104年後からの今 作:requesting anonymity
ホグワーツのクリスマス休暇が始まったというのはつまり、クリスマス休暇が終わるまでに完遂していなければならない宿題に取り組む期間が始まったということだった。
なにしろたくさんあるので、宿題をギリギリまで後回しにして先に遊べるだけ遊ぶなどという愚かな選択肢は、ハーマイオニーに叱られるまでもなく、ハリーとロンの頭の中にも無かった。
ただでさえ数と種類が多いのにひとつひとつが決して簡単ではなく、その上さらに「◯◯を練習しておく」というような、そもそも休暇中に完了などしない課題までもが積み上がっているので、各々が休暇を過ごす各々の環境に遠く離れているのにもかかわらず、この時ホグワーツの6年生たちは皆、「これは初日から取り組まなければ終わらない」と考えを同じくして、皆が皆いずれかの宿題に早速とりかかっていた。
「1892年に
ハリーは同じソファに並んで座って一緒に宿題をしているハーマイオニーに魔法生物飼育学の問題集をどうにか代わりに全部やってもらえないか、という半ば現実逃避じみた企みを実行に移してみたが、自分たちのイギリス魔法界ならともかくアメリカ合衆国の魔法界の歴史は決してホグワーツの試験に頻出するものではなく、それゆえにハーマイオニーも答えを知らなかった。
「調べてみましょう。バチルダ・バグショットの『魔法史』に載っててくれればいいけど……」
ハリーとハーマイオニーが今いるのがブリテン島オッタリー・セント・キャッチポール村郊外に位置しているウィーズリー家の自宅「隠れ穴」なのにもかかわらず2人の隣にロン・ウィーズリーが居ないのは、決してハーマイオニーとロンが未だお互いに対してズキズキとした痛みにも似た複雑な恋心を抱えているから、ではなかった。
「ママ、どう片付けたってこの部屋4人が限界だよ! ディヴィッドおじさんみたいな太っちょが使うんなら2人がせいぜいだ!」
上の階から大声で計画の変更を進言したロン・ウィーズリーは、ハリーがこの隠れ穴に到着した今日の早朝からずっと、家族と一緒に家のそこら中を整理整頓し続けている。
「ロン、どうにかしてその部屋に6人寝られるようにできないかしら!」
モリー・ウィーズリーはロンに返事をしながら、リビングのあちらこちらに散在している家族の誰かがいつだったかに出しっぱなしにしたまま片付けられていない色々に杖も向けずに魔法をかけて、それぞれの品が本来収まっているべき場所へと戻していく。
「…………毛布か何かに『浮遊呪文』かけて、その上に乗って空中で寝るのはダメかなママ!! それならこの部屋8人詰め込め……ママ今の忘れて!! 誰だってそんな密度で寝たくない!!」
兄たちとパパとハリーと自分が一緒にこの部屋で寝ると想像してみたら暑苦し過ぎてめまいに襲われたロンは自分の提案を自分で却下し、できる限りの床面積を確保するための格闘を再開する。
「ねえママこれ捨てちゃダメー? 赤ちゃん用の服がどっさり入ったトランクケース見つけたの」
ロンが居る上の階ではなく1階リビングのすぐ隣の部屋からそう呼びかけてきた末娘のジニーからの提案を、母モリーは即答で却下した。
「ダメ!!! それはビルとチャーリーが着てたやつだからダメ!!」
子どもたちにしてみれば今すぐ廃棄もしくは「消失」させるべきゴミ同然のガラクタでも、母のモリーにとっては思い出がたっぷり詰まった大切な品である。
ウィーズリー家の面々による自宅の片付けは、遅々として進んでいない。
「今年はいつもよりずっとたくさんの人が来るんですから、全員が余裕を持って寝られるだけの場所をなんとしても確保しますよ!」
「おばさん、僕らもやっぱり手伝いま――」
ハリーの申し出をモリー・ウィーズリーが断るよりも早く、ハーマイオニーが引き止めた。
「宿題ほっぽり出そうとしたってダメよハリー。見つけたわ。1892年にMACUSAの本部がワシントンD.C.からニューヨークに移転しなきゃいけなくなった理由は、サスカッチの反乱」
「反乱? 何が不満だったの?」
サスカッチとやらがどういう生き物なのかは時間をかけなければ思い出せそうになかったので、ハリーは「1892年」の「アメリカ魔法界」で起きた「サスカッチの反乱」というワードをしっかり記憶するべく、とりあえず事の詳細を訊いてみた。
「事の原因はこの魔女ね。アイリーン・ニーダンダー」
ハリーの私物である「魔法史」の記述の一部分をハーマイオニーは遠慮なく杖の先でなぞって蛍光グリーンの太い線を引き、重要な個人名を強調した。
「そのひと何やらかしたの?」
「自分で読んでみなさいよ」
ハーマイオニー先生に叱られてしまったので、ハリーは「魔法史」の、ハーマイオニーによって蛍光色の線が引かれた「アイリーン・ニーダンダー」という人名を含む段落を読み始める。
「マダム・ウィーズリー、やっぱりどこをどう片付けても床の面積が足りません。仰っていた全員が予定通りに到着し予定通りにこの家で寝るのなら、違法を承知で検知不可能拡大呪文を使うか、さもなくば庭にテントでも並べるしかない」
階段から降りてくるなりそう進言したのは、昨年度の半ばから新しく不死鳥の騎士団の一員となった、熟練闇祓いのガウェイン・ロバーズ。我が家の片付けをお客様に手伝わせるなんてと思っているらしいモリーはハリーにもハーマイオニーにも掃除を手伝わせようとしないが、どうやらモリーにとって「今回のクリスマス休暇中ハリーの護衛を務める者たち」は、お客様ではないらしく、今日の午前中に「貴方たち今いちおう仕事中で気を張ってなきゃダメなのよね」と一言だけ確認したモリーは、その問いかけに肯定を返した全員に遠慮なく手伝いを割り振ったのだ。
「やっぱりそうね…………しょうがないわ。じゃあそうしましょう」
モリーがそう呟いたのを聞いて、ガウェイン・ロバーズもジニーもハリーもハーマイオニーも、検知不可能拡大呪文で床面積を増大させる方針に決まったのだと勘違いした。
「最後にこの家を建て増したのはジニーの時だから……15年ぶりだわ!」
モリー・ウィーズリーが続けてそう声を上げたのが聞こえて、ハーマイオニーもハリーも、どうしてこの家はこれほどまでに奇妙な、一軒家をいくつも積み上げたような造形をしているのかというかねてからの疑問の答えを今ついに得たような気がした。
この「隠れ穴」は恐らく、最初は1階部分しか無かったのだ。そしてウィーズリーおばさんとおじさんはきっと、新しく子供が生まれて家族が増えるたびにどうやってか建材を調達――ウィーズリー家の家計の逼迫っぷりから考えれば廃材を蒐集――して、建物を増築してきたのだろう。
検知不可能拡大呪文は個人使用が禁止されていて、物品を製造する際にのみ、その製品ごとに個別に、製造業者に魔法省から許可が与えられるのだと、ハーマイオニーは本で読んで知っている。
つまり「手狭になってきた部屋に検知不可能拡大呪文を施して後から広げる」という行為も、所有しているカバン等に検知不可能拡大呪文を行使して容量を増やすのも、違法なのだ。
では検知不可能拡大呪文の個人使用がなぜ法で禁止されているのかといえば、ハーマイオニーが読んだ本に曰く “国際魔法使い機密保持法違反を助長し得るため” である。
昨年度のホグワーツで「闇の魔術に対する防衛術」の先生をしてくれたあのおかしな魔法使いは神秘部に所属しているからその特別な権限を根拠として法の枠組みを越える振る舞いが許されているのではなく、むしろ元来からあまりにも法を無視するので、ある程度なら法を無視しても問題にならない職業へと、おそらくはあの先生が学生だった時代にきっと数多く居たのだろう周囲の友人たちによって「押し込められた」に違いないと、ハーマイオニーはそんなふうに推測していた。
「ねえママ、物置きになってる部屋をどうにか片付けて、それかできるだけ1部屋に物を集約してそれで空いた部屋にテント張ればよくない? 既に検知不可能拡大呪文がかかってる品を設置するだけなら違法じゃないでしょ? あのテントなら10人以上寝られるし――寝具さえ中に足せば」
ジニーの提案も母モリーは採用し、改めて「隠れ穴」の大掃除が再開されようとした、その時。
「ただいま戻りましたマダム・ウィーズリー」
その声が聞こえた瞬間に、ハリーは「魔法史」のページから玄関の方向へと視線を移した。
「シリウス! ねえシリウス――」
駆け寄ろうとしたハリーはハーマイオニーに制止され、驚く暇すら無い敏速さでハリーの護衛役の魔法使いたちがやってくる。
「シリウス・ブラック! 1971年9月1日夜、お前の右隣に座っていたのは誰だ!」
声を聞くなりすっ飛んで来てシリウスに杖を突きつけたガウェイン・ロバーズの左右では、隠れ穴のどこかに居たらしい、ハリーが名前を思い出せない魔法使い2名もまた杖を構えている。
「ジェームズだよ。私とジェームズ。その間にリリー。私の正面にリーマス。その右隣にグレタ、左隣にピーター。それでお前は私たちが組分けされるところをハッフルパフのテーブルの真ん中あたりから見ていた。遅れて入ってきたダンブルドアと最初から居たダンブルドアが鉢合わせするところも見ていた。お前はその日から5年生だったから。覚えてるか? スタージス・ポドモア」
懐かしそうに解答したシリウス・ブラックは、スルリと真っ黒な毛並みの大型犬に姿を変えてハリーとハーマイオニーが勉強をしているソファまでやってくると、ハリーの足下、テーブルとソファの間に陣取って寝っ転がった。
「忘れるものか。あの年、あの日。あの先生。魔法生物飼育学を取ってて良かったと心底思った」
不死鳥の騎士団が創設された時からの構成員であるスタージス・ポドモアは、ハリーの足下でまったりしている黒い大きな犬のそばまでわざわざやってきてそう返答した。
しかし、ガウェイン・ロバーズともう1人は、まだ玄関で臨戦態勢を維持している。
「名乗れ。悪いが『相手が儂でも誰何しろ』と、マッド‐アイ・ムーディから指示されている」
「グレタよ。グレタ・キャッチラブ。チーズ料理のレシピを100くらい教えれば証明になる?」
鼻先に杖を突きつけられたまま堂々とした態度でそう返答したその魔女をリビングから見ているハリーは、あんなに美人のゾウアザラシがいるなんて信じられないと驚いていた。
グレタ・キャッチラブという名を「スラグホーンから聞いた気がするな」としか覚えていないハリーにとって、まず興味を惹かれたのはその魔女の言動ではなく容姿だった。
たっぷりと太っているのに眼差しには輝くような華やかさがあって、鼻筋はスッキリと整っている。二の腕だけでジニーの腰くらいの太さがあるのに容姿のどこを見ても醜さとは無縁で、その魔女はハリーにとって、今まで見た誰とも違う種類の美女だった。
こんなに綺麗なんだから群れのボスのゾウアザラシにさぞや熱烈に求愛されたろうなとか考えていたハリーは、そのゾウアザラシみたいに太った美人の魔女と、目が合った。
「…………ほんとにリリーの子だわ」
ハリーと目が合った瞬間にそう呟いたグレタ・キャッチラブの両目から、涙が溢れる。
「目がリリーの目だもの。そうなんでしょう? あなたがハリーなんでしょう?」
そうですこんにちはとだけ返答できたハリーの手を、グレタ・キャッチラブは両手で握る。
「私、あなたの味方。絶対に、絶対に絶対にあなたの味方。リリーの子だもの。あの子が命に代えても守ろうとした子なんだもの……」
「あの、すいません。母さんを知ってるんですか?」
ハリーが急に近寄ってきた初対面の魔女にビックリしながら質問すると、グレタ・キャッチラブは目から涙を流し続けたまま笑った。
「あなたのお母さんがホグワーツの生徒だった7年間、私はあなたのお母さんと同じ寝室で、あなたのお母さんの隣のベッドで寝てたの。私、グレタ。グレタ・キャッチラブ。ずっとあなたに逢いたかった。なんでもいいから何か助けになってあげたかった。それで今、やっとそれができる。はじめましてハリー・ポッター。シリウスにとってのあなたのパパが、私にとってのリリーなの」
母に親友が居たことをハリーは初めて知った。孤独な学生時代を過ごしたわけではないことや、むしろ多くの友人に囲まれていたことなどはシリウスとルーピンやハグリッド、それにスラグホーンなどから聞いて知っていたが、ただ話に聞くのと実際に目の前に現れるのとでは何もかもが違っていて、どうやら僕の母さんは際立って華やかな部類の女子グループを友人たちと共に形成していたらしいと、ハリーはグレタ・キャッチラブを間近に見て理解した。
これだけ涙を流しているのに一切崩れないこの魔女の化粧はきっと油絵の具に違いないと、そう思っているハリーをよそに、何かに気付いた様子のジニーがキッチンへと駆けていく。
「ねえ、これ! この本! この『自家製魔法チーズの作り方』って本、もしかして――」
ジニーがキッチンから取ってきたのは、ママがよく読んでいるレシピ本だった。
「いかにもそれは私が書いた本。発売記念にお贈りした1冊だわ」
とっても太った魔女がなんと言ったのか一瞬理解できなかったジニーは同じ質問をもう一度繰り返しそうになったが、それより先にモリーが2階から階段を降りて戻ってきた。
「あらまあ久しぶり。よく来てくれたわねグレタ」
その主婦の姿を見た途端、グレタ・キャッチラブの表情はヒマワリ畑のように輝いた。
「師匠!!」
目の前を駆け抜けていったグレタ・キャッチラブの姿を見て「ゾウアザラシってのはこんなに速く走れるものなのか」と感心していたハリーは、グレタ・キャッチラブがウィーズリーおばさんを何と呼んだのかを聞き逃してしまったために、ジニーもハーマイオニーも驚いているのにただ1人だけ、皆がどうして顔いっぱいに驚きと困惑を浮かべているのかが解っていなかった。
「ししょう?? ママが??? あなたの?? なんの????」
「太り方とかだろ」
名高いグレタ・キャッチラブその人にママが何を教えられるというのやらと、そんなのはダンブルドアにパパが変身術を教えるようなものだと混乱していたジニーは、2階から降りてくるなり平然とそう言い放ったロンの横顔に、力いっぱい拳を叩き込んだ。
「何するんだよジニー!!」
妹に怒気の籠もった抗議をしたロンの視界に、マルフォイを見る時の目でこちらを睨んでいるハーマイオニーの冷たい表情が映った。
「『オスコーシ』で口を消してやるべきかしらねロナルド・ウィーズリー」
今のは誰に評価させたってロンが悪いと言うだろうし正義はジニーにあると既に結論を出しているハリーは全くロンを擁護せず、かといって言葉や態度で女子2名への同意を示すわけでもなく、まるで旅行先で悪天候に見舞われたかのような気持ちで、ただそれが過ぎ去るのを待っている。
どうしたらいいのかが解っているという意味では、ヴォルデモートの方がマシな脅威だった。
ハリーはこういう時いつも「シリウスだったら」とか「ルーピン先生だったら」とか「ビルだったら」とか、自分が知っている中で最もスマートな大人の男たちを思い浮かべてどうにか妄想を膨らませて参考にするのだが、そのハリーが思う「最もカッコいい男」の筆頭たるシリウス・ブラックは今、真っ黒な毛並みの大型犬の姿をしたまま、生まれつき大型犬だったかのように、あたかもヒトが変身しているわけではないかのようにハリーの足下でまったりと臥していて、そんなシリウスの態度はハリーには「私は関係ありません」と白旗を掲げているように見えた。
「なんだよ、なんだよ急に!!」
「なにもかもよ!! だいたいラベンダーにだって――」
そこまで言いかけて急に口を噤んだジニーは、拳を振り上げたまま動かない。周囲には自分とロンだけでなくハリーもハーマイオニーもグレタ・キャッチラブさんもママも居て、それにハリーの護衛の闇祓いや不死鳥の騎士団員たちも居て、決してクソバカの兄とふたりきりではないし家族しか居ないわけでもないと、ジニーは思い出したのだ。
笑い声が聞こえた気がして、ロンとジニーはキッチンへと視線を向ける。
そこでは今しがたロンから無礼極まる暴言を浴びた張本人のはずのグレタ・キャッチラブが、「週間魔女」の表紙でも飾りそうな華やかさで、慈愛に満ちた微笑みを湛えてこちらを見ていた。
「ずいぶん仲良しの兄妹なのねぇ」
ロンの無礼な発言に嫌味で反撃してきたのかと一瞬思ったジニーは、そうではないとすぐに察した。そしてこちらを見ているグレタ・キャッチラブの微笑みがあまりにも優しげだったので、ジニーもロンもなんだか己の幼稚さを再確認させられたような恥ずかしさに襲われて、どちらからともなく大慌てで、しかし努めて静かにケンカを中止したのだった。
「…………あの、ママは一体あなたの何の師匠なんですか。マダム・キャッチラブ」
ジニーにそう問いかけられたグレタの顔には、まさかそんなこと訊かれるなんて思わなかったという驚きがハッキリと表れていた。
「料理よ、料理。決まってるでしょう。というかあなたたち、師匠の子なら知ってるでしょ、食べて育ったんだから。思ってるでしょう? あなたたちのママが作る料理は世界一おいしいって」
その意見には同意するけれどそれは自分のママだからそう思うだけだと、家族だからという贔屓目があると、ジニーはそう考えている。ママは世界で一番料理が上手だけれど、それは私がママの料理が大好きだからそう思うだけで、これは私からママへの日頃の感謝の気持ちの表れであって、決して魔法界の誰しもが認める確固たる称号などではないと。
「そりゃ僕らにとっちゃそうだけど、蛙チョコレートのカードになってるような有名な魔女と比べられる程かは解んないよ」
特に賞とか獲ったわけでもないし本なんか出版どころか1冊読み終えるところを見た記憶すら無い気がするママがなんでこんな有名人から高く評価されているのかという戸惑いも困惑も解消されないロンは、母親が褒められているのは嬉しくてもどうにも納得できないようで、怪訝そうな視線をグレタ・キャッチラブへと注いでいる。
「ホグワーツの大広間で出る食事と、あなたのお母様の作る食事。より美味しいのはどっち?」
グレタ・キャッチラブからの唐突な問いかけに、質問されたロンだけでなくジニーも即答する。
「そりゃママの料理だけど――」
「物によるわね。でもホグワーツのよりママが作るほうが美味しい料理だっていっぱいあるわ」
そんな答えを返してきたウィーズリー家の子供たちに、グレタ・キャッチラブはもう一度、今度はホグワーツの歴史に関する問題を出した。
「ホグワーツで饗される料理を作っているのは屋敷しもべ妖精たちだけれど、そのレシピを考え出したのは誰か、ホグワーツのキッチンで使用されてるレシピ集を書いたのは誰か。知ってる?」
ホグワーツの魔法史の担当教授は、いつからそうなのかをマクゴナガルすら知らないくらいには、もう永いこと同じ人物が務めている。
カスバート・ビンズ。ホグワーツ唯一の、ゴーストの講師。彼がどのような授業をするのか、ホグワーツの魔法史の授業とはどのような時間なのか。知らない魔法族などイギリスには居ない。
だからロンとジニーが悩み始めたのを見て、グレタ・キャッチラブはクスクス笑った。
「……ヘルガ・ハッフルパフよ」
会話に割り込んでそう解答したハーマイオニーは、宿題を助けてくれない時の顔をしていた。
「ホグワーツで使用されている料理のレシピを創り出したのは、ヘルガ・ハッフルパフ。だからホグワーツで出る料理に負けないくらい美味しいっていうのはつまり、ヘルガ・ハッフルパフに負けないくらい料理が上手だって言ってるのとおんなじ。……ヘルガ・ハッフルパフの手料理を食べたことがないから正確には判らないけど、私だって負けてるとは思わないわ。おばさまの料理は」
ビンズ先生が授業で仰ってたでしょうと書いてある両目でロンとジニーにジットリとした批判的な視線を向けているハーマイオニーは明らかにまだ何か言いたそうにしていたが、ハーマイオニーより先にグレタ・キャッチラブが話の続きを語り始めた。
「1年生の時にね、リリーが誘ってくれたのよ。スラグホーン先生の食事会」
その名前を聞き慣れていないハーマイオニーとロンとジニーは、リリーという名をハリーの母親だと理解するまでに数秒の遅れが生じた。
「私はあんまり楽しめなかったんだけれど、ひとつだけね。行って良かったって思える出来事が起きたの。それがあの時スラグ・クラブに招かれていた2人の卒業生。ギデオンとフェービアン・プルウェットの双子の兄弟だったわ。1971年。あなたたちのお兄さんのウィリアムくんが1歳の時」
ずっと気恥ずかしそうに微笑んでいたママの顔に影が差したと、ジニーは気付いた。
「今年のクリスマスパーティにお前らも来ないかって、あの2人は誰彼かまわず声をかけてた。あんまりにも誰にでも声をかけてるもんだから皆冗談だと思ってたけど、リリーは本気にしたの。リリーったら『だって信じたほうが楽しいでしょ』なんて言ってた……ねえハリー・ポッター。あなたが1年生の終わりにハグリッドから、リリーとジェームズの写真をたくさん収めたアルバムを貰ったでしょう? あれを作るのに私も写真を提供したんだけれど――今持ってる?」
もちろん持ってますと即答して、ハリーは2階の寝泊まりをさせてもらっている部屋へと走り、それを携えてすぐに戻ってきた。
「『呼び寄せ』たって魔法省には私がそうしたのかあなたがそうしたのか判らないのに。律儀ね。ほらシリウス、あなたも見たいでしょう?」
そう声をかけられたシリウスはようやく床から顔を上げたが、しかし大型犬の姿からヒトに戻ろうとはせず、四足歩行のままでも見られる高さでアルバムを広げてくれと視線で要求している。
「ねえハリー。このアルバムに、どれが誰なのかよくわからない集合写真があったでしょう? 他の写真もそうなんだからきっとこの写真に写ってる大勢のどれかが自分のパパとママなんだろうけど、どれがそうなのかは判らない。そういう写真が……あった。ほらこれ。この写真。この日」
律儀なのでも遵法意識が染み付いているわけでもなくただ2年生の時のドビーの件を今でも時々思い出して意地になってしまうだけです、と言いたい気持ちを抑えるのにかなりの労力を要したハリーは「こんな写真このアルバムにあったっけ」と、薄情とすら言える感想を抱いていた。
間違いなくその写真は最初からこのアルバムにあったのだが、いかんせん何人もバッチリ写っている顔のどれが誰やらまるで判らないので、父と母が写っているのだとすぐに判る他の写真ばかり見ていて、その写真の印象がハリーの中で極めて薄まっていたのだった。
そして今、改めてその写真をしっかりと見て、ハリーは愕然とした。
なぜ今の今まで気づかなかったのかと。
「プルウェット兄弟の口約束を、本気にした生徒だけが集まったの。これが私で、隣があなたのお母さんのリリー。それでこっちの太っちょがエドワード・トンクス。その隣がアンドロメダで、この2人がギデオンとフェービアン。……どっちがどっちなのかは訊かないでね。それで、ギデオンとフェービアンのすぐ後ろから顔を出してるのが――」
その途端、真っ黒い大型犬はスルリとシリウス・ブラックの姿に戻った。
「11歳だった私とジェームズだ。それからこの写真の一番端の……これがリーマスだ。リーマスはプルウェット兄弟の口約束を信じてなかったが、私とジェームズが無理矢理連れてきた……それでこっちがアーサー。この時はまだ21歳だ……そしてモリーが抱っこしてるのが1歳のビルだ」
シリウスの言葉の最後の部分に反応したロンとジニーだけでなく、ハリーの護衛であるはずの闇祓いたちやスタージス・ポドモアまでもその写真を見に寄ってきた。
「ウィーズリー家のクリスマスパーティだ。この『隠れ穴』は当時まだ普通の一軒家だったが、今年もそうであるように、ギデオンとフェービアンが勝手に招待した子供らが誤差にしかならないくらい大勢が来てた。アーサーの親戚たちがな……自己紹介されても、まるで覚えきれなかったよ」
シリウスから引き継いでそう説明してくれたスタージス・ポドモアも、ハリーが改めて見てみれば、今よりかなり若い青年としてしっかり写真に写っていた。
その時、写真の中で人々が一斉に右上を向き、ある者は頭を下げ、ある者は笑った。
そして次の瞬間に画角の外から写真の中に勢い良く飛び込んできたワタリガラスと、それを受け止めて膝に乗せたお婆さんがそれぞれ誰なのか、ハリーもハーマイオニーもジニーも知っていた。
「マダム・スウィーティングと、あの先生だわ……」
そう呟いたハーマイオニーを横目にハリーは写真それ自体よりも、その写真を見ている皆の表情が気になった。特にグレタ・キャッチラブとシリウスそしてモリーなどの、当時を覚えている大人たちの表情と、そこから伺い知れる想いが。
懐かしそうに微笑みながら、グレタ・キャッチラブはモリー・ウィーズリーへと視線を移す。
「手伝いたいってワガママ言った私を快くキッチンに招き入れてくれたわよね」
「あんなにキラキラした目の女の子を、邪険にできるわけがないでしょう。それにあなたは立派な戦力だったわ。私やマダム・スウィーティングのお手伝いを立派にこなした」
「つまみ喰いに来るジェームズとシリウスとあの先生とギデオンとフェービアンを撃退する役ね」
グレタ・キャッチラブとモリーだけでなくシリウスもスタージス・ポドモアも皆、その写真の中の25年前を思い出して懐かしそうに、そしてどこか寂しそうに笑っている。
「ピーターの奴は来なかったんだ。ルシウス・マルフォイもスネイプも来なかった。ギデオンとフェービアンの誘いを真に受けなかった奴らだ」
シリウスはそう言いながら、写真に写っている自分とジェームズを見ている。そこに写っている2人はまだ11歳の男の子で、将来への希望すらまだ心の中のどこか遠くで淡く光っているだけの、幸福な幼少期の真っ最中だった。
このクシャクシャの髪に丸眼鏡の少年も、この赤毛の女の子も、ホグワーツを卒業してから3年後に21歳という若さで死んだのだと、ハリーは知っている。
ギデオンとフェービアンはこの写真に写ってから10年ほど後に死喰い人たちに寄って集って殺されたのだと、モリー・ウィーズリーは覚えている。
幸福だった過去の日々というものは、遺族にとっては、ほとんど傷跡と同じだった。
「だめだな。やっぱり。どうしても哀しくなってしまう。もうすぐクリスマスだってのに。私たちがいつまでもメソメソしているなんて、ジェームズもリリーもギデオンもフェービアンも、他の皆だって誰も喜んじゃくれないだろうに」
そう言うとシリウス・ブラックは立ち上がって、両手で自分の頬を思いっきり叩いた。
「全員分の寝床を用意できるだけの場所をまず作らなきゃならないんでしたよね?」
ガウェイン・ロバーズが明るい声色を作ってモリーにそう声をかけ、モリーもそれに応じてどうにかこうにか楽しい気持ちを喚び戻すことに成功した。
「そうなのよ! さあ部屋を新しく作り足しますよ!!」
「グリモールド・プレイスに行って、検知不可能拡大呪文がかかった収納か何か、使えそうな物を探して持ってこよう。……1人で行きたくないが、きみたちは宿題があるしなハリー…………」
しょんぼりしながらハリーの宿題が広がっているソファのそばのテーブルから視線を外したシリウスは、道連れを欲して周囲の皆に次々と視線を投げかけていく。
「ところでそれって何の宿題? 魔法史?」
グレタ・キャッチラブからそう質問されてようやく、ハリーは自分とハーマイオニーが今なにをしているべきなのかを思い出した。
「魔法生物飼育学です。『1892年にアメリカ合衆国魔法議会が本部をワシントンD.C.からニューヨークへと移転を余儀なくされた理由について述べよ』って問題で詰まってたんです」
それだけ答えたハーマイオニーから無言で見つめられて、ハリーは仕方なく、頭の中には既に無かった宿題に関する「やる気」や「知識」といったものを記憶の果てから引っ張り出した。
「サスカッチの反乱が原因だって、本で調べて知りました。当時のMACUSA魔法生物保護局の局長だったアイリーン・ニーダンダーって魔女が、『一線を超えたサスカッチは攻撃して黙らせる』という方針を採ったことと、それが口先だけではなかったことで、サスカッチたちが怒ったんです」
当時の魔法生物保護局の方針は言うなれば「逆らう奴は痛めつける」である。さらにこの時代のアメリカ合衆国魔法議会が「国際魔法使い機密保持法を脅かし得る」という理由でそもそも魔法生物たちについて抑圧的な政策を採っていたのも、この1892年に起きた大反乱の遠因だった。
そりゃ誰だって怒るだろうと、ハリーは「魔法史」の開かれたページ上で蛍光グリーンの太い線で強調された、アイリーン・ニーダンダーという人名を見ながら思っている。
「アイリーン・ニーダンダーは、自分の職責を正しく理解していなかった。もしくは故意に曲解していたのかもしれない。僕にはどっちか判断できない。単なるマヌケだったのか、アンブリッジみたいな奴だったのか。とにかくサスカッチたちは度を越した抑圧に我慢の限界が来たんだ。ブチ切れたサスカッチの大群が当時MACUSAの本部があったワシントンD.C.を襲って、MACUSAは本部を移転しなきゃいけなくなった。それでやっと事態が沈静化した後、大規模に『オブリビエイト』がバラ撒かれて、責任を問われたアイリーン・ニーダンダーは辞職に追い込まれた」
ハリーの解説を聴き終えて、グレタ・キャッチラブは今ようやく気づいたかのように驚きの表情を浮かべて、ハリーに追加の質問をした。
「魔法生物飼育学? 魔法史じゃなくて?」
「はい。魔法生物飼育学です」
ハリーがそう返答したことで、グレタ・キャッチラブの中で疑問はさらに大きく膨らむ。
「魔法生物飼育学の……テキストの宿題? 貴方たち今ハグリッドから魔法生物飼育学を教わってるのよね? ハグリッドったら紙の問題集なんて作れたの? こんなに小さな字が書けたの??」
宿題の問題集を作ろうとして自筆ではどうしても問題文を紙に収めきれなかったハグリッドがとてもとても恥ずかしそうにしながらマクゴナガルに代筆を頼んだことも、マクゴナガルはハグリッドが話す問題文を聞きながらそれを問題集として整えてくれたのだという事実も、ハリーとロンとハーマイオニーはハグリッド本人から聞いて知っていたが、今ここでそれを暴露したりはしない。
ハグリッドの手の大きさと力の強さを考えれば羽根ペンも羊皮紙も破壊することなく字を書けるというだけでも驚異的な繊細さだと言えるんじゃないかと、ハリーは時々思うのだった。
気分を損ねるかもしれないし、それ以前に無礼千万な気もするのでたとえ本人が居ないところでも決して口に出したりはしないが、ハリーはハグリッドのことを、けっこう器用だと思っていた。
そしてモリー・ウィーズリーが「隠れ穴」に、溜め込んでいた予備の建材をいくらか使って新しい部屋を――なぜか最上部に積み増す形で――何部屋か増築し、シリウスとジニーがグリモールド・プレイスからでっかいトランクケースをいくつも持って戻ってきた直後に、いつもよりさらに数が多い今年のウィーズリー家のクリスマス休暇中の来客の、その最初の一組がやってきた。
「きみんちって不思議な形をしてるんだね、ロン。呼んでくれてありがとう」
「ようこそネビル。こんなとこだけど、我が家だよ」
ネビル・ロングボトムとオーガスタ・ロングボトムが、ぐったりと折れ曲がってゼエゼエと苦しそうに息をしている疲労困憊の古びたトランクケースを携えて、玄関に到着していた。
いったいどういう魔法がかかっていればトランクケースが疲れるんだろうと、ハリーとハーマイオニーは首をかしげている。
「このトランクケース元は僕のひいひいじいちゃんのやつでね。自分で歩いて着いてきてくれるように魔法がかかってるんだけど、古いから。あんまり歩かせるとヘトヘトになっちゃうんだよ」
そう紹介してくれたネビルは、なぜか誇らしげだった。
「このトランクケース、ばあちゃんが僕にくれたの。僕これ見てて楽しいから好きなんだ」
今年のクリスマスはとっても賑やかなんだろうなと想像するだけで、ネビルは嬉しくなった。
一方同じ頃。1人のスリザリンの6年生が護衛を連れて、とある田舎の集落を訪れていた。
「……ここがルックウッド城か。おい、この城まだお前の家が所有してるんだったな?」
「そうだが、最後にここに人が住んでたのは100年以上前の話だぞ」
ドラコ・マルフォイとオーガスタス・ルックウッド、そして護衛兼監視役のアントニン・ドロホフの3人はヴォルデモート卿の許可を得た上で、ドラコが言うには「必要不可欠な実地調査」のために、この打ち捨てられた古城へと足を踏み入れるのだった。
マローダーズとリリー・エバンズが同級生で、グレタ・キャッチラブもマローダーズと同い年でアーサーとモリーはその10学年上。
つまりマローダーズとアーサーでは在学期間は被っておらず、マローダーズが10歳の時にウィーズリー兄弟の長男であるビルことウィリアム・アーサー・ウィーズリーが生まれている。