104年後からの今 作:requesting anonymity
アストリア・グリーングラスにとって、ドラコ・マルフォイはずっと、一貫して、親切で優しいお兄ちゃんだった。お勉強もできて魔法も上手だしいっぱい一緒に遊んでくれるので、まだお姉ちゃんだってホグワーツに入学する前だった小さい頃、お互いのパパとママに紹介されて初めて会ったあの日からずっと、アストリアはドラコのことが大好きだった。
それは最初は、優しい年上の男の子への、単なる憧れだった。
アストリアは未だに自分がドラコに対して抱いている憧れの正体など考えたことも無かったが、そんなアストリアをいつも見ている姉のダフネは、妹がドラコと話している時の様子から、もしかすると既に単なる純粋な憧れではないのではなかろうかと推測していた。
アストリアったらいつの間に恋なんてできるようになったのかしらと、ダフネは驚いていた。
去年スリザリン生たちがあの先生に紹介してもらった当初は「永く使われていない地下倉庫」といった様相だったこの「地下聖堂」は、今では皆がそれぞれに持ち込んだ私物やら本やら家具やらがそこらに散在しており、そのせいで4寮全ての談話室をごちゃ混ぜにしたかのようにカラフルでモノだらけの、居心地は良いが整理整頓とは無縁の広くて雑多な空間になっている。
そんな「地下聖堂」で他の皆と一緒になってカーペットに直接座っていたダフネ・グリーングラスは、妹がこの部屋に入ってきたその瞬間に、抱きしめてあげなければいけないと確信した。
「ドラコが、ドラコがぁ……あのね、ドラコがね――」
あの先生の詳細不明の古代魔法とやらでスリザリンの談話室に接続されている壁から不意に現れて勢い良く姉に抱きついたアストリア・グリーングラスを、そこにいる全員が見つめている。
「落ち着いてアストリア。何があったのか、お姉ちゃんに話してくれる?」
今年のホグワーツが始まってからドラコが一度もこの「地下聖堂」に姿を見せていないのを不審に思っていたのは何もアストリアだけではなかったが、しかしドラコに会うのを明確に目的のひとつにして毎日欠かさず地下聖堂に来ているのはアストリアぐらいだったし、ドラコを廊下で見つける度に、たとえどんなに遠くからでもその背中を追いかけるのも、アストリアぐらいだった。
だからこの日もアストリアは1階メインホールにある階段の途中にドラコらしき後ろ姿を見つけてすぐさま追跡を開始したし、頑張って追いかけて追いかけて追いついて捕まえて、なんで地下聖堂に来てくれないのかを、訊いてみようとしたのだ。
「もう僕に近寄るなって、ドラコがあたしに言ったの」
消えそうなほどの小さな声でどうにかそう言った妹をダフネ・グリーングラスはますます強く抱きしめたが、それでもアストリアは泣かなかった。
「マルフォイの奴はアナタのことがキライになっちゃったんじゃなくて何か――」
大慌てで言葉を紡ごうとした姉が最後まで言い終えるよりも先に、アストリアはまたしても周囲の皆がしっかりと注意を向けていなければ聞き取れないほどの小さな声で、ぽつりと言う。
「あたしドラコを助けてあげたいのに、どうしたらいいか判らないの。だって、ドラコはあたしにイジワルしないもの。ドラコは優しいもの。なのにそんなドラコがあんなこと言うなんて、きっと誰かイジワルな人に、呪いをかけられてるんだと思うの」
今この「地下聖堂」に居るグリフィンドール生たちは全員が「優しい? マルフォイが……?」と心の中で首を捻っていたが、その時ハーマイオニーやシェーマスと全く同じ怪訝そうな表情を浮かべていたハリーは、ブレーズ・ザビニが真っ直ぐこちらを見ていることに気付いた。
「お前なにか知ってるんじゃないのかポッター」
「ハリーがなんでマルフォイなんかにわざわざ魔法をかけなきゃいけないんだザビニ」
ロンが反射的にそう抗議したが、ザビニはそんな回答がほしいのではなかった。
「ああ悪い、違う違う。言葉足らずだった――お前なにか『ルシウス・マルフォイの失態』について、知ってるんじゃないのかポッター」
去年からボンヤリと危惧していた事態が現実に起きたのだと、ザビニは直感していた。
「なあポッター。失態を犯した部下に、闇の帝王はどう対処する?」
「クルーシオかアバダケダブラ」
さらりとそう答えたハリーに、ザビニは寿命でも宣告されたかのように深刻極まる暗い表情で追加の質問を投げかける。
「それでも足りないと、ただ痛めつけたり殺すだけでは済まさないと闇の帝王が考えていたら?」
そう訊いてきたザビニが何を言いたいのか、まだハリーはイマイチ理解できていない。
「…………マルフォイがヴォルデモートに何かされたって思ってるの? なんでわざわざ? ヴォルデモートだってそこまで暇じゃないだろう?」
ハリーは意味が解らないとでも言いたげにそう訊き返したが、ザビニは暗い声色で即答する。
「父親のやらかしのツケを支払わされているとするなら、辻褄が合うと思うんだ」
そう言ったザビニの顔が、去年の変身術の授業で「消失」させるはずだったワタリガラスを爆破してしまって教室中に可哀想なワタリガラスの血と肉と臓物をブチ撒けた時のシェーマスと同じであるように、ハリーには見えていた。
混乱と絶望の入り混じった蒼い顔。
絶対に減点されるし罰則もくらうと確信していたあの日のシェーマスと同じように、ザビニはマルフォイの奴が今どういう状況に置かれているのかを、「考えうる限り最悪の事態」を想定するという方法で、ほぼ正確に見抜いていた。
「マルフォイの父君が何か、闇の帝王にとって手痛い損失となる失態を犯した、もしくは以前に犯していた事が発覚したとして、それが闇の帝王にとって『ただ死なせるだけでは済まない』とすら思わせるほどの、極めて重大で深刻な…………というか怒り心頭に発するものだったら。当然、闇の帝王は、例えば俺たちが誰かキライな奴とケンカしてる時みたいに、できる限りコイツを苦しめてやろうと、そう考えると俺は思う。――マルフォイの父君を最も苦しめる方法は、解りきってるだろう――ドラコ・マルフォイを苦しめることだ。アイツが破滅するところを、父君は見せられるんだ。それが、俺に考えられる限りでは、ルシウス・マルフォイへの最大の罰だから」
ザビニの推測が的外れだとは、その場の誰も思えなかった。今この「地下聖堂」に居る全員が、姉にくっついて離れないアストリアの周囲に集まって、冷たい床に去年誰かがいつの間にやら持ち込んで敷いたスリザリンの紋章入りのカーペットに直に座って、自分の代わりに誰かがこの重苦しい沈黙をどうにか終わらせてくれやしないかと、ハリーやノットに視線を向けて期待していた。
「予言のことかしら? 神秘部から私たちが全員無事に帰ってこれたあの夜の出来事は私たちにしてみれば勝利だけど、それはつまり例のあの人からすれば『失敗』よね? 僕が悪かったよごめんね、なんて、例のあの人は言わないわよね? 誰かの責任にするわよね?」
ジニーがどうにかそう言ったが、ハリーには別の心当たりがあった。ルシウス・マルフォイの最大の失態とは何ぞやと考え込んでいたハリーが思い出したのは、自分が2年生だった年の事件。
「リドルの日記だ。秘密の部屋のことだ。ヴォルデモートはあの時のことを――そうか、あの年の事件に、ヴォルデモート本人は、そういえば一切関わってないのか――それで、最近知ったんだ」
何やら不穏な独り言をボソボソと呟いたハリーに、皆の視線が集まる。
「何の話だポッター? 4年前のことがなんで今更関係してくる? 誰だそのリドルって?」
急に何言い出すんだお前とでも言いたそうな表情をしているのはノットだけではなかった。ハリーと同じグリフィンドール寮所属の友人たちも、あの話とこの話に何の関係があるのかと疑問に思って、ハリーが説明してくれるのを待っている。
ハリーが何に思い至ったのかを少しでも察せているのは、ロンとハーマイオニーだけだった。
「リドルの日記。僕らが2年生の時にスリザリンの秘密の部屋が開いた、その原因の品。トム・マールヴォロ・リドルの、学生時代の日記。トム・マールヴォロ・リドル。ヴォルデモート。ホグワーツの生徒だった頃のヴォルデモートが使ってた、私物の日記」
姉にピッタリくっついていて表情が伺えないアストリアを除けばスリザリン生たちは1人残らず目をひん剥いて絶句しているが、ハリーは構わず話し続ける。
「ジニー、きみが最初にあの日記に気づいたのはフローリシュ&ブロッツから出た後だったよね」
「そうだけど。それが何か――まさか」
「うん。ルシウス・マルフォイがきみの学用品に紛れ込ませたんだ。ヴォルデモート卿と自分の繋がりを示す証拠品の処分と、『憎たらしいウィーズリー』への嫌がらせと、絶対に強烈な呪いがかかっているだろうその品がホグワーツに持ち込まれることによって何らか事件が起きてあわよくばダンブルドアをホグワーツから追い出せるかもしれないという期待も込めてそうした。それで、日記には学生時代のヴォルデモートの精神の写しみたいなものが宿っていたか、それかそう見せかける、そう機能するような何か魔法がかかっていた。その、言うなれば『ヴォルデモートの記憶』みたいなものが、あの『秘密の部屋』の事件を起こした」
ザビニの表情がまたさらに暗くなったのが、ハリーにも判った。
「それで、たぶんいま大事なのは、あの年ヴォルデモートはまだ復活できてなかったから、ホグワーツで何があったかなんて知らなかったってことだ。日記の中の『ヴォルデモートの記憶』が自動でやったことなんだ。それで、ヴォルデモート本人の預かり知らないところで、知らない間にその日記は破壊された。僕がバジリスクの牙で刺した。…………ルシウス・マルフォイへの信頼の証として渡したんだろうに、ルシウス・マルフォイには、とっくにヴォルデモートへの忠誠心なんか無かった。破滅したと当時は思っていた御主人様への忠誠より、自己保身の方が大事だった」
ハリーが話し終えたことでまたしても重苦しい沈黙が「地下聖堂」を包んだが、今度は十数秒と経たずにノットがその沈黙を破った。
「つまりポッターお前の言ってることが正しいとするなら、おそらくはお前のお父上とお母上がお元気でいらっしゃった頃か、あるいはもっと前に……闇の帝王が最大の隆盛を誇っていらっしゃった頃に、信頼の証として、それか顕著な働きへの賞与として、その闇の帝王ご自身の私物の日記を渡した。……闇の帝王を心から崇拝している者にとっては正しく聖遺物だろう品を。そしてルシウス・マルフォイは、最初はどうだったにせよ、ポッターお前のお父上とお母上が――その、なんだ――類稀なる勇敢さとお前への愛を示したあの例の事件の後、闇の帝王が……その事件で死ぬなり死にかけるなりして十全な肉体を取り戻すところからやり直している間に……ルシウス・マルフォイにとって勲章だったその日記は、厄介な物的証拠になった……マルフォイ家は尻尾を出さない。自分たちに不利な証拠は隠滅したい、そして、うまい手を思いつくわけだ――」
ノットもザビニと同じくらいには暗い表情をしていて、それが吸魂鬼をどうにか撃退した直後のハリーの顔に似ているように思えたために、ハーマイオニーは自分の中でスリザリン生たちへの同情の念が深まるのを感じて驚いていた。まさか自分にそんな感情が湧くとは、ハーマイオニー自身まだ信じられなかった。ハーマイオニーは、ドラコを憐れんでいた。
毎年毎年いつも自分たちがハリーに対して抱いている感情を、信じ難いがこいつらはあのドラコなんかに抱いているらしいと、どうにか助けになってあげたいのだと、ロンでさえ理解していた。
そしてノットはハリーの目を真っ直ぐに見て、続きを話し始める。
「マルフォイの奴のお父上がそうであるように、僕の父も死喰い人だ。だから、わかる。僕が考えている通りのことがマルフォイの身に起きているなら、あいつは恐らく『達成不可能な任務』を言いつけられている――闇の帝王その人から直接。達成できなければ両親ともども死あるのみだ。ただし達成してしまえば、あいつはもう死喰い人になってしまう。……後戻りできなくなる。闇の帝王ある限り悪行を積み重ねるしかなく、逆にポッターが勝利した暁には死か終生アズカバンかだ」
また沈黙が部屋中を支配してしまうのを避けるかのように、パーバティは無理やり声を出した。
「ねえ、もしその推測が当たってたとして、よ。……そんなの何か私たちにできること、ある?」
「まったくわからない。何も思いつかない。どう行動するべきか見当もつかない。けどアイツは僕の友達だ。アイツが破滅するところを、黙って見届けるわけにはいかない」
パーバティ・パチルの質問に、セオドール・ノットは暗い顔をしたまま決意を述べた。
パーバティの言っていることも正しいしノットがいま言ったことも理解できるハリーたちだったが、ハリーもロンもハーマイオニーも、よりによって相手があのドラコ・マルフォイでは、救出とか救済とかいったことに、まだそこまで必死にはなれなかった。
「なあに? どうしたのアストリア。言いたいことがあるならお姉ちゃんに言ってみて」
ダフネが抱っこしている妹にそう囁いたことで、皆の視線がまたアストリアに集まる。
「ドラコはきっと、今、ひとりぼっちよ。だからあたし、隣に居てあげたいの。なのにドラコったら、『もう僕に近寄るな』って、そう言ったのよ。なんでかわかんなかったけど、皆の話を聞いてたら解ったわ。ドラコったら、きっと、こんな目に遭うのは自分1人でいいって思ってるのよ。自分の家のことだから皆を巻き込むわけにはいかないって思ってるし、迷惑かけたくないのよ。ドラコはすっごく優しいから、きっとそう。でも、それならあたしは、ドラコを抱きしめてあげたい」
アストリアがなぜそこまでドラコに対して好意的なものの見方をできるのかは姉のダフネ・グリーングラスを除けばスリザリン生たちにすらよく判らなかったが、ドラコが今とんでもない孤独感に苛まれているだろうというアストリアの分析には、ハリーたちも同意できた。
「マルフォイのことだから恐らく巻き込むわけにはいかないと思ってるのは『きみ』であって僕らじゃあないだろうし、僕らに関しちゃ『邪魔されるわけにはいかない』って思ってるだろうけど、アイツがヴォルデモートから何を言いつけられたにせよ、それはマルフォイにはまず不可能な難事業で、なおかつ万が一にでもマルフォイがやり遂げたらヴォルデモートに多大な利益を齎すもので――マルフォイが絶望するほど困難な命令だっていうなら逆説的にそうなる――それで、それは、このホグワーツでしか達成できないことだ。だってあいつは今年もホグワーツに来てるんだから」
そう言ったハリーを、アストリアが見ていた。
「ねえ、あたしドラコを助けてあげたいの。ねえハリー。あたし何をすればいいの?」
「今から皆で守護霊呪文の練習をしよう」
狂ったかコイツと思いながら「地下聖堂」に居るほとんど全員がハリーに視線をぶつけている。
「今の話からどうしてそうなるのハリー……?」
ハリーを心配すらしている表情でジニーがそう訊いたが、ハリーはあくまでも冷静だった。
「だって僕ら、特にノットとザビニ、きみたちは誰かを助けようとか考えるには暗い顔になりすぎてるし、吸魂鬼に襲われてる時ってまさにそういう精神状態だし、守護霊呪文を唱えるには心の中を最高の幸福感だけでいっぱいにする必要があるんだから気分転換にはピッタリだ。だろう?」
ノットはポッターに何か文句を言ってやりたくなったが、何も思いつかなかった。
スリザリン生たちは大いに呻き、唸り、ハリーを睨みさえしたが、やがてノットが言った。
「やろう。ポッターの言う通りだ。こんな心持ちじゃ上手い打開策なんて思いつかない。……お前もそれでいいかアストリア?」
姉の予想に反してまだ一粒たりとも涙を流していないアストリアは「あたしもやる」とだけ答えて立ち上がり、ローブのポケットから杖を取り出した。
「決まりだな。じゃあ、ご享受いただけますか『ポッター先生』?」
そう言ったザビニに続いて他の皆も次々に立ち上がったが、自分を先生と呼んでニヤリと笑ってみせたザビニがまだずいぶん無理をしているのが、ハリーには解った。
各寮それぞれの色をした4つのソファやら積み上がった本やらお菓子の備蓄やら誰が何の目的で持ち込んだのか判らない巨大なパフスケインのぬいぐるみやらをジャスティンほか数人がまとめて部屋の奥側の壁際に移動させ、トレイシー・デイビスとルームメイトたちは移動させられた緑色のソファの下から出てきた何冊かの本をほとんど飛びつくようにして大慌てで回収した。
「すいません……すいません何でもないですお気になさらず……」
あまりページ数が多いようには見えない本をトレイシー・デイビスがローブのポケットにねじ込んだのを見届けたハリーは、その本の表紙の絵が自分に似ていたように思えて首を捻った。
しかしすぐにそんな事はどうでもいいと切り捨てて、ハリーも杖を取り出した。
「去年の始めにあの先生にやらされたO.W.L.の筆記問題に何やら載ってた気もするし、それを解くのに調べた本で読んだ気もするけど……正直あんまり覚えてないわ。教えてくれる? ポッター」
どうにかしてやる気を捻出したらしいダフネ・グリーングラスの隣では、スリザリン唯一のD.A.メンバーであるアストリアも泣きそうな顔をしたまま杖を構えている。
「吸魂鬼には、この呪文以外効かない。強力な保護呪文を何重にもかけといた場所になら入って来ないのかもしれないけど――現にホグワーツでは魔法省の奴らが持ち込んだ時以外見たためしが無いし――けど、侵入阻止ならともかく『撃退』するなら、守護霊呪文以外の選択肢は無い」
ドラコを助けるためにはまず自分がちょっとでも元気を出さなければと思いながら、アストリアはD.A.で何度も聞いたハリーの説明に、今もう一度聴き入っている。
「最高の幸福感で心の中をいっぱいにした時にだけ、この呪文は効果を発揮する。でも吸魂鬼はそこに居るだけで絶望を呼び起こすから、実際には湧き上がってくるネガティブな感情を抑え込みながら、最高の幸福感だけで心の中を完全に満たさなきゃならない。そのために、今までで一番幸せだった記憶を全身全霊で思い浮かべる。それができたら杖を吸魂鬼に向ける」
ハリーがそこまで説明し終えたのを合図にして、ジニー・ウィーズリーは杖を振った。
「エクスペクト・パトローナム!」
説明していたハリーからD.A.メンバーを数人挟んで集団を作っている女子たちの中から飛び出してきた馬の形をした青白く光る霧か煙のようなものを、スリザリン生たちを始めとするD.A.のメンバーではない者たちが、皆一様に驚きを隠しきれない表情をして目で追っていた。
「守護霊呪文の練習をしたってのは、アストリアから聞いて知ってたけど……ホントに習得してたのねウィーズリー……私アナタを侮ってたわ」
パンジー・パーキンソンはそう言いながら「最高に幸福な思い出」を記憶の中から見つけ出そうとした結果、ドラコより先にスニッチを取ったハリーを見ている時と同じ渋い表情になっている。
他のスリザリンの皆が守護霊呪文の唱え方と杖の振り方に関するハリーの説明を聞き漏らすまいとしている中、ダフネ・グリーングラスは妹のアストリアを見つめていた。
「D.A.で練習してた時は、ちょっとだけど煙みたいなのが杖から出てたのよ? ホントよ?」
アストリアは姉に弁明しながら何度も呪文を唱えて杖を振るが、全く何も起きない。
「エクスペクト・パトローナム!」
自分の杖の先から安いパーティグッズでももうちょっと派手だろうと思わせるささやかな量の青白い煙が立ち昇ったのを見て、ザビニが眉間にシワを寄せている。
「……思い浮かべた内容のハッピー具合が弱かったか? 心を満たしきれていなかったか?」
手早く自己分析を済ませると、またザビニは杖を構えて集中し始めた。
「そういえばさ、例のあの人とか死喰い人って、なんで吸魂鬼を猟犬みたいに使って平気なの? 自分たちは襲われないの? あの、なんだっけ。こないだ魔法史で習ったって僕のノートに書いてあった『ラジディアンとイリーウス』の話をナイジェルと勉強してる時にも思ったんだけど……」
皆がそうであるように、デニス・クリービーも魔法史の授業中は睡魔に屈しているので、毎度授業の始めに書いた「なにを習うのか」というメモと授業中にほとんど眠りながら書いたグネグネした走り書きを頼りにナイジェルと一緒に自習して、どうにか最低限の成績を保っているのだった。
「ヴォルデモートとか死喰い人とかは、基本的には吸魂鬼に襲われないんだよ。精神性が似ているからだってルーピン先生が――僕らが3年生だった時の『防衛術』の先生が――前に言ってたよ。ただ、『優先的には狙われない』ってだけで『襲えない』んじゃないとは思うけど」
ハリーとデニスが雑談している間も、ノットやザビニを始めとするスリザリン生たちやD.A.のメンバーではない生徒たち、そしてD.A.に参加していたが守護霊呪文を習得できていない者たちは何度も呪文を唱え幾度も杖を振って、どうにか動物の形をした守護霊を創り出そうと頑張っている。
「エクスペクト・パトローナム!」
セオドール・ノットの杖から噴出した青白く光る霧のようなものはノットの前方にじんわりと広がって、盾と表現するにはかなり弱々しい、薄い膜のようなものを形成した。
「その調子よノット。さらに、もっと、幸せな思い出に集中するのよ」
ハーマイオニーのアドバイスを、セオドール・ノットは守護霊呪文の膜を維持しようと額に汗して頑張りながら、これ以上ないほど真剣な顔で聴いている。
「守護霊呪文は『できないのが普通』で『霧か煙かみたいなものでも創り出せたなら上々』って、いくら言われてもな……お前らができるのを見てるとな……!」
そう唸ってからまた呪文を唱えたスリザリンの7年生のセルウィンくんの杖の先からは、ごく僅かに霧のようなものが噴出してすぐに消えた。
その後も皆は練習を続けたが、ダフネ・グリーングラスだけは杖を構えもしないまま、妹のアストリアをずっとつきっきりで見守っていた。
「エクスペクト・パトローナム! エクスペクト・パトローナム! エクスペクト――」
何度も何度も杖を振って呪文を唱えるアストリアは、去年D.A.でフレッドとジョージに見てもらっていた頃は自分にもできるかもと思えていた守護霊呪文が今まったく上手くいかない現実を目の当たりにして、繰り返し呪文を唱えれば唱えるほどに、幸せな思い出に意識を集中しようと頑張れば頑張るほどに、どうしようもなく気持ちが暗く沈んでいくのを実感していた。
「エクスペクト・パトローナム!」
アストリアが呪文を唱えても、何も起きない。
「エクスペクト・パトローナム!」
アストリアにとっての一番幸せな思い出にはお姉ちゃんとパパとママだけでなくドラコとドラコのパパさんとママさんも居たので、守護霊呪文が今うまくいかないのは当然だった。
「エクスペクト・パトローナム! エクスペクト・パトローナム――」
今やアストリア以外の全員が練習を中断して心配そうな表情でアストリアを見つめているが、アストリアはそんなことに気づける心の余裕が無い。
そしてとうとうダフネ・グリーングラスは耐えられなくなって、妹のアストリアを抱きしめた。
「アストリア、……アストリア。ねえアストリア、お姉ちゃんの目を見て」
泣きそうな顔と荒い息のまま、アストリア・グリーングラスは言われた通りにする。
「……ゆっくり深呼吸して。いい? アストリア。お姉ちゃんはあなたの味方。ハリーもハーマイオニーもノットもザビニも皆、みんな貴女の味方。だから落ち着いて。ドラコを助けてあげたいんでしょ? だったらまず貴女が元気いっぱいじゃなきゃ。そうでしょ?」
アストリアは振り上げたままだった杖をゆっくり下ろして、姉の肩越しにD.A.のみんなを見て、ハリーとロンとハーマイオニーの向こうに去年までは居たフレッドとジョージやアンジェリーナの優しい笑顔も思い浮かべた。
でも一番いてほしいドラコがこの場にいないので、アストリアはどうしても幸福感で心をいっぱいにすることができなかった。
ドラコがドラコのお友達と宿題とかをしている背中を遠くから見ているだけで、アストリアは幸せだった。クラッブとゴイルの宿題を手伝ってあげているドラコの方をちょっと見るだけで、アストリアは難しい宿題も頑張ることができた。
去年は、そうだった。
「ねえアストリア。ハリーがさっきザビニとノットに言ったみたいに、あなたにも気分転換が必要だってお姉ちゃん思うの。だからアストリア。今からお姉ちゃんと楽しいことしましょう。お姉ちゃんがなんでもしてあげるから、何かやりたい遊び、ない?」
そう訊かれたアストリアは、お姉ちゃんの顔を見た後、ハーマイオニーを見た。
そしてアストリアの目に映ったのは、ハーマイオニーの髪。
「……あたし前からやってみたかったことがあるの」
「なあに? お姉ちゃんに教えてくれる?」
アストリアは、真っ直ぐにハーマイオニーの髪を見ている。今日も今日とて散々にとっ散らかっている、ハーマイオニーの長くてボリュームたっぷりな後ろ髪を。
アストリアは今なぜか自分の髪を見ていると、ハーマイオニーも気づいている。
「あたしハグリッドのモジャモジャの髪とおヒゲをツヤツヤのサラサラの真っ直ぐにしてみたい」
アストリアがそう言った途端こっちを見ていたロンが吹き出すように笑ったので、ハーマイオニーはロンの左足を思いっきり踏んづけてやった。
そして「それなら今すぐ行こう」とノットが真剣な表情で提案し、そこにいる皆が賛同する。
あたしにはお姉ちゃんがいて、皆がいて、皆が協力してくれるんだからきっとドラコを助けてあげられると、アストリアはそう信じていた。
ドラコ・マルフォイが今この瞬間も深く深く沈んで行っている暗くて底の無い闇の中へ、アストリア・グリーングラスは自分の意思で分け入っていく。
大好きなドラコを抱きしめてあげるために。
次回、ルビウス・ハグリッド VS 櫛。