104年後からの今   作:requesting anonymity

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77.ルックウッドの闇の中

 クリスマス休暇が始まってからというもの、ドラコは閉心術を、心の中を覗かれないためではなく、心を無理矢理にでも落ち着かせるために常用していた。

 ポッター、ウィーズリー、グレンジャー、クラッブ、ゴイル、ノット、ザビニ、そしてアストリア。いま考えるべきことではないと自分に言い聞かせて、グリフィンドールの奴らやスリザリンの友人たちがクリスマス休暇を如何にして謳歌しているかなどは、想像しないようにと努めていた。

 

「すごいな。ならず者共が勝手に入り込んで根城にしていたりするものかと」

 

 良くて空き家、悪くても廃墟かと思っていたら遺跡と言っていい状態だったルックウッド城の大きな正門にかつては据え付けられていたのであろう扉の姿を想像しながらアントニン・ドロホフがそう冷笑したのは、どちらかと言えば城ではなくルックウッド家そのものに対してだった。

「まさにいま僕らが勝手に入り込んでるだろう。予定通りなら今日の寝床はここだぞドロホフ」

 そう言ったドラコは死喰い人たちに対して、できる限り、対等な立場を自認しているかのように振る舞おうと努力していた。侮られたり子供扱いされたままでは借りられるリソースに限りがあるという現実的な事情も理由のひとつではあったが、半人前扱いされ続けるなんて我慢ならないというティーンエイジャーらしい背伸びした自尊心も無関係ではなかった。

 しかしそれと同時にドラコは、いま自分の隣を歩いているドロホフと自分は決して対等の立場などではないという客観的事実もしっかりと認識していた。ドロホフには有る実力が、言ってしまえば闇の帝王に重用されるだけの凶暴さや殺傷能力が自分には欠けていることくらい解っていたし、一方でドロホフにはいくつもある死喰い人としての実績で言えば、本来なら有ってはならないものが自分にはあるのだ。即死では生ぬるいと闇の帝王に思わせるほどの、最大級の失態が。

 

 その失態は正確にはドラコではなく父のルシウスに因るものだったが、ドラコにとってはどちらでも、結局は苦しみ抜いて死ぬしかないという点において、大した違いは無かった。

 たかが日記で何をそこまで、などとは思うことすらも許されていないとドラコは自覚していた。

 

「それで、こんな多少丁寧に積み上がっただけの瓦礫の山で、きみは何をしようというのかね」

 

 古城に心躍らせるような情緒は持ち合わせていないらしいアントニン・ドロホフの声色にはドラコに対する侮りがじっとりと滲んでいたが、ドラコは不快感も屈辱も呑み込んで、閉心術を乱さないように努力しながら、100年誰も住んでいないというオーガスタス・ルックウッドの証言から考えれば驚くほど重厚に在りし日の威容を保っているルックウッド城の内部へと侵入しながら、ドラコは昨年度にあのホグワーツの「地下聖堂」にある憂いの篩で見た、この城にかつてあった役割に関する記憶を思い出していた。

 

「居たなチャールズ・ルックウッド。悪いが協力してもらうぞ」

 

 城の片隅に放置されていた誰も描かれていない風景画もしくは静物画にも見えるその絵画に、ドラコは確信をもって話しかけた。その絵の中には今は誰も居ないので当然に返答など聞こえてこないのだが、その「肖像画」がこの城にまだあったという小さな事実だけでドラコには充分だった。

 

「いいか、僕らは今から、僕が去年知った『ホグワーツ領内への侵入経路』が、まだ使えるのかどうかを確かめる。いいな? 確かめるだけだ。入れましたがダンブルドアはいませんでしたじゃ話にならない。今は休暇中だ。ダンブルドアだって休暇中かもしれない。だから今回は全てが完璧に予定通りに進んだとしても、僕らはある程度『進んでみるだけ』で、引き返して帰って来るんだ。ホグワーツで誰かを殺すってのはそれを誰かに見られるってことだからな……。どの絵画にもどのゴーストにも完全に目撃されないなんて絶対に不可能だ。だから今は、誰も、殺すなよ」

 

 じゃあ楽しい旅行にはならなそうだな、という不満が眼差しに現れ始めた連続殺人犯のアントニン・ドロホフに、ドラコはわざわざ立ち止まって説明の続きをする。

 

「今から確かめる侵入経路が完品で残っていた場合には、確実に障害物があるんだ。それもとびきり厄介なやつが。だからお前は掃除係だドロホフ。魔法でできてる衛兵を、全部黙らせる役だ」

 

 ルックウッド城内部の廊下は母上が見たら卒倒するのではなかろうかというくらいに荒れ放題で、1世紀ぶんの埃と経年劣化が荘厳さや絢爛さどころか質素さや落ち着きといったものすら完全に奪い去っており、ドラコが見た限りでは幸いどこもまだ致命的には崩れておらず廊下を廊下として使用はできるものの、床が抜けない保証も天井が落ちてこない保証も無いのは一目瞭然だった。

 

「いや、どうやら最後にここを使用していた住人も、あまり綺麗好きではなかったらしいな」

 憂いの篩でかつて見た他人の記憶を頼りにルックウッド城内を進むドラコがそう呟くと、オーガスタス・ルックウッドがかなり久しぶりに喋った。

「最後にこの城を活用していたのは我が先祖……の兄弟のビクトール・ルックウッドだが、居住していたのはビクトールではなく同盟関係にあったゴブリン共だと聞いている。ビクトール・ルックウッド当人は城を所有していただけで、日常的にこの城で寝泊まりしていたわけではなかった」

 

「ゴブリン」その単語それ自体が口汚い罵りであるかのような声色でドロホフは言う。「先祖伝来の屋敷にゴブリン共を引き入れるとは、そのビクトールとやらはよほどの恥知らずらしいな」

 

「ビクトール・ルックウッド。ホグワーツの生徒を誘拐して大勢の手下と一緒になって脅そうとしたら逆にそのたった1人の生徒に害虫のように駆除された『虫けらビクトール』だ。今や奴は違法行為とは無縁の生き方をしている親戚筋からは在りし日の所業のせいで、後ろめたい行為に手を染めている者からは死に方のせいで嫌われている、ルックウッド家の歴史上最大の恥さらし野郎だ。だから我がルックウッド家では生まれてくる子に『ビクトール』って名前は誰も付けなくなった」

 

 オーガスタス・ルックウッドのそんな話を聞きながら、ドラコは「一族が残っているだけマシだろう」と、族滅するか否かの瀬戸際にあるマルフォイ家の現状を、父上と母上の命を憂いていた。

 ビクトール・ルックウッドなる愚かな悪党を笑い者にする余裕は、ドラコには無かった。

 

「こっちだ。……その『虫けらビクトール』にお前もなりたいんじゃないなら気を引き締めろ」

 

 あの「地下聖堂」にあった憂いの篩で見た記憶をいま自分は頼りにしていて、あの「地下聖堂」を僕に教えてくれたのも、自分が見た記憶をあの憂いの篩に「僕ら生徒が閲覧できるように」という意図で注ぎ入れたのも両方ダンブルドアの学生時代の先輩だというあのおかしな先生で、それすなわち今まさに足を踏み入れようとしているこの通路についてもあの先生は熟知しているということで、それは憂いの篩で見た記憶の中の光景にも裏付けられた、証拠の揃った事実だった。

 しかし、ドラコはその事実について考えないようにしていた。

 自分が今回採る侵入ルートはあの先生にとって想定済みの、あるいはそれどころかオススメの隠し通路かもしれないという可能性をドラコは、懸念するべきだと理解していながら頑なに脳裏の中央にある思考の特等席から追い出して、自分がダンブルドアの暗殺のために使用する侵入経路が既に敵方に知られているかもしれないという課題への対処を放棄していた。

 

 それは、ホグワーツができてから今まででいったいどれだけの生徒と教職員が居たのかを考えれば、いかに厳重に隠匿され忘れ去られた秘密でもそれがホグワーツの秘密である以上は誰かはそれを知っているのだから、いかなる侵入経路を採用するにせよ計画のいずれかの段階で「敵方がこの知識を有していない可能性に賭ける」という方法で自分の幸運を信じる他ない場面は来るだろうという、見方によっては諦めだとも解釈できる、ドラコの冷静な状況判断だった。

 

「誰に何をしようとしているのかを考えれば、運くらい味方につけられなきゃ話にならない」

 

 多少幸運だったぐらいで好転する程度の苦難だったらどれだけ楽だっただろうかという悲観を心の中から追い出そうとして、ドラコは休暇が始まる前にホグワーツで見た、クリスマスパーティに来てほしいと誘ってくれたアストリアの笑顔を思い出してしまった。

 ドラコはすぐさまその「雑念」も悲観や諦観と一緒に心の奥底へと追いやろうとするが、考えないように努力するというのはつまり、それらについて考えてしまうということだった。

 

「まったく、健全さとは無縁の学生生活だな……」

 

 そう呟いたドラコは、自分の現状がまるで額縁で囲われてキャンバスに描かれているかのように、あるいはダイアゴン横丁を歩きながら通りがかった店の中をガラス越しに覗くように、あたかも自分ではない誰か他人の苦境かのように、さして興味も抱かずに客観視していた。

 父上と母上を僕がお守りするのだという使命感や、自分の命も風前の灯だという危機感や、闇の帝王が脳裏によぎるだけで押しつぶされそうになる耐え難いほどの恐怖などといった自分本来の心の裡とは別にそのような冷めきった客観的視点を持てるというのはドラコが閉心術の優れた才能を有している証拠だったが、ドラコ当人としてはそんなもの、何の慰めにもならなかった。

 

 ドラコがドロホフとルックウッドを引き連れて奥へ奥へと進む通路は、素人目にも判るほどに、城の外観や先程まで通ってきた廊下などとは建築様式が異なっている。

 

「まだ、もっとずっと奥だ。ここが創られた当初の機能がまだ残っていればだが、この通路はホグワーツの地下に今も通じているはずだ。ドロホフ、ルックウッド、そろそろ杖を構えておけ」

 憂いの篩で見た記憶の通りであるはずがないと、ドラコは心の中で自分に言い聞かせる。それはこの通路があの先生によって改造されているかもしれないという推測ではなく、計画が狂った時に去来するであろう動揺や焦りによる精神的負荷を少しでも軽くしたいという防衛本能だった。

 

 この休暇が始まる前にアストリアからもらったお誘いに「喜んで」とその時その場で相手の目を見てハッキリ返答してしまっているドラコは、人殺しの計画を立てている人間がクリスマスパーティに参加などしていいはずが無いのではなかろうかとすら考え始めていた。

 しかし同時に、今回の休暇中は個人的に取り組んでいる自主学習にできる限り時間を割きたいからきみの申し出を受け入れることはできないんだアストリア、とは言えなかったのも事実だった。

 

 ポッターたちは肝心な時に限ってアストリアを奴らのくだらないお遊びに誘わないんだなと、お前たちがアストリアを家に招待してくれていれば僕は何も気を揉まずにいられたのにと、ドラコはわざわざ心の中に創り出したハリー・ポッターに今ある怨嗟を全部ぶつけていた。

 

 閉心術が乱れているとドラコが自覚するまでには、かなりの時間を要した。

 

「――いいかいハリー、集中するんだ。きみの心は絵画なんだ。最近あった嬉しい記憶も、ずっと抱えてる辛い思い出も、永遠に許せないとすら思える憎たらしい奴への怒りも、きみの心の全ては1枚の絵画なんだ。それは額縁に囲まれていて、手を伸ばしても触れるのは表面を保護している透明なガラス板だけなんだ。きみはその絵画を見ているけれど、きみは絵画それ自体じゃない――」

 

 ドラコがルックウッド城内部の探索を進めている頃、そこから遠く離れたオッタリー・セント・キャッチポール村の郊外にある珍奇な外観をしたウィーズリー家の自宅、通称「隠れ穴」の2階にある一室では、ハリーを始めとする少数の生徒がリーマス・ルーピンから閉心術を習っていた。

 

「自分の心を、他人の心かのように捉えるんだ。額縁に収まった1枚の絵画だ。しかもあんまり興味を惹かれない絵画だ。ホグワーツにいくらでもあるような、誰だか知らない誰かの絵画だ。そんなふうに、自分の気持ちを自分自身から切り離すのが閉心術の第一歩だ」

 

 これと比べたら去年受けたスネイプの個人授業なんかトロールの鼻くそにも劣ると確信しているハリーは鮮明に思い浮かんでしまったスネイプの顔にまずトロールの鼻くそを入念になすり付け、次にそれを額縁に収めて一番見やすい位置に飾り、そのトロールの鼻くそまみれの肖像画の全体をまじまじと眺めて「よくお似合いですスネイプ先生」と、ニッコリ笑顔で声をかけた。

 

「笑顔が邪悪よハリー。あなた余所事考えてるでしょう」

 

 そう指摘したハーマイオニーとて、ハリーの顔とかロンの顔とかジニーの顔とかネビルの顔とかロンの顔とかロンの顔とかロンの顔とかロンの顔とかが気になってしまって、つまりはどうしても「皆はうまくできているのかしら」と周囲を観察してしまって、まるで心を無にできていない。

「ネビル、ネビル? きみの集中力には目を瞠るものがあるけど、閉心術には『さあやるぞ!』って気概も邪魔になるんだ。だからきみは皿に乗せたチーズみたいに静かな気持ちを保つんだ」

 

 コツを掴めていないのが顔に全部出ているハリーたちを他所に、ジニーの居住まいは静謐そのものだった。皆と同じようにカーペットに置いたクッションの上に座っているジニーは、ハリーのすぐそばで床に臥せてリラックスしている黒い毛並みの大型犬がクルックシャンクスとヘドウィグに横っ腹を小突かれている光景をぼんやりと眺めながら、手からも足からも力を抜いて、海に浮かんでいる自分をイメージしていた。

 

 ジニーは海面を漂っていて、どこまでも落っこちていきそうな青空を見ている。ハリーとかルーナとか兄さんたちとかパパとかママとか宿題とかクィディッチとか将来とか、ジニーの心を構成している色々なものは重力に引かれて、ジニーが浮かんでいる海の、底へと沈んでいく。

 

 ささやかな波がチャプチャプとジニーの頬を叩き、陽の光に照らされている。

 そうして海面を漂う自分の姿すらじんわりと溶けて消え去り、ジニーは無になった。

 ルーピンに真正面からじっと見つめられても、ジニーの心は昼過ぎみたいに穏やかだった。

 

「レジリメンス!」

 

 ジニーの鼻先に杖を突きつけたルーピンが呪文をハッキリと発声して開心術を行使すると、その大きな声に驚いたらしいヘドウィグは翼を広げてハリーの膝の上に避難した。

 開心術を唱えたままの姿勢で数秒黙った後、ルーピンは杖をおろして腕から力を抜いた。

「僕がまだホグワーツで教職に就いていたとしたら今きみに30点あげてたよ。ジニー」

 そうルーピンから褒められても尚ジニーは表情をほころばせたりせず、感情も思考も全て自分の中から追い出したまま、静寂だけで胸の内を満たして座っている。

 

 一方、ハリーとロンとネビルの眉間には、心の中を空っぽにしようとした結果かえって次から次へと湧き上がってくる雑念や思い出を心の奥底へと必死で追い返しているのだと一目で判る深いシワが刻まれていて、つまり彼らは閉心術を習得する最初の足がかりすら得られていないのだった。

 

「ありがとうございますルーピン先生。でも、実際にはこれを『いつでも』『すぐに』それに何より『目の前の状況や自分が今から唱える魔法とかに意識を集中しながら』やるんですよね?」

 心の中を無にしようと努力すると雑念が次々に湧いてくるというのは訓練を積んでいない人間なら誰でもそうなる当然の帰結で、短時間レクチャーされただけでアッサリとコツを掴んだジニーの方がむしろ、彼ら彼女らを教導しているルーピンにとっては想定外だった。

「そうだよジニー。閉心術が必要な状況では、閉心術だけで状況を打開できるなんて場面はまず無い。閉心術で防御しながら、より集中力と的確な行動が必要な『目の前の課題』に対処するんだ」

 それって心を無にするのだという閉心術とは相矛盾する行いじゃあないかしらと首をひねっているジニーは、閉心術を解いてしまっている。

 

「リーマスあなた今チーズの話をしなかった?」

 

 1階から上がってきたグレタ・キャッチラブが部屋の扉を開けるなりそう訊いたのを切っ掛けに「とりあえず一端このへんにしておこうか」と、ルーピンが授業の終了を宣言した。

 ハリーもロンもネビルもハーマイオニーも大きく息を吐き出し、一気に集中を乱す。

 

「ジニーあなたすごいわね」

「さあ、こんどはあなたも教わる側よリーマス。ほらシリウスもいらっしゃい」

 

 ホグワーツの生徒だった頃の同級生でもあるたっぷりと太った美人の魔女に促されて1階へと降りていくシリウスとルーピンの後ろに、ハリーたちもついていく。

「驚かせてごめんねヘドウィグ」

 ハリーの手の上へと移動した真っ白いフクロウに謝罪したルーピンは、ここのところ日を追う毎に、着実に体調が悪くなってきていた。

 

 来たる1996年のクリスマスは、満月なのである。

 人狼症患者が変身してしまうのは満月の一晩だけだというのが、せめてもの救いだった。

 

「リーマス・ルーピンさーん、スペシャルドリンクのお届けですよーぅ」

 

 1階に降りたらそこに居た白髪の若い魔女からゴブレットを受け取っても、ルーピンはそれをすぐには自分の口へと運べなかった。

 これを毎月入手できるのも、知り合いに作ってもらえるのも、多くの人狼症患者が願っても得られない恵まれた環境だとは重く理解しているリーマス・ルーピンだったが、だからといってその事実が脱狼薬の味を改善してくれるわけでもなかった。

 

「貴重だし必須だし毎月飲めるなんて幸せな話なんだけどさ。でもマズいものはマズいんだよ」

「ね。私も、本当に、うんざり」

 

 その白髪の若い魔女もまた同じようなゴブレットを手に持っていたが、リーマス・ルーピン共々鼻先まで持ってきたゴブレットの中身を凝視するばかりで、一向に飲もうとしない。

 結局それを飲み干す前の覚悟を決める作業にその2人は1分近くを直立したまま浪費したが、脱狼薬の不味さを去年体験しているハリーたちは皆、2人のどちらに対しても一切急かさなかった。

 

「これ、誰が作ってくれたんだ? きみかいキアラ?」

 やっと脱狼薬を飲み干したルーピンがそれを渡してくれた白い髪の魔女、チャーリー・ウィーズリーやニンファドーラ・トンクスの同級生であり普段は聖マンゴで癒者として働いているキアラ・ロボスカにそう訊いたのは、自分が誰にお礼を言えばいいのかを確かめるためだった。

 

「フレッドとジョージよ。あの2人、いま常に脱狼薬の在庫をたっぷり抱えてるの。なんでも材料を格安で仕入れるルートを確保できたとかで――ありがたいんだけれど、なに考えてるんだか」

 

 ドラゴンの血やらオカミーの卵やら催眠豆やらの貴重品を複数含む脱狼薬の材料をあんなにたくさん、それも継続的に納入できる業者など、キアラ・ロボスカはひとつしか知らなかった。

「フレッドとジョージはたぶんあの神秘部の部長さんがやってるお店から材料を仕入れてるんだと思うんだけど――うちのブレイニー院長の友達の、あのおかしな人――ウチで使ってる魔法薬とか魔法薬の材料の中でも稀少な品は、院長が言うには大部分をその店から仕入れてるらしいし……」

 

「フレッドとジョージと言えば!!」

 

 向こうの部屋から出てくるなり大きな声を出したのはロンたち兄妹の母親であるモリー・ウィーズリー。ここ2日間ずっと行っていた、家それ自体を縦横に増築したり「検知不可能拡大呪文」が施されたテントやらシリウスが生家であるグリモールド・プレイス12番地をわざわざ漁りに行って物置になっている部屋の奥から見つけてきた古そうなトランクケースやらを空き部屋に設置したりといった努力によって今回来る予定の親戚やお客様の人数分の寝床と充分な床面積をついに確保したモリーは、その作業に追われていたせいですっかり忘れていた連絡事項を今ようやく通達した。

 

「今年から我が家ではクリスマスパーティは12月26日の夜に行うことになりましたからね。だって24日も25日もフレッドとジョージはお店がとっても忙しいんだもの」

 

 ごちそうが食べられる機会を先延ばしにされたロンが「そりゃないよママ!!」と叫んだが、ハリーはネビルと顔を見合わせてお互いに無言で「言われてみれば納得だね」と確認し合っていた。

 クリスマスに開店していないイタズラ専門店など、あるわけがないのだから。

 12月24日と25日は明らかにフレッドとジョージの店にとって年に数度あるか無いかの最も多額の売上が見込める勝負の日で、パーティのために店を早めに閉めるなど、土台無理な相談だろう。

 

「ちょっとまって、じゃあもしかして私たち、25日はどこか他のクリスマスパーティに顔を出して、26日はここでママのごちそうを皆と食べて……って、パーティを『はしご』できる?」

「理論上はそうなるが、ハリーを警護する我らとしては正直それはやめてほしい」

 ガウェイン・ロバーズがそう提言すると、ジニーは途端に意気消沈した。

 

「パーティの『はしご』ってお前、行くアテあるのかよジニー」

「パドマとパーバティは親と一緒にラベンダーのおうちに行ってて、アストリアとダフネだって歓迎するって言ってくれたわ。あなたと違って私パーティのお誘いならいくつも貰ってるのよロン」

 またケンカを始める準備が整ったらしいロンとジニーの仲良し兄妹を横目に、ネビルはハリーがまっすぐこっちを見ているとようやく気づいた。

 

「なあにハリー? あ、そうだシェーマスとディーンはアーニーの家に集まるって言ってたよ」

「きみがもしかして24日に聖マンゴに行くなら、僕も一緒に行きたいんだけど。いいかなネビル」

 

 今度はガウェイン・ロバーズも、他の誰も、急に外出の予定を増やされると警護役としては困ってしまうなどとは、口が裂けても言えなかった。

「嬉しいけど、いいのハリー? たぶんだけど、あんまり楽しくないよ?」

「僕、きみのパパとママに、きちんと挨拶したいんだ」

 

 僕らも一緒に行っていいかな、とハリーの警護役のはずの大人たちが次々に立候補したのを見て、ネビルはかなりの時間を費やして、じわりじわりと笑顔になっていった。

 パパとママのことを覚えてくれている人がこんなに居たというのが嬉しいネビルはしかし、満面の笑みを浮かべた直後ハッと何かに気付いて、慌て気味の口調でハリーに意思確認する。

 

「ばっ、ばあちゃんも一緒なんだけど、いい?」

「もちろんだよネビル。けどそういえば、きみのばあちゃんはどこだい? さっきから――」

「捕まえたよ!! さあ観念するんだ!!!」

 

 ネビルに質問した直後にそのネビルのばあちゃんの大きな声が庭の方から聞こえてきたので、いったい何事かと確かめるべく、ハリーだけでなくその声が聞こえた全員が隠れ穴の中から庭へと出てきて、元から屋外に居た者たちも声がした方へと集まってきた。

 

 そして駆けつけたハリーたちの目に飛び込んできたのは、ハゲタカの剥製が飾り付けられた帽子を被った老婆に両手でしっかりと掴まれてジタバタと大暴れしている、トラ猫の姿だった。

「……不死鳥の騎士団の、情報交換のための会議に。顔を出しに来ただけなのですけれど」

 ぞろぞろと人が集まってきたのを見て観念したらしいトラ猫は暴れるのをやめてスルリとミネルバ・マクゴナガルに戻ると、そう言い訳してからオーガスタをジットリと睨んだ。

 

「私がお前の学生時代をどれだけ詳しく覚えてるかお前さんは知っているはずだねミネルバ」

「同じ部屋の隣同士のベッドで7年過ごしていたのですからそれはお互い様です」

 

 ハリーとロンとネビルがそうであるように、ハーマイオニーとパーバティとラベンダーがそうであるように、ルーピンとシリウスがそうであるように、ミネルバ・マクゴナガルとオーガスタ・ロングボトムもまた、お互いの恥ずかしい秘密なんかいくらでも知っていたし、どの恥ずかしい秘密なら軽々しく情報公開しても赦してもらえるのかも、重々承知している。

 

「覚えてるかいミネルバお前さんがその変身をできるようになった夜、寝室に帰ってきて――」

 

 オーガスタ・ロングボトムの言葉にビクリと激しい反応を示したマクゴナガルは速やかに再びトラ猫へと姿を変えて、全速力で「隠れ穴」の屋内へと駆けていってしまった。

「仕方ないやつだねまったく」

 そう呟いたネビルのばあちゃんの微笑みがハリーには、ハーマイオニーをチェスで負かした時のロンがよく浮かべている得意げで勝ち誇った笑顔と同じに見えていた。

 

「ばあちゃんってホントにマクゴナガル先生と仲良しだったんだねえ。僕びっくりしちゃった」

 ネビルがのんびりとそう述べた直後、隠れ穴と庭をまるごとスッポリ覆っている保護魔法のすぐ外に、燃えるような赤毛の若者が小柄な魔女を連れて「姿現し」した。

 

「やあチャールズ・ウィーズリー。悪いが決まりなんでね。ハグリッドがかつて泣く泣くきみに託したノルウェーリッジバックの子供は、なんて名前だったかな?」

「はいはいはい!! あたしはチョコマフィンだと思います!!!!」

 

 いつにもまして元気いっぱいなクローディア・クランウェル=ブラックが安全確保のための本人確認に割り込んで解答したその声があまりにも大きかったので、杖を構えて問いかけを投げかけたシリウス・ブラックは目を丸くして驚いてしまった。

「あのノルウェーリッジバックにハグリッドはノーバートって名前をつけたけれど、引き取ってみたら雌だったと発覚したから僕がノーバータに改名したんだ」

「……じゃ、そっちのお嬢さんは誰だいチャーリー。神秘部にお邪魔した時見た気もするが」

 警戒する必要が無い相手だとは理解できたシリウスが、杖をしまいながら問いかける。

 

「あたしはクローディア・クランウェル=ブラックです! 神秘部で研究のお仕事をしてます! シリウスさんシリウスさんおっきぃワンちゃんに変身できるって本当ですか!」

 

 リクエストされるがまま黒い毛並みの大型犬に変身したシリウスが好奇心旺盛なクローディアに尻尾を鷲掴みにされて慌てているころ、ネビルはハリーたちにひとつの懸念を伝えていた。

「ねえみんな、僕ね今思い出したんだけどさ。あ、ノットが休暇前に言ってたことなんだけどね。ノットが『ザビニの家でクリスマス一緒にどうだ』って誘ってみたんだって。マルフォイを。でもそしたらマルフォイの奴『今度の休暇中はずっと忙しいから行けるかどうか判らない』って言ってたんだって。それでさ。僕思うんだけど『休暇中はずっと忙しい』って、あんまり無いよね?」

 

 ネビルがその報告から何を伝えたいのか、ハリーたちはすぐに理解した。

 

「やっぱりドラコは何か企んでて、ホグワーツが休みの間にしかできない手順があるんだ。調査なのか、準備なのか。――アイツ1人で大それたことができるわけないから――死喰い人に応援を頼むつもりか? ノットとザビニの推理が正しいとして、マルフォイがヴォルデモートから何か命令されているのだとして……死喰い人を動員する権限なんて与えるか? ヴォルデモートが」

 

 勘と敵意だけを材料にハリーが組み立てた推測は、しかし概ね当たっていた。

 

「エクスパルソ!! またこの騎士像か!」

 

 アントニン・ドロホフは敏速な杖さばきで自分と同じくらいのサイズがある騎士の石像3体をまとめて爆破し、大きく剣を構えて迫っていた石像たちを後退させた。

「この城にこんな地下空間があったとは――」

「こっちだ。ドロホフ、ルックウッド、走れ!!」

 

 奥へ進もうとする者を阻むための仕掛けがその通路にはいくつもあったが、それらの中には箒に跨って飛ぶか、単に頑張ってよじ登るだけで無視できるものも多かった。

(憂いの篩で見た記憶の中で、あの先生は『あの部屋』に繋がるホグワーツ城内の隠し通路は全部塞いだって言ってた。けどあのひと変なところで抜けてるからもしかしたらと思ったが――)

 思考し続けながらドラコはその壁も床も材質不明な遺跡じみた通路を奥へ奥へと駆け抜け、次々出現する上に魔法で暴かなければ姿が見えないし音もしない騎士像という面倒な衛兵の群れをドロホフの手をできるだけ借りないように頑張りながら打倒し続けて、ついに最奥へと辿り着いた。

 

「スペシアリス・レベリオ!! ……明らかに何か出てきそうな大空間だが。つまらんな」

 

 隠れているわけでも見えないわけでもなく本当に居ないらしい動く騎士像やその他の罠や魔法を警戒し続けているドロホフを尻目に、ドラコは憂いの篩で見た記憶を頼りに再び箒にまたがって、その大空間のさらに奥にある部屋へと飛んでいく。

 それを見たドロホフは保護魔法で障壁を作って念の為に追っ手が来ないようにしてから、ルックウッドと共にドラコの後を追った。

 侵入する時に予感していた通り、この遺跡のような空間では少なくとも、侵入者である自分たちは「姿くらまし」も「姿現し」もできないらしいと、ドロホフは既に何度か試して理解していた。

 

「やっとだ……この部屋だ。この大きな石像は恐らくお前の遠い先祖だルックウッド」

 

 オーガスタス・ルックウッドの方も部屋の大部分を占有している巨大な男の上半身の石像も見ずにそう言ったドラコは、憂いの篩で見た記憶と照らし合わせて「ここだ」と確信して、その部屋の端にある銀色の壁へと向かっていく。

 

(地下聖堂の壁とスリザリンの談話室の壁を繋いで通路にしているあの魔法は、あそこに通路があると知っていて、どこに繋がる通路かも理解している者以外には単なる壁だと先生は言っていた。そして僕はあの地下聖堂の憂いの篩で、ここの、この壁が通路だということを見て知っている。どこに繋がる通路なのかも、あの憂いの篩の中にあった記憶で見て知っている。つまり…………)

 

「それで? 行き止まりのようだが? この壁が何だというんだドラコ」

 

 ドロホフが嘲笑混じりにそう声をかけた途端、その壁に手をついたドラコは姿を消した。

 

「……うまく行き過ぎている気もしてきたが、仮に僕があの先生に誘導されているのだとしても、どうせ僕にできる対策は無いんだ。順調なのは僕の努力と幸運のお蔭だと思い込ませてもらおう」

 

 ホグワーツ城地下深くにずっとあった「地図の間」と呼称されている広々とした部屋で、ドラコは隠し部屋を見つけた喜びなど感じる暇も無く、その部屋からどこかヘと続いているのだろう、上下2つある扉の内、上の階段へ杖を向けた。

 

「アベルト!!」

 

 開門魔法をぶつけて無理矢理開かせた扉を通って、ドラコはその先がどこへ繋がっているのかを確かめる。あの先生とだけはどうか出くわしませんようにと、自分がいったい誰にそう祈りを捧げているのかも、ドラコにはよくわからなかった。

 

「ここが行き止まりか……つまりこの壁こそが、あの先生がこの通路を塞ぐために1891年に追加で造設した壁で、この壁には魔法での破壊を防ぐ魔法がかかっている……と、それだけ考えれば手詰まりだと勘違いしそうだが。あの先生がこの壁を作ったのは、今の僕と同じ年齢の時だ」

 

 先生が最初に僕を「地下聖堂」に案内した時そうだったように、さっき通ったあの魔法の壁の通路もおそらく、既に通ったことがある僕が案内すれば、ドロホフや他の死喰い人も通過できる。

 だから自分はできればこの休暇中に、現実的には今日明日くらいでこの、おそらくはホグワーツの地下階のどこかなのであろう壁に施された魔法を解除するか、あるいは最低限この壁の向こう側が城のどこなのかくらいはハッキリさせる必要があると、ドラコはそう決意を新たにしていた。

 

「最悪、決行の日に何の手がかりも予行演習も無いまま死喰い人共をここまで連れてきて、ありったけの魔法を投射して力ずくでこの壁を粉砕する羽目になるな」

 

 ここはもうホグワーツ城内だからとドラコは杖を取り出してみたが、目の前の壁にどんな魔法がかかっているのかを調べるにはどうすればいいのかも、考えてみればドラコは知らなかった。

 

「焦って解決するなら、焦りもするんだがな…………」

 

 ルックウッド城が現存していたのもここまで通路が繋がっていたのも道中に土台攻略不可能な障害物が追加されていたりもしなかったのも望外の幸運で、ここまで辿り着いただけでも大収穫だと自覚していたからこそ、ドラコの心にはまだ辛うじていくらかの余裕があった。

 

「……だいたいの保護魔法が意味を成さない闇の魔術というものが、そういえばあるよな」

 

 ドラコの脳裏によぎったのは、悪霊の火。目の前の壁に施されているであろう保護魔法を突破するために危険極まる呪文を習得しようと決意したドラコは、着実に闇の魔術に染まりつつあった。

 

 




 
 原作で描写されている月の満ち欠けの周期は現実世界のそれと同じタイミングではありませんが「今回はたまたま都合が良かったので」現実における1996年12月の月相を持ち込みました。

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