104年後からの今 作:requesting anonymity
「諸君らの中に、……無言呪文の。声を出して呪文を唱えて魔法を行使する『一般的なやり方』と比した場合の利点について、説明できるものは居るかね」
9月2日の朝から早速授業が始まっているホグワーツ魔法魔術学校で、ハリーたち新6年生は、闇の魔術に対する防衛術の教師を今年はスネイプが務めるという事実を昨晩の組分けの儀式直後にダンブルドアから通達されてさざなみのように広がった衝撃から、まだ回復しきっていなかった。
「言ってみたまえ。ミス・ハーマイオニー・グレンジャー」
誰が挙手して発言しようがどうでもいいとでも言いたそうなスネイプの冷たい表情にも負けずに、今日もハーマイオニーはくっきりハッキリと発声して、夏休み中に教科書を読み込んで頭に入れた知識から、大きな声でハキハキと解答する。
当然、ハーマイオニーがどれだけ正確な解説を述べようがスネイプは加点どころか褒めもしないのだろうと、ハリーは立ち上がって口を開いたハーマイオニーを見ながらそう確信していた。
「はい。無言呪文を行使する者は、そうでない者と比べて、戦闘において『先んじて反対呪文で防御される』とか『唱えている途中で阻止される』というような事態を未然に防ぐことができ、さらに今からどんな魔法を使うのかを相手に予想されないので、効果的に先手を取ることができます」
スネイプは数秒沈黙した後、ハーマイオニーの方を見もせずにその説明を講評した。
「間違いは何ひとつ無いが、完璧でもないなミス・グレンジャー。しかし諸君らは今これから初めての『N.E.W.T.』レベルの授業を受けるのであるからして、ミス・グレンジャーの解答は賞賛に値すると言えるだろう。休暇中に予習をしたと見える……グリフィンドールに1点やろう」
教室中全体にどよめきが広がっても、スネイプは全く気にしていない様子だった。
「ミス・グレンジャーが解説してくれた通り、無言呪文を扱う者は、敵と戦う場合に『驚き』という利点を得る。唱えた呪文を聞き取って対策を練るという手段を取らせないことによって。そしてさらに付け加えて言うならば、諸君らはこれまでの5年間で、『呪文を唱え間違える』あるいは『うまく発音できない』といった事態がどれだけ危険な失敗や危機的状況を招くのかを学び取り、またいくらかの者は実際に体験したことだろう――」
そこでハリーは反射的にネビルの方を見てしまったが、ネビル自身も己の数多い失敗を思い起こしているのか、スネイプの方を向いたまま小さくコクコクと頷いていた。
その向こうではシェーマスも、何度となく焦がしてきた大鍋や机や袖や前髪を思い浮かべているのか、真面目くさった顔で静かにウンウンと頷いていた。
「――しかし、無言呪文を行使する場合は、このようなリスクとは無縁だ。そもそも発音などしないのだからな。さらに『ペトリフィカストタルス』と唱え切るより先に『ディセンド』を喰らい地面に叩きつけられるといった、呪文の長さに起因する手傷とも縁を切ることができる。……では、一方で。そんな利点ばかりに思える無言呪文が、声に出して呪文を唱えるという原始的なやり方を、淘汰してしまわないのは如何なる理由か、答えられる者は……よかろう。ミスター・ノット」
まだ怪訝そうな表情でスネイプを見つめながら、セオドール・ノットは口を開いた。
「それは、無言呪文が、とても難しいからです。だから6年生になるまで習わないし、習得したらそれ以降の人生ではもう呪文を声に出しては唱えない、なんて決断をする奴もいない。それに何より、声に出して呪文を唱える場合と比べて無言呪文は通常、大きく威力が低下します」
「左様。貴様にも1点だミスター・ノット……諸君らにとって、この『無言呪文』という技術は、これまでとは一線を画する難易度だと言える。習得には何よりも根気強さと、ひたすらに失敗だけが続き向上が見られずともヤケを起こさないだけの冷静さが――必要となるだろう」
そこでスネイプからあからさまに見つめられたロンは、気を悪くしながら挑戦的に睨み返した。
「では、2人一組になりたまえ。……おっと、諸君らの人数は奇数だったな。ハリー・ポッター、貴様は吾輩とだ。では、一方が無言で呪詛を唱え、もう一方は無言でそれを防ぐ。始めたまえ」
去年散々やった自主学習の成果か、6年生たちは特に誰が提案するでもなく、寮など気にしない自由な組み合わせでその課題に挑み始める。
しかしそれは、その場のほとんどの者にとって、ただ突っ立っているのと何も変わらなかった。
そして早くも「小声で呪文を唱える」という苦し紛れの誤魔化しを試みる者がちらほらと現れ始めた教室内をグルリと見回して、さらに未だ呪詛を無言で撃つ気配が無いハリー・ポッターを見つめて、スネイプはわざとらしく大きな溜息をついてみせてから、たった一言だけ助言をよこした。
「本を黙読した経験がある者すらおらんとは、全く、まったく嘆かわしい限りだ」
その直後にセオドール・ノットが完全に無言のまま武装解除呪文を放ち、ハーマイオニーも一切声を出さないままそれをピシャリと防いだ。
さらにその1秒後にブレーズ・ザビニが無言で飛ばしてきた失神呪文を、ネビルは条件反射で素早く姿勢を低くして避けてしまった。
「ノット、グレンジャー、ザビニ、1人1点。しかしロングボトム1点減点。貴様はこの授業の趣旨を理解していないのかね? まあ、無抵抗で呪詛を浴びるよりは賢明だとも言えるが」
そしてまたスネイプはハリーを見て、大きく溜息をつく。
「その体たらくでどうやって闇の帝王に勝つというのだポッター。賄賂でも贈ってみるかね?」
上手くいく気配すら無いところにスネイプから厭味を言われて我慢できなくなってしまったハリーは、大きな声で呪文を唱える。
「エクスペリアームス!!!」
しかしスネイプは紅茶をおかわりするかのような気軽さでハリーの呪文を、素手で掴み取った。
「え?! なにそれ、そんなことできるの?」
お互いに杖を向けたまま無言呪文の練習を中断してしまっているのは、相手がスネイプなのも忘れてそう口走ったパーバティとパドマのパチル姉妹だけではなかった。
原理すら不明な離れ業に教室中が目を丸くしているのも気にせず、スネイプは武装解除呪文の閃光を文字通り手中に収めたまま、淡々とハリーに宣告する。
「盾の呪文を準備するのだポッター。無言で唱えられないなら声を出しても構わん」
いま呪文をお前なんかの前で声に出して唱えるくらいなら死んでやると、ハリーは思っていた。
それは冷静さとは程遠い精神状態だったが、ひとつのことだけに意識を集中しているという意味では守護霊呪文を唱える時のように万全の準備ができていて、ヴォルデモートと相対する時と同じ極限の臨戦態勢でもあった。
そしてスネイプは武装解除呪文の閃光を掴んだままの左手を口元に持ってきてゆっくりと開き、それにそっと息を吹きかけた。
「ハリー!!!」
ハグリッドに殴られた闇祓いの魔女みたいなスピードで吹っ飛んだハリーを心配して、一番近くに居たセオドール・ノットが顔を覗き込む。
「生きてるかポッター? ……まだ杖を持ってるってのはつまりお前、成功したんだよな?」
ノットにそう訊ねられても、ハリーは全身が痛くて声が出せなかった。ただ、自分がどうやら無言で唱える事に成功したらしい盾の呪文が、真正面から叩き割られたのは確かだった。
「意外と頑丈にできているなポッター。母親に感謝するといい」
スネイプは心配するふりすらせずに、平然とハリーを見ながらそう言い放つ。
そんなスネイプへの激しい怒りを原動力にして、ハリーはどうにか起き上がった。
「来い、スネイプ」
スネイプは右手に持っていた杖をハリーに向けると反対の手を肩の高さに掲げ、指をゆっくりと順番に折り曲げてカウントダウンを始めた。
そして無言で呪文が放たれ、ハリーはまたしても壁まで吹っ飛んだ。
しかし今度は、そうなると見越して待ち構えていたノットとハーマイオニーがハッキリ発音して唱えたクッション呪文のお蔭で、壁に思い切り背中をぶつける事態だけは避けられたのだった。
「もう一度だポッター。無言で唱えた呪文の脆弱さは、習熟によって多少改善できるものだぞ」
吾輩の呪文を防いでみせろと挑発して、スネイプはハリーが立ち上がってからまた杖を振った。
同じ頃、ホグズミードにある何を売っているのかよくわからない妙な店の地下では、シリウスとルーピンほか2名の希望者と、有無を言わさず参加させられた誘拐被害者ニンファドーラ・トンクスが、ホグワーツでハリーがそうしているように、かなり苛烈な講師による呪い生傷あたりまえの激しい実戦指導に粘り強く挑んでいた。
「ムーニー伏せろ!」
地面にへばりついて炎を躱したシリウスとルーピンは、素早く立ち上がりながらその魔法使いを全身金縛り術と失神呪文で狙う。
それをヒョイと避けたその魔法使いがまた杖を振ろうとしているのを見て取って、マッド‐アイ・ムーディは左手に持って身体を支えるのに使っている大きな杖で床を鳴らした。
そしてその衝撃が届くより一瞬早く「姿くらまし」した魔法使いは、ニンファドーラ・トンクスの背後に音もなく姿を現して杖を振る。
「プロテゴ・マキシマ!」
リーマス・ルーピンが力いっぱい唱えた盾の呪文で守ってくれたのと同時に、トンクスは自分が狙われていた事に気づいた。
「え、あ。ステューピファイ!!」
「遅い」
大慌てで振り向いて唱えた失神呪文を防がれたトンクスは慌てて杖を防御に使おうとしたが、それより早くルーピンとシリウスが2人まとめて吹っ飛ばされた。
「遅い、ヌルい、つまらない。シリウスもルーピンもニンファドーラも、お前たち皆、練習不足だ。シリウス、リーマス! 痛くともすぐ立て。ヴォルデモート卿は待ってくれると思うか!」
言われなくても既に立ち上がり始めていた2人に、その魔法使いは容赦無く呪詛を放つ。
盾の呪文は間に合わないと即断して左右に跳び退いたシリウスとリーマスの後ろから進み出てきたキングズリー・シャックルボルトが無言で放った失神呪文がその魔法使いの呪詛と正面衝突し、2本の閃光が激しく飛沫を撒き散らしながら数秒だけ拮抗して押し合った。
「おお、噂通り。やはり優秀だなキングズリー・シャックルボルト!」
不死鳥の騎士団の面々をまとめて蹴散らしている魔法使いが涼しい顔でそう呟いた一方、急にものすごい勢いで押し込まれ始めたキングズリー・シャックルボルトは杖を持っていない方の手で盾の呪文を唱え、とうとう完全に押し負けて手元まで戻ってきた武装解除呪文と押し込んできた失神呪文をどうにか逸らしながら身を躱してさらに姿勢を崩さないように踏ん張りつつ杖の先から縄を放ってその魔法使いを縛り上げようとする。
「インセンディオ」
その魔法使いが放った最も基本的な炎の呪文は、ニンファドーラがかつて見たことがある、名前が思い出せない弱っちい闇の魔法使いが使っていた「悪霊の火」より、よっぽど高火力だった。
キングズリーが放った縄を焼き払い、シリウスとニンファドーラの呪文を吹き飛ばして、その炎は実戦訓練に挑んでいる全員の視界を覆い尽くした。
そこで炎は唐突に、燃え盛って迫ってきていたのは見間違いだったのかと思ってしまうほど一瞬で跡形もなくかき消え、その魔法使いは杖を降ろして背後に振り返る。
「もう済んだのか。ということはつまりソイツは問題無しか?」
「やあやあアバーフォースくん。やってるねえ。どうだい不死鳥の騎士団の子たちは」
ホッグズ・ヘッドに「新メニュー試行錯誤中につき本日午前中休業」と大嘘の張り紙をしてまで教師役を快諾したアバーフォース・ダンブルドアに、奥の扉から現れた橙と緑の派手なゴーグルをした魔女は、傍らに連れているヒッポグリフを撫でながら訊いた。
「キングズリーとアラスターはまずまずだ。だが、シリウス、ルーピン、そしてニンファドーラ・トンクス。こいつらは3人とも動きが遅すぎる。殺してくれと言っているようなものだ。それにシリウスルーピントンクスお前たちは杖捌きうんぬんの前にもっと体力をつけろ」
アバーフォースにかなり厳しい評価を下されながらも、シリウスもルーピンもトンクスもキングズリーも、揃って同じ感想を抱いていた。この人こんなに強かったのか、と。
「それって順調って事だねアバーフォースくん――さあバックビーク。検査の間ずっと大人しくしててくれてありがとね。特にどこも悪くなかったけど、できればもうちょっと運動したいねえ」
その派手なゴーグルの魔女は連れてきたヒッポグリフにそう話しかけてから、ゼエゼエと肩で息をしているシリウスとルーピンを見つめる。
「休憩するかい? 続けるかい?」
「まだやれます、先生」
シリウスとルーピンは、全く同時にそう言い張った。
「そうかい? じゃあトンクスくんとアラスターくんとキングズリーくんは休憩しよっか。僕の部下がチョコマフィンと紅茶をごちそうしてくれるよ」
「えっ」
シリウスとルーピンは抗議する暇もなく、目にも止まらない速度で杖を振り驚くほど強烈な呪文を飛ばしてくるアバーフォース・ダンブルドアに今度は自分たち2人だけで対抗するべく、残り少ない体力と既に限界を超えてしまっている全身の筋肉を総動員して再び戦い始めた。
「ニンファドーラくんはねえ、目の前に敵がいると目の前以外に対する注意が薄れるんだね。そこが改善点。あと杖なし呪文練習しようね。戦法の幅が広がるから」
「ニンファドーラって呼ばないで」
己の力不足を改めて実感させられたニンファドーラ・トンクスは、アバーフォースの呪文を防ぎそこねたシリウスが自分の目の前の空中を高速で横切って広い部屋の端まで吹き飛ばされていったのを眺めながら、憮然とした態度でそう抗議した。
「シリウスくーん、なぁにやってんだい。きみもアニメーガスだろう? それにきみは大型犬のアニメーガスなんだから、ヒトでいるより変身したほうが正面の敵に対しては的が小さくなって狙われ辛いだろう! それにね、ただその場で変身するだけで呪詛を回避できる事も多いよー?」
実戦訓練に挑み始めて早数時間、ようやく与えられた具体的なアドバイスを、シリウスは何度も心の中で繰り返して、速やかに全身に染み渡らせた。
「リーマスくんはねぇ。ランニングとかから始めると良いと思う。ニンファドーラちゃんと一緒に走ったらいいよファスティディオがここの部屋と部屋を適当に繋いでコース作ってくれるから」
シリウスは痛む身体に鞭打って立ち上がり、背筋を伸ばしたら顔に直撃する位置に迫っていたアバーフォースの失神呪文をスルリと黒い大型犬に変身して躱す。
そしてまたルーピンの呪詛を武装解除呪文で押しつぶそうとしていたアバーフォースに、シリウスは黒い大型犬の姿のまま飛びかかって思いっきり噛みつこうとする。
「意外性が無いぞシリウス・ブラック! 犬が100匹いたら100匹ともそう攻撃するだろう」
杖を持っていない方の手を雑に振って黒い大型犬を吹き飛ばしたアバーフォースは、空中で身を捻った大型犬が床に着地してシリウス・ブラックに戻ったのを見ながらそう言い放った。
一方、アバーフォースの意識が僅かにシリウスの方へ向いた隙に武装解除呪文の射線から逃げたルーピンは、シリウスがアバーフォースではなくあの先生の方を見ている事に気づいた。
今のは結構良かったと我ながら思うんです先生どうですかどうですかと顔に書いてあるシリウスに、その派手なゴーグルの魔女はシリウスが欲しがっている言葉をニッコリ笑って投げかける。
「うん。今のは良かったよシリウスくん。その調子その調子。もっと素早く、絶え間なくね」
「あ、ぶちょう見つけましたよ! あたしチョコマフィン作ってきたんですどうですか!!」
さっきまで壁だったはずの場所にいつの間にかあった扉を通って元気いっぱいに入室してきたその年若い魔女の姿を見るなり、ニンファドーラ・トンクスが大きな声を出した。
「え、……アナタ、あなたまさかクローディア? 6年生の時に神秘部にインターンに行ったっきり何の音沙汰も無くなったクローディア・クランウェル=ブラック? あなた、生きてたの?!」
「あー! ドラちゃんだぁ! ドラちゃんひさしぶり! ねえチョコマフィン食べませんか!!」
自分と目が合った瞬間大喜びし始めた魔女が両手で持ってきた大皿に山盛りのチョコマフィンを見て、またその魔女の顔を見て、トンクスは驚きが隠せない様子で目をパチクリとさせている。
「クローディアあなた、…………なんで歳をとってないの? 神秘部ってそうなの?」
「へ? それはあたしが研修中にヘマして時間に逃げられて10歳になっちゃったからよ? あれが確か7年前だから、10歳に7歳足して今ちょうどあの時の歳まで戻ったの。よくある事でしょ?」
なんでメガネを掛けているのかとゴイルに訊かれて「目が悪いからだよ」と返した時のハリーと同じ表情で、クローディア・クランウェル=ブラック上級研究員は、何も不思議な事など起きていないとでも言いたそうにしながらトンクスの質問にそう回答した。
「ほらドラちゃんもチョコマフィン食べない? チョコマフィンは美味しいから!」
「う、うん……ありがとう。いただくわ」
時間に逃げられるって一体なんなんだと、キングズリーもマッド‐アイも思っている。
「そいえばドラちゃんって七変化だったよね。あれ見せてあれ! ヒゲだけダンブルドア!」
リクエストされて即いつもの外見のまま真っ白で長いヒゲをたっぷり生やしたトンクスを見て、その大皿に山盛りのチョコマフィンを乗せた年若い魔女はきゃあきゃあと大喜びしている。
「……ほらクローディア、お前さんのぶんもソファ出してやるから座りなさい」
「ありがとファスティディオ! そうだ、ぶちょうが言ってたドラちゃんの好きな人ってどっち? あのギョロギョロおめめのおじさん? それともぶちょうが健康診断してたヒッポグリフ?」
クローディア・クランウェル=ブラックがそう訊いたのと同時に、今度はルーピンがアバーフォースに向こうの壁まで吹き飛ばされた。
そしてトンクスはチョコマフィンを早速ひとつ手に取りながら、かつての同級生に訊き返す。
「あなたの部長さんは、なんて言ってたのかしら。教えてくれる?」
その問いかけは少々の怒気を孕んでいるようにマッド‐アイには聞こえたが、クローディアの方はそんなトンクスの穏やかならざる心の内には、気づいてもいない様子だった。
「『ニンファドーラくん恋してるみたいなんだよねー』って言ってただけよ? ねえねえどっち? ギョロギョロのおじさん? ヒッポグリフ?」
ルーピンはすぐに立ち上がってアバーフォースを失神呪文で狙い、なんでその2択だと思ったのかと訊きたいトンクスは耳を真っ赤にしながら、ヒゲを生やしたまま、小さな声で答える。
「今シリウスと一緒に頑張ってる、傷だらけの顔したお兄さんがいるでしょ。……そのひとっ」
世間的にどう見えるかはともかく、トンクスにとってルーピンは、全然まったく「おじさん」ではなかった。抱きしめてよしよししてあげたい衝動に駆られるのも、しょっちゅうだった。
「エクスペリアームス!! 魔ぁ法力の差は如何ともし難いな……うーぐぐぐ……」
2人がかりでもアバーフォースの失神呪文にどんどん押し返されている自分とシリウスの武装解除呪文を見つめながら、どうにか押し返そうと頑張っていたルーピンは呪文が手元にまで迫って、ようやくシリウスに叫んだ。
「避けろパッドフット!!」
「押し返せないと判りきっているものを意地を張って押し返そうとするな馬鹿共!」
ファスティディオが人数分出したソファにどっかり座り込んでそう激を飛ばすマッド‐アイは、不死鳥の騎士団のほとんどが目にしたことが無いほど上機嫌だった。
「ほれ何をやっとる反撃しろ! 躱せ! よし今のは上手いぞシリウス・ブラック!! んんなーにをやっとるかぁその呪いの反対呪文は知っとるだろう自力で治せルーピン!」
「クィディッチの観戦してる時のヘキャット先生みたいだねえアラスターくん」
在りし日の恩師を思い出して、派手なゴーグルの魔女は懐かしそうに笑った。
「ねえねえギョロギョロおめめのおじさん。おじさんのおめめ触ってもいいですか!」
「ダメだ」
「えーー、そのギョロギョロおめめチョコマフィンにしてあげようと思ったのにぃーー」
自分が知っているホグワーツ時代と本当に何ひとつ変わっていないらしいクローディアがマッド‐アイのマッド‐アイに興味を持ってしまったのを、トンクスはハラハラしながら見守っていた。
「フリペンド!」
「ぬるい!」
ルーピンが放った呪詛をとうとう素手で床に叩き落としたアバーフォースは、背後から飛びかかってきていた黒い大型犬の首を杖を持っている方の手で雑に鷲掴みすると、そのまま犬を空中に軽く投げ上げて、すぐさま犬に火を放った。
「プロテゴ・マキシマ!!」
黒い大型犬は慌ててシリウス・ブラックに戻り、杖を振って猛火から身を守る。
しかし既にシリウスの背後に来ていたアバーフォースはまたシリウスの首根っこを掴み上げ、そのまま片手で軽々とシリウスをルーピンめがけて放り投げる。
あれもたぶん杖なし呪文の応用なんだろうと、キングズリーは3個目のチョコマフィンをいただいて優雅にくつろぎならそう分析していた。
そしてそのまま時間の許す限り、ホグズミードにある店の地下室ではアバーフォースにシリウスとルーピンが、ホグワーツの闇の魔術に対する防衛術の教室ではスネイプにハリーが、何度も何度も何度も何度もただひたすらにブチのめされ続けたのだった。
「お、ポッターのやつとうとう吹き飛ばなくなったな。誰より実戦経験豊富なだけはある」
「ハリーはっ、上達するのが早いんだよ」
「グリフィンドールに1点! やればできるらしいなロングボトム」
会話しながらザビニが飛ばしてきた武装解除呪文を一旦言葉を切って無言で防いだネビルを、ハリーが可能な限りの小声で唱えて飛ばした失神呪文をつまらなそうにはたき落としながら、スネイプは目ざとくそう賞賛した。
スネイプは終始一貫して、呪文を小声で唱えるというその場しのぎの誤魔化しに逃げている生徒たちから減点をせず、どころかそれらの生徒に対して注意も厭味も口にしなかった。
「心の中だけで呪文を唱えて、それでそれだけで成功するなら、僕いまこんなに苦労してない!」
5年間便秘に悩まされているような表情でそう呻いたレイブンクローのマイケル・コーナーの対面では、当分飛んでこなさそうな呪詛にしかし確実に対処するべく、テリー・ブートもまた似たような表情をして、無言で盾の呪文を唱えようと頑張っている。
「‥…こうしようか、ポッター。貴様は一旦、吾輩が提示した課題を忘れるのだ。その代わり、もっとも得意な呪文を、なんでもいいから無言で唱えてみたまえ」
唐突にそう提案してきたスネイプの顔は、あんまりにも成功の兆しがない貴様に吾輩が譲歩してやろうという、ベッタリとした厭味ったらしい微笑みを浮かべているように、ハリーには見えた。
しかしハリーはすぐに「一番得意な呪文ってなんだろ」と考え始め、じっくり考えた結果、どの呪文よりも先にシリウスの顔が浮かんできた。
(おはようハリー! 今日は何をして遊ぼうか!)
去年のクリスマス休暇中の、朝一番のお気楽極まるシリウスの笑顔が思い浮かんで笑ってしまったハリーは、そのままの気持ちで、確信をもって杖を振る。
(エクス、ペクト、……パトローナム!)
ハリーが振った杖の先から現れた青白く光る霧のようなものは勇壮な雄鹿の姿をかたどって、闇の魔術に対する防衛術の教室を、皆の頭上を力強く駆け抜けて行った。
「グリフィンドールに10点」
「10点だって? 今のがたった10点?? お言葉ですが本気ですかスネイプ先生??」
ザビニが抗議しているのも、一斉に駆け寄ってきたロンとハーマイオニーを始めとする友人たちが褒めてくれているのも耳に入らず、ハリーは再び素早く杖を振った。
「及第点だ。その調子で精進したまえ。闇の帝王に殺されたくないのならな」
ハリーの周囲の人だかりに向けて無言で火を放ったスネイプは、それをハリーとネビルとノットが無言で盾の呪文を唱えて3人がかりで防いでみせたのを見届けて平然とそう言い放つと、そのまま「本日の授業はここまで」と宣言して、スタスタと教室から出ていってしまった。
初めての「スネイプによる闇の魔術に対する防衛術」の授業を終えて、もちろん全く優しくなどない上にかなり不快な思いもするが予想していたよりは有意義らしいと、そう感想を抱いていたハリーは、いつの間にやら隣に居たセオドール・ノットと目が合った。
「さっきの呪文教えてくれないかポッター。そのなんだ、光る鹿出してたやつを」
「もちろんいいよノット」
そしてまた一同は、地下聖堂へと向かうのだった。
ドラコを除いて。
一方、ホグズミードにあるとある店の地下空間で、「店を開ける」と宣言して本日の実戦訓練を打ち切ったアバーフォースがその広い部屋から「姿くらまし」で出ていった直後、とうとう疲労困憊で立てなくなってルーピンと並んで床に横たわっていたシリウスは、ルーピンが愛しのニンファドーラに助け起こされたのを横目に見ながら自力でどうにか立ち上がって、派手なゴーグルをした先生が名前を呼んで部屋に招き入れた屋敷しもべ妖精と相対していた。
「…………久しぶりだなクリーチャー」
昨年度の、あるいはシリウスの前半生の精算が、始まろうとしていた。
時間に襲われたヘキャット先生がいるんだから、逆に時間に逃げられて若返ったやつもいるだろうなって、ずっと思ってたんですよね。