104年後からの今 作:requesting anonymity
隣の友人を咄嗟に守ろうとしているのはセオドール・ノットだけではなかったし、咄嗟に友人の背中に隠れたのもトレイシー・デイビスだけではなかった。
自分だって本当なら誰かに縋りたいくらい不安を拭えずにいるので、ローブの裾をそんなに強く掴まれたら動きづらいなどとは、ノットは言わない。
「今日はアラゴグくんの体調が戻ったお祝いにねえ、とっておきのごちそうを持ってきたんだ!」
そう宣言したのが闇の魔術に対する防衛術の教授を昨年度に務めてくれていたあのおかしな先生だと、ここでようやく気づいた生徒もいくらか居た。
「その『ごちそう』ってのは僕らのことじゃあないでしょうね、先生?」
「まさかあ。きみたちじゃせいぜいデザートだし、大して珍しくもないだろうミスター・ノット」
ホグワーツ魔法魔術学校の領内、ホグワーツ城に隣接する禁じられた森の奥。生い茂る木々の高く伸び広がった枝葉に遮られてほぼ日が差さないその場所は、地面も頭上も周囲の樹木も視界に入る景色の全てが幾重ものクモの巣の層に厚く覆われて、恐怖を感じるほど真っ白に染まっていた。
「それじゃあ、こいつらがいったいどういう生き物かっちゅうことを説明できるやつはいるか?」
魔法生物飼育学を受講するハリーたち6年生は怯えている者とそれを庇っている者とが混在していて、生徒をここまで連れてきたアルバス・ダンブルドア他2名の教師たちは警戒を解かない。
しかし魔法生物飼育学を教えるルビウス・ハグリッド教授だけは止めどなく湧き上がる嬉しさを抑えきれない様子で、声も動作も普段より弾んでいる。
ハグリッド教授からの出題に回答できるだけの知識自体は手を挙げようとしたハーマイオニーとノットだけでなくハリー・ポッターとて有していたが、しかし彼ら彼女らは共通して「自分が知っているそのままを述べたらハグリッドがご機嫌を損ねるのではないか」と逡巡してしまい、回答する権利をその僅かな時間で別の人物に掠め取られてしまったのだった。
「おお。ええぞ。俺ぁ構わねえ。言ってみろスネイプ」
ハリーが驚きながら視線を向けた先では、アルバス・ダンブルドアに肘を掴まれたセブルス・スネイプが、片方の腕を無理矢理に挙手させられていた。
指名されたセブルス・スネイプはアルバス・ダンブルドアを鋭く睨むが、それでもダンブルドアは何故か楽しそうに笑っていて、その顔がハリーには何故かシリウスに似ているように思えた。
セブルス・スネイプは、巨大な蜘蛛の群れを相手に何らかの世話もしくは調査らしき作業を続けている神秘部部長にも刺し殺せそうなほど鋭い視線を投げかけたが、やがて観念して口を開いた。
「……アクロマンチュラ。東南アジアの……主には島嶼部、熱帯雨林に棲息し、インドネシア魔法省などにはこれに対処するための専門部隊が存在する。また弱い呪文に影響を受けない程度の保護魔法的強靭さを持ち、毒は1リットルで200ガリオンほどの市場価格となる。主流な学説においては『魔法使いが創り出した』生き物だとされている。そして現在は取り引きおよび人工孵化、飼育その他一切が法で禁じられているが、実験的飼育禁止法の施行よりも前から存在する生き物であるので同法律が禁じている対象にはこれはあたらない。そしてこの生き物の最たる特徴は――」
スネイプはそこで言葉を切るとダンブルドアの手を振りほどいてズルズルと歩き出し、周囲を取り囲むアクロマンチュラたちの中で最も大きい個体の目の前まで進み出た。
「――お元気になられたようで。アラゴグ殿」
「アルバス・ダンブルドア…………ではないな。似ていると思ったが、違う」
アラゴグが喋ったことで、アクロマンチュラがヒトの言葉を理解し発話できるとは知らなかったらしいトレイシー・デイビスを始めとする元から怯え気味だった生徒たちが悲鳴を上げた。
ハリーが周囲を改めて見渡してみれば、ハリーのすぐ右隣に立っているロンは2年生だったあの時とまったく同じ顔で恐怖に震えながらもハーマイオニー他数人を守ろうとするかのような姿勢を見せており、ハーマイオニーからこれ以上無いくらいの苦笑いを引き出すことに成功していた。
一方、ハリーの左隣にいるネビルは怯えるわけでも慌てるわけでも警戒するわけでもなく、杖を取り出しもせずに蜘蛛たちを観察し続けているようだった。
「蜘蛛たちって普段は何を食べてるんだろうね。そんなにしょっちゅうヒトが来る場所じゃないもんね。僕らのこと食べたいんだろうなあ。僕とハリーだったらどっちが美味しいのかな?」
「きみだろ」
ネビルがあまりにも物騒な推論を内容にそぐわないのんびりした口調で述べるので、ハリーまで影響されて緊張と焦燥が薄れてしまった。
アラゴグと子供たちはネビルの言う通りに僕らのことを食べたいに違いないとハリーもロンも確信していたし、事実それは正しい推測だった。
ハリーたち6年生を取り囲んでいる蜘蛛の群れは皆その場で足踏みを繰り返したり鋏をカチャカチャ鳴らしたりしていて、それがこちらに飛びかかりたいのをどうにか堪えている時の、群れの長からの「良し」の合図を待ちに待っている時に見られる特徴だと、ハリーは経験から知っている。
「アクロマンチュラの群れの長は、必ず、例外無く、最年長の親か?」
生徒に出題する時とまったく同じ声色で、スネイプがアラゴグに訊く。
「いいや。あまりにも年老いて、健康を損ない……そうだな。自力で満足に食事ができなくなったら、群れの長であり続けられるかどうかは、場合によるだろう。そいつがその、実際には自分がどの程度老いさらばえているかを群れの皆に隠し通して、まだやれると、思わせられるかどうかだ」
スネイプからの質問に答えるアラゴグの声は相変わらず酷くしゃがれていて、その音だけで不快感や恐怖を呼び起こされそうなほどに耳障りだった。
「この群れの次代の長は誰になる? いくつかの氏族に分裂するのか?」
スネイプは、アラゴグからの回答を完全に無視しているのではないかとハリーが疑いを持つほどに素早く、アラゴグが質問に答え終わったその瞬間にすかさず次の問いを投げかけた。
「そうなってほしくはないが、可能性はある。子供たちの中で最も身体が大きく強い者が、その次に強い者を完全には屈服させられなかった場合、群れは2つになるだろう」
スネイプがまたしても、アラゴグが回答し終わるか終わらないかという内に次の問いを投げる。
「貴様の子供たちが今まだ我らに襲いかかっていないのは、この場にルビウス・ハグリッドが同席しているからか? お前が判断して指示した結果か? 吾輩を食べたいか?」
この質問に対するアラゴグの回答は、ハリーの予想したどれでもなかった。
「お前を喰らおうとすれば、わしの群れは全滅するだろう。そのくらい判らんと思ったか」
そりゃまあマクゴナガルにダンブルドアまで居るんだから諦めもするかと、アラゴグのしゃがれ声を聞いてハリーは思った。
スネイプのことをマクゴナガルとダンブルドアに並べるほどの魔法使いだなんて評価はしたくなかったので、ハリーはスネイプを戦力の勘定に含めなかった。
「アラゴグ! 今日はアラゴグにプレゼントがあるんだぁ!」
「まさか僕らのことじゃあないでしょうねハグリッド先生」
ハグリッドにそう確認せずにはいられなかったらしいセオドール・ノットは相変わらずトレイシー・デイビスにローブの裾をぎゅっと掴まれていて、相変わらずロンは号泣しているとしか表現できない顔をしたままハーマイオニー他数人を守ろうとしている。
「なにをノット! お前さんたちだってきっと喜ぶぞ! そうそうできる経験じゃねえぞ!」
どうも今回の授業内容に相当の自信があるらしいハグリッドにどうにか何か言い返したい衝動に駆られたセオドール・ノットは減点されない厭味を編み出そうと思案していたが、次の瞬間クモの巣に覆い尽くされて真っ白に見える木々の向こうからバキバキガサガサと何やら重量感のある大きな物音が聞こえてきて、ノットのみならずハリーもロンもハーマイオニーも他の皆もアクロマンチュラたちに囲まれているという現状に警戒心を保ち続けるどころではなくなった。
「ありがとねえグロウプくん」
「グロウプ、もってきた!」
昨年度に闇の魔術に対する防衛術の教師を務めてくれていたあのおかしな先生がいつも通りのお気楽な口調で話しかけている中、アラゴグ以外の蜘蛛たちが驚くほど迅速に移動して群れの陣形を変化させ、突然現れた自分たちより大きな生き物への警戒を顕にしている。
蜘蛛たちが急に激しく動いたことでトレイシー・デイビスとロンを始めとする数人が短い悲鳴を上げたが、その一方でネビルは「蜘蛛も慌てるんだね」と、極めてのんびりした感想を述べた。
グロウプが一体なにを持ってきたのかという点に注目できているのはハリーとハーマイオニーだけで、他はみんないきなり現れたグロウプにビックリ仰天している。
「お前がハグリッドが前から言っていた『グロウプ』か。はじめまして。わしはアラゴグだ」
蜘蛛たちの中で唯一まったく慌てていないアラゴグが平然と挨拶すると、その声色によって平常心が伝播したのか、他の蜘蛛たちも完全にではないが、いくらか警戒を解いた。
「グロウプ、アラゴグ、わかる。アラゴグ、ハガー、友達。グロウプは、友達、たべない!」
蜘蛛たちをキョロキョロと見下ろしながらグロウプがそう宣言すると、アラゴグはハリーにすらそうと判るくらいあからさまに返答に苦慮した後、「それはありがたい」とだけ言った。
「英語が上達してる……」
グロウプに久しぶりに遭遇したハリーとハーマイオニーとロンは思わずピッタリと声を揃えてそんな感想を漏らしてしまい、それが周囲の皆の関心を惹く。
「おいポッター、お前あいつを知ってるのか? なんだあのデカブツは」
本人以外が血統の話をするのってたぶん無礼だよなと思ったハリーは、ノットからの質問に対して意図的に的を外した、ノットが知りたいであろう情報の周辺をなぞるような回答をする。
「巨人だよ。正真正銘。ハグリッドは彼を訓練して助手にしたいんだって」
「皆ちょっと後ろに下がってね。アラゴグくんたちも場所を空けてね! グロウプくんそれをね、そうそう! そうそこに置いてね! ありがとねグロウプくん。お疲れ様!」
グロウプが両腕で引きずって持ってきた巨大な何かはハリーたちホグワーツから来た面々とアラゴグが統率する蜘蛛たちとの間に横たえられ、それが何なのかがハリーにもようやく判った。
「今からこのウェールズ・グリーン普通種のドラゴンまるまる1頭を解体して焼いて喰うぞ!」
ハグリッドが得意げに宣言した途端、ハリーたち6年生の大半は反射的に歓声を上げていた。
「このウェールズ・グリーンは珍しいことにヘブリディーズ諸島を、それもヘブリディアン・ブラックの巣を襲ってねえ。で巣の持ち主との力比べに負けて死んじゃったんだってさ。代々ヘブリディーズ諸島でヘブリディアン・ブラック種のドラゴンを管理しているマクファスティー家の人たちがそれを見つけたけど巣に近すぎてどうにもできないから――巣の持ち主は抱卵中なのもあってまだメッチャ怒っててね――それで僕の店に回収代行の依頼が来て、僕が1頭まるごと買ったの」
昨年度に闇の魔術に対する防衛術を教えてくれた先生がドラゴンまるごと1頭の新鮮な死体という貴重品の入手経緯を説明してくれたが、ハリーたち6年生の大半はそれを聞いちゃいなかった。
「元いたウェールズに所有していたであろう己の縄張りで、同種との争いに負けて新天地を探さざるを得なくなった、というところですかな先輩」
「かもしれないねえアルバス」
神秘部部長でもあるおかしな先生が片手を気軽にひらりと振るとドラゴンの身体のあちこちにベッタリと付着していた蜘蛛の巣や土などが全てひとりでに剥がれて綺麗さっぱり掃除された。
その途端、ドシンという轟音とともにネビルのほっぺが揺れたので何事かと驚いたハリーが音のした方を見てみれば、グロウプがハグリッドのすぐ隣にどっかりと座り込んでいた。
「ドラゴンまるごと1頭だぞ。どのへんがお前の口に合うだろうなアラゴグ!」
「見てくれハグリッド。わしはまた素早く歩けるようになった。お前が連れてきてくれたあの妙な奴のお蔭だ。自分の脚だけで獲物を追い詰められる日だってまたいつか来るかもしれん」
それは由々しき事態だと、ハリーはそう思ってしまった。
「そうだ。おめえさんたちにもこいつらを紹介しねえとな」
ハグリッドはどうやらここでようやく、「アラゴグ」も「グロウプ」もハリーたちなどの極一部の者以外には初耳だという事実に思い至った様子だった。
ハグリッドは左手を高く挙げて、隣に座り込んでいる巨人を指し示す。
「弟だ」
その巨人と目が合ってしまったトレイシー・デイビスは思わずノットくんの背中に隠れるが、しかし恐怖だけでなく好奇心も煽られているらしく、目を逸らそうとはしない。
「わ、ノットくん意外と思ったよりは筋肉ついてるんですね」
「デイビスおまえ本当は余裕あるだろ」
セオドール・ノットはわざわざ振り向いてじっとり睨み、トレイシー・デイビスは目を逸らす。
ハグリッドが巨人を弟だと言ったのに、みんなあんまりビックリしていない。
何ひとつ事情を知らない大多数の6年生たちはこの時、声には出せない納得を共有していた。
しかし本人が説明するのを待つべきで僕らは質問してはいけない、と魔法界で生まれ育った者たちは解っていて、ジャスティンなどのホグワーツに入学するまで魔法界の存在自体知らなかった者たちも、周りの皆が誰もハグリッドを問いたださないので同じように静かにしている。
そしてハグリッドは、昨年度たとえどんなに小さな記事でも日刊予言者新聞にそれが掲載されたと聞いただけで大いに動揺した秘密を、いま自分から進んで皆に明かした。
「おれの母親は巨人だ。フリドウルファってんだ。それでおれの父親は普通の魔法使いだ。けんども、おれの弟の、このグロウプの――そうだ。グロウプって名前なんだ。こいつが自分で自分を呼ぶ時そんなふうに聞こえるからな――グロウプの父親は、巨人だ。異父兄弟ってやつだな……」
そこでハグリッドは言葉を切って弟の顔を見上げ、そしてまたハリーたちを見据えた。
「……これは授業なんだから、お前さんらに訊くべきだな。この中で誰か、答えられるやつはいるか? 『巨人の女ってのはどういう子供を欲しがるもんなのか』」
ハリーの背後で挙手していたらしいハッフルパフのザカリアス・スミスがハグリッドから指名され、スミスは「強いやつ」と、至極シンプルに多数派の推測を代弁した。
「間違いじゃあねえ。間違いじゃあねえぞスミス。巨人の群れのボスはそれで決まるからな。けんども巨人の女ってのはな――お? いいぞ。言ってみろアラゴグ」
ハリーには全く判別できなかったが、ハグリッドの反応から考えるに、どうやらいまアラゴグは喋りたそうな表情をしていたらしい。
「巨人の女にとって、我が子というものは、身体が大きければ大きいほどいい」
だろうなと呟いたノットの声がハリーには聞こえたが、ハグリッドは気づいていない。
「そうだ。おれが前に話したんだったなあアラゴグ。そうだぞ。巨人の女にとってはデケえ子供ほど良いんだ。……それで、小せえ子供は、良くないんだ。だからおれの母親は親父を捨てた。巨人の女にとっちゃおれなんか話になんねえからな。親父はそりゃあもうショックを受けとった――それでこのグロウプも、巨人の中じゃあな、チビなんだ。可哀想に、いじめられとった。放っとけんかった。でも見てみろ! ちゃあんとお利口さんに座っとるだろうが? お前さんたちを持ち上げたりもしてねえ。去年フレッドとジョージがよーく遊んで、こいつに色々と教えてくれたからな」
巨人は生まれてきた子の身体が大きいほど喜ぶというのはハリー以外の多くの者にとってもあまり驚くに値しない情報だったようだが、一方で巨人が小柄な同族をどれほど冷遇するかというのは、ザビニとノットですらどの本でも読んだ記憶が無い、知られざる生態だった。
「正直、イメージ通りですがね。なんでデカい子供が喜ばれるんです? 有利だからですか?」
ノットがどこか挑戦的なスリザリンらしい口調でそう訊いても、ハグリッドは何ら気にした様子もなく、喜んでその質問に答えた。
「生きてく上で有利だからってのは、そうだ。巨人同士じゃあな、話し合いなんてしねえんだ。いっつも殴り倒して解決する。相手が死んでも気にしねえ。一番乱暴なやつがボスだ。だから生まれてくる子供もデカい方がいい、デカくなきゃどうせ生きていけねえ、とそういうわけだ」
ノットはその説明で納得したが、しかしこれみよがしに首を傾げてみせる。
「それじゃあそちらのアラゴグさんとやらとはどういうご関係ですかハグリッド先生?」
皆だいたい想像はついていたが、それでもノットは訊いた。
「おれがホグワーツの生徒だった頃に卵から孵したんだ。卵はひとから貰ったんだ。生まれたばっかの頃のアラゴグはそりゃもうちいちゃくってな、ペキニーズ犬くらいしか無かったんだ……」
充分大きいわよと口走ったダフネ・グリーングラスの声はハグリッドの耳にも届いたはずだとハリーは推測したが、それでもやはりハグリッドは相変わらずなんだか幸せそうで、果たして先程からちょくちょく生徒たちが漏らしている辛辣だったり冷淡だったりする言葉が聞こえているのかいないのか、傍に寄ってきたアラゴグの脚など撫でつつ嬉しそうな笑顔を浮かべている。
「じゃ、解体しよっかこのドラゴン。アルバスも一緒にやるかい?」
「お手伝いします。先輩」
マクゴナガルは一貫して口出しを一切せず、ただ生徒たちの護衛だけに徹している。スネイプはドラゴンの遺体を挟んだ向こう側で、蜘蛛たちに完全包囲されていることなど全く気にも留めていない様子で、アルバス・ダンブルドアだけを見ている。
たぶんスネイプはこれからダンブルドアがドラゴンの解体を手伝う光景を観察して、それによってダンブルドアの杖捌きなり呪文なりを何かひとつでも自分のものにしようとしているに違いないと、ハリーは敵愾心だけを根拠にそう推測していた。
優れた先達の振る舞いを見て学習するのはむしろ称賛されるべき真摯な態度のはずなのに、それをやっているのがスネイプだという事実ひとつで、ハリーには卑劣極まる悪行のように思えた。
「お前さんたち、見たい奴ぁ近くに来い! 見たくねえ奴ぁ後ろに下がってろ。こんなに近くで見られるのはたぶん今日が最初で最後だろうが、そんでも血がたぁっくさん出るぞ!」
ハグリッドの忠告を受けてハリーとネビルを始めとする全体の半数ほどが前進し、ロンを含むもう半数が後退した。
ロンが見たくないのは流血でも臓物でもなくアクロマンチュラだと、皆とっくに察している。
「お前後ろに下がっててもいいんだぞデイビス」
「だってノットくんが前に行っちゃうからあ……」
スネイプがずっと見ているのはダンブルドアの振る舞いではなくダンブルドアの右腕だと気づいているのは生徒たちの中ではハーマイオニーとザビニを始めとする察しの良い数名だけだったし、もちろんハリーはそんな事実には気づいていなかったし、ハーマイオニーとて、なぜスネイプがダンブルドアの右腕をずっと見ているのかについては、どうしてああも痛々しく枯れ果ててしまっているのかを推測しているんじゃないかとか、あるいはダンブルドアが校長を続けられなくなることを願っているんじゃないかとか、そういったまるっきり的はずれな推測しかできていなかった。
まさかその見るも無惨な枯死がダンブルドアの右腕だけに抑え込まれているのが他ならぬスネイプによる懸命な処置の成果だとは、生徒たちは誰ひとり思い至らない。
それが本来なら全身を覆い尽くして校長先生の命を奪っていた呪いだなどとは、考えもしない。
ダンブルドアが左手を掲げると、ドラゴンの遺体が地面から浮き上がった。
「校長先生! アラゴグも他の蜘蛛たちも切り出された肉はうまく喰えねえんですだ。流れてっちまうから――そうだ。お前さんたち、アラゴグがどうやって食事をするか知ってるか?」
体外消化ってやつですよねと、ジャスティン・フィンチ=フレッチリーが解答し始める。
「ほら見てアルバスこの首んとこ。これがたぶん致命傷だよ。牙でやられたのかな」
「そのようですな先輩」
ハグリッドとグロウプとアラゴグはドラゴンの遺体の頭部のすぐそばに固まって座っていて、他の蜘蛛たちは未だにカチャカチャと各々の口元に備わっている鋏を鳴らしたりはしつつも、辛抱強く食事が解禁されるその瞬間を待ち続けている。
「すでに流れ出てた血はねえ僕できるだけ回収して瓶に詰めて置いてきたんだよねマクファスティーさんたちのとこにさ。ところでスネイプ先生そっち側には傷とかついてないかい?」
さっきからずっと蜘蛛たちの数が増え続けていることを、ハリーは考えないように努めていた。
「……右の翼の被膜、そして右脇腹。2つの傷ではありませんな。これは一度に負ったひとつの大きな傷だと吾輩には見て取れます。翼の被膜は半ばから引き裂かれていて、脇腹には爪痕が残っている。損傷箇所の鱗の状態が酷い。これが飛行中に負った傷であるならば墜落したと考えられる。ただし飛行能力を喪失したわけではなく、単に耐え難い痛みによってそうなったものかと――片方の翼の被膜が引き裂かれた程度なら、ドラゴンは飛べる」
スネイプはそれだけ検分すると、またダンブルドアの右腕を見つめ始める。
「頑張って生きたんだねえ、きみもさ」
蜘蛛の巣に覆われた地面から離れて浮いているドラゴンの身体はさらに上昇してその下にハグリッドが入れるくらいの空間が確保されたが、しかしダンブルドア先生はもうとっくに左腕を掲げてなどいないので、誰の何によってドラゴンの身体が上昇したのかは、ハリーには判らなかった。
「お腹開けるよ。アルバス受けて」
ドラゴンの解体を間近で見ることを選んだハリーたちの後方、マクゴナガルに守られている者たちの中から「ヒッ」と短い悲鳴が上がった。どうやら今からハリーたちが目にする光景を、ハッフルパフのスーザン・ボーンズは鮮明に思い浮かべてしまったらしい。
しかしスーザン・ボーンズが思い浮かべた通りの光景には、ならなかった。
浮かべられたドラゴンの身体の下に例の先生が入り、杖でドラゴンの表皮をなぞるとまるで羊皮紙のようにアッサリとドラゴンの腹部が縦に切り開かれる。
そこから滝のように流れ出ると思われた血はゼリーのようにぷるぷるとした大きな一塊になって、シャボン玉のようにふわりと漂ってドラゴンの身体から離れていく。
「利用価値の数多ある貴重品じゃ」
ダンブルドアがそう言ったのと同時に、ちょっとしたテーブルくらいの大きさがある透明な広口瓶がハリーの目の前にドスンと出現し、浮遊していたドラゴンの血が独りでにその瓶の中に吸い込まれていく。瓶の外観からすればドラゴン1頭の流血が全て収まるのは不自然だったが、ハリーはすでに検知不可能拡大呪文という可能性にも、質問などせずとも思い至れるようになっていた。
「見やすいようにしよっか……
例の先生がそう呟くと、それまで右半身が蜘蛛たちとスネイプの側を、左半身がハリーたち生徒の側を向いていたドラゴンの身体が90度回転して、ドラゴンの腹部がハリーたちの方を向いた。
「じゃ内臓を取り出しまーす。見たくない子たちむこう向いててね――お腹もうちょっと開けよ」
大きく切り開かれたドラゴンの腹の中からアストリアお気に入りの抱き枕くらい大きい臓器がいくつも次々にこぼれ出てくるのを見て、ダフネ・グリーングラスは目を細めた。
貴重な機会だからと最前列に来てはみたもののどちらかといえば血やら臓物やらは苦手だと自認しているのは何もダフネ・グリーングラスに限った話ではなかったが、そのすぐ隣でトレイシー・デイビスにがっちりと縋りつかれているセオドール・ノットを始めとして、吐き気を催すそぶりも無くまるっきり平気そうな態度のまま、むしろ興味深げに観察している者も少なくなかった。
「先生、その大きいソファみたいなのってもしかして肺ですか? ウェールズ・グリーンって肺が4つあるの? ドラゴンってそういうものなの?」
そう質問したハーマイオニーも、知的好奇心が嫌悪感や忌避感よりも勝っている1人だった。
「オー、よく気づいたねえハーマイオニー。そうだよこれとこれは肺。けど全く同じに見えるこれとこれは肺じゃあないんだ。この2つはちょっと取り扱い注意でねえ――」
胸の上部から腹まで引きずり出されてきた、何人も座れそうなくらい大きくて少し紫がかった暗い赤色の臓器4つのうち先に出てきた方の2つをその先生は杖で操って、後から出てきた残り2つよりも手前の高い位置に浮遊させることで重要さを強調した。
そしてその先生からの全身を大きく使った再三再四の派手な目配せによってやっと自分がこの授業の担当教授だと思い出したハグリッドが、相変わらずドラゴンの頭に近い位置の蜘蛛の巣だらけの地面に座り込んだまま、その2つの臓器の正体について説明を始める。
「普通は鱗と皮と肉と肋に守られとるから気にするこたぁねえんだが、ドラゴンのハラワタん中でこの2つにだけは、絶対に火を近づけちゃなんねえんだ。なんてったって連中が火ぃ吐くために使う、そりゃあもうよーく燃えるガスがたーっぷり蓄えられとるからな。キメラとかはまたもうちいっと仕組みが違うんだが、ドラゴンはヒトと比べて喉のあたりの作りが複雑でな――」
そのまましばらく続いたハグリッドの解説を、真っ先に咀嚼しきったのはザビニだった。
「つまりドラゴンってのは、火を吐くのを急にやめて口の中が鎮火するのを待たずに息を思いっきり吸い込んでも、食道とか肺なんかが焼けることも、そのガスを貯めてる臓器にまで火が入って爆死するようなことも無いわけか。当たり前のようにも思えるが、進化ってのは上手くやるんだな」
そう感想を述べたザビニの顔の横を、大小さまざまな血液の玉がふわふわと漂って、ダンブルドアの手すら煩わせていないのではないかと思ってしまうほどスムーズに、独りでにハリーの目の前の大きな広口瓶へと吸い込まれていく。
「そだよー。だからこそドラゴンの、これとかこれとかこのへんの、呼吸に使うあたりの内臓とか管は火に強くてねえ。普通の炎じゃぜんぜん燃えないんだよね……そんでこれが胃と腸だけども」
アクロマンチュラなど比ではない強烈な悪臭に鼻腔を貫かれて、最前列に居たハリーたちは1人残らず思いっきり顔を顰めた。
「だよねえ。ちょっと待ってね……エバブリオ!」
例の先生が杖を一振りすると、ドラゴンの胃と腸は大きな泡の中に隔離された。
そしてダンブルドアがパチンと左手の指を鳴らすと悪臭は綺麗さっぱり消え去り、例の先生は自分で創り出した大きな泡の中に杖を持った腕を突っ込み胃を切開して、中身を検分しようとした。
「なーんとまあ、からっぽだ。こりゃ滞留便もちょっとしか無いだろうな……良い肥料なのに」
「死ぬ何日も前から絶食状態だったってことか? そんなら縄張り争いになんか勝てねえわけだ」
ハグリッドがそう驚きの声を上げたすぐ隣で苦々しげに唸ったアラゴグは、どうやら絶食という単語に対して本能的な拒絶反応を起こしたようだった。
そしてその先生は胃を検分するのをさっさとやめて、再びドラゴン本体に向き直る。
「別に痩せこけてたりはしないから長期間何も食べられてないわけじゃあなさそうだけど、ヘブリディーズ諸島まで飛んでった時点でもうお腹ペコペコだったはずだね。処理が楽で助かるけどさ」
肺と可燃性ガスが貯蔵されている臓器の合計4つに胃と腸などの消化器系を始めとする残りの臓器もあらかた取り出され、それぞれ宙に浮かぶ泡の中に別々に収納され、最後にひとつ、グリフィンドールの談話室のソファに置かれているクッションよりも大きい塊がハリーたちに示された。
「この中で、自分の杖の芯がドラゴンの心臓の琴線だって子は何人いるかな? 手を挙げてみて」
例の先生がドラゴンの内臓が収められたいくつかの泡を頭上高くに上昇させて除けながらそう問いかけた瞬間に、ハリーの隣でハーマイオニーが勢い良く手を挙げた。
ハリーが周囲を見渡してみればセオドール・ノットとザビニを始めとして何人もが挙手していて、もっと後ろの方ではマクゴナガルまで挙手していた。
ドラコが手を挙げていないことはハリーにとって意外だったが、なぜ意外なのかはハリー自身にもよくわからなかった。
ただ、オリバンダーさんが杖作りに使う3種類の芯材の残り2つであるユニコーンの尾の毛も不死鳥の尾羽根も、なんだかドラコには似合わないような気が、ハリーにはしていた。
悪いやつってのはだいたいドラゴンの心臓の琴線の杖を使ってんだろうなという偏見がいつの間にやらハリーの中には形成されていたが、しかしその偏見はこの瞬間にハリーの中から消えた。
ハーマイオニーとマクゴナガルが手を挙げていたからというのもあるが、一番はほかでもないヴォルデモートの杖の芯材が何かを思い出したからだった。それは自分の杖と同じだと。
「――そういえばドローレスくんの杖も芯はドラゴンの心臓の琴線だったねえ。ほら皆おぼえてるかい? ドローレス・アンブリッジ先生さ」
マクゴナガルが思いっきり顔を顰めたのと同時に、ハリーの心の中に偏見が帰ってきた。
「で、これがねドラゴンの心臓だよ。おっきいでしょ。ルビウスくんの顔よりおっきいねえ。そんでね、これは心臓を、周りの筋肉ごと――心臓も筋肉だけど――引っ張り出したんだけどね」
ハリーたちが見ている前で先生は杖をゆっくりと動かして、談話室のクッションより大きいその塊を回転させて、様々な角度からハリーたちに見せてくれている。
「はい。これがドラゴンの心臓。これ1個から琴線どれだけ採れるのかは……ちょっと訊いてみよっか。僕の部下に専門家がいるからね――オリバンダーくーん! 今いーい?」
先生が自分の杖に話かけたのが何故なのかを察せていない生徒が大多数だった。
「はいはい。なあに部長。お腹すいたの? 私クローディアを着替えさせてるところなんだけど。この子ったらまーた自分の大鍋を吹っ飛ばしちゃったのよ」
先生の杖から若い女の人の声が聞こえた理由が解らなくて戸惑っているのはダフネ・グリーングラスだけではなかったが、ハリーもネビルもそれどころではなかった。
オリバンダーさんって行方不明だったよなと、ハリーは聞こえたのが女の人の声だということなど思考の外に追いやって悩んでしまった。
「わあ! なあに、あなた部長の不死鳥ね? ちょっと待って――クローディアあなた自分で着替えられるわよね? 着替えてからじゃないと研究に戻っちゃダメよ? 待ってまだ――」
杖から聞こえる声が喋り終わるよりも、ダンブルドアの隣の空中が火を吹くほうが先だった。
「もう。私だって自分の研究が――ここはどこで、いま何をしてるのかしら部長」
「ここはホグワーツの森で、6年生の皆にドラゴンを解体するとこ見せてあげてるんだよ」
魔法薬を作ってる最中にいきなり目の前で猿が交尾を始めたらああいう顔するかな、とハリーに思わせる表情をしたスネイプが何かを払いのけるかのように片手を振ると、ダンブルドアのすぐ隣に姿を現した不死鳥によって撒き散らかされたオレンジ色の眩い炎がゆらゆらと空中で踊りながら1枚の大きな布に変わった。
そのカーテンくらい大きな布は不死鳥と共に現れた2人の魔女のうち小柄な方の身体が現れると同時に纏わりつき、鮮やかなオレンジ色のシャツになってその魔女の上半身を覆い、オレンジ色の炎によって生じていた暗い影はデニム生地のピッタリしたズボンとなってその魔女の腰と脚とを、
ハリーたちの目から慎み深く隠した。
「わあおっきい蜘蛛! アクロマンチュラですかね? 蜘蛛さんあたしクローディアです!」
「だめよクローディア。今アクロマンチュラの皆さんは食欲を我慢してらっしゃるんだから」
オレンジのシャツと紺色のデニムを着用したクローディアの首根っこをしっかり掴んで油断なく捕獲しているのは、ハリーが見た限りではロンと同じくらいの身長に見える、かなり背が高い魔女。その魔女は絹みたいにつややかな栗色の髪を腰まで伸ばしていて、ホグワーツの制服から寮の色だけを排除したような真っ黒いローブを着ていた。
「オリバンダーくん、この子たちに『ドラゴンの心臓の琴線』について教えてあげてほしいんだ」
「いいですけど部長、そのドラゴンを部長のポケットマネーで買ったのならポピーちゃんに、神秘部の予算で買ったのならフォーリー局長に。さっさと報告しなきゃ、たぶん怒られるわよ?」
部下の鋭い指摘を受けてフイッと視線を逸らした神秘部部長でもあるその先生の姿がハリーには、イタズラがママではなくジニーにバレた時のフレッドとジョージと全く同じに見えた。
「シラナイナア。ナンノコトダカ」
「それで赦してくれるのはポピーちゃんだけよ? まったくもう部長ったら――まあいいわ私が怒られるんじゃないわけだし。みなさん、こんにちは。私はあなたたちがホグワーツに入学する時に杖を買った『オリバンダーさん』の曾孫。つまり私の父の父の父が、ギャリック・オリバンダー」
その背の高い魔女の言葉に戸惑いながらも、ハリーたち6年生は「こんにちは」と、どうにか声を揃えて挨拶を返した。
「ドラゴンの心臓の琴線ね、じゃあ1頭のドラゴンから、つまりひとつの心臓から、琴線はいくつ採取できるでしょう? 誰か、わかる? 手を下ろして静かにしててくれるかしらクローディア」
口をとんがらせて不満を表明しているクローディアを横目に「それじゃあアナタどうぞ」と指名されたノットは、全くの勘で「1本じゃないのか?」と答えた。
「残念。でも、普通そう思うわよね。じゃあそもそも心臓の琴線が、普段は心臓でどういう仕事をしてるかは知ってる? なんのために、心臓のどこについているのか」
一気に渋い顔になって首をひねり始めたノットだけでなく、ハーマイオニーもザビニもハリーもその場の6年生のほぼ全員が、今までそんなこと全く考えたためしが無かった。
ふと気になって後ろを振り向いてみたハリーはマクゴナガルと目が合ったが、驚くべきことにマクゴナガルはハリーに対して「知りません」と示すかのように肩をすくめてみせた。
「……そうよね。私だってパパに教えてもらって知ったんだし。じゃ、いーい? ドラゴンの心臓はおっきいから、実際に採取して見せてあげられるわ」
先生たちの内だれがそうしているのかハリーには判らないが、ドラゴンの心臓がサクリと独りでに切開され、リュックサックみたいにめくり広げられた。
「心臓って、身体全体に血を送るために思いっきり収縮して血を押し出すわよね。ギュッと収縮したらすぐゆるむ。それでこの時に血が逆流してこないようにするための弁が心臓にはついてるんだけど、この弁をしっかり閉鎖するためにあるのが心臓の琴線……ほら、見える? ここの白い紐」
驚きの声をあげたのはハリーだけではなかった。
談話室のクッションより大きい心臓の切開されて広げられた内側のある一点から、その上部の出っ張った部分へと白い紐みたいなものが幾筋にも枝分かれして伸びていて、それがつまり心臓の弁とやらが不都合なタイミングで開かないように閉鎖するためにある、いわば玄関扉の鎖みたいな役割をもっていて、これが「ドラゴンの心臓の琴線」なのだと、ハリーはこの時初めて知った。
その白い筋は間近で見るととても太くて、根元はハリーの指ほどもあった。
「見ての通り、1本じゃないの。いっぱいあるの。だって考えてみて? 心臓の大事な機能がたった1本の紐だけで支えられてたらちょっと不安でしょう? だからドラゴンには、厳密には個体差があるけれど、心臓ひとつにつき、どんなに少なくたって70本はある。一番太い根元の部分だけ数えた場合ね。末端の細ーいほうで数えたらヒトでも100本くらいあるわ。けれど、この……部長とダンブルドア先生のどっちがやってくれたのか判らないけど今キレイに何かの魔法で摘出してくれたわね。この枝分かれした白い筋。こんなに何十本も――何十束もって言うべきかしら――あるけれど、杖の芯にできるのはこの中の数本だけ。もちろん『最も質の良いものから順番に』数本」
そう説明したオリバンダー家の若い娘は自分の顔の高さに浮かんでいる摘出されたドラゴンの心臓の何十束もの太い琴線に真剣な視線を注ぎ始め、10秒もかからずに3つだけ選び出した。
「そのまま杖に使える品質してるのはこれだけね。残りは……全部を撚り合わせて1本に纏めれば使えるかしら? それで部長、この琴線はもちろん我が家に売って貰えるのよね?」
「そりゃもちろん。ところでその『そのまま使えるやつ3本』と『残り全部を撚り合わせて1本』で、何本の杖が作れるんだいオリバンダーくん」
「私がやったら3本ね。まだ時々失敗するから。パパかおじいちゃんなら失敗しないから4本。ひいおじいちゃんなら1本の琴線を魔法力を損なわずに2本とか3本に裂くことができるから7本は作れるけど、誰であれ気まぐれ起こしたら1本ね。なにしろね、やりたくなるのよ。無茶な挑戦って」
この魔女はどうやら1本で充分なものを3本に残りもすべて合わせて束ねてロープみたいにした琴線で杖を作るつもりだと、ハリーは悟った。
それってなんだか強そうだけれどきっとそんな単純な話じゃないんだろうとロンは推測した。
「あら、平気になったの?」
いつの間にか隣に来ていたロンをハーマイオニーがからかう。
「なってないけど、見逃したら損だろこんなの。爺さんになってから後悔したくないよ」
ロンのみならず、血とか臓物とかでっかい蜘蛛とかを間近で見るのを避けたくてマクゴナガル先生と一緒に後ろの方に居たはずの生徒は今や、1人残らずハリーたちと同じようにドラゴンのすぐ前まで寄ってきて、少しでも仔細に観察しようと押し合いへし合いしている。
「あらお久しぶりですマクゴナガル先生」
「お久しぶりですねミス・オリバンダー」
祖母と孫みたいな魔女2名が挨拶を交わし、神秘部部長でもある先生が「皮剥いで肉バラすよ」とだけ、次なる解体手順を説明した。
「ドラゴンって鱗も皮も、ルビウスくんとかグロウプくんほどじゃあないけれど魔法をはじくし、それ以外の部位も魔法が効きづらい。けど方法はある。例えば――スネイプ先生、例をどうぞ?」
神秘部部長でもある先生から気軽に丸投げされたスネイプは、面倒そうに視線をダンブルドアからドラゴンへと移した。
すると空中にいくつものナイフが出現し、それらが勝手に動き回ってドラゴンの巨大な身体から皮を手際よく、ハリーたち生徒が称賛も僻みもする暇がないほど迅速に切り離して剥がしていき、数十秒でドラゴンの身体から皮はすべて、爪の先すらまったく損なわず綺麗に剥離された。
「アルバスねえノコギリ作ってノコギリ。ルビウスくんが使うからさ」
ハリーの目にはダンブルドアが何かをしたようには見えなかったが、とにかくいくつもあったナイフがすべて煙に変わり、その煙が数秒で大きなノコギリになった。
ダンブルドアはドラゴンの身体の真下にヒトも蜘蛛も居ないのを確認してから、再び左手を掲げてドラゴンの身体をゆっくりと地面まで降下させる。
「で、こっからどういう順番でお肉の部位ごとに切り分けるかは知ってるよねルビウスくん」
「もちろんですだ先生。まず翼を付け根から落として、頭と尻尾を落として、背骨を縦に割りますだ。グロウプ! このでっけえ頭を両手で持って、動かねえように抑えといてくれ。そんでアラゴグは尻尾をピンと突っ張るくらいしっかり抑えといてくれ。グニグニ動くと切りづれえからな」
まさかそんなわけはと疑っているノットとザビニとドラコが見ている前で、巨人と巨大蜘蛛は素直に指示に従った。さらにアラゴグの命令によって他の蜘蛛たちも動き出し、最も小さい1匹でも大型犬くらいはあるアクロマンチュラの群れがドラゴンの身体に殺到した。
巨人と巨大蜘蛛に手伝わせながらあたかも端材で郵便受けでも作っているかのような手軽さでドラゴン1頭をみるみるうちに解体していくハグリッドは、血とか肉とかは苦手だと思っていた一部の生徒たちにとってすら、けっこうな見ものだった。
特にハグリッドの指示でグロウプがドラゴンの身体を背骨ごと一気に首から尻まで真っ二つに引き裂いた時は、流れ出るべき血液がほとんど全て独りでに吸い出されて広口瓶に収まった後だったのもあってか光景の壮絶さに反してグロテスクさはかなり軽微で、悲鳴が上がるどころか逆に皆「おおー」と歓声を挙げて、ドラコすら無意識に拍手をしてしまっていた。
そしていくつもの大きな大きな骨付き肉の塊ができあがり、さあここからはどこをどう切ったらヒトが食事で消費できるサイズになるんだろうなと皆が予想をし始めた時、ノットが挙手した。
「ハグリッド先生、僕もやりたいです。ドラゴンの骨の頑丈さを体感する機会なんて普通ない」
「おお? もっちろんええぞノット。それじゃあこのノコギリ――はデカすぎるか」
ハグリッドがさっきからずっと使っているノコギリは、刃渡りがノットの身長の倍くらいある。
「それならこのようなノコギリを使ってみてはいかがですかミスター・ノット」
マクゴナガルがそう提案しながら優雅に杖を一振りして、両方の端にそれぞれ長めの柄がついた大きなノコギリを空中に創り出した。
「そうさせてもらいますマクゴナガル先生。よしマルフォイ手伝え」
「屋敷しもべの仕事だろう」という不満と「ドラゴンだぞ貴重極まる機会だ」という理解とが心の中でせめぎ合っているのが顔にハッキリ出ていたドラコはしかし、すぐにノットの要請に応じた。
「みんなでやれば、早く食事にありつけますよ」
マクゴナガルはそう言って再び杖を振り、2人用だったり1人用だったりするノコギリをいくつも空中に創り出した。
そしてクラッブとゴイルが喜んで2人用のノコギリを引っ掴んだのを皮切りに、喜び勇んでいる者も面倒くさそうな者も等しく平等に参加して、かなりキツイ肉体労働が開始される。
なんでみんな魔法を使わないのか、ノコギリを魔法で操ることすらしないのかは、自分とてノコギリを握りしめてベッドくらいある骨付き肉に挑んでいるハリーにも、よく解らなかった。
「ところで部長、私に彼氏ができたって話、したかしら? クローディアには言ったんだけれど」
艷やかでまっすぐな栗色の髪をした背の高いオリバンダー女史が神秘部部長に不意に確認した。
「えっそうなのおめでとうオリバンダーくん。いつから? 最近?」
「1995年の11月だからおととしだけど、年度で言うと去年度ってことになるわ――ねえ、実は私ずっと気になってたんだけど、この中に『ロン・ウィーズリー』って名前の生徒は居る?」
なぜその魔女に探されているのかも解らないまま、ロンは「僕だけど」と返事をした。
するとその魔女はつかつかと歩いて近寄ってきてロンの目をじっと見つめた。
「そう。アナタがロンなのね……初めまして。私オードリー・オリバンダー。神秘部の研究員で、あなたのお兄さんのパーシー・ウィーズリーと時々いっしょにお風呂に入ったりしてる女よ」
シェーマスと協力してドラゴンの肋骨のひとつに挑んでいたロンの手が止まった。
「あなたのお兄さんのパーシーは私の胸に顔をうずめるのが好きよ」
シェーマスの手も止まった。
【ギャリック・オリバンダーの曾孫の魔女】
私の妄想の産物。名前が出たのは今回。しかし初セリフは48話。
旧ポッターモアでだけ開示されていたギャリック・オリバンダーのプロフィールが今もまだ公式設定として有効だと仮定するなら、ギャリック・オリバンダーには妻子がいる。
心臓の琴線ってのが房室弁と乳頭筋を繋ぐ腱索のことなら、心臓1個に1本だけってことはない。