104年後からの今 作:requesting anonymity
ホグワーツの6年生、グリフィンドール寮に所属する女の子のパーバティ・パチルは、ここのところずっと、寝室の空気が澱んでいるのが悩みだった。
それも別に換気が行き届いていないわけでもなく、「空気が澱んでいる」というのはパーバティが感じている会話の弾まなさやルームメイトたちの笑顔の少なさからくる居づらさの比喩だったので、これは実際に空気が澱んでいるよりも対処が難しいとウンザリし始めながら、パーバティは目を醒ましているのにベッドから出てこようとしないルームメイトに声をかける。
「おはようハーマイオニー」
返ってこないだろうと予想していたら本当に返ってこなかった返事を言わせるために、パーバティはハーマイオニーが頭のてっぺんまで被っているお布団を一気に全てめくった。
「何をそこまでイジケることがあるのハーマイオニー。明日からクリスマス休暇よ? アナタたち3人隠れ穴で過ごすんでしょ? そんなの私だったら――とびっきり可愛いの履いてくわよ」
「…………スケベ女」
ハーマイオニーが呻くように漏らした一言があまりにも看過できない内容だったのでパーバティは一瞬だけ怒りを覚えてしまったが、直後にまだ自分のベッドで寝ているラベンダーのフニャフニャした発音の寝言が聞こえて、パーバティは今ハーマイオニーが誰を罵ったのかを悟った。
「素直なのよあの子は」
「うらやましい」
ラベンダーの積極性と、ラベンダーが近頃ロンとしょっちゅうしている激しめの交流。そのどちらにハーマイオニーが羨望の眼差しを向けているのか、パーバティは訊かなかった。
「お向かいさんのニーズルは毛並みが美しいわねハーマイオニー?」
「……なにそれ。……どういう例えなの?」
そういえばハーマイオニーってばパパもママもマグルだったわと、パーバティは聞き返されてからその事実を思い出した。
「隣人が持ってるってだけでより良いものに見えちゃうし、自分は持ってないってだけの理由で要らないのに欲しくなっちゃうよねって意味よ……マグルの例えだとなんて言うんだったかしら」
まだこちらを見ようともしないハーマイオニーの、ボリュームたっぷりの癖っ毛で完璧に隠されている背中に向けてパーバティは話しかけている。
「
ハーマイオニーの返答が一息で、特に解説なども追加されなかったので、パーバティはもう少し褒めてあげる必要があると判断した。
「ラベンダーだって、うらやましいって言ってたのよ。アナタのこと」
「……どこがよ」
「それは本人に訊いてみないと解らないけど、ハーマイオニーみたいにカッコよくなりたいって、ラベンダー時々言ってるわよ。アナタが居ない時に」
カッコいいという言葉で表現するものが自分とラベンダーでは違うのだろうと思っているハーマイオニーは、たとえ向こうがどれだけ私を羨んでいても今ロンと交際しているのは自分ではなくラベンダーだと、結局は思考が今現在へと戻ってきてしまって、また枕に顔を埋めるのだった。
「ていうかハーマイオニーあなた、今日の最初の授業が何か忘れたわけじゃないわよね? 明日からクリスマス休暇だからって、恋愛の悩みで心が焼け爛れてるからって、それで容赦してくれるようなスネイプじゃないわよ。今年の『防衛術』の難しさは、アナタだって身に沁みてるでしょう」
パーバティはハーマイオニーにそう釘を刺して起床を促したのだが、パーバティの言葉に返答したのはハーマイオニーではなかった。
「防衛術以外もぜんぶ難しいじゃない。何言ってるのよパーバティ」
背後から聞こえてきたその声に、パーバティはハーマイオニーと同時に返事をする。
「おはようラベンダー」
恋敵だからといって、それだけの理由で相手の全てを忌み嫌えるようには、ハーマイオニーもラベンダーもできていなかった。
ラベンダーがロンとキスしているところを見せつけられる度に心に刺さったトゲがグリグリと嗜虐的に踊り始めて精神を抉られて涙が出そうになるハーマイオニーだったが、それでもラベンダーのことを友達だと思っているのには変わりがなかった。
ラベンダーあなたロンの好きなタイプの女の子じゃあないから交際してもらえているのには何かロンの思惑というか事情があるはずよ、という、嫉妬を一切抜きにした真剣な分析を、ハーマイオニーは自分の心の中だけにしまい込んでいる。
しかしその一方でハーマイオニーが、ラベンダーとロンの関係がどうか長続きしませんようにと願っているのも、そんな醜い願いを抱いている自分に嫌悪感を覚えているのも事実だった。
「防衛術の授業と言えば」お互いの人間関係の話をするのはここまでだと宣言するかのように、パーバティはルームメイトたち全員に言う。「そろそろ何か次の新しいこと教えてほしいわよね」
そして、パーバティが言ったとおりに、その日の最初の授業である「闇の魔術に対する防衛術」は今日もまた容赦の無い難易度をしていたし、今年の闇の魔術に対する防衛術の教授を務める魔法使いは、たとえ明日からクリスマス休暇だろうが、どの生徒がどんな悩みを抱えていようが、それで何か配慮をしてくれるような人物ではなかった。
「諸君らはこれまで、概ね及第点の、まあ下限にどうにかしがみつく程度の成果はあげている」
闇の魔術に対する防衛術の教室で、スネイプがハリーたち6年生の方を見もせずに言う。
「新学期が始まった9月1日から今日までで、諸君らは無言呪文が決して選ばれた者にのみ使いこなせる魔法の秘中の秘などではないことを痛感しただろう。吾輩の授業でしか必要にならないわけでもなく、できなくても問題にならないわけでもない、N.E.W.T.レベルでは大前提の技術だと。そして諸君らは概ね、この『大前提』を、最低限ではあれど習得してみせた。つまり、次に進む時だ」
スネイプがそこまで言った途端にバチンと大きな音がして、毛糸の靴下を履いた屋敷しもべ妖精がスネイプの隣、ハリーたちが見ている前に現れた。
その屋敷しもべ妖精は左右で全て色が違う靴下を5人分くらい履いていて、一体誰に貰ったのか「Dobby」と名前が大きく刺繍された毛糸の帽子まで被っている。
「ドビーは準備が完了したと報告します。今キッチンからここに持っていらっしゃいます!」
屋敷しもべ妖精のドビーがそう言って指を鳴らすと、ドビーの周囲にいくつもの、食べ物が大量に積み上がったカゴと大皿が出現した。
カップケーキやタルトを始めとする焼き菓子にフルーツなどなど、どう見ても人数分を大きく超える量が用意されている。
「これから諸君らには、我輩が16の時に友人とよく興じた遊びに取り組んでもらう――ポッター。闇の魔術から己もしくは己の友などを守らんとする場合、相手は自分と同格か否か?」
「格上ですスネイプ先生。もしも僕がヴォルデモートより強かったら、話はずっと簡単でした」
急に問題を振られても慌てず即答で正解したハリーを、スネイプは褒めない。
「その通りだポッター。貴様は闇の帝王より弱い。誰しもが闇の帝王より弱い。であるからして諸君らは、自分より遥かに強大な敵と相対した時こそ、確実に己を守らねばならん。まずは己を守らねば、友も家族も恋人も守れぬのだからな……吾輩が貴様らに指南するのはそれだ。格上の相手と戦闘を成立させるための方策だ。即刻殺されるとか無視されるなどの事態を避けるための手段だ」
そこで一旦説明を中断して、スネイプはハリーたちに指示を出した。
「こちらのドビー氏がご用意くださった食べ物を、ひとり最低ひとつ取り給え」
毒でも入っているんじゃないかと疑っているのがハリーたちグリフィンドール生だけではないことは、パドマやジャスティンの表情から察せた。
ドラコやノットを始めとするスリザリン生たちですら、スネイプが自分たちに何をさせるつもりなのかが察せずに困惑している。
ただ2人だけ何の疑問も抱いていないらしいクラッブとゴイルが大喜びで両手いっぱいにお菓子を抱えて持っていっても、スネイプは何も言わない。
ひとり最低ひとつという指示によってクラッブとゴイルとは真逆の理由で悩まされていた一部の女の子たちが仕方なく比較的小さめのミンスパイや贅肉に変わりづらいと考えたらしいバナナなどをひとつずつ手に取り終えたのを見届けてから、スネイプは説明を再開した。
「ではデモンストレーションと行こう……ミス・グレンジャー、ミスター・ウィーズリー。菓子または果物を持ったまま教室の中央で向かい合い給え。他の者はグレンジャーとウィーズリーの邪魔にならん位置に――ではグレンジャー、そしてウィーズリー。杖を構えるのだ」
2人とも、まだ何をやらされるのかが察せていない。
「諸君らには今から決闘をしてもらう。ただし杖を奪おうが失神させようが勝ちではない。各々が手に持っているデザートを、先に食べきった方の勝ちだ」
大きめの青リンゴをひとつ持っているロンとズッシリしたパンプキンパイを一切れ持っているハーマイオニーが、お互いを見ながら困惑している。
しかしハーマイオニーとロンはすぐに2人とも、これがなぜ単なる遊びではなく闇の魔術に対する防衛術の、それも6年生のN.E.W.T.レベルの授業課題たり得るのかを理解した。
「ノンストップで食べ続けながら、それと並行して無言呪文で相手を妨害するのが最高効率だな」
「無言呪文だけに集中してられない状況で、何かの片手間に無言呪文を使う訓練か?」
そう分析したノットとザビニだけでなく、1人またひとりとこの課題の厄介さに、そして誰が相手になっても勝てる可能性はあるという事実にも気付いていく。
(そっか。ポッターが相手になったら私じゃ普通は勝ち目ないけど、今回はひたすら逃げ回ってさっさと食べ終わっちゃえばそれでも勝ちなのね)
ダフネ・グリーングラスがミンスパイ片手に考えを巡らせているすぐ隣では、床に座っているクラッブとゴイルが大量に確保したお菓子を自分たちの周囲に積み上げて宴会を始めている。
「ではグレンジャー、ウィーズリー。杖を構えて――始め」
「エンゴージオ!!!」
大きな声でクッキリハッキリ呪文を唱えたハーマイオニーの強烈な「肥らせ術」がリンゴめがけて飛んできたので、ロンは大慌てで飛び退いてギリギリでそれを避けた。
「ああそういうのも有りか。……食べきらなきゃ勝ちにならないものを巨大化させられたらそれはもう負けみたいなもんだな。『レデュシオ』なんか、やってる間に向こうは完食するだろうし」
シェーマスはそう言いつつ、スモモひとつを完食した後に残った種に杖を向けて、せっかくなので「無言で」消失させようと試みている。
「皆でたくさん用意しましたから、ドビーは皆様がたくさん食べてくださると嬉しいです」
スモモの種を無言で消失させようと頑張っているシェーマスの隣で、ディーンがドビーに追加のアップルパイをリクエストしている。
「むうお゙!」
ロンがリンゴを口に詰め込みながら杖を振って放った何やらヒョロヒョロとした勢いの足りない呪詛らしきものを、ハーマイオニーはパンプキンパイを一口かじってから無言でアッサリ防いだ。
「ずいぶん愉快な芸を見せてくれるのねウィーズリーさん?」
「む゙ぉぅ゙ご!!」
たった今リンゴひとつを全て一息に口の中へと詰め込んでしまったので、ロンはハーマイオニーに何も言い返すことができない。
「む゙お! ごごーご!! むぅ゙ぐー!!」
口いっぱいに詰め込んだリンゴを咀嚼し続けながらムキになって呪詛を連射しているロンの姿はパーバティを始めとする女子から見ても、ハリーを筆頭とするグリフィンドールの男子たちから見ても、決して格好の良いものではない。
「……先生、ウィーズリーのあれは無言呪文にカテゴライズされますかね」
「良い質問だミスター・ザビニ。あれは無言呪文だ。そうでなければ不完全な発音によって未知数に危険な魔法の暴発が起きているはずなのだからな。無言で呪文を撃ちながらミス・グレンジャーを罵りでもしているのだろう……品が良いとは言えん振る舞いだが、不器用な人間にはできん」
「ごじゅもご!! ももごご!! もごー!!」
口の中いっぱいに詰め込んだリンゴを頑張って噛み砕いて少しずつ飲み込んでいるらしいロンが口を完全に閉じたまま連発している呪詛は始めこそ糸クズのような弱々しさだったものの、少しずつだが着実に出力を上げて、十全な威力へと近づいている。
一方そんなロンから目を離さないハーマイオニーは無言で唱えた盾の呪文で防御し続けながら、ズッシリしたパンプキンパイを特に急いでいるようには見えない優雅な速度で食べ進めている。
「余裕綽々ねグレンジャーったら」
「うちの父さんと母さんが見たってどっちが優勢かすぐ理解するだろうね」
パンジー・パーキンソンとジャスティン・フィンチ=フレッチリーがそんな言葉を交わしている中、またロンが放った呪詛がハーマイオニーに防がれる。
そこから続いて1発2発3発と連続でロンの呪文を防いだハーマイオニーは、4発目を防ごうとした直後にピタリと杖を止め、反対の手で持ったパンプキンパイを食べ進めるのも中断して、眉間にジットリとシワを寄せてロンを睨んだ。
「…………なんのつもり?」
質問に答えず鋭く杖を振ったロンの手の動きからハーマイオニーは失神呪文が飛んでくると予想したが、ロンの杖からはまたしても、魔法など何も放たれない。
ロンとハーマイオニーはお互いから目を離さないまま、数秒動きを止める。
そしてロンはまた素早く杖を振り、ハーマイオニーはそれに反応して盾の呪文を展開しようとして、すぐに中止する。
そんな無言の駆け引きを何度も何度も繰り返しているロンとハーマイオニーを見ながら、ネビルはハリーに解説を求めた。
「ねえハリー、ロンはアレなにしてるんだろうね」
「ハーマイオニーの盾の呪文を突破したいんじゃないかな。フェイントかけてさ」
どうせハーマイオニーだってロンの狙いなんか理解しているだろうしロン自身もそれは百も承知だろうと考えているハリーは、特に小声にもせずハッキリと説明した。
そして何度目か解らないロンのフェイントをハーマイオニーがフェイントだと即座に看破するようになってから数分後、ロンは杖をハーマイオニーに向けたまま完全に動きを止めた。
「何、杖を振る速さで勝負するの?」
まだリンゴが相当に残留しているらしい口をモゴモゴと絶え間なく動かし続けながら何やら狙っているらしいロンのあんまりカッコよくない立ち姿にただ1人ウットリと見惚れているラベンダーと、ハーマイオニーは本当は同じ気持ちだった。
こういうところがカッコいいのよロンはと、ラベンダーとハーマイオニーだけが思っている。
「目的のためなら多少不格好でも気にしないというのは、確かに美徳かもな」
ロンの姿を眺めながらそう呟いたドラコ・マルフォイにも、何か思うところがありそうだった。
しかしそんな言葉を鋭敏に聞き取って不満たっぷりの表情でドラコを睨みつけたロン当人は、どうやら格好悪いつもりも、己の格好悪さを許容しているつもりも無いらしかった。
そしてロンが余所見した隙を、見逃すハーマイオニーではない。
(カンティス!!)
しかし、ハーマイオニーが杖を振って呪文を飛ばしてくるのを、ロンは待っていた。
ダンブルドアや「あの先生」ならともかく自分たちには、例えハーマイオニーでも、他の呪文を唱えているその瞬間だけは、どう頑張っても盾の呪文は使用できないから。
ハーマイオニーが放った呪文と自分が放った呪文が衝突して押し合うのを避けるために思いっきりしゃがんだロンの杖から投射された魔法は、ハーマイオニーがまだ食べきっていなかったパンプキンパイの最後の一欠片に、正確に命中した。
ハーマイオニーが状況を理解するより速くパンプキンパイの最後の欠片は2個に増える。
そのままパンプキンパイの欠片は4個8個16個と増殖していき、ハーマイオニーが冷静さを取り戻すために消費した数秒のうちに、ハーマイオニーの足元にはパンプキンパイの欠片が小さな山を作って積み上がっていた。
「フィニートインカンターテム!!」
ハーマイオニーはパンプキンパイにかかった「双子呪文」の効果を終了させようと頑張っているがどうやらハーマイオニーの魔法が命中したのは双子呪文によって増殖した複製品のパンプキンパイだったらしく、その一欠片が複製されなくなっただけで、全体としては未だ増え続けている。
そしてロンが無言で唱えた双子呪文が完璧ではなかったのか、明らかにパンプキンパイが増殖するペースは鈍化しているが、いずれにせよもはや到底ハーマイオニーが完食できる量ではない。
「エバネスコ!!」
「食べ終わりました、スネイプ先生」
リンゴを嚥下しきったロンがそう宣言して、妙なルールの決闘はひとまず終了した。
「やったなロン! めっちゃカッコ悪かったぜ!」
「ロンがハーマイオニーに勝つとこ初めて見た気がする」
そう声をかけてきたシェーマスとネビルを始めとする友人たちに囃し立てられながらロンが勝利を味わっている一方で、ハーマイオニーは今ようやく全てのパンプキンパイを消失させ終えた。
「敗因が判るかねミス・グレンジャー」
やはり配慮するつもりは無いらしいスネイプが、容赦なくハーマイオニーに問いかける。
「私の方が実力は上だからと油断していました」
「対戦相手がこの我輩、もしくは校長だった場合、きみは油断していたかね」
「いいえ」
「闇の帝王が相手でもどうせ勝てると悠長に構えるつもりかね」
「いいえ」
「では今回の失敗を踏まえて今後はどうするべきだと考えるかね」
「誰であろうと油断せず全力を投じます」
「その通りだ。力を温存するのと相手を舐めてかかるのは違う。後者は戦略ではない。肝に銘じ給えミス・グレンジャー、5点減点だ。相手が闇の帝王ならば貴様の命は無かったのだからな」
相手がロンだったからというのは仮にこの授業を今年もあのおかしな先生が受け持ってくれていたとしても言い訳にならないと、ハーマイオニーも理解している。
「では諸君。今から何をするかが理解できたところで――」
「プロテゴぉわぁ?!」
スネイプが右手の指先をクルリと回すと、ただ1人咄嗟に盾の呪文を唱えたハリーとほぼ同時に杖を振って何らかの手段で防御しようとしたネビルとドラコも含めた6年生の闇の魔術に対する防衛術を受講している全員が、強制的に今いる位置と身体の向きを操作された。
「ポッター、ロングボトム、マルフォイ。1人1点。さて、諸君らには今しがたミスター・ウィーズリーとミス・グレンジャーがやったのと同じ決闘を『いま目の前にいる相手』とやってもらう。食事と並行して戦闘を行い、先に手元の品を完食した側の勝利。では始め給え」
スネイプの淡々とした合図で、教室の全員が各々の相手と決闘を開始した。ただし今回は生徒たちが自分で選んだ相手ではないので、組み合わせにはいくらか、教える側の意図が透けて見えた。
「よろしく。マルフォイ」「よろしく。ポッター」
一切笑っていないハリーとドラコの隣では、ハーマイオニーがラベンダー・ブラウンと向かい合って、早速ラベンダーに杖を向けて「カンティス!」と鋭く唱えて呪詛を飛ばした。
ハーマイオニーが飛ばしてきたのは相手を強制的に歌わせる呪文だと理解しているラベンダーは、そんな魔法は浴びた時点で負けが確定するので、掌に収まるサイズのミンスパイ5個を守りながら「完食するのが課題だって解ってたら1個だけにしてたのに」などと悔やみつつ逃げ回る。
しかし、トレイシー・デイビスの後悔は、ラベンダーの比ではなかった。
「へへ。へへへへへ…………3日くらい猶予を貰えませんかね……無理ですかね、へへへへ……」
ちょっとしたテーブルくらいの面積がある大きくて豪華なフルーツタルトを杖で操って浮遊させて保持しているトレイシー・デイビスと向かい合ったまま、洋梨を持ったノットが呆れている。
「あとで他の学年の知り合いとかの皆で食べようと思ったんですよね……へへ。へへへ……」
力なく笑うことしかできなくなっているトレイシーを見つめながら、ノットは悠長に自分の洋梨に杖を向けて魔法で皮を剥き、切り分け、皮と芯を消失させ、皿とフォークとついでに椅子まで創り出して、じつに上品な所作でゆっくりと完食してからトレイシー・デイビスに声をかけた。
「『レデュシオ』で小さくすれば良かったんじゃないか?」
皿とフォークと椅子に杖を向けて数度失敗したもののすぐに無言で消失させることに成功したノットからそう指摘されて、トレイシー・デイビスはタルトを落としそうになった。
「…………ほんとうだ……」
「アップルパイを一切れ貰ってくるから、お前はそれを食べ切れるサイズに縮めておけデイビス」
「あ、待ってください。このタルト片手で持てないのでノットくん、持つの手伝ってほしいです」
仕方ない奴だなと言いながら、セオドール・ノットはトレイシー・デイビスに手を貸した。
「むう、む! むー……ああもうインペディメンタぁ!!」
「ヤケ起こしてちゃ勝てないわよシェーマス・フィネガン」
でっかいマフィンを食べ進めながら無言で呪文を唱えようとして上手くいかなかったシェーマスがようやく放った呪文を、ミンスパイを3個持ったダフネ・グリーングラスがピシャリと防ぐ。
因縁のある相手と組まされているのはハリーとドラコだけではなかったし、そうでない者たちも基本的に皆、シェーマスとダフネのようにあまり親しくない相手や、会話すら数えるほどしか交わした記憶がない相手と組まされていて、皆がいつも集まっている「地下聖堂」での普段の自主練習にはある和気藹々とした雰囲気が、現在行われている実技課題からは念入りに取り除かれていた。
「わあーー! ステューピファイ! ステューピファイ! わぁうグェ!!」
盾の呪文を唱えながら突進してきたミリセント・ブルストロードを止められなかったパーバティ・パチルはお腹にダンプカーみたいなパンチを貰い、怯んだところでさらにサソリ固めを極められ、全身の自由を完全に奪われた。
「ぎゅウぁ゙ぁーーー……痛い痛い痛いぃ…………ステュっ、ステューピ痛い痛い痛い!!」
「アナタが持ってるそのキャンディも袋ごと全部よこしなさいパーバティ・パチル」
パーバティを締め上げながら左手で杖を振って袋入りのキャンディを奪い取ったミリセント・ブルストロードは、そのまま杖で操って空中を浮遊させ、キャンディをひとつ自分の口まで運んだ。
その途端にドサリと倒れたミリセント・ブルストロードの身体の下からどうにか這い出たパーバティは、ブルストロードに奪われた袋入りのキャンディを回収してポケットにしまう。
「いぃっ痛いった……これは私がこないだホグズミードに来てたフレッドとジョージの出店で買った『ズル休みスナックボックス』の気絶キャンディよ。私がいま食べなきゃいけないのはこっち」
隠していた百味ビーンズ一箱を開封して、パーバティ・パチルは途方に暮れるのだった。
一方、そんなパーバティの背後では、受講している生徒の人数が奇数なので2人一組のペアを組む場合かならず1人あぶれるという必然によって今回は自分ひとりで2人を相手しなければいけなくなったブレーズ・ザビニが、対戦相手であるクラッブとゴイルを前にして、困っていた。
「お前らいまから何するのか覚えてるかクラッブ、ゴイル」
「なにが? お前も食べろザビニ。美味いぞこれ」
「蜜蜂味だ。次は……木クズ味だ! ザビニお前も食べるか百味ビーンズ」
パーバティが未だ手を付けられずにいるのと同じ箱入りの百味ビーンズを、クラッブとゴイルは分け合いながらバクバクと食べ続ける。床にどっかりと腰を下ろしている彼ら2人の周囲にはマフィンやらタルトやらタフィーやらリンゴやら桃やら様々なお菓子やフルーツが積み上げられており、それらをいちいちザビニに「喰うか?」と勧めながら次々に口へと運んでいくクラッブとゴイルはどうやら、いま闇の魔術に対する防衛術の授業中だとも認識していないようだった。
お菓子がたくさん手に入ったので、食べるとおいしい。
こいつらの頭の中にあるのはそれだけだと理解したザビニはしかし、自分が手に持っているアップルパイ一切れに、口をつける気にはなれなかった。
クラッブとゴイルの食べっぷりが凄まじいので、見ているだけで満腹になってきたのだ。
もちろん実際には朝食もそれなりにしか摂っていない以上じゅうぶん完食できるのだろうが、もはや食欲は湧かなかった。
「おいクラッブ、ゴイル。今は闇の魔術に対する防衛術の授業中で、お前ら2人は協力して、俺を相手に決闘をしなきゃいけないんだ。ここまではいいか?」
「そうなのか。不思議なこともあるもんだな」
どう説明すればこいつらを授業に参加させられるだろうかとザビニが考えを巡らせている間も、クラッブとゴイルはまだまだドッサリあるフルーツと焼き菓子を幸せそうに食べ進めていく。
「…………よし、お前らそれ全部食べきるのにどれくらいかかる?」
「20分くらい」
「じゃあ俺がいまから20分間、魔法でお前らとかお前らの菓子と果物を攻撃して、お前らの食事を妨害するから、お前らそれに抵抗しろ。20分後に一口分だけでも残ってたら俺の勝ちだ」
ザビニに説明を2回繰り返させてから、やっと理解したクラッブとゴイルは2人同時に「いいぞ」と返事をした拍子に、ザビニの顔にマフィンとリンゴの食べかすを盛大に飛ばした。
ザビニがクラッブとゴイルにルールの再確認をしている中、誰に厭味を言うでもなく、褒めもせずアドバイスもせず、いつの間にか創り出していたらしい豪奢な揺り椅子に腰掛けたまま、ハリーたち6年生が奮闘する様を紅茶片手に眺めているスネイプはドビーがずっと立ちっぱなしなのに気付いてドビーのためにわざわざ杖を振って椅子を創り出し、ドビーにも紅茶を勧めた。
「……あプロテゴ!!」
「ずいぶん余裕だなポッター!!」
信じられないものを目撃して一瞬だけ意識がドラコから逸れたハリーはその一瞬の隙を突かれ、危うくドラコの失神呪文を浴びそうになったのだった。
そして全ての組の決闘の勝敗が決した後、呪詛などを浴びた者たち全員を杖の一振りで回復させたスネイプは、そこにいる6年生全員に向けて、今の決闘については誰にも何らアドバイスなどしないまま、クリスマス休暇が明けたら取り組む内容についての説明を始めた。
「諸君らは今、戦闘中はたとえ最良でないとしても悩まずに行動の択を選び続け、動き続けることの重要さを理解しただろう。何をするべきかと選んでいる時間は、そのまま敵が自由に使える時間なのだから。そしてこの授業の始めにも言ったとおり、我輩は諸君らに、戦い続ける術を授ける。明らかに己よりも強大な相手から命を守る方法を。そのために必要な技術のひとつが無言呪文だ」
悔しそうなミリセント・ブルストロードの隣で、百味ビーンズの空箱を手に持ったままのパーバティ・パチルが今にも嘔吐しそうな蒼い顔をしている。
「ポッター。経験があるとすれば貴様だろう。自分より優れた実力を持つ魔法使いに勝負を挑み、呪文を何ひとつ満足に唱えさせてもらえなかった経験が」
「あります、先生。呪文の最初の1音より先に邪魔されました」
そう返答させられたことこそが受け入れ難い敗北かのようにハリーが睨んでいるのも気にせず、スネイプは教室全体に向けた説明を続ける。
「闇の帝王は開心術を、杖も呪文も必要とせずお使いになる。無言呪文ではない。呪文を『声に出して唱えない』のではない。呪文を必要としない。であるから、闇の帝王に杖を向けても、これから何を唱えるのかと思考している時点で、それは闇の帝王にとって懇切丁寧な予告となる。妨害など容易いというわけだ。これを防ぐ手段が閉心術だが、それでも不完全だ。では例として…………ミス・グレンジャー。ミスター・ノット。我輩の杖を見たまえ」
スネイプは揺り椅子に腰掛けたまま杖をハリーに向け、振る。ハリーは何か呪詛でも飛んでくると思って防御しようとしたが、ハリーが無言で展開した盾の呪文には何ひとつ飛んでこなかった。
「いま我輩が使おうとした呪文は何かね?」
「武装解除術」
「武装解除呪文です」
ハーマイオニーとノットが同時に正答したが、スネイプは褒めない。
「左様。杖の動きを見れば判る。実際の戦闘ではそんなもの見極めている余裕など無いと思っている者が諸君らの中に居るのならば、それすなわち生き残れんということを意味する。ではポッターウィーズリーロングボトムグレンジャーノットザビニマルフォイ。協力して防御したまえ」
名指しされた7人が大慌てで密集して盾の呪文を唱え、その中でハーマイオニーとザビニがフィアント・ドゥーリやらレペロ・イニミカムやらサルビオ・ヘクシアやらの保護呪文を追加し終わるのを待ってから、スネイプは杖をしまって揺り椅子から立ち上がり、両手を後ろ手に組んだ。
そして一瞬だけ教室を静寂が包んだ直後、ハリーもロンもネビルもハーマイオニーもセオドール・ノットもドラコもザビニも、突如目の前で炸裂した青色の閃光に防御を粉砕されて、7人まとめて教室の端まで吹き飛ばされた。天井がビリビリと揺れ、なんらかの細かな破片が振ってくる。
「……なんだ? …………僕らいま何をくらった??」
「判らん。防御しきれなかったということ以外わからん」
「あ痛たったたた……大丈夫かハーマイオニー。ほら立てよ」
うめきながら立ち上がったハリーたちに声もかけず、ロンがハーマイオニーに手を貸したことになど全く興味も無い様子で、スネイプは説明を続ける。
「杖無し呪文。杖を振らんのだから杖の振り方を見極められる心配は無い。……無言呪文、閉心術、杖無し呪文。これらの内いずれか2つを習得できれば敵に手の内を読まれる可能性は劇的に減り、3つ全てを習得すれば闇の帝王が相手でも『放とうとしていた呪文を唱え始めた途端に阻止される』などという無様な事態とは無縁になる。――放った魔法が有効打となるかは別問題だが――少なくとも、格上の敵とも戦えるようになる。であるからして休暇明けからはこのふたつ、閉心術と、杖無し呪文を。諸君らには習得するべく努力してもらう。休暇中から練習を重ねておくこと」
どよめきが教室中に広がっていくなか、ハーマイオニーがスネイプに質問する。
「スネイプ先生、ホグワーツのカリキュラムに杖無し呪文は含まれていません。杖を使わずに呪文を行使できるのは、そもそも杖を使う文化が根付かなかったアフリカの魔法使いを除けば、最上位の1%ほどの魔法使いと魔女だけだとビンズ先生が授業で仰っていましたし――」
ハーマイオニーの発言は、そこでスネイプに遮られた。
「なるほどミス・グレンジャー。実に賢明な意見だ。闇の帝王に抗するための手段を習得するよりも魔法省が定めたカリキュラムを遵守する方が大切とは、どうやらドローレス・アンブリッジ先生の御指導がとてもよく身についているようだ。いやはや、勉強熱心で実に素晴らしい」
俯いて押し黙ってしまったハーマイオニーを庇いながら、ロンはスネイプを睨んでいる。
ロンだけでなくラベンダーとパーバティにも睨みつけられているスネイプはやはり全くそれらを気にする様子も無く、その場にいる6年生全員に、改めて通告した。
「閉心術と杖無し呪文を練習しておきたまえ。もちろん無言呪文もだ。特に無言呪文は諸君ら6年生にとっては、もはや『習得していて当然』だ。くれぐれも怠けぬように。授業はここまで」
それだけ言ってまた揺り椅子に腰を下ろしたスネイプに背を向けて逃げるように教室から出ていってしまったハーマイオニーを、ハリーもロンもラベンダーもパーバティも慌てて追いかけた。
結局、次に控えた魔法薬学の授業が始まる寸前まで元気が無いままだったハーマイオニーを皆で慰めている間もハリーは心の中でずっと、クリスマス休暇が終わったら次は杖無し呪文を習うという事実に胸を踊らせていた。
去年頓挫した閉心術をスネイプから再び教わるというウンザリさせられる予定すら、杖無し呪文という言葉の持つ輝きの前ではほとんど無力だった。
まさかスネイプの授業が楽しみになるとは思ってもいなかったのはハリーだけではなかったが、だからこそ去年のあの先生が良かったなぁと思ってしまうのも、ハリーに限った話ではなかった。
「隣の芝生は青い」に相当する英語圏のことわざ何かなってググったらまんまだった。