104年後からの今 作:requesting anonymity
ホグワーツの近隣にある、英国で唯一マグルが1人も居住していない村、ホグズミード。この村は単なる集落ではなく、見かけたら立ち寄らずにはいられない魅力的な店舗が密集した観光地であり、この村の住人の多くは商店主である。ホグワーツでは1714年から伝統的に、3年生より上の学年の者たちは毎年、特定の週末をこの少し歩くだけで絵画の中に迷い込んだかのような幻想的な錯覚を与えてくれる美しい村で、ハニーデュークスに入り浸ってお菓子を買い喰いしたりマダム・パディフットのカフェで恋人との甘い時間を過ごしてもいいという決まりになっている。
もちろんこれはそうする許可が与えられているという話であって、つまり罰則や時事的な懸念材料などによって特定の生徒だけ名指しで禁止されたり、あるいは全校生徒を対象に許可が取り消されたりする可能性のある、決して生徒たるもの当然有している最低限の権利などではない、先生方からこの権利を剥奪されるような愚かな振る舞いをしておらず、なおかつ親もしくはそれに準ずる立場の保護者を説得して許可証に署名してもらえた生徒だけに許された、特別なごほうびだった。
「ほらデニスもナイジェルも、こんなに雪が積もってるんだから走っちゃ危ないよ」
「コリン、コリン! あのお店は何? あれがハニーデュークス?」
「あ、あのお店『三本の箒』って書いてある! あれがそうなんだ!」
クリービー兄弟とナイジェル・ウォルパートがハリーたちを追い抜いていく。
「……そういえばデニス・クリービーとウォルパートって今年が初めてなのね、ホグズミード」
「コリンの奴ここ1週間『ついにデニスを連れて行ってあげられる!』以外の言葉を発してなかったし、3人揃ってはしゃぐのも無理ないよ。小遣い全部使い切らなきゃいいけど」
「そういえばハリー、なんで僕らなの? そりゃ嬉しいけど、ロンとハーマイオニーは?」
ハリー・ポッターと一緒に歩いているのはネビル・ロングボトムと、スリザリンのダフネ・グリーングラス。あらかじめハリーの方から声をかけて一緒にホグズミードを巡ろうという約束を取り付けておいたのには、切実な理由があった。
「ロンはラベンダーと一緒。ハーマイオニーはノットを連れて『学術書専門店』に。……僕、なんだか後でノットに何かお礼渡さないといけないって気がしてる」
数週間ほど前にラベンダー・ブラウンからの熱烈な求愛をロンが受け入れて2人が交際を始め、それによってハーマイオニーがここ最近はもう連日連夜ずっとご機嫌斜めなのである。
機嫌の悪さの度合いこそ上下するものの、機嫌が良い瞬間はすっかり稀になってしまったハーマイオニーが今日ノットと一緒にホグズミードを巡っているのだって、事情を知らない者からすればデートに見えるかもしれないが、ささくれ立った心にいくつもできた鋭いトゲで自分自身を傷つけているハーマイオニーのお守りをノットが引き受けてくれたというのが実態なのだ。
あの2人にお熱い様子を見せつけられてそこまで気持ちが荒れるんならこうなる前にさっさと想いを伝えればよかったんじゃないのかグレンジャー、とは、ノットは口が裂けても言えなかった。
「ねえダフネ。僕とハリーと一緒に来てくれるのは嬉しいけどさ、どうしてOKしてくれたのか訊いてもいい? てっきり僕きみはアストリアと見て回るのかと思ってたんだけど」
「アストリアはマルフォイと一緒よ。けどね、ロングボトム。グリフィンドールで一番カッコいい男子とその次にカッコいい男子の2人からホグズミードに誘われて、誰が断るっていうのかしら」
ダフネ・グリーングラスに今なんと言われたのか、ネビルは一瞬わからなかった。
「ぼっ、えっ僕がハリーの次にカッコいいなんて、そんなわけないよ! 間にどれだけ居ると思ってるの? ディーンとかシェーマスとかロンとかコリンとかコーマックとか、……いっぱい!」
どうやらロングボトムはこれを本気で言っているらしいとその表情から察して、ダフネは呆れた。ロングボトムがなぜこの期に及んで相も変わらず己の魅力度を最下層に位置づけられるのか、決して謙遜しているわけではないと理解しているからこそ、ダフネにはサッパリわからなかった。
「グリフィンドールにきみよりカッコいいやつなんて居ないよネビル。皆知ってることだ」
ハリーもダフネに同調したが、ネビルはどうやら冗談を言われているのか否かを判断しきれずにいるらしく、わりと精悍になってきた気もするその顔をぐんにゃりと歪ませて困惑している。
もう少しくらい自己評価が高くったっていいでしょうにと思いつつ、ダフネはネビルに訊く。
「ねえロングボトム。あなた、いま使ってる杖はどうして手に入れたんだったかしら?」
よっぽどの緊急事態でもない限りは投げかけられた言葉の裏に隠された本当の意図など察せたりしないネビルは、ダフネが唐突に話題を変えたと思っている。
「これ? これね。ばあちゃんが買ってくれたの。去年の終わり頃に行った神秘部で僕いつの間にか杖を折っちゃってたから、僕ぜったいばあちゃんに背骨を引っこ抜かれると思ったんだけど、あの夜ぼくがどこに行って何しててなんで杖を折っちゃったのかを話したら、ばあちゃん大喜びして褒めてくれたんだ。ばあちゃんったら『代わりの杖なんか何ダースでも買ってやるよ!』って」
そう言いながらネビルが杖を取り出したので、ダフネだけでなくハリーもそれを見たが、3人で雪の積もった石畳の上を一緒に歩きながらそんな行動をするのは危険だとすぐに気づいたハリーは、記憶の底から脳裏へとやってきたマッド‐アイ・ムーディが怒鳴り始めるより早く、視線を自分の前方の地面へと戻した。
(転びたいのか馬鹿もん! 会話を楽しむなら頼んだバタービールが配膳されてからにしろ!)
ハリーの妄想によって脳内に創り出されたマッド‐アイが大きな声を出した一方、ダフネは思いっきりよそ見しながら滑ることも転ぶこともなくスイスイと歩いている。
「私たちみんな、アナタのおばあさまと同じことを思ってるのよロングボトム。パチル姉妹からもフィンチ=フレッチリーからもフィネガンからもウィーズリーからもラブグッドからもトーマスからも、皆から何度も聞かされてるのよ私たちは。あの夜あなたがどれだけ勇敢だったかって」
ダフネは今やアストリアを励ます時と同じ優しいお姉ちゃんの声色でネビルに話しかけているが、ネビルは普段その友人とファーストネームで呼び合っているせいで、ルームメイトなのにもかかわらず、トーマスというのがディーン・トーマスのことだとは一瞬判らなかった。
「ベラトリックス・レストレンジの磔の呪文から友達を身を挺してかばうなんて。それも何度も。そんな人よりカッコいい男子なんて、どこを探したっていないわよ」
ダフネにどれだけ褒められても、ネビルは喜びよりも困惑のほうが大きいらしかった。
「えっ、でも僕、あの時はなんにも考える余裕なくて、杖振る余裕もなくて、慌てちゃって――」
「だからカッコいいって言ってるのよロングボトム。アナタもそう思うわよねデイビス?」
ちょうどすれ違ったトレイシー・デイビスにダフネはいきなり同意を求め、トレイシーは突然の出来事に怯えながらも「はっ、はぃ……」とだけ返事をして、逃げるように走り去っていった。
対等な友人として接してくれる時と優しさで包みこんでくれる時と面白い音が出るおもちゃとして扱われる時があって、いまからどう扱われるのかが事前に察知できないので、トレイシー・デイビスはダフネ・グリーングラスを大切な友人だとは思いつつも、急に話しかけられると少々身構えてしまうのだった。
昨日だってスリザリンの談話室で占い学の宿題をしていたら背後から唐突に声をかけられて、あれよあれよと流れのままに同意してしまって寝室に連れ込まれてドレスローブを着せられたのだ。
それもかなり大胆に背中を露出したデザインで、トレイシー・デイビスは同好の士であるルームメイトたちに取り囲まれてデッサンモデルにされたのだ。
何枚も自分の絵を描かれて、しかもその間ずっと四方八方から容姿を褒められ続けたせいで新しく開いてしまった心の中の悦びの扉を、トレイシーは未だ閉め直せずにいる。
ネビルと同じくトレイシー・デイビスも自分の魅力度をかなり低く見積もっており、まさか自分が容姿を褒められるなどとは思っていないし、実際に褒められても尚その自己認識が変化しない、苔のように日陰を好む控えめな性格の女の子だった。
トレイシーがどのような創作物を愛好しているのかという一点を除けば。
(わ゙ぁーおぅアレはラベンダーとロン・ウィーズリー! 肉食ナメクジの交尾みたいだわ!)
いちおう人目を憚ったのかメインストリートではない奥まった路地のさらに隅で情熱的なキスをしていた同級生2人を、トレイシーはかなり離れた位置から目ざとく見つけてしまった。
「……発見したくないものをわざわざ探す必要は無いんだぞグレンジャー。ほら、奢ってやるから三本の箒かホッグズ・ヘッドにでも行こう。な?」
かなり困っているのが判る知った声が背後から聞こえてきたので、トレイシーは振り返る。
「あら、こんにちはデイビス。アナタ独り? 良かったら一緒に周る?」
かつて母上がボトルから直にワインを飲み始める光景を目の当たりにした際と同じくらい困っているノットを脇に従えて、銀河皇帝みたいな表情をしたハーマイオニーが、声色だけいつもどおりの優しさのまま、試験前くらいに荒んだ目をしてそこに立っていた。
ハーマイオニーの右手には杖が握られており、ハーマイオニーはそれを構えてこそいないが仕舞う気配も無く、今トレイシー・デイビスに声をかけたのに、目は向こうの路地の隅の陰で情熱的に絡み合っているラベンダーとロンを凝視している。
ラベンダー・ブラウンはハーマイオニーにとって友人であり、同じ寝室を共有しているルームメイトでもあり、D.A.の仲間でもある。そしてロン・ウィーズリーはハーマイオニーにとって言わずもがな親友であり、密かに心を寄せ続けている想い人でもある。
ラベンダーはとても積極的に愛情と恋慕を行動で示す女の子なので、ロンともラベンダーとも毎日顔を合わせるどころかむしろ同じ空間に居ない時間の方が短い気すらするハーマイオニーは、ラベンダーの愛情表現を否応もなく見続けて、日がな一日ずっと心から血を流しているのだ。
自分はロンに気持ちを伝えられずにいるのでラベンダーに対してもロンに対しても何ら抗議できる立場にはないと、つまりロンとラベンダーが今しているのは単なる異性交友であり不貞行為などではないという冷静な理解も、ハーマイオニーの心の傷を深くしている要因のひとつだった。
自分のこの怒りや悲しみや嫉妬は決して第三者の賛同など得られない不当なものだと、敗訴するのは自分だと、ハーマイオニーは思っている。
そして今、そんなハーマイオニーを見ているトレイシー・デイビスは、普段からルームメイトたちと一緒に異性やら同性やらの交友関係を取り扱った創作活動ばかりしているせいで、自分は何ひとつ経験したためしなど無いのにもかかわらず、他人の恋愛模様に関する嗅覚と洞察力はやたら鋭かった。それは単に妄想たくましいだけとも言える悪癖だったが、今回は現状を正確に見抜いた。
「ごっ一緒させてもらえると嬉しいですぅ」
ハーマイオニーは今のままでは独りになった途端に人目につかないところに移動して泣き始めるだろうと、トレイシー・デイビスは察している。
ラベンダーとロンには何の罪もないが、ハーマイオニーの心が破損しているのも事実だった。
「…………さあ、三本の箒に行こう。何か頼みたいものがあったら何でも注文してくれていいぞグレンジャー。それにデイビスもだ。行こう、席が全部埋まる前に」
「ええもちろんそうしましょうノット! わたし前から頼んでみたかったメニューがあるの!!」
ノットの方へと振り向くことでラベンダーとロンに背を向けながらそう宣言したハーマイオニーの声がとてもとても大きかったので、ノットはビクリとその身を震わせて怯んだ。
今の声量ならラベンダーとロンにも聞こえたのではなかろうかと思ったトレイシーは2人の方へともう一度視線を向けてみたが、ラベンダーとロンは相変わらずお互いの顔を食べていた。
「……ありがとうデイビス。恩に着る。今は居てくれるだけで心強い」
とても小さな声でノットからそう囁かれると、ノットに特大の借りと負い目があるトレイシー・デイビスはなんとも申し訳ないような気分になって、肩を竦めて恐縮してしまうのだった。
「ぃぃぃぃえいえぃえ誘ってくれて嬉しいです…………」
トレイシーが絞り出すように発したその返答も、いちおう本心ではあった。
そうしていくつかの建物の向こうに屋根だけ見えている三本の箒へと、無理がある大股と敵を追い詰めているかのような早足でずんずん進んでいくハーマイオニーから離れすぎないように頑張っているノットの背を追いかけて歩き始めたトレイシーは、いま自分が通り過ぎた建物が空き家ではなく店舗だとも、そこの店主を自分がよく知っていることにも気付いていない。
トレイシーが空き家だと思って気にもしなかったその建物の扉が開いたのは、三本の箒を目指して通りを歩いていくハーマイオニーとノットとトレイシーが、向こうの「ビングルとブラッチ」の3色に塗り分けられた奇妙な入口がある辺りへと姿を消した直後だった。
「じゃあ行ってくるねペットちょう! おみやげ買ってくるからね!」
「はいはい。行ってらっしゃい2人とも。アントニオから目を離しちゃダメだよロルフ」
扉の向こうの室内へ声をかけてから外に出てきたのは、ホグワーツの1年生よりも年下に見える、小さな男の子。その男の子はモコモコしたシルエットのあったかそうなコートを着ていて、コートと同じ鮮やかな黄色のニット帽を被っている。
「アントニオの帽子は誰かのプレゼント?」
「そうだよルーナ。副部長が作ってくれたの!」
もう楽しくてたまらないらしいロルフ・スキャマンダーに続いて外へと出てきたのは、リクガメとヤドカリと宝石の鉱床をかけ合わせたような、椅子くらいの大きさの甲殻類のような生き物。
尾の先から炎を噴出することができる火蟹のアントニオが背負っている宝石だらけのゴツゴツした甲羅は、ロルフとおそろいの黄色い毛糸で編まれた帽子に覆われて、ほとんど隠れている。
「アントニオのね、トゲトゲでキラキラの甲羅にね、毛糸が引っかかったりしないようにね。副部長が魔法かけてくれたんだよ。いいでしょ。でも僕ルーナがしてるマフラーもステキだと思う!」
「そう? ありがとロルフ」
止めどなく降り続ける雪によって真っ白に飾り付けられた凍える寒さのホグズミードで、ルーナとロルフが2人とも手袋をしていないのには理由があった。
「手、繋ごっか。ロルフ」
「うん。手繋ごうルーナ!」
繋いだ手に雪の結晶が舞い落ちても、ロルフもルーナもぜんぜん寒くなかった。
「ルーナ、ルーナ。僕ね、あアントニオもだけどね。ハニーデュークス初めてなんだ!」
ロルフとルーナが今しているのは、名目上はあくまでも、単なるおつかいである。あのおかしな神秘部部長の家でこれからファスティディオとペニーとも一緒にスター・ウォーズを観るので、その際にみんなで食べるお菓子を買ってくるという役目をロルフとルーナは担っているのだ。
「じゃあ、私が案内したほうがいいね」
「うん。どっちに行ったらいいのかアントニオに教えてあげてほしいな」
手を繋いでいるロルフとルーナは、火蟹のアントニオを先頭にして歩いていく。
「あ。おはようロルフ! ロルフは寒くないの? 寒いからそこに居るの?」
ルーナが着ている夜空みたいな色のダッフルコートの襟首から顔を出した若い木の枝に似た生き物にも、ロルフ・スキャマンダーは親しげに挨拶した。
ボウトラックルのロルフは数秒だけ顔を出してすぐまたルーナのコートの中へと引っ込んでいき、小さなロルフ・スキャマンダーは再び前方へと視線を戻す。
火蟹のアントニオの甲羅を覆っている大きな毛糸の帽子に施された「ANTONIO」という金色の刺繍を見る度に嬉しい気持ちになるロルフは、ルーナと繋いでいる手がとてもあったかくて、自分が今もしかして汗をかいてやしないかと、急に心配になったのだった。
そんなロルフと手を繋いで歩いているルーナはルーナで、楽しくて嬉しくてスキップなどしてしまいそうなのを我慢していた。
チョコレートケーキの最後の仕上げの粉砂糖のように雪は降り、アントニオの大きな帽子やロルフの小さな帽子、そしてルーナのコートにも、キラキラと輝く白い彩りが足されていく。
「あら、けっこう積もってるんだね。ポピーちゃーん! 雪積もってるよぉー!」
ロルフとルーナとボウトラックルのロルフと火蟹のアントニオを送り出して少し時間が経ってから外の様子が気になって出てきたその魔法使いは、片手を柔らかく一振りして自分が所有している店舗兼自宅の前に4人くらい座れそうなスリザリン色のベンチを創り出すと、そのベンチの中央に座って同居人たちを待ち始めた。
そして数十秒ほどでマダム・ポピー・スウィーティングと屋敷しもべ妖精のペニーが玄関から現れ、ポルターガイストのファスティディオも壁をすり抜けて登場した。
ポピーの後に続いて何匹もの生き物が外へと出てきたが、小さなホーンド・サーペントのマールヴォロを始めとする大小さまざまで色とりどりの蛇たちやトカゲやカエルなどは、寒さに耐えかねてすぐに建物の中へと戻っていった。
真ん中に座っている魔法使いとピッタリくっついてベンチに座ったポピーの膝の上にパフスケインが飛び乗り、屋敷しもべのペニーもその魔法使いをポピーとの間に挟むようにして座り、ファスティディオはペニーの頭上に漂う。
「それじゃよろしくねえファスティディオ」
ポルターガイストに操られて、そのベンチは宙に浮かぶ。
ポピーと神秘部部長とペニーを乗せたまま、ベンチはポルターガイストのファスティディオと共に屋根より高く上昇していく。
「さあーてロルフとルーナは今どのへんかなぁー?」
ロルフとアントニオが心配だけれどまさか尾行はできないという葛藤の末に採用されたのが、このファスティディオと共に空からホグズミード全体を俯瞰して見守るというアイデアだった。
「あ、あれハリーだ。一緒に居るのはネビルと……ダフネか。お菓子はもういいのかな?」
今ちょうどハニーデュークスから出てきたばかりのその3人は、ホグズミードの端にある名物スポットへと向かっている。
「じゃあポッター、あの屋敷の噂の『叫び声』って――」
「そう。学生時代のルーピン先生。誰かを傷つけてしまわないように籠もってたんだって」
自分たちが3年生だった年に闇の魔術に対する防衛術の講師をしてくれていたリーマス・ルーピンを、ダフネは「素晴らしい先生だった」とだけ記憶していた。まずクィレル、次がロックハートときて今度はどんな方向性の無能なのかしらという猜疑心に満ちていたあの年のダフネにとって、リーマス・ルーピンは鮮烈だった。
そしてダフネはルーピン先生が狼人間だという事実を、つい今しがたハリーがそれに言及するまですっかり忘れていた。
「それってつまり、一番お気楽な想像をしても、少なくとも満月の夜は学業になんか取り組めないわけで、1ヶ月のうち宿題とか課題とかに使える時間が他の生徒よりも1日分は少ないわけよね」
「満月が近づいてくると体調が悪くなるんだとも言ってたよ」
ハリーからの追加情報をうけて、自分だったらと考え始めたダフネは唸り声を漏らした。
凍った石畳で滑ったり積もった雪に足をとられたりしないように気をつけて歩いているうちに、ネビルはハリーとダフネから少々離され始めている。
「日刊予言者新聞でーす! 1部いかがですかー! 魔法界の最新の情報が詰まってまーす!」
「ひとついただくわ」
頭にも肩にも雪を積もらせながら朝刊を手売りしている若い男性の指先が赤くなっているのに気付いてしまって、別に自分で買わずとも載ってる情報はそのうち噂になるし、誰かしらが持ってたら読ませてもらえると理解していながら、ダフネはその日刊予言者新聞を1部購入してしまった。
「…………知ってる人が誰か死んでる? ダフネ」
「何人かね。でも、直接の知り合いじゃないし、アナタにとっては嬉しいニュースよポッター」
「ねえ僕にも、僕にも見せでぉっ」
走って追いついてきてすっ転んだネビルを、ダフネとハリーは見ている。
「手とか繋いであげましょうかロングボトム?」
「だいじょうぶ! 大丈夫だよ」
ムクリと起き上がったネビルは雪まみれの顔やら襟首やらを手で払ってキレイにしたが、足元の地面に積もった雪にはネビルの上半身の形がしっかりと残っていた。
「あ。これ僕のばあちゃんだよ。ほらこれ、この窓の向こうに居るのが――ほら出てきた」
ダフネが持っている日刊予言者新聞の一面大見出しを見るなりそう言ったネビルが指差したその写真の中では、鷲の剥製がついた帽子を被っている老魔女が、玄関先に何かを吊るしている。
その写真は編集されていて、老婆が吊るしているものが何なのかは、靄のような描き込みで隠されていて判別ができない。
しかしその記事の内容を読めば、老婆が今なにをしているのかはハリーにも察せた。
「『マグルのレストラン、襲撃さる』『実行犯全員死亡』……去る23日正午、マグルが経営するレストランに5人の死喰い人が押し入った――魔法試験局局長にしてウィゼンガモットの陪審員を務めるグリゼルダ・マーチバンクス女史をターゲットとした計画的犯行であると判明したこの悪辣な企みはマーチバンクス局長本人と共に食事を楽しんでいたミセス・オーガスタ・ロングボトムによって阻止された――犯人の1人の背には『
紙面に載っている写真の中のオーガスタ・ロングボトムがレストランの玄関先に吊るしている物は犯人たちの遺体だと察して、ハリーもダフネも絶句した。
「23日って昨日だよね? ばあちゃんったらいっつも勘が鈍ったとか反射神経がどうとか言ってるけど、たぶんあれ今よりもっと強くなりたいって思ってるから出てくる自分への不満なんだよね」
ネビルだけがそう言いながら、どこか誇らしげに笑っている。
「きみのばあちゃんってホントにおっかないんだね…………ネビル……」
「ばあちゃんってね、いつもカバンの中にバネ式のネズミ捕り罠を入れてるんだよ」
名前が列挙されている犯人たちの中にあった知ってる名前を読み返しながら、ダフネは「勇敢なおばあさまね」とだけは呟くことができた。
その「知ってる名前」も去年読んだアズカバン集団脱獄の記事に載ってたのを覚えていただけで、別に知り合いでも同級生の親でもなかったので、ダフネは密かに安心していた。
しかし、そのうちこんな感じでドラコ・マルフォイという名が新聞に載るのではなかろうかという不安だけは、なかなか拭い去れるものではなかった。
せっかくの楽しいホグズミードなんだから暗い気持ちになってちゃ損よと思い直して、ダフネは今購入したばかりの日刊予言者新聞を手早く畳んでしまい込む。
「ねえ、見えてきたわよポッター。あれがその『叫びの屋敷』よね?」
会話しながら歩いているうちにいつの間にか目的地にたどり着いていたハリーとネビルとダフネは、ここから先には立ち入ってはいけないと無言で通達している「叫びの屋敷」の敷地を囲む木製の柵の手前に、叫びの屋敷に背を向けて立っている男が居るのを見て取った。
「マンダンガス・フレッチャー? なにしてるんだあんなとこで? 盗むものなんか無いだろ?」
表情が見えるくらいまで近寄ってみればそれは確かにマンダンガスだったが、去年のグリモールド・プレイスで開催されたクリスマスパーティで仮装させられた時と同じような、なんで俺がこんなことをとでも言いそうな、不本意だと叫びたいのがありありと察せられる顔をしている。
大きく大きくため息を吐き出してから、マンダンガスは自分の喉に杖を向けた。
マンダンガスは杖を持っていない方の手に持った紙を睨みつけながら、しかたなく口を開く。
「レディーース☆アーンド☆坊やたちー!! お嬢さん方とジェントルメーーン!! 本日これからこの『叫びの屋敷』前でウィーズリー・ウィザード・ウィーズの出張店舗が開店する! 完成しきってねえ試作ひ……じゃねえや本日だけの限定商品も盛りだくさん! 何時から始まるのかが気になるよな? 心配ご無用、今からだ! さあ方々お誘い合わせの上ぜひお越しくださいませ!」
カスバート・ビンズもかくやという抑揚の無い発声とホグワーツ城にまで響いたのではないかと思わせる大音量でマンダンガスが原稿を読み上げ終えた瞬間、ハリーとネビルとダフネの目の前、叫びの屋敷を見物しにきていた者たちの立ち入りを禁じている柵のすぐ向こうに、その2人が大量の荷物と共に「姿現し」した。
「よう、ハリー」
まったく同時に挨拶してきたフレッドとジョージが着ているおそろいのスーツには、襟のところに「W」の刺繍が施されている。
そのスーツを少し見ただけで、ダフネ・グリーングラスはウィーズリーの双子の商売がどれだけ好調なのかを察することができた。
「ホントはお前らの休暇に合わせたかったんだけどな」「準備が全部完了しちまったもんでな」「先延ばしにする理由も無いってわけだ」「というわけで正式オープンは明日だ」「で今日はお前らのホグズミードの日だ」「こんな宣伝の機会を逃す手は無いだろ?」
フレッドとジョージが柵越しにハリーと話している間にも、マンダンガスによる大音量のお知らせを聞き取ったのであろう者たちが、ホグズミード中に散っていたホグワーツの生徒たちやホグズミードの住人たちやその他の観光客たちが、続々と集まってきていた。
スルスルと杖を動かして商品を広げ続けているフレッドとジョージから少し離れた位置で、改めて見てみればかなりカラフルに飾り付けられた派手な出で立ちのマンダンガスが「天気の瓶詰め」を手にとって眺めている壮年の魔法使いにセールストークを展開している。
際限なくその数を増やしていくお客様方の向こうに、そこにいる人数があまりにも多すぎて近寄ることをためらっている小さな人影があるのを、見逃すフレッドとジョージではなかった。
「いらっしゃいませミスター・スキャマンダー。ああ、アントニオをこの人だかりに連れ込むのは心配だよな。待ってろ今おれたちが商品ここまで持ってきてやるから」
バチンと大きな音を立ててロルフの目の前に「姿現し」してそれだけ言ってまた「姿くらまし」で人だかりの向こうの屋外出張店舗へと戻っていったフレッドを尻目に、ルーナに挨拶していたジョージは、また知った顔が向こうから歩いてくるのを発見してしまった。
「おやあこれはこれはドラコ・マルフォイお坊ちゃん。それにレディ・アストリア・グリーングラス。なにか探してる商品があるのか? どういうものが欲しいんだ?」
今日はずっとアストリアが望むままにあちこち連れ回されていたドラコは、闇の帝王から仰せつかった特別任務のプランが大まかに固まったことと、それを進展させるにはクリスマス休暇が始まるのを待たなければならないと気付いたことで、最近はもう開き直って気楽に過ごしていた。
第一クリスマス休暇に望んだ通りの進展が見られたとして、それは自分の計画の実現可能性が最低限保証されるだけで、どっちにしろ実行は年度末になるのだ。
とくにできることがないというのはつまり、焦っても何にもならないということだった。
自分が気楽にしていればポッターたちの疑いの目やノットとザビニなどからの追求を躱せるかもしれないという打算と希望的観測も、ドラコの中にはあった。
少なくともこれから何をするべきかの方針は決まったのだからと、ドラコは頑張って心を落ち着かせて、せっかくのホグズミードをアストリアと一緒に楽しもうと頑張っていた。
「ん? あれラブグッドだよな。で、そこのは……まさか火蟹か?? 僕の目がおかしいのか?」
「あルーナだわ! ルーナこんにちは! ねえねえルーナぁその子が前に話してくれたロルフ?」
アストリアが隣にいるので、ドラコは喉から溢れそうになっている厭味やからかいの言葉を必死で抑えて我慢している。
「こんにちは。僕はロルフ。ロルフ・スキャマンダー。こないだ9歳になったんだよ。それでね、こっちが火蟹のアントニオ。弟だよ。お兄さんはだあれ?」
「これはご丁寧にどうも。僕はドラコ・マルフォイだ。よろしくスキャマンダー」
そう挨拶を返した直後にあの去年の「防衛術」の先生の姿が思い浮かんで、ドラコは一瞬だけ心の中の常識に邪魔されてためらった後、「よろしく」と、火蟹のアントニオにも挨拶した。
「ほらお前ら、色々持ってきたぞ。これなんかこないだ完成したばっかりの新作で――」
「おーーっとハリー、今なにしようとした? お前は俺たちの店では1クヌートたりとも支払わない! お前が出資してくれたからこの店があるんだ、俺たち忘れてないぜ!」
フレッドとジョージからあらかじめ指示されているので代金を受け取ろうとしないマンダンガスと支払おうとするハリーが押し問答をしているすぐ後ろでは、ダフネが棚に並んだトゲトゲしたデザインの小瓶を見つめている。
そして「ここは自分が譲歩するしかない」と理解したハリーはマンダンガスに渡そうとしていた商品代金の大半をしまい、じゃあこれとこれを貰うよとフレッドとジョージのどっちか判らない方に声をかけてから、なにが欲しいのかも良くわからなくなり始めているのが表情に出ていたネビルを連れて、相変わらず小瓶を見ているダフネ・グリーングラスのところへと戻っていった。
「アナタが見ているそれはなんて商品かしらマクラーゲンさん?」
4年生のロミルダ・ベインは今日もまた、7年生のコーマック・マクラーゲンの傍にピッタリくっついて離れようとしない。
「きみと一緒に周るなんて約束してないぞロミルダ」
コーマック・マクラーゲンは相変わらずロミルダ・ベインに対して一定の距離を空けようとしているが、ロミルダはいたずらっぽい微笑みを湛えたまま付き纏い続けている。
「…………わかった。わかった降参だ。諦めよう。どこに行きたいロミルダ・ベイン」
「あなたの隣」
「今もうすでに隣に居るだろこれ以上なにが望みだ」
皆の頭上を覆ういくつもの紫色の天蓋が、陳列された商品と客たちを降雪から保護している。
雑音選別機能付き耳当てなる商品が積み上げられたワゴンの前でどの色にしようか悩んでいるハーマイオニーの隣に待機しているノットは同行してくれているトレイシー・デイビスとも力を合わせて、くれぐれもロンとラベンダーの2人とだけは鉢合わせしないように注意深く周囲に目を配りながら「あっちの棚も見てみないか」などと提案して、一見するとかなりご機嫌が直ってきたようにも見えるハーマイオニーに移動を促している。
「ねえダフネ、それはなあに?」
「飲み物に混ぜる喉爆ぜ薬、ですって」
また「姿現し」してお客様の傍から戻ってきたフレッドとジョージのどちらか片方に促されて何やら商品の実演を始めたマンダンガスの頭部が赤紫色の炎に包まれ、そのまま陽気にポーズをとったマンダンガスを指し示しながらセールストークを展開する双子の片方が数十秒とかからずに周囲の全員の注目を集め、マンダンガスが実演しているその商品は次から次へと売れていく。
「人がいっぱいだねえアントニオ」
ウィーズリーの双子のもう片方が見せてくれている色とりどりの商品をルーナと手を繋いだまま選んでいたロルフが、自分は今ペットちょうに頼まれたおつかいでハニーデュークスに向かう途中なんだと思い出した時には、30分以上の時間が経過していた。
「あ、ロルフ思い出したね。…………慌ててる慌ててる。ほら見てポピーちゃん、あそこ」
屋根よりずっと高い位置に浮かんだベンチに腰掛けている魔法使いが、両隣の小柄な老魔女と屋敷しもべ、そして傍に浮遊しているポルターガイストと一緒に「
「ルーナもアントニオもはやく! うりきれちゃうかもしれないよ!」
「ハニーデュークスでお菓子が売り切れることなんてないと思うな」
結局フレッドとジョージの出店でもいくらか買い物をしてしまったロルフに手を引かれて雪の積もった石畳を火蟹のアントニオと並んで歩くルーナは、今朝からずっと笑顔だった。
ラベンダーとロンが交際し始めたせいで脳が破壊されて荒れに荒れるハーマイオニーを始めとする複数組の恋愛模様と学生らしい悲喜交々は「謎のプリンス」の見所のひとつだと思ってます。