104年後からの今 作:requesting anonymity
イングランド西部、オッタリー・セント・キャッチポール村の郊外。幾つもの小屋を乱雑に積み上げたような奇妙な外観をした家に、思わず足を止めて見入ってしまうほどに色鮮やかな夕焼けを彷彿とさせる、燃えるような髪の色をした一家が住んでいる。
「やあモリーくん、急にお邪魔してごめんね。ちょっと『騎士団』に連絡事項ができてね」
「お久しぶりですモリーおばさま! あたしのこと覚えてますか!」
「もちろんよクローディア。来ていただけて嬉しいです先生。ようこそ我が家へ」
その一族、ウィーズリー家の人たちはいつだってグリフィンドールの談話室の暖炉くらい暖かくて、誰かに何かを頼まれてそれを断るなどという選択は、滅多にしなかった。
だからヴォルデモート卿とその信奉者たちに対する抵抗運動「不死鳥の騎士団」の本拠地をシリウス・ブラックの生家であるグリモールド・プレイス12番地からどこかへ移すという話になった時、アーサー・ウィーズリーとモリー・ウィーズリーは真っ先に「我が家をぜひに」と提案した。
「我が家に毎年どれだけたくさんのクリスマスカードが届くのかを、例のあの人は知らない」
不死鳥の騎士団の新しい本拠地として自宅を提供すると提案した際に一家の父アーサー・ウィーズリーがそう述べたのは、決して自慢でも冗談でも無く、ウィーズリーの数多い親類縁者たちは、事実として「不死鳥の騎士団」の活動を世界中から支えてくれていた。
日本で生まれてマホウトコロを卒業した京都の庭師一家も、中国にある魔法生物の保護施設に住み込みで働いている老夫婦も、祖父の代からオーストラリアに住んでいる一家も、アメリカに住んでいる何組かの家族も、世界中の「ウィーズリー一家」が皆、多くとも年に数度しか会わないイギリス在住の親戚を、きょうだいや我が子に対してそうするのと同じように、即答で助けてくれた。
「ママ、トルコのアブドゥルラザクおじさんから手紙の返事が届いたよ――」
2階から降りてきたチャーリー・ウィーズリーは玄関に居た来訪者2人のうち片方だけに見覚えがあり、ひと目見ただけでそれが誰なのかを理解して、ビタリと立ち止まって目をひん剥いた。
その「来訪者2人の片方」も、いま玄関から見える位置に来たのが誰なのかにすぐ気づいて、大きくてまんまるの目をさらに大きくてまんまるにして、飛び跳ねそうな勢いで大喜びし始める。
「あーー!! チャールズくんだぁ! ねえねえチャールズくんあたしのこと覚えてますか!!」
「……こりゃ驚いた。きみクローディアだね? 1年生の最初の魔法薬学の授業でクラスの半分の机と大鍋とスネイプの大鍋まで粉々にした“クラッシャー”クランウェル! 6年生の時に神秘部にインターンに行ったっきり何の音沙汰も無くなったクローディア・クランウェル=ブラック!」
ウィーズリー家の末妹ジニーと同じくらいに見える背丈と、あどけなさの残る顔立ちと、外見以上に幼さを感じさせる言動。そんな英国魔法省神秘部所属の上級研究員クローディア・クランウェル=ブラックは、この「隠れ穴」に、ホグワーツの生徒だった頃に一度だけ来たことがあった。だから同級生のチャーリーだけでなくモリー・ウィーズリーも、クローディアのことを覚えていた。
「やったぁチャールズくんがいた! ぶちょうチャールズくんが居ましたよ! ねえねえチャールズくんあたしチャールズくんにプレゼント持ってきたんです作ったのあたしじゃないですけど! これチャールズくんが居なかったら不死鳥さんに頼んで届けてもらうつもりだったんですよ!」
普段から「チャーリー」と愛称で呼ばれる場合がほとんどなウィーズリー家の次男チャールズ・ウィーズリーはバタバタと激しい動きで駆け寄ってきて勢いよく抱きついてきた同級生のクローディアを受け止めつつ母モリーともう1人の訪問者を見て、そしてまたクローディアを見る。
「向こうでお話しようかクローディア?」
「わかりましたチャールズくん!!」
玄関でママと話してるもう1人のお客さんが誰なのかは判らないけどクローディアを連れてきたってことは神秘部の人で、「騎士団への連絡事項」だと言っていた以上は重要な用事で来ていて、それはつまりこのクローディアが邪魔をしてはいけないと、チャーリーは気を回した。
「……ぼく夕食作るのお手伝いするよモリーくん?」
ありがたいはずの申し出を、モリーは社交辞令ではなく実利を理由にやんわりと断る。
「あなたが料理をする時にどれだけたくさんつまみ食いをするか、私は覚えてますわ。先生。向こうで料理ができるまで待っててくださるかしら?」
「ちぇーー、わかったよーぅ。……アラスターくーん、ちょっといーい?」
ホグワーツが休みの間はウィーズリー家の面々がそこに集合して賑やかに食事を摂るのだろう、かなり年季の入った木の長テーブルに、今は数人の「不死鳥の騎士団」の勇敢で優秀な魔法使いたちがキッチリと座って大人しく夕食が運ばれてくるのを今か今かと待っていた。
「もちろん構わんとも、先生。で早速だが、その本題の『連絡事項』ってのは何だ?」
「トムがバジリスクを調達してた。孵化させたとかじゃなくて、成体を直接」
そこで行われていた全ての雑談が中断され、暖かな団欒の雰囲気は一瞬で凍りついたが、それでもアラスター“マッド-アイ”ムーディは冷静だった。
「重大な情報だが、……なにが変わるわけでもないな」
「それマジで言ってんのマッド-アイ? バジリスクだよ? 『例のあの人』に!」
マッド-アイの向かいに座っている闇祓いの制服を着た体格の良い男性は見るからに動揺していたが、その驚きとやり場のない焦燥はマッド-アイには伝播しなかった。
「なら訊くがニンファドーラ。バジリスクの特徴を言ってみろ」
「ニンファドーラって呼ばないで。バジリスクは目が合ったやつを殺せる。目が合っただけで。それでだいたいの呪文がロクに効かなくて、牙にはものすごい毒があって、それで――」
「ヴォルデモートも同じだろうが。ええ?」愛弟子の発言を遮って、マッド-アイ・ムーディは吼える。「違うか? 誰彼構わず簡単に殺す。大体の呪文を防ぐ。ヴォルデモートが元々そうだろうが。そこにバジリスクが加わったとて今更なにも変わらんだろうが。儂らはヴォルデモートと戦っとるんだぞ、ヴォルデモートと! なのにバジリスクなんぞに怯えてどうする? ハリーは12の時に始末してみせたぞ。それも噛まれながら!」
それはそうかもしれないけど、とかなんとかブツブツ言いながら体格の良い男性は着座したままその姿を変えていき、派手な髪の色をした若い魔女になった。
「服は身体と一緒に変わってくれないの、僕とおんなじだねぇニンファドーラくん」
「ニンファドーラって呼ばないで」
生まれつき自由自在に己の姿を「変身」させられる稀な体質のニンファドーラ・トンクスは、生まれ持った自分本来の姿に戻ると、一度腰を浮かせて椅子に深く座り直した。
「それなら、それならさ。その『例のあの人』は、なんでバジリスクを手に入れたの? 飼いたかっただけじゃないんでしょう? 何か明確な目的があったんでしょう? 戦力増強以外に」
戦力というならそれこそ「例のあの人」ひとり居ればそれで足りていて、だからわざわざそこへ何かを新しく迎え入れてまで強化など図らないだろうとは、トンクスも思っていた。
例のあの人がバジリスクを欲したのには、戦闘の手駒にしたい以外に理由があると。
「んーとね。トムはね、ニンファドーラくん。例えばきみが休日に立ち寄ったグラドラグスで最高の一着を見つけた時と同じ動機で、バジリスクを欲するのさ。『自分を彩るのに相応しいから』。彼にとってあのバジリスクは、そりゃもちろん強力で便利な手駒でもあるけど第一にはトロフィーなんだ。傍に置いとくと『ヴォルデモート卿』って存在をより際立たせてくれる、最高の装飾品」
その魔法使いは、分霊箱の話を一切しなかった。
「…………つまり、あなたの推測が正しければ、それを遠くに派遣して誰かを暗殺したりは――」
「しないだろうね。片時も離さず傍に置いとくはずだよ。それって彼がどこかへ出かける時は常にバジリスクも伴うって意味でもあるけど、それでもアラスターくんが言った通りバジリスクがトムの傍に居ようが居まいが、危なさは大して変わらない。だってトムったら元から危ない子だもの」
トムとだけ言われると「漏れ鍋」の店主が思い浮かぶニンファドーラ・トンクスの脳内では今、気のいい髭のおじさんがカクテルを作っているすぐ目の前のカウンター席で、樹木のような太さの胴体をした大きなヘビが樽から直接ファイアウィスキーを飲んでベロベロに酔っ払っていた。
「ニンファドーラお前いま余所事考えてるな」
「考えてないよマッド-アイ」
別にニンファドーラ・トンクスは嘘が下手ではなかったが、何故か周囲にとびきり勘の鋭い知り合いが多いせいで、嘘で上手くその場を切り抜けたり誰かを騙せたりすることは滅多になかった。
「きみが想像してる通りだよアラスターくん。これは知ってる人が少なければ少ないほどいい」
「…………生きているものを、というのは。あまり賢い選択ではないように思うんだが」
やはりヴォルデモートの奴は分霊箱にするためにバジリスクを調達したのだとその魔法使いの言葉から察したマッド-アイ・ムーディは、その推測からさらに思考した結果生じた疑問を、闇祓いとしての恩師でもあるその10代後半にしか見えない容姿をした122歳の青年にぶつけた。
「反逆されない、反逆されても勝てるって自信があるんでしょ。……実際、バジリスクにやられるようなトムじゃあないだろうし。本当に単なる装飾品なんだよ。彼から見ればバジリスクですら」
そう言い終えた途端、青年が着用している高級そうな黒地に青の細いストライプ柄のジャケットの胸ポケットから姿を表したモグラのようなカモノハシのような1匹の小動物がジャケットにしがみついて青年の肩まで登り、そこでキョロキョロと周囲を見回してからテーブルに飛び降りた。
「おはようリチャード。お腹すいたのかい?」
「あらまあ。ニフラーのお眼鏡に適うものなんて我が家にあったかしらね?」
大きな鍋を両手で運んできたモリーがその小動物を見て笑ったので、鍋の中身が少し揺れた。
「――へえー。あの子アメリカの魔法省で働いてるんですか! すごいすごい! じゃあじゃあチャールズくんも3年生の時に言ってた夢叶えてたりしますか!」
隠れ穴の2階にある自分の部屋で、チャーリー・ウィーズリーは「失踪」した1990年から今までずっと神秘部で研究していたというクローディアに、同級生たちが今なにをしているのかを知っている限り、訊かれるままに教えてあげていた。
「ホントにきみって人は眩しいね、まったく。僕が夢破れてたりしたらどう反応するつもりだったんだい? ご期待の通りルーマニアのドラゴン保護施設でドラゴンの世話と研究をしてるけどさ」
「えー、それはだって何してたってチャールズくんはチャールズくんですもん。人の価値は職業だけじゃないですよ。あたしチャールズくん好きですし。あでも、ドラゴン学者してるなら持ってきたプレゼントぴったりですよ! ほら見てくださいこれ! 副部長に作ってもらったんです!」
クローディアは元気いっぱいの声で嬉しそうにそう言いながら、自分が着ている服の中をモゾモゾと両手で探り回して、そこから1匹のニフラーを掴み出した。
「お仕事の時間ですよぉドナハンくん」
クローディアはそのままニフラーを左手で逆さに持ち上げ、右手の人差し指でそのお腹をくりくりと撫で回し始める。するとニフラーのお腹にある袋から大量のクヌート銅貨や少々のシックル銀貨、そして数枚のガリオン金貨に紛れてスパンコールに覆われた黄色い巾着袋が溢れ出てきた。
「…………クローディアきみ、ニフラーを貴重品入れにしてるのかい?」
「そですよ? チャールズくんも大事なものはキラキラした容れ物に入れてニフラーに預けるといいです。大事にしまっといてくれますし、自分で逃げたり隠れたりこっち来たりできますから」
そしてクローディアはニフラーを床に降ろして貨幣の海の中から巾着袋をサッと拾い上げ、チャーリーの目を見て得意げにニンマリして、巾着袋から何やら膨らんだ塊を引っ張り出した。
それは小柄なクローディアがベッドにできるくらい大きくて、嘘みたいに手足が短くて、チャーリーの親戚のマグルのデイヴィッドおじさんくらい身体がパンパンに丸くて、まるでクリスマスの贈り物かのようにリボンで可愛らしく飾り付けられている、ドラゴンを模したぬいぐるみだった。
「わあ、これヘブリディアンブラックだね?」
「そです。部長が飼ってるイメルダちゃんです。それでねそれでですね、チャールズくんこれこのぬいぐるみ、何でできてるか判りますか! ヒントはとっても頑丈な素材です!」
自分が貰って嬉しい物だから贈っても喜んでもらえると信じているクローディアは、得意満面で胸を張って、久しぶりに再会できた同級生のチャールズくんの褒め言葉を今か今かと待っている。
「ドラゴンの皮で紐を作ってそれを編むって製法を聞いたことがあるけど、革っぽくないし……」
もう少し考えればもしかすると答えに辿り着けるかもしれないと思いながら、しかしチャーリーはクローディアが欲しがっているだろう解答をする。
「…………ダメだ、わからない。降参。答え教えてくれないかい、クローディア」
「ふふーん。わかんないですか。ふふーん! 答えはですね。ででででてででででれ、ちゅどん! マンティコアのたてがみです!」
聞いた単語を受け止めきれなかったチャーリー・ウィーズリーは驚きのあまり一瞬言葉を失ってしまい、クローディアが飼っているニフラーのドナハンくんが床に散らばったコインを次々回収してお腹の袋にしまい込む忙しない物音だけが部屋に響いた。
「ロンとフレッドとジョージとジニーが言ってたっけなそういや……去年『防衛術』の授業をしてくれた先生はマンティコアとか色々飼ってて、しかもみんな大人しくて言うこと聞くんだって」
その「先生」の授業を受けたことがなく、不死鳥の騎士団の集まりで数回見かけただけのチャーリー・ウィーズリーは、主に弟たちなどからの伝聞でしかその人物の情報を知らなかった。
魔法生物に関する広範で詳細な知識を有するからこそ受け止めきれていなかった昨年度末の神秘部で発生した戦いの報告が、「山みたいなサイズのマンティコアが助けてくれた」という家族や「騎士団」のメンバーやハリーと仲間たちの言葉が、チャーリーは今ようやく腑に落ちていた。
「そんな嘘みたいな人が本当に居るんだね。毎回声も外見も全然別人だなあとは思ってたけど」
「ぶちょうは嘘みたいですけど、ホントに居るんですよ。すんごい幸せそうにお食事するんです」
クローディアは気軽に杖を一振りして床に散らばった大量のコインやその他の自分の貴重品をまた元通りニフラーのお腹の中へと収納し、リボンでラッピングされた大きくてまるいドラゴンのぬいぐるみをチャーリーの目の前にズイと差し出した。
「これプレゼントです。チャールズくんにプレゼントのつもりでしたけど、これはドラゴンちゃんたちが遊ぶための物なので、チャールズくんがルーマニアでお世話してるドラゴンちゃんたちにあげてもいいです。チャールズくんが持っててくれた方が嬉しいですけどぅ……それで! これはぶちょうのお友達のおっきいマンティコアのゴドリックのたてがみから作った布と糸でできてます。とってもとっても頑丈な物に副部長が保護魔法をかけたんですから、ぶちょうの『悪霊の火』でも全然コゲたりしませんでした。お洗濯はしなくていいです。これ汚れないので。どんな魔法でもだいたい弾いちゃいますけど『エンゴージオ』と『レデュシオ』だけは効きますからサイズは好きに変えられます。あと中身はバロメッツのワタがギッシリです。ふわっふわのバフバフですよぉ!」
ドラゴンが噛みついたり踏んづけたり引っ張ったりして遊べるおもちゃを作るべく神秘部のとある職員が研究して製法を確立させた「マンティコアのたてがみから作る糸と布」は、材料を提供しているのがマンティコアたちのなかでも特別に強大なゴドリックだということもありドラゴン皮すら比較にならないほど強靭で、害ある魔法に対してもホグワーツくらい強固に抵抗した。
「触ってみてくださいチャールズくん。この布は手触り良くするのが大変だったらしいので!」
言われるがままその大きなぬいぐるみに手を伸ばして撫でて押してみたチャーリーは、その心地の良い感触に驚いて反射的に笑みをこぼしながら、クローディアへと視線を向けた。
「ありがとうクローディア。大切にするよ」
「ホントですか! わあぁ……! ありがとうございますチャールズくん!」
喜んでもらえて嬉しくなってしまったクローディアがチャールズくんに抱きついたのと同時に、1階からモリー・ウィーズリーが大きな声で夕食の準備が完了したことを通告してきた。
「降りようかクローディア。早く行かないと僕らのぶんまで食べられちゃうよ」
1階へと早足で急ぐチャーリーことチャールズ・ウィーズリーの後ろに、いつにも増して幸せそうな笑顔のクローディアはピッタリくっついて追いかけるのだった。
そして1階に降りてみたら同級生で大好きなお友達のニンファドーラ・トンクスが居てビックリしたクローディアはウィーズリーおばさんのおいしい料理をチャールズくんの隣の席でお腹いっぱい食べて、別れ際にチャールズくんに「今度は神秘部の中にあるあたしのおうちに遊びに来てください」と提案してOKを貰い、部長に連れられて大喜びしたまま神秘部へと帰り着いたのだった。
翌朝。クローディアが神秘部の中にある自宅のベッドで目を醒まして、朝の身支度を何もしないままネグリジェ姿で研究室まで行こうとして親しい同僚の魔女に見つかり世話を焼かれている頃。ホグワーツではひとりの生徒が、それまで全く想像だにしていなかった試練に挑んでいた。
「アストリア。お前の姉を呼んできてくれるか? まだ寝ていたら起きるまで待ってからでいい」
「わかったわノット。すぐ連れてくるわね!」
アストリア・グリーングラスが女子寝室へと繋がる通路へ駆けていったのを見届けて、ダフネ・グリーングラスは普段通りなら未だ寝ている時間なのでアストリアの奴は今から姉のベッドに潜り込んで二度寝を始めると確信を得てから、セオドール・ノットは手元の本へと視線を戻した。
「それで、……トレイシー・デイビス。…………この本は何だ? これは何を書いた本だ?」
「セオドール・ノットくんと、ドラコ・マルフォイくんが、その、同じベッドでですね――」
「お前が書いたのかデイビス」そこから先の説明は聞きたくなかったので、ノットはトレイシーの発言を遮って追加の質問をぶつける。「お前がお前の意思でこれを作ったのか? 目的は何だ?」
自分とセオドール・ノットの2人だけしかいない朝早くのスリザリンの談話室で、床に敷かれた絨毯に直接座っているトレイシー・デイビスは声も身体も弱々しく震えていた。
「文章は私ですハイ……挿絵はルームメイトですけど、どういう絵が欲しいかリクエストしたのは私で、この絵を描いた子は私っ、私の指示に従っ、従っただけっ、ですぅぅ……」
「どういう、意図と、目的で。これを……製作したんだ」
内臓を締め上げられているかのように、それこそ磔の呪文でも浴びているかのように途切れ途切れの回答しかできずにいるトレイシー・デイビスは、縋るような目をノットへと向けた。
「そういう種類の――肉体関係を丁寧に描写する物語を――読んだり書いたり妄想したりするのが好きなんです……ルームメイトの皆と、お互い見せあいっこしたりして楽しんでるだけなんです」
ソファに座っているセオドール・ノットにしつこい油汚れを見るような冷たい目で見下ろされて、トレイシー・デイビスは、大興奮していた。
たまんないシチュエーションだぁ私こんな趣味もあったのかぁ次はこれを書こうと、許可なく題材にしていた本人に秘密の趣味を見つかってしまった羞恥心と罪悪感から生じる苦しみに身を焼かれながら、同時にその羞恥心が快感でもあると、トレイシー・デイビスは新たな発見をしていた。
同好の士でもあり秘密を共有する親友でもあるルームメイトたちから「あの子が自分の嗜好を自覚したら厄介だから指摘しないようにしましょう」と見守られていたトレイシー・デイビスの内心など察せていないセオドール・ノットは、手元の本のどう見ても自分とマルフォイの奴な挿絵をもう一度見て、それからトレイシー・デイビス本人を見て、大きく大きく溜め息をついた。
「……つまり、これが僕の視界に入ったのは不幸な事故であって、きみの本意ではなくて、きみはこれを、被写体にした相手を貶めるためではなくあくまでも美術的な目的と個人的な楽しみのために製作していて、趣味を同じくする限られた相手だけと共有していると、そういうわけだな?」
「そうっ、そうでしゅ」
ソファに腰掛けているセオドール・ノットは手に持っていたその本を閉じて、絨毯に直接座っているトレイシー・デイビスを見下ろして、また大きく溜め息をついた。
「きみたちの『楽しみ』というのは、これを使って僕らの評判を下げるとか辱めるとか、そういうことを目的にしているわけじゃあないんだな?」
「め滅相もございません!! ちがいます!! 自分たちが読みたいものを書いてるんです!!」
セオドール・ノットは、トレイシー・デイビスを通して、今の時間はまだ寝室で寝ているのだろう彼女のルームメイトたちの姿をも見ていた。そしてノットは再び、大きく溜め息をつく。
「…………個人の自由の範疇だっ……」
セオドール・ノットは絞り出すようにして零したその言葉で、どうにか自分を説得した。
「あぁ、ぁりがとうございますぅぅ……あの、なんでも言うこと聞くんで、この事はどうか――」
「誰が言いふらすか。口が裂けても言うもんか」
その言葉を聞いて安心したトレイシーは、絨毯に座ったまま前方にべっちゃりと倒れ込んだ。
しかし数秒後、トレイシーは倒れ伏したままムクリと首から上だけ持ち上げてノットを見る。
「あのノットくんもし良ければなんですけどもう少し強めに罵っていただくことって――」
「黙れ」
ノットが拒否のつもりで発したその一言で、トレイシーは満足した。
優しいしカッコいいし声綺麗だしたまんねえやウヘヘぇへへうへ、とかなんとか呟いてまるで失禁でもしたかのように力なく笑い続けるトレイシーを、ノットは去年の魔法生物飼育学でハグリッドにセストラルを見せられた時と同じ険しい表情で、しかし視線を逸らせずに見続けていた。
「うへへへ……ノットくんもっと見てください……ぐふっ、へへ。ありがとうございます……」
こんな奴に嫁の貰い手があるんだろうかと、ノットは無礼千万な心配をしていた。
「あらホントに居た。おはようノット」
「…………おはようグリーングラス。……お前、知ってたな?」
セオドール・ノットにジットリと睨まれたダフネ・グリーングラスは、しかし一切悪びれる様子もなく、完璧に仕上がった魔法薬をスネイプに提出する時のように堂々と、罪を認めた。
「知ってたわよ?」足元でべっちゃり潰れたままモゾモゾと蠢いているトレイシーを見下ろしてダフネは言う。「あなたが私の立場だったら、モデルにされてる本人に即刻喋ったかしら?」
そしてセオドール・ノットは、さっきトレイシーに言ったのと全く同じ回答を用いて粛々と自分を説得し、それによってダフネ・グリーングラスをも赦すことに成功した。
「言わん。コイツは、このトレイシー・デイビスとルームメイト共は、あくまでも自分たちだけで読んで楽しむためにこれを製作していて、そこに描写されている僕らを貶める意図は無い。どころかそうならないように、僕らの目につかないように気をつけている――でなければ僕らが6年生になった今年よりもっと早くに発覚していただろう――もっとも、今回こうして事故が起きたわけだが。そして空想するだけならそれがどんな内容であれ、それは個人の自由だ。空想を形にした成果物を自分で見て楽しむのも個人の自由だ。…………僕に咎める権利は無い」
「いや咎める権利はあると思うけれど」
ダフネの端的な指摘に対して聞こえないフリを決め込みつつ、ノットはもう一度トレイシー・デイビスに、言葉を選びながら恐る恐る話しかける。
「おいデイビス。アストリアの奴が戻って来るまでにこれを元あった場所にしまえ。あとこの類の物を、つまりお前達の制作物を、可能な限り僕らの視界に入れるな」
「おぉ御慈悲に感謝しますぅ!」
跳ねるように起き上がって本を受け取り脱兎のごとく寝室へ退散していったトレイシー・デイビスを見送って、セオドール・ノットはまたしても深く溜め息をついた。
「よく気配りができる優しい良い奴なんだがな…………」
「あなたほどじゃあないと思うわよノット」
現在すこし精神が荒んでいるために嫌味を言われたのかと誤解しそうになったノットは、しかしダフネはそんな奴じゃないとすぐに思い直して、深呼吸して心を落ち着けて、平常心を取り戻した結果湧いてきた疑問をダフネ・グリーングラスにぶつける。
「そういえばアストリアはどうした? 僕はてっきりお前と一緒に寝たものだと思ってたんだが」
「アストリアなら朝の身支度をしてるところよ。制服に着替えて、『サチャリッサ・タグウッドのおくち根こそぎ爽やか呪文』も自分でやって――あ゙ぁアストリアの髪をセットしてあげなきゃ!! あの子この頃ちょっと目を離したらすぐモヒカンにしたがるのに私ったら!!!」
ダフネ・グリーングラスが大慌てて寝室に引っ込んでいた数秒後、「ぁ゙ぁ遅かった!!」というダフネのものだと思われる大きな声が響いてきて、ノットは思わず笑ってしまった。
「スリザリンこそホグワーツで最高の寮だな、やはり」
一度立ち上がってソファに深く腰掛け直したノットは途端にコーヒーが飲みたくなって、しかし立ち上がるのが面倒くさくて、取り出した杖を自分の寝室へ向けた。
そしてノットが全ての工程を杖を振って行いソファに座ったままコーヒーを淹れ終えた頃、マグルの政府施設の地下に存在する英国魔法省本部の知られざる神秘部の部長室に、同魔法省の魔法生物規制管理部特別顧問を務める穏やかな老人が、妻とともに呼び出されていた。
「あの、おはようございます」
「おはよニュートンくん。それにポーペンティナくんも。来てくれてありがとね。それにごめんねこんな朝早くに呼び出して。……ちょっと特別任務があるんだけど、アルバスにも内緒でやってくれないかなって思ってさ。きみにしかできないんだ」
やります、と99歳のニュート・スキャマンダーは即答した。
「そ? じゃあまずね、いいかい? チャーリーくんがルーマニアを拠点にしてやってくれてる仕事を、きみにもしてほしいんだ。ヴォルデモート卿に対抗するための協力者集めをさ。それで、僕がこれをきみに頼む意味を、これがなんで『きみにしかできない』のか、解るよね?」
「僕はっ、僕はその……動物たちを危険に晒すことは、したくありません…………」
「来年度が終わったら、ロルフはハリー・ポッターたちと入れ替わりに、ホグワーツへ入学するよね。その時にまだヴォルデモート卿が元気いっぱいに活動しててほしいって、そう思うのかい?」
最愛の初孫を引き合いに出されては、ニュート・スキャマンダーに逃げ道は無かった。
そしてニュートは同時に理解した。目の前のこの人物とて動物たちを危険な目に遭わせたくはないのだと。しかしそんなこだわりを持ったままでは例のあの人に対抗することはできないのだと。
自分にできる全ての手段を用いなければ、例のあの人を打倒することなどできないのだと。
それはつまり、目の前のこの神秘部部長を務める「あのダンブルドアの学生時代の先輩」が、かの恐ろしきヴォルデモート卿を本気で、しかも「不死鳥の騎士団」に参加するのではなく独自に、討伐しようとしているということでもあった。
現にこの人物は、独自調査の結果として得た「ヴォルデモート卿は分霊箱を6つ作っている」という情報を、未だにアルバス・ダンブルドアに開示していなかった。
これは他でもない、密に情報交換するよりは各々が独自にその情報にたどり着く方がヴォルデモート卿に勘づかれる危険性が低いだろう、という建前でアルバス・ダンブルドアの類稀なる知性と調査能力にもたれかかった、信頼という名の甘えだった。
しかしアルバス・ダンブルドアも、そしてニュート・スキャマンダーも、この頼りになる時とならない時の差が激しい奇矯な人物からの信頼に、いつだって見事に応えてみせるのだった。
「やります。部長。ともだち皆に声をかけてきます。……けど、ひとつだけ、いいですか」
「なんだいニュートンくん」
「あの、僕シルバヌスくんも、連れて行ってあげたいんですけど。いいですか」
「いいよもちろん。きみに任せたんだから、きみが必要だと思う人材はきみの判断で連れってっていい。まあ当然、本人が了承してくれるなら、だけど」
ありがとうございますと丁寧に礼を言ったニュートは、しかしまだ出発はしない。
「あとシルバヌスくんを誘うついでにホグワーツに寄って、できれば授業とかしたいんですけど、ダンブルドア先生に話を通しておいてもらえたり、しませんかね……?」
「そういうのは自分でやらなきゃダメだって言ってるでしょうニュートったら」
「良いよー。――お前、ちょっとアルバスにこれ届けてきてくれるかい?」
指先をクルリと回して作り出した手紙を不死鳥に託した部長と、すぐ眩しい炎に包まれて姿を消した不死鳥の姿を見届けて、ニュートは妻の咎めるような視線を浴びながら口を開く。
「いつ見ても綺麗ですね。不死鳥の『姿くらまし』って」
「アイツわざと必要以上に激しく炎出すんだよ。皆がビックリしてくれるもんだから……それに今だって、見たでしょ? ポーズまでとっちゃってさ。まーったくもうカッコつけなんだから……」
あなたもそうじゃあないですか、とはニュートは言わなかった。言わなかったが、ダンブルドア先生のフォークス然り、不死鳥ですら他のペットと同じように飼い主に似るのか、それとも不死鳥が自分に似たところのある人物を主に決めることが多いのかは、ニュートにも解らなかった。最初にして最高の魔法生物学者ニュート・スキャマンダーには魔法生物について解らないことがまだまだ山のようにあったし、それは新たな発見をひとつする度に幾つも新たに生じるものだった。
そしてそれこそが、魔法生物学者ニュート・スキャマンダーにとっての生きがいだった。
しかし同時にニュートにとって、それだけが生きがいというわけでもなかった。
「じゃあホグズミードに行って、それからホグワーツに行ってきます」
「うん。頼むよニュートンくん。ポーペンティナくん。きみたち抜きじゃ勝てない」
シルバヌスくんはロウェナに会ったらどんな顔するかなぁと想像を膨らませているニュート・スキャマンダーにも、ウィーズリー家の人たちと同じように、世界中にたくさん友達がいた。
ただニュートがウィーズリー家の人たちと決定的に異なっているのは、こういう時に助けてくれる友達に、ヒトよりもそれ以外の生き物たちの方が多いという点だった。
人間の友達が少ないという意味では、ない。
世界中に居るニュートの「友達」には、魔法生物たちがたくさんたくさん含まれていた。
マグルたちが神だと信じている一部の魔法生物すら、ニュートにとっては大好きな友達だった。
「いいかいニュートンくん。ヴォルデモート卿はバジリスクを従えている。ギリシャ魔法省が秘密裏に管理していた、何千年もずっと冬眠し続けていた『腐ったハーポのバジリスク』だ。それで、これは部下たちだけじゃなく友達にも調べてもらってハッキリしたことだけど、バジリスクは頂点捕食者じゃない。あの強大な蛇たちにも天敵がいる。…………わかるね?」
神秘部部長の言いたいことを、ニュートはすぐに察した。
「はい。シルバヌスくんが了承してくれたら彼も連れて、まずはロウェナに会ってきます」
そして朝食が始まろうとしているホグワーツの大広間で、本日午後からニュート・スキャマンダー氏が魔法生物飼育学の特別授業を執り行うという通達がなされて、それが学年を問わず全ての希望する生徒が参加できるものだというダンブルドアの説明を聞いて誰より大喜びしたハグリッドは、興奮のあまり隣のフリットウィック先生の手の甲に深々とフォークを突き立ててしまった。
「ああぁすまねえフリットウィック先生。わざとじゃねえんだ!」
ハグリッドは勢いよくフォークを引き抜き、フリットウィックは2度目の短い悲鳴を上げた。
【チャールズ・ウィーズリー】
ウィーズリー家の次男。ハリーたちが入学するのと入れ替わりにホグワーツを卒業した、ハリーの前のグリフィンドールクィディッチチームのシーカーで、オリバー・ウッドの前のキャプテン。
ニンファドーラ・トンクスとは寮こそ違うが同級生。
【サチャリッサ・タグウッドのおくち根こそぎ爽やか呪文】
公式設定には影も形も無いが私の妄想にはハッキリと存在する、口臭や虫歯や歯周病などなどのお口周りのトラブルを全部予防するついでに汚れや食べかすもキレイにしてくれる便利呪文。
原作者が「魔法族はマグルが罹る病気には同じように罹るが簡単に治せる」「その代わり魔法界にしか存在しない病気がある」と仰っている以上、うがい薬と歯磨きとデンタルフロスを兼ねるような呪文か魔法薬も存在すると思うんだ。
「歯磨き糸楊枝型」ミント菓子なんてものがある以上、口腔ケアって概念はあるんだろうし。
次回、シルバヌス・ケトルバーン。