104年後からの今 作:requesting anonymity
憂いの篩に顔を浸して、ハリー・ポッターは深く深く潜っていく。
アルバス・ダンブルドアの記憶の中へと。
「やあアルバス」
地面と空の区別もできない真っ白で何も無い視界の中で、何よりも先に浮かび上がってきたのは、派手なメガネをかけた高学年の生徒の笑顔だった。
「この年のことを思い返そうとすると、どの出来事よりも先に先輩の顔が思い浮かぶのじゃ」
ハリーの隣に立っている背が高くて髪もヒゲも長くて真っ白なダンブルドア校長は、どこか恥ずかしそうに微笑みながら、みるみる内にハッキリしていくその生徒の輪郭を見つめている。
そのスラリと背の高い生徒はズボンを履いていて、スリザリン色のベストを着ていて、その上から羽織っているグリフィンドール色のローブの胸ポケットに付けられた「HEAD GIRL」と書かれた首席バッヂの隣で「
それが誰なのか、ハリーにもとっくに判っていた。
「……ほんとに変わってないんですね、あの先生って」
「何ひとつ」
ハリーにそう返したダンブルドアは、まだ笑っている。
「なんですか先輩。僕は今から魔法史の復習がしたいので先輩とは遊んであげられませんよ?」
自分のお腹から声がしたと思ったハリーは一瞬ビックリしてしまったが、しかし驚いて反射的にそちらに視線をやったことで、単に、記憶を見ている自分と重なる位置に記憶の中の誰かが居て、その小さな男の子が返事をしただけだとすぐに理解できた。
「……ホグワーツにも『飛び級入学』ってあるんですかダンブルドア先生?」
どうしても気になって、ハリーはダンブルドア校長にそう訊いてしまった。
その男の子の小さな背丈も、ふくふくとした丸い頬も、ハリーの目には5歳くらいにしか見えなかった。しかし一方でダンブルドア校長は、ヴォルデモート卿の最近の動向について話す時と同じ顔をして、まるでその姿を見るだけでも辛いかのような目をして、その男の子を見ていた。
「わしじゃ」
ハリーとその男の子には数十センチの身長差があり、さらに直ぐ側に居るせいで見下ろしてもほとんど頭頂部しか見えなかったので、ハリーはダンブルドア校長が無念そうな口調でそう呟くまで、その男の子の姿を去年何度も目にしていると気付けなかった。
去年の「闇の魔術に対する防衛術」の授業中や、他の科目の授業にあの先生が紛れ込んでいた時など、いつも目につきやすい位置に飾られていた額縁の中の「1年生のアルバス・ダンブルドア」とこの記憶の中の小さな男の子は同じ外見をしていると、ハリーはダンブルドア校長の苦々しげな表情と、その男の子の頭頂部を交互に見比べてやっと気づいた。
「正真正銘、11歳じゃ。見ての通り、同級生の女の子たちの誰よりもチビじゃった。入学前、オリバンダーの店に杖を買いに行った時、ジェルベーズ・オリバンダー氏は―――きみが杖を買った『オリバンダー翁』のお父上じゃが――儂ではなくアバーフォースがこれから入学するのだと勘違いなさった。あのころ弟は儂より頭ひとつほど背が高かったので、勘違いも無理からぬことじゃ」
1年生のころのネビルも顔が丸かったなあとハリーは思い浮かべたが、当時のネビルは別にチビではなかった。
「僕を探してたんだろう? アルバス」
「まさに仰るとおりです、先輩」
記憶の中の先輩に、ダンブルドア校長は返答した。壁に話しかけるに等しい無意味な行いだと理解していながらもそうせずにはいられないのだと、僕だってもし父さんと母さんが産まれたばかりの僕をあやしている光景を見せられたら同じことをするだろうと、ハリーは同情した。
「スウィーティング先輩とかに遊んでもらえばいいじゃないですか」
しかし記憶の中の小さなダンブルドア少年は、一見すると辟易している様子だった。
「魔法史の予習って何やるんだいアルバス? お菓子作るのかい?」
「お腹すいたんですね先輩。お昼はまだですよ」
仕方がない人だなあとか思っていそうな顔をした小さなダンブルドア少年がその先輩の後ろにピッタリくっついて歩いていくのを、ハリーとダンブルドア校長は追いかける。
「『1人の時間を邪魔された』って顔してたのに、ついて行くんですね。ダンブルドア先生」
「…………習慣化しておった。この年は、ほとんど毎日こうじゃった」
まるで昨日の疲れが取れなかった朝のように、まだ眠くて仕方がないのに強烈な朝の日差しを浴びせられたかのようにダンブルドア校長は目を細めて、視線を逸らそうとすらしている。
眩しくて見ていられないかのように。
そして、ここでやっと、学生時代の「あの先生」と「11歳のアルバス・ダンブルドア」だけでなく、記憶の中の彼らが歩いているホグワーツ城の廊下の風景がジワリジワリと染み渡るようにして現れ始める。甲冑が並び、石像が並び、すれ違う他の生徒たちの姿が現れ、壁にかかっている絵画が輪郭を帯び、次いで壁自体が現れて床も現れ、天井ができあがる。
そうしてハリーの視界いっぱいに広がったのは、つい昨日の記憶だと言われても信じてしまいそうなくらいに、ハリーが知っているとおりのホグワーツだった。
ホグワーツ城という建物は当時から何も変わっていないのだと見せつけられて、ハリーは当然のことなのに、新鮮な気持ちで驚いてしまっていた。
「――時にハリー、きみは『既に卒業した先輩』を頭に思い浮かべろと言われたら、誰の顔が最初に思い浮かぶかのう?」
「…………フレッドとジョージ?」
ハリーの回答を聞いて、ダンブルドア校長は声を上げて笑った。
「儂はの。学生時代を思い浮かべると真っ先にこの年が思い浮かぶのじゃ。1892年。儂が知っている中で、この年ほどホグワーツが賑やかだったことはない。儂が生徒だった頃と教師だった頃と校長になってから今までを全部合わせても、じゃ。この先輩とご友人方に、儂は全てを教わった」
その「先輩」の隣にピッタリくっついて歩くべく時々駆け足になっている11歳の自分の後ろ姿を眺めながら、ダンブルドア校長は今や微睡んでいるかのように穏やかな表情をしていた。
「試験や成績に関わることも、そうでないことも、全てをじゃ。きみもフレッドとジョージから、じつに様々なことを学んだじゃろうの。ハリー?」
「まあ……えっとその、先生たちの前で口にするべきではない種類の知識を色々…………」
「わしもじゃ」
ダンブルドア校長がまた笑ったのと同時に、記憶の中の小さなダンブルドア少年は歩幅の差のせいで先輩との距離が離れてしまい、またしても追いつくべく駆け足になった。
「手つないであげようか、アルバス?」
「けっこうです!!」
記憶の中の小さなダンブルドア少年が短い脚をチョコチョコと忙しなく動かしてどうにかこうにか先輩と同じ移動速度を確保しているのを見ている内に、ハリーはついに笑ってしまった。
「本当に『ちっちゃくってほっぺまんまるで可愛かった』んですね。ダンブルドア先生」
「肯定したくはないが、肯定以外の何もできんのう。儂はチビじゃった。しかし背が伸びると信じておったし、背を伸ばすべく日々努力をしておった。それらの努力は3年生のころから急速に実を結び始めるのじゃが、この当時はまだそんなことは知らぬわけじゃな」
記憶の中の2人とその後を追って歩くダンブルドア校長とハリーは、見慣れた廊下の前に来た。
「合言葉は?」
「チーズケーキ☆クルセイダー!!!」
「『アウデンティス・フォルトゥナ・ユヴァト』幸運は勇者を好む。一昨日変わったんですよね」
正解にかすりもしていないオリジナルなのだろう単語を元気いっぱいに叫んだ先輩を完全に無視して正しい合言葉を伝えたダンブルドア少年の目の前で「太った婦人」の肖像画が退き、グリフィンドールの談話室へと繋がる通路が開いた。
「チーズケーキクルセイダーじゃなかったかあ」
「勘で答えるにしても他になかったんですか先輩。それに何ですチーズケーキクルセイダーって」
「チーズケーキのクルセイダーだよ。去年卒業してったラブグッドくんが書いた絵本に出てくるんだよ。僕ねラブグッドくんの絵本好きなの。色んな生き物が出てきて楽しいから」
知っているファミリーネームが登場したことは、ハリーの興味を惹いた。
「…………もしかしなくてもルーナのお祖父ちゃんか何かですか、ダンブルドア先生」
「ミス・ラブグッドの、父であるゼノフィリウス・ラブグッドの、じゃから――ミス・ラブグッドの曽曽祖父ということになるかの。儂が入学するのと入れ替わりに卒業なさったそうじゃ」
ファミリーネームを聞いた時点でもう既に、ハリーにはその「ラブグッドくん」がどのような性格なのか、どのような振る舞いをするのか、通常どのような言動なのかが想像できてしまった。
「『宇宙には不思議が無限にある。レイブンクローにはラブグッドくんが居る。つまり互角だ』と、大評判だったそうじゃ」
そこでダンブルドア校長が会話を唐突に切り上げてハリーから視線を外し前方を見たので、ハリーはダンブルドア先生が今そちらを僕に見てほしいのだと思って同じ方向を、記憶の中に広がるグリフィンドールの談話室へと視線を移した。
「えっ、あれ、他の寮の生徒が――まさかホントにこんな――」
そこにはグリフィンドールのみならず、ハッフルパフもレイブンクローも、それどころかスリザリンの制服を着た生徒までが混ざって、まるで廊下の一角か空き教室かのように、もしくはハリーたちが去年の中頃からあの「地下聖堂」でそうしているように、思い思いに寛いでいた。
「当時は、これが普通じゃった。少なくとも儂が卒業するまではの。この習慣がいつごろ無くなってしもうたのかは大雑把にしか判らぬ。しかし、当時は確かにこれが普通だったのじゃ」
目の前の光景を見ているのに、そう言ったダンブルドア校長の視線はハリーの目には、地平線の果てをどうにか識別しようとしているような、遥か遠くを見ようとしているように感じられた。
「おや、そこにいるのはダンブルドアくんかい?」
その声がした方向を、記憶の中のダンブルドア少年より一瞬早く、ダンブルドア校長は見た。
「オミニス・ゴーント先輩じゃ」
記憶の中の11歳の小さな自分に声をかけてきたスリザリンの男子生徒を示して、ダンブルドア校長はハリーにそう紹介した。
「この爽やかな青年の『ゴーント』というファミリーネームをよく記憶しておいてほしいのじゃ。ハリー、いいかの。このオミニス先輩は、ヴォルデモート卿の、祖父の弟にあたる」
まるっきり似ても似つかないと、ハリーはその青年の姿を眺めながら思った。強いて言えば2年生の時に見た「トム・リドル」にならどことなく雰囲気が似ている気もしたが、ハリーにはその白い目をした青年が、誰かを陥れたりする人物には見えなかった。
「この場に居ない第三者の性格や人間性について論ずるという品の無い振る舞いを許しておくれ。オミニス・ゴーント先輩は、むしろアーサーやモリーに近い人物と言える」
「じゃあなんでスリザリンに? ウィーズリー家の人たちみたいだっていうなら、どうして?」
ウィーズリーおじさんたちに似た人だと聞かされたハリーは、反射的にそう訊いてしまった。
「ゴーントという家は、マルフォイ家もノット家も、ブラック家すらも及ばぬほどに、古く特殊な家系なのじゃ。魔法史の授業に何度もその名が出てくるほどにの」
ビンズの授業で寝ていなければ聞き覚えがあったはずの単語なのだと察して、ハリーはダンブルドア校長先生の目が視界に入らないように逃げてしまった。
「ゴーント家は、サラザール・スリザリンの直系なのじゃ。オミニス先輩が言うには、『俺がどの寮に組分けされるかなんて判りきってた』と、そういうわけじゃ。ゴーント家の人間がスリザリンに組分けされるのは、ウィーズリー家の人間がグリフィンドールに組分けされるのと同じくらいに物事の当然の帰結だと、そう考えられておる。つまりヴォルデモート卿も、という事じゃ」
ダンブルドア校長がそこで言葉を切ったので、今はまた自分の発言よりも記憶の中の会話を聞かせたいのだと、ハリーは察した。
「オミニス先輩の、その、もしよろしければ…………生まれた家について、伺いたいんです」
「それはつまり、俺の父と母と兄たちとかそういう意味じゃなくて『ゴーント』という家系全体の話を訊きたいって、そういうことだなダンブルドアくん?」
「はい。僕、今度の魔法史の授業でホグワーツの成り立ちについてやるってビンズ先生に伺ったので、その……それで僕、オミニス先輩の家のことを連想しました。あとウィーズリー先輩とか、マルフォイ先輩とか、ノット先輩とか、そういう…………よく、名を知られた家のことを」
今この小さなダンブルドア少年はウィーズリー家とマルフォイ家を一括りにして、そしてどちらにも失礼にならないように、じっくり考えて慎重に言葉を選んだのだと、ハリーにも解った。
「ダンブルドア家についての話を聞かせてくれるなら、俺も俺の家について話そう」
「それは、僕の家族についてって意味じゃなく『ダンブルドア』って家系全体の話ですね?」
オミニス・ゴーントはニヤリと笑い、ダンブルドア少年も一瞬迷ってから笑顔を返す。しかしハリーはその2人を見てどこかに違和感を覚えたが、それがどこから来ているのかは判らなかった。
「俺はゴーント家の鼻つまみ者だよ?」
「僕まだ11歳ですよ?」
オミニス・ゴーントという名らしいこの穏やかな青年の顔には見覚えがあると、あの先生の授業を受けた時壁に飾ってあった肖像画の中に含まれていたという確かな記憶とは別に、どこかでこんな顔を見たと、ハリーは感じていた。
「まずですね、オミニス先輩。パーセルタングって勉強して習得できるもんなんですか?」
「んー、アイツとかギャレスを見てる限りではどうも、そうみたいだね。教えてくれって頼まれた経験なんか無かったからな。俺もビックリしてる……父や兄たちを見れば、痛快だとも言えるね。あの人達はパーセルマウスを『いと高き血統』の象徴みたいに振りかざしてたから。ねえダンブルドアくん、信じられるかい? 人間同士でパーセルタングで会話する意味、あるかい? 日常会話をほとんど全部だよ? それもヒトの英語よりもよっぽど流暢に、だ」
ヴォルデモートが蛇語についてどう考えているか、自分が蛇語を話せるという事実をヴォルデモートがどう捉えているかを想像したハリーは、確かにアイツはゴーント家の人間なのだと、まだゴーント家についてほとんど何も知らないのに、もうそんな風に思った。
「イカれてんだよ。ほとんど全員ね。ブラック校長を思い浮かべてごらん。ブラック校長は、自分が生まれたブラック家のことを特別な家だと考えているよな? それを誇りに思っていて、だからブラック家の直系たるもの結婚する相手は『然るべきところから』選ばなければならないと、そう考えているよね、あの困ったおじさんは。それをもっと極端に、もっと狭量にしたのが我が家だ」
そこでまた、ダンブルドア校長がハリーの方へと視線を投げかけてきた。
「今からこのオミニス先輩が語ってくれる話を、よく覚えておいてほしいのじゃ。ハリー」
「テストに出るんですね? ダンブルドア先生」
「まさにその通りじゃ。『テストに出る』。そのテストに、きみは合格せねばならぬ。ヴォルデモート卿を打ち倒すために、今からオミニス先輩が語ってくれる知識が、必要になるのじゃ」
「ねえねえアルバスほっぺつついていいかい?」
「今大事な話をしておるのじゃがのう…………」
記憶の中の11歳の自分に話しかけてきた先輩を見ながらダンブルドア校長が本気で迷惑そうな顰めっ面を浮かべたので、ハリーはなんだか楽しくなってしまった。
ロンとかパーシーにイタズラを仕掛けてるときのフレッドとジョージってこんな気分だったのかなあと、ハリーはなんとなく想像した。
「先輩ちょっと向こうで遊んでてくれませんか?」
「やだ! 僕もオミニスとお話したい!!」
記憶の中のダンブルドア少年は眉間にシワを寄せているが、それをハリーの隣に立って見ているダンブルドア校長は嬉しそうに微笑んでいる。
「じゃあきみも座りな。まずね、いいかい? 1年生の魔法史で習うとおり、ホグワーツは4人の魔法使いと魔女によって作られた。その中の1人がサラザール・スリザリン。俺のご先祖様だ。そしてサラザール・スリザリンは、俺の父方と母方のご先祖様だ」
ハリーは記憶の中のオミニス・ゴーントがそう言ったのを聞いてすぐ、シリウスとロンから以前教わった話を思い出すことができた。
「……古い純血家系はだいたい皆親戚同士」
「そうじゃ。そしてハリー、きみはあのグリモールド・プレイス12番地にある『タペストリー』を、今でも思い出すことができるかの? 詳細にとは言わぬ。ぼんやりとでも、思い出せるかの」
ダンブルドア校長に言われて試してみれば、そこに載っていた名前を全てというのは土台無理だったが、それがだいたいどういうものだったのかくらいは、ハリーは思い出すことができた。
グリモールド・プレイスのタペストリー。「純血の由緒正しいブラック家」の家系図を。
「俺の父親は俺の母親の兄なんだよね。ついでに言うと祖父母だっていとこ同士だし、母の母と父の母は姉妹でねぇ。と、そりゃまあ俺みたいなのも生まれてくるってわけだ」
「僕オミニスだいすきだよ」
オミニス・ゴーントが手に持っている杖の先で明滅しているぼんやりとした赤い光を眺めていたおかしな服装の7年生は、オミニス・ゴーントの目へと視線を移してそう言った。
「そうかい? ありがとう」
そう返したオミニス・ゴーントを見ていて、ハリーはようやくこの記憶の中の青年のどこに自分が既視感を抱いていたのかに気づいた。ハリーはその目を見たことがあったのだ。
ハリーはオミニス・ゴーントの目を、2年生の時に見たアラゴグの目と重ねていたのだ。
「このオミニス・ゴーントって生徒は、目が見えていないんですね?」
「そうじゃ。オミニス先輩ご本人から聞いた話によれば、生まれつきだそうじゃ」
先程から自分がずっとこのオミニス・ゴーントに対して抱いていた違和感は、このスリザリンの青年が会話する相手に全く視線を向けないことに因るものだと、ハリーはようやく理解した。
会話する相手の目がどこにあるのかなど、オミニス・ゴーントには判らないのだ。
それに、仮にもし何らかの手段で相手の目の位置を理解していたのだとしても、自分の視線をそちらに向けるというのは、本当に土台無理な話なのだろうと、ハリーは想像した。
そして彼の盲目が生まれつきだというのなら、なるほど、「会話する時は相手の目を見る」という常識自体を知らない可能性すらあると、ハリーは気付いた。
「家の近所にはマグルの集落があってね。兄さんたちはマグルに磔をかけるのが好きだった」
ハリーは思わず目を見開いた。
「純血なんてものをわざわざ保つために、いとこきょうだい同士で結婚し続けたからってのもあるんだろうな。みんな気性が激しいんだよ。すーぐ怒る。それですぐ『クルーシオ』だ」
それはまさにヴォルデモートの特徴だと、ハリーは思った。
そしてハリーが隣を見てみれば、どうやらダンブルドア校長もそう感じている様子だった。
「それがヤだったんだよね、オミニスはさ」
ハリーとダンブルドア校長が見ている記憶の中で、おかしな格好の7年生はオミニス・ゴーントへと手を伸ばし、そっとその頬に触れた。
「お前もやれって言われてね。嫌だって言ったらこっちに『磔』が飛んできた。それで俺は、磔の呪文の苦痛に耐えきれなかった。俺は負けた。兄たちに促されるがままマグルに『磔』を唱えた。それで俺は…………俺の磔の呪文を浴びたマグルの悲鳴は、今でも頭の中で聞こえ続けてる」
「僕オミニスだいすきだからね」
ハリーが抱いた想いを脳内で文章にすることもできずにいる中、ハリーが見ている前で、そのおかしな格好の7年生はオミニス・ゴーントの頬に手を当てたままハッキリとそう言った。
「ありがとな。それで、いいかいダンブルドアくん。サラザール・スリザリンが友人たちと一緒にホグワーツを作った頃すでに『サラザール・スリザリンの思想』は時代遅れの古臭いガラクタだったんだ。グリフィンドールもレイブンクローもハッフルパフも賛同しなかったのがその証拠だと言えるだろう。そしてその思想『純血至上主義』の、ひとつしかない終着点が俺の生まれた家だ」
ハリーの見ている前で、オミニス・ゴーントはハッキリと、純血主義を否定する発言をした。ハリーに見えている範囲だけでも周囲には何人ものスリザリンの制服を着た生徒が居たが誰も異を唱えようとしなかったし、それどころか目に見えて気分を害している生徒すらいないようだった。
「この事は、純血を標榜する家の大人たちも本当は理解している。ブラック校長は判んないけど、あの人ってああ見えて家族大好きだからな。ウチの父や母や兄たちとは決定的に違う。ブラック校長は家族を愛することができるけれど、兄たちにはたぶんできない。…………もしかしたら『愛』なんて概念、理解もできないんじゃないかな。兄さんたちは」
「オミニス今キスしようって私に言ったよね?」
ハリーの視界の奥、オミニス・ゴーントの背後からいきなりそう声をかけてきたのは、ハッフルパフの制服を着たそれぞれ学年が違うのだろう女の子たち3人と一緒にニーズルやらパフスケインやらニフラーやらと戯れていた、スリザリンの女子生徒だった。
「言ったけど、ここじゃダメだろ。アン」
「アン・サロウ先輩じゃ。本来なら7年生じゃが、5年生と6年生の間ずっと事情があって休学してらっしゃったので、本人の希望によりこの年から改めて5年生として学んでおられた」
そう言ったダンブルドア校長は目の前で繰り広げられ始めた賑やかなやり取りに背を向けて、ハリーの方へと向き直った。
「よいかの、ハリー。今年の、この儂との特別授業では、ヴォルデモート卿がいかにして誕生したのか、どのような要素で形作られておるのか、どのような人物なのかをきみに学んでもらう。そして今日のところは、ハリー。オミニス・ゴーント先輩を見て、話を聞いて、どう思ったかの?」
そう問いかけられたハリーは、答えをまとめるのに10秒ほどを必要とした。
「去年の初めに『防衛術』の授業であの先生に教わったんです。ヴォルデモートが愛を知らないってのは、比喩表現でもなんでもなくて、文字通りそのまんまの意味なんだって事。そしてそれは、ヴォルデモートみたいなやつをできる限り生み出さないために、とても重要な要素なんだって。あの時はそれは僕にとって『習った知識』でしたけど、今は、もう少しハッキリと実感してます」
自分の答えを聞いたダンブルドアが微笑みながら頷いてくれたので、ハリーはとりあえず及第点程度の解答はできたらしいと安堵した。
「今日のところは、それでよいと言える。いいかのハリー。『愛を理解できない』というのはの。きみが思っている以上に、そしてもしかすると儂が思っているよりもさらに、致命的なのじゃ。この『弱点』は必ずヴォルデモートの足を掬うことになる。人は時に、愛に突き動かされて不条理な行動をする。しかしあやつはそれが理解できん。すなわち予想も対策もできぬというわけじゃ。この弱点を狙って突くことは難しいじゃろうが、この弱点は、あやつに必ず大失敗をさせる」
「ヴォルデモートは愛を理解できない。けどアイツの手下はそうじゃない。アイツの手下が、アイツの予想もしない行動をとる時が来るって、そう言いたいんですか? 愛を動機に?」
「マルフォイ家は家族愛にあふれておる。違うかの?」
そうだろうけどそれがどうした、とハリーは言いたかったが我慢した。――普段の言動からしてマルフォイの奴は父と母を愛しているし、家族なんだからそりゃそうだろう。マルフォイの父も母も、マルフォイのためならなんだってするだろう。そりゃそうだ一人息子なんだから。でも、ヴォルデモートには僕が今した「そりゃそうだ」という納得ができない。理解ができない。
それなら確かに齟齬のひとつやふたつ起きない方が不自然だと、ハリーはそんな結論に至った。
「ギャレスは居るかしら!!」
「おはようございますタグウッド先ぱ何ですかその鉢植えは」
ハリーがヴォルデモートについて考察していた時、その記憶の中のグリフィンドール談話室に派手な髪の色をしたハッフルパフの女子生徒が1人、勢いよく入室してきた。
「あら。おはようダンブルドアくん。あ、ギャレス! ねえ見て! 大暴れ毒柳の品種改良が進展したのよ! 見てみてこの子かわいいでしょう!!」
その女子生徒が杖で操って浮遊させて運んでいる鉢植えは1年生の背丈くらいあり、枝も幹も全てちぎれんばかりに猛り狂っているその姿は確かにハリーが知っている暴れ柳に似ていたが、しかし枝という枝に紫色の鋭いトゲがビッシリ生えているのは、暴れ柳には無いはずの特徴だった。
「あの、ダンブルドア先生、大暴れ毒柳ってなんですか」
「暴れ柳と毒触手草を交配させたそうじゃ」
「なんでそんなことするんですか?」
ハリーは率直な疑問をぶつけたが、ダンブルドア校長がそれに答えてくれるよりも先に、そのハッフルパフの女子生徒とグリフィンドールの男子生徒の会話は急速な盛り上がりを見せ始めた。
「私この子が獲物を走って追いかけられるようにしようと思ってるのよ!」
「それはいいアイデアだねサチャリッサ!」
「静まれバカども。それで誰かが取り返しのつかない負傷をしたらどうする」
たぶんマルフォイかノットのご先祖なんだろうなと思わせる容姿をした気難しそうなスリザリンの男子生徒がそう咎めたが、ハッフルパフの女子生徒は興奮気味で強硬な姿勢を崩さない。
「大丈夫よマルフォイ。この鉢植えは見ての通り盾の呪文とか色々で包んであるもの」
ハッフルパフの女子生徒がそう言った途端、バチュンと激しい音がして、その鉢植えを覆っていたらしい透明な何かが強烈な枝の一振りで粉砕された。
「まあ! すごいわ、予想以上よ!」
あろうことか目を輝かせているその女子生徒をよそに、マルフォイと呼ばれたスリザリンの男子生徒ほか数名が鉢植えに杖を向けて、保護呪文を厳重に施していく。
1年生か2年生だろう生徒たち数名を除けばほとんど誰も慌てていないことに、ハリーは驚いた。
「サチャリッサ・タグウッド先輩じゃ。儂と同じく蛙チョコレートのカードになっておる」
そう言って懐かしそうに笑うダンブルドア校長に、ハリーは答えの察せている質問をした。
「なんで、ほとんど皆あわててないんですか?」
「いつものことだったからのう。この程度ならトラブルどころか『出来事』にすら含まれぬ。下着姿でグラップホーンに跨って森でケンタウルスを追い回すようなお人が在学しておられたからの」
「なんでそんなことするんですか?」
「先輩はケンタウルスたちと追いかけっこして遊んでいるつもりでおられた。しかしケンタウルスたちは先輩を毎度本気で討伐しようとしておった。ケンタウルスたちはとても迷惑そうじゃった」
ダンブルドア校長はそう言って微笑みながら、グリフィンドール談話室の喧騒を見ている。
「――それで、アルバスはこの後は何か予定があるかい? 朝食までまだ時間有るけど」
「ウィホルト先輩のお見舞いに行きます。目を醒ましてくれるかもしれませんから……」
「まだあれを自分のせいだって思ってるのかいアルバス。まーったくもう――」
1年生の小さなアルバス・ダンブルドア少年とおかしな服装をした7年生のそんな会話を最後に、その100年以上も前の光景は再び煙のように溶けて、薄まって消えていった。
しかし現れた時とは反対に、他の全てが形を失ってもまだ、その生徒の姿はそこにあった。
「いいかいアルバス。よく聴いて。きみがもし本当に道を踏み外すようなことがあったら、その時は必ず僕がきみを殺してあげるよ。だから、大丈夫」
これはダンブルドア先生の記憶なんだからつまりこの人もしかしてこれを本当にあの11歳の小さな男の子に面と向かって言ったのかと、ハリーは開いた口が塞がらなかった。
そのおかしな服装の生徒の目をじっと見つめたままのダンブルドア校長が今どんなことを思っているのかも、ハリーには想像するしかなかった。
【ゴーント家】
カンタンケラス・ノットだろうと推測されている人物が1930年代に出版した「純血一族一覧」に「間違いなく純血」として名前が載っている28の家のひとつ。
ゴーント家はサラザール・スリザリンの直系の子孫であり、判明している限りでは全員が生まれつきの蛇語話者。原作では日常会話すら蛇語で行う様子も見られた。
純血主義者の中でも特に思想が極端であり、サラザール・スリザリンの直系たる「血の純粋さ」を守るために「然るべき結婚相手」を選び続けた結果ゴーント家は他の純血を標榜する古い家系とすら婚姻しなくなり、ゴーント家の内だけで近親交配を重ねていった。
ゴーント家における「普通」の者は、自分たち以外のほとんどの「血が純粋でない」魔法族とマグルのことを一緒くたに、虫などと同列の下等存在だと考えている。
ヴォルデモート卿の母親がメローピー・ゴーント。
私の妄想の中の「11歳のアルバス・ダンブルドア少年」は学年1のチビでほっぺまんまるです。
3年生くらいから急速に背が伸びて原作や映画の姿になっていくんだ。