104年後からの今 作:requesting anonymity
「――ハリー、ハリー? ダメだ向こうお話に夢中だ。――何か紛糾してるな」
ランニングしていたら迷い込んだ神秘部のどこかの部屋で、シリウス・ブラックは簡素な装飾の銀製に見える鏡へと声をかけていたが、やがて諦めてソファに深く座り直した。
ハリー自身だけでなく周囲の皆もシリウス・ブラックと会話をできるように「両面鏡」を床に置いた後、それをそのまま置きっぱなしにしているのは例えば寮の寝室の自分のベッドの上にそうしているような、「ここは私物を置きっぱなしにしていても安全だ」というハリー自身の認識から来る周囲の皆に対する信頼ゆえの行動であって、決して忘れ果てているわけではないとはシリウスも理解していた。理解はしていたが、それでもシリウスはさみしかった。
「なーにをそんなしょんぼりすることがあるんだいパッドフット。ハリーが友達と仲良くしているのは良いことじゃないか」
どっさりとソファに座り直したシリウス・ブラックがそのまますぐに真っ黒い長毛種の大型犬に姿を変えてしまったのを見て、同じソファで隣に座っている学生時代からの親友リーマス・ルーピンは声を抑えて笑っている。
「ジェームズが僕ら以外の誰かを構いに行った時も、きみはよくそうやってスネてたよな」
声をかけても返事もくれない大型犬を見てまた笑ったリーマス・ルーピンが杖を一振りして出現させたペット用のブラシは、独りでに空中を動き回ってシリウスの毛並みを整え始める。
一方、部屋中に置いてある用途不明の精密そうな何かの品々を興味深げに眺めていたニンファドーラ・トンクスは、ソファの上でベッタリと伏せている大きな黒い犬に目をやった。
「シリウスって、アナタが相手だとけっこう甘えん坊よねリーマス」
「シリウスは『僕らが相手だと』こうなんだよトンクス。僕らと言っても、もう僕1人だけどね」
そう言ったリーマスがまた圧し折れそうなくらい物悲しげな顔をするのではないかと思ったトンクスはほとんど条件反射のようにリーマスとシリウスを抱きしめてあげようとしたが、その途端に黒い大型犬はシリウス・ブラックに戻った。
毛並みを整えてくれていたブラシはポンと小気味良い音を立てて消失し、シリウスは親友のリーマス・ルーピンに、咎めるような視線を投げる。
「何言ってるんだリーマス。もうひとりいたろ。私たちとは紛争と表現していいくらいに敵対していたスリザリンのスネイプや後の『死喰い人』共はもちろん含まないとしても、あのころ私たちとよく一緒に居ただろう。私ときみとジェームズとピーターとリリーの他に、もうひとり」
シリウスが誰の話をしているのか、リーマス・ルーピンはすぐに察した。
「ああ、そうだ、そうだねシリウス。もうひとり居た。リリーの大親友。僕ら4人がリリーに叱られてる時、あの子はいつもリリーの横にいて、僕らを見てた……男子って馬鹿ねって顔をして。あの子がまさか蛙チョコレートのカードになるなんて、あの頃は誰も想像してなかった…………」
シリウスとリーマスが誰の話をしているのか、ニンファドーラ・トンクスには解らない。
「いわゆる『前回』は、ジェームズとリリーがハリーを守り通したあの日までは、なぜ僕らは彼女を不死鳥の騎士団に迎え入れなかったのか、覚えているかいシリウス」
親友に確認されるまでもなく、シリウス・ブラックはその経緯を全て、すぐさま思い出せた。
「覚えているとも。リリーが大反対したからだ。あの子は母親になったばかりなんだから絶対に巻き込んではいけないと、リリーが断固とした態度でそう言い張ったんだ。自分だってその後すぐ母親になったくせして、妊娠中もハリーを産んでからもリリーは頑としてそう言い張った。そして結局、リリーは大親友をも守り通したことになる。……けれどその事実を後から知った彼女は――」
シリウスとリーマスは同じことを考えていた。不死鳥の騎士団にいまもう1人新たな仲間を迎え入れる時だと、絶対に信用できるし必ず力になってくれると、そう確信していた。
「ねえ、さっきから誰の話をしてるの? 2人だけで話を進めないでよリーマス」
「そうだね、ごめんよトンクス。僕らが話していたのはグレタだよ――グレタ・キャッチラブ。知ってるだろう? 料理の本をいっぱい出してるから。『自家製魔法チーズの作り方』とか」
「ハリーったら、やっぱり鏡を床に置いたままだって忘れてる。ねえシリウスさん、まだ居る?」
その本ママが持ってたしモリーおばさんも持ってたというトンクスの驚きは、ソファの傍のテーブルにシリウスが置いていた「両面鏡」から女の子の声がハッキリと聞こえてきたことで、それどころではなくなって頭の隅のほうへと追いやられた。
「あ。ルーピン先生。このあいだは助けに来てくれてありがとう」
「やあルーナ。元気そうだね」
守護霊呪文の練習をする場所を確保するために隅へと追いやられた幾つものソファの中から自分の寮であるレイブンクローの青いソファを選んで座ったルーナ・ラブグッドは、さっきまでハリーが床に放置していた「両面鏡」を手に持って、その向こうに見えるものを覗いている。
「はぁいシリウスさん。ハリーの様子が気になるんでしょ?」
「そうだ。そっちは何か、議論をしていたみたいだったが。何の話をしていたのか訊いてもいいかい? 音の出どころが鏡のすぐ傍じゃないと、この『両面鏡』は一気に聞こえ辛くなるんだ……」
そう言った直後に続けて「まあ雑音に会話が遮られないと言い換えれば長所でもある」と胸を張ったシリウスに、ルーナは向こうで皆と一緒にいるジニーがスリザリン生たちに手本を見せるかのように守護霊呪文を成功させたのを眺めて嬉しそうに笑ってから、手短に説明した。
最近の様子から推測されるドラコの現状のことを。
「ドラコ・マルフォイが死喰い人になってるって? ヴォルデモートはそこまで人手不足なのか? あの高慢ちきなマルフォイの奴の息子なんかがヴォルデモートに何か有意義な貢献ができるのか」
皆がさっき抱いた疑問を、シリウスはルーナにぶつけた。
「ノットとザビニの推測だと、アナタたちの世代が『マルフォイ』という名前から真っ先に連想する方のマルフォイさんが何か特大の失態をして、それに対する罰として、例のあの人からドラコが何か、到底達成不可能な任務を言いつけられてるんじゃないかって。それでハリーが言うには、私が1年生だった年の『秘密の部屋』の事件の原因になった物品は『例のあの人の学生時代の日記』で、例のあの人から預けられたそれを、マルフォイパパさんがジニーの持ち物に紛れ込ませたのが一連の事件の原因なんだって。それで、それは結局ハリーが破壊しちゃったから――」
「当然厳重に保管してくれるものと信じていたのに、手放した挙げ句損壊せしめたと。それならヴォルデモートは確かに怒りそうではあるし、それが誰の失態かと問うならルシウス・マルフォイだろう。だけれども…………それは、今のところ、全て推測に過ぎな――」
シリウスは証拠が無いという事実を指摘しようとしたが、その発言は遮られた。
「今年の夏にトムがブチキレるところをセブルスくんがマルフォイ家の屋敷で目撃しているよ。磔の呪文を何度も浴びせていたけれど、『それで気が済んだようには見えなかった』って言ってた」
神秘部の別のどこかに繋がっているのだろう扉から戻ってきていたらしいその青年は、両面鏡の向こうには届かない声量で、両面鏡がまともに声を拾えない距離から、もうすぐO.W.L.試験に挑むくらいの年齢に見える白に近い金髪のストンとした体型の女の子になりながらそう言って、自分が着ている服に杖を向けてカッチリした高級そうなスーツをふんわりした白いワンピースに変えた。
「これなら麦わら帽子も欲しいな探してこよ。マリウスくーん、マリウスくん僕お帽子欲しいー」
特にそれ以上何を教えてくれるでもなく、すぐ魔法で出せるだろうに、帽子を求めてまた部屋から出ていってしまったその人物を目で追った後、シリウスは鏡の向こうのルーナに言う。
「――いや、信じるよルーナ。それでハリーは――というかきみたちは――」
「ハリーはドラコの心配より、ドラコが何をやらされてるのか、何をしようとしているのかを知りたがってるんだと思うな。けど、スリザリンの皆はドラコを心配してるんだ。特にノットとザビニとアストリアが。だから私も皆もスリザリンの人たちに協力してあげるつもりでいるよ。だって友達になったんだもン。それに、特にアストリアはとってもしょんぼりしちゃってるから。アストリア・グリーングラス。今年4年生の、とっても優しい子だよ。ルーピン先生おぼえてる?」
「もちろん。妹の方のミス・グリーングラスだよね。最初の授業で庭小人の対処法を教えた時、庭小人を興味深そうに見てたのを覚えているよ。なんでも、あの子の家では常に屋敷しもべが庭小人に完璧に対処してしまっているから、居るに違いないのに見る機会が無かったそうだ」
「グリーングラス家ともなればそうだろうな。それでルーナ、その、例のドラコ・マルフォイは今のところ、どんな様子なんだ? 何か明らかにおかしいのか?」
シリウス・ブラックの質問を受けて、ルーナは自分の考えを伝える。
「まず、去年は皆と同じくらいにはこの隠し部屋に来てたのに今年は1度も見てない。それに、心配したけど本当は別になんでもなかったって場合より、心配するべきだったのに何でもないと思ってたせいで手遅れになったって場合の方が後が大変だから、確証が無いなら心配するべきだって私は思うな。第一、笑ったところを今年まだ誰も見たこと無いなんて、いくらなんでも変でしょ? それで、例のあの人がホグワーツでドラコにやらせる『絶対にやり遂げられない任務』って、そんなにいくつも可能性はないって思うんだ。ハリーとダンブルドアのどっちかを殺させようとしてるんだと思うけど、より難しい方って考えるとダンブルドアかな。でもそれって、本当に不可能だから、でもドラコとしてはやり遂げなければならなくて……死喰い人をホグワーツに連れて来る?」
その独り言を聞いている側からすれば論理的推測なのか思考の飛躍なのかが判別できないルーナの意見は、しかしドラコの方針までも完璧に言い当てていた。
「そうだとして、ドラコ・マルフォイにそんなことが可能だとは私には思えないんだがね」
シリウスの意見は当然と言えるものだったが、それでもルーナは譲らなかった。
「でも、できなきゃパパとママと自分が殺されちゃうんだから、何もしないわけにはいかないでしょ? だから、どのくらいうまくいくかはともかく、何かは起きると思うな」
ルーナの見解は正しいと思えてしまったので、ダンブルドアや他の先生方にはお伝えしたのかいと、ルーピンはそう確認し念を押すくらいのことしかできなかった。
「ところで、この鏡ってお話し終わった後はどうするの? お互いがずっと見えて聞こえるって、不便なときもあるんじゃないの?」
これはつまりそろそろ会話を終えたいという合図かなと察しつつ、シリウスは答える。
「布にでも包んで片付けておけばいいさ。近くの音しか拾わないから生活音を向こうに響かせてしまう心配は無いし、逆に用があるなら鏡の向こうに呼びかければいい」
「じゃあ今そうしていないってことはシリウスさんは私ともう少しお話してくれるんだよね?」
「そうだね?」
予想とは真逆の反応が返ってきたことに少々驚きつつもルーナの問いかけを肯定したシリウスに、ルーナ・ラブグッドはぐいっと鏡に顔を近づけてからさらに質問をする。
「インタビューしてもいい? シリウスさんとルーピン先生に」
無罪放免を勝ち取ってから暫く経ったとはいえ未だ他者との会話に飢えているシリウスはルーナに「もちろんいいとも」と返答し、ルーナは「やった」と声を弾ませた。
「じゃあまずアンガビュラー・スラッシキルターの軍隊を動員してグリンゴッツを掌握するっていうコーネリウス・ファッジの計画をスクリムジョールが引き継いだのかどうかについて不死鳥の騎士団は何か情報を得ていないかな? パパが知りたがってるんだ」
そういえば「ザ・クィブラー」の何号だったかにそんな記事が載ってたなあと、そんなふうにぼんやりと感想を抱くことしかシリウスにはできなかった。
アンガビュラー・スラッシキルターとやらが一体なんなのかも、おそらく実在していないファッジのグリンゴッツ掌握計画とやらをルーナとルーナのパパがどう捉えているのかも、15歳の女の子にどういう答えを返してあげるのが正しいのかも、シリウスには全く判らなかった。
「まず言えるのは、スクリムジョール新大臣はファッジと比較する場合かなり広範な分野について方針を大転換している、という事実がある。例のあの人について強硬な対策を採り対抗するべく努力しているし、そもそもスクリムジョールは『寄付するから便宜を図ってくれ』というような申し出を全く受け入れないことで知られているし、言ってしまえば権力に興味が無いタイプの人間だ。仮にこれが平和な時代であれば、きっと魔法大臣になんかなりたくなかっただろう。ルーファス・スクリムジョールは、スクリムジョールなりに、魔法界を守ろうとしている。なので、ファッジの計画していた如何なる権力拡大の企みも、スクリムジョールは引き継いでいないだろうね」
あくまでも一般論のみを語りながらルーナの質問に真摯に答えるという器用な真似をやってのけた親友のリーマスに「さすがホグワーツの先生だ……」という驚愕と称賛の言葉を贈りながら、シリウス・ブラックは目を丸くしている。
一方、当のルーピンはルーナが「そっか、ありがとう。パパに教えてあげなきゃ」と言ったことで、自分が今した発言は一体どういう内容の記事にされるんだろうかと、「ザ・クィブラー」が普段掲載しているあまりにも独創的で色とりどりの「真実」の数々を思い起こして怖くなってしまったので、向こうでぼんやりしているトンクスの顔など見て精神の安定を図っていた。
「じゃあ次にルーピン先生、シリウスさん。しわしわ角スノーカックについてなんだけど――」
そのまま、両面鏡に映っている範囲の外に居るらしい誰かに呼ばれたルーナが会話を切り上げるまでの約30分間、恐らく実在しないと考えられる謎の魔法生物の数々について滔々と語り続けるルーナの話にシリウスとルーピンは黙々と相槌を打ち続けたのだった。
「――ルーピン先生、シリウスさん、ジニーが呼んでるからナーグルの話の続きはまた今度ね」
そう言ってルーナが鏡から姿を消した途端、その「両面鏡」に映っている風景は、見ていられないほどに激しく揺れ始めた。
「これたぶん、鏡を持ったままスキップしてるねルーナ……ダメだ見てると酔うぞコレは」
「…………利口だが、独特な子だな……流石あのゼノフィリウス・ラブグッドの娘だ……」
全く理解ができない話にひたすら耳を傾け続けたシリウスは、もうヘトヘトだった。
「僕がホグワーツで『防衛術』を教えていた年もルーナ・ラブグッドは基本いつもあんなだったから誤解されがちだったけど、あの子あれですっごく賢いし優しいんだよパッドフット」
ミス・ラブグッドが変なだけの子だと思われないようにという配慮からそう擁護したルーピンはしかし、同時に「まあ変わった子ではあるけど」とも思ってしまっていた。
しかしジニーに言わせれば、それはルーナの数多い「良いところ」のひとつでしかなかった。
「ハリーたちもう行っちゃったわよルーナ。――あら、それハリーの忘れ物ね? じゃあ一緒に届けに行きましょ。ハグリッドの小屋に行けば、そこか、その途中でハリーに会えるわ」
ハリーとロンとハーマイオニーを除くD.A.のメンバーたちに教導されながら守護霊呪文の練習に励んでいるスリザリンの面々と、ザビニなどの一部のスリザリン生に教導されながら閉心術の練習を始めている面々を「地下聖堂」に残して、ルーナとジニーもハグリッドの小屋へと向かった。
「ねえジニー、ルーピン先生ってもしかして恋とかしてるのかな?」
やだルーナったらどこまで勘が鋭いのかしらと、去年のクリスマスにハーマイオニーと一緒にトンクスから話を聞いたこともあるジニーは今日もまた大好きな友人に驚かされたのだった。
そして「あそこラックスパートがたくさんいる」と主張して突如ハグリッドの小屋とは全く違う方角の廊下へと進もうとし始めたルーナをジニーが慌てて捕まえて「手を繋いでほしいな!」と提案したころ。ハーマイオニーから事情を聞いたハグリッドは小屋の裏手で育てている大きなカボチャのひとつに腰を下ろして、アストリア・グリーングラスのやりたいようにやらせていた。
「むぅー、櫛が動かなくなっちゃったわ。――エマンシパレ! ……あら? エマンシパレ!」
絡まった髪にだって効くはずの呪文がなんの効果も発揮しないことと、そう言えばこの櫛には頑固な癖っ毛だってスルッと梳かせる魔法がかかってたはずなのにそれも効いていないことに気づいて、アストリア・グリーングラスは首を捻る。
そしてとりあえず櫛を救出することには成功したアストリアはハグリッドの、カブトムシみたいにツヤツヤの目をじっと見つめた。
「そういえばハグリッド先生はどうしてそんなに身体がおっきいの? お腹いっぱい食べたの? 食べ物の好き嫌いをする人は背が伸びないってお姉ちゃんが言ってたの。だからハグリッド先生は食べ物の好き嫌いが無いのね、きっと。好き嫌いせずに何でもたくさん食べたら、あたしもお姉ちゃんもハグリッド先生みたいにおっきくておヒゲたっぷりになれるかしら?」
「お前さんたちが俺みてぇになったら、ご両親はたいそうショックを受けるぞアストリア」
ハグリッドは、来る人来る人に1日中構われ続けて疲れ果てた人気店の飼い猫のようだった。マージおばさんに抱っこされてる時のブルドッグのリッパーちゃんがちょうどあんな顔をしていたなあと、櫛と整髪料を大量動員したラベンダーとパーバティによって自分の髪が撫でつけられていくのを感じながら、大きなカボチャを椅子扱いしているハリーはぼんやりとそう思っていた。
「そういえば、あのボーバトンのマダム・マクシームはどうやってるんだ? あの女だって、髪を滑らかにする魔法なんか効くわけないだろ?」
ハリーのすぐ傍でカボチャ畑を囲う柵に体重を預けているロンがそう疑問を呈した時、とうとう手櫛でハグリッドの髪を梳かすというか解き始めているアストリアが、ハグリッドの髪の中から現れたフェレットの親子にビックリ仰天させられて大きな声を出した。
「あらまあ! 見てみて、ハグリッド先生の髪に住んでたみたいなの!」
アストリアからフェレットの親子を手渡されて、セオドール・ノットは困惑している。
「めちゃくちゃに頑丈な櫛を持っていれば、それで解決するんじゃない? ゴブリンの銀製とか。ゴブリンの銀は破壊不可能だと広く知られていて、そう謳われていて、それを裏付ける歴史的事実がいくつもある。どんな膂力の持ち主が如何に力ずくで使おうとも折れたり曲がったりしない」
ハリーの髪に「スリークイージー」を追加投入しながらラベンダーがそう言ったのがきっかけで、ノットはひとつ、自分がホグワーツに入学する前の記憶を思い出した。
「そういえば、我が家の書斎にゴブリン製の魔法生物図鑑があったな……。なんでも、ひいひいおじい様が御学友と共にお作りになったそうで、挿絵はその学友の1人が知り合いの画家のゴブリンに依頼したと、『だからこれは草稿版で完成品の内ふたつはゴブリンに渡した』と、最初のページに共著者の名前がズラリと並んでいるのと一緒に記されていたのを覚えている」
ノットはそう言ってから、周囲の友人たちに追加で情報開示をした。
「その共著者の中には『ウィーズリー』も居たぞ。あと『マルフォイ』とか『ゴーント』に『プルウェット』に『サチャリッサ・タグウッド』もな」
ラベンダー・ブラウンが目を丸くし、ダフネ・グリーングラスが訊き返す。
「え何それ。どういう組み合わせ? それに何ですって? …………『ゴーント』?」
ダフネが復唱したファミリーネームに、ロンは案の定拒否反応を示す。
「ゴーント? ゴーントってあの『ゴーント』だろ? あんなイカれ――」
何を言おうとしたのか、ロンはアストリアが視界に入ってハッと口を噤んだ。
「ねえねえハグリッド先生、次の授業はどんな動物さんを見せてくれるの?」
「お前さんたちの学年は、そうだな、次はフラッフィーを紹介しようと思うとる」
その言葉に、ハーマイオニーとロンと髪をピッチリと撫でつけられたハリーが同時に反応した。3人が3人とも、1年生の時に見た「フラッフィー」を、去年のクリスマス前にハグリッドめがけて大喜びで突撃してきたその大きな身体をハッキリと思い出せていた。
「フラッフィーってあの『フラッフィー』よねハグリッド。本当に? 4年生に?」
「…………やっぱりデカイ怪物なんだなグレンジャー?」
会話に割り込んでまで質問してきたノットに、ハーマイオニーは深刻そうな表情で答える。
「そうよノット。アストリアの楽しみを奪いたくないからそれが具体的に何かは言わないけど、私たちが1年生の時に『賢者の石』を守るために動員されてたんだもの『フラッフィー』は」
「フラッフィーは元気いっぱいで可愛い奴だから、お前さんもきっと気に入るぞアストリア」
これがハグリッドの困ったところだよな、と、ロンとハリーは視線だけでそう会話した。
「それ、妹が怪我をする心配は無いのよね?」
「何を言っとる。もちろんあるぞダフネ・グリーングラス。怪我をする心配はある。怒らせたら怒る。ちゃんとした方法で接しなけりゃあ危ねえ。それはレタス喰い虫ですらそうだ。ホグワーツの外で魔法生物に出くわした時にヘタな真似して痛い目みねえように『飼育学』があるんだ」
ハグリッドが珍しく教師らしいことを言ったのを聞いて、ノットは笑った。
「それで言うと、お前ほどこの科目を教えるのに適した人材はなかなか居ないんじゃないか? 他の奴より――その、なんだ――身体がデカくて頑丈だってのは、欲して得られる才能じゃない。お気に入りの生徒が危険な時に身を挺して守れる。他の奴が生徒を守ろうとすると杖を使うことになるだろうが、そうすると動物を攻撃するしかないかもしれない。しかしお前はそんな必要がない」
厭味を言われているわけではなくて単に褒められているのだと、ハグリッドは足元にいたファングがノットの方へと歩いて行ったのを眺めながら数秒遅れで理解していた。
「怒った動物を攻撃して黙らせて対処しようとするっちゅうのは、マヌケのやることだ。お前さんたちも、今後もしドラゴンから身を守らなきゃなんねえ羽目になっても『結膜炎の呪い』なんかやるんじゃねえぞ。そりゃまあ効果覿面だが、ありゃ痛ぇもんで連中めっちゃくちゃに怒るからな」
「……それなら、じゃあどうするのがいいって言うんだ? 他に何が効く?」
ノットが当然の疑問をぶつけるが、それにもハグリッドは具体的な答えを持っていた。
「攻撃なんかされねえように、目をつけられねえようにおとなしく隠れてやり過ごすのが一番なんだがな。そうも言ってられねえ場合もあるからな。そういう時に唱えるべきは『盾の呪文』とかの類だ。自分を守れ。そんで、どうにか近寄って背中に乗っちまえ。てめぇの身体に浴びせることになるって解ってりゃ、ドラゴンは火を吹かねえからな。そしたらそこから動くな。何もするな。そのうちドラゴンはお前さんが背中に乗ってることなんかどうでも良くなる。そしたらそーっと降りろ。けんども絶対に翼に触らねえこった。だいたいのドラゴンは翼を触られるのが大嫌いだ」
そんな無茶なとノットは思ったが、同時に「できるだけ相手の怒りを煽らない」というのは恐らくドラゴンに限らず危険な魔法生物と相対した際に役立つ基本姿勢なのだろうと理解もしていた。
「しかしお前さんら、本当に仲良くやっとるんだな。俺が生徒だった頃は考えられんかった事だ。仲良くやっとる事がじゃねえぞ。仲良くやろうと歩み寄っとる事がだ」
ハグリッドが一体どのスリザリン生を思い浮かべてそう言っているのか、ハリーにはまるでハグリッドがその人物の名前を今はっきり口にしたかのように理解できていた。
一方、ノットはハリーを見て、その髪をピッチリ撫でつけて満足げなラベンダーとパーバティを見て、ロンとハーマイオニーも見て、そしてアストリアに視線を移して、しみじみと口を開く。
「きっかけは共通の敵だったが、それが居なくなったからって今更また元通りいがみ合うというのは、控えめに言っても非生産的だからな……それに、僕だって、友人が増えて悪い気はしない」
そう言ったノットはダフネに同意を求めたら微笑みを返されて、気恥ずかしそうに笑った。
「できた! ねえねえ見てみてお姉ちゃん。おヒゲに櫛が通るようになったわ!」
アストリアが満足げにそう声を上げたのは、ラベンダーとパーバティがハーマイオニーの髪までサラサラの真っ直ぐにしてしまった直後だった。
「あら本当。すごいじゃないアストリア。……次は髪の毛?」
「髪の毛は今日中に終わんない気がするから、はい! ハグリッド先生、これあげる! あら? ハグリッド先生にはちょっとちっちゃいかしら。むー、エンゴージオ! あら? レデュシオ!」
杖を何度も振って大きくし過ぎたり小さくし過ぎたりしてから、どうにかちょうどいいサイズにできた花柄の可愛らしいカチューシャを、アストリアはハグリッドの頭に装着した。
「似合ってるぜハグリッド。ちょっとウチのママに似てる」
ロンはそう言いながら明らかに笑いを堪えているがアストリアは自慢げで、当のハグリッドも悪い気はしていないようだった。
「あスゴい。ホントに櫛がスルスル通るようになってるわハグリッドのヒゲ」
「アナタこれ絡まってたところ全部手でほどいたの? やるわねアストリア」
パーバティとラベンダーは2人してアストリアの根気と成果を褒めている。
「――それで、ドラコの様子がおかしいっちゅう話だったな」
ハグリッドが話題を最初の最初まで戻しても、もうアストリアは大丈夫だった。ドラコを助けてあげるためにまず必要だった「自分が元気になる」という工程を、ハグリッドに遊んでもらってラベンダーとパーバティに褒められてお姉ちゃんにハグされて、アストリアは達成していた。
「そうなの。きっと闇の帝王にイジワルされてるのよ。それで、何か無茶をやらされようとしてるの。闇の帝王がやらせることだから、きっとハリーに都合が悪いことよ。それに、もしザビニとノットの推測通りにドラコとパパさんとママさんの命がかかってるなら、ドラコはきっと諦めたりしないわ。だから何かは解らないけど、何かは起こるわ。ハリーにとって嫌な何かが」
ハグリッドは「それならダンブルドア先生様にお伝えしねえと」と呟いたが、その直後、まさにアストリアが言った通りに、ハリーにとって嫌な何かが、城の方からにこにこ顔で歩いてきた。
「おや、ハリー。ハリー・ポッター! それにミスター・ノットにミス・グレンジャーにご友人たち。ハグリッドに会いに来たんだが、これはこれは嬉しい驚きというものだ!」
今年度からホグワーツに「復職」した魔法薬学教授、まんまるのお腹と整えたヒゲがセイウチのような印象を与えるホラス・スラグホーンが、機嫌が良いと誰にでも解る笑顔でそこにいた。
ノットが視線で「判ってるだろうなポッター」と訴え、ハーマイオニーがハリーを肘で小突く。
そしてロンは肩を竦め、ハリーは観念した。
「スラグホーン先生、僕、先生に謝罪しなければいけないことが――その、教科書の事で――」
今年度の最初の魔法薬学の授業から貸してもらっているホグワーツの備品である中古品の教科書と、その元の持ち主である「半純血のプリンス」のこと。そしてその教科書の書き込みの数々。ノットたちに事情を白状するのに必要だっただけでなく、このあと昼食が終わったらすぐ魔法薬学の授業なのもあってローブのポケットに入れて持ってきていたハリーの告白を聞き終えても、あろうことかホラス・スラグホーンは、まるで話を理解できていないかのようにキョトンとしていた。
「…………その告白の、どこを咎めればいいのかねミスター・ポッター? きみは自分が何をしたのかを理解していないのかね?」
スラグホーンはハリーたちがそうしているように自分も大きなカボチャを椅子代わりにしながら、あたかもデキの悪い生徒と相対しているかのように、一から説明し始める。
「ミスター・ポッター。きみは、この誰かの――というよりは筆跡を見る限りミスター・スネイプの――使っていた教科書になされていた書き込みの内容に従って課題に挑み、そして優れた結果を出したのだろう? それはつまり『教科書に書いてあった通りにやったら上手くできた』という話だね? 『教科書に書いてあった通りにやる』。これができなくて魔法薬学のN.E.W.T.レベルに進めなかった生徒がいったいどれだけ居るか、きみは知っているはずだね?」
ハリーが提出してきた「上級魔法薬」のくたびれた古本を捲りながら、スラグホーンは言う。
「もちろん『スネイプ先生の使っていた品だと知ったから』という理由だけでその教科書を手放したいというなら、まあ、無理に止めはしないがね」
「僕スネイプのお蔭で魔法薬学の成績が向上するなんて我慢できません」
ハリーは頑としてそう主張した。ハリーにとって、つい今朝までマクゴナガルの助けかゴドリック・グリフィンドールの福音かというほど有り難かったその教科書は今や、可能な限り触りたくもない、トロールの鼻クソにも劣る不快な物体だった。
「これはまた。そんなに嫌いかね――まあ、あのミスター・スネイプだからな。朗らかで可愛らしい大人気教師になっているとは思っとらんかったがね……」
そう言っておおらかに笑ったスラグホーンが今スネイプを生徒として思い起こしているのだと、自分がよく知っているベッタリした髪に踏みそうな丈のローブという育ちすぎたコウモリみたいな姿ではなく、去年垣間見た記憶の中にいたあの学生のスネイプを思い浮かべているのだと、恐らくダンブルドアとマクゴナガルにとってもそうであるように、スラグホーンにとってもスネイプは、いつまで経っても、どうしても未だに「教え子」なのだと、ハリーは気付いた。
そしてスラグホーンはハッと何かを思い出したように、今度はロンの方を向いた。
「そういえば、きみにもホグワーツの備品の教科書を貸し出していたね? そっちはその――普通の教科書を超えるほどには、きみの役に立ったりはしなかったのかね? 何か書き込みがしてあったりとかは、しなかったかね?」
ロンは芝居がかった動きで大袈裟に肩を竦めて見せてから、スラグホーンに訴えた。
「それが、全く。書き込みなんてひとつも無かった。それどころかゲロしてました。52ページに。あの大きなシミの感じは、たぶんそうです」
「…………52ページに……きみ、それを今、持っているかね? 渡してくれるかね?」
そりゃまあ持ってますけどと言いながらローブのポケットからロンが引っ張り出したその古びた教科書を、スラグホーンはほとんどひったくるようにして奪い取った。
「これが何だって言うんです? この本には何も変なところなんか――」
「それはそうだろうね。しかし、私の記憶に間違いがなければ…………確かあの子はそんな話を――52ページ。ここだ。これだ。しかしまさか、本当に……これがきみたちに………………あんなにたくさんある寄付された中古の教科書の中から――私はまったくの適当に2冊選んだのに――」
いったい何を思い出したのか、スラグホーンは授業中にも見せないほど真剣な目をして、その教科書52ページの、確かにこれはゲロを吐いた跡だとハリーもノットもハーマイオニーもパーバティもアストリアとダフネのグリーングラス姉妹もひと目見て確信させられた汚らしい大きなシミに、ピッタリと杖の先をつけて、罰則を宣告するかのように厳格な声色で唱えた。
「汝の秘密を表せ!」
その途端、シミになっていた部分が元々の教科書の内容ごと完全に漂白されて、代わりにそこに短い文章が現れたのを、ハリーたちは皆、目を丸くして見つめていた。
“合言葉が違います。覗き見しようとしたってダメですよ、スラグホーン先生?”
それが誰の筆跡なのか、スラグホーンにはひと目で判った。
「合言葉? じゃあ合言葉さえ当てられれば、この教科書は――」
ロンが目の色を変えて訊ねた。
「もっときみの役に立つ。それは断言できる。しかしこの教科書は、議論の余地無く、ハリー・ポッターの物だ。たとえホグワーツに寄付された品だろうとも、今きみが使用していようとも、ハリー・ポッターが所有するべきものだ。きみだってそう判断するだろう…………」
スラグホーンがなぜ涙を流しているのか、ハリーにもロンにもサッパリ解らない。
「スラグホーン先生? 何を言っているんです? これは誰が使っていた教科書なんですか?」
ハリーの質問など聞こえていないかのように、スラグホーンは記憶の奥へと己の意識を埋没させていき、そうするために生まれてきたかのように、ハリーの目を見て一方的に語る。
「合言葉は『誰でも知っている有名な呪文』だと、彼女がかつて1度だけ私にそう教えてくれた。『先生は別に良いですけど見られたくないやつらが覗こうとするので』と――」
そしてスラグホーンはその教科書を、ロンではなくハリーに手渡した。
「――これはミス・エバンズが使っていた教科書だ」
スラグホーンの発言の意味を理解するのに、ハリーは10秒かかった。
ロンが貸し与えられて使っていた「52ページにゲロしてた『6年生用上級魔法薬』」が誰の教科書なのかを「謎のプリンス」の範囲が終わる寸前くらいまで引っ張ろうかとも思いましたが、スラグホーンが伝えないわけがないと思ったので即開示してもらいました。
当然「半純血のプリンス蔵書」じゃない方にも本来の持ち主は居るよねってずっと思ってたので、あれがもし誰かハリーに縁のある人物の持ち物だったりしたら面白いなと。
なので当然、元の持ち主がミス・エバンズだというのは公式設定ではなく私の妄想です。