104年後からの今   作:requesting anonymity

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69.シリウスとバーノン

 バーノン・ダーズリーも妻のペチュニアも、最愛のダッダーちゃんがスメルティングスの3年生になった年にその男がテレビのニュースで繰り返し繰り返し報道されていたのを覚えていた。

「凶悪犯」「13人殺害」「脱獄」「目下逃亡中」「行方知れず」

 そんなキーワードとともに何度も繰り返されていた名前と、その顔を覚えていた。

 

 だから今年の8月末に再びその男がBBCのニュースに登場した時、バーノンもペチュニアも字幕を読み間違えたかと思ったし、アナウンサーの発言を聞き取り損ねたのかと思った。

「かねてより逃亡中だと伝えられていたシリウス・ブラック氏が、無実だったという公式発表がロンドン警視庁よりなされました。ロンドン警視庁の公式発表曰く、ブラック氏は12年前に大量殺人の現場に居合わせただけの単なる『目撃者』であり――」

 いったいどれだけ運が悪ければ無実の罪で12年も牢に繋がれる羽目になるのかということと、12年も無実の人間を牢に繋いだ挙げ句真犯人を野放しにしておきながらなぜ警察上層部が誰も引責辞任のそぶりすら見せないのかということが、バーノン・ダーズリーの目下の疑問点だった。

 

 一方、そんなバーノンとペチュニアの息子であるダドリーは3年前のニュースなんか当然覚えていないが、このカッコいいシリウスおじさんがハリーの父親の大親友で魔法使いだということは、ボクシングジムでシリウス当人から聞いたので知っている。

 

 そしてシリウスは、ダーズリー一家がハリーをどのように「取り扱ってきたか」ということを、ハリーから聞いて知っている。

 つまり彼らが穏便に交流するには、どちらかだけでなくダーズリー一家とシリウス・ブラックが互いに歩み寄り最大限に配慮するという努力が必須だった。

 おそらく魔法使いとマグルという根源的な隔たりが無かったとしても全く反りが合わないと考えられるシリウスとバーノンには、しかし「それなりに」仲良くやるための、喧嘩別れなどという最悪の結果を避けるための、貴重な前例と判断材料があった。

 

 ジェームズ・ポッターとバーノン・ダーズリーとの初邂逅の際の一件と、その顛末である。

 

「さ、我が家へようこそミスター・シリウス・ブラック。奥へどうぞ」

 

 あの不愉快な男とどんな会話をしたのか、何を言われたのか何を言ったのか、バーノンはすべて覚えている。

「ありがとうございますミスター・ダーズリー」

 このバーノン・ダーズリー相手にジェームズ・ポッターがかつて何と口を滑らせたのかを、シリウスは生前のジェームズとリリーから聞いて知っている。

 

 バーノンとペチュニアは最愛のダッダーちゃんがそれを望んでいるので、シリウスはここで自分がダーズリー一家相手に諍いを起こせば後々ハリーに迷惑がかかると理解しているために。互いに理由こそ違えど彼らはこのとき奇跡的に、お互いに、仲良くやろうとしていた。

 

「BBCの報道で、あんたの名前が呼ばれてた」

 

 ペチュニアがしゃーなし作った豪勢なごちそうが並んだ卓についた後、最初に思い切って一歩踏みだしたのはバーノン・ダーズリーだった。大切なお客様を歓待するための慇懃な態度と言葉遣いを早々にかなぐり捨てた代わりに、バーノンはいきなり本題に入った。

 

「そしてわしは、あのジェームズ・ポッターのやつが、かつて発言のなかに同じ名前を登場させたことがあるのを覚えとる。シリウス・ブラック。お前の名前だな? これはつまり、お前も、あのジェームズやハリーなんかと『同じ』だってことだ。それに3年前、お前はあのアズなんとかに収監されていたと、そしてそこから逃げ出してきたと、そう言われとった。ということは、当然、お前がやったと思われていた言語道断の行為を実際に行った、今まだ逃げおおせとるやつも、お前たちと『同じ』だと、そういうわけになるな? このペチュニアやダッダーちゃんが危ない目に遭うかもしれんのに――しれんのだから――わしにも、『何が起きとるのか』と、そう訊く権利くらいはあるはずだな? それとも何か? 知らせてはいかんという法律でもあるのか?」

 

「法律はあるわ」

 

 ペチュニアがそう言ったので、シリウスとバーノンは同じ顔をして驚いた。

 

「国際魔法使い機密保持法。セーレム魔女裁判の年に施行された、魔法界の情報をマグルに漏らしてはならないという法律。国境を越えて有効な国際法。けれど、それには例外があるのでしたね」

 そう言えばこの人はリリーの姉なんだと、リリー経由で魔法界の何を知っていても不思議はないんだと、シリウスはそう思い至った。

 その推察が事実を完全に正しくは捉えていないなどとは、考えもせずに。

「そうです。例外があります。つまり、魔法の才能を示した子を持つ親だとか、魔法使いである子供を扶養している保護者だとか、兄弟、姉妹……そういうひとたちは、知ってもいいという決まりになっています。ですから貴方がたには確かに知る権利がある…………」

 

 そこまで口にしたところで、シリウスは恐ろしい事実に気づいた。

 つまりダンブルドアはこの人たちに――とりわけバーノンに――本当に最低限の、ごくわずかな情報しか知らせていないのだと。

 

「私がやったことにされていた殺人を実際にやった男について説明するためには、まず貴方がたがハリーを養わなければいけなくなったのは何故か、という点についてお話しなければいけません。ヴォルデモート卿と名乗っている連続殺人犯について…………すべてはこの、人を害さずにはいられない狂った男が、そんな危ない奴なのにもかかわらず極めて強大な魔法使いだという事実に端を発するのです。………………荒唐無稽な例え話に聞こえるかも知れませんが、どうか辛抱して、想像してみてくださいミスター・ダーズリー。ギロチンにかけられて然るべき凶悪な殺人愛好家が、女王陛下の艦隊をまるごと相手にして楽に勝利できるだけの戦闘能力を有していたらどうなるか。そんな人物がもし仮に核開発を主導できるだけの知識と頭脳すら持ち合わせていたらどうなるか」

 

 この説明で現状を正しく理解できても、それで「ではハリーにもっと優しくしてあげなければ」とはならないのがバーノン・ダーズリーだった。

 

「そういう輩が、わしらに迷惑をかけんように抑え込んでおく義務が、お前たちにはあるだろう」

 

 ジェームズ、ハリー、リーマス、リリー、ダンブルドア、マクゴナガル、ハグリッド。そんな顔を次々に思い浮かべながら、シリウスは必死に己を律して、怒鳴らないように我慢している。

「仰る通りです。仰る通り。しかし、恐れながら私たちは、ハリケーンによる大洪水を相手に土嚢で対抗しているのです。積極的に人を害する悪意ある大洪水です。そしてその大洪水は、ハリー・ポッターを殺さなければ自分に未来は無いのだと、そう思い込んでいるのです」

 

 シリウスが、実家への反発ゆえに、マグル社会に関する広範で正確な知識を有していたことは、シリウスとダーズリー一家双方にとって幸運だった。

 シリウスはニンバスやスニッチやヒッポグリフを例えに使わなかったし、バーノンはバーノンで本当なら聞こえてくるだけでも不快なはずの魔法界に関するあれやこれやを辛抱強く聴き続けた。

 

 バーノンはダッダーちゃんがスメルティングスの1年生になる前の年に発生した「バーンズの日の嵐」も、1987年にプリベット通りどころか西欧を丸ごと洗い流した大嵐のこともハッキリと思い出せたので、洪水に土嚢で対処するのがどれだけキツい作業なのかは知っていたし、それを比喩に使う場合に表現したい彼我の力関係がどれほど偏っているのかも想像することができた。

 

 そしてバーノン・ダーズリーには、ひとつ、覚えていることがあった。

 

「あのジェームズ・ポッターめは、わしからしてみれば、いけ好かん男だった」

 シリウスの眉がピクリと動いたが、シリウスは声を荒らげて反論するどころか、バーノンの目をまっすぐに見つめて一言も発さずに続く言葉を待った。

 

「しかし死ねばいいなどと願った覚えは無い」

 

 バーノンは、ジェームズとリリーの夫婦が死んだと知った時、これっぽっちも嬉しくなんかなかったのだ。それどころか、これでもうあの男には一言の罵倒もぶつけられないという憤懣が理由だったとは言え、残念に思いすらしたのだ。

 

「ただ嫌いなだけだ。言ってやりたい厭味がいくつも喉のところで列を作って待機しているだけだ。顔も見たくないだけだ。死ねと願ったことはない。殺したかったことなどない!」

 

 バーノンの発言は、ほとんどそのまま、リリーに対するペチュニアの思いだった。

 

「妹のことを、私はどうしても好きになれない。けれどそれでも妹なのよ。たったひとりだけの」

 ペチュニアは自分がずっと抱えて生きている鬱屈した思いを、好きになれないという安易な表現に置き換えて誤魔化した。魔法への憧れと、それを持って生まれた妹への憧れと、それを打ち砕かれた幼い日の、決して忘れられない恥辱と劣等感を。

 

「なにがあったの。その日に。あなたが殺人犯だとされた日に」

「……まずね、私と、ジェームズ・ポッターと、あなたの妹と、もう1人リーマス・ルーピンという心優しい男と、そしてピーター・ペティグリューは、同級生だったんだ。私とジェームズとリーマスとピーターは4人揃ってイタズラばかりしていて、よくあなたの妹さんに叱られていた」

 

 けれど、と前置きを挟んだシリウスはそこで、一呼吸ぶんの沈黙をした。

 

「さっき話したヴォルデモート卿が、猛威を奮っている時代だった。いやまあ今だって酷いんだけど、あの頃は奴に同調して、奴に従ってるゴロツキ共の数が今とは桁違いだった……殺人ばっかり得意なクズ共だ…………だからホグワーツは、最後の聖域だった。イギリスで唯一そこだけが安全で、たった1ヶ所だけ私たち子供を親たちが安心して預けられる場所だった……ウチの親はちょっと事情が違うんだけどそれは今はいい……で、そんな時代だから私たちは理解してた。卒業したら危険極まるヴォルデモート卿とそれに同調する人殺し共に『従う』と表明しなければいつ殺されるかもわからないという世界に出ていって、『従ってなんかやるもんか』って大きな声で叫ぶんだってことを。そして私もリリーもリーマスもジェームズもそうしたけれど、あいつは……ピーター・ペティグリューにはそれができなかった。自分の命より正義を優先するってことが、命を投げ出して親友と家族のために戦うってことが、あいつにはできなかった……」

 

 ああ、それじゃあアイツは確かにスリザリンじゃなくグリフィンドールなんだと、シリウスはこの時、バーノンに「ジェームズとリリーの事情」を説明しながら、初めてそう納得していた。

 1年生の始めの組分けの儀式であの帽子はピーターの奴をスリザリンとグリフィンドールのどちらに入れるかで5分以上悩みに悩んだよなと思い出しながら、シリウスは悟った。

 

(そうだピーターがスリザリンになんか、天地がひっくり返ったって入れてもらえるわけがない)

 

 友人を大切にするスリザリン生は決して仲間を裏切らないのだから。

 

 これを称賛していいものかは大いに疑問とはいえあの忌まわしいベラトリックスがヴォルデモートを裏切るなんてことはありえないし、ルシウスにしてもスネイプにしても、一度「仲間」に分類した相手を裏切るような真似をする奴ではない……グリフィンドール生である自分やジェームズは常に彼らにとっては敵だったから、こちらからはそれが解りづらかっただけで。

 

(マルフォイもスネイプも、他のスリザリンの奴らも、レギュラスとは仲良くしてくれていた)

 

「バーノンさん、奥様とお坊ちゃんを守るためだったら、あなたは何だってしますよね」

「あたりまえだ」

 表情も変えずに即答したバーノン・ダーズリーに、シリウスは落ち着き払って説明する。

「ピーター・ペティグリューという男には、それができないんです。自分の命よりも優先されるものが、時には有りうるのだということを、あいつは理解できなかった。そして私たちは私たちで、このピーター・ペティグリューの秘めたる病的な臆病と利己主義を、理解できていなかった」

 

 今からまた魔法の話をすることをお許しくださいますかと、シリウスはバーノンに確認した。

 

「忠誠の呪文、という魔法があります。害あるものから特定の場所を、具体的には自分の家とか仲間たちの隠れ家とかを守るための魔法です。これは言うなれば、破壊不可能な錠前を扉に取り付けるようなものなのです。そして『施錠』すると、扉どころか窓も壁も床も天井も、害ある者には決して見つけ出せなくなる。どころか触ることすらできなくなる。それで、この魔法で使う『鍵』は、人間なのです。最も信頼できる人物を、魔法で、『秘密の守り人』にする。すると、この秘密の守り人は、関連付けられた場所に入るための、唯一の『鍵』になるんです。この方法で守られた場所に侵入する方法はひとつだけです。秘密の守り人が、拷問などで強制されるのではなく己の自由意思によって、自ずから能動的に情報を開示すること。この保護魔法は、『力ずくで打ち砕く』という単純かつヴォルデモート卿が最も得意とする方法に対して、とても有効な防御なのです」

 

「つまり、魔法が使えない私たちがそれに参加できるのかどうかは置いておいて、もし仮に、たとえば我が家にその魔法を施して、バーノンがその『守り人』とやらになったら――」

「バーノンさんが自分から教えた、信頼に値する相手だけがこの家に入れる。そうです」

 

 ペチュニア・ダーズリーはこの時点で、なんとなく話の結末を察していた。

 

 ダドリーはとっくの昔に会話から置いていかれているが、しかし殊勝なことにママが作ったごちそうに手を伸ばそうとはせず、理解できないなりに頑張ってシリウスの話に耳を傾けていた。

 そしてかつてハグリッドから極めつけの大マグルと呼ばれたバーノン・ダーズリーは、どうしたって好きになれないジェームズ・ポッターめの姿を、頭の中にハッキリと思い浮かべていた。

 

 21歳で死んでいい奴なんか居るわけがないという点で、そして1歳の息子を持つ夫婦が殺されるなんてことがあっていいワケがないという点で、バーノンとシリウスの意見は一致していた。

 いや、それがたとえ誰であれ、殺されるなんてことはあってはならないのだ。

 

「ジェームズとリリーは私を彼らの自宅の『秘密の守り人』にしたいと、そう言ってくれました」

「…………信頼の証と、そういうわけだな?」

「そうです。バーノンさんが、ご自身と奥様とお坊ちゃんや他の親族の皆様以外に誰か、いま説明した『秘密の守り人』に、自分たち以外にその役目を担ってもらいたい人物。それと同じだけの信頼を、ジェームズとリリーは私に対して抱いてくれていました」

 

 シリウスはここで、言葉に詰まった。話が、最も打ち明けづらい部分に差し掛かったからだ。

 

「……けれど私たちは、追い詰められていた。私たちはヴォルデモートにしつこく狙われていて、ジェームズとリリーときたら安全のためにほとんど自宅軟禁状態だった…………だから致命的な判断ミスを私はしたんだと、そう自分に言い聞かせていないと、どうにかなりそうなんですよ」

 

 目の前で自分たちに話をしているこの男の身体は震えていると、そこでバーノンは気付いた。

 

「ピーターの奴にするのはどうだって、私が提案したんです。あいつが本気で逃げれば絶対に捕まりやしないからって。私がジェームズとリリーを説得して、私がピーターに持ちかけたんです」

 

 事実、ピーター・ペティグリューは、捕まらなかった。

 

「この話を私が提案するより1年も前に、ピーター・ペティグリューはジェームズとリリーを裏切っていた。私たちを裏切っていた。ヴォルデモート卿の手先に成り下がっていた。奴は最初私の提案を嫌がるようなそぶりを見せて、怖いから気が進まないという演技をして、そして最後には私に『説得された』…………秘密の守り人になったピーターは即刻、御主人様のところへ急行した。ジェームズ・ポッターとリリー・ポッターの自宅という、かねてからヴォルデモートが欲しがっていた情報を提供するために。そしたらジェームズとリリーがどうなるかを、理解していながら」

 

 シリウスはまたそこで言葉を切って、苦しそうな息遣いでどうにか呼吸をした。

 

「忠誠の呪文で保護された場所には、秘密の守り人が己の自由意志によって情報を打ち明けることでしか侵入できない。つまりジェームズとリリーが自宅で殺されたというのは、それ即ちピーターの裏切りを意味する……あなたたちがテレビで報道を見た『例の大量殺人事件』は、逃走中のピーターを私が見つけ出したことで発生した。……昨日のことのように思い出せる。ジェームズとリリーの死を知った私は、まず最初にピーターのことを、心配したんだ……開心術で自我を細切れにされたんじゃないかと、磔の呪文で拷問されたんじゃないかとね。ピーターは秘密の守り人だったんだからそんな方法じゃあ情報を引き出せないって、ピーターを探して駆け回りながら気づいたんだ。秘密の守り人から情報が敵へと渡ったなら、それは秘密の守り人が敵側に寝返ったか、守り人になるより前から敵側の人間だったか。この2つの可能性しかないって気づいた直後だった」

 

 1981年11月1日、早朝。朝日が昇るまでまだ数時間ある暗がりの中で。そんな時間にもかかわらず大勢の人が行き交うロンドンの街中で、シリウスはついにその人物を見つけ出した。

 

「ワームテール!!!」

 

 声を限りに叫んだシリウスの方へと、ピーター・ペティグリューはゆっくりと振り向いた。

 そしてシリウスよりもピーターのほうが、素早く的確に判断した。

 ピーター・ペティグリューは一切逡巡しなかった。

 

「ダメだシリウス、何をするんだ、やめろ!! その人たちはマグルなのに!!!!」

 

 自分の喉に杖の先を押し当ててそう叫んだピーターは、シリウスが杖を抜き終えるより先に前方の舗装された道路に杖を向けて、絶対に人混みで唱えてはいけない呪文を唱えた。

 

「ボンバーダ・マキシマ!!」

 

 ピーター・ペティグリューとシリウス・ブラックの間に居た、たまたまその時そこを通行していただけの12人のマグルは地面諸共バラバラに吹き飛び、さっきまで舗装されていたはずの場所に開いた大穴の底にある破損した水道管が、周辺一体に撒き散らされた粉塵と炎の隙間からほんの一瞬だけ、シリウスの視界にかろうじて映った。

 犠牲者たちだった破片が燃え盛り、そこから黒煙が立ち昇る。その炎と煙のせいでお互いの姿が見えないにもかかわらずシリウスが放った緑色の閃光を必死に躱しながら、ピーター・ペティグリューは杖を自分の手に押し当て、呪文を唱えて指を切り落とした。

 痛みに顔を歪めつつも、ペティグリューは決して悲鳴を上げなかった。

 

 シリウスがまたしても放った緑色の閃光は、的を外してピーターの足元の地面に命中した。

 

「……ぼくたち、友達だよな。シリウス」

 

 粉塵と炎と黒煙の向こうにまだ居るはずのシリウス・ブラックへ最後にそれだけ言い残したピーター・ペティグリューはスルリとネズミに姿を変え、ついさっき自分で地面に開けた大穴から、広い広いロンドンの下水道網へと消えていった。

 

「秘密の守り人をシリウス・ブラックではなくピーター・ペティグリューに変更したという事実は、私とピーターとジェームズとリリーしか知らなかった。客観的に言って、私たち2人を知る人物からすれば誰がどう考えたって守り人は私しかありえないのだから、守り人が守る秘密は当人が自ずから打ち明けない限り奪われないのだから、誰よりも逃げ隠れするのが得意なピーターの奴がその上まったく狙われすらしないのだから、ヴォルデモートとその手下共は私ばっかり狙うのだからジェームズもリリーもハリーも完璧に守られるって……そう、思ったんだけどな………………」

 

 シリウスはとうとう、事情を説明するのをやめてしまった。

 

 当時は魔法省だって必死だったんだから私を裁判にもかけずにアズカバンに直送したクラウチシニアを責めることなんてできないとか、そういう話をする元気はシリウスにはもはや無かった。

 

「あんたなんにも悪くないと思う」

 

 絶句している両親をよそに、そう言ったのはダドリーだった。

 

 ご馳走を目の前にしているのに、お腹がペコペコだというそぶりすら見せずに、ボクシングジムで仲良くなったカッコいいシリウスおじさんの目をまっすぐに見つめているダドリーは、悲痛な沈黙がその場を支配するのを阻止するかのように、あんまり性能が良いとは言えない脳ミソを振り絞って表現を選んで、言ってはいけないと思う言葉を言わないようにしながら、シリウスを諭す。

 

「あんたがどうすりゃ良かったのかはサッパリわかんないけど、でも、あんたなんにも悪くない。だって、裏切ったのはそのペテグルーとかいう奴で、殺したのは何とかってイカれ野郎だろ。だったらあんたなんにも悪くないだろ。あんたはハリーのパパとママを裏切ってないし、殺そうとしてないんだから。だからあんたが、その、なんだ…………」

 

 気にしなくていいという言葉選びは避けるべきだと思ったダドリーは、だったらどう言ったらいいのかが判らず、それきり黙りこくってしまった。

 

 いくら「魔法」なんて単語を冠するあらゆる全てを認識することすら性に合わずとも、だからと言ってこんな表情をしている男に冷たく接するほどバーノン・ダーズリーの性根は腐っていない。

「息子の言う通りだ。あんたは悪くない。あのジェームズの奴も、ペチュニアの妹も、わしと同じ意見だろうとも。お前さんが気に病めば病むほど、笑うのはそのナントカってイカれ野郎だろう」

 

 バーノン・ダーズリーは魔法と名の付くものなら全て気に喰わなかったが、だとしても親友の死を嘆く魔法使いと人殺しの魔法使いならどちらの味方をするべきかなど、考えるまでもなかった。

 

「なあシリウスさん、それならさ。ホグバーツとかいうその、ハリーの学校にはさ、イギリス中から集められた子供の魔法使いが居るんだろ? それでハリーは、その中の1人なんだろ? 出来が良いのか悪いのかは知らないけど、その中の1人でしかなくて、僕らみたいな、自分たちは魔法使いじゃあないけど魔法使いの子供と暮らしているって家は、僕らだけじゃないんだろ?」

 

 シリウスにはダドリーが急に話題を変えたように聞こえているが、それでもシリウスは真摯にその質問に対応した。

 

「……そうだね。自分も妻も魔法使いじゃないし父も母も義母も義父も違うのに我が子は魔法使い、って例はある――それこそリリーがそうだし、ハリーの友達にもそういう子は居る――それかたとえば父が魔法使いで母は違って、生まれてきた子も魔法使いだったけど離婚して母親が親権を得たって場合なんかは、魔法使いでない親が魔法使いを扶養しうるね」

 じゃあ自分の考えは正しいと、ダドリーはシリウスの回答を半分だけ理解できながら確信した。

「だったら僕らの家にハリーが居ない間も魔法使いの警備がこっそり囲んでるのは、特別扱いだ。単なる学校の単なる生徒1人にそんなことしてる余裕は、たとえばロンドンの警察には無いだろ。ロンドンの警察がそういうことするのは、狙われてるって解りきってる相手とか、あとは政府とかの偉い奴だけだ。ハリーは政府の偉い奴じゃない。違うよな? 実は大臣だったりしないよな?」

 

 しないしないと保証したシリウスは、笑うのなんて随分久しぶりだという気がしていた。

 

「ん? いや待ってほしい魔法使いの警備? 確かに派遣されているし腕利きの魔法使いたちが確かにこの家を警護しているが、彼らはしっかりマグルの普通の服装をして、居るのがバレたりマグルたちに騒がれたりしないように気をつけているハズなんだが――」

「だとしたら講習を受け直させるべきだ」と、シリウスの発言を遮ってバーノンが言う。「高そうな燕尾服の上からプリーツスカートを何枚も重ねて履いて、星型のサングラスを取り付けたペンサコーラ・ブルーワフーズのキャップを被っとるのがわしらが普段からしとる『普通の服装』だと、お前らがそう考えとるのなら、わしはリトルウィンジングの住人全員を代表して抗議するぞ」

 

 心当たりがあったので、シリウスは何も言い返せなかった。

「多分それはディーダラス・ディグル爺さんかな…………ごめんなさい。本人に言っとくよ……」

 

「貴方がたが普段着用してらっしゃるローブやらトンガリ帽子やらのほうが、あんな格好で出歩くことと比べればまだいくらか地味で目立たないと思いますわ」

 

 ペチュニアも、いい機会だとばかりに夫に続いて苦言を呈した。

 

「なあ、それでさ。警備が居るってのはさ、ハリーがまだ狙われてて、そのナントカって危ない奴が元気いっぱいで、そりゃつまり『そっち』は、めっちゃ大変ってことだろ。シリウスさんも。だったらさ…………今日くらいは楽しんでいってよ。ママの料理はすっごく美味しいんだから。それにパパったら『トップ・ギア』を全部録画して持ってるんだから、見放題だよ!」

 そう言ったダドリーの顔がちょっとだけロンに似ていたので、シリウスは自分が腹ペコだという事実をようやく思い出すことができた。

 

「息子の言う通りですわ。さ、冷めてしまう前に召し上がってくださいな」

 

 ペチュニアにも勧められて、シリウスはようやくナイフとフォークを手に取った。

 本人にこれを言うと「なぜ身についたのか」という経緯が原因でご機嫌ナナメになるのだが、それでも事実として、食事をする時のシリウスの所作は、これ以上ないほどに優雅で美しかった。

 

 それはシリウスが弟のレギュラス共々幼い頃に母から叩き込まれた、不愉快な特技だった。

 

 しかしその褒めてなどもらいたくない美点は今、本来なら気が合わないはずの相手からの第一印象をより良く補正するという効果をもって、確かにシリウスを助けていた。

「このチキンすごく美味しいですね。……これはチョコレートソースですよね? どこでこのような素晴らしいレシピを…………まさかご自分で考案なさったのですか?」

「いえいえまさか。子供の頃、母がよく作ってくれたレシピですわ。……どちらかと言えば私ではなく、妹の得意料理だったんですけどね」

 シリウスの問いかけに答えた母の声が少し暗かったのを敏感に察知したダドリーは陰鬱な雰囲気が戻って来るのを阻止するかのように大きな口を開けて自分のチキンにかぶりつき、その顔がまたロンに見えたシリウスは、それでほんの少しだけリラックスできた。

 

 ボクシングに真剣に取り組みはじめて以来、主にはボクシングジムの面倒見の良いゴリラたちのお蔭で、ダドリーの学業の成績は少しずつだが確実に改善、向上していた。

 

 そうしてダーズリー一家とシリウスは美味しいごちそうをいただきながら会話を楽しみ、食事を終えたらバイクの話題を持ち出してみたシリウスにバーノンが見事に釣り上げられて上機嫌で「トップ・ギア」の録画済みのビデオの上映会が始まり、趣味が共通していると知ったシリウスとバーノンはお互いに、人殺しのイカレ野郎よりは仲良くやれる相手だという認識で一致した。

 

「そう言えばダーズリーさんは、工業製品の会社の役員か何か……かなり責任ある役職を任されておいでなんですよね? その会社や製品の話を聞かせていただいても構いませんか? どのようなドリルを作っているのですか? 日曜大工に使うような手で持てるものか、それとも車がたくさん通るトンネルを掘るような、ミドガルドシュランゲみたいな大きなのを作っているのですか?」

 

 シリウスが好奇心のままにそう問いかけた途端、バーノンはセールスマンの笑顔になった。

 

「我がグラニングスドリル株式会社は19世紀末に創業した歴史あるドリルメーカーで、ご家庭で気軽にお使いいただけるハンディタイプの製品から、公共工事に駆り出される大型重機まで幅広く手掛けております。我が社の物語は若き日の創業者グレゴリー・グラニングスが1日で7つの銀行に融資を断られて途方に暮れていたところから始まります。自分で考え出したドリルの歯の画期的な設計に融資してくれる銀行をもうずっと探していた創業者は、訪れる銀行訪れる銀行すべて連日にべもなく融資を断られ続けてついに心が折れるか折れないかという瀬戸際のところで、運命の恩人と出会います。ついに話をまともに聞いてくれる人が現れたのです。ただ、その人物は銀行の担当者ではありませんでした。その人物はやる気を捻出し直すためにショーウィンドウを鏡代わりにしていた創業者に背後から声をかけてきた、資産家の老紳士でした」

 

 そこで言葉を切ったバーノン・ダーズリーに、夫が話している間に急いで寝室から取ってきた分厚いアルバムをペチュニアは手渡した。

「我が社の創業100年を記念して製作されたアルバムです。これに――そうです、この写真。向かって右の、疲れ果てているのがスーツのシワに現れているヨレヨレの小僧が我が社の創業者で、その左に立っている恰幅の良い老紳士が、我が社に最初に出資してくださった方です」

 

 シリウスはその写真に釘付けになったが、しかしシリウスはその写真の、右の人物も左の人物も見ていなかった。シリウスはその写真の、背景の店舗のショーウィンドウを凝視している。

 写真が白黒で分かりづらいが、それでも絶対にニフラーだと確信できる小動物が、今まさに陳列されているネックレスをくすねようとしているのが、バッチリ映り込んでいた。

 そしてシリウスはその人物に、「最初の出資者」の後方で画角に収まっている、ちょうどホグワーツの1年生くらいに見える小柄な子供に気がついた。

 

 その子は何かの目玉を模しているらしい妙なデザインのゴーグルをしていて、何度見たって明らかにパジャマ姿だった。

 まさかそんなわけはと思いながら、シリウスはバーノンに訊く。

 

「バーノンさんあなたの会社の創業は――いえ、この写真が撮影されたのは何年ですか」

「1892年です。確かですとも」

 

 よくよく見てみれば写真の端に小さな文字で、そこに映っている創業者と最初の出資者の名前が、イニシャルだけだったが、記されていた。

 若き日の我らが、と前置きされたイニシャル「G.G.」が創業者なら「感謝してもしきれない」と冠されたもうひとつの名前が「グラニングスの最初の出資者」のものだというのは自明だった。

 

「E.L.W.…………いや、まさかそんな……すいません、この『E.L.W.』さんのお名前は、ハッキリと記録に残っていますか?」

「残念ながら、完全には。その場でご出資いただいてそれきりだという話でしてね……ファミリーネームのWがどういう単語なのかはわかりません。ですが、Eの方は創業者の証言が伝わっています。我が社に最初に出資してくださった方は、エデュエイダスさんという老紳士だそうです」

 

 今度こそ、シリウスの目は驚愕で丸く丸く見開かれた。

 19世紀末、おかしなゴーグルの子供、ニフラー、エデュエイダス。シリウスはそれが誰なのかをハッキリと、ファミリーネームまで含めて確信した。

 

 エデュエイダス・リメット・ウィーズリー。結婚して妻のファミリーネームを貰う前の名前は、エデュエイダス・リメット・ブラック。理由不明ながらブラック家の家系図から肖像が抹消されている、フィニアス・ナイジェラス・ブラックの叔父だった。

 

 




 
【エデュエイダス・リメット・ブラック】Eduardus Limette Black
 映画「不死鳥の騎士団」に登場するブラック家の家系図にだけ登場するブラック家の先祖。公式設定では1820年代生まれ、1899年没。ブラック家の家系図から抹消されている最古の人物。
 他の既知のブラック家の面々との具体的な関係性は不明(生没年から想像するしかない)。
 家系図から消されているので既婚なのか否かも子供は居たのかどうかも全て不明。ただ、おそらくフィニアス・ナイジェラス・ブラック(1847年生まれ)よりも上の世代だろうと推測される。
 セプティマス・ウィーズリーがセドレラ・ブラックを妻に貰うまではウィーズリー家とブラック家には血縁関係が無かったのかっていうと、そんなわけはないだろうと私は思っている。
 もっとずっと前の時代から、他の純血家系とも絡まり合って、複雑に親戚関係だろうと。

 自分の命よりも他の何かを優先するなんて理解できない、死ぬことよりも恐ろしいことがあるだなんて考えられない。これがヴォルデモートとペティグリューの共通点だと私は思っています。

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