104年後からの今 作:requesting anonymity
「ウィンガーディアム・レヴィオーサ!」
本人としては「なぜかあっという間に」スリザリンの同級生たちに名前を覚えてもらえたマファルダ・プルウェットは、入学して1週間もしない内に「マグル生まれ」の「プルウェット」という素性の物珍しさ以外でもスリザリンの同級生たちに知られるようになってきていた。
「素晴らしい! ミス・プルウェットはスリザリンに5点をもたらした!」
他ならぬ、その目を瞠るほどの優秀さによって。
「あなたスゴいわねマファルダ」「やっぱりパパとママが言ってたことって間違いなのね」
呪文学の授業を終えてすぐ、次なる「闇の魔術に対する防衛術」とやらの教室への移動中にルームメイトのフローラとヘスティアからそんなふうに褒められても、マファルダの頭の中は「ホグワーツって先生たちまで不思議でいっぱいなのね」という無邪気な驚きでいっぱいだったが、しかし好奇心で頭の中をいっぱいにしながらでも、仲良しの双子姉妹との会話に応じることはできた。
「褒めてくれてありがとう。ねえ、アナタたちのパパとママは正確にはなんて言ってたの?」
「『スクイブには魔法力が無いのだから、スクイブの血から魔法族が生まれるわけはない』って。『そもそもスクイブの親から優秀な子なんて生まれるわけがない』って。純血の魔法族からでないと優れた魔法使いも魔女も生まれないって」
フローラに続いてヘスティアがマファルダに問いかける。
「でもマファルダ。アナタの父親は――」
「純血のスクイブ。そうよ?」
マファルダは自信たっぷりにそう返答し、フローラとヘスティアはそんなマファルダに、入学前から父や母などから言い聞かせられていて、2人きりの時にこっそり首を傾げていた「一般常識」を、お互い以外で初めてできた友達に投げかける。
「自分の家系が先祖代々全員魔法使いかどうかって、自分が優秀かどうかとは実は関係ないんじゃないかしら? もしかして、私たちのパパとかママとかは、間違ってるんじゃないかしら?」
ドラコやダフネやアストリアなどの他の純血家系のお兄さんお姉さんたちとすら数えるほどしか遭遇した経験がなく、それどころか家の敷地の外に出た記憶すらほとんど無い双子のフローラ・カローとヘスティア・カローは、とにかくカロー家の者でない誰かとの交流に飢えていた。
「関係ないぞカロー。ぜったいに、まちがいなく、なんの関係もない」
そんなこと訊かれてもと思ってしまったマファルダが何を言うよりも先に、階段の下からそんな声が響いてきた。
「おれがその証拠だ」
スリザリンの6年生、グレゴリー・ゴイルは大きな声でそう言い放つと、ドスドスと3人の隣を通り過ぎて階段を昇っていった。
もしかして会った事あったりするのかしら、だとしたら失礼しちゃったかしらと懸念したフローラは、自分と同じくヘスティアにも見覚えなど無いと理解していながら、一応訊いてみた。
「……今のお兄さんだあれ? 知ってる?」「知らないわよ、知ってるでしょ。マファルダは?」
無言で首を振って「知らない」と訴えたマファルダは、またガッシリした体型の上級生が階段を昇ってきたのを見て、体ごと脇に避けた。
「ゴイル、ゴイル! 教科書!」
明らかに1人分ではない量の本を抱えてドコドコと階段を昇っていった上級生の男子が去ったので、元通り横に広がろうとしたマファルダとカロー姉妹はしかし数秒後にまた下方から上級生らしき声が近づいてきて、階段というものは縦一列で通るのが利口なのだとようやく理解した。
「クラッブ、ゴイル! おいこのバカども――アヴェンジグイム!!――お前ら2人共なんだってよりにもよって杖を忘れて置いていけるんだ! お前らそれでも魔法使いか!!」
2本の杖に魔法をかけて持ち主を追わせたそのお兄さんと、すぐ後ろをクスクス笑いながら優雅に歩いている柔和な佇まいのお姉さんに、カロー姉妹は見覚えがあった。
「あ。あなたはノットね。おはよう」「あなたはグリーングラスね。おはよう」
「おはようカロー」
フローラとヘスティアに声を揃えて挨拶を返してくれたセオドール・ノットとダフネ・グリーングラスは、そのまま2人してスタスタと階段を昇っていった。
通りがかった上級生たちに挨拶しそこねてしまったマファルダは、次また遭遇した時に謝ろうとか考えながら、フローラとヘスティアの間に挟まって迷路のようなホグワーツ城内を進む。
闇の魔術に対する防衛術の教室がどこにあるのか知らないので、先頭は歩けないのだ。
まさか2人も次の授業が行われる教室の場所を知らないとは、まさか先頭を歩いているフローラが心の中で途方に暮れているとは、マファルダは想像すらしていなかった。
たとえ如何なる育ちをしていようが、両親からどれだけ話で聞かされていようが、まだ入学から一週間も経っていない以上、1年生にホグワーツ城の内部の把握など、できるわけがないのだ。
なにしろ、あのアルバス・ダンブルドアですら未だ把握しきれていないのだから。
次の授業が行われる教室はどこにあるのか、そこにはどの階段と廊下を通ればたどり着けるのか、もしくは一度建物の外に出て渡り廊下や吊り橋を経由する必要があるのか。
そしてなにより、同級生たちがヒソヒソと噂している「隠し部屋」は、本当にあるのか。
さっき通りがかったハッフルパフの男子3人や、昨日の授業で一緒だったグリフィンドールの女子グループがまことしやかに情報交換していた「ホグワーツには秘密の隠し部屋があるらしい」というささやき声を聞き取ってしまったフローラとヘスティアのカロー姉妹は空き時間を工面して、もしくは昼食を早めに済ませたりしてそれを探してみようと、このホグワーツ城を探検してみようと、どちらからともなく視線を交わして心に決めていた。
傍目には全くの無表情に見えるフローラもヘスティアも、実の所、とってもわくわくしていた。
そして午前中の授業を全て終えて大広間での昼食も手早く切り上げたフローラとヘスティアは、溢れてくる好奇心を抑えられずに、他の生徒たちよりかなり早く大広間を飛び出した。
もちろんマファルダも誘って。
「午後の最初の授業は薬草学」「温室の場所と行き方はノットが教えてくれたから大丈夫」
そう言ったフローラとヘスティアは2人同時にマファルダの方を向いて、ほんのりと笑う。
「さ、探検しましょう」
まだどっちがどっちか判らないフローラとヘスティアのカロー姉妹は、しかしマファルダにとっては既にホグワーツで一番大切な友人となっていた。
「まずはどこに行くの2人とも?」
「私たちね、校長室がどこなのか気になってるの」
それじゃあそうしましょうとマファルダが言って、3人はなんとなく階段を昇り上階へ向かってみることにしたのだった。
「校長先生って学校で一番偉いんだから、きっと高いところにいるわよね」
「階段のごきげんが良いうちに渡りましょう……ここ、よく見たら肖像画だらけなのね?」
自分で言った端から脚を止めてしまったフローラ・カローが平たい嘴の小動物の絵に一瞬気を取られている間に、3人が今もう渡り切ろうとしていた階段は角度を変え、一部が壁に引っ込んで消え、違う壁から追加の階段が現れて、数秒でこれまでとは全く別の階の、別の廊下に接続された。
これがホグワーツ城の数多い名物のひとつ「大階段の塔」であり、ロウェナ・レイブンクローその人が施したと伝わる魔法によって常に気まぐれに現れ引っ込み角度を変えて、あちらの廊下やこちらの棟と接続されたり道が途切れたりするために、タイミングを見極めて素早く渡ってしまわなければ、予定とはまるで違う階の違う廊下に辿り着いてしまうのだ。
大急ぎで登ろうとしたはずの階段を気づいたら駆け足で下っていた、という経験をしたのは、何も1年生の時のネビル・ロングボトムに限った話ではないのである。
上り階段が上り階段のままであっただけでも、彼女たち3人は運が良かった。
そしてもうひとつ彼女たちの運が良かったのは、彼女たちは3人とも自分たちがたどり着きたい部屋がどこにあるのかを知らないために、歩みを進める先を「なんとなく」で選んでおり、結果たった今この階段が接続する先を変更した事によって、進むはずだった大間違いの方向から、いくらか正解に近い方向へと導かれたという点だった。
なんとなく階段を登り、なんとなく角を曲がり、またなんとなく階段を昇って、フローラとマファルダとヘスティアはその「行き止まり」の前までやってきた。
「ここが校長室の入口なのかしらね?」「やっぱり魔法がかかってるのかしらね?」
「扉のふりしてる壁、とかもあるってフレッドとジョージのどっちか判らない方が言ってた」
この先にまだ何かがあるのかそれとも無いのかと考えを巡らせている3人に、目の前の青い扉に据え付けられている、鷲の形のドアノッカーから唐突に問いが投げかけられた。
「鏡を見たボガートは何に変身する?」
フローラとヘスティアは顔を見合わせてから、2人で同時にマファルダを見る。
「なぞなぞかしら?」「これに正しく答えたら入れてもらえるのかしら?」「何かしら。ボガートが鏡を見る?」「ボガートの怖いもの? ボガートって『怖い』とかあるのかしら?」
フローラとヘスティアはまたお互いを見て、鷲の形のドアノッカーに、2人同時に言う。
「大笑いしてる人間?」
鷲の形のドアノッカーも扉自体も何の反応も示さないので、フローラとヘスティアは自分たちが今した解答は正しくなかったのだと理解した。
一方でマグル生まれのマファルダ・プルウェットは、問題の前提を知らなかった。
「ボガートってなあに?」
フローラとヘスティアは全く同時にちょっと目を丸くしてから、家にあった本を2人で読んでいた日々の記憶を思い起こしながらその質問に答える。
「ボガートは『まね妖怪』よ」「タンスの中とかの暗くて閉ざされてる場所にたまーに潜んでいて、うっかり開けた人間を脅かすの」「その人が『心の底で最も恐れているもの』に変身してね」「つまりボガートに出くわした人から見れば、タンスとかキャビネットとかを開けたら、その途端に中から自分が何より恐れているものが出てくるわけね」「ヤよね?」「だからボガートが本来どんな姿をしているのかは、たぶん誰も知らないわ」
フローラとヘスティアの説明で問いかけの意味を理解できたマファルダは、少し考えてから鷲の形のドアノッカーに「もう一度言ってくれるかしら」とリクエストした。
「鏡を見たボガートは何に変身する?」
「…………何にも変身しないわ。だって鏡は何かを怖がったりしないでしょう。……そうよね?」
魔法の世界の鏡はもしかしたらママに叱られるのが怖かったりするのかしらとマファルダは懸念していたが、その不安な気持ちはすぐに払拭される。
「よく考察しましたね」
鷲の形のドアノッカーが昔の魔女なのだろう誰かの声でそう告げるのと同時に、扉は開いた。
どういう風に考えたのかを教えてほしいと、鼻と鼻がくっつきそうな距離まで寄ってきて自分を見つめているフローラとヘスティアの目から読み取って、マファルダはおずおずと語りだす。
「私たち『鏡を見たボガートは何に変身する?』って訊かれたでしょ? だから『鏡を見ているボガートを見ている私』がそこに居るとしても、まだボガートは鏡を見ていて私を見ていないんだから、私の怖いものには変身しないわ。今は、まだね。それに『鏡に映った自分自身を見たボガートは何に変身する?』でもなくて、あくまでも『鏡を見たボガートは』って言ったでしょ――」
「おーや、よその寮の1年生が入ってこられるとはね。歓迎するよ、ミス・プルウェット」
扉の向こうに居た知らない男子生徒にそう声をかけられて、マファルダはすぐさま口を閉じた。
「僕はアンソニー・ゴールドスタイン。きみはマファルダ・プルウェットで、きみたちはフローラとヘスティアのカロー姉妹だね? レイブンクローの談話室にようこそ」
ちょっとびっくりしながらも「こんにちは」とフローラとマファルダと一緒に挨拶を返したヘスティア・カローは、そのレイブンクローの6年生に問う。
「もしかしてここって校長室じゃあないのかしら?」
「そうだね。ここは校長室じゃなくてレイブンクローの談話室だよ。ここに入ってくるには鷲の形のドアノッカーが出す問題に正しく答えなければいけなくて、答えられなければレイブンクローの生徒でも入れないし、答えられれば他寮の生徒でも入っていいし、単に誰かが自分の代わりに答えてくれるまで待ってもいい…………ちょうどそこの2年生たちのようにね」
自力で答えられるに越したことは無いよと監督生のゴールドスタインから言外に釘を刺されて、2年生の男子数人は少し恥ずかしそうにしながらそそくさと寝室に引っ込んでいった。
「私たち校長室に行ってみたいんだけど、どこにあるのか教えてもらえる?」
全く同じ顔をしているようにしか見えないスリザリンの双子の女の子たちにそう訊かれて、アンソニー・ゴールドスタインは快く情報を開示する。
「大階段の塔を一番上まで登ると過去に生徒が獲得したトロフィーとかが飾ってある部屋に行き着くんだけど、校長室はその更に上にあるよ――でも、校長室に入るには合言葉が必要だよ?」
「いいの。私たち行ってみたいだけだから。大階段のてっぺんね?」
「うん。トロフィーとかがいっぱい飾ってある部屋の奥に、気まぐれに動いたりしない階段があるから、それを登った先にあるガーゴイル…………のような、鷲かグリフォンか何かのような……とにかくそういう大きな像があるから、それに合言葉を言うんだ。何が合言葉かは知らないけど」
その言葉を頭の中で繰り返してから「教えてくれてありがとう」と感謝を述べて頭を下げたフローラとヘスティアの間から、マファルダはアンソニーに訊く。
「ところでアナタお昼は食べなくていいの?」
「大広間に行かなくても、わりとどこからでも調達できるもんだよ。ま、連日そんな真似してたらフリットウィックが心配するけど……ちょっと自主練習に時間を割きたくてね」
そろそろ無言呪文を習得しなければマズいと焦り始めている6年生は、アンソニー・ゴールドスタインだけではなかった。
今や闇の魔術に対する防衛術だけでなく呪文学や変身術でも要求され始めた「無言呪文」は、どうやら今年度の最難関ではなくN.E.W.T.レベルの教育においては前提と言える基礎技能だったらしいとここ数日で考えを改めさせられた6年生たちは、授業内容の難化に戦慄すると同時に、特に各々の得意科目に関しては、ある種の高揚を覚えてもいた。
それは、初っ端でこれなら今後は一体何を教えてもらえるのだろうという、熱い期待である。
「トロフィーだらけの部屋ってここね」「何かしらこれ。屋敷しもべ用の甲冑…………?」
マファルダと一緒に大階段の塔の最上層までやってきたフローラとヘスティアは、また通路の途中に展示されていた品に気を取られて脚を止めた。
「着るものをあげたら、『あなたはクビよ』って伝えたことになるのに?」
誰が作ったのよこんなものと思いながら、フローラとヘスティアは呆れている。
「屋敷しもべってなあに?」
マファルダがそう訊くと、フローラもヘスティアも「何をバカな」とでも言いそうな、不意を突かれたような感情の空白が顔全体に表れた。
「屋敷しもべは屋敷しもべよ。知らない?」「もしかしてあなたの家には居ないのマファルダ?」「屋敷しもべ妖精。ある程度以上の大きさの家には、そのうち向こうからやってくる」「雇いませんか、って」「どんな命令でも聞いてくれるし、とっても手際が良いのよ」「でも、パパとママが命令してるのを見て思ったんだけど、『どんな命令でも聞く』っていうのはね。嫌がらないって意味じゃあないの。嫌なのよ。ちゃんと。嫌な命令はね。でも、従うの」「それが屋敷しもべの道徳だから」「それで、屋敷しもべに『着るもの』を与えることは、解雇するって意味になるの」
そこまで説明してもらえれば目の前の小さな甲冑が如何なる理由でここに展示されているのか、どこに奇妙さとストーリー性があるのかを理解できたマファルダが何をまだ理解していないのか。フローラとヘスティアは純血を標榜するカロー家で生まれ育ったために、気づいていない。
フローラとヘスティアはひとつ、屋敷しもべについてマファルダに伝えていない情報があった。
2人はその情報を意図的に省いたわけではなく、隠そうとしたわけでもなく、単にあまりにも当然の事実だったので、説明する必要があるとすら考えていなかったのだった。
魔法界の多くの屋敷しもべ妖精たちが通常、どのような扱いを受けているのかを。
屋敷しもべ妖精たちは、特に一部の純血主義者たちにとっては部下や従僕ではなく「道具」、それもいざとなれば使い捨てにもできる、替えの利く道具だということを。
他でもない、フローラとヘスティア自身も、自分たちに優しくしてくれるカロー家の屋敷しもべ妖精を、愛着は抱きつつも「お気に入りの道具」だと認識していた。
2人は未だにその価値観しか知らないので、意識改革などできるはずも無かった。
不死鳥の殺害を試みる者などいないのと同じように、フローラもヘスティアも屋敷しもべを自分たちと対等の存在だとは、全く考えたことが無かった。
しかし今、既にフローラとヘスティアの隣には、マファルダ・プルウェットがいる。
「ねえ、一緒にあっちに行ってみましょ?」
マファルダにそう声をかけられて、フローラもヘスティアも喜んでついて行く。
「あら、ここかしら。ガーゴイル……」「これガーゴイルなの? ワイバーンじゃない?」「鷲にも見えるわ。ヒッポグリフかも」「ドラゴンかしらね?」
これがさっきレイブンクロー生に教えてもらったやつなのだろうと思いながら、3人はその大きな翼のある生き物の像の前に立っている。
「合言葉が必要なんだったわね」「何かしらね?」「んーー。『私のかわいいヒッポグリフ』?」「『あなたのたくましいホーンド・サーペント』じゃないかしら?」「違うのね。なら『こんどはアナタが上になって』?」「『いつもみたいに思いっきりブラッギングして』?」
2人が急に次から次へと何を言い始めたのかをうっすら察せてしまったマファルダは、耳まで真っ赤にしながら慌ててフローラとヘスティアを制止する。
「ちょっと、ちょっとダメよ2人とも! どういう意味の言葉なのかサッパリだけど、多分ダメよそれは! ねえ、それアナタたちどこで聞いた言葉なの!」
「夜の遅い時間にパパとママの寝室の前を通ると、たまに聞こえてくるの」「たぶん何か秘密の暗号だと思うの」「フローラと一緒に考えても解らなくてね」「パパとママは教えてくれないのよ」「屋敷しもべたちもパパとママに口止めされてるみたいだし」「マファルダあなた知ってる?」
自分の心が汚れているだけなのではなかろうかという懸念が払拭されてしまったマファルダは、耳も首も顔も真っ赤なまま、大慌てで弁明する。
「しっ、知らないわ! 知ぃらないわよ! あたしなんにも知らないんだから!」
正しい知識を持っているのは、今のマファルダにとっては、恥以外の何物でもなかった。
「あらアナタも知らないの?」「じゃあ今夜一緒に考えましょ?」「それで合言葉だったわね」「パパとママはあと、なんて言ってたかしら――」
フローラとヘスティアは2人して至って真剣に考えているが、マファルダはもうこの場に居るのも恥ずかしくて恥ずかしくてたまらなかった。
ホーンド・サーペントとは何なのか、見たことも聞いたことも無いのにマファルダにはくっきりハッキリと思い浮かべられてしまっていた。
「『ウロンスキー・フェイント』?」
「ペロペロ酸飴」
本来の用法とは異なる淫猥な隠語をそうとは知らずに連呼していたフローラとヘスティアの背後から、知らない誰かの声がした。
自分たちの目の前の壁を占有していた像がせり上がっていってその下から螺旋階段が現れるのを、フローラもヘスティアも目を好奇心で煌めかせながら見つめている。
「おや、きみたちも校長先生に用があるのかい? 一緒に来るかい?」
「入っても良いのかしら」「怒られないかしら?」
「ウチの部長が生徒だった時代ならともかく、今はもう平気さ。校長が違うからね」
誰だか判らないその人を一切警戒していないように見えるフローラとヘスティアをよそに、マファルダは少々怯えながらも、しかし冷静に訊いた。
「あなた、だあれ? あなたも先生?」
「僕かい? 僕は去年ここで『闇の魔術に対する防衛術』の講師をしていた人の部下だよ。僕は神秘部で副部長をしてる。それに加えて研究もしてるけど、それについてはちょっと言えない」
マファルダにとってその説明は何も教えてもらえていないのと同義だったが、しかし目の前の背の高い老人がホグワーツの先生ではない外部の人間であることだけは理解して、マファルダはさらにもう一度、今なぜか教えてもらえなかった、普通自己紹介をする時にまず伝えるはずの、魔法使いであろうがマグルだろうがなんだろうが関係のない、最も基本的な情報を訊ねた。
「私、マファルダ。マファルダ・プルウェット。1年生よ。あなたは?」
「ああ、そういえば名乗ってなかったね。これはどうも失礼した。僕は――」
その魔法使いが名乗った名前を聞いて、ああそういう名前の人なのね覚えておかなきゃとすんなり受け入れたマファルダは、2人の様子がおかしいと気づくのに数秒かかった。
フローラもヘスティアも、驚愕のあまり目を剥いたまま固まってしまっていた。
「…………ねえ、ねえどうしたの? そんなにスゴい人なの? この人。有名なの?」
マファルダにそう訊かれたフローラとヘスティアは、辛うじて一言だけ返答できた。
「初めて聞く名前だからビックリしてるの」「聞いたことがない名前だからビックリしてるのよ」
名乗られてすんなり受け入れるよりも、大いに驚愕するというフローラとヘスティアが示した反応の方が見慣れているらしく、その魔法使いはマファルダを興味深げに見つめる。
「初めて会った人に僕が自己紹介すると、だいたいみんなビックリしてくれて楽しいんだけどね」
「私マグル生まれなの。だから魔法使いの有名人って、全然知らないの。ごめんなさいね」
「おや、これはこれは珍しい客だ。校長になんの用かね副部長どの」
1年生3人の後ろにいつの間にか居たその人物を見た神秘部副部長とやらを務めているらしい魔法使いが一瞬だけ驚いたような表情をしたのが、マファルダにはわかった。
「おや、僕のほうこそビックリです。まさかこんなところでお会いできるとは。お久しぶりですスネイプ先生。お元気そうで何よりです」
「よくもまあヌケヌケとそんなセリフが吐けるものですな、『副部長どの』。吾輩への当てつけですかな。それとも吾輩の秘密でも握っているおつもりでおられるのですかな?」
神秘部副部長を務める魔法使いは、スネイプにそう言われた途端、クスクスと笑い始めた。
「――いや、いやすいません。もちろん僕はスネイプ先生の秘密なんて何も知りませんよ?」
思いっきり眉間にシワを寄せたスネイプ先生は今の言葉を全く信用していないのだろうと、嘘だと見抜いたか、さもなければ嘘だと決めつけているのだろうと、マファルダは思っていた。
「あの、あのすいません。お二人はその、仲が悪いのですか?」
マファルダにそう訊かれても、神秘部副部長は相変わらずクスクスと笑い続ける。
「まさか。ただ何度かこちらのスネイプ先生に殺されそうになったことがあるだけですよ。今は昔。懐かしい青春の思い出です」
その言葉を聞いて、今度はスネイプが何かを諦めたように笑った。
「あれを青春と表現するとは。…………ますますどこかの誰かに似てきましたな」
「あなただってあの頃は生き生きしてらっしゃったじゃないですか。スネイプ先生」
その魔法使いとスネイプ先生の会話が終わりそうになかったので、マファルダは未だにビックリし続けていたフローラとヘスティアの手を引いて、校長室の中がどうなっているのか確かめるべくズカズカと階段を登って無礼にも校長室に侵入した。
「わっ、わあ…………!」
よくわからない貴重そうな道具がいっぱいあると、それがマファルダが抱いた第一印象だった。
むかし絵本で読んだ「れんきんじゅつしニコラス・フラメル」のおうちがこんな感じだったわねと、フローラとヘスティアは思っていた。
「あれ何かしら」「勝手に貰っちゃダメよね?」「お菓子が置いてあるわフローラ」
一見すると表情があまり変わっていないように見えるのと、そんなに声が大きくないのとで物静かなような印象を与えるフローラとヘスティアが実際のところは、恐らくはホグワーツに入学するまで自宅の敷地から出た経験すら乏しいせいで、わりと行動的で目が離せないと、双子ってみんなこうなのかしらと想像しつつ、マファルダはフレッドとジョージを思い浮かべながらフローラとヘスティアがお菓子を勝手にとって食べ始めたのを眺めていた。
フローラとヘスティアは空中に浮かび上がって、数秒で降りてきた。
「フィフィ・フィズビーは気に入ったかの」
「わ゙あ校長先生!! アナタがきっと校長先生ごめんなさい何にもしてないですホントよ!!」
怒られちゃうと確信しているマファルダは大慌てでフローラとヘスティアの手を引っ掴むが、フローラもヘスティアもまだお菓子を名残惜しそうに見ており、部屋の奥から表れたその半月メガネの老魔法使いもいたって穏やかな佇まいだった。
「いかにも。儂がこのホグワーツの校長、アルバス・ダンブルドアという名前の年寄りじゃ」
しかしマファルダは、ダンブルドアがどんな人かなど、何も知らない。
「ごめんなさい何にも盗ってませんお邪魔しましたほら行くわよフローラもヘスティアも早く!」
一刻も早く立ち去らなければ罰則とか貰っちゃうかもしれないと、フローラとヘスティアを連れて今すぐ逃げなければと、マファルダの頭の中はそんな焦燥でいっぱいだった。
脱兎のごとく逃げていってしまったミス・プルウェットとカロー姉妹を見送って、アルバス・ダンブルドアは紅茶片手に優雅に笑っていた。
「もーーう……心臓に悪い人ね校長先生って……あなたたちなんでそんなに落ち着いてるの……」
「だってダンブルドアだもの」「あの人そんなすぐ怒る人じゃないもの。有名よ?」
もう大広間に昼食の続きを食べに戻るのではなく次の授業が行われる温室の方に直接向かうべき時間になっているはずだと考えたマファルダは、フローラとヘスティアにもそう伝えてから、いま来た道を逆向きに通って、さっき登った階段を降りる。
「おお、おお…………なんてことですの……なんて事……ああ……………!!」
気まぐれな大階段の塔をいくらか降りたところで女の人が嘆き悲しんでいるらしい声が聞こえてきて、マファルダもフローラもヘスティアも脚を止める。
「なんて事……なんて事…………」
水晶玉を抱えてこっちに歩いてきていたのは、分厚い大きな丸メガネをかけた、トンボのような印象を与える、何歳なのやらよくわからない魔女。
「あなたたち、あなたたちは別行動などしてはいけませんわよ! 2人一緒に居なければ!」
「え、あ。はい……」「私たちは、いつも一緒にいるんだけれど……」
この人がたぶん組分けの儀式のあとで校長先生が言っていた「占いに専念なさるので授業をなさらない占い学のトレローニー先生」なのだろうと推察しながら、フローラとヘスティアとは少し違う理由で、マファルダは大いに困惑していた。
その推定トレローニー先生が、フローラとヘスティアではなく2人の頭上の何も無い空中に話しかけていると、マファルダは鋭敏に見て取っていたから。
「行くわよフローラ、ヘスティア…………」
あの人いったい何が見えてるんだろうと戦慄して、マファルダは「近寄らないようにしよう」と、今また滂沱の涙を流しながら階段を登っていった大きな丸メガネの魔女を脳内で危険人物に分類しながらフローラとヘスティアの手を握った。
怖かったから。
「あらマファルダ、手を繋いでほしいの?」「いいわよ。手を繋いであげるわ、喜んで」「あれがたぶんトレローニー先生よね? あんなバンシーみたいな人だったのね……」「ね……」
そして温室へと向かう歩みの途中で、マファルダはもうひとりの、危険人物の筆頭と遭遇した。
「あらマファルダこんにちは。あなた次の授業はなあに?」
「こんにちはハーマイオニー。……薬草学よ」
撫でたいと顔に書いてあるハーマイオニーが、マファルダは苦手だった。フローラとヘスティアがハーマイオニーとその両隣のロンとハリーや他のグリフィンドールの6年生たちに挨拶しているのを聞きながら、マファルダは「早くどっか行きなさいよ」と、ハーマイオニーをギュウっと睨んで念を送り続けている。
「お友達ができたのねマファルダ。良かったじゃない」
「この子がフローラ。こっちがヘスティア。ルームメイトなの」
当たり障りのない会話をさっさと済ませて早く温室に逃げ込んでしまおうと、マファルダはあえてハーマイオニーに自分の方から追加で話しかけた。
「それで、ハーマイオニーは今から何の授業?」
「魔法生物飼育学よ。なんでも先生のホーンド・サーペントを見せてくれるらしいの」
ハーマイオニーが声を弾ませてそう言った途端、マファルダは耳まで真っ赤になった。
「んな、なっ、なっ…………なん、ハーマイオニー、あなた、あなたたち…………」
ハーマイオニーの背後にいる別なグリフィンドールの6年生の女子や、その隣のハッフルパフの制服を着た似た雰囲気の女子を見つめて、またハーマイオニーに視線を戻して、マファルダの顔はますます赤く赤く染まっていき、目には俄に涙がたまり始める。
ホーンド・サーペントという単語が意味するものを、マファルダはハッキリ思い浮かべている。
「…………何、どうしたのマファルダ?」
「あっ、はっ……なっ、はっ……ハーマイ、オニーの…………ハーマイオニーのドスケベ!!!! あなた学校をなんだと思っているの?? もう、もう信じられない!!! ヘンタイ!!! その先生も先生よ!! 誰よそのヘンタイ教師は!!!! なんの授業をしているのよ!!!!」
全力疾走で逃げ去ってしまったマファルダを追いかけるフローラとヘスティアの背中を眺めながら、ハーマイオニーは全くわけがわからず、ロンやハリーに助けを求めるような視線を投げかけながら、ただひたすらに困惑しきっていた。
どうやらマファルダは何らか勘違いをしているらしいとは推測できても、マファルダがなぜあれほどまでに激烈な拒否反応を示したのかは、如何にハーマイオニーとて、察せるはずもなかった。
「わたっ、私なにか……変なこと言ったかしら?」
そう呟いたハーマイオニーが赤面し始めている事を、ロンでさえ指摘しようとはしなかった。
【ブラッギング】
本来の用法ではクィディッチの反則のひとつを意味する単語で、試合中に相手チームの選手の箒を掴むこと。マクゴナガルがブーイングするくらいには卑怯千万の行いで、つまり如何にラフプレーの多いチームとの試合でも、滅多に発生するものではない。
原作では1994年(1993年度。ハリーたち3年生時)にドラコがハリーにやらかした。
【ペロペロ酸飴】
文字通りのお菓子。酸っぱくて、舐めると舌に穴が開く。