104年後からの今 作:requesting anonymity
イングランド西部にあるデヴォン州の、オッタリー・セント・キャッチポール村。その郊外に、ヨーロッパ魔法界でも特に古い歴史を持つ一族が暮らしている。
「ママ、そんなに強く抱きしめたらパースの背骨がへし折れちゃうよ!」
絶対に怒られると確信していたので生まれ育った我が家である「隠れ穴」に今日までずっと近寄れずにいたパーシー・ウィーズリーは、いざ勇気を奮い起こして帰ってみたら、玄関の戸を開けた途端に母親に抱きしめられたのだった。
「……ただいまママ」
晩夏の昼日中の陽の光は、この時のパーシーには少々暖かすぎた。
「お帰り。パーシー」
「ただいま。兄さん」
ママの向こうから優しく微笑んでくれた長兄のビルにぎこちなく微笑み返したパーシーが母モリーに解放してもらえたのは、10分ほど経ってからだった。
「ねえパパ、フレッドとジョージは今回の私たちの休暇中には帰ってこないんだっけ?」
「いや。帰ると言っていたよジニー。そうしなければならない大切な用事があると。ただ、手紙を読んだ限りじゃ開店準備で大忙しみたいだから、もしかするとハリーより遅れるかもしれないね」
ハリーの名前が出た途端に「ハリーはいつこっちに来るの」と父を問いただし始めたジニーと正確な予定は知らされていないのでなんとも言えず困っているアーサーの声がかすかに響いてきている2階の一室では、ハーマイオニーがロンと顔を突き合わせて一冊のノートを睨んでいた。
「ハーマイオニーきみ、いい加減に『取捨選択』ってやつを覚えるべきだよ!」
この「隠れ穴」に到着した昨日の昼からずっと、ハーマイオニーはその事で悩み続けている。
「でも天文学もルーン文字も数占いも、どれも外せないもの!」
「……僕はそれは別に全部外せると思うけど」
「そりゃあアナタはそうでしょうね!」
O.W.L.の試験結果が届くのが待ちきれず、6年生では如何な授業を取るのかを「とりあえず全ての教科に合格しているものと仮定して」思案し始めたハーマイオニーは、全ての教科を受講しようとするのは無理がある、という当然の壁にぶつかっていた。
そして、このウィーズリー家においてロンたち兄妹が「学業について」真っ先に相談する相手は、ロンもチャーリーもパーシーもフレッドもジョージもジニーも皆、いつも同じだった。
「ビル!!!」
ウィーズリー家の長男、カッコよくて優しくて楽しくて威張らなくて賢いウィリアム・アーサー・ “ビル” ・ウィーズリーは、いつだって家族みんなの自慢だった。
「んー? なんだどうしたロン!」
「このわからず屋に物の道理を教えてやって!!!」
ハーマイオニーと何か意見が対立したんだろうなと思いながら、声色からしてロンの方に理があるんだろうなとも推察しながら、ビル・ウィーズリーは階段を登っていく。
「ハーマイオニーがまーた全部の教科の授業を取ろうとしてるんだ!」
「だってどれも大事な教科なんだもの!」
そして部屋に入ってきたビルが見ている前で、ロンとハーマイオニーは口論を再開する。
「きみ3年生の時どんだけ自分がヘトヘトだったか解ってないのか!」
「それは3年生の時の話! いま私は6年生!」
「そうだよ僕ら6年生だ! 授業の難易度は3年生の時の比じゃないよ! 選ぶべきだ!」
「おやハーマイオニー占い学は取らないのかい?」
ビルが口にしたのは、弟のロンが期待したのとは真逆の言葉だった。
「そりゃ僕には『内なる目』なんて無いけど、自分が占われる側だとしても占い学ってのは重要だよ? それにキミたち2人の一番の友達は、魔法界で最も重要な予言の渦中に居るんだしさ」
ハーマイオニーとロンが各々の方向から所狭しと文字を書き込んだそのノートをひと目見ただけで大体の論点とロンとハーマイオニーそれぞれの考えも理解したビル・ウィーズリーは、ハーマイオニーの目を真っ直ぐに見て、穏やかな口調でいくつか、順序立てて質問を投げかけ始めた。
「魔法史を取るのかい?」
「重要だもの!」
「魔法史はきみ、授業を受けるのと自主学習するのとで、違いが出ない教科なんじゃないか? ほら、ビンズ先生はあんな調子なんだし――」
その方向からの説得は成功しないよビル、とロンは思った。
「ハーマイオニーはビンズの授業で眠くならないんだよビル。同じ人間とは思えないね」
ロンが言葉の最後にくっつけた余計な一言にハーマイオニーは案の定気を悪くしたが、それがハーマイオニーの表情に出るより早く、ビルはまた言葉を投げかける。
「おや、そりゃすごいね。そういえばダンブルドアも眠くなんないんだって言ってたかな……でも、僕は眠くなっちゃうんだよね。だから主題だけメモして、あとで図書館に入り浸ってた」
事も無げにそう言った兄に、ロンはどこか不満げに抗議する。
「自主学習だけで7年間ずっと成績トップなんて普通は無理なんだぞビル……なっ、なんだよ!」
また僕らと自分を比べてるのかオマエと思いながら弟の頭をわしわし撫でたビルは、ハーマイオニーに向き直って、爽やかに微笑んだ。
「試験って年度が変わっても設問の方向性は大して変わんないんだから、問われ得る主題が何かと、その主題についてキチンと理解できていれば、魔法史に限って言えばそこまで前人未到じゃないと思うけどな。きみだってできるよハーマイオニー。今まで受けた試験の問題がどんなだったか、何についてどう問われたのか。覚えてないなら先生に頼めば過去の試験に使った用紙を貰えるよ。他学年用の試験問題の複製とかも、ビンズだってフリットウィックだってマクゴナガルだってスネイプだって、頼めばくれるよ?」
先生たちに頼んで自発的に追加の課題を貰うという発想が無かったハーマイオニーは目を丸くしているが、ビル・ウィーズリーは相も変わらず、さも当然の事かのように言う。
「ハーマイオニーきみ、確か3年生の時に『逆転時計』の使用申請をしたんだよな? なんで1年でやめちゃったんだい? やっぱり危ないからかい?」
「それは、……だってアレ、すごく疲れるんだもの。……待って、アナタも?」
その問いに対するビルの答えは、ハーマイオニーの予想を超えていた。
「そうだよ。3年生から卒業までね。全部の教科の授業を受けるにはそうするしか無かった。けどアレ危ないからねえ、きみも最初にタイムターナーを借りる時にマクゴナガルから受けたろハーマイオニー? 『時間逆転魔法とは何か』って特別授業。使う時は気をつけなきゃいけないけど、気をつけて使えば貴重な学びを得られる品でもあるだろ、アレ。時間逆転魔法はホグワーツのカリキュラムに含まれてないんだから、学ぶにはタイムターナーを借りる他無い。まあもちろん『逆転時計』という形でなく時間逆転魔法を使うなんて危険すぎるけど……いい経験になっただろう?」
ロンと出会ってから6年目、ウィーズリー家と出会ってから6年目にして、ハーマイオニーはロンがなぜ兄たちと自分を比較して卑下するような物言いをするのか、漸く本当の意味で理解した。
「ビルあなた、タイムターナーを、アレを5年も使って…………平気だったの???」
「ん? 何回かヒヤリとしたけど、得難い学びを得られた有意義な経験だったと思うよ?」
ハーマイオニーがたった今理解した通り、ハーマイオニーとビルとの間には「逆転時計」に関して、ひとつの認識の齟齬があった。
ハーマイオニーが逆転時計を1年間使用してみて抱いた感想は「疲れる」という、ロンにしてみれば使う前から解ってたろそんな事と言いたくなるような、シンプルでネガティブなものだった。
一方、ビルは3年目以降卒業するまでタイムターナーを使用して全ての科目を受講し続け、全ての科目のO.W.L.をパスし、全ての科目のN.E.W.T.をパスした。そして抱いた感想は「大いに有意義だった」という、至ってお気楽でポジティブなものだったのだ。
「パーシーは秀才だけど、ビルは見ての通り天才なんだよ。強いてビルの欠点を挙げるなら、欠点が無いってところぐらいさ。だって、ちょっと抜けてるところもちゃんとあるんだからな。フレッドとジョージのイタズラにあっさり引っかかったりとかするし」
廊下でスネイプと出くわした時と同じ表情でそう言ったロンに問いかけを投げるビルの笑顔は、ハーマイオニーが思わず息を飲んでしまうほど、フレッドとジョージにそっくりだった。
「それは褒めてくれてると思って良いのかロン?」
「もちろん自慢の兄さ」
肩を竦めてそう言ったロンは、ハーマイオニーに向き直る。
「ビルのアドバイスはいつだって的確だけど、ビルを参考にしようとするのは、ダンブルドアを参考にするようなもんだぞハーマイオニー。全部の、授業を、取るなんて、無茶だ。第一ふくろう試験の結果が届いてもいないのに――」
そしてロンの発言の続きと、それを待たずに反論を始めたハーマイオニーの言葉が重なる。
「あなたはもう少し自分の成績について心配するべきよロナルド・ウィーズリー!」
「――きみは心配しすぎなんだよ! よりにもよってきみが! きみどうせ合格してるのに!」
まだまだハーマイオニーに言いたい事がたくさんあるらしいロンとは違って、ビルはハーマイオニーが今なにを欲しているのかを、正しく理解していた。
6年生でどの科目を選択しどの科目を選択しないのかを決める手伝いが必要なのではなく、ただ「もしかしたらO.W.L.試験に落第してしまっているのではないか」とか「ハリーは無事か」とか、他いくつもの言語化できないぼんやりとした不安を、ただ誰かに受け止めてほしいだけなのだと。
つまり、別に結論など出なくてもいいのだ。
その点についてだけ評価するならロンはうまくやっていると、ビルは弟を心の中で褒める。ロンと真正面から言い争うだけでもハーマイオニーには良い気分転換になっているだろうと。
「それこそルーン文字なんて、きみなら自主学習で習得できるだろ。なんでわざわざ授業を――」
「授業を受ければ自主学習するための時間を別の科目に使えるからよ!」
そしてまた攻撃的な単語選びと強めの口調で数秒と経たずに議論を口喧嘩に発展させた2人をしばらく眺めてから、そのロンとハーマイオニーの激しい言い争いの僅かな隙間に、ビルは言った。
「きみらホントに仲良しだな」
「どこが!!!」
フレッドとジョージくらいに声が揃ったロンとハーマイオニーに鋭く睨まれながら、ビル・ウィーズリーは楽しそうに笑うのだった。
一方で、このビル・ウィーズリーは、彼ら家族の住む「隠れ穴」が今日の朝から普段にも増して騒がしく忙しなく活気に溢れている、その原因のひとつを齎した張本人でもあった。
それは世界中どこの家族にも、いつの時代も付き物の、幸福な波乱。
「オー、ここーでアナタは生まれ育ったのでースね!」
その声が聞こえてきた途端、ハーマイオニーは一瞬だけ眉間にギュッとシワを寄せた。
「そうだよフラー。こんなとこだけど、我が家だよ」
今そう言ってまた驚くほど爽やかに笑ってみせたビルが数日前に何の前触れもなく連れて帰ってきて「結婚を考えてる」と紹介したこのガールフレンドはフランス出身のヴィーラのクォーター、見目麗しいフラー・デラクール嬢だった。
ウィーズリー家の男性陣は彼女を概ね歓迎したが、母モリーと末妹ジニー、そしてハーマイオニーの反応は冷たかった。そしてビルはこの予想通りの拒絶を、「まあ初対面の同性に無条件で好感を持たれるタイプじゃないしな」と、「でもフラーは優しくて芯のある強いひとだから」と、かなり楽観的に考えていた。遠からず時間が解決してくれるだろうと。
ジニーがフラーを歓迎しないのは、自慢の兄がヴィーラのクォーターなんかに「ひっかかった」という、悔しさとも嫉妬とも違う、ジニーにとって初めて抱くジクジクとした感情が原因だった。
言ってしまえば末妹ジニーも母モリーも、そしてハーマイオニーも、フラー・デラクールの事を「見た目が良いだけの尻軽女」だと決めつけているのである。
方やビルの事が大好きだからこその拒絶反応、方や自分に女としての魅力が欠如していると思い込んでいる故の劣等感の攻撃的な転嫁と、急に接近してきた同性への警戒心。
もしダンブルドアが今ここに居れば、ひと目で全てを察して嬉しそうにクスクス笑っただろう。
しかし、もしかしたら数週間、どころか数ヶ月、あるいは今年中かさらに長く永く続くかも知れなかったこのちょっとした軋轢は、この後すぐに、それも今日中に氷解する事になる。
そしてそれは他でもない、フラーに対して特に強く拒絶反応を示している当のジニーの「最高のアイデア」に因るものだった。
去年の年度末にした相談の結果をジニーは家に帰って来て即、提案として両親にぶつけ、アーサーもモリーもそれを二つ返事で了承した。
「こんにちは。……ここがあんたの家なんだねジニー」
大きな声を張り上げたわけでもないのに、それが誰の声なのか、誰が来たのかがロンにもハーマイオニーにもすぐにわかった。
ジニーは一気に笑顔になって、ブラッジャーのように2階から飛び出し、玄関の扉を開ける。
「はぁいジニー。あんたの家って面白い形だね」
「ルーナ!!!」
近所に住んでいるのに何故か今まで家に招いたためしが無かった友人を、ジニーはこの度お泊りに誘ったのだった。
「ル~~~~~~ナぁ~~~~~~~!!!!!」
「呼んでくれてありがとね」
ジニーに抱きしめられて激しく頬ずりされながらでも、ルーナは至って普段通りだった。
「ねえママ、パーシー。この子ルーナよ。レイブンクローのルーナ・ラブグッド。可愛いでしょ。でねルーナ、こっちがママで、こっちが兄さんのパーシー。であっちに居るのがパパで――」
そこで、来客の気配を察知したウィーズリー家の長兄が、挨拶しなければと1階に降りてきた。
「兄さんのビルよ。あとフレッドとジョージ以外にもうひとり、チャーリーがまだ帰ってきてないんだけど。とにかく――ロンは今さら紹介しなくていいでしょ――私の家族よ。長男のビルと、次男のチャーリーと、パーシーと、フレッドとジョージと、ロンと私とパパとママ」
末妹のジニーに紹介されて、まだ帰ってきていないフレッドとジョージとチャーリーを除いた「隠れ穴」に今居るウィーズリー家の面々は、次々にルーナに自己紹介する。
「はじめましてラブグッドさん。僕はビル・ウィーズリー。妹が世話になってるね。歓迎するよ」
「我が家へようこそミス・ラブグッド。僕はアーサー。ジニーの父親だよ……おや、その子は?」
「よく来たわねルーナ。私はモリー。ジニーの母親よ。来てくれてありがとう」
「僕はパーシー。長男のビルと次男のチャーリーの弟で、フレッドとジョージとロンとジニーの兄だよ。妹と仲良くしてくれてありがとね………それで、そうだね。ようこそ我が家へ」
兄と両親に続いて、パーシーはどこかぎこちなくそう挨拶した。
そしてルーナは、ジニーの家族に挨拶を返す。
「本日はお招きいただきどうもありがとうございます。この度ウィーズリーさんのお宅にお世話になるルーナ・ラブグッドと言います。ジニーさんとは寮こそ違いますが同級生で、ありがたいことに友人として仲良くさせていただいています。この子は私のペットのロルフで、去年『防衛術』の先生に譲っていただきました。友達の家にお呼ばれするのは初めてなので、今すごく嬉しいです」
ジニーのみならず、ちょうど2階から降りてきていたロンとハーマイオニーも階段の中程で立ち止まって玄関の方に視線をやったまま、口をポカンと開けて目を丸くしている。
それはきっと、今は亡きパンドラ・ラブグッドが娘に遺した数多い贈り物のひとつだった。
「さあ、奥へどうぞルーナ。恥を偲んで申し上げると、家族総出で朝から掃除してなおコレよ」
そう言いながら微笑みかけてきたジニーのママに、ルーナは柔和な微笑みを返す。
「私の部屋に案内するわルーナ。あなたのベッドを置く場所確保しないと……」
ちょっと申し訳無さそうなジニーに続いて、アーサーも何やら言いづらそうに声を潜める。
「さ、て。きみはもちろんジニーの部屋で寝泊まりするわけだが……」
アーサーがそう言い淀んだのをきっかけに、ルーナに側面からゆるく抱きついたまま、ジニーの表情が僅かに曇った。
「どうしたのジニー?」
「あのねルーナ。あなたはなんにも悪くないし、ていうか誰も悪くないんだけど、まずね、私はウィーズリーの家に、100年以上ぶりに生まれた娘なの。だからうちに『女子部屋』は、私の部屋ひとつしか無いわけね。で、今ウチにはママを除いて女子が3人居て、まだもうひとり増えるの」
それは、長らくウィーズリー家でタブーとされていた話題だった。
「ママにはね、またいとこが1人居るの。そのひとはスクイブで、会計士をしてるの。それでね、そのひとは……わたしまだちっちゃかったから詳しくは知らないんだけど、ママに、すんごく失礼な事を言ったの。それでパパがとっても怒って『二度とウチに来るな』って。で、それっきり」
そこから先の説明をジニーから引き継いだのは、父のアーサーだった。
「それっきりだったんだけどね、10年以上。けど、先週フクロウが手紙をよこした……わかるかい? マグルの女性と結婚して、マグルの社会に馴染んで生きてる人間が『フクロウで』手紙をよこしたんだ。わざわざフクロウを調達して。これは緊急事態だ。少なくとも、彼らにとっては。手紙は謝罪から始まってた。長いこと謝罪せずにいた事への謝罪からだ。で、その手紙の本題――かなり珍しい事例が、彼らの身に起きた。モリーのまたいとこであるその人はスクイブで、奥さんはマグルだ。そんな2人の娘さんに、先ごろ…………ホグワーツから入学許可証が届いたそうだ」
アーサー・ウィーズリーは正直なところ、その男の顔を思い起こすと、未だに腹が立った。
「両親ともにマグルではなく父親がスクイブだったからこそ、彼ら夫婦は『今の魔法界に我が子を送り出す』ってのが、単に一人娘に夢物語の世界で活躍する機会を与えるってだけの、輝かしいだけのお話じゃないって事をちゃんと解ってる。『例のあの人』の事をね。目立つ真似をして危険に晒すって。だって『プルウェット家出身のマグル生まれ』だ、例のあの人とかその信奉者たちからすれば、他のどのマグル生まれより目を惹くだろうさ……だからあのハロルド・プルウェットは、厚顔無恥と捉えられるのを承知で僕らに連絡してきたんだ。娘を守る術が、彼らには無いから。どうか娘を助けてほしい、守ってやってほしいって、僕ら家族にそう頼んできた」
そこまで聴いてルーナは、答えが判っている質問をあえてする。
「で、なんてお返事したのアーサーさん?」
「一言だけ。『もちろん』と。僕はあの男をまだ赦せないけど、それとこれとは別の話だから」
そしてジニーがルーナを2階に案内するべく階段を登り始めた時、また玄関扉を叩く音がした。
モリーは素早く柱時計を一瞥する。時刻など一切知らせない、魔法界でも稀な魔法の柱時計を。
「噂をすればだわ。フレッドとジョージでもチャーリーでもない」
妻とともに、アーサー・ウィーズリーは「その家族」を迎え入れるべく再び玄関へ向かった。
大きな音を立てて唾を飲み込んでから。
パパとママが扉を開けるのを、ビルとパーシーとロンがハーマイオニーも伴って階段の上の方からこっそり覗いている。
しかし、アーサーとモリーの目に真っ先に飛び込んできたのは、予想とは違う人物だった。
「やあアーサーくんモリーくん。久しぶりだねえ」
「お、久しぶり……です、先生…………その、あの。何を食べていらっしゃるんですか……?」
「さっき捕まえたスズメバチだよ。おっきぃでしょ。それでね僕ねえマファルダくんとご両親を連れてきたんだ。――ほらきみ、仲直りしたいんでしょ? そんなとこ突っ立ってないでさ!」
晴れた空のような明るい青色の襟首がダルダルのパジャマの上から暗い色のトレンチコートを前を開けて羽織り、胸元を大胆に、というよりはだらしなく露出しているその魅力的な体型の若い女性は、ビル・ウィーズリーやフラー・デラクールと同年代のように見えた。
なぜクアッフルくらいある蜂の巣を抱えているのか、なぜその蜂の巣から幼虫を次々ほじくり出して口に入れているのか、なぜ巣をびっしり覆っている成虫のハチたちが皆おとなしいのかは訊くだけ時間の無駄だと、アーサーにもモリーにもすぐに解った。
そして、その背後で疲弊しきっている11歳のマファルダ・プルウェットと両親は髪にも服にも幾つもの枝の切れ端や葉っぱが絡みついており、3人揃って「なんなんだこの女は」と誰かを問いただしたい気持ちが、全身から轟々と発散されていた。
「…………きみの、息子たちの誰かの、同級生とかか。アーサー」
「その人は私の恩師の学生時代の先輩だよ。今年で122歳になる」
マファルダ・プルウェットのスクイブの父ハロルドは、どうやらアーサーのその説明を、悪い冗談だと理解したらしかった。
抗議の言葉を口にしようとしたハロルドの視界の端で、その胡乱な女の背丈がみるみる縮んでいく。髪の色もプラチナブロンドから栗色になり、数秒で10代前半の女の子になった。
「せ、先生。その右頬から鎖骨にかけての大きな傷は一体どうなさったのかしら……?」
「これ? ああそういえば止血もしないで放ったらかしだったっけか。これはねえヴィットーリオと遊んだ時にできたの。口の大きさ比べっこしたんだぁ!」
モリー・ウィーズリーは、聞いていた通り先生は相変わらずらしい、とだけ辛うじて理解した。
「なるほど…………」
いま見たものが信じられない様子のマファルダと両親が呆気にとられて見つめる中、その女の子はモリモリとスズメバチを食べ進め、数十秒で完食すると今度は蜂の巣それ自体に齧りつく。
ハロルド・プルウェットとその妻が本題を思い出すのには、ほとんど3分近くを必要とした。
「アーサー、モリー、あの時は悪かった。本当に……」
その男の表情には、謝罪の色も反省の兆しも無かった。ただ娘を案じる親の不安で潰れそうな心の暗い影だけがあった。だからこそ、アーサーとモリーはこの時初めて、その男を赦した。
「いいわよあんな昔の事は。……もういいわよ。さあ入って。そちらのお嬢さんに私たちの家族と、今たまたま来てる家族の友人を紹介するわ」
地面に額を擦り付けそうな勢いで頭を下げる父と、その事件の当時はまだ父と出会ってもいなかったのに父と一緒に深く謝罪している母を、11歳のマファルダは複雑な気持ちで見ていた。自分が魔女だと知ってから3日と経っていない彼女はまだ、何も受け止めきれていなかった。
しかし、そんなマファルダが不安や孤独を感じるよりも早く、その声は響いてきた。
「ただいまママ!!」「ただいまパパ!!」
マファルダと両親が玄関扉をくぐった瞬間にちょうどそのすぐ背後に「姿現し」してピッタリ声を揃えたフレッドとジョージは、友人を2人連れていた。
「こ、こんにちは…………すいません、急にお邪魔して……」
「あなたがアンジェリーナね? ようこそ我が家へ」
「お久しぶりですおばさん!」
「いらっしゃいリー。さあ先生も入って! すぐに昼食にしますからね!」
そしてマファルダがどこもかしこも魔法だらけの「隠れ穴」に目を回しているうちに、本当にすぐ昼食は出来上がって配膳された。
「ねえ、『スクイブ』と『マグル』の間に生まれた魔法使いって『マグル生まれ』なの?」
「一般的にはそうだよハーマイオニー。魔法力を持たない両親の間に生まれているわけだからね。けど『マグル生まれ』なんてのは区別しなきゃ気がすまないマルフォイみたいな人達が作り出した言葉だから、定義なんて恣意的で、気にする必要がない。きみはきみだし、マファルダさんはマファルダさんだよ。…………ですよね先生?」
改めて互いに自己紹介を終えたマファルダとその両親とウィーズリー一家と客人たちは、スズメバチと巣を完食した先生も一緒に、いま居る全員が座って尚余る大きな長テーブルにどっさり並べられた大皿から食べたいものを食べたいように各々取って食べ進めている。
「だいたい合ってるよアーサーくん。スクイブと呼ばれている人達は、魔法力を生み出しうる因子は親から受け継いでいるけれど、それが……なんていうかな。稼働していない状態なんだ。だから本人は魔法を使えないけれど、その子孫には魔法使いや魔女が生まれる可能性がある。だからハーマイオニー。きみのご両親の家系もひたすら遡っていけば、どこかで魔法族に行き着くよ」
ハーマイオニーは急にそんな事を言われても、実感どころか興味すらあまり湧かなかった。それはひとえに「祖先のどこかに居るその人」が、全く想像できなかったからに他ならなかった。
「そういうのに拘るヒトたち、フランスにも居まーすね。全く、バカバカしーいです」
フラーの言葉を受けて、隣のビルが意見を述べる。
「自分たちだけで拘るぶんには、別に好きにすればいいと思うけどね僕は。自分の生まれた家系と家族に誇りを持つのは素晴らしい事だし。でもその尺度で他人を推し量ろうとしたり、あまつさえ他人を虐げる理由にするのはね……困った人達だよ。ところで、マファルダくんの杖とか教科書とかの色々はもう買ったんですか?」
「まだ。だから悪いけどきみたち、ダイアゴン横丁に一緒に連れてってあげて」
かつての自分たちの恩師からの要請に、アーサーとモリーは二つ返事で快く応じた。
「ところで今年の『防衛術』の先生って、誰か、去年俺たちが卒業する時にちらっと言ってたよな先生? 誰だっけ、ああその『ホラス』ってどんな人なんだ?」
アンジェリーナを間に挟んで並んで座っているフレッドとジョージのどちらかからのその質問に、真っ先に反応したのはアーサー・ウィーズリーだった。
「私とモリーが学生だった頃にホグワーツで教師をしていた爺さんだ。良く言えば平等。悪く言えば実力至上主義者。あそこまで分け隔てないスリザリン出身者を私は他に見たことがないけれど、成績の悪い生徒の名前を間違えるところも何度も見たな。それも意地悪してるんじゃなく、ただ本当に覚えていないんだ。才能ある生徒と、才能ある親類を持つ生徒を囲い込むのが趣味のお人だ」
「ホラスくんはねえお腹まんまるで超カワイイんだよ」
「悪い人じゃないのよ? スラグホーンは。とっても良い人。それはママが保証するわ」
そんな和気藹々とした会話の中にあって、ジニーとジニーのママとハーマイオニーが決してフラーと目を合わせようとしないのを、ルーナはしっかりと見て取っていた。
そして今日もまた、ルーナはいきなり、問題の根幹を貫いてみせる。
「ねえジニー。あんたも、あんたのママも、ハーマイオニーもさ。たぶん誤解してるって思うな」
「…………それ何の話ルーナ?」
「覚えてない? 一昨年の『三校対抗試合』の最後の種目が始まる前の事。出場者が、応援しに来た家族とか知り合いとお話する時間があったでしょ?」
ルーナが急に何の話を始めたのやら理解できていないジニーとモリーとハーマイオニーをよそに、フラー・デラクールの頬はどんどん紅く紅く染まっていく。
「見てなかった? そのフラーが、どんな顔してあんたのお兄さんを見てたか覚えてない?」
ルーナが何を言おうとしているのかを察してニヤリと笑ったフレッドとジョージの間に挟まって座っているアンジェリーナは、フラーに釣られて自分まで顔が熱を帯び始めていた。
「わかんない? そこのフラー『が』あんたのお兄さん『に』、一目で骨抜きにされたんだよ」
耳も首も真っ赤に染め上げて両手で顔を覆ってしまったフラーの真正面の席で、微睡んでいるかのようないつも通りの声色でサラリとそう言ったルーナが至ってマイペースに遠い位置の大皿から料理を自分の皿に、ジョージにお願いして色々な品を少しずつ追加してもらっている中、その場のほとんどの人物の視線がフラー・デラクールへと注がれていた。
周囲の視線を集めるのが恥ずかしいと感じたのは、フラーにとって初めての経験だった。
「だっテ……だってカッコ良かったんデスもの…………見たこーと無いくらーイに……」
両隣に座っているビルとハーマイオニーになら辛うじて聞こえるかどうかという極めて小さい声量でそう呟いたフラー・デラクールは結局その日はずっと、見違えるほどしおらしいままだった。
あのルーナって子は敵に回さないほうが良いみたいねと、11歳のマファルダ・プルウェットは驚いてしまうほど美味しい料理の数々を遠慮なしに食べ進めながら、それだけ理解していた。
【モリー・ウィーズリーのまたいとこ】(公式設定では氏名不明)
ロン曰く会計士を、原作者のサイト曰く株式仲買人をしているスクイブの男性。
無礼な態度をとっていた過去があるためにウィーズリー家では彼の話をするのが暗黙の内にタブーになっている。(ここまで公式設定。ただし娘のマファルダに関する諸々は公式では没設定)
※以下公式設定には影も形も無い私の妄想※
私の妄想の中ではハロルド・プルウェットという名前で、かつてアーサーとモリーの夫妻と口論になった際、モリーに「完全にアウトな一言」をぶつけてしまい、アーサーを激怒させた。
まさか娘が魔法力を持っているとは思っていなかったので魔法界の話は妻にも伝えていなかった。なぜなら魔法が使えない彼にとって「魔法界の実在」をマグルである妻に説明して納得してもらうのは、到底達成不可能な難行だと思えたから。
ハリーが到着するまでの「隠れ穴」を書いてみたかったんだよね。