104年後からの今 作:requesting anonymity
「ご無事で何よりです御主人様」
その屋敷しもべ妖精はいつも通りの少し聞き取りづらいボソボソとした低くこもった声で、そしてハーマイオニーに話しかけられた時と全く同じ声色で、シリウス・ブラックにそう言い放った。
「きみはあの夜マルフォイ家の屋敷でも、帰ってきた御主人様にそう言ったんだね?」
同級生の肖像画から聞いて知っている事実を、その橙と緑の派手なゴーグルをした魔女はあたかも推理しているかのような態度で屋敷しもべ妖精に訊ねた。
「あなた様はクリーチャーの御主人様ではありませんので、クリーチャーはあなた様の質問に答えたくないと思った場合、答えたくないと答えることができます」
屋敷しもべ妖精のその回答にシリウスが何か言おうとしたが、派手なゴーグルの魔女は片手でジェスチャーしてそれを制止した。
「質問なんかしてないさ。僕はただ、きみがきみについてどう理解しているかを、確かめてるの。ねえクリーチャー。きみの御主人様は誰だい? きみは誰にお仕えする栄誉にあずかっている?」
派手なゴーグルの魔女がその質問を言い終えない内に、その屋敷しもべ妖精は即答する。
「クリーチャーは純血の由緒正しいブラック家にお仕えしています」
「それはいつからだい?」
その屋敷しもべ妖精は、一瞬沈黙してから質問に答えた。
「クリーチャーは、かの偉大なりしフィニアス・ナイジェラス・ブラック様がお生まれになられた日の事を、今でもよく思い出します。まるで昨日のことのようだとクリーチャーはその度に思っています。シリウスぼっちゃまがとてもお喜びになられていました。あの日は良い日でした……」
それにひきかえと言いたそうな表情で、ブラック家に永いこと仕えている屋敷しもべ妖精のクリーチャーはシリウス・ブラックを見つめている。
「クリーチャーおまえ騎士団の情報をベラトリックスに流していたな」
「インカーセラス」
シリウス・ブラックが杖を取り出すよりも早く、派手なゴーグルの魔女はソファに腰掛けながら両手の人差し指を同時にくるくる回して縄を出現させ、それを操ってシリウスを縛り上げた。
「きみはクリーチャーに言わなきゃいけないことがあるでしょ、シリウスくん?」
「私はコイツを殺してやる!!!」
「オスコーシ。んもーー……困った子だねえきみは……ところでもう1回訊くよクリーチャー。きみは『ブラック家』と『ブラック家の当主』の、どっちにお仕えしているのかな?」
派手なゴーグルの魔女がシリウスの口を消しながらそう訊くと、屋敷しもべ妖精のクリーチャーは先程と全く同じ答えを返した。
「クリーチャーは純血の由緒正しいブラック家にお仕えしております」
「部長失礼します。もしかしてここにクローディアが来てませんか」
今の今まで壁だったはずの場所に現れた扉を通って来るなり背後から自分にそう訊ねた部下の声を聞いて、その派手なゴーグルの魔女はニヤリと笑った。
「……おーやまあ、本当に久しぶりだ。……お前、まだ生きてたのかクリーチャー爺さんよ」
その神秘部職員は、クリーチャーと目があった途端に、パッと明るい笑顔になった。
「マリウス……ぼっちゃま…………! ああマリウス様! 生きておられた! ご無事だった!」
その老人の姿を見た途端に感激して泣き崩れたクリーチャーの向こうでは、シリウス・ブラックが口を消されて縄で全身グルグル巻きにされて床に転がったまま、未だに激怒し続けている。
スクイブのマリウス・ブラックは、部長に救い出されるまでの前半生で自分が生まれ育ったブラック家においてどのような扱いを受けていたのかを、もはや全く気にしていなかった。
虐待と表現して差し支えない環境で育てられたマリウスはしかし、まだ変わらずあそこにあるのだろうグリモールド・プレイス12番地の屋敷を、ただ懐かしく思い起こしていた。
「ぼっちゃまは止めてくれクリーチャー。僕もう孫だっているんだぞ? それに今のきみの御主人様は僕じゃなくてそこの――」
「シリウス・ブラックとベラトリックス・レストレンジ。クリーチャーは2人の主に仕えていた」
皆と一緒にソファでチョコマフィンと紅茶をいただきながら唐突に会話に割り込んでそう言ったキングズリー・シャックルボルトは、既にこの状況に思考を追いつかせていた。
「シリウス、きみ、その屋敷しもべ妖精に去年『出ていけ』とか言ったことがあるんじゃないか? おそらくきみは『私が今いるこの部屋から』という意味でそう命令した。けれどきみに仕えるのが嫌だったその屋敷しもべ妖精はそれを『解雇通告』だと受け取った……不本意な御主人様に仕えている屋敷しもべ妖精が、御主人様からの命令を極めて恣意的に解釈して積極的に自由を勝ち取ろうとするのはよくあることだ。だからその屋敷しもべ妖精は、別に何も突飛な真似はしていない」
キングズリーの推測に同調したのは、すぐ傍の一人掛けのソファに座っているリーマス・ルーピンと、ルーピンが座っているそのソファの肘掛けに座っているニンファドーラ・トンクスだった。
「言ってたな。確かに聞いた。夜、すごい怒鳴り声が僕の寝る部屋まで響いてきたことがあった」
「言ってたわね。リーマスと『見に行くべきかな』って話したの覚えてる」
そう証言した直後に自分が今した失言に気づいたトンクスは一気に耳まで真っ赤になったが、今そんな事を気にしているのはトンクス当人だけだった。
「契約解除された屋敷しもべ妖精は、誰に仕えるのかを、自分で選ぶ。新しい御主人様を探してもいいし――ねえペニーとポピーちゃんもこっち来て一緒にチョコマフィン食べないかーい?」
派手なゴーグルの魔女がどこへともなくそう呼びかけた瞬間バチンと大きな音が響き、皆が今いる広い部屋にもう1人の屋敷しもべ妖精が小柄な魔女を連れて「姿現し」した。
その屋敷しもべ妖精がいつの間にかあった追加の二人掛けソファに腰を下ろすと共に現れた小柄な魔女がすぐ隣にくっついて座り、派手なゴーグルの魔女はスルリとカラスに変身して小柄な魔女の膝の上まで飛んでいき、ポルターガイストのファスティディオもすぐ隣に移動する。
それは、1893年からずっとそうしている、幸せな家族の肖像だった。
「はい! ペニーちゃんもチョコマフィンをどうぞ! ポピーちゃんもどうぞ!」
「ありがとうクローディア」
「マリウスおじちゃんもチョコマフィンをどうぞ!」
「おやありがとう。でも勤務時間中は『局長』と呼ぶようにといつも言っているだろう?」
大事な話をしている人のところへはその大事な話が終わってからじゃないとチョコマフィンを持っていってはいけないと、何年か前に連れて行ってもらったダイアゴン横丁で、離婚についての話し合いをしていた見ず知らずの夫婦にチョコマフィンをあげようとした時に副部長からそう教わったのをちゃんと覚えていたおりこうなクローディアは、クリーチャーとシリウスの方を気にはしつつも、話しかけることはしない。
「ところで部長、タグウッド研究員他複数人から、オーガスタス・ルックウッドに盛った薬の経過が知りたい、かけた魔法が効果を発揮しているか知りたいと陳情が上がってきているのですが」
マリウス・ブラックからそう報告を受けても聞いているのか聞いていないのか傍目には判別できないワタリガラスに代わって、ポピー・スウィーティングがマリウスに返答する。
「この子がどうにかするよ。だから、『遠からず』って伝えてあげて」
その会話に、キングズリーが反応した。
「オーガスタス・ルックウッドが死喰い人のスパイだったと、そちらの神秘部部長どのは把握していた様子でしたが、……その、ルックウッドは神秘部で、どのように扱われていたのですか?」
キングズリーにそう訊ねられて「部長と同じですよ」と答えたマリウス・ブラックは、部外秘の機密にも拘らず、何ら逡巡する素振りも見せずに説明し始める。
「神秘部が所有する研究試料です。ただ、部長とは違ってオーガスタス・ルックウッド氏には、彼自身に研究対象としての価値があるわけでも貴重なサンプルというわけでもないので、他の多くの『研究試料職員』と同じように、つまり実験に生きたヒトが必要な場合に『活用』していました。ただ、彼は他の職員とは違って神秘部に対する忠誠心が無く情報を盗んでいましたので、実験前に本人に同意を得たりはしていません。……ええ。つまりそうです。本人に無断で実験動物扱いを。彼がアズカバンに収監されていた間も、部長か副部長が不定期にこっそりアズカバンに赴いて、研究員たちの代理で実験をしていました。ルックウッド氏に気づかれないように」
それは「刑罰」なのではないかと、キングズリーは思った。
「そろそろあの野郎のケツの左っかわで産業革命が起きた頃だと思うよ? 私が聞いた実験が行われていればだけどね」と言ったファスティディオは、愉快そうに空中で宙返りしてみせた。
「ねえ、そういえば、その屋敷しもべ妖精、…………帽子を……」
ポルターガイストと一緒になってガアガアと騒ぎだしたワタリガラスの啼き声を遮るようにしてそう言いかけたニンファドーラ・トンクスは、ペニーという名前らしいその屋敷しもべ妖精のどこに自分は違和感を覚えていたのかに、今ようやく気づいていた。
「5年生の時に、コイツがあげたのさ」と、ファスティディオが説明し、それに帽子を被った屋敷しもべ妖精ペニー本人が続く。
「ペニーは前の御主人様から自由にしていただきました。ペニーの前の御主人様は悪い人でした。けれどこの方はペニーに帽子をくださいました。ペニーに『自由にしていい』と言ってくださいました。ペニーはここでお店を続けることが一番の望みでしたので、ペニーはそうしました。ですからペニーには『今の御主人様』は、もう永いこといません。けれどペニーはこのお店で働いていますので、このお店を所有している方のもとで、この建物にお住まいになられている方と共に、働いて、暮らしています。ペニーはもう永いこと、とてもとても幸せです! 毎日です!」
クリーチャーが何か言いたそうな顔をしたが、聞き取れない音量でブツブツと呟くだけで、ペニーに直接「屋敷しもべ妖精の道理」を説いたりはしなかった。
(ペニーの事例は屋敷しもべ妖精の道徳に照らしても常識的な個人の自由の範疇なのかな)
キングズリーがクリーチャーの表情を見てそんな事を考えている一方、マリウス・ブラックはチョコマフィンを食べながらゆったり歩いてクリーチャーの隣を通り、拘束されたまま床で激しくのたうっているシリウスの目の前にしゃがんだ。
「きみにそんなつもりは無かったとしても、きみはクリーチャーに『出ていけ』と命じた。だからクリーチャーは出ていったし、より自分にとって好ましい御主人様のところに、つまりブラック家の直系で純血主義を信奉している者のところへ向かった。クリーチャーの判断は的確だった。だって、スクイブの僕と勘当済みのフィニアス叔父さんを計算に入れない場合、確かに『きみの次』はベラトリックス・レストレンジだろうからね。きみが死んだらブラック家の全てはあの危険なお嬢さんが相続するだろう。きみが遺言でもしっかり遺していれば別だけど――」
穏やかな口調でシリウスにそう言ったマリウスに促されたクリーチャーはパチンと指を鳴らし、シリウスの口が再び復元された。
「私が死んだ後に遺産を相続するのはハリーだ! 絶対にベラトリックスではない!!」
「……きみもしっかり我らが一族だよ。そういうところがまさに」
怒った時の顔が父さんそっくりだよ、とまでは、流石にマリウスも言わなかった。
「まあ、父さんはベルヴィナ叔母さんとかに比べればわりと温厚な人だったけど……あーの人は怒りっぽかった…………特に失敗の原因が自分自身にあると理解してしまった時がひどいんだ……」
あんまり好きではなかった叔母を思い出して、しかしマリウスは懐かしそうに微笑んでいる。
「あの人の常識に照らせば、僕が口答えした時に杖を僕に向けるのは理解できる。我が家からスクイブが出たなんて受け入れがたいだろうからね。けどベルヴィナ叔母さんったら、シリウス伯父さんにだって杖を向けるんだもの…………シリウス伯父さんが我慢強い人じゃあなかったら確実に伯父さんと叔母さんのどっちかは聖マンゴが終の棲家になってたって気がするね……」
話を聞く限りではおよそ暖かいとは言えなそうな生家を思い起こしてなんでそんなに嬉しそうな顔ができるのかと、リーマス・ルーピンはその神秘部職員マリウス・ブラックに訊きたかった。
「シリウスくんはね、結局最後の最後に1回だけ、コイツに決闘で勝ったんだよ」
自分の膝の上で寝息を立て始めた橙と緑の派手な目の色をしたワタリガラスを撫でながらそう言って、ポピー・スウィーティングもまた懐かしそうに笑った。
「その『シリウス』は、私の曽祖父のシリウスですか」
気になったらしいシリウス・ブラックが縛られたままそう訊ねると、ポピーはワタリガラスの頬のあたりを指先でくりくりと撫でながら嬉しそうに弾んだ声色でその質問に答える。
「そうだよー。私たちが7年生だったあの年、シリウスくんは5年生でね。コイツに遭遇する度にすんごく嫌そうな顔するんだ。それが私たちには可愛くってね……もうね、構った構った」
それを聞いて、リーマス・ルーピンはなんとなく、その「知らないシリウス・ブラック」さんを、とりあえず自分がホグワーツに通っていた頃の真っ先に思いついたスリザリン生を――つまりはセブルス・スネイプを材料に想像し、次にルシウス・マルフォイとレギュラス・ブラックが思い浮かんだのでその2人のエッセンスも足し、結果として完成した容姿端麗ですこぶる気難しいおぼっちゃんが人懐っこい他寮の先輩にスキンシップたっぷりで猫可愛がりされている光景を思い浮かべて、頬をこね回されながら力いっぱい抵抗しているところが思い浮かんで、リーマス・ルーピンは大きな声で笑ってしまった。
「――すいません、すいませんお気になさらず」
部屋中の全員に見つめられて、ルーピンは反射的に謝罪して黙った。
「あの人たちを思い浮かべて、なんでそんな顔ができるんだ。あなただって腫れ物扱いされていただろう。私なんかよりずっと酷い扱いを受けていたはずだ」
シリウスは相も変わらず全身を縛り上げられたままビタンビタンと地面を跳ねて納得いかないと全身で示しつつ、機嫌が悪い犬のように唸りながら大叔父のマリウスにそう疑問をぶつけた。
「んー、そりゃあ酷い目にも遭ったし、部長と初めて逢ったあの日の朝は今でもつい昨日の事のように思い出せるけれど、僕はあのあんまり好きにはなれない気がする父と母から生まれて、育ててもらって――まあよく杖を向けられたけど――僕が生まれてきたのはあの人たちが居たお蔭だからね。そこは抗議したって揺らがないし、やっぱりどうしてもイマイチ『最高だ!!!』とは言えないブラック家の、僕だってその一員なんだもの。それにあの人たち悪いとこばっかりじゃないし」
そこまで言って、またマリウスは縄で縛られたまま床でビタンビタンと跳ね続けているシリウスから、壁際に並んだソファに各々座ってチョコマフィンと紅茶をいただきながらまったりとシリウスを鑑賞している「不死鳥の騎士団」の面々へと視線を移して、すぐにまたシリウスへと視線を戻しながら、ニッコリ笑って続きを口にする。
「――っていうのが建前。嘘じゃあないけど、それだけが理由でもない」
ぽかんと口を開けて、床を跳ねるのを止めて静かになったシリウスに、もう何年かすれば孫がホグワーツに入学する歳になるマリウス・ブラックは言う。
「僕、いますっごく幸せだからか、あんまり気にならなくなってきたんだよね。自分の生い立ち」
フィニアス伯父さんはまた捉え方が違うんだろうけど、と締め括った大叔父マリウスの朗らかな笑顔を床に横たえられたまま見上げたシリウスは、マリウスにそれ以上何も言えないようだった。
そして何を思ったのか、リーマス・ルーピンがソファから立ち上がってシリウスの目の前まで、マリウスさんの隣まで近寄ってくる。
「……マリウスさんは素敵な大人だな? パッドフット」
「私が幼稚だと言いたいのかムーニー」
シリウスはルーピンを睨みつけるが、ルーピンはシリウスに微笑みかける。
「先生がさっき言ってたことの意味がやっと僕にも解ったってだけだよパッドフット。……確かにきみは、そこのクリーチャーに、言うべきことがある」
「私がお前を殺してやるぞクリーチャー! お前のせいでハリーの命が危険に晒されたんだ!」
「こらパッドフット!!」
またクリーチャーに吠えかかったシリウスを即座に叱ったルーピンを見ながら、ニンファドーラ・トンクスは皆に聞こえる声でしみじみと呟く。
「私、なんか聞き分けのない飼い犬の躾を見てる気分になってきたんだけど。今ってさ、すっごい大事な話をしてるんだよね?」
「それが察せておるなら静かにしとらんかバカ娘が」
お気楽な弟子に苦言を呈したマッド‐アイ・ムーディも、口ではそう言いつつまたクローディアに声をかけてチョコマフィンをおかわりしている。
ワタリガラスは相変わらず、ポピー・スウィーティングの膝の上ですやすや寝息を立てている。
シリウス・ブラックの全身を拘束していた縄を、ルーピンが杖を振って解いた。
シリウスはどこか不貞腐れたような表情を浮かべて床に座り込み、全部に納得したわけじゃないとか言いそうな目をして屋敷しもべ妖精のクリーチャーを見つめる。
「私はお前がどうしても嫌いだ、クリーチャー」
「クリーチャーは御主人様がブラック家の当主にふさわしい徳を備えた人物にお成りになられていない事を嘆かわしく思っています」
シリウスとクリーチャーは、冷静さと落ち着きを互いに保ったまま、罵り合っている。
「ブラック家の当主にふさわしい徳を備えた人物とはアズカバンで頭を冷やすべき輩の事だ」
「だったらピッタリじゃないかパッドフット。きみこないだまでアズカバンに居っおおう悪かった悪かった流石に失言だった訂正するよそんな顔しないでくれ泣くとは思わなかった愛してるよ」
親友をからかおうとしてちょっと言い過ぎたルーピンは大慌てで発言を撤回し、シリウスはルーピンを睨みつけるのをやめて、マダム・スウィーティングの膝の上のカラスに視線を移す。
「ハリーの命が脅かされたのは、私のせいだ」
シリウスは今や、クリーチャーでも父でも母でもベラトリックスでもなく、自分に怒っていた。涙が流れ始めた理由も、そこにあった。自分の落ち度を自覚してしまったから。
「私はクリーチャーを通して、ブラック家の好ましからざる悪習の全てを見ていた。だからクリーチャーが嫌いだった。クリーチャーを見ると大嫌いな我が家を思い出して最悪の気持ちになるから、クリーチャーにはどうしても優しくしてやる気持ちになれなかった。もちろん個人としてのクリーチャーとそもそも気が合わないというのもあったのだろう。…………それに、クリーチャーを見ていると、…………私は、…………レギュラスを思い出す」
シリウスは、再びクリーチャーに視線を戻した。
「だから私はクリーチャーに対して他の屋敷しもべと同じようには――例えばあの気の良いドビーに対してそうするようには――接しなかったし、すると当然、クリーチャーだってさらに追加で私のことを、もっともっと嫌いになっていった。好ましからざる奴が好ましからざる態度をとってくるんだから、そりゃあ視線も言動も辛辣さと酷薄さを増す一方だろうとも……だからクリーチャーは、魔法史上の多くの屋敷しもべがそうしたように、あのホグワーツのトロフィー室に飾られている『屋敷しもべ用の甲冑』を与えられた屋敷しもべ妖精がそうしたように、雇用主の側はそんなつもりではなかったものを『解雇通知』として受け取った。私の命令には表立っては逆らわないが、私以外にもっと好ましい御主人様を見つけて、そっちの指示に喜んで従った」
そこでマッド‐アイが「嫌いな上司と好きな上司どっちの言う事聞くのかは判りきっとるな?」と吐き捨てるように言い放って、フン! と怒鳴るかのような勢いで鼻を鳴らした。
「そうなんだろう? クリーチャー。私にとってハリーが、そしてハリーにとって私がどれだけ大切なのかを、話したんだろう? 『新しい女主人様』に。あの忌まわしいベラトリックスに」
シリウスにそう問われても、クリーチャーには行動の択が複数あるようだった。
「クリーチャーはその質問に答えないことができます。クリーチャーは新しい女主人様の方が今のブラック家の当主様よりいいのですから」
「おや、淋しいこと言うねクリーチャー。久しぶりに会ったってのにさ」
マリウス・ブラックが通ってきたのと同じ扉を通って現れたその老人を見るなり、ずっと大人しくできていたクローディア・クランウェル=ブラックが大喜びして飛びついていった。
「おじーちゃん久しぶり!! ねえねえあたしが作ったチョコマフィン食べて!!」
「久しぶりだねクローディア。元気そうで良かったよ。美味しそうだね、ひとつもらえるかい?」
このためにわざわざアメリカから情勢の怪しいイギリス魔法界にやってきたフィニアス・ブラックは、抱きついてきたかわいい曾曾孫のクローディアを撫でてやってから、シリウスよりもマリウスよりもクリーチャーよりも先に、そのワタリガラスに話しかけた。
「こないだの手紙に書いてあったこと調べてみましたけど、先輩が予想なさった通りでしたよ。ウチの保護施設に収容してる子たちも、みんな顕著な反応を示しました。先輩が予測なさっていた通り、あの子たちは頂点捕食者じゃあ、ありません。けど、なんで急にこんな事を――」
ワタリガラスはパチリと目を開けてポピー・スウィーティングの膝の上から床へと降りると、魅力的な体型をした20代前半のお嬢さんに戻った。
「そ? ありがとフィニアスくん。……じゃーシリウスくんには断られちゃったから、誰に行ってきてもらうかなー……もうひとりくらい誰か一緒でもいいなー……ねえクローディアぁー」
「なんですかぶちょう。チョコマフィンになりたくなったんですか?」
「クローディアきみ、副部長と一緒にちょっとギリシャ旅行に行ってきてくれないかい?」
派手なゴーグルを別の派手なゴーグルに換えながらそう言った魅力的な体型の魔女はスルッと杖を振って羊皮紙を出現させ、さらにもう一度杖を振ってその羊皮紙にビッシリと文章を印字した。
「あたし行きたいです!!!」
「そう? ありがとね。大事な秘密の任務だから、神秘部のみんなにも言っちゃダメだよ。あと副部長に会ったら、まずこの羊皮紙を渡して『今すぐこれに目を通してすぐ燃やせ』って伝えてね」
わかりました! と元気いっぱいにお返事して、クローディアはフィニアスおじーちゃんが通ってきた扉の向こうへと、パタパタ走って消えていった。
「……あの子は相変わらずみたいですね先輩?」
「うん。かわいいでしょ」
フィニアス・ブラックの問いかけを肯定した派手なゴーグルの魔女はクスクス笑いながら杖を振って、大事な指示を書いた秘密の羊皮紙にクローディアのあとを追わせた。
クリーチャーは立ち尽くしたまま、涙を流しながらフィニアス・ブラックを見つめ続けている。
「――で、なんだって? はじめましてシリウス。僕はフィニアス。きみの曽祖父の弟。きみ、自分のせいでハリー・ポッターが命を脅かされたって? それは違う。ハリーが神秘部で危険な目に遭ったのも、きみが危うく死にかけたのも、それもこれも例のあの人のせいだ。違うかい?」
初対面のフィニアス・ブラックに、しかしシリウスは頑として主張する。
「そうだとも言えるが、それでもクリーチャーに関しては間違いなく私のせいだ」
フィニアスもマリウスもそれ以上何も言わず、ただ黙ってシリウスを、ブラック家嫡流最後の男子でありながらいま少し導きが必要らしい、かわいい親戚の子を見つめている。
そしてシリウスは、クリーチャーの目をまっすぐに見て、自分自身を説得するのに数分を要したものの、結局は観念して、本当はとっくに脳裏に浮かんでいたその言葉を、とうとう言った。
「クリーチャー、今まで悪かった。……私を赦してくれたら…………嬉しい」
クリーチャーはクリーチャーで、喉まで来ている言葉を口にするために、自分自身を説得する時間を必要としているらしかった。
クリーチャーはシリウスと同じように苦渋の表情を浮かべつつ、順序立てて己に言い聞かせる。
「クリーチャーはシリウス様が好きではありません……それは、シリウス様がブラック家の方々を好きではないようだからです……旦那様と奥様の事も、レギュラス様の事も、全て、好きではないようだからです……クリーチャーはシリウス様よりはベラトリックス様の方がいいです……ですが、今。いまは…………クリーチャーは知りました。…………クリーチャーは誇り高いブラック家の皆様が好きです。フィニアス・ナイジェラス様は、アーシュラ様が見ておられたらお怒りになられるだろうとクリーチャーが思うほどお酒をお飲みになられた時には、いつもフィニアス様の名前を呼んでおられました。帰ってきてくれないものか、二度と我が家には入らせない、と。相反する言葉を呟きながら飲み続けて、そのままお眠りになられるのです……」
困った人だねブラック校長は、と派手なゴーグルの魔女とポピー・スウィーティングが呟いた。
「クリーチャーは知りました。フィニアス様は、生きておられた。マリウス様も生きておられた。今日ほど嬉しかった日はありません…………いえ、ありました。クリーチャーは訂正します。ベルヴィナ様が5歳の時に初めてお作りになられた『料理』が、クリーチャーには配膳されなかった時も、とても嬉しかったです。一口食べた直後のアーシュラ様のお顔は今でも思い出せます……」
思考が思い出の果てまで脱線して行きそうだったクリーチャーは、しかしそこでまた目の前のシリウス・ブラックへと意識を戻したらしかった。
「クリーチャーは、シリウス様とベラトリックス様なら、ベラトリックス様がいいです。ですがベラトリックス様とフィニアス様なら、フィニアス様がいいです。フィニアス・ナイジェラス様は、フィニアス様を勘当した事を後悔しておられました。取り消したいとすら仰ったこともあります。しかし他ならぬフィニアス・ナイジェラス様ご自身がお屋敷全体に追加で施した魔法のせいで、それは叶いませんでした。つまり、フィニアス・ナイジェラス様とアーシュラ様の心の内では、フィニアス様はまだブラック家の正当なる一員であられるのです。クリーチャーはそう信じます」
クリーチャーは、いま再び、自分の望みに近い形へと、現状を恣意的に解釈していく。
「ですからクリーチャーは、フィニアス様に従うという選択をする権利も持っています。ですがクリーチャーは知っています。フィニアス様が、フィニアス様ならクリーチャーにこういう時、何と仰るのかを知っています。マリウス様が何と仰るかも知っています。お二人がお生まれになられるずっと前からクリーチャーはブラック家にお仕えしているのですから――」
しかしシリウスよりずっとずっと歳をとっているからなのか、クリーチャーはそこで言葉を切ってしまう。結局自分自身を説得することに最後の最後で失敗したらしいクリーチャーは、縋るような視線をフィニアス・ブラックに向けた。
クリーチャーが欲しているのは、屋敷しもべ妖精にとっての最高法規。御主人様の命令。
そしてフィニアス・ブラックは一瞬だけ甥のマリウスと視線を交わすと、跪いてクリーチャーの手を取り、その自分よりずっと老いさらばえた偏屈な屋敷しもべ妖精の目をまっすぐに見て言う。
きみの御主人様は僕じゃないだろうしょうがない奴だねクリーチャーはと思いながら。
「ねえクリーチャー。どうか、どうかシリウスを助けてあげて。お願いだ」
「もちろんです、フィニアスぼっちゃま…………」
クリーチャーのその返答を聞いて、フィニアスは先程のマリウスと同じように笑う。
「『ぼっちゃま』は、よしてくれないかいクリーチャー。僕もう曾曾孫がいるんだぞ?」
そして、そこでやっと立ち上がったシリウスは、自分の頬を両手で思いっきり叩くと、なにやら決意に満ちた表情でクリーチャーに声をかけた。
「…………お前も一緒にチョコマフィン食べないかクリーチャー」
「いただきます。シリウス様」
すかさずファスティディオがまた追加のソファを出現させ、クリーチャーとシリウスがそれぞれソファに座ったのを見届けた派手なゴーグルの魔女は再びワタリガラスに変身して翼を広げると、ポピー・スウィーティングの膝の上に戻ってまた微睡み始めた。
【ベルヴィナ・ブラック】
マリウス・ブラックの父の妹。フィニアス・ナイジェラス・ブラックの娘。
【シリウス・ブラック】
シリウス・ブラック1世。フィニアス・ナイジェラス・ブラックの兄。享年8歳。
【シリウス・ブラック】
シリウス・ブラック2世。皆様よくご存知のシリウスは3世。
フィニアス・ナイジェラス・ブラックの長男。1877年生まれ。つまりレガ主とホグワーツ在校期間が被っている。ホグワーツ・レガシーにも名前だけ登場する。
【フィニアス・ブラック】
フィニアス・ナイジェラス・ブラックの次男。家系図に表記が無いので生没年不明。レガ主とホグワーツ在校期間が被っている可能性がある。ホグワーツ・レガシーに名前だけ登場する。
マグルびいきが原因で勘当された。
勘当されたのならその時点でブラック家の一員には数えられないはずなので、生きていても家族がいても別に公式設定と矛盾はしないんだ(強めの幻覚)
なんで勘当されたのかってマグル生まれと結婚して婿入りしたからなんだ(強めの幻覚)
【アーシュラ】
フィニアス・ナイジェラス・ブラックの妻。
【クリーチャー】
いつからブラック家に仕えているのか不明な、お年寄りの屋敷しもべ妖精。
思想はブラック家の標準的なものに準ずる。つまり純血主義。
原作者曰く、享年666歳。(それが西暦何年なのかは不明)
※屋敷しもべ妖精の平均寿命は200年。