い起こしながら考えていた。
「貴様らに用は無いのだ鬱陶しい!!」
ダンブルドアと魔法で押し合いながら反対の手を雑に振って悪霊の火を呼び起こしたヴォルデモートは、放物線を描いて己に迫っていた幾つもの育ちきったマンドレイクを、そちらを見もせずにアッサリと焼き払った。
その業火に巻き取られそうになったジェームズ・ポッターの姿の魔法使いをマンティコアが尾の先で器用に掬い上げて救出し、その1頭と1人は上空へと退避した。
「ありがとねゴドリック」
「私が言えた立場ではないが、……化け物だな。あのヴォルデモートとかいう男は」
ゾウでもエルンペントでも丸呑みにできそうな大きさの身体と、もはや広大とすら表現できるほどの翼を持つそのマンティコアは「本気で肝を冷やす」という滅多に無い体験をしていた。
「ねえゴドリック。サラザールはどんな様子だった?」
「ご機嫌に吠えてたよ。もう今すぐ戦闘に参加できる筈だ」
「じゃあ決まりだね。降りようゴドリック」
「私はともかくお前はあの火に巻かれたら死ぬだろう」
「だいじょぶだいじょぶ。ほら踏んづけちゃおう!」
真上から急降下してきた巨大極まるマンティコアに、ヴォルデモートはダンブルドアと呪文の押し合いをしているのとは反対の手を雑に振り上げて「悪霊の火」をぶつける。
そしてヴォルデモートが薄々予感していた通りに、そのマンティコアは悪霊の火に全身呑み込まれてもなお平気な様子で尾を鋭く操ってその先端の毒針で攻撃を仕掛けてきた。
ダンブルドアとヴォルデモートは同時に呪文を引っ込め、魔法力比べを中断する。
ヴォルデモートは盾の呪文でそのちょっとした丘くらいあるマンティコアの異常に大きな図体を受け止めてみせ、さらに杖を振って死の呪いでマンティコアを狙う。
ダンブルドアが悪霊の火を色とりどりの蛾の群れに変えたが、ヴォルデモートはマンティコアがまた瞬きも許されないような素早さで身を躱したのを見届けもせずに、その蛾の大群を全て痛々しく刃毀れした無数のナイフに変えてダンブルドアにぶつける。
しかしその横殴りのナイフの豪雨は、ダンブルドアの鼻先で全て煙に変えられて薄れて消えた。
やはり我が君には我らの手助けなど必要無いのだと誇らしく思っているドロホフの隣で、ルシウス・マルフォイは自分にはとても手出しなどできないその戦いを、固唾を呑んで見守っている。
「随分若々しいのだなダンブルドア!」
「その通り。儂は見る蔭も無く老いぼれてしもうたよ、トム」
「ねえトムくんおっきいおっぱい好き? 僕はねえ大好き! ここに来る途中で忘却術士部隊の制服着たメチャクチャかわいい子とすれ違ったんだけど、もうひとつボタン外しててほしかった!」
三者三様の舌戦を繰り広げながら、ヴォルデモート卿とアルバス・ダンブルドアと神秘部の部長は、死喰い人たちにも不死鳥の騎士団の面々にもD.A.の子供たちにも全く手出しができない呪文の攻防を繰り広げている。
経験の浅いD.A.の子供たちまでもが「手助けしたって邪魔にしかならない」と判断できていることが、そしてベラトリックスとドロホフとマッド‐アイすら見学以外の何もできていないことが、その戦いの凄まじさを象徴していた。
「マダム・スウィーティングにまた呆れられますよ部長」
フレッドとジョージと共にシリウス・ブラックを診ている神秘部職員は小さな声でそう呟いた直後目にも止まらぬ速さで杖を振り、盾の呪文を展開してフレッドとジョージとシリウスを守った。
そして一瞬、上と下の区別もつかなくなるほどの衝撃がその場の全員を襲い、フレッドとジョージは耳が聞こえなくなったかと錯覚した。
「…………なんだ、誰が……いや、どっちが何した今?」
そう言ったシェーマスの隣では、反射的に身を挺して庇ってくれたネビルに、ディーンとロンがお礼を言っている。
自分たちと同じように死喰い人たちも混乱しているらしいと、キングズリーは子供たちと騎士団の仲間たちの無事を確かめながら鋭く見て取った。
ダンブルドアもビックリしていると、ハリーは気付いた。
眉間にシワを寄せたヴォルデモートが誰も居ない暗がりの方に向けた杖の少し先の空中から、何か大きな物体だったらしい融けた金属が床にボットリと落下して、ジュウジュウと音を立てながらヴォルデモートを避けるように広がって冷え固まっていっている。
「そりゃまあ殺せはしないだろうなと思ってたけどさ。まさかサラザールの攻撃も防ぐとはね」
その魔法使いの次の言葉を即座に理解できたのは、ジャスティンとキングズリーだけだった。
「15インチ連装砲だよ? きみ、どんだけとんでもないんだいトムくん」
今聞き取った言葉を飲み込めずにいるジャスティンとキングズリーをよそに、アーサー・ウィーズリーは子供たちを守るべく集中力を死喰い人たちに注ぎながら、「なんか聞いたことあるなあ」とだけぼんやり思い浮かべることができていた。
そしてその「ゴドリック」より更に巨大な何かは、壁があったはずの暗がりの遥か遠く、目視など誰にもできない水平線の向こうから、正確にヴォルデモートを狙っていた。
「クイーン・エリザベス級の6番艦、戦艦『サラザール・スリザリン』にご挨拶は?」
そんな馬鹿なと、ハーマイオニーとジャスティンとキングズリーが同時に声を上げた。
【アルタクセルクセス2世】紀元前430年頃~紀元前358または9年
アケメネス朝ペルシャの王。
知られている限りでは「マンティコア」という単語が最初に出てくる本を書いた人、の雇い主。
ゴドリックとヴォルデモートのラテン語での会話がネイティブには不自然でも赦してほしい。