104年後からの今   作:requesting anonymity

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79.アンダー・ホグズフィールド

「もういいのかねドラコ坊ちゃま。何かが進展しているようには見えないが」

 

 アントニン・ドロホフに厭味ったらしくそう問いかけられても、ドラコは平静を保ち続けることに成功していた。それは閉心術だけに支えられた精神状態ではなく、今ここでやれる事は全てやったし確かに計画は実行に向けて進んでいるという確信による安堵でもあった。

 

「ドロホフお前この場所をしっかり覚えておけよ。『その時』僕はホグワーツに居るんだから案内なんかできないからな。ダンブルドアが死ぬ日、お前たちはここからホグワーツに侵入するんだ」

 

 心は平静でも、ドラコの脚も腕も肩も目も、ここ数日遺跡の奥底を這いずり回って調査と検証をひたすらに続けていたせいで、とうに限界だった。

 本来ふわっふわの最高級おベッドでなければ疲れなど取れず、スリザリン寮の寝室に備え付けられているベッドに初めて寝たホグワーツ入学初日の夜に「良かった、このくらいなら我慢できる」というかなり低めの評価を下した過去を持つドラコ・マルフォイ坊っちゃまの高貴なるお身体は、野宿なんぞで休まるようにはできていないのだ。

 

 ドラコがよく寝室や談話室で自分で淹れて飲んでいる私物の紅茶にしても、吹けば飛ぶアーサー・ウィーズリーの1ヶ月の給料で1杯分の茶葉が買えるかどうか、という最高級品である。

 

 尚、スリザリン寮の談話室のベッドはホグワーツ城が建てられた際にサラザール・スリザリンその人が「我が生徒のために」と何度も杖を振り直して創り出した物であり、トレイシー・デイビスなどは初めてそれに寝た入学初日の夜にあまりのふわふわさに感動して声を漏らした逸品である。

 それでもドラコ・マルフォイお坊ちゃまにとっては「必要最低限度ギリギリ」だったのだ。

 

 ロン・ウィーズリーの貧しい想像力よりも更に10倍くらい、ドラコは贅沢な育ちをしている。

 

 そのドラコが、遺跡にテントを張って野宿したのだ。それも数日。

 もちろん魔法のかかったテントであり中はけっこう立派な作りでベッドだってあるし充分に広いのだが、ドラコにとってはそんなもの、吹きっ曝しも同然だった。

「今なら椅子に座っただけで感涙できる自信があるね」

 服の裾についた気がする砂埃を神経質に払い落としながら、ドラコは嘆息した。

 

「……ずいぶんお育ちがよろしいようで」

 

 ドロホフは厭味のつもりでそう言ったが、ドラコにとってそれは単なる事実だった。

「その時に案内できないと言うのなら、いま案内するべきじゃないのか? 何だあの……お前に先導されて『通った』遺跡の最奥の壁は。周りの景色が勝手に変わったようにしか見えなかったぞ」

 そう問うたオーガスタス・ルックウッドは疑問の答えを欲しているが、ドロホフは違った。

「それは叛意だぞルックウッド」アントニン・ドロホフは、ドラコが何を言うよりも早くルックウッドに、ほとんど叱りつけるような口調で言葉を浴びせる。「この計画を任されているのはお前ではないぞルックウッド。任されているのはドラコ・マルフォイだ。闇の帝王がドラコに任せたのだ。情報を集めるのも疑問を解消して納得するのもドラコのみが許可されている。貴様ではない。貴様の今の問いかけは闇の帝王の決定に異を唱えているのと同じ事だ。反逆の企てだ」

 

 ドロホフのその言葉を聞いたドラコはルックウッドよりも強く、嫌悪感と恐怖に襲われていた。

 

 オーガスタス・ルックウッドとアントニン・ドロホフは同じ死喰い人で、ともにヴォルデモート卿の忠実なる部下だが、この2者の間には決定的な違いがあるのだ。

 それも「死喰い人には2種類いる」と表現しても語弊が無いほどの、深く広い断絶である。

 つまりオーガスタス・ルックウッドは恐怖ゆえにヴォルデモート卿に従っているが、アントニン・ドロホフは純粋な忠誠心から、崇拝しているがゆえにヴォルデモート卿に従っているのだ。

 ヴォルデモート卿を信仰していると言い換えてもいい。

 

 そしてドロホフを含む、大量殺人犯の集団である死喰い人たちの中でも群を抜いて危険な数人は、その尽くがドロホフと同じ、ヴォルデモート卿の信奉者だった。

 それは恐れからではなく信心ゆえにヴォルデモート卿に付き従う者たちであり、ヴォルデモート卿が失墜していた13年間すら常にヴォルデモート卿に忠実だった者たちである。

 

 ベラトリックス・レストレンジ、バーティミウス・クラウチ・ジュニア、ラバスタン・レストレンジ、ロドルファス・レストレンジ、そしてこのアントニン・ドロホフ。

 ドラコが「我がマルフォイ家の絨毯を踏むに値しない奴らだ」と心の底では彼らを嫌悪しつつも同時に彼らを強く畏怖してもいたのは、恐怖ゆえに忠実であり続けるオーガスタス・ルックウッドのような「その他の死喰い人」はドラコにとって理解が容易だからこその、それとは明らかに精神構造が異なる狂信者たちに対する困惑が原因だった。

 

 殺人が楽しいという感覚が、ドラコには全く理解できないのだ。

 そんなもの理解できなくていいという言葉をかけてくれる存在は今、ドラコの傍に居ない。

 

 ドラコは孤独だったが、いま孤独なのは、いま友人たちに囲まれているよりもマシだと言えた。アストリアが隣に居ないのは辛いが、いま隣に居るよりはマシだった。

 今のところは友人たちを巻き込まずに済んでいるという勘違いが、ドラコを支えている。

 

「あれが通路だと知っていて、どこに行き着く通路なのかも把握していれば、あれを単なる壁ではなく通路として利用できる。さっきお前らが通れたのは単なる壁ではないと知っていた僕と一緒に通過したからだ。つまり、もうお前らはあのデカい胸像の部屋の『あの壁』が通路だと知ったから次からは僕が居なくてもあそこを通れる。それに他の誰かにあそこを通らせることだってできる」

 ただし、とドラコはルックウッドだけでなく、ドロホフにも忠告する。

「なぜそうなるのかも、何と言う魔法なのかも、作用機序も判らない。例えば明日いきなり魔法の効果が切れて通路でもなんでもない単なる壁に成り果ててたとしても、何も驚きはないね」

 

 ドラコがそう説明したのはひとえに「あの先生」から与えられたに等しい入手経緯で得た知識であるがゆえの「この方針それ自体があの先生の思う壺かもしれない」という不安から目を逸らしたいがための、防衛本能にも似た本能的な選択だった。

 フン、と蔑むように鼻を鳴らしたドロホフに続いてルックウッドも「そんな曖昧でいいのか?」と疑義を差し挟んだが、ドラコは動揺しなかった。

 

「僕が闇の帝王から誰に何をしろと仰せつかったのか忘れたか? 運くらい良くなくてどうする」

 

 自分が冷静なのか諦めているのか、ドラコにはどちらとも確信が持てなかった。

 ただ、ドラコが「ルックウッド城と地下遺跡と魔法の通路に関する知識をどこで知ったのか」を決して説明しないのが、アストリアが友人たちと憩うあの地下聖堂に闇の帝王や死喰い人共が興味を示す事態を避けたいという思いに突き動かされての選択なのは、ドラコ自身も自覚していた。

 

 やっぱり僕はアストリアを愛しているんだろうと、昨晩ドラコは浮浪者の寝床だとしか思えないテントの中の、石材でできているのかとすら思わされるベッドの上で、ついにそう思い至った。

 それは一般販売されている中ではかなり値の張るブランドの最も評判の良いテントなのだが、ルシウスとナルシッサに愛されて何不自由なく育ってきたドラコを満足させる品質ではなかった。

 しかしそんなドラコは、ドロホフとルックウッド共々、ここ数日のルックウッド城地下から繋がる遺跡の探索で、ひとつ大きな見落としをしていた。

 

「何これ、どこよここ……ホグワーツの地下にこんな場所があったの……? ずーっと……?」

 

 ドラコが「あの先生に鉢合わせしたら終わりだ」と大急ぎで駆け抜けた「地図の間」は、地下室とは名ばかりの、広大な地下空間の中央の高所に設置された展望台のような立地の広間である。

 だからこそ、ドラコが「地図の間」の端に立ってそこから冷静に、注意深く目を凝らして周囲を眺めれば、濃い霧の向こうにチラリとなら、見えたはずなのだ。

 

「あらこんにちは。あなたエッジコム家の娘さんよね? ようこそ」

 

 遠くに集落があるのが。

 

 ドラコ・マルフォイがここ数日何度も通過していながら、同時に「あの先生」と出くわしたくない一心でただ通過して最短経路を確認することしかせず、一切周囲を詳しく観察などしなかった「地図の間」がある広大な地下空間の、地面。

 そこにはいくつも建物があって、屋根や煙突の上にはフウーパーやらジョバーノールやら色とりどりの鳥たちが佇んでいて、建物の周囲には植え込みも畑もあり、明らかに村だった。

 そのレイブンクローの7年生の女子生徒が立っている道からは、「地図の間」は、遠くの景色の一部としか、たとえ霧が晴れたとしても、目視では確認できない。

 

「えっ、えっえっ、あっ。こっ、こんにちは…………」

 

 いるはずがない人がそこにいたので、マリエッタ・エッジコムにはそれが一瞬誰なのか判らなかった。しかし幸いにもすぐにその中年の魔女の名前と職業を思い出せたマリエッタは、大慌てでその、自分のパパとママよりずっと偉い魔法省職員に挨拶し直した。

 

「私マリエッタ・エッジコムです。こんにちは、アメリア・ボーンズ魔法法執行部部長……あの、私パパとママから、今年のクリスマスはホグワーツに残ってねって手紙が来て、それで、私は自分の家がどこにあったのか思い出せないって気づいて、でもそれで不安にもならなくて……それでパパとママからまた手紙が来て、『ハグリッドに案内してもらいなさい』って書いてあって――」

 

 手紙の内容を信じてハグリッドの小屋に行ってみたらハグリッドではなく不死鳥が待ち受けていて、その不死鳥の後を追いかけてここまで辿り着いた7年生のマリエッタ・エッジコムは、未だ混乱のさなかにあった。

 マリエッタは今、鼻や口から溢れ出してしまいそうなほど数多くの疑問を抱えながら、それらに対する説明よりも、ただ安心を欲している。

 

 しかし実際には今また疑問だけがひとつ増えてしまったと、マリエッタは気付いた。

 

「どうしてここにいらっしゃるんですかマダム・ボーンズ……『予言者』には行方不明だって……それに、それにここは、この場所は何ですか…………?」

 マリエッタからの質問に、元魔法法執行部部長のアメリア・ボーンズは、ここに来る時に開示された情報をほとんどそのまま伝える形で回答した。

 

「ここは『アンダー・ホグズフィールド』。神秘部の部長がホグワーツの7年生だった頃に無断で作り始めた魔法生物保護区――保護区というか飼育繁殖実験場――の、真ん中にある村。ちなみにアルバス・ダンブルドアがこの場所の存在を知ったのは今年度が始まる直前よ」

 

 さっき見かけたティラノサウルスのものだろうなあと察せる凄まじい鳴き声が遠くから聞こえてきたので、マリエッタはマダム・ボーンズの説明を半分くらい聞き逃してしまった。

 ただ、たとえ何をどれだけ聞き逃したとしても、こんなことする人が他にいるわけがないので、マリエッタには、この地下空間自体がいつからあるのかはともかく、この場所をこれだけ動物まみれにして建物をいくつも置いた犯人の正体だけは、最初から薄々察せていた。

 しかしマリエッタは、おそらく元からかなり広い地下空間だったのだろうこの場所を「検知不可能拡大呪文」でさらに必要以上の敷地面積にまで広げたのが去年闇の魔術に対する防衛術を教えてくれた「あの先生」だとは察していても、そこにさらにピーブズが参加して空間を捻じ曲げているなどとは、想像もしていなかった。

 

 ほとんどの生徒がそうであるようにマリエッタも、ピーブズの「本気」を知らなかった。

 1876年にホグワーツを襲った大事件についてビンズ先生が教えてくれていた授業中も、当然にマリエッタは友人のチョウ・チャンや他の同級生たち共々、睡魔に屈していたから。

 

「あの、恐竜たちはこの集落には入ってこないんですか? 安全なんですか? それに、肉食の魔法生物が草食の魔法生物を食べちゃったりとかしないんですか?」

 

 それはマリエッタが、去年あの先生から「防衛術」の授業を、あの先生のカバンの中の草原で、ドラゴンやらパフスケインやらヒッポグリフやらに遠巻きに見つめられながら受けていた時から、ずっと抱き続けていた疑問だった。

 ヒッポグリフは肉食なのに、どうしてパフスケインやニフラーを食べようとしないのか。

 

「それは簡単な話よ。ここに『棲息』している、つまり生きていける場所を与える以外の管理を何もしてない『野生』の生き物たちは別だけど、ここで『飼育されている』肉食の生き物はいつも充分に餌を与えられていて、狩猟本能を満たす機会もたっぷり与えられていて、肉食生物用の飼料は肉食の生き物たちが絶対に手を出せない場所に貯蔵されている。サンダーバードの巣の中にね」

 

 アメリア・ボーンズのその説明も、神秘部部長からの受け売りだった。

 

「生態系を作って観察してるんだそうよ、あの部長さんとマダム・スウィーティングは」

「ハガー!! ハガーいない!! ハガー!!」

 

 屋根の上くらいの位置から大きな声が聞こえてきてマリエッタはビクリと怯んだが、マダム・アメリア・ボーンズは手慣れたものだった。

「ハガー、湖! あっち、湖! 湖、ハグリッド、いる! わかる?」

 アメリア・ボーンズは大きな声と極めて単純な文法で、腕を真っ直ぐ伸ばして方向を示しながらその巨人に応対した。

 

「グロウプ、 “あっち” わかる! ハガー!!」

 

 ドシンドシンと地面を揺らして去っていた巨人が拙いながらも英語を喋っていたことに、マリエッタはその巨人が去ってしまってからようやく驚いた。

「今のはグロウプよ。ハグリッドの弟」

「どうりで」

 何に納得したのか、何が腑に落ちたのかをマリエッタが言語化しなかったのは、たとえ本人がこの場に居なくともそうするべきではない、という、彼女が培った常識に則った判断だった。

 

「ね。カワイイわよねハグリッドと同じで」

 

 だからマダム・アメリア・ボーンズにそう笑顔で同意を求められても、自分が何に納得したのかをハッキリとは言っていないマリエッタは、同じ意見を持っていると思ってもらえますようにと願いながら実にぎこちない笑顔をどうにか浮かべることしかできなかった。

「さあ、グロウプの後を追いかけてハグリッドのところまで行きましょう。あなたのご両親も今はそこに居るはずですからね」

「えっ?」

 マリエッタはマダム・アメリア・ボーンズの発言の意味が解らず、大きな声を出してしまった。

 

「ここは神秘部所有の施設。厳密には神秘部部長個人が管理している施設だけれど、あのおかしな人はこの場所を神秘部の施設として運用しているの。ホグワーツの地下なのにね。ここの存在を最初から知っていたのは、フィニアス・ナイジェラス・ブラックとニーフ・フィッツジェラルドとアントニア・クリースワーシーっていう昔の校長先生たちと、あとはピーブズだけだそうよ。それで今、神秘部に匿われてるあなたのご両親とか私と夫とかは、ここで生活しながら神秘部から割り当てられた仕事をしているの。意図不明の作業も多いけれど、やりがいのある作業も多いのよ」

 

 パパとママは今なにをしているんだろうと想像しようとして、マリエッタにはなんとも想像ができなかった。神秘部の業務も、この場所にどんな仕事があるのかも全く判らなかったからだ。

 マリエッタはただ、この地下空間に辿り着いた時も不死鳥の背というか尾羽根にそうしたように、置いていかれないように慌て気味の足取りでマダム・アメリア・ボーンズの後を追いかけた。

 

「見ろグロウピー! わかるか? 卵だ! 俺とお前の新しい友達が生まれてくるんだ!」

 

 その地下大空間の中央付近は湖になっており、湖からは大空間の天井に向けて岩の台地が高く屹立している。その台地の上には天井との隙間を埋めるように「地図の間」が造られているために、「地図の間」とそれを支える岩の台地は全体が、その大空洞を支える柱のような外観をしている。

 そんな柱が遠くに見える大きな湖のほとりに、ハグリッドは居た。

 

 全く砂浜などではない岩だらけの岸で、ハグリッドは乾いてもいない地面に直接座っていて、ハグリッドと向かい合うようにしてハグリッドより何倍も身体が大きい巨人のグロウプも、目をキラキラさせて岸の端のギリギリの所にどっかりと座っている。

 

「そりゃ一体なんの卵だハグリッド」

「単純所持、違法?」

 嬉しさを全身から発散させているハグリッドの両隣から、ハグリッドが大事に抱きかかえている卵を怪訝そうに見つめていた2人の背中を見た途端、マリエッタ・エッジコムはマダム・アメリア・ボーンズを追い抜いて駆け出した。

「パパ、ママ! ここで何してるの? わたし家の場所も思い出せないのにそれで不安にもならなくて、でも手紙に書いてあった通りにハグリッドの小屋に行ったら不死鳥が居てそれで――」

「あらおかえりなさいマリエッタ。ちゃんと来られたのね、良かったわ。ママとパパは今ここに住んでて、神秘部で働かせてもらっているの。▓▓▓▓局ってところよ」

 

 母親が神秘部のどこで働いていると言ったのかがマリエッタには不自然なほどまるっきり聞き取れなかったが、マリエッタは昨年度あの先生から「僕は神秘部で部長をしてるんだ」と聞かされた時や、神秘部で例のあの人とその仲間の死喰い人たちと戦ってきたのだというハリーたちやルーナからの伝聞で知った情報をきちんと覚えていたので、聞き取ってはいけないのだと判断できた。

 

 つまり今、ママは神秘部の機密を漏洩しかけたのだろうと。

 

 しかしマリエッタの視線と興味は次の瞬間には両親の現状からハグリッドが愛おしげに抱えている卵へと一気に奪われて注がれた。

「ねえハグリッド、それ、何? まさかそれが何か生き物の卵だって言うの?」

 ハグリッドの腕の中のその卵が、かの名高き金細工師ピーター・カール・ファベルジェがツァーリのために制作したものだと説明された方が納得できそうな、あるいは自慢屋ブラグボールやラグナク1世のような優れたゴブリンが腕を奮ったかのような、どこからどう見ても金属製の、豪華絢爛で精緻な装飾が施された、飾って眺めて楽しむためのものだとしか思えない卵だったから。

 

「あの先生が贈ってくれたんだ。俺にクリスマスプレゼントだって。去年闇の魔術に対する防衛術を教えてたあの先生だ。ダンブルドアの先輩だっていうあの妙ちきりんな魔法使いだ!」

 卵から目を離さないハグリッドは、溢れて止まらない嬉しさを全身から発散している。

「お前さんたちがこいつを知らねえのもおかしなことじゃねえんだ。なにせこいつはギリシャの生き物で、それもギリシャのたった一箇所にしか居ねえんだ。他の場所には野生では居ねえんだ。飼育されてるやつを含めたって滅多に見られるもんじゃねえから、授業でやる予定は無かったんだ」

 

 卵に視線を注いだままそう言ったハグリッドは興奮しているのが口調にも発言内容にも現れていて、何よりも先に説明すべき情報が、まだハグリッドの口から聞けていない。

 

「それは何の卵なんだいハグリッド? 何が生まれてくるんだい?」

 

 マリエッタのパパが改めてハグリッドにそう訊いた途端、俄に雨が降り始めた。

 それと同時に、どこからか歌のようにも聞こえる美しい鳴き声が響いてくる。

 

「あら、『ライサンダス』のお出ましね」

 

 杖の一振りで防水呪文を展開して自分たちをあっという間に激しさを増してきた雨から守りつつ、アメリア・ボーンズは遠くを眺めてそう言った。

 ただ、いくら広かろうが地下のはずのこの場所に雨が降っていることにはマリエッタも含めて誰も驚いていない。アメリア・ボーンズとマリエッタの両親はなぜ雨が降り始めたのかを理解しているし、それを理解していないマリエッタにしても、例えば「メテオロジンクス」と唱えれば隣のベッドにだって雨やら雪やら降らせることが可能だと当然に知っているからだ。

 しかしアメリア・ボーンズの言葉にも、魔法で雨を防いでくれたことにも、そも雨が降り始めたことにも、いま鳴り響いた落雷の轟音にも、ハグリッドは全く気づいていない。

 

「こいつはステュムパリデスの鳥だ」

 

 細かい装飾がたくさん施された金属製にしか見えない卵から一切目を離さずに、ハグリッドはやっとその名前を言った。

「これが鳥の卵なの? どっからどう見たって金属製じゃないハグリッド!」

 マリエッタが困惑するのも当然だが、ハグリッドにとってそれは想定通りの質問だった。

「そりゃあ、ステュムパリデスの鳥は青銅でできてるからな。大人になるとお前さんくらいの大きさに育つ――つまり翼を広げたらもっとでっかく見えらぁな――それに糞が毒だ」

 

 糞は誰だって毒でしょ糞なんだからと言おうとしたマリエッタはハグリッドのあんまりにも嬉しそうに光り輝いている両目を見てしまい、ひとの喜びに水を差すのはやめようと思い直した。

 しかしハグリッドがなぜこうも危険な生物ばかりを入手してくるのかについては一度ウィゼンガモットにでも召喚されてしっかり問いただされるべきではなかろうかと、マリエッタだけでなくマリエッタのパパとママも、アメリア・ボーンズも思っていた。

 

「…………『ライサンダス』も大きくて危ない生き物なんでしょう」

 

 マリエッタはありったけの疑念を込めてハグリッドにそう訊いたが、ライサンダスについては、確かに大きくて危険な生き物ではあるのだが、犯人はハグリッドではなかった。

 

「ライサンダスはこの洞窟の動物たちのボスだ。サンダーバードとオーグリーのハーフで、空を飛ぶと雷が鳴って雨が降るし、雨が降るのを察知すると鳴くんだ。だから飛ぶ前から鳴き始めて、飛んでる間ずっと鳴き続けるわけだな。そりゃあもう立派なサンダーバードで――ほら、来たぞ!」

 

 尚も大興奮し続けながらそう紹介しつつ、ハグリッドは抱えている金属製にしか見えない卵からそこで初めて視線を外し、飛来したその生き物に注目した。

 ハグリッドだけでなくマリエッタも、アメリア・ボーンズもマリエッタのパパとママも、その大きな鳥に注目している。

 

 ハグリッドやマリエッタの頭上、グロウプの目の前まで降下してきたその鳥はヒッポグリフより大きくて、全身が曇り空みたいに灰色の羽毛で覆われていて、翼も羽根もしっとりとした灰色で、その翼は身体の左右に3枚ずつ、全部で6枚あって、長い尾羽根が虹のようにたなびいている。

 その鳥が羽ばたく度にバチバチと稲妻が鳥の身体を走り、グロウプの顔が風に煽られる。

 

 飛ぶと嵐を起こす北アメリカ固有の魔法生物サンダーバードがその鳥の母親で、雨を予期して鳴き、雨が降っている最中しか飛ばないアイルランドのオーグリーを父に持つ。

 

「こいつが『ライサンダス』だ。どうだ、綺麗な生きもんだろう!」

「実験的飼育禁止法の重大な違反なんじゃないの? ていうかサンダーバードって保護種よね?」

「あいにく、法的な問題は何も無いのよ。ライサンダスにはね」

 

 マリエッタの異議申し立てに反論したのはハグリッドではなく、アメリア・ボーンズだった。ハグリッドはマリエッタの言葉などどうやら耳に入っていないらしく、大きくて立派な灰色のライサンダスがぐるりと飛んでグロウプの頭の上に降り立ったのを、卵を抱えたまま夢中で眺めている。

 

「実験的飼育禁止法って言葉がすぐに出てきたのは優秀。だけれど、第一にあの法律は『飼い慣らせない危険な新種』を『創り出すこと』が『実質的に』禁止されるもの。とんでもなく厳格な条件をクリアできれば許可は出るし――条件を満たして正攻法で許可を勝ち取った人は数えるほどしかいないけれどね――そもそもあの法律は遡及的に適用されるものではない。つまりあの法律は、あの法律より後に創り出された新種の生き物にしか適用されない。尻尾爆発スクリュートとかね」

 

 アメリア・ボーンズがここまで説明したところで、マリエッタはこの雄大な「ライサンダス」の飼い主が一体どこの大馬鹿者なのかを悟った。

 

「そうよミス・エッジコム。このライサンダスは実験的飼育禁止法どころか、それを起草したニュート・スキャマンダーよりも先に生まれているの。ライサンダスが生まれたのは1892年。もちろん私だって、それにハグリッドだって生まれていないし、『例のあの人』も生まれていない。当時アルバス・ダンブルドアは11歳の1年生で、グリンデルバルドは9歳で、ホグワーツの校長はフィニアス・ナイジェラス・ブラックで、変身術を教えていたのはマチルダ・ウィーズリー」

 

 そう列挙されても、マリエッタにはそんな100年以上もの昔など想像がつかない。

 ただ、例のあの人がいないというのは、かなり羨ましかった。

 

「このライサンダスは神秘部の部長とマダム・スウィーティングが7年生だった当時、『必要の部屋』で孵化したそうよ。そこには7年生だったあのおかしな人と、マダム・スウィーティング、それに同級生のサチャリッサ・タグウッドと、あとアン・サロウっていう女子生徒と、それに1年生だったダンブルドアも居た。……って、マダム・スウィーティングが言ってらしたわ。それにこのライサンダスは交雑種だからMACUSA(アメリカ合衆国魔法評議会)が定める保護法の適用外で、この子の母親のペネロープは飼育許可を正式に与えられているから、どっちにしろ、どこまで遡っても違法にはならない」

 

 さらに言えば、それら全ての前提が仮に無視されたとしても、ライサンダスは神秘部の研究試料として登録されているので、MACUSAの法やウィゼンガモット、それに魔法法執行部は「違法だ」などと追及する権限を持たないのだが、アメリア・ボーンズはそこまでは教えられていなかった。

 

「そんなことは関係ねぇ! もしコイツをMACUSAがアリゾナの荒野に連れてったとしても、こいつは必ず自分でここに戻って来るぞ! こいつは自分が住む場所を自分で選んでここに居るんだ」

 

 ハグリッドが大きな声でそう言った途端、ハグリッドの手の中の卵がゆらりと動いた。

 ハグリッドは抱きかかえていたそれを慎重に自分の掌の上へと移動させて、絶対に落としたりなどしないように両手で支えて、まるで飲もうとしているかのように掲げた。

 ライサンダスがグロウプの頭の上で静かにしているからか、すでに雨は止んでいる。

 皆の視線がハグリッドの腕の中の卵に集まる。グロウプと「ライサンダス」も、卵を見ている。

 

 遠くに「地図の間」とそれを支える峻険な岩の台地が見える湖のほとりで、ホグワーツ城の真下だという事実を失念してしまいそうな広い広い地下空間で、その金属製にしか見えない卵は、まるでそうなるべく設計されたかのように、ゼンマイでも巻いたかのように、表面の模様に沿って、割れると言うよりは「開く」という表現が適切だと思えるほど規則的に、殻に隙間が生じ始めた。

 

「ねえこれホントに生き物の卵なのよね? だったらなんでこんな音が――歯車?」

 

 誰にも苦言など呈されていないのに囁くような小声になっているマリエッタが指摘した通り、その金細工職人の傑作だと説明されたほうが納得できる卵からは、カチリカチリと規則正しい音が響いていて、マリエッタにはそれが内部の仕掛けが正しく動作している音にしか聞こえなかった。

 

 そしてバケツの蓋みたいに大きいハグリッドの掌の上で、卵は花が咲くように開いた。

 

「…………生き物?」

 

 クヌート銅貨みたいな色だけでなく身体の各部の質感も、関節の繋がり方も、マリエッタにはその大人のカラスくらいの大きさの雛鳥は、金属製の模型か何かにしか見えなかった。

 その金属製の雛鳥の、浮き彫りだとしか思えない両目が初めて見たのは、ハグリッドの顔。

「こいつは、こりゃあ、なんてかわいい奴だ」

 ハグリッドが感動しているので、マリエッタはどこがカワイイのかと訊くのを我慢した。

 

 その直後ステュムパリデスの雛鳥は錆びた扉を無理やり開けたような、金属と金属が擦れているとしか思えない凄まじく不快で大きな鳴き声を発したが、それでもハグリッドは嬉しそうだった。

 

 しかしあまりにもうるさい鳴き声を聞かされて眉間にシワが寄っているマリエッタは、このステュムパリデスの鳥のもうひとつの特徴を、知らなかった。

「ハグリッド、ハグリッド! こっちも生まれそうよ!」

 こちらにそう呼びかけつつ集落の方から慌て気味にやってきたのはハッフルパフの6年生でアメリア・ボーンズの姪のスーザン・ボーンズと、同じくハッフルパフの6年生でスーザン共々D.A.のメンバーでもあるハンナ・アボット。

 そしてスーザン・ボーンズとハンナ・アボットは2人とも、いま皆の目の前で孵化したのと同じようなファベルジェが皇帝のために作ったとしか思えない豪華な装飾の卵をいくつも抱えていた。

 

「えっ嘘でしょ」

 

 1羽だけでこんなにうるさいのに、とマリエッタは自分の視界に映っているものが信じられなくてそう声を上げてしまったが、ギリシャのステュムパリデス湖にしか棲息していない「ステュムパリデスの鳥」の、これこそがその、もうひとつの特徴だった。

 ステュムパリデスの鳥は、ステュムパリデス湖に、めちゃくちゃたくさん居るのである。

 

 それこそ一斉に飛び立てば空を覆い尽くしてしまうほどに。

 

「ねえ嘘でしょ…………」

 スーザン・ボーンズとハンナ・アボットが運んできた卵から次々にカチリカチリと開き始めている合図の音が聞こえだしてマリエッタが大困惑している中、また遠くからティラノサウルスの「ヴィットーリオ」の元気いっぱいな鳴き声が響いてきた。

 マリエッタの視界の隅にはプテラノドンがこちらに飛んでくるのが見えていたし、スーザン・ボーンズの右肩に乗っかっているニフラーは明らかに生まれたばかりのステュムパリデスの雛鳥に興味を示しているし、ハンナの後ろに着いてきた大きな蛇には頭が3つあった。

 

 今からでも全部見なかったことにして談話室に戻って宿題してたいと、マリエッタは思った。

 

 そしてちょうどその時、ネビルのパパとママにネビルが胡蝶蘭をプレゼントするのを見届けて、その胡蝶蘭がひらひらと優雅に飛び回るのを見て嬉しそうにしていたネビルのパパとママにきちんと挨拶して聖マンゴ魔法疾患障害病院から隠れ穴へと帰ってきたハリーたちもまた、ホグワーツの地下深くの大空間にいるマリエッタと同じく、しかし全く違う理由で、大混乱のさなかにあった。

 

「やあはじめまして。きみがハリー・ポッター? 僕はデイヴィッド・ウィーズリー。きみたちが言うところの『マグル』だ。魔法は使えない。製薬会社で働いてる。こっちは弟のデズモンド」

「こんにちは。僕はデズモンド・ウィーズリー。大英帝国海軍の軍人だよ。僕も『マグル』だ」

「やあはじめまして。きみたちロンの友人だな? 僕はアブドゥルラザク・ウィーズリー。トルコのクィディッチチームで働いてるんだ。選手じゃないけどね!」

「やあ。僕はファーガス・(ウー)=ウィーズリー。きみたちはアーサーの……子供の友達とかそんなところかね。僕は妻ともども岷山にある保護区で長いこと働いてるんだ。住み込みでね」

「やあはじめまして。僕はヘンリク・ウィーズリー。スウェーデンから来たんだ」

「やあはじめまして。僕はニコラオス・ウィーズリー。ギリシャから来たよ」

「やあこんにちは。きみたちビルの友達かい? 僕はディエゴ・ウィーズリー」

「はじめまして。僕は武彦・ウィーズリーです。日本から来ました。あそこにいるのが兄の――」

「はじめまして。僕はラメク・ウィーズリーです。ケニアから来ました」

「やあはじめまして。僕はパーシーたちのいとこの――」

「やあこんにちは。僕はアーサーのまたいとこの――」

「やあこんにちは。僕はアーサーの叔父の――」

 

 本当に想像の30倍くらいいたウィーズリーの親戚たちに次々挨拶されて、ハリーもネビルもハーマイオニーも目が回りそうだった。

 

「覚えなくていいぜ」

 

 そう言ってくれたロンがハリーたちには誰だか判らない男の子と仲よさげに話し始めたのも、ハリーの脳に渦巻く大混乱を助長していた。

「あ! セルゲイ久しぶり! お前元気にしてたか?」

 誰だか判らない親戚らしき子と話していたロンがさらに別の親戚らしき青年に声をかけたのを見て、ネビルが頭を抱えている。

 

 まだまだ続々と隠れ穴に到着しているその人々は、ひとり残らず、燃えるような赤毛だった。

 

 




 
【ニーフ・フィッツジェラルド】Niamh Fitzgerald
 ホグワーツ・レガシー本編に登場する4人の「守護者」たるかつてのホグワーツ教職員の1人であり、生前はホグワーツの校長だった魔女。なお、いくつかの日本語のサイトに「ニーフは愛称」「本名はニアム」「本名はナイアム」などの記述が散見されるが英語のサイトにはそのような記述は無く、一次資料も見つからず、ゲーム内でも「ニーフは愛称」などとは言われず、なによりNiamhはアイルランド語の女性名であり、この綴り(Niamh)で「ニーフ」もしくは「ニーヴ」と発音する難読ネームなので、普通に本名でニーフ・フィッツジェラルドだと考えるのが妥当。
 アイルランドにルーツを持つNiamhさんは現実にも居るものの、アイルランド出身ではない英語話者にもファーストネームを初見で正しく読んでもらえない、そのくらいには難読だそうな。
 なので「正しい読み方を解説するために」NeavhとかNeeveとか書き添えられることもある。

 サラザール・スリザリン、意外とそのへんで野宿とか平気な人だと私は思っています。
 なんというか、高貴なご身分に「なった」人に見えるというか、貧しさを知っていそう。

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